海外/国内ミステリ小説の投稿型書評サイト
皆さんから寄せられた5万件以上の書評をランキング形式で表示しています。ネタバレは禁止 していません。ご注意を!

クリスティ再読さん
平均点: 6.38点 書評数: 1561件

プロフィール高評価と近い人 | 書評 | おすすめ

No.1561 8点 運河の家 人殺し- ジョルジュ・シムノン 2026/04/10 10:15
さて遅ればせながら。
評点については、瀬名秀明氏の力作解説込みの点かな。シムノン本格小説の中でも2作とも佳作だけど、大傑作というとほめ過ぎな気はする。

「運河の家」はシムノンとしては珍しい女性主人公。町育ちの少女が父の死からベルギーの田舎の従兄妹の家に引き取られて生活する話。シムノンだもん「赤毛のアン」じゃないからね(苦笑)心を開いたりしないし、心理描写もかなり控え目。一番連想するのは「港のマリー」で、マリーの「スールノワーズ(食えない子、何を考えているかわからない子)」というのが、このヒロインのエドメの形容としても適切。長兄のフレッドと次兄のジェフの間で、エドメがかなり「ズルく」立ち回るあたりに、読者論的には瀬名氏の解説で区別しているシンパシーとエンパシーの差が見えてくるようにも感じる。皆さんのご評価では「人殺し」の方が好評のようだけど、評者は「運河の家」の方が好き。これは読者の「読み」が感情移入(シンパシー)に寄るか、心理洞察(エンパシー)に寄るかによる違いなのかな。ある意味、ハードボイルドなんだよ。そう言いたくなるほどに、陰鬱な風景と生活デテールの描写に生彩があり、この客観描写がエドメの心象風景というべきものだとも感じる。

それに対して「人殺し」は殺人を犯した医師の直接的な心理描写でできている小説。ただし状況は極めて皮肉で、殺人後の状況の中で空回りを続けていく医師にとって、実のところ殺人という思い切った行為自体も、医師にとっては空回りでしかなかったのか?という痛烈な話でもある。だから本作って客観描写で突き放して描いた「仕立て屋の恋」を、主観的に書き直したようなもの。感情移入(シンパシー)で読んでいくと、背負い投げを喰らわされる。おそらく皆さんの高評価はここらへんじゃないのかな。
たしか高橋和巳だったけど「無刑」という言葉で「罰せられないことが最大の刑罰になる」逆説を提示していたことがあったよ。本作ってそういう話だね。

この2作は極めて対照的で、シムノンの両面をうまく表現できている。企画の勝利というべきだろう。
(瀬名氏の解説の中で、「マルセイユ特急」など「前メグレ4作」の話が良く出るから、翻訳が出ないかなあ...)

No.1560 7点 日本探偵小説全集(1)黒岩涙香・小酒井不木・甲賀三郎 集- アンソロジー(出版社編) 2026/04/07 21:09
さて日本の初期のミステリをまとめた巻である。涙香、不木、甲賀の三人集。しかし、約半分が甲賀の「支倉事件」なのはまあ仕方ない。あれ長いからね。

まず涙香は「無惨」と「血文字」。いうまでもなく文語文。段落分けが少ない分、ぎっちり書いている。文章が読みづらいわけではないが、ボリュームが多い。50ページほどだが事実上は中編。
政治方面で「忖度」という言葉が流行る前から、評者は実は本作で「忖度」という言葉を知ってたりしたのがお笑い。「疑団」「忖度」「氷解」の3部構成で、要するに「忖度」って推理、って意味だ。本作は古いミステリによくある趣向で、経験派ベテラン探偵vs理論派若手探偵の推理合戦。古いミステリだと、若手の頭でっかちな推理がベテランの経験に負ける展開が、ポオやドイルの名探偵造形にも関わらず目立ったけども、本作は事実上若手の科学捜査の勝利なのが面白い。

刑事巡査、下世話に謂う探偵、世に是ほど忌わしき職務は無く又之ほど立派なる職務は無し、忌わしき所を言えば我身の鬼々しき心を隠し友達顔を作りて人に交り、信切顔をして其人の秘密を聞き出し其れを直様官に売り附けて世を渡る、外面如菩薩内心如夜叉とは女に非ず探偵なり

と改めてそう言われると確かにそうだったりする(苦笑)国産初のミステリだけあるよ。で、作中にも「ミステリイ(不可思議)」という言葉が使われているけども、これは推理だけでは分からない人間関係の詳細などをさして使っている。
「血文字」は期待通りダイイングメッセージの裏表を色々とひっくり返してみせるもの。弾十六さまのご教授によると、ガボリオの「バティニョール」の翻案だそうです。

不木は「痴人の復讐」「恋愛曲線」「愚者の毒」「闘争」の4短編を収録。「恋愛曲線」は事実上SFミステリ。個人的には「愚者の毒」が一番面白かった。医者というのもあって、ややひんやりしたタッチが冷酷な感じもある。「闘争」は精神医学上の人体実験みたいな話だから、意外に黒死館に影響しているのかな?

甲賀三郎は「琥珀のパイプ」「支倉事件」「蜘蛛」「黄鳥の嘆き」「青服の男」の3短編1長編。短編はどうかな、「蜘蛛」に妙なロマン味があっていい。「青服の男」は変な動機で落語みたいな話。

で問題は「支倉事件」。これはまるっきりの実話で、登場人物の名前を一捻り変えている程度で、あまり創作の部分はない感じ。一番連想するのは「復讐するは我にあり」。窃盗・強盗・放火・詐欺・私文書偽造・強姦・贈賄・殺人のフルコースを犯した犯人、支倉利平(島倉儀平)。対するは牛込神楽坂署の署長庄司利喜太郎(正力松太郎)。支倉はなかなか悪知恵の回る反社会的な性格の男であり、メインの事件までに前科四犯、でもキリスト教に回心したとして宣教師の肩書を持つ男。聖書を盗み出して勝手に売った事件がきっかけで、内偵をしてみると、三件連続での自宅放火と保険金詐欺、それに家の女中を強姦して性病を移した不祥事をもみ消した後に、その女中が失踪していた...殺人と睨んだ庄司署長は続々と支倉の犯罪人生を追求していくが、逃亡した支倉は嘲弄の手紙を警察に送りつけていく...

支倉とはどんな性格の男か。
つくづく彼の言行を見るに、悪事にかけては中々抜目のない男で、それに犯罪性のあるものの通有性として、甚だ気が変り易い。気が変り易い一面には梃でも動かぬ執拗な所がある。対手がいつの間にか忘れていて、何の為に恨まれているのか分らぬ位なのに、まだ恨みつづける。つまり目標を失した行動をやる。

こんな反社会性の強い、アクの強い男の肖像をしっかりと描いているが、スリラーといった読みやすさがある小説。本格派甲賀三郎だって結構スリラーを書いているからね。
正力松太郎といえば、読売新聞社の社主として君臨し、評者の子供の頃だと巨人軍のオーナーで有名だった。その人の若き日の探偵譚だ。

No.1559 8点 37の短篇(傑作短篇集)- アンソロジー(国内編集者) 2026/04/03 20:04
さてこの本でハヤカワの世界ミステリ全集が評者はコンプになる。普通は3冊分くらいのボリュームになる異例の本。早川書房が総力を挙げた名作アンソロになっている。だから後に「天外消失(2008)」と「51番目の密室(2010)」で別途ポケミスから出版されることになったのだが、それから漏れた作品もまだある。この頃に手に入れやすい作品が落とされたみたいだ。サーバー「虹をつかむ男」ケメルマン「九マイルは遠すぎる」トマス・フラナガン「北イタリア物語」ダール「おとなしい兇器」マシスン「長距離電話」ハンター「歩道に血を流して」スレッサー「死刑執行の日」フィニイ「死者のポケットの中には」イーリイ「ヨット・クラブ」リッチー「クライム・マシン」ブルテン「ジョン・ディクスン・カーを読んだ男」というのが落ちたもののラインナップ。もう一冊のアンソロがあれば「J.D.カーを読んだ男」かな?

全37作読んで(評者は既読作も基本読み直す)の感想は、やはりどの作品も「語り口」が上手。だから意外なくらいにストレスなしに読み進めることができる。名作短編って、ネタやオチ以上に、読者の興味を惹きつける独自の「語り口」が重要なんだと思うんだ。その条件の上でネタやオチが優れた作品が残っているのだろう。だから巻末の対談で石川喬司・稲葉明雄・小鷹信光の三人が一致して推したブランドの「ジェイミイ・クリケット事件」は、カーっぽい密室・怪奇の要素以上に語り口と皮肉なオチの強烈さが評価されているとも感じる。

このハヤカワの世界ミステリ全集といえば、「カーもクロフツもいない」モダンな編集方針が徹底していたために、マニアからは嫌われた「ミステリ全集」だった。だからこのアンソロも実際パズラー枠は1/3程度、しかしパズラー枠にパロディ的な作品が目立つという興味深い選び方である。「五十一番目の密室」「ジョン・ディクスン・カーを読んだ男」「最後で最高な密室」「長方形の部屋」といった選定に密室興味が目立つのと同時に、パロディ的な処理も目立つわけで、これはオーソドックスな密室パズラー短編を素直に書くことの「無理さ」がパロディの含羞への逃避とフィージビリティ問題を回避しようとする心理の表れだろう。「新本格のお約束」に逃げることができない時代なんだよ。そういうパロディ+密室だとスティーヴン・バーの「最後で最高の密室」が一頭地抜いていると思う。

このアンソロでは紙数制限で100枚以下が設定されていたために、わりを喰うのはハードボイルド短編で、ブレット・ハリディ「死刑前夜」と「マンハント」からはエヴァン・ハンター「歩道に血を流して」、アル・ジェイムズ「白いカーペットの上のごほうび」だけ。ハードと言うよりどうしても人情っぽい方向に流れることになる。「歩道に血を流して」はいうまでもなくヒューマンな名編。

「異色作家短篇集」作家の比率は高くて、サーバー・ブラウン・ブロック・ダール・マシスン・フィニイが採用されている。でもブロックはポオの「灯台」を加筆完成した「燈台」で、これいいなあ。ブラウンはミステリ枠での採用でトリッキーな「後ろを見るな」なのは納得。「奇妙な味」が盛りだくさんなのが、ハヤカワらしい。「異色作家短篇集」にもし第四期があればイーリイ「ヨット・クラブ」やジャック・リッチー「クライム・マシン」、あとホック「長方形の部屋」の世界だったろうね。「クライム・マシン」はよくできているよ。「ヨット・クラブ」は大好き。

でも、個人的なイチ押しはC.B.ギルフォードの「探偵作家は天国へ行ける」。眠っている間に刺殺された男が天使に掛け合って、大きく状況を変えないことを条件に死の前日を再体験して(まだ実行していない)犯人を捜す話。ユーモア感とミステリ感・華麗なオチが素晴らしい。次はどうかな、心理派のクライムストーリーとして評者は、リース・デイヴィス「選ばれた者」が好き(これは少数派だなwややシャーリー・ジャクスンっぽい)

まあ、明らかに遊びで選んだバロウズ「ジャングル探偵ターザン」とか、SFクロスオーバーでパロディ色がある、ポール・アンダースン「火星のダイヤモンド」などの珍品も収録した「モダンなアンソロ」として、やはり全篇を通して読むのがいいようにも思う。大変だけどね(苦笑)

No.1558 6点 追跡者- パトリック・クェンティン 2026/03/25 15:03
突然予告なしに帰ったNYの家に残された男の死体、妻は失踪。そんな夫が主人公で、妻の手がかりを追ってメキシコへ。手がかりのホテルでようやく追いついた妻を名乗る女は別人だった...

こんなツカミで始まる話。一瞬ボア&ナルかと思う。しかしサスペンスじゃないなあ。主人公はボクサー上がりの石油技師、純情なんだよ(苦笑)金持ちのお嬢様となりゆきで結婚し、夫は妻に首ったけ。でもね...という話で、PQお得意悪女もの?とはなるんだよ。しかしそういうあたりは振り捨てて、展開するのは戦前のアンブラーみたいなスリラー。だから目まぐるしく追う追われるが逆転する。

で人並さんも触れておられる終盤の文芸味。いやいや、結構これ、泣かせる。「二人の妻をもつ男」とも通じる味わいで、スリラーの展開でこういう見せ場を作るのか、と感心する。確かに主人公も一種「二人の妻をもつ男」みたいなもんだ。とはいえ、わりとガチャガチャした小説で、評者はあまり好みではない。

PQのいいところ、って文章が丁寧なあたりだから、忙しいスリラーでもそれなりには落ち着いては読める。優れている、とは思わないけど、意外な読みどころがあって、ちょっと不思議な読後感。夫婦って難しいね。PQの最大のテーマかしら。

No.1557 7点 ハックルベリー・フィンの冒険- マーク・トウェイン 2026/03/24 11:04
さてちょっと古典。子供向け冒険小説というイメージが強いけど、「トム・ソーヤーの冒険」よりずっと辛口。「トム・ソーヤーの冒険」で得た財宝をせしめようと、アル中の親父が舞い戻ってきたハック。アル中親父の暴力的な生活にジムが隷属されている状況から始まるんだ。中産階級のトム・ソーヤーとは全然違う生活がそこにある。そしてハックは自らの死を偽装して幽閉から逃亡する。道連れは浮浪児ハックを引き取った里親の妹で、宗教的にも厳格で口うるさいミス・ワトソンの所有する黒人奴隷ジム。この二人連れがジムの奴隷の立場を解放するために、北部に逃れようとするけども、筏しかないために一旦ミシシッピ川を川下りして..という冒険譚。

ミステリ的興味、というとやはりハック自身が自分の死を偽装して逃亡するあたりとか、途中で行を共にする詐欺師二人組が企む詐欺の成り行きやら、難破船の中で遭遇するギャングの制裁場面やら、なかなか悪漢小説的な面白さがある。ハードボイルドの源流みたいなものでもあるわけだ。後半合流するトム・ソーヤーも、お気楽に少年ぽい空想に耽るキャラとして描かれて対比も強く、貧困家庭育ちのハックのリアリズムの強靭さが目立つことにもなる。

「よし、それだったら、おれ地獄だって行ってやる」
そいつぁ恐ろしい考えだし、恐ろしい言葉なんだけど、おれもその通りに言ってしまったんだ。そしてまた、言った通りにしといて、取り消すこともしなかった。

とハードボイルドなキャラクターの萌芽はハックにあると言ってもいいんじゃないかな。アメリカン・リアリズムの源流といっていい小説なんだよ。

ただ今は本作で頻出する「Nigger」がポリコレで引っかかっている。しかし、ハックと二人三脚で冒険を共にしたジムの人間性と、ハックから見たら「無学な黒人」でも事実上大人としてハックを保護しているかのようなジムの立場の逆説的な面白みが、形式的な「黒人差別」の非難を不当とするものであることも間違いない。
(あと、EQが得意とする、女装の見破り方は多分本書が元ネタ。このロフタスおばさん、ハックの針の糸の通し方、物の投げ方、膝の上に受け止める時の受け止め方などなど、指摘ポイントがEQよりずっと細かいよw)

No.1556 6点 泉鏡花集成1- 泉鏡花 2026/03/21 20:54
涙香の「無惨」(1889)に続く国産ミステリの二作目なのは、どうやら泉鏡花の「活人形」(1893)かも?という話もあるので、取り上げてみた。これは尾崎紅葉の門下の硯友社が春陽堂の求めに応じて出した「探偵小説」という叢書で出たもの。涙香が紹介した海外ミステリ翻訳が好評で、それに乗っかろうという春陽堂の思惑だったわけだ。でも紅葉門下とはいえ、だいたいはペンネームで書いている。川上眉山とかもいるようだが、当時駆け出しだった泉鏡花はこの名前で書いている。これが中編「活人形」。

雲の峰は崩れて遠山の麓に靄薄く、見ゆる限りの野も山も海も夕陽の茜に染みて、遠近の森の梢に並ぶ夥多寺院の甍は眩く輝きぬ。処は相州東鎌倉雪の下村...番地の家は、昔何某とかやいえりし大名邸の旧跡なるを、今は赤城得三が住家とせり。
門札を見て、「フム此家だな。と門前に佇みたるは、倉瀬泰助という当時屈指の探偵なり。色白く眼清しく、左の頬に三日月形の古創あり。

とまあこんな感じで名探偵登場。この探偵が赤城という悪人の悪事を暴いて主筋の姉妹を救うスリラー。この姉妹の母が大切にしていた等身大の人形が登場し、身代わりになるようなシーンもある。引用で分かるように文語文。でもまあそれほど難しくはないが、鏡花としては第二作、まだ19歳だよ〜練れてない小説。

だけど、第三作の「金時計」は金時計を餌に悪巧みする外国人を罠にかける話でこれも広義のミステリ。鏡花の名声を高めた「義血侠血」、新派で有名な「滝の白糸」だと殺人事件の裁判で検事と被告の恋の話だったりする。「黒猫」はポオとは関係なくて、盲人の按摩のストーカー話で、その被害者女性が溺愛する黒猫になりたい、などとその按摩が懸想する。でこの按摩が結局死んで、黒猫が按摩の霊が乗り移ったのかのような...という話。これが一番面白いかな。玉三郎が映画化したので懐かしい「外科室」は一種の心理ミステリと読める作品だから、たまに「文豪ミステリ集」みたいなアンソロに入ってることがある。

というわけで、泉鏡花って結構ミステリ作家じゃん?というのが結論。このちくま文庫のアンソロは明治26-28年あたりの駆け出し時代の作品集。全作文語文だが、会話は口語。割と読みやすい。

No.1555 7点 武州公秘話- 谷崎潤一郎 2026/03/18 18:45
昭和初期の純文学と大衆文学の交差という点で重要な作品でもある。いや「新青年」の連載作なんだよ!伝奇時代小説なんだけども、ミステリ的興味に投じた作品であることは間違いない。

谷崎自身はもともと「途上」などが乱歩によって「国産探偵小説の例」として持ち上げられていたのを、あまり好意的に見ていなかったようでもあるのだ。もちろん当時のミステリファンたちの間で、谷崎のヘンタイ方面が大人気だったのはいうまでもない。そんなで「新青年」への登場が待たれていたにもかかわらず、谷崎は書くのを渋っていたわけである。
この状況を打開したのが、震災後関西に移住した谷崎の元を訪問した渡辺温の事故死だった。この件で心理的な負い目を感じた谷崎が、渡辺温の思い出を書いた「春寒」に続いて、「新青年」に連載したのが本作。

稗史小説の体裁を借りて、武州公、桐生武蔵守輝勝の野望と変態性欲を描く一代記、というわけなんだが、残念中絶。それでもキリのいいところで終わっているから、そう不満はない。武州公のヘンタイ性欲は何かというと、鼻を削がれた男の生首とそれをいとおしむ女、に対するフェティッシュなコダワリなんだ。少年時に落城寸前に追い詰められた城の中で見た、「女首」と呼ばれる、鼻を削がれた武将の首を洗うさまが目に焼き付いた武州公は、単身城を抜け出て敵陣に潜入し、敵の総大将を討ってその鼻を削ぐ。この鼻削ぎの因縁が巡り巡って、武州公の主君である筑摩則重とその北の方で武州公が殺した敵将の娘桔梗の方との三角関係に発展する...筑摩則重の鼻を狙うのは誰か?

こんなエログロ満開の話。いや、いいねえ。ただし、文章はのっけから漢文で書かれた序「伝曰。上杉謙信居常愛少童。又曰。福島正則夙有断袖之癖」てな感じで始まったりする。ハッタリの部類で本格漢文じゃないから楽勝だし、典拠からの引用めかした文語文も多い。そういうあたりもちょいと高校時代とか思い出して、ヘンに懐かしい。

純文学と大衆文学のクロスオーバーを明白に狙った作品というわけだ。時代伝奇、冒険、歴史小説、ミステリ、変態性欲、不倫などなど、極彩色の物語。面白くて引き込まれる。

No.1554 6点 社会部記者- 島田一男 2026/03/16 22:55
1951年の第4回探偵作家クラブ賞は「但し島田氏は授賞作品の他にも力作が相当あるので、発表は「社会部記者」その他と附加へることを申合せた。功労賞的な意味も含めたものである。」ということで、ちょっとややこしい。実際「風船魔」もこの時候補に挙がっていて2票入っている。そういう経緯もあって、受賞作短篇「社会部記者」を原題の「午前零時の出獄」に戻し、他にこのシリーズ第1作の「遊軍記者」と「新聞記者」、及び「風船魔」の4本を収録して「社会部記者」を総タイトルとしてコンパイルしたのが、双葉社の日本推理作家協会賞受賞作全集になる。なかなかツボを押さえた仕事である。

舞台は東京日報。社会部長の北崎が仕切る社会部である。このシリーズ、あまり個々の記者のプライベートは掘らないのが特徴で、とにもかくにもしゃれっ気のある会話とスピード感で飛ばしていく。北崎親分の一の子分みたいに焦点が当たるのが遊軍記者の亀田。次郎長親分と森の石松といったところで、落語というよりも呼吸が浪曲だなあ。

「午前零時の出獄」はヤクザの出所と更生に社会部が関与するナニワブシ。「遊軍記者」は写真学校のビルが焼けて焼死体の事件。ちょっとしたアリバイ崩しみたいなものがある。「新聞記者」は軽演劇の一座に送られた精神病院を舞台にする芝居の話。「風船魔」は女性舞踏家の死体が大きな風船にぶら下がって銀座を散歩してしまう奇抜な事件。という風に、それぞれテイストの違う話だが、なかなか奇抜で派手なもの。筆力があるから何とかなっている。
「午前零時の出獄」にややトリックめいた仕掛けがあるかな。

どうやら受賞の弁などみると、一種のハードボイルドのように期待されていたことが見える。実際、草創期のテレビドラマの「事件記者」に繋がるわけで、これがそれこそ「七人の刑事」などとともに刑事ドラマのプロトタイプになったことを考えたら、影響力絶大、ということにもなるのかもしれないな。
まあ島田氏というと、評者が学生のころでも「捜査官シリーズ」で売れていたわけで、息の長さということでは凄いものがある。そのうちやろうか。

No.1553 7点 網にかかった男- パトリック・クェンティン 2026/03/16 13:27
いやこれ面白いよ。PQは気になっていたから、ちょっとやっていきたい。

「ヒルダよ眠れ」の逆パターンみたいな、夫にはヒステリックな心理戦を仕掛けてくるけど、外面は良妻、というあるある系の悪女が夫の旅行中に失踪。状況証拠から、夫が妻を殺してどこかに隠した、という疑惑が浮上。スモールタウンだから、村民は主人公をリンチしようと追及してくる...

こんな風に始まる。主人公は画家というのもあって、地域から浮いているんだね。だから都合のいい生贄に選ばれやすい。で、追われる主人公を助けてくれるのが、地域の子どもたち、というのが実に面白い。まさに主人公を追いかけている大人たちの子どもが、主人公を助けてくれる(笑)しかし、子どもでも自我がしっかりあるから、主人公が子どもたちとの関係をコントロールしないと、助けてもらえないどころか、かえって密告されてしまう。主人公が子どもの心理を洞察しつつ、子どもたちと駆け引きするあたりが実に面白い。そして、子どもたちの協力によって、真犯人を罠にかけて潔白を証明しようと...

しっかり者のお姉さんエミリー、その妹でワガママなエンジェル、ドラッグストアの息子で放任気味のバック、執事の息子のリロイ、良家の坊やでひ弱なティミー、と子どもたちの書き分けがナイス。とくにエミリー、いいなあ。事実上のヒロイン。
期待して読みだしたわけじゃなかったけど、いやいや面白い。

No.1552 6点 疑問の黒枠- 小酒井不木 2026/03/12 20:42
小酒井不木の代表作として有名な作品。確か中学生の時に読んでるんだ。愛知県だからご当地作家、という理由なのか市立図書館に不木全集があって、それで。懐かしい。ちなみにチェスタートンの「孔雀の樹」が同じ巻だった気がしたので、調べたら改造社(1930)のものなんだ。古びた本だった記憶があるから、そうなんだろうな。

改めて内容。名古屋在住の企業家が連続して生きているのに訃報記事が新聞に掲載される。三人目の村井氏は悪ノリして自分の生前葬を行うことに...しかし葬儀を終えたときに復活するはずの村井氏は死体として発見された!

とまあ、ツカミはオッケーな話。法医学者小窪教授やらその助手の肥後、容疑がかかる押毛といった人々がみな探偵小説マニア(笑)。「新青年」やら「探偵趣味」やら当時の雑誌が作中で話題に上がる。当時の名古屋での探偵小説ファンコミュニティを舞台にした作品と言うのも、間違ってないだろう。実際、不木自身を投影したと思しき小窪教授は、ミステリと現実の法医学のさまざまな犯罪捜査を語ったうえで、

殺人 = 犯人の心 ― 被害者の心

と「殺人方程式」なんてアイデアを吹いてくれる!いいなあこういう稚気。

評者名古屋は土地勘があるから、鶴舞公園の名大病院やら、大須の演芸場、名駅、中村遊郭といった名古屋の昔の姿が懐かしい。そんな名古屋の街でさまざまな登場人物たちの思惑が交錯する。意外なくらいにモダン・ディティクティヴ。ちなみに不木自身は東北大教授を拝命したけど健康悪化で実家の名古屋に戻ったから、名古屋大学には奉職していない。しかし、木下杢太郎が皮膚科の教授で交友があったから、研究室の様子など実体験なのだろうね。

一般の人が探偵小説を好む理由は、つまり、各人に備わっている殺人意志を和らげる為だよ。旧式な言葉で言うのならば、探偵小説によって殺人欲を満足させようとするのだ。(中略)従って探偵小説の愛好者は実際のいわゆる悪事を行わない。

この小窪教授の言に、啓蒙期のマニアたちの想いがまさに結晶している。

No.1551 5点 天河伝説殺人事件- 内田康夫 2026/03/11 22:11
何となく角川映画やってる(苦笑)。
そりゃ日本で生きてれば、浅見光彦シリーズを全然読んだこともない、とはいかないよ。新聞連載だって読んでたりするからね。でも本作については映画も本も初見。一番知名度がある作品。能楽の家元の継承問題と天河辨財天が舞台。角川春樹自身、天河辨財天の信仰が篤かったという話がなかったっけ。

原作はシリーズ23作目だそうで、117冊もあるシリーズ総数から見れば初期?となるわけだけど、映画は最初の事件扱い。原作だと登場人物から「名探偵!」とヨイショされるわけだけども、

「名探偵だなんて...僕は軟弱なノンポリの落ちこぼれ人間でしかありませんよ」

といたって謙遜というか自信なさげ。こういうあたりのキャラ造形が一般人気の秘訣なんだとも思うよ。ミステリマニアしてると忘れがちだが、世間一般では「アタマいい系キャラ」ってあまり好かれないんだよ(苦笑)
で、本作も長いけど、かなり内容は冗漫で、いろいろと浅見がああ思ったこう思ったと事件外の世相について感想めいたことを書いている。だから、緩い。

映画では殺人の時系列が大きく変更されている。原作では序盤で起きる、「道成寺」上演中の能舞台で鐘の中で早変わりした家元後継者が毒殺される話が、中盤に移動し経緯がかなり変更、吉野山中で殺される人物も原作と映画で違う。そして映画のクライマックスでは天河辨財天での薪能だが、原作では天川村だけども薪能ではなく、薪能は過去のいきさつで重要な役割があったりする。
真相の基本構造は映画でも維持されているけども、それでも辻褄が合ってしまう。こういう「緩さ」がこのシリーズの特徴なんだと思うよ。犯人決めずに書き始めてると言われたとしても、信じちゃうくらい。

ちなみに映画は駄作。もう少し観世栄夫が指導した演能シーンを見たいなあと思けどもねえ。なぜか真横から当てる照明が位置関係で辻褄が合ってなくてシラケた。ネタとしてはけして悪くないのに、凡作感が強いのは市川崑の技量が随分落ちているせいだと思うよ。金田一シリーズの「夢をもう一度」で角川春樹が大乗り気で始めた作品だけど、角川春樹自身がコカイン事件で角川書店から追われて、角川映画でのシリーズ化話は消滅。年老いた加藤武が「わかった!」とやるのが何か気の毒。

No.1550 6点 インキュバス- レイ・ラッセル 2026/03/09 11:43
「嘲笑う男」で何となく読んでみたくなったレイ・ラッセル。タイトルが「インキュバス」ともなるとね...そりゃ、エロホラーという路線かいな?とはなる。「プレイボーイ」編集者で名高い作者だもんね。性解放の硬派な部分もあればプレイメイトもあり、というスタンスを体現したような、といえばまあそう。

カリフォルニアの田舎町ガレンに跳梁する連続強姦魔。その巨大なブツは被害者の下半身を引き裂くという凶悪なもの。ガレンに地縁がありオカルトに精通した人類学者トラクスは、この事件に介入するためにガレンを訪れた。次々に襲われる女性たち。神出鬼没の強姦魔の正体を、トラスクは伝説の淫獣インキュバスと推定する。しかし、インキュバスはスモールタウンの誰に化身して潜んでいるのだろうか?

性描写は頻繁にあるけど、あっさりしたもの。事実上オカルト・スリラーで、若干のフーダニット興味があるモダンホラー。
スモールタウンの人間関係やら、トラスクと協力するウォールデン保安官、町の旧家の生き残りのティム・ガレン青年などなど町の面々の群像劇。そしてトラスクが持参した切り札であり、町にも一冊あることが判明する奇書「アルテス・ペルディタエ(失われた技術)」。街の創設者を巡る魔女裁判の過去...とあるけど、確かに、ガジェットのラヴクラフトぽさより、ずっと「ツインピークス」の雰囲気に近い。「モダンホラー」と銘打って紹介されたのはそういうことかな。

スピーディなスリラーで、それなりに面白い。「ヘルハウス」のジョン・ハフが映画化した(主演がジョン・カサヴェテス)だけど、評判はよろしくないようだ。

No.1549 5点 芥川龍之介 幻想ミステリ傑作集 魔術- 芥川龍之介 2026/03/05 10:35
大正期の「前・探偵小説」という面で見た時、大正モダニストの寵児である芥川龍之介の存在感と言うのもやはり、ある。乱歩自身が谷崎潤一郎と佐藤春夫と並べて、一般文壇からの探偵小説的アプローチの例として芥川を挙げていたりする。まあだけど、今更「藪の中」をするのも何なので、タイトルに惹かれてこのアンソロを。「開化の殺人」とか入っているからね。

芥川と言うと、アイロニカルな視点で心理を掘り下げる切れ味のいい短編が真骨頂なのだけども、これって今見たらいわゆる「純文学」ともちょっとズレた位置の作家だということもできる。「大正モダニズムの作家」という視点で「新青年」作家たちとも共通の空気を吸っていたことは否定できないんだ。複雑な心理を解剖する知的な謎解き小説というあたりで、「ミステリ」要素がないわけでもないんだが....うーん、このアンソロだとやや苦しいかなあ。

ミステリ的興味、といえばタイトルが直球の「開化の殺人」(大正7年)だけど、これは佐藤春夫の「指紋」と同じ、中央公論の「秘密と開放」という増刊号に掲載された作。一般文壇での初の「ミステリ特集号」だったわけ。これが大正のミステリブームを作ったわけだけど、本作も殺人者の動機深掘りモノに留まっている。あと不貞とドッペルゲンガー妄想とを重ねた「影」がミステリっぽいと言えばそうだけど、どうも内容が混乱している。ならばドッペルゲンガーを正面から扱った「二つの手紙」の方が作品としてはいい。そもそもポオとか「プラークの大学生」からの流行ネタなんだけどもね。ホワイダニットの動機追求という面だとストレートに描いた「疑惑」が完成度が高いか。あとは芥川らしいアイロニカルな神秘小説が続いて、ちょっとミステリとは言い難いものが多いな。

しかし、本書で最後に収録された「浅草公園」は、映画シナリオ仕立てで、浅草公園で迷子になった少年の目での「冒険」を描いたもの。乱歩も浅草をテーマにした作品多数のわけで、「浅草の路上観察」という「猟奇(curiosity hunting)」の直球ネタだったりするわけだ。そして、このシナリオの中で、ディゾルブを想定したような二重イメージをいろいろと操って「都市の真実」を提示しようとしていたりする。こういう視線自体が「都市の探偵」の典型だったりもする。

というわけで芥川も懸案だったから、これで解消。あと、文学系は泉鏡花の「活人形」くらいはしたいなあ。

No.1548 5点 湯殿山麓呪い村- 山村正夫 2026/02/27 18:18
横溝ブームを「自分が後継してやろう!」と意気込んで書かれた作品。出羽三山の即身仏に取材した因縁話から、密室殺人やら秘仏となっているミイラの調査など、ネタとしてはキャッチー。だから滝連太郎でシリーズになったし、映画にもなったんだけどね...狙いは、わかる。謎解きも易しめにすることが悪いわけでもない。
けどね、何か小説が下手な感じがする。キャラにリアル感が薄く展開がお約束っぽいのかなあ。横溝正史って手練れの大衆作家としての良さがあるからこそ、猟奇怪異のミステリが成立しているんだと思うんだ。
(ちなみに、因縁話に当たる天明期の即身仏の話は、そのまま高木彬光の「ミイラ志願」だよなあ)

で映画も見たよ。角川見てるツモリなんだが、本作は初見。タッチが全然原作とは違う。滝連太郎も原作の大食漢でコミカルな大学助手ではなくて、ミイラの調査で名を挙げようと、ミイラ寺檀家総代の淡路家の長女と不倫関係になって取り入る野心家だったりする。永島敏行だからねえ。なかなかスタイリッシュな映像で評者は「80年代の映画青年っぽい!」とやたら懐かしいんだけど、こういうの、絶対にウケないな。ぐっと引いた絵で長回ししたり、屋外からガラス越しに芝居を見せたり、評者は大好きなんだけども、単にナラティヴが分かりづらくなるだけと普通の観客は「はあ?」ってものだろう。実際、ミステリの部分も怪奇の部分も映画はあまり、ヤル気がない。修行に耐えられなくなって女と逃げたミイラ志願者を「天明のダメ男」と評するように、ダメ男ダメ女が理不尽に身を滅ぼす話が映画のテーマ。最後は滝連太郎は雪の中で行き倒れる。そういう映画なんだ。

絶対に一般ウケしない、トンデモ映画。「映画秘宝」な一本。だからこそ評者は理不尽に好感を持つ。原作も皆殺しだけど、映画は皆殺し度でも上回る。映画の方がずっと、いい。

No.1547 6点 オーメン- デヴィッド・セルツァー 2026/02/26 16:42
わざわざ言うまでもないホラー映画の有名作。これは映画の脚本家自身が小説化したものだから、ノベライズと言えばノベライズ。でも映画人気もあってかアメリカではベストセラーになった模様。

駐英アメリカ大使のソーンは、産院で妻が産んだ子は死産と告げられて、代わりに孤児を引き取った。子供がどうしても欲しい妻には内密に。子供はデミアンと名付けられた。出世に順風満帆なソーンの周りには、次第に不吉な予兆(オーメン)が。誕生パーティの客の前で自殺するベビーシッター、動物園に行けばデミアンに恐慌を来す動物たち...ソーンに元を訪れた神父は黙示録めいた謎のメッセージを残すが、嵐の中ポールにくし刺しになって死ぬ...デミアンは666の獣の印を持った悪魔の子・アンチキリストなのか?

話は実に有名だよね(苦笑)小説は映画に忠実で過不足ない。文章も荒っぽいわけでもなく、しっかりと書かれている。訳者の中田耕治もスティーヴン・キングなどのモダンホラーの流れに位置付けて論じていたりする。けして悪い小説ではない。

けど何よりも興味深いのは、映画では「実はすべて、グレゴリー・ペック演じるソーンの妄想であり、黙示録的な妄想に駆られて我が子を殺そうとしているのでは?」という疑問がどうしても浮かんでしまい、それを頭から払拭しつつハラハラしながら見る、という見方になりがちなんだ。だって全部偶然の事故じゃん?でも小説だとそういう読み方にはならない。メディアの違いと言えばそうなんだけども、そういうアイロニカルな違いが出ているようにも感じる。リアルに描かれる映画だからこその現象かもしれない。
そういう現象はキングの「シャイニング」でも起きるんだよね。だから小手調べで本作を取り上げた。

No.1546 6点 しらみ野郎の死- ジョン・シェファード 2026/02/25 18:27
1962年のアメリカ作品,原題「Demise of a Louce」。実は田中潤司氏の紹介によると、作者はブラック・マスクで活躍したが、日本ではロクに紹介されていないW.T.バラードの別名義で、さらにバラード名義で発表された「Say Yes to Murder」を改題したものだそうだ。翻訳は別冊宝石121号「現代ハードボイルド特集」(昭和38年8月15日刊行)でR.S.プラザーの「人みな銃をもつ」との合本。翻訳は永井淳。この雑誌にはそのほかにチャンドラーの「待っている」「ブロンズの扉」を収録している。

主人公のウィリアム(ビル)・レノックスはハリウッドの撮影所に雇われる、プロデューサー直属のトラブルシューターみたいな立場にいる男。売れっ子俳優が撮影に姿を現さないことに怒ったプロデューサーに、行方を探ることを命じられるが、足取りを辿って行き着いたダンサーの部屋で見つけたのは、その俳優の死体だった。部屋主のダンサーは大女優の孫娘であり、大女優ともレノックスは旧知の仲だったこともあり、成り行きでその死体の隠蔽に関わってしまう...しかし、相次いで起きた高級娼婦殺しと、大女優が大量の睡眠薬で死ぬ事件など、事件は広がっていく。

こんな話。だから正確には探偵というわけではないが、プロデューサーに名目的には文芸スタッフみたいに雇われているけども、トラブルシューターとして使われているような男が主人公。だからそういう面でも屈折がある。プロデューサーの名前はソル・スパークだから、明白にアーヴィング・ソールバーグを模したキャラであるし、大女優はメアリ・モリス。名前はメアリ・ピックフォードでキャリアはリリアン・ギッシュ?というような感じ。まあだから映画界内幕ものといった雰囲気の作品で、主人公はこの大女優にも信用されていて、死後の遺言執行人にも指名されているような関係だし、自分がワンサの中から見出して出世した女優とも喧嘩別れのような微妙な関係になっていているとか、映画界での主人公のプレゼンスがちゃんと描かれている。タイトなタッチで丁寧に人間関係を描いているために、「通俗ハードボイルド」という感じはしなくて、ちゃんとハードボイルド感があるというか、ややネオハードボイルドに近い感触もあるかな。

事件は四方八方に広がっていくために、もう一つ整理されていない印象。いわゆる推理要素は薄いかな。そこらあたりもネオハードボイルドっぽいか。でも悪くないよ。合本の「人みな銃をもつ」より好き。翻訳作品集成では短編みたいに書かれているけど、長編だよ。

というか、名のみ聞くW.T.バラードだからねえ。他の翻訳は「ブラックマスクの世界」に一本あるだけじゃん。貴重。

No.1545 5点 人みな銃をもつ- リチャード・S・プラザー 2026/02/25 11:12
「名探偵登場6」でシェル・スコットくんを見かけたこともあって、急遽やる気になった。手元に「別冊宝石121現代ハードボイルド特集」があったからね。海兵隊上がりのタフガイ、髪だけでなく眉毛までプラチナブロンドのゴツいアンちゃんシェル・スコットである。で本作では朝10時に自分の探偵事務所に入ろうとテナントビルに入ろうとするといきなり二発も狙撃をくらう。「ロサンゼルスの下街のどまんなかで、右の耳をヒューンと掠めて最初の弾丸が飛んでいったときも、こっちはすぐには気がつかなかった。何のことやらさっぱりわからなかった」というオープニング。こういうあたり、常套には違いないけど、いきなり渦中に飛び込んじゃうあたりが、通俗ハードボイルド感満載。

まあこの話自体、ギャングの大ボスと新興勢力の抗争にスコットが巻き込まれる話といえば身も蓋もない。いわゆるミステリ的興味というよりも「アスファルト・ジャングルのターザン」の活躍譚というべきもの。でも軽いユーモア感のある軽妙に書かれた娯楽小説。赤川次郎だと思えば、別に悪いわけでもないよ。

それ以上にこの雑誌にいくつか載っているカラム、田中潤司「別冊鬼の手帖」では

シェル・スコットは一種のスーパーマンであることは間違いないのだが、ほとんどの作品で、敵方に無惨なまでに翻弄されてしまう。プレイザーは主人公にピエロ的な役割を果たさせて読者のご機嫌を取り結ぶのだ。(中略)スマキにされて断崖からほうりこまれたりするシェル・スコットの哀れな姿を見ると、私はすっかり嫌になってしまう。

とか散々な言われ方をするし、

青木秀夫「行動派探偵紳士録」では、通俗ハードボイルドが「セックスとサディズムに堕している」と散々な悪口を言われ「一日五十ドルから百ドル、それにプラス必要経費で働く高級ニコヨン」とまで言われてしまうw
権田万治「ホードボイルドの末裔たち」では、喜劇的になっているカーター・ブラウンやプラザーをひっくるめて「このようにしてハードボイルド派の推理小説は衰退の一途をたどっている」とするわけだ。

というわけで、スピレインへの反発を前提とした、通俗ハードボイルドに対する日本の批評家の手厳しい目が窺われるのだけども、それでも当時「マンハント」などで通俗ハードボイルドが隆盛を極めていて、読者人気も高かったということが、どうも見逃されがちでもある。

だから作品と批評の温度差がこの雑誌では一番面白い。都筑道夫の「スピレインとその周辺」がいかに公平かつ洞察力に富んだ評論だったか、とも思うわけだよ。

No.1544 7点 江戸川乱歩全短篇<3>怪奇幻想- 江戸川乱歩 2026/02/24 13:08
さて乱歩の短編は評者は創元の日本探偵小説全集でやってしまったために、幻想系作品がいくつか書評し落としているのが気になっていたのだ。だからいい機会でこのアンソロでしようか。
具体的なお目当ては「赤い部屋」「火星の運河」「踊る一寸法師」「蟲」あたり。谷崎潤一郎の「途上」に影響を受けて書いた「赤い部屋」はプロビバリティの犯罪として乱歩自身が喧伝したこともあって、知名度もたかいよね。でも改めて読むと「殺人という観念」「脳髄の中で完結する殺人」といった趣きがあって、観念浪漫としての面白さが上回るように感じるんだ。
ガチの幻想小説としては「火星の運河」がいいなあ。島尾敏雄の夢小説と似たテイストがある。「白昼夢」と併せて、乱歩って自身が見た夢がミステリの素材になっているのかもしれないよ。もっとこういうの書いたらよかったのに、とも思ってしまう。
「踊る一寸法師」はおそらくポオの「ちんば蛙」の乱歩流翻案。イジメの復讐譚。
「蟲」って旧字で書きたいよ。やはり24文字「蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲」続く迫力は旧字でないと出ないと思う。要するに九相図の話だけど、どうも無駄の多い話のように感じる。「火星の運河」みたいなシンプルな話だとよかったかも?

でお目当て外で良かったのは「木馬は廻る」。どうとないスケッチ風の話だけど、乱歩の筆力の高さが全部納得させる。珍品の「空気男」も脱力感が妙にいいなあ。ちなみに本作(大正15年)では「耽異者」という言葉で「猟奇」を言い表しているところがあり興味深い。「指」はどうということのない小品だけど、発表された最後の作品だと思うと興味深い。戦後モダンの「奇妙な味」にうまく適応している。

というわけで懸案を解消。

No.1543 4点 非Aの世界- A・E・ヴァン・ヴォークト 2026/02/21 12:36
やはり気になったので読むことにした。ん~困ったな。「非A(非アリストテレス哲学)」ってやっぱわからん。コジブスキーの「一般意味論」をベースに書かれたSFってわけだが、要するに「言語による観念化を避けることで自己鍛錬する」ような超人教育法みたいなものか?

「非A」の訓練結果によって社会の地位を決める「ゲーム」に参加するために、ゲームを司る「ゲーム機械」が支配する「機械市」を訪れた主人公ゴッセン。しかしゴッセンは自らの記憶がすべて捏造であったことを暴かれて、街頭に放り出される。そして....

とまあ、何というかツカミは素晴らしいんだよね。P.K.ディックが影響受けたというのはわかるよ。そして何かよく分からない陰謀があって、それに対抗するように「ゲーム機械」の命令を受けて、誘拐されて殺されて、なぜか金星で復活してまた誘拐されて、大統領を襲撃して暗殺の現場に居合わせ...と怒涛の展開なんだけど、何がなんやらよく分からないままにヘンなスピード感で話が進行していく。金星の征服とか「ゲーム機械」の破壊とか派手な事件が起きまくるんだけど、関わる人々の関係性が全然わからない。刹那的に人間関係が組み替えられていくような感覚で、全体構図が理解できないままに引きずり回されていく。

なので、作者が大真面目に信奉している「一般意味論」がオカルトにしか感じなくなるな。実際、マーティン・ガードナーが疑似科学として盛大にケナしているしね。だから評者としては、既存短編をつぎはぎして書かれたチャンドラーの「大いなる眠り」を、更にとりとめない悪夢にしたようなSFというのが結論。いや同様のスピード感というか熱気みたいなものはあるし、SFガジェットには魅力的なものも多いんだが、決定的に小説としては破綻している。

「ことによるとこれまで出版された中で最悪の大人向けSF小説」という評価に一票。

No.1542 5点 羊たちの沈黙- トマス・ハリス 2026/02/19 18:58
さて映画は封切で見たが、原作は読んだのか読んでないのかよく覚えてない。どっちか言えば「ホラー映画でアカデミー作品賞?」というのが意外、という印象もあったよ。もともと文芸色が強くないと受賞できない賞というイメージもあったからね。評者的には上手だがハリウッド的な演出で、好きというほどではない。

(ややバレます)
映画は大体原作に忠実。ラストシーンのニュアンスがちょいと違うことが話題にあがることがある程度かな。何だけどもよくこの作品が「猟奇犯罪者のプロファイリングを扱った作品」と言われているわけだけど、実はレクター博士は犯人を知ってて、犯行手口から「こいつの仕業」と分かってる。情報を小出しにしてクラリスをナブってただけである。プロファイリングなんてしてないんだよ(苦笑)

だから本作には「名探偵はこうあって欲しい」というイメージの過剰な投影があるように感じるんだ。「名探偵には名犯罪者としての素質がある」という見解もあれば、理知が狂気を克服するヒーローであってほしいという期待もある。レクター博士はまさに「猟奇の案内人」としての「名探偵」であって欲しいというミステリ観にハマる存在でもあるんだろう。猟奇殺人という「理解不能な犯罪」を解明するヒーローとして召喚されるのは、やはり猟奇犯罪者でもある名探偵レクター博士だ、ということを暴露してしまった作品なのかもしれないよ。

イマドキだと犯人がトランスジェンダーってことが、woke 界隈では「トランスフォビアだ」と問題になるのかな?まあトランスジェンダーによる銃乱射事件がいくつかアメリカで確かに起きているけども、やはりホルモン剤による精神的不安定化は否定しようのないものだ。本作の犯人は、本来の手術適性のある性同一性障害ではなくて、歪んだ性欲の発露が女装に発現しているような「トランスジェンダー」と描かれている。まあ何というか、woke崩壊の今読むと「アメリカの進歩主義っていったい何だったんだ?」とアタマが疑問だらけになる。

映画が成功した理由は、ジョディ・フォスターの自立っぷりがウケた側面はあるよ。菊池光の旧訳では一貫してヒロインを姓のスターリングで呼んでいる。そういう要素は明白に原作にあるというべきだろうな。内容的には言うまでもなくグロ系スリラーで、小説としての出来は標準的。
(あと旧訳の表紙かつ映画のポスターの、茶色の目で茶色の蛾が口にいる絵、実に秀逸。あとレクター博士がグールドのゴルトベルクを好むのはモダンな好みの典型で、あくまでも伝統的優雅さを求めるならレオンハルトくらいにしておいた方がいいと思うよ)

キーワードから探す
クリスティ再読さん
ひとこと
大人になってからは、母に「あんたの買ってくる本は難しくて..」となかなか一緒に楽しめる本がなかったのですが、クリスティだけは例外でした。その母も先年亡くなりました。

母の記憶のために...

...
好きな作家
クリスティ、チャンドラー、J=P.マンシェット、ライオネル・デヴィッドスン、小栗虫...
採点傾向
平均点: 6.38点   採点数: 1561件
採点の多い作家(TOP10)
ジョルジュ・シムノン(117)
アガサ・クリスティー(97)
エラリイ・クイーン(49)
ジョン・ディクスン・カー(35)
ボアロー&ナルスジャック(26)
ロス・マクドナルド(26)
アンドリュウ・ガーヴ(21)
アーサー・コナン・ドイル(17)
ウィリアム・P・マッギヴァーン(17)
エリック・アンブラー(17)