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本格ミステリー館 島田荘司・綾辻行人 |
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評論・エッセイ | 出版月: 1992年10月 | 平均: 6.50点 | 書評数: 4件 |
森田塾出版 1992年10月 |
角川書店 1997年12月 |
No.4 | 7点 | Tetchy | 2010/11/03 21:11 |
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綾辻行人がデビューして以来、新本格というムーヴメントが勃発し、講談社を中心に現代に黄金時代の本格推理小説を蘇らせた作家たちが数多く生まれた。本作はいわばそのムーヴメントに精力的に携わった島田とムーヴメントの起爆剤となった綾辻が当時新本格が第2世代へ移行しつつある時に「本格とは何か?」について語り合った対談集である。
内容に関しては後日折に触れ、本格について語られる際に引用されるエピソードがふんだんに盛り込まれている。そういう意味からもかなり本格ミステリシーンにおいて以後羅針盤的役割を担うものといえるのではないだろうか。 本格に対し、渇望感を抱いていた島田と平成の本格作家である綾辻との温度差は結構あり、両者の中で対立する部分もあり、面白い。特に島田はかつて書評子たちにさんざん叩かれてきたことに起因しているのか、かなり極論を多用する。この辺が特に危うく、日本人を簡単にカテゴライズしようと懸命である。 それに対し綾辻はまだ明確に定義は出来ないものの、漠とした何かを持っており、島田の極論に対し、かなりニュートラルに対応する。島田の説には特に日本人論など絡めて興味深い部分はあるものの、極端すぎて素直に頷けない部分が多々あった。狂人の如く、時々論理が飛躍するのも彼の悪い癖である。 島田の「前半の幻想性、後半の論理性」という本格ミステリの括りは綾辻が危惧して「前半の大風呂敷から後半のスケールダウン」を招くという意見には大いに賛成である。巨人が巨人であるが故に求めるレベルが高すぎるというのが両者の間には隔たりとして存在する。ジャンル化が無意味であるとの意見から考えれば「~とは何か?」と定義付けするのははっきりいって終わりのない戦いである。 面白くはあったが、これを鵜呑みするのが読者の仕事ではない。これを読み、何を考えるのか、それが大事なのだ。 |
No.3 | 5点 | vivi | 2010/01/14 01:43 |
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全然噛み合っていない2人の討論が、
ある意味で面白かったかも(^^; やはり、全く同じミステリー感を共有する作家はいないと思うし、 それぞれが、自分の信じる作品を書いていけばよい、 そんな風に思いました。 島田氏も、ちょっと気負いがあったのかな~・・・ |
No.2 | 8点 | 測量ボ-イ | 2009/09/28 20:59 |
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作品の現実性と幻想性(だったかな?)を縦軸と横軸に据え、
主要作家の作品を分類する趣向が秀逸です。 ミステリガイド本だけに、どうしても一部ネタばれがつきま といますが、ネタばれする作品とその掲載頁を予め告知して おり、親切な構成です。 また島田氏と綾辻氏のミステリ観の、共通する部分や少し食 い違う部分があったりして、興味深く読めました。 |
No.1 | 6点 | 江守森江 | 2009/09/27 17:21 |
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1992年に「本格ミステリー館にて」で出版された対談集を文庫化した物。
図によるミステリー分類(代表的作品のポジション・代表的作家のテリトリー)は、ミステリ嗜好と立ち位置の自覚に最適。 私的に、高木彬光と鮎川哲也の交わるゾーンが嗜好のド真ん中だと再確認した。 途中で論じられるアイデア(トリック)の転用問題だが、作家の立場から論じられ、読者がどう受け取るのか?に触れていないのが残念。 叙述トリック論も同様で、読者が構えて(察して)しまう点への言及が甘く、出版社の(帯や内容紹介で煽る)姿勢の功罪や、読者の「察し」レベルと作者の「隠蔽技術」レベルの噛み合わせも論じて欲しかった。 私的には、結末まで違和感を感じさせず最大限の驚きを齎す、察しても再読(する気が起きる事は最低条件)で手口を満喫できる作品は賞賛している。 ※配慮はしてるが、結構ネタバレになる有名作品も多いので、ある程度ミステリーに馴染んでから読むべき。 |