皆さんから寄せられた5万件以上の書評をランキング形式で表示しています。ネタバレは禁止
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クリスティ再読さん |
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平均点: 6.39点 | 書評数: 1414件 |
No.1414 | 7点 | スポンサーから一言- フレドリック・ブラウン | 2025/06/10 17:21 |
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ブラウンって子供の頃に大人気だった覚えがある。星新一ブームの中で「星新一が好きなら次はブラウン」って流れがあったんだ。そんな経緯で昔読んだ。
この短編集の前半はショートショート。後半は文庫50ページ超の「地獄の蜜月旅行」「闘技場」があり、30ページほどの表題作。宇宙戦争を回避するために選ばれた戦士よる決闘で文明の興廃を決めるアイデアでガチSFな「闘技場」は、面白いけどもこれブラウンじゃなくても書けるかな。汎用的なSFアイデアでもはや大古典。 そうしてみると「スポンサーから一言」は何というかブラウンらしい話だとも思う。これは「神さまから一言」でも「地球から一言」でも成立しない話だというのが鋭い。「スポンサー」という曖昧で放置せざるを得ない話者だからこその効果、というのがイイ。スポンサーからのあからさまな誘導には、誰しも反発をおぼえるという普遍の人間心理は、今ハリウッドでまさに起きていることの原因でもあるわけだ。ある意味「永遠のSF」かもしれないな(苦笑) 他の作品でも見受けられるけども、ブラウンって一種のリドルストーリーな傾向があるんだよね。「スポンサー」だってそうだし、あるいはもっとジョーク仕立てにした「かくて神々は笑いき」や「翼のざわめき」もそうだし、ショートショートだと「鏡の間」はそういう合わせ鏡の想像力。矛盾する論理の間で置いてきぼりにされて、読者が戸惑うのをブラウンは意地悪くニヤニヤ眺めている。 とはいえとてもアメリカンなホラ話の良さもあるわけで、わざわざ人類のサンプルにアル中を選んでしまい、動物園に収容された酔っ払いの天国「選ばれた男」とか笑えるよ。 もちょっとブラウン、やってもいいかなあ。 |
No.1413 | 6点 | ドイル傑作集1 ミステリー編- アーサー・コナン・ドイル | 2025/06/08 13:26 |
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まあ「ミステリー編」という言葉に期待し過ぎない方がいいよね。
一応「ミステリ」でそこそこナイスな作品というと、「消えた臨急」「時計だらけの男」が他のアンソロでもよく取り上げられるわけで、この2作は定番というもの。汽車が線路から消失した謎、走行中の列車の中に忽然と現れた死体の謎といった「ソソる謎」が、犯人の告白で解明される話。まあだからホームズほどにはウケないなあ。でも今回読み直し、「時計だらけの男」って実は同性愛を扱った小説じゃないのかなあなどと深読みする。たしかにホームズとワトスンも怪しいのだがw でこの延原謙訳で新潮文庫でロングセラーになっている「ドイル傑作集」だけど、どうやらドイルの死の直前1929にドイル自身によって10のテーマ別に編み直されたアンソロが底本のようだ。この「ミステリー編」の最初の6作は、1898-99にストランドマガジンに連載され、1908年に出版された「Round the Fire Stories」という短編集からのもの。それに訳者の好みで「悪夢の部屋」「五十年後」が追加されている。 こうしてみると、ドイルのジャンルは多彩だというのもよく分かる。最近ではドイルの歴史小説の紹介も増えたからね。短編だとO・ヘンリーっぽい人情噺もあるわけで、「五十年後」なんて記憶喪失を扱ったイノック・アーデンみたいな泣ける話。評者の好みは「漆器の箱」。これガチのゴシックロマンスで始まって、人情噺でオチるというもの。ドイルってロマンチックな「情」の作家だったりするんだね。 |
No.1412 | 7点 | 連合艦隊ついに勝つ- 高木彬光 | 2025/06/06 21:05 |
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「第七の空母」は前振り。これが架空戦記の今回の本命。
というか、架空戦記の草分けみたいな作品でもある。 もし、あの時、指揮官が別な選択をしていたら? 架空戦記ってプロレスみたいなものだから、「ウソ」をどれだけ効果的に使えるのか?が実は見どころ。本作は太平洋戦争の海戦の中で、もし帝国海軍が「愚かな選択」をしなかったら、どうなっていたのかに限定した「IF」を追及している。もちろん、問題の「愚かな選択」は情報不足の中で指揮官が正しい情報を得られなくて、思い込みに引っ張られた結果でもある。ここでタイムスリップした後の時代の戦史に詳しい人間が、指揮官に正確な情報をアドバイスできるとすれば? ・もしミッドウェーで艦載機の雷爆転装をしなかったら?(史実ではそれに手間取り、艦載機が誘爆して空母が全滅した) ・ガダルカナル沖で敵輸送船団を打ち漏らさなければ? ・第三次ソロモン海戦にもし大和が加わっていたら? ・もし栗田艦隊がレイテ湾に突入していたら? そんな「ウソ」を通じてその戦闘の結末を強引に覗いてみるというフィクションである。とくにミッドウェー&栗田艦隊あたりは戦史のポピュラーな話題だね。だからかなり戦術的なあたりに限定した「もし」なのである。 ミッドウェーで日本が勝っていたら? こんなIFだとその後の戦史の展開が変わってきてもしまうから、本作では「日本惨敗」の結果が「痛み分け」くらいに緩和された程度。しかし第二次ミッドウェー海戦が起きてやっぱり史実通りに軍艦が沈むということになって、辻褄を合わせていく。「架空」というのはそもそも劇薬だから、作者の慎重さと節度が窺われて好感が持てる。 だからIFによって「こんな場面、見たかったね」を実現している作品だというべきだ。その見地だと、戦艦大和が戦史の中で活躍する舞台をしっかり作って見せているあたりに、作者の思いが見て取れる。現実にはあまりにもったいない使い方しかできなかったわけだから、日本人なら誰しも悔いが残っている。大和の活躍にスカッと溜飲が下せる読者がいるのなら、本作は成功したことになるというものだ。 なので架空戦記としては夜郎自大さがなくて、フェア感の強いものである。戦史に詳しければ...まあそんな人はとっくの昔に本書を愛読しているんじゃないかな。高木彬光としてはメインストリームの著作ではないが、それなりに影響力のある本じゃないかとも思う。その筋の読者の評判もいいようだ。本作みたいな作品だと、高木彬光の小説家としての弱点がまったく目に付かないから、おトクな作品でもあるね。 |
No.1411 | 6点 | 第七の空母1 真珠湾突撃作戦- ピーター・アルバーノ | 2025/06/06 13:38 |
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評者が若い頃に保証人としてお世話になった方には、海軍兵学校出のゼロファイターという凄い軍歴があったんだよね。戦史にもお名前が出てくるよ...1980年代くらいまでは従軍歴のある方が社会の柱石として現役だったわけで、今とは違い「第二次世界大戦」をリアルな「生活」として感じることができていた。
で本作、原作は1983年、翻訳紹介は1993年。戦後40年、氷に封鎖されたカムチャッカの秘密基地から、地球温暖化によって解放された旧帝国海軍大和級四番艦・空母米賀は、命令そのままに真珠湾に向けて出撃を開始した...ベーリング海峡を航行中の輸送船、米沿岸警備隊のヘリ、ロシアの偵察機などを撃破しつつ、一路米賀は真珠湾へ。輸送船の船長は米賀に捕虜となり、老提督の藤田の傍で米賀の侵攻を見守るハメになる。船長の息子は海軍情報部に席を置き、相次ぐ怪事件の真相を探ることになる。 メイデイ!メイデイ!複数のゼロ、複数のゼロ!本船は攻撃を受く トンデモ架空戦記として伝説?なこのシリーズである。「食料は魚、アザラシ、トド、アシカ、海草。日本人は海草を食べます。牛肉を食べるわけじゃありません。そして鍛錬を積んでいます」が40年間極寒の地を耐え抜いた理由!である(苦笑)乗組員はすべて60歳を越えているが、皆若々しい。見事な戦果を挙げて東京に凱旋!(いいのかww) グアム島の横井庄一さん、ルバング島の小野田少尉なんてのも、子ども時代に大きな話題だったなあ...本書でも小野田少尉には触れている個所がある。もちろんアメリカ人視点で書かれた本で、トンデモな日本人描写も至るところにある。「日本女性は床上手」とかwwな話もある。でも結構日本でもこのシリーズ、ウケたんだよね(笑)外人目線のヘンな日本を笑ってネタ消費する「007は二度死ぬ」な傾向は昔からあるわけだ。 とはいえ久々に読むことになると、第二次大戦がリアルな世代が数多く登場するこのストーリーをどこか懐かしくも感じられる。日本人は架空戦記が大好きだが、「次はイタリア抜きでやろうぜ!」なリアルとフィクションの縺れあったかつての日本人のホンネにも、評者は思いをいたすことにもなる。 (ちなみに評者の父は、真珠湾攻撃の立案者で本書でも名前が出てくる源田実のファンだったなあ...評者の子どもの頃は源田実が参院議員してた) |
No.1410 | 7点 | イモジェーヌに不可能なし- シャルル・エクスブライヤ | 2025/06/05 11:15 |
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イモジェーヌの翻訳は三冊しかないのが残念。評者は本作が一番面白かったな。
いやミステリとしてはシンプル過ぎるくらいのものだけど、イモジェーヌのドタバタっぷりに一番イヤミがない。スコットランドはキャランダーの街を分断する赤毛の猛女「火の玉イモジェーヌ」。純正スコットランド人(ハイランダー)にとっては神聖なほどの人気者、ある人にとっては疫病神。強引に周囲を振り回し、狭い街で暴れまくる....まさにマンガ的キャラクター。 というわけで、被害者筆頭はキャランダー警察の巡査部長マクロストー。それまでの2冊でも散々な目にあっているわけだが、本作ではもう大原部長的な諦念にまで至っている(苦笑)まさにイモジェーヌって女版両さんのわけ。今回はこのイモジェーヌを飼いならしてうまく捜査に活用しようと企むラガン警部が登場。イモジェーヌがたまたま目撃した、不倫密会の現場とそこで相談されていた「解放計画」の翌日、半身不随の金持ち夫人が毒殺された! こうなったら犯人はその不倫カップルに決まっているでしょう? さらにこの不倫カップル、イモジェーヌにしたら「イングランド人」であり、神聖なスコットランドの地を汚す侵入者の一族!! こんなイモジェーヌに手綱をつけて、操ろうとするラガン警部の思惑の行方は? いやはや、結末も痛烈。まさに「イモジェーヌに不可能なし」。原題と訳題が逆なのは、天晴ファインプレーだと思うよ。 (ちなみに未訳は4冊ほどあるようだが、全作タイトルが面白いので執筆順で全作紹介。「怒らないでイモジェーヌ!」「帰って来たイモジェーヌ」「またお前かイモジェーヌ?」「無理だよイモジェーヌ!」「俺たちのイモジェーヌ」「イモジェーヌの婚約」「イモジェーヌと白の未亡人」) |
No.1409 | 7点 | 黒い海岸の女王- ロバート・E・ハワード | 2025/06/04 11:40 |
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コナンが名探偵でも未来少年でもない層というのは一定、日本にもいる。海外ではこっちの方がメジャーなんだけどもね。というわけで本サイトでは若干周辺的かもしれないが、蛮人(英雄)コナンも取り上げようか。パルプ雑誌から始まったカルトヒーローだし、クトゥルフ神話ともかかわりもあるし、とそう大きくは本サイトの趣旨からも外れてもいないと思うよ。
要するにシュワちゃん出世作の映画「コナン・ザ・グレート」の原作とか、ヒロイック・ファンタジーというジャンルの創始者に当たる小説である。70年代くらいからハヤカワ・創元の両版元から刊行されてもいたわけで、日本でも長く親しまれてはきていたのだが、2000年代に入ってから創元での「新訂版コナン全集」とそれを基にした新紀元社版「愛蔵版英雄コナン全集」として復活することになった。昔のシリーズは実は補作・模作の問題があったこともあり、原作者ハワードのオリジナル原稿を尊重する意味で、再度スポットライトが当たったわけである。 現在の歴史が始まる直前の時代、ハイボリア時代。剣と魔法の乱世に覇王の座についた風雲児、キンメリアのコナン。その生涯の冒険の旅を描くのがこのシリーズ。20の短編、1つの長編、5つほどの断片が原作者ハワードの貢献。黒くねじれた長い髪、陰鬱な強面、日焼けした肌、くすぶった暗い青い目、と描写される北方人種キンメリアの戦士である。 でこのシリーズが本になる時って、執筆順じゃなくて「コナンの生涯」を語る時系列で編まれることが多いんだ。なので、創元新訂版第1巻の本書は若き戦士コナンの遍歴武者修行。「氷神の娘」「象の塔」「石棺のなかの神」「館のうちの凶漢たち」「黒い海岸の女王」「消え失せた娘たちの谷」の6短編+オマケ。 いや文章、いいんだよ。ある意味ラヴクラフトの愛弟子みたいなところもあって、濃密だが具体性の強い文章で怪異と冒険を描いていく。心理描写には重きを置かずに、客観描写主体のあたり、ちょっとしたハードボイルド気分。コナンには意外かもしれないがカウボーイ風のところもあるしね(ハワード自身西部劇が得意だったし)。「石棺」とか見ようによっては密室殺人(苦笑)。乗りかかった船が海賊に襲われたが、結局海賊と意気投合してその女王と懇ろになる「黒い海岸の女王」。海賊女王ベーリトの造型で有名な作品。「あたしは死のなかにいるけど、あなたが生きて闘っているかぎり、必ず、死の深淵から立ち戻って」と萌えるというよりも燃えるなあ。 あたしは、火と鋼鉄と殺戮の女王―おまえはあたしの王におなり! あと個人的には「館のうちの凶漢たち」が好きかな。邪悪な神官の暗殺に赴いたコナンがその館で出くわす四つ巴の闘争。 こうしてみると、コナンってハードボイルドの別角度での展開みたいに見えることもあるんだよ。 まあぼつぼつやっていきます。 |
No.1408 | 5点 | メグレと賭博師の死- ジョルジュ・シムノン | 2025/06/03 12:24 |
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邦題がアレだから、たまにある暗黒街ネタかと思えばそうじゃない。
賭博師といっても、数学知識と資金力を使ってルーレット賭博で生計を立てるプロの賭博師が被害者の事件。しかもレバノン人でマロン派クリスチャン。ベイルートを根城にして国際的なビジネスを展開するナウール一族の一員である(アンブラー「グリーンサークル事件」の舞台に近いかな)。 大雪の深夜にパルドン医師の元を訪れた男女。女は無言のまま銃創の手当てをさせた。付き添う男はラテン系の美男。その女はミス・ヨーロッパの経歴からナウールの妻になったオランダ娘。そのままアムステルダムに逃亡した男女は意外にも素直に帰国を了解した....三角関係の縺れかと思われるこの展開に、この国際色豊かな事件の背景に政治的な問題が潜んでいないことにメグレたちは安堵する。 まあこんな展開をする話。何かピンとこないなあ。確かにセリ・ノワールなんかでもアラブ系ギャングと抗争したりとか、レバノン人金融ネットワークとか、そういう話はあるものだが、ある意味シムノンのホームドラマへの好みがそういう世界の広がりを狭めてしまっているようにも感じる。まあ一応真相にもそういう国際色があるのかもしれないのだが、掘り下げられているわけではない。 なんかよく分からない話だった。 |
No.1407 | 6点 | 断崖- スタンリイ・エリン | 2025/06/03 08:24 |
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エリンの処女長編。都筑道夫の解説によると、例の短編「特別料理」とほぼ同時にお目見えした本だそうだ。だからエリンでも最初期ということになる。
それもあるのか、本質的には短編だと思う。実際ポケミス140ページほど。図体だけは大きい16歳の少年が、父親を辱められたことに憤り、仕返しのために拳銃を持って夜の街をさまよう話。その中でオトナとしての経験を一夜にして積んでいく。酒場で初めて飲んだウィスキー(父の酒場で育ったクセに今までビールしか飲ませてもらってないw)、ボクシング会場で知り合った大学教授と一緒に行ったナイトクラブ、そして娼家...とオトナ初体験と仕返しターゲットの追跡がないまぜになってページを持たせている。 だから大人たちの世界に急に放り出された少年が「子どもな反応」をしているあたりが読みどころ。アタタ、イタいぜ。 |
No.1406 | 6点 | 幼年期の終わり- アーサー・C・クラーク | 2025/05/31 08:28 |
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本作あたりを読むと「なぜ評者はミステリがSFよりも好きなのか?」という理由に直面することにもなりそうだ。
突然世界の諸都市上空に現われた異星人の宇宙船。隔絶した知性とテクノロジーを見せつけられた人類は、彼らを「オーバーロード」と呼び、オーバーロードが行う賢明な「地球人類の管理」に服することになる。もちろん人類による「秘かな抵抗」は続いているのだが、オーバーロードの真の目的は何なのだろうか? このオーバーロードが行う善良な「管理」が典型的なグローバリズム政策だったりする。オーバーロードは徹底的な反戦主義だから、そのまま地球連邦国家が「外圧」から実現してしまうのだが、こういう「理想」というものの欧米的な側面というのも、今となっては目に付くことにもなる。 もちろん、国連事務総長誘拐事件、オーバーロードの宇宙船への密航計画、「オーバーロードの支配以来、芸術がまったくダメになった」ことを憂えたアーチストたちが作る「芸術家島」など、こんな「理想」に対する反抗もなされていくことが描かれる。反論の余地もない「理想」には当然のように反動もあるわけだ。欧米的に言えば「トム・ソーヤー主義」とでもいうべきなのだろうか? しかし、本作の結末で描かれる「最後の世代」と人類の終末の姿が、仏教的な解脱といったものをなぞっているかのようなあたりが、欧米人の東洋観そのままのようで、モヤモヤすることにもなる。いや「悟り」はそのまま日常への回帰なんだけどもね...「東洋の神秘」というのは、欧米人がその覇権主義に抱える罪悪感の反映かもしれないよ。 ならば、SFというジャンル自体が欧米的な価値観そのものだ。SFが掲げる文明史観というものが、実のところその欧米的な価値観から逃れだす発想にはなかなか至らないことを、証明しているのかもしれない。 |
No.1405 | 10点 | フリッカー、あるいは映画の魔- セオドア・ローザック | 2025/05/27 12:29 |
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困ったな。評者はこの本の想定読者バッチリの立場にあるのだけど、あまりにバッチリすぎて、客観的な評価とかできそうにない。
確かにさ、評者は映画マニアであり、さらにはアングラから実験映画に至るまで個人的にも関わってきている。だからこそ、この本のペダントリが他人事のペダントリにならなくて、自分ごととして跳ね返ってきてしまう。「天井桟敷の人々」からヌーヴェルヴァーグ、ドイツ表現主義からドライヤーに至るまで、さらにはアンガーやらウォーホール、「ピンク・フラミンゴ」に至るまで、評者を形作った「履歴」みたいなものでもある。 ヌーヴェルヴァーグが始まった1950年代末から、MTVが登場する1970年代末までの映画学の大学教授ジョナサンの映画遍歴を評者も我が事のように「体感」しながら読み進めていく。その中で、ジョナサンが研究対象とした、ドイツ表現主義の神童として登場したのちアメリカに渡り、ハリウッドで経歴を築くのに失敗して、ユニヴァーサル怪奇映画などのB級作品の監督として過ごし、大戦が始まるとヨーロッパに渡航を試みるが潜水艦攻撃で死んだマックス・キャッスルという映画監督の作品と経歴が徐々に明らかになっていく。一言でいえば、ムルナウが急死せずにトッド・ブラウニングになったような経歴であるが、実在の監督であるエドガー・ウルマーというモデルがいるようだ。 このキャッスル監督の作品でひそかに取り入れられている特異なサブリミナル映像手法が、とある形而上的な闘争を反映しているという仮説から、ジョナサンはキャッスルの出身である「嵐の孤児」(グリフィスだ..)という宗教的慈善団体にたどりつく。ここでは孤児に映画技術を教育しており、この孤児院で教えられていたのが、キャッスルが得意としたサブリミナル映像手法だった。この孤児院とその宗教団体が、どうやら13世紀にローマと争い敗れた異端宗教であるカタリ派の末裔であるようで、その陰鬱な善悪二元論教義を布教する手段として、映画が使われているのではという疑惑にジョナサンは取り憑かれる.... こんな話である。だから宣伝文句は少し誤りで、「薔薇の名前」より「フーコーの振り子」の方に近い話。ただし、シリアスで辛辣なコメディである「フーコー」より、グロテスクだが上機嫌なコメディという雰囲気である。キャッスル監督の後継者として現れるアルビノの黒人天才少年はさらにパンクな感覚で黙示録的な「終末」ヴィジョンを描こうとするが、この「ポップな終末」というべきものが「悪」を相対化しているようにも感じる。言ってみれば「フランクフルトへの乗客」をずっと上手にやっているような作品かも。深刻な思想小説というものではなく、軽く読めるエンタメからは逸脱していない。 しかし、確かに本作が突いていることは正しいのだ。映画にとって秘められた神学がその本質となっている。これは静止した写真が映写によって「動き出す」、アニメーションの語源となった物活論(アニミズム)が人間の手に置かれることによって、それが「神の創造」を悪しきかたちで模倣するものであるとも言える。だからこそ、映画を語ることはすなわち神学となる。それがあれほどに高踏的映画批評が神学的である理由でもある。 だからこそ、最終的な結論にあたる「旧石器時代プロダクション」は素晴らしい! 映画は物質であり、その物質性の中に「動く」ことの生命を再確認しようとする。フィルムの二重写しなどの膜面の「背後」を探る陰謀論はどうでもいいのだ。まさにこの結末によって、評者はこの本に愛を告げることにしよう。 映画の夢がいったん脳裏を駆けめぐれば、もう完璧にしあがったのもおなじだ。 まさに映画とは夢である。映画ははかないセルロイドの膜面に浮かんだうたかたの夢なのである。 (ちなみに旧石器プロでは蠅の羽根をフィルムに貼って映画にしようとするが、これはブラッケージの「モスライト」だな。あと天才少年が作る映画は寺山修司の「トマトケチャップ皇帝」を連想する。さらにいえば「最後の傑作」は「ゴダールの映画史」かもしれないや....連想を挙げていくときりがない。自分のルーツに向き合うかのような読書体験だった。あとタイトル「フリッカー」はそのものズバリの白黒フリッカーだけでできたトニー・コンラッドの「フリッカー」があるし、同じ技法による、ペーター・クーベルカの「アーヌルフ・ライナー」もある。ここらへん触れてないのは...どうしたのかなあ) |
No.1404 | 6点 | 20億の針- ハル・クレメント | 2025/05/25 13:29 |
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その昔、ミステリ読者に推薦するSF作品というと、よく名前が上がった作品である。人間のカラダの中に潜伏可能な異星人同士が、マンハントする話である。
タヒチ沖に墜落した宇宙船から二体の異星人がかろうじて抜け出した。一方は逃亡者(The fugitive「ホシ」)、一方はハンター(The Hunter「捕り手」)。ハンターはタヒチ在住の白人少年ボブ・キナードの体の中に宿った。アメリカの寄宿学校に戻って5ヶ月後、ハンターはキナード少年と意思疎通ができるようになり、キナード少年は「追跡」のためにタヒチの出身の島に戻る。墜落の状況から、逃亡者はキナード少年の周囲にいるのではと疑われる。ハンターと少年は連携しつつ逃亡者が誰に潜んでいるのかを探っていく... 井上勇訳...固有名詞への違和感がかなり強いのはもう時代柄でもあるし、どうも飲み込むのに手間取るような訳文が多い。新訳があるならそっちで読んだらよかったな。 この異星人はゼリー状で地球生物の細胞よりもずっと小さい細胞でできていて、流動体になって人の体に傷をつけずに侵入できる。ビールスから進化した、なんて言っている。そして宿主の神経や血管に直接作用できるけど、必要以上のコントロールが宿主を病気と勘違いさせるのもまずいし、「人道的」見地からも好まないようだ。それだけでなく、怪我の影響のリカバリーや病原体の侵入から宿主を守ってくれるポジティヴな能力もある(苦笑) だから「医学SF」といったカラーがあって、そこらへん興味深い。作中ではマラリアの話が出たりもするから、この異星人って感染症?みたいな印象もあるから、パンデミック物かもよ。確かに伝染病への疫学的防御というのもマンハントの側面があるからね。 個人的にはなんとかして意思疎通を図ろうとするハンターと少年の関係性が面白かった。まあある意味本作ジュブナイルのわけで、ジュブナイルでの紹介もある。岩崎書店から「宇宙人デカ」ってタイトルで出ていたのが笑える。でこれ、あの横尾忠則がイラストを描いていて、なかなかトラウマティック。一見の価値がある。 |
No.1403 | 7点 | 蝶たちは今…- 日下圭介 | 2025/05/23 20:08 |
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リアルタイムで乱歩賞を意識しだした頃の作品って、やはり印象が強いものだ。
評者の場合、本作とか「暗黒告知」がそういう「リアルタイム乱歩賞」の作品になってくる。とはいえ本作はパズラーマニアには評判がよくないだろうなあ。乱歩賞は比較的パズラー偏重の色彩があったわけだが、この時期には多様化を狙ったのか、伴野朗みたいなスパイスリラーの受賞もあるわけだ。本作のような、犯人当てを捨てたヴィジュアルのいいサスペンスだと、「本格」を期待するマニアの肩透かしになってしまったのかもしれない。 蝶を小道具に使った枠組みプロットとか、イメージに広がりがあって実にいいんだよ。小道具で印象的なものもいくつかあるし、そして探偵役を絞らない青春群像劇的な作劇。ちゃんとオリジナリティのあるトリックもあったりするわけで、受賞はそう不思議という印象はない。 そして短文を畳みかけていき、現在形を多用する独特の映画的文体。確かに印象的な作品だと思うよ。評者の好印象はやはり今回の再読でも根拠あるものだと感じた。 まあ連城三紀彦には及ばなかった作家かもしれないけども、「こういうミステリもありじゃない?」と70年代に提案してみせた作品というあたりで、斬新で意義もあると思っている。 |
No.1402 | 7点 | 鮎川哲也自選傑作短編集- 鮎川哲也 | 2025/05/22 13:00 |
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鮎哲さんの短編といえばその長いキャリアに比例して、大体250篇ほどあるようだ。
その中でも評者はちょっと忘れられない作品があって、いい機会なので読むことにした。それがこの短編集収録の「ああ世は夢か」である。 意外な選択かな。鬼貫も星影もバーテンも登場しない、非パズラー作品である。 明治に起きた野口男三郎事件という猟奇事件(幼児を誘拐殺人して臀肉を削いで、それを煮詰めてハンセン氏病に効く薬を作り義兄に飲ませた...)を題材に、この男三郎が獄中で作詞した演歌「ああ世は夢か」を、二人組の演歌師が歌うことになった話をちょっとした悲恋と絡めてある。 哀切な雰囲気の青春もの。評者確か広論社「緋文谷事件」で読んだんじゃなかったかなあ...強く印象に残っていたので、もう一度読みたかったんだ。 で、この短編集、清張をはじめ森村・都筑・佐野・結城などなど当時のトップ作家たちに「自選」で選んだ短編に写真アルバムと本人書き下ろしエッセイで読売新聞社が編んだ本。鮎川が選んだ自選の内容も興味深い。 非パズラー:絵のない絵本、マガーロフ氏の日記、ああ世は夢か、人買い伊平治 倒叙:小さな孔、水のなかの目、皮肉な運命 謎解き(非名探偵):かみきり虫 鬼貫もの:まだらの犬、首 と非パズラーの比重が多い短編集になっている。で、この短編集の中でもシンガポールの娼館を舞台にした復讐譚「人買い伊平治」も出来がいいし、「絵のない絵本」はアンデルセンの同名作にちなんで「ファンタジー・ミステリ」という毛色の変わったもの。「マガーロフ氏」は鮎哲らしいロシア知識を生かした奇譚。 鮎川哲也という小説家の幅の広さを感じさせる。やっぱり表現者って、ハタから見ているほどには「ジャンルへの忠誠心」ってないんだよ。「いろいろ、やってみたい」ものなのだし、そういう意欲の部分でこういう「脇道な佳作」があるというのも作家の実力というべきだ。 そういう見方をすると、ミステリ「本道」な自選作も傾向が見えてくる。ちょっとしたオタッキーなトリビアを駆使したオチが決まっている作品を選んでいるんだよね。珍種のカミキリムシを小道具にした「かみきり虫」、交響曲第五番を取り違える「皮肉な運命」、そして毒入りボンボンを作る「型」にオーディオの真空管を使う「まだらの犬」...小道具の洒落た使い方になっている作品を鮎川氏本人は気に入っているように感じる。 そういうしゃれっ気も、しっかりと鮎川哲也の魅力の一つである。 (ちなみにその真空管、テレフンケン12AU7は今でもセカンドソースの生産があるロングセラー真空管だそうだ。そういうあたり、うれしい) |
No.1401 | 5点 | 邪馬台国の秘密- 高木彬光 | 2025/05/21 10:38 |
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さてこれも懐かしいなあ。子供の頃読んだときに、最終章での、石棺から「真赤な一線が、まるで定規でもあててひいたような真直ぐな感じが、すーっと走っていたのが」まさに目の奥に焼きついたように印象に残っていたよ。
まあだけど、大人になると冷静な見方もできるようになる。結局のところ、魏志倭人伝を素直に受け取ると、内容が矛盾しているわけで、「矛盾した前提からは、どんな結論でも導き出せる」と懐疑的になるのも当然かな。いやだから、畿内説の場合には、魏志倭人伝の記述に拘泥せずに考古学的な見地を主体に論証しようという傾向が強いわけだ。魏志倭人伝の記述にこだわって論証するのが九州説の特徴だと言ってもいいだろう。だから高木説はまさに「九州説」であるともいえる。 とくにこの本の場合には、魏志倭人伝の記述にこと細かに依拠して推理していく。ここまでこだわると、逆に「オカルト?」という悪い印象も出てきてしまう。いやオカルトって「表面的な記述ではなく、その奥に秘められた『真の意味』を見出すこと」にこだわる「ものの見方」だと思うのだ。高木彬光といえば、まあオカルトへの親近感が強い作家(作中でも「神がかり」と自虐)であることは否定できない。これって「歴史推理」が抱える大きな問題点じゃないかな。ミステリの場合には伏線によって「見過ごされてきたデテールが、実は重大な真相を暗示していた」ことから快感めいたものを引き出すのが正当なのだが、歴史のデテールに過剰な意味を与えて空中楼閣を築いてしまうのも「エンタメ」の一つとして許容するべきなのだろうか。 考えてみれば、今の「邪馬台国ブーム」というものは、1967年の宮崎康平「まぼろしの邪馬台国」によって「大衆化」したわけである。この本もその流れに乗って書かれたものだが、この時期というのは「造反有理」な学園紛争の時代でもある。本書でも随所で「学問の権威打破」が叫ばれるわけだが、このような時代のコンテキストの中で「歴史のエンタメ化」を捉えることの方が、面白いかもしれないなあ。そう考えたら本書とたとえば「神曲地獄篇」「ノストラダムス大予言の秘密」といった高木彬光70年代の作品ともうまく結びつけることができるかもしれないや。 うんまあだけど、この本がやってみた議論などは、神津恭介の「俺スゲー」に「まぼろしの邪馬台国」で一世を風靡した古田武彦から「既出の論だよ」と散々に嫌味を言われるとか、「議論のひとつ」として一般化しているものもあるし、初出で書いてツッコまれて「新装版」で撤回したものとか、いろいろでもある。この本は神津と松下研三の二人だけのダイアローグ小説だけど、「巫女と審神者」みたいに見えることもあるよ... 「成吉思汗」や「追跡」と比べたら、実在人物への誹謗中傷となるような部分はないので、これは「エンタメとしてアリ」だとも思う。ただし退屈な部分やどうか?と思う推理も多いし、文章も雑だから、このくらいの評価としたい。 |
No.1400 | 5点 | 影の凶器- 梶山季之 | 2025/05/18 15:00 |
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「黒の試走車」は「産業スパイ事始」といった感覚で、自動車メーカーで「産業スパイ課」が立ち上がっていく話、というものだった。本作は同じく産業スパイをテーマにしているが、「黒の試走車」とは逆アプローチ。一匹狼が「産業スパイ」の旗を掲げて、家電メーカーの裏側で非合法でエゲツない手段を駆使して暗躍するピカレスク。
でもアメリカ仕込みの理論派でもあり、クライアントには内緒だが実は初陣。ハッタリもいろいろ効かせながら家電メーカー社長(松下幸之助がモデル?)に取り入って、自分の「産業スパイ」というビジネスを確立する話でもある。 最大の武器は「女」。女を騙して利用して裏切らせて情報を得たり操ったりがこの男の十八番。だからサラリーマン向けエロも完備(苦笑)他愛もない、と言ってしまえばそれまでだが、この愛欲に溺れる愚かさ自体が普遍でもあるから、どうしようもないといえばどうしようもない。「影の凶器」とはまさしく「女」。でも最後で本人が「俺こそ、影の凶器じゃあないか!」とウヌボれるから、転落劇も描いてみたらいいのかもよ。 要するに人殺しをしない伊達邦彦。意外なくらいに騙した女に恨まれないのが人徳(苦笑) |
No.1399 | 7点 | 霧と影- 水上勉 | 2025/05/18 05:53 |
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「海の牙」よりもミステリとしてはよくできていると思う。「海の牙」だと悪い意味で「ミステリの常套パターン」を採用していて、それが小説としての面白さを害しているようにしか思えないんだ。本作だと作者が「書きたいように」書いている。結果として作者が見据える市井の人々のリアルな生活感が、追跡のリアルさに反映して「ミステリとしての面白さ」に繋がっていると思うんだ。
新聞記者たちの集団的な追跡が狂言回しになるわけだが、その中で浮かび上がってくる若狭の山中にある四戸しかない僻村に生れた男女の生の軌跡。「男子志を立てて猿谷郷を憎み出ず」と神社に額を奉納して、東京で鳶職の親方として成功した男。彼を取り巻くイトコに当たる暗い美女たち。これらの人々の生き方が、教員の崖からの転落死、演劇的とも言える巧妙な取込詐欺といった犯罪事件を軸に、じわじわとあぶり出されてくるのがミステリとしての魅力になる。 だからかなり地味ではあるし、完全に外部からの目だけで描かれるために、最後まで読んでも判然としないことも多い。まあこれも「リアル」といえばそうだ。とくに背景に武装革命路線にあった日本共産党が起こした事件があるが、これらの一族との関連がよく分からない恨みがある。徳田球一書記長の密行潜伏と、国外亡命のためのいわゆる「人民艦隊」、そして詐欺事件と非合法な資金集めの実行部隊である「トラック部隊」の関りなど、よく分からないことが多い。それでもそれが言うほど気にならないのが、本作の拠って立つ「リアル」ということになる。 (本作で描かれるデテールは本当に懐かしいものが多いな。スピッツなんて今飼っている家があるんだろうか?評者なんてまさに「懐旧闘争」) |
No.1398 | 5点 | 赤い箱- レックス・スタウト | 2025/05/16 17:06 |
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ウルフ物4作目になる。
キャラは「毒蛇」から完璧に仕上がっていたわけだが、異例な「腰抜け連盟」とは違い(すまぬ「ラバーバンド」未読)、本作あたりで安定した世界になってきたのかもしれないな。次作は外出話の「料理長が多すぎる」だし。 本作のギミックは、A:口先だけの依頼人の口車に乗せられてウルフが出張尋問を行うのと、B:ウルフの事務所でゲストが毒殺されること。Aはまあ軽いジャブみたいなものかしら。実はウルフって意外なくらい外出しているよ(苦笑) だけどもBはウルフにしたらメンツをつぶされた激怒案件。この件もあって、ウルフもエンジンがかかる。ちなみにC:途中で依頼人が変更されるというのもギミックかしら。実はこれ真相と絡んで想定外の落着をする。ウルフはしっかりと「経営者」であり、依頼料を取りっぱぐれたら食い上げであるからね。 まあ本作、ミステリとしては大体想定内くらいの話。ミステリとしてはそう「いい」ということでもないのだが、今回読んでいて評者はネロ・ウルフに敬意をもっていることを改めて実感した。マナーをわきまえ、たとえ犯人であっても「ミスター」などの敬称をかかさず、人情の機微に対する洞察力に富み、言葉を濁すことはあっても誰にも明白な嘘はつかず...いや立派なジェントルマンだと思うんだ。 小説家は作者本人より頭のいいキャラを説得力を持って描くことができないと言う。 探偵役の人間としての説得力がこれほどしっかり描けているミステリ・シリーズは少ないんじゃないかな。 |
No.1397 | 1点 | 追跡- 高木彬光 | 2025/05/13 18:27 |
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やっぱり本作も筆誅、という結論になってしまったな。
実際には事件から40年たった1990年台後半くらいから、問題の人々の間で口を開く人が出てきて、やはり白鳥事件は共産党の非公然軍事部門によるテロだった、ということが明らかになりつつある。実行犯は中国に亡命してすでに全員亡くなっているという話だ。主犯として裁かれた軍事委員会トップの村上国治が共同謀議に問われたこと自体、冤罪でもなんでもない。 日本共産党としても、当時は所感派・国際派と分裂しており、51年テーゼに基づく暴力的な極左冒険主義が国民からの支持を失った時代でもある。「分裂の一方が行なったことでもあり、今となってはよくわからない」と共産党自身でさえ煮え切らないあたりで弁解するしかない状況でもある。 まあ評者としては51年テーゼを主導した軍事委員長の志田重男を「真犯人」と言いたいあたりだけど、行方知れずと言われていた志田のその後も今は解明されているし、ソ連崩壊で野坂参三のスパイがバレたりとか、時の経過がこの混乱した時期の「黒い霧」を晴らしていったことに、感慨めいたものを感じていたりする。 とはいえ、この高木彬光の作品自体は、そのような経緯とは切り離して考えたい。「その後に判明した真相」によって、「不十分な情報の中で誤った前提に基づいて書かれたフィクション」を裁くのはどうか?とも思うからだ。 本書はいわゆる「原田情報」に依拠して書かれている。これは除名された元党員がこの件で流した「怪情報」とされるものであり、作中にも桑田という名前で登場する。要するにヒロポン中毒の信用組合理事長が、資金横流しを察知した白鳥警部にヤクザを差し向けて殺させた、という「真相」である。 まあ、外野のジャーナリストなどがいろいろと推理するのは、それ自体として咎めるべきではないだろう。しかし、本作では冒頭に百谷弁護士の同級生が百谷に相談した直後に不審な死を遂げて、その真相を探る中で背景に白鳥事件があることを百谷は察知する。そして同級生の秘密の思い人を探し出し...という「フィクション」に仕立て上げているわけだ。最後には派手な修羅場もあり。 としてみれば、本作の犯人陣営は基本的に実在の人物たちである、と言われても仕方のないことになる。モデルを勝手に「フィクション化」して、作者が操っていることにもなるわけだ。フィクションだから...で許される範囲を大きく逸脱しているとしか思えない。名誉棄損とか言われても仕方なかろう。 さらにいえば、その「嫌疑」が的外れでもあるのだから、小説家の罪は重いとしかいいようがない。 またさらに、百谷もちゃんと推理するというよりも、登場人物たちが教えてくれる「真相」を鵜呑みにするばかりで、批判精神のカケラも感じない。「成吉思汗」でも評者は神津恭介がデマに近い情報を鵜呑みにしまくるのにシラケまくっていたのだが、本作の百谷弁護士も同様。困ったものだ。 もちろん高木彬光の最大の弱点である「キャラ描写が壊滅的に下手」も、こういう展開だと全面に出てしまう。小説として味気ないとしか言いようがない。 少しだけ高木彬光を弁護すると、この人、ヘンにテンションの高い奇人変人に「波長が合う」という困った性質がある。今回はそれが怪情報を流した元党員の原田政雄ということだ。それが「ロマン」なのかもしれないが、無批判にオカルトを受け入れてしまうのが、この作家の特性でもある。 そういうあたり、嫌いではないといえばそうなのだが、なんというか、持て余す。 |
No.1396 | 6点 | 幸運の脚- E・S・ガードナー | 2025/05/12 19:58 |
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美脚コンテストを使った詐欺によって都会に誘き寄せられた女性たち。彼女たちが巻き込まれる詐欺師殺し...メイスンも死体を見つけてバックれるとか結構危ない橋を渡ったりして、ハードボイルド感が強い作品だと思う。「なぜこれを知ることが?」がキーになるあたりに「本格」テイストを感じる方が多いのだろうけども。
メイスン物ってシンプルな人間関係の中で、メイスンがいろいろと挑発して回ることで、複雑な右往左往が起きてややこしくなる、というものなのかなあ。だからなかなか全体像が見えてこない。今回の依頼人ブラッドベリー、前二作は女性依頼人だが今回は男、しかもかなり嫌な奴。まあメイスンの依頼人が一筋縄ではいかないのはお約束とはいえ、変に挑戦的で不快感が強い。 考えてみれば弁護士ってエリートには違いないが、現実にはオカシい人たちの面倒を見なければならない気の毒な仕事でもあるよ。今回は変な策動もあって、ドレイクくんだって100%信頼できないという状況に置かれるわけで、本当にメイスン、お疲れ様である。 今回創元文庫、林房雄訳。人並由真さまが「白夫人の妖術」なんて取り上げられていて便乗...というわけではないのだが、「新青年」にも平林初之輔が関わっていたりとか、戦前には意外とプロレタリア文学とも関わりがあったりもする。そういうあたりからのご縁があるのでは?プロレタリア文学だって、最新のモダニズム文学だった時期はあるわけでね。 (あと、このシリーズ、The case of A B というかたちでタイトルがつくのが定石になっているんだけど、とくに後年は A と B に頭韻を踏ませる傾向がある。本作はLucky Legs でその最初じゃないかしら) |
No.1395 | 5点 | クイーン検察局- エラリイ・クイーン | 2025/05/11 20:50 |
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ミステリ短編というものは、ホームズという偉大なモデルがまずあるわけだ。
とはいえホームズ譚ならキャラ小説の比重も高いわけで、パズラー短編か、といえば必ずしもそうでもないだろう。最初の短編集「クイーンの冒険」ならホームズ的枠組みの中でクイーンらしいパズラー性を組み込もうという試みになるわけだが、「新冒険」ともなると風俗的要素を取り込んだ都会小説としての良さも伺われるようになる。 としてみると、クイーンが「パズラー短編」を純化した形で提示したい、というオリジナルな試みが、こういうショートショート形式なのかもしれないな。まあだからたとえば「黒後家蜘蛛」がこのスタイルの継承者となったと考えれば、パズラー短編の理念をクイーンはここで提示したと見ることができるのかもね。 うん、まあだけど短い分「いい」と言っても上限があるし、ダメな方はどうしようもない。短編集として読むとやはり飽きてくるところもある。パズラー短編というものの「難しさ」が前面に出ているというのが感想かもしれない。 |