皆さんから寄せられた5万件以上の書評をランキング形式で表示しています。ネタバレは禁止
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クリスティ再読さん |
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平均点: 6.39点 | 書評数: 1436件 |
No.1436 | 6点 | ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団- J・K・ローリング | 2025/07/17 06:58 |
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ハリポタの5巻目。この巻から作品のテイストが変わってくる。子供向けと言えないような、政治的シミュレーションとでもいうべきテーマが前に出てくる。
前巻でヴォルデモートが復活したのをハリーは目撃する。しかし、魔法省を中心とする保守勢力はヴォルデモート復活を受け入れることができずに、マスコミを通じたハリーへのネガキャンを執拗に行っていく。この状況下でハリーの言を信じるのは、かつてヴォルデモートに抵抗したレジスタンス団体で、ダンブルドア校長を中心とする「不死鳥の騎士団」くらいなものだった...ホグワーツにも魔法省の意を受けたアンブリッジが送られて、ホグワーツでさえも言論を弾圧する独裁体制を築こうとしてくる。 こんな状況設定。で今の私たちが当然連想するのは、ハリポタが大人気になったあと、作者のローリング女史がいわゆる「トランスジェンダー問題」について女性たちの立場に立ったことが、いわゆる「リベラル派」によって袋だたきにされて、殺害予告もあればハリポタの映画企画からのキャンセルなどを受けたことである。ほとんど自身が後に受ける迫害を予告するかのような小説の内容なのである。迫害にローリング女史が「折れなかった」理由というのは、きっとこの小説自体がすでに「シミュレーション」になっていたからだとも想像するんだ。 評者自身、ローリング女史と同じ立場で、この「トランスジェンダー問題」を戦っていた。日本では2019年あたりから「ノーディベート」を宣言して、反対意見を「キャンセル」する動きが、海外に追従して広まってきた。まさに2021年あたりの「キャンセル」全盛期の「暗さ」は、まさにこの問題を一切マスコミが取り上げないという、徹底した言論統制がもたらしたものだった。「かわいそうなトランスジェンダーに対する差別をするな!」と決めつける「人権意識の高い」人々...この偽善と新語の乱発によってわざと「わかりづらく」されて議論を遠ざける戦略によって、欧米でも日本でも異様な状況によって席巻されていた。まさにこの巻の状況が再現していたのだった。 ローリング女史は折れずに訴え続けた。私たちは本当にこのローリング女史の姿勢に鼓舞されてきた。日本では2023年頃から反撃が功を奏するようになり、まだアカデミアやマスコミの状況はあまり改善はしていないが、ネットの言論では異様な「トランス思想」は駆逐されており、アカデミア・マスコミはその権威を失いつつある。欧米でも法の場面での状況改善が進み、アメリカではトランプの再登板に伴って大きな方針転換を宣言している。 だからこそ、評者はローリング女史を「同志」として強い尊敬の念をもつ。 このローリング女史の「闘い」を予告しているのが、まさにこの巻の内容なのである。 (この巻では、ハリーと仲間たちの成長に伴って、性格的欠点もいろいろと前に出ても来るようになっている。人間らしいと言えばそうなのだが、イヤな面も見え隠れする。ハリーとて必ずしも「無欠のヒーロー」ではないのが、このシリーズの特徴的な面だろう。事実この巻は「ハリーの失敗談」みたいなものだ。アンブリッジの追放で素直にウサが晴らせないあたりに、この巻の「微妙さ」があるように感じるよ。個人的に一番響いたのは、気丈なウィーズリー夫人がまね妖怪を退治しようとして、家族の死を見せつけられて動揺するシーン。これは、痛い) |
No.1435 | 8点 | 冷たい方程式(2011年 早川SF文庫版)- アンソロジー(国内編集者) | 2025/07/14 10:38 |
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アメリカの50年代というと、ミステリは飽和状態で不振のイメージが強いが、対照的にSFは黄金期の定評がある。そんな50年代SFを伊藤典夫の選と翻訳で編んだ有名アンソロである。表題作が有名過ぎ(苦笑)評者も表題作を取りあげたくて読んだのだが、他作品も極めてレベルが高い。
なぜ表題作「冷たい方程式」を読もうと思ったのか?というと、本作の設定を基にした「方程式もの」と呼ばれる一群の作品があり、SFでの立ち位置がミステリでの「密室もの」と同じようなものではないか?ということだったりする。「密室」はジャンルではなくて、「本格」というジャンルの一部だとするべきだし、たとえば「連続殺人」という大雑把なプロットの類型とも違って、もっと明確な定義づけをもった領域だろう。「冷たい方程式」は、緊急用で運用に強い制限がある宇宙船で、密航者を見つけた時の倫理的ジレンマを扱った作品である。ルールは密航者を即時船外に放り出すことを求め、かつそうしなければ緊急事態の解決のために派遣されたこの宇宙船の任務が果たせずに、全体的に大きな損害が不可避になる。しかし密航者は若い少女であり、兄に逢いたいという心情から、それが大事になるとは知らずに密航を企てたという情状酌量の余地がないわけではない...まさに道徳的なジレンマに宇宙飛行士が遭遇する。 この小説の結末はすべてを受けいれた少女が自ら宇宙船を出る(死ぬ)ことを選択するという、悲劇的なものである。だからこそその非情な「方程式」に心を痛める読者が「そうではない解決法」を求めて、「方程式もの」というジャンルが立ち上がったことになるわけだ。ありえない「密室殺人」の解決に頭をひねる読者がさまざまな「密室の解き方」を提案してできた「密室殺人」とは方向性がズレながらも、ジャンルを支えるファン層の自発的な要求に応じて、こういう特殊な立ち位置の作品群が形成されてきた、とは言えるだろう。 「密室」も「方程式」を両方うまく指し示す言葉があればいいなあ、と思っていろいろと調べてみたら「トロープ」という言い方があるようだ。明白に定義された制約を前提に、その制約の中で解決に工夫を凝らすというジャンルでも技法でもない、メタな「パターン」を示す言葉として有用かもしれない。 次に気に入ったのはアシモフの「信念」。急に空中浮揚の能力を得た物理学者が、科学法則に反するこの現象を一向に信じてくれない同僚たちを、どう説得するのか?という話。アシモフらしいロジカルな話で、ミステリとして見ても面白いかも。一種の「背理法」が使われていて興味深い。 C.L.コットレル「危険!幼児逃亡中」はキングの「ファイアスターター(炎の少女チャーリー)」の元ネタともいわれる。危険な超能力を制御不能なままに、幼女が暴れまわる話。「AKIRA」っぽいテイストも感じるなあ...総じて50年代SFというものが、冷戦状況という緊張感の中で、SFガジェットを発想の軸に発想を膨らませているのが見て取れる。未来のイメージとは、核戦争の危機感によって支えられてるという逆説が、興味深い。 だから逆に言えばそういう危機感に対する慣れと感覚の鈍麻が、60年代のスパイ小説の流行に繋がったのかもしれないな。SFとミステリと、たまにはガチに比較してみるのもなかなか興味深いものだ。 (評者はSFはファンとまでは言えないから、「方程式もの」は「機動戦艦ナデシコ」の「温めの「冷たい方程式」」で覚えたんだった..まああれ「ラブコメのフリをしたハードSF」と呼ばれたアニメだからね) |
No.1434 | 6点 | 猫は知っていた- 仁木悦子 | 2025/07/09 22:13 |
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乱歩賞作家のプロ作家成功率は、公募賞としては異常だとする定評が、かつてはあった。それは最初の「乱歩賞作家」である仁木悦子と本作が商業的な成功を収めたことから始まってもいる。
嫌味のないキャラ造形の兄妹探偵で、妹の平明な語り口には軽いユーモア感も出ている。タイトルもキャッチー。そりゃ、売れるだろうね。現実性はともかくとして、トリックもあるし、読者もそれなりに推理可能な範囲の真相で、とにかく親しみやすい。兄妹で防空壕での一幕を再現してみるシーンなんぞ、なかなかに萌える。女子語り手という面からもジュブナイルからラノベへ続く雰囲気といえばそうかもしれないな。 登場人物たちの造型も悪くはないが、尺をもう少しとってキャラを掘り下げてもよかったかな。終盤にバタバタと事件が続いて忙しい感じになっているのは、改善の余地があろう。特に次男はキャラが中途半端だなあ。あ、真犯人の動機はやや説得力が薄いかな。ロジック系というのは無理で、ロジックは煙幕につかっているだけと見るべき。 そういえばまだこの人のハードボイルド系作品読んでないなあ。そのうち取り上げたい。 |
No.1433 | 4点 | 人生の阿呆- 木々高太郎 | 2025/07/09 08:14 |
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木々高太郎という人のミステリ界への貢献は多大なものがあるとは思っているよ。
けど、この人の貢献はプロデューサー的な役割だと思う。探偵小説文学論争やら社会派的テーマの導入、さらには本作が示しているような「非名探偵小説」傾向など、この人の主張には評者は強く同意する面が多々ある。 けどね「ぷろふいる」で人脈的にも縁が深かった小栗虫太郎があからさまに「木々高太郎は二流作家」とディスっていたのも目にしている...「木々高太郎=ミステリ界の坪内逍遥」とか評者は思ってる。着眼点は時代水準を大きく抜いていて、業界全体の方向性を示す先見性もあるし、親分肌で人脈的な中心にも位置する人物なんだけども、「実作者」という面だけは力不足なんてもんじゃない... それでも自分を反映したと思しき特定のキャラだけはちゃんと書ける。主人公良吉の「祖母っ子」という描写などは実感が出てもいる。獄中転向して出獄し、女中に手をつけた疑惑から洋行でホトボリを醒ますとかね、戦前のボンボンにありがちな傾向で、戦前の小説や映画で類型的とはいえ、それなりに心情は描けているか。ブルジョア家庭小説としてのリアリティだけはちゃんとある。でも地下活動のリアリティがなさすぎるのは失笑。とはいえ主人公以外のキャラは、とくにミステリとしての重要人物については叙述不足が目立ち、特に男性は記号的な紙人形。ミステリとしては「やりたい要素」をごちゃごちゃと詰め込んだに等しくて、解決の満足感に大幅に欠けている。ほぼミステリとしては破綻しているというべきだ。 正直一番面白いのはシベリア鉄道の道中記と、モスクワでの元恋人との再会とかそういうあたり。創元文庫では豪華版として出版された版画荘版を底本にして、シベリア旅行に写真が付されている。岡田嘉子の「国境を越える恋」の時代、日本人にとって「亡命」という言葉にリアリティがあった唯一の時代だというのを興趣深く感じている。 |
No.1432 | 4点 | 古代天皇の秘密- 高木彬光 | 2025/07/04 11:02 |
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本作は作者の脳梗塞からの復帰後の作品になる。邪馬台国の位置についての議論に終始した「邪馬台国の秘密」の続編の格好を取って、邪馬台国の成立やらその後について、記紀などの記述・地名などから古代天皇の事績について考証していく内容である。
おそらく病床の作者は記紀や古代史の本を読みふけっていたんだろうなあ...そんなことをうかがわせる。交通事故で右大腿部と右手首骨折、身動きが不自由になった神津恭介に、脳梗塞の自分を重ねたくもなろう。本作では神津も定年退職(当時は国立大教授職の定年は60歳)していて、半白の髪の60代半ばの紳士。思えば神津も年をとったものだ。 印象は何というか、とりとめがない。しっかりしたテーマがないんだよね。「邪馬台国」での邪馬台国宇佐説を基盤に、その祭神である神功皇后と応神天皇による大和侵攻の背景がまあ、大まかな中心軸と言えるだろうか。いわゆる「神武東征」はその反映だとして史実性を拒絶する。文庫300ページほどの長さで、朝鮮半島からの渡来人やら熊襲・隼人の正体、物部氏・大伴氏の由来、果ては蝦夷にまで話が及ぶ...本当に駆け足で羅列されるだけ。難解な内容を大量に早口でまくしたてられているかのよう。病床で「勉強しすぎた」なあ。どんな読者でもこの情報量を処理しきれない。推理がまっとうかどうかももはや検証不能。 なので小説的な内容は希薄。本書で「成吉思汗」に登場した大麻鎮子は一時神津と恋仲になりそうだったが交通事故死したことが告げられている。 意外かもしれないが、評者一時面白がって関裕二を読んでいたことがある。内容は証明不可能だし、少しも真には受けなかったのだが、紹介される古代史の場面に印象的な「美しさ」があって、そんなロマンと情念を興趣深く思って読んでいたんだ。歴史をエンタメにしようとするのが「歴史推理」なのだが、本作ではこの「エンタメ化」に完全に失敗しているとしか言いようがない。 |
No.1431 | 7点 | 気ちがいピエロ- ジョゼ・ジョバンニ | 2025/07/02 16:48 |
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本書の裏表紙でも訳者の岡村孝一の解説でも、ゴダールの映画にうまくひっかけて「ゴダールの同題の映画の原型となった奔放なギャングの破滅までを元ギャングの作者が生き生きと描く!」と書いていたりする。ウソを書いているわけではないが、そりゃゴダールの映画の原作だと誤解するよ(苦笑)なかなか早川書房も商売が上手である。というか、本当は「ル・ジタン」の原作という方が近い。
「気ちがいピエロ(pierrot le fou)」というのは、そもそもこの本の主人公である、実在のギャング、ピエール・ルートレル(Pierre Loutrel)の異名である。とはいえサーカスのピエロとは無関係で、そもそもピエールという名前の愛称の一つがピエロだったりするわけだ。このルートレルはフランスでは、ディリンジャ―みたいにちょいとしたサブカルヒーローになっていてマンガまであったそうだ。 本書はこのキャラクターを使ってジョゼ・ジョバンニが書いたフレンチ・ノワールのわけで、いや読んでいて面白い。ほぼ一気読み。評者はフランス産ギャング映画は好物だけど、ジョバンニは初読。趣味にはストライク。シモナンやブルトンは訳書が少ないから、一番訳書が多いジョバンニはちょっとやってもいいなあ。 本書はこの「気ちがいピエロ」の家族的な一味、貫目のあるボスのピエール、美男のサブリーダーのリトン、過激な若者のジプシーのジャック、地元情報担当のマルセルの4人組による、現金輸送を狙った強盗事件と、逃亡潜伏とそれに付随するいくつかの抗争事件から一味の壊滅に至るまでを描く。それぞれのキャラはキッチリ立っていて、会話も生き生きしてリアル。さらに話の半分ほどは流行りのバーを経営する堅実派のギャング(金庫破りのエキスパート)であるヤンの身に降りかかった妻の事故死と逃亡生活の話が交差する。ピエロ一味とヤンとどう交差するのか?というのがプロットの大きな興味。 ピエロ一味、ヤンを巡る人々に加えて、ジョバンニのシリーズキャラクターでもある捜査側のブロット警部たちを交えて話が進行する。 訳者は岡村孝一だから、もうそれこそ岡村節は絶好調。下世話で伝法な語り口が心地よい。国定忠治とかそういうものか....というと、いや何かホントに最後なんて水滸伝。いづれが林沖か魯智深か。 |
No.1430 | 6点 | 気狂いピエロ- ライオネル・ホワイト | 2025/07/01 15:40 |
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ゴダールの「気狂いピエロ」の原作....ということにはなっているんだけどもね。
評者の若い頃は「ストーリーなんて映画を作るための口実に過ぎない」とウソぶくのが映画青年の定番だった。本作だって原作というよりも、おおまかに人間関係と流れを規定するためにとりあえず設定された「筋書き」というくらいのものだ。映画が求めるのはストーリーではなく、映画それ自身の「映画的肉体」と呼ぶべきものだ...評者たちはそんな風に信じてきたわけである。 まあだからゴダールの「ピエロ」で、真の原作と呼ぶべきものは、ゴダール自身の「勝手にしやがれ」なのだし「勝手にしやがれ」のカラー版リメイクと見るのが適切なのだ。マンガの中から飛び出てきたようなカラフルで行き当たりばったりの男女の逃避行であり、ホントかウソか分からないような気まぐれな韜晦と引用の数々。あたかも「原作」は俳優たちが嘘くさく引用する身振りそのものに還元されているようなものである。 そうは言っても本サイトじゃ原作について述べなきゃね。ストレートな悪女クライム物である。中産階級の生活にうんざりした男が、犯罪と冒険の世界に嬉々として巻き込まれ、望んだのかのように破滅する話。主観描写も多いから、ハードボイルドかというとそこまでドライな話でなくて、原題「Obsession(妄執)」そのままに、主人公の悪縁とでもいうべき女に訳も分からずに引きずり回される話。だから愛だの恋だのではなく、セックスだけで結びついていて、「なぜそこまで?」と疑うほどに不条理に主人公が翻弄される。ここらへんクールと言えばそうか。 だから原作にはホワイトらしい銀行強盗はあっても、海岸で顔を青く塗ってダイナマイトで自爆もしない。 すれ違いのまま「永遠」だけは見つからない。そんなもんさ。 (でもさ、山田宏一の解説で「気狂いピエロ」と呼ばれた実在のギャング、ピエール・ルートレルの話が紹介されていて、ジョゼ・ジョバンニの「気ちがいピエロ」はこの男がモデルだそうだ。評者もこれがゴダールの原作だと誤解していた。比較してみるしかないね) |
No.1429 | 6点 | 不思議な国の殺人- フレドリック・ブラウン | 2025/06/30 22:12 |
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ユーモア、という感覚でもないか。
要するにブラウンの短編作品の延長線上にあって、短編の豪華版みたいな長編だと思う。スモールタウンの週刊新聞発行人(兼編集者)が一晩に遭遇する怪事件の数々、という話。スモールタウンということでロクなネタがなくて、新聞を発行する甲斐もないと嘆くわけだが、前半ではこれでもか!と単発的に事件が起き続け、しかもそれがどれも翌日発行の新聞には載せることができないという悲運wに逢う。夜半からはとんでもない濡れ衣が主人公にかかってしまい、一転追われる立場になり....でも翌朝にはすべて解決。主人公もネタ満載の新聞が発行できてめでたしめでたし、な話。ブラウンらしい楽天主義である。 ホント目まぐるしく事件が起きていく。ジェットコースター的スリラーである。各章の先頭にルイス・キャロルからの引用文があり、夢幻的な雰囲気を作るが...雰囲気作り以上というものでもないか。主人公を幽霊屋敷に誘き出すためのネタではあるのだが。 最優秀助演賞はバーのマスターのスマイリー。なかなかハードボイルドなマスターで渋い。意外なくらいに荒事での活躍を見せるし、主人公をサポートしてくれる!あとウィスキーを遠くから投げ込むように飲むルイス・キャロルのマニアのエフィーディ・スミス。あれ本作女性キャラが端役二人だけでほぼ登場しない! タイトルからして "night of the jabberwock" だから、「ジャバウォックの殺人」とかそういうのを期待してしまったけどね。細かい辻褄とかそういうことはあまり気にせずに、ひと夜の夢幻劇みたいに読むのが吉かな。 |
No.1428 | 8点 | 通り魔- フレドリック・ブラウン | 2025/06/30 13:27 |
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Wikipedia の執筆者が妙に本作を推しているので、読んでみたよ。
...いやブラウン舐めてた。すまぬ。 もちろん短編の名手だとは重々承知しているのだけど、ミステリ長編は仕掛け先行で解決は竜頭蛇尾、小洒落てはいても小説としての本来の趣きには欠ける...というイメージを持っていた。が本作はそんな先入観を十分覆す力量のある名作。知名度が低いのが本当にもったいない。 アル中気味のシカゴの新聞記者スイーニーは、ブロンド女性だけを狙って刃物で腹部を斬る「通り魔」事件の直後に遭遇する。しかし通り魔を猛犬が阻んだため今回の被害者ヨランダは軽傷で助かった。スイーニーはヨランダに一目惚れをし、ヨランダを手に入れようとアル中から立ち直り「通り魔」の追求に乗り出す。最初の事件の際の小道具として登場した「悲鳴をあげるミミ」と題された彫像が暗示するものとは? で原題は「悲鳴をあげるミミ」でこの彫像がなかなかサイコホラーな役割を果たす。ブルブル、である。スイーニーが遭遇した「通り魔」直後の現場では、倒れている白衣の女とその背後で唸る猛犬、女は意識を取り戻して立ち上がるがその腹部にはべったりの血が...その時猛犬は伸び上がり、女の背ファスナーを一気に引き下ろして....という印象的な場面あり。ヨランダは事実上ストリップというべきショーのダンサーで、猛犬はまさにショーの相棒。お色気サービスと言わば言え、この場面のイマジネーションが素晴らしい。 比較的キャラ造形の印象が薄めのブラウンだが、本作はなかなか印象に残る人物も多い。ヨランダのマネージャーで、スイーニーは第一の容疑者として念頭におきつつも「共闘」みたいになるドク・グリーン、ミミの作者の変人彫刻家、なかなかのナイスガイであるブライン警部など、キャラもよく描けている。 そして...結末はある程度読者の予想を引っ張りながら、絶妙のひっくり返しがある。「こう、ちゃう?」と思い込みで読んでいくと、まさに引っかかるタイプのもの。純ミステリとして上出来。ガチ真っ向勝負のサイコスリラー。 ブラウンって力量のある作家だよ。マジで。 (けどシカゴの酔っ払いというとマローン弁護士なんだよなあ。そんなにシカゴはアル中が多いのかww。真夏のシカゴで公園で野宿するルンペン親父とスイーニーは昵懇で、このオヤジが見事にオチを締めてくれる。ここらへんは短編作家ブラウンの安定の切れ味) |
No.1427 | 8点 | 大尉のいのしし狩り- デイヴィッド・イーリイ | 2025/06/28 13:24 |
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イーリイというと、70年代くらいの翻訳ミステリ雑誌によく掲載されていた記憶がある。だから評者も、翻訳冊数は少ないけどもコンプしてやろうと思ったんだ。異色作家は好物だからねえ。
でこの本は、70年代あたりに紹介された作品を中心に、日本での独自編集で編んだ晶文社のアンソロ。「ヨットクラブ(タイムアウト)」の好評を受けた第二弾で15本収録。「昔に帰れ(コミューン始末記)」とか「別荘の灯」といったMWA賞候補作も含んでいる。とはいえ、狭義のミステリ色は強くなく、アイロニーの効いた奇談やホラーが主体。まあこういうカラーって、70年代の翻訳ミステリ雑誌らしいものなのだけどもね。だから評者とかとっても懐かしい...というのが狙いかな。 内容は極めて高水準。ストーリーテリングの妙を存分に味わうことができる。結末を暗示的に終わらせるのがイーリイの好みのようだ。軍隊での復讐譚である表題作は、復讐の主体となるテネシーの木こりたちの郷党的一体感をしっかり描くというかたちで特異性がある。「裁きの庭」はやや例外的にオーソドックスな絵画を巡るホラーだが、完成度は高い。失踪したグルメをグルメ仲間が追いかけが「十人のインディアン」みたいにどんどんと脱落していく「グルメ・ハント」も面白いが、外出するたびにどこかの灯がつきっぱなしになるという怪異を描いた「別荘の灯」はそれとないサイコホラーで、原因はその妻にあるようだし、やはり主婦を主人公とした「いつもお家に」なら、<いつもお家に>という防犯設備を巡って心理的に主婦が追い込まれていく心理ホラー。 といった具合に怪異の有無はともかく、心理的に追い詰められていく恐怖感がイーリイの持ち味で、長編の「蒸発」もそういう怖さが主体だからね。若干それを純化した心理小説にしたら「走る男」「歩を数える」といった妄想話になってくるし、ヒッピーコミューンが想定外に押し寄せた観光客によって崩壊していく「昔に帰れ」の閉塞感もそのようなベースからのものだろう。 だからこそ「登る男」の結末は好き。有史以来の巨木メタセコイアにTVのショーとしてそれに登る「リス男」の解放の話。大好き。 きわめて濃度の高い短編集。 |
No.1426 | 7点 | ピーター卿の事件簿- ドロシー・L・セイヤーズ | 2025/06/27 16:22 |
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評者はとっても面白かったが、皆さまの評価はイマイチなのが興味深い。
何がいい、といって、要するにホームズ探偵譚にあったような、推理と冒険のバランスがとってもいいんだね。「本格」という言葉で冒険の要素を無視しがちな傾向が散見されるのだけど、ウィムジー卿にそういうヒーロー的要素がしっかりとあって、一見怪異と見える事件にアクティヴに関わって、(疑似)合理的な解決をもたらす。これは物語としての王道だと思うんだ。 まあその解決が「科学めかしたもの」に今となってはなってしまうあたりに弱点があるのだが、伝奇的といっていいようなロマンの味わいがあるのが、なんとも捨てがたい。「無駄話」と言わばいえ、小説としてしっかりと膨らませてあるあたりに重厚な満足感がある。 まあ医学的に突っ込むとかすると、無粋にはなるかな。しかし内臓逆位・可逆な痴呆化の病気・胃袋の奇妙な機能・メッキ技術などなどの悪どくもキャッチーな猟奇のネタが、ヒーロー性をしっかりと備えた「冒険者」であるウィムジー卿によって解明されていく。上出来なヒーロー小説と読むべきだろう。 しかもユーモアもしっかり。最後の中編「不和の種」ならワトスン役はおとなしい牝馬ポリー・フリンダース!トータルで見れば、素敵なお話だと思うよ。 (キュビスト詩人って気になったから調べたら、アポリネールがやっているような図形詩のことなんだな。セイヤーズの興味範囲が窺われて面白い) |
No.1425 | 5点 | クイーン犯罪実験室- エラリイ・クイーン | 2025/06/25 15:28 |
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リー存命中に出たエラリー・クイーン最後の正規の短編集。1955年から1966年までアゴーシーやらキャバリエやら男性誌に掲載されたあと、EQMMに再掲載、短編集にまとまった作品集。リーが長編に関わっていない時期の作品もあるから、「推理の芸術」ではリーが短編にも関わっていない可能性を示唆している。
内容的には長めで独立した内容の「菊花殺人事件」と「エイブラハム・リンカンの鍵」の間に、「推論における現代的問題」として4作、「新クイーン検察局」としてショートショート8作、「パズル・クラブ」としてショートショート2作が挟まっている。ミステリとしてはダイイングメッセージなどの暗号謎解き系が多いが、ライツヴィル物が「菊花」と「結婚式の前夜」と2作あって、ライツヴィルの若手外科医コンク・ファーナムが共通して登場する。やはりライツヴィル物はキャラ造形もちゃんとしたものになりやすい。「現代的問題」シリーズは教育・交通問題・住宅難・高利貸などの社会問題がテーマになっていて、新冒険のスポーツシリーズみたいな印象。でも新冒険には遠く及ばないな。 好きなのは「駐車難」「国会図書館の秘密」かな。「菊花」の多段オチみたいな構成は少し面白いが。あと「パズル・クラブ」は今になって読めばアシモフの「黒後家蜘蛛の会」のオリジナルみたいなものかも。クイーンの初出は1966年で、アシモフは1971年だから、アシモフが参考にしたのではないのだろうか。「パズル・クラブ」の後続作は「間違いの悲劇」に収録されている。 一応これで真作の長編と短編集がコンプになるから、クイーンは打ち止めかな。ラジオドラマや外典までコンプするほどのこだわりはない。 |
No.1424 | 6点 | 砂男/クレスペル顧問官- E・T・A・ホフマン | 2025/06/24 11:33 |
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光文社古典新訳文庫から。
要するにこの本は、オッフェンバックの「ホフマン物語」の原作をオペラの順に翻訳したもの。ホフマンでもロマン派幻想ホラー小説の有名作をまとめたことになる。「砂男」は人造人間コッペリアの話だし、「クレスペル顧問官」は名歌手でも歌うことで命を削る女性の話、「大晦日の夜の冒険」はシャミッソーの「影をなくした男」にインスパイアされてホフマンが書いた「鏡像を魔女に差し出した男」の話。 ロマン派らしい芸術愛好もテーマだが、「砂男」は別格だね。「砂男」はよく見ると、前半の「眠らない子供の眼をくりぬく夢魔」としての砂男の話と、後半の人造人間に恋する男の話が、今一つ噛み合わないようにもみえるのだ。だからオッフェンバックのオペラではコッペリア(オランピア)の話で後半に取材するし、あるいは「砂男」と題すると前半の砂男を巡るホラーになる。しかし、この両者の分裂は、主人公を愛するクララが忠告するように、「自分の中に潜む暗黒」を外部に投影した「悪」であるという共通性を持っているわけだ。「インスマスの影」もそうだが、優れたホラーには破綻があるが、まさにその破綻によってより深い真実を示すという、興味深い側面があると思っているよ。 であと乱歩の「押絵と旅する男」って実は「砂男」にインスパイアされたんだな。改めて読み直すとそれがよくわかる。「目羅博士」の義眼趣味もそうかもね。 (あと Paul Berry の "The Sandman" という作品があって、これは前半「砂男」がモチーフのホラー人形アニメ。なかなか怖い。「人形アニメ」というのがコッペリアの話と重なって面白いなあ) |
No.1423 | 6点 | 子犬を連れた男- ジョルジュ・シムノン | 2025/06/21 22:19 |
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タイトルからチェホフの「子犬を連れた奥さん」を連想するけども...確かに不倫があったりストーカーまがいのことしたりとかの共通点はあるんだけど、強い関係はないかな。シムノンは修業時代にロシア文学をよく読んでいた話があるから、ある程度踏まえる意識はあったんだろうか。
まあ確かに日記書いて自身の思考を自己分析したりする構成自体がロシア文学っぽいところもあるかな。主人公は刑務所から出所してパリの街角の古本屋に雇われた初老の男。最初は金魚を飼ったが野犬収容所からプードル系雑種のビブを飼うようになった。刑余者で余命いくばく?の身の上もあって、世間との交流をほぼ断っている孤独な生活だが、その寂しさを紛らわす...というのも違う気もする。とはいえこの犬のビブがこの小説の副主人公みたいなもので、印象的。さらに言えば、刑余者と知りつつ主人公を雇う古本屋の女主人アンヌレ夫人が好キャラ。老齢で体が動かなくなっているために主人公を雇ったのだが、どうやら街娼から娼館を営むまでに成功した過去があるようだ。そんな女性なので人物洞察に長けている。自殺衝動を持て余す危うい主人公の身を案じつつも、主人公の日記を通じて過去の事件が徐々に明らかにされていく...主人公にとって「真の動機」は何だったのだろうか? こんな小説だから、ホワイダニットと言えばまあそうか。ペットというのは、アニメだったら主人公の秘めた感情を描写するための暗喩的なツールのわけだし、感情の産婆的な役割を果たす老女というのも、「探偵」の一種と見るべきかもしれないね。 というわけで、ミステリとは言い難いが、ミステリ的な雰囲気だけはちゃんとある。ニアミスでいいと思うし、評者は好き。結末は...シムノン、甘くないんだよね。 |
No.1422 | 6点 | スローターハウス5- カート・ヴォネガット | 2025/06/21 09:01 |
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11セント綿 40セント肉
余震はまだ続く こころが崩れるまでは 揺れる揺れる揺れる揺れる揺れる しんがりはお前だ 時が経つまで待て 行き着く先には スローターハウス ガールズバンドの草分けの一つのZELDAの名曲「スローターハウス」の元ネタだ。この頃のNW/PUNKって「アタマとセンスが抜群にイイ連中が、バカなフリしてやってる音楽」なんて思ってたくらい。ZELDAならバンド名からしてスコット・フィッツジェラルドの奥さんの名前からだし、歌詞に小栗虫太郎や山田正紀からの引用があったりと、「文学少女バンド」の代名詞みたいなものだったな。 この歌は主人公の(強制的)時間旅行者の結婚記念日パーティの余興で唄われた歌。結構歌詞を追加していて、引用したのは追加部分が主体になる。元ネタの方が貧乏を嘆くようなカラーが強いが、ZELDAの方は実存的不安っぽい(苦笑) いやだからさ、本作の時間旅行って主人公が遭遇したトラウマティックな体験(ドイツ軍に捕虜となりドレスデン空襲に遭遇・戦争の後遺症で精神病院に入院・飛行機事故に遭い自分だけ生き残り、病院に駆けつけて来た妻が別な事故で死ぬ)が、本人の意識の中で脈絡もなくカットバックされていくようなもの。その原因としてUFOに誘拐されて彼らの母星の動物園で飼育されたアブダクション体験があるのかも?という設定。 このアブダクション体験が「SF」としての枠組みを提供しているだけで、事実上PTSDによる辛いフラッシュバック体験を「小説」として提供しているようにも感じる。作者の本人の実体験にも大きく取材しているようだ。大量死を背景に「生きることの意味」が、絶え間ないカットバックによって希薄化され、諦念にによってそれを受け入れる「実存」を描いているとするのならば、ZELDAの歌詞というのもなかなか原作の精神を衝いているようにも感じるのだ。 (印象的なのは人の死に触れる際に、決まり文句のように「そういうものだ(So it goes)」と述べられること。そういうものなのだよ) |
No.1421 | 6点 | 彼の名は死- フレドリック・ブラウン | 2025/06/18 12:52 |
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殺人者側から事件経過を描いていく、倒叙というかクライムなんだけども、ちょっとした仕掛けが作品のイノチになっている技巧派作品。毛色が違った意味でのアイデア・ストーリー。
各章の冒頭で「彼(彼女・私)の名は○○」とこの章の視点人物が名乗る。本当のキャラの場合もあれば、犯人などが身元を偽る目的で名乗る偽名もあるけどもね。とある事情で殺人を選択した印刷工場主の行動を追いつつ、偶然の悪戯で殺さなくてはならないターゲットが次から次へと登場していくサスペンス。もちろんこの仕掛けの中には、自分が狙われているとは夢にも思わない被害者側もカバーされていて、視点の切り替えによって呑気な被害者側と、対照的に神経質な犯人の心の動きが描かれていく。思わず「考えすぎだろ!」とツッコミたくはなるが(苦笑) まあ、犯人はかつて妻を殺してバレなかった前歴があり、いわゆる「殺人は癖になる」そのまま。章の切り替えで適度に経過をすっ飛ばすとか、ブラウンの編集感覚とでもいうべきセンスが楽しめる。 狙いは面白いとは思う。着地は大体想定内くらいかな。「狙い以上の面白さ」とまではいかないか。 (ちなみにブラウンの代名詞みたいな小道具である、ライノタイプが本作も登場。キーボードを打つことで、そのまま鉛を鋳造して印刷用の印版を一貫して自動で作成してしまう優秀な機械) |
No.1420 | 6点 | 続・13の密室- アンソロジー(国内編集者) | 2025/06/17 14:38 |
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渡辺剣次編「13」シリーズって、70年代を代表する名アンソロだ。まあだからこそ正編「13の密室」だと、大正義「密室ミステリ」が連発されることで、アンソロとしての妙味がなくて面白くない。なので、「続」の方がしたいんだ(ニヤリ)ラインナップは次の通り。
乱歩「何者」、大阪圭吉「坑鬼」、杉山平一「赤いネクタイ」、双葉十三郎「密室の魔術師」、渡辺啓助「密室のヴィナス」、山村正夫「二重密室の謎」、高木彬光「妖婦の宿」、土屋隆夫「「罪深き死」の構図」、楠田匡介「妖女の足音」、多岐川恭「みかん山」、天城一「明日のための犯罪」、斎藤栄「水色の密室」、佐野洋「大密室」 面白いセレクションである。山村・土屋・多岐川は処女作で、マニアが「自分でも!」という意気込みで書いたことが窺われる稚気とか気負いみたいなものが面白いし、杉山・双葉は映画評論家としては著名でも「え?小説書いてたの?」となるレア作品。さらにいえば高木のものも元々探偵作家クラブの新年会の余興の犯人当てゲームの出題作。プロもアマもこぞって集うお祭りのような企画本という側面がある。これが正編とは全然違うカラーとなっている。 さらにいえば、乱歩・楠田・佐野の作品だと、密室殺人というよりも、考えオチの「考えようによっては密室」という感覚のものである。 まあ「密室殺人」というものは、小説としての扱いが難しい物なのである。アマチュアの蛮勇や勢いで書いてしまうことはできるが、プロ作家となればなるほど、お約束に満足しないのならば「どう扱うといいのか?」に悩むことにもなるのだろう。そういう意味では、環境設定自体が密室でありその密室の崩壊をドラマの頂点として表現した大阪圭吉「坑鬼」が「密室短編ミステリ」のあらゆる意味で頂点なのだろう。 評者的にナイスな作品は...「みかん山」かなあ。土屋隆夫のは密室以上に画家の生理を扱ったあたりが興味深い。天城は一種のバカミスっぽさがいいなあ。「妖婦の宿」はヤリ過ぎ感がお祭り。 (評者その昔、杉山平一先生とはご一緒したことがあったよ。関西の詩と映画評論の最長老、気さくでダンディなお爺さんだった...三好達治・堀辰雄の「四季」派同人だもんなあ) |
No.1419 | 8点 | 日本探偵小説全集3 大下宇陀児 角田喜久雄集- 大下宇陀児、角田喜久雄 | 2025/06/15 12:29 |
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2作家合本で、長編はそれぞれ別途書評。でも短編が10本収録していて、名作も目白押し....だったらやや異例ですが、こんな感じで「本」として論評することにしましょう。もちろん長編作「虚像」「高木家の惨劇」は両方とも大好きな作品。
でも「情獄」「凧」「悪女」「悪党元一」(大下)、「発狂」「死体昇天」「怪奇を抱く壁」「沼垂の女」「悪魔のような女」「笛を吹けば人が死ぬ」(角田)という短編の豪華ラインナップも長編に劣らない。 で、大下角田両者とも、いわゆる「本格」の興味からはちょっとズレたところでの面白さというのが、とくに角田の短編からも感じられることになる。大下ならば悪を行う人間の心の奥底の「善性」みたいなものの面白さが通底しているが、逆に角田ならば直接には悪を行わない人間の、心に潜む「悪性」が噴出するあたりの興味が、実は処女作「発狂」から戦後のクラブ賞「笛を吹けば」に至るまで、しっかりとこれも一貫している。まさに合わせ鏡のような面白さというべきである。そうしてみれば「復讐マシーン」として自らを律する男の話として「凧」と「発狂」は好対照でもある。さらに言えば不可抗力的な事故に見せかけて、親友の妻を奪う話の「情獄」「死体昇天」も逆転したかたちで好対照になる。こっちは発表も1年しか違わないようなので、大下が角田から刺激を受けたと見ることもできるのではなかろうか。 まさに解説で日影丈吉が戦前では本格物よりも「変格物に優れた作品が多かった」状況を、 そのかわりに雑誌<新青年>を拠点として、探偵小説という包容力の大きな名のもとに、新しい形式の読物が出現した。探偵小説の変格ではなくて、起源を考えれば、もっと古いところにあるかも知れない、新しい形の小説が花をひらいた。 と総括するのは実に正しいことだと思う。新青年が作り出した昭和初期のエンタメ・ワールドは、海外のどこにもない空前のオリジナルな世界だったと評者は思っている。 そして戦後ともなると大下は「悪党元一」が飄げた市井の悪人、というか今見ればADHDっぽい無責任さで世の中のを渡っていく男の善と悪の話として、善悪が裏表の関係にある人間の真実を告げているのに対して、角田は「悪魔のような女」「笛を吹けば人が死ぬ」の2作で、刑法的な罪にはならない「操り」を行う人間の心の地獄を描いてみせる。角田の2作の到達点なら、クイーンの「操り」の大部分は浅薄なアイデアに過ぎないレベルになってしまう。いやそのくらいに角田の2作が描いた「悪」の世界の深みは、それが「発狂」以来の総決算というべきものだろう。 そうしてみれば「探偵小説」とは日本人が「悪」の問題を正面から扱おうとした、まさに「文学」だったのかもしれない。 |
No.1418 | 5点 | ゴメスの名はゴメス- 結城昌治 | 2025/06/14 14:04 |
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和製スパイ小説の草分けとして重要な作品。名手結城昌治、というわけなんだけどもねえ。
昔読んだ時もあまり気にいってはいなかったけど、今回読み直してやはりそれほどには興趣をそそられなかったな。いや読みやすいし、キャラ造形など陰影感たっぷりではあるんだ。もちろん、スパイ小説不毛の日本で、「サイゴンの駐在員がベトナム戦争前夜のスパイの暗闘に巻き込まれる」設定を通じて、日本人に可能なリアル・スパイを追求した作品ということで、日本ミステリ史上での重要作であることは否定できない。 とはいえ、結城昌治特有の「湿度感」が、海外を舞台にすることで、どうもミスマッチしているようにも感じる。主人公が消えた友人香取を追う理由に、香取夫人との不倫関係を設定するとか、ベトナムで駐在記者をする森垣が戦死広報を誤って受けたために日本に居場所を失った元帰還兵とか、そういう「湿度」の設定がこの作品についてはもう一つ機能している感じがしないんだ。 そのためにかどうも「暗躍するスパイの暗闘を垣間見た」というややスケールの小さい話に終わっていると思う。結城昌治の「湿度」は評者大好きなだけに、どうもミスマッチではなかったかと感じてしまう。 まあゴー・ジン・ジエム政権vsアメリカが糸を引く右派軍人たちvsベトミンという三つ巴抗争の中でのスパイ戦が、今となっては分かりづらいものになってしまっている。ややこしい背景と抗争を追うことに生真面目になり過ぎたようにも感じるんだ。言葉が通じにくい外国人をちょっとした描写で生彩を持たせるのって、難しいことだ。 〈中公文庫解説で触れられている、陸軍諜報員としてシベリア・満州で活躍した石光真清の自伝って本サイトでもいいかも...でいえば小栗虫太郎の中編「爆撃鑑査写真七号」は戦前で珍しいリアル・スパイ小説だよ。あるいは城山三郎が海外駐在員の苦闘をミステリ調で描いた「輸出」とかね、リアルスパイの切り口って昭和の御代でもいろいろあったようにも思うんだ) |
No.1417 | 7点 | 人喰い- 笹沢左保 | 2025/06/13 23:15 |
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協会賞を獲ってしまったことで、今となってはある意味損している作品かもしれない。
なんて言うのは、やっぱりここら辺の笹沢作品って、人間描写とリアルな社会生活、それにパズラーを合体させるという理想の高さが見て取れるからだ。古典有名作になってしまったことで、今ドキなら「背景が古臭いパズラー」という読まれ方をされがちになって、おそらく作者の意図が伝わりづらくなっているのではと思うんだ。 というのか、これって「点と線」に対するオマージュの側面が強いと思うし、ヒロイン視点で描かれる捜査の引っ張り具合なら「ゼロの焦点」だとも感じる。まあ第一組合・第二組合の対立が海外有名作に引っかけてあるのとかは、小技の部類ではないかとも思うんだが(苦笑)ある意味、この時代にパズラーの最新モデルを清張が提供していたと読むべきだ。そして新たに清張が作り出したサラリーマン層という新読者層にアピールする小説的な内容。 なかなかに歴史的な意義が高い作品だと思うんだ。 個人的には一番感銘が深いのは、ヒロインが姉の指名手配が原因で、勤務先の銀行から退職を迫られる不条理。今なら完全な報道被害のわけだが、昔はこれが常態。さらに言えばストライキの発端となった、結婚した女子社員が強引な配置転換によって退職を迫られる労務管理も、今見れば酷いものである。このような不条理に犯罪という回答を...いやいやそれが逆側からの「人喰い」という究極の回答に転じてしまう。この突出気味だが厳しいアイロニー。青臭さもまあいいじゃないか。 |