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シャーロック・ホームズの記号論 T・A・シービオク&J・ユミカー・シービオク |
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評論・エッセイ | 出版月: 1981年06月 | 平均: 6.00点 | 書評数: 1件 |
岩波書店 1981年06月 |
岩波書店 1994年12月 |
No.1 | 6点 | クリスティ再読 | 2021/02/26 22:49 |
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80年代に流行った本である。懐かしい。記号学が大流行の頃で、みんな知ってるホームズと、日本人はよくわからないC.S.パースをひっかけて、記号論に入門できちゃうお買い得な本(しかも薄くてすぐ読める)だから、流行ったわけさ。評者ドイルはとりあえず大体済ませたから、そういえば、で取り上げよう。
ミステリの名探偵の「推理」というと、演繹的推理と帰納的推理が...とかね、そういう説明が「ミステリ入門」とかでされるわけだけど、この本の面白いところは、発見的な推理・推測というものは、この著者のシービオクによると、実は演繹的でも帰納的でもない、パースの用語で言うところの「推測 abduction」というものであり、ホームズの推理法の中に、そのエッセンスが詰まっている、ということだ。 いや「推測」という訳語は、坐りが悪い。「あて推量」とか「仮説的推論」いうくらいの方がどうもいいようだ。つまり、帰納推理だって、現象を観察して何らかの仮説的な推量を形成し、その仮説に対してさまざまなデータがうまく収まるかどうかを判定して、「帰納」するわけで、この「仮説を立てる」という能力を根底的な「能力」として捉えよう、というあたりに、著者がパースを援用する所以があるようだ。 とはいえ、この本の面白さ、というのはどちらかいうとこういう理論風のあたりよりも、モデルのベル博士と、パース、それにドイルに共通する「医師の視線」と、「演劇的な身振り」の合体した、パフォーマンス的とでもいうべきアプローチを見せているあたりのような気もするのだ。要するに、このエッセイは、推理というものを一方的な解釈プロセスではなくて、推理する側とされる側の、無意識的な相互作用の中にとらえよう、としているあたりの面白さなのではないかと思う。 まあ、軽いエッセイなので、すぐ読めるんだけど、ややこしいことがサラっと書かれていることもあって、注意深くないと読んでも意味がないかもしれない。著者は 1920年生まれだから、フーコーとかバルトとかと同世代で、巻末付録の山口昌男との対談だと、「レヴィ=ストロースが構造主義の父だとすると、シービオクはその助産師だ」なんてヨイショしている。守備範囲の広い学者だったようだ。 |