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クリスティ再読さん
平均点: 6.39点 書評数: 1513件

プロフィール高評価と近い人 | 書評 | おすすめ

No.1513 6点 壜づめの女房- アンソロジー(国内編集者) 2025/12/13 23:39
さて早川書房「異色作家短篇集」でも、アンソロのこの巻は最初の刊行(第三期,1965)だけでしか出なかったために、稀覯扱いをされている巻としてその筋では有名。まあ第三期は「くじ」以外は改訂版(1974,76)ではオミットされたので、新装版(2005-2007)でしか読めない。この新装版ではアンソロは「内容が古くなった」ということで、完全に新しい内容で差し替えて3巻編成になった。だから旧版アンソロは手に入れづらく、古本は5000円程度の値がついている。図書館にあったのでありがたくさせて頂く。

内容は、
「夜」 レイ・ブラッドベリ
「非常識なラジオ」 ジョン・チーヴァー 
「めったにいない女」 ウィリアム・サンソム
「呪われた者」 デイヴィッド・アリグザンダー
「駒鳥」 ゴア・ヴィダル
「壜づめの女房」 マイクル・フェッシャー
「破滅の日」 ロバート・トラウト
「剽窃」 ビル・ヴィナブル
「崩れる」 L・A・G・ストロング
「プレイバック」 J・T・マッキントッシュ
「二階の老婆」 ディラン・トーマス
「変身」 マルセル・エイメ
「わが友マートン」 ジュリアス・ファースト
「災いを交換する店」 ロード・ダンセイニ
「私の幽霊」 アンソニイ・バウチャー
「マダム・ロゼット」 ロアルド・ダール
となっており、本編で採用された作家ではブラッドベリ、エイメ、ダールが収録されているだけで、他の作家を含めて日本語版EQMMで紹介された作品だそうだ。解説が短いのだが、いわゆる「奇妙な味」とは「文学と大衆小説の間にある短編」と定義している。とはいえ、この定義はやや問題ありで、おそらくアメリカの出版事情を考慮すると、専門ジャンルで特化したパルプマガジンに掲載される「ジャンル小説」ではなく、ザ・ニューヨーカー、ハーパーズ、エスクァイアといったスリックマガジン(一般高級誌)に掲載された短編を集めた編集方針だと言いたいのだろう。
だから江戸川乱歩的な定義とは断絶していて、ミステリ・SF・ファンタジー・ホラーといった「ジャンルに収まりづらいエンタメ」をとりあえず「奇妙な味」と呼んだ、とするべきだろう。ヴィダルの「駒鳥」なら少年時代を描いて文学性が強いことになるし、バウチャーの「私の幽霊」ならばホラーともSFともつかない「幽霊が死んだらどうなる?」という話。ダールのは「飛行士たちの話」収録の戦争中の女遊びの話。
秀逸はサンソムの「めったにいない女」がロマンスともホラーともつかない話でまさに奇妙。ヴィナブルの「剽窃」は小説アイデアを提供してくれる緑の小人をめぐる話でSFともユーモアともつかない。でもダントツにいいのはエイメの「変身」。オルゴールを手に入れるために老人三人を惨殺した死刑囚が突如赤ん坊に変身してしまい、死刑にすべきかで混乱する話。ファンタジーだけども根底にあるのは奇蹟譚。素晴らしい。

まあだけど「古臭いから」で新装版で全面改訂されたのは、全体から見ると仕方ないかな。

No.1512 6点 化石(いし)の記憶- たがみよしひさ 2025/12/11 19:21
たがみよしひさの作品はすでに探偵劇の「NURVOUS BREAKDOWN」を取り上げていて、そっちはギャグ味のある二頭身作品だけど、こっちはシリアス八頭身作品。しかもハードボイルドSF伝奇ミステリアクションとでも言った方がいい、かなり贅沢なジャンルミックス作。「AKIRA」の対抗馬、というのか同じ週刊誌サイズで秋田書店から出版。大友克洋と革新性で競った作家だからこその待遇でもある。

N県の寒村「赤森」に伝わる「ぬし」の伝説。美袋竜一は両親の死にかつての「ぬし」出現が関係していることを知り、その仇討ちのためにも赤森を訪れた。そこで出会った考古学者本庄は7000万年前の人類の頭蓋骨化石を見つけてしまう...伝説の宝「竜哭」を手に入れようとする複数の勢力の抗争に竜一は巻き込まれつつ、「ぬし」の正体に迫っていく...

という話だけど、この集団抗争劇がキャラが多くて関係性がややこしい。裏切りやら各陣営の合従連衡が複雑で、ここらへんにミステリ的な興味が出ている。たがみよしひさ特有のひねったセリフ術を生かした竜一のハードボイルド的造形がなかなかいい。まあ確かに「軽井沢シンドローム」の相沢耕平だってナンパでやや丸くなってるけどもハードボイルドと言えばそうかもな。竜一の方がずっとシャープな造形。
でも話のキモはSF。「ぬし」の正体はジュラ紀の恐竜で、「竜哭」は一種のタイムマシン。だからクライマックスはタイムワープと恐竜の襲撃というSFアクション。「ジュラシック・パーク」より全然早い。全3巻だけど3巻目はジュラ紀サバイバルSF。マジのたがみの画力が炸裂するアクション。絵にはファッション画風の立ち姿の美がある。最後の方にキャラたちの大部分が集まって立っているあたりがなかなかに痺れる良さ。

SFはいい程度にわけが分からなさがあるか。意外に「伝説の作品」という評価があるなあ。たがみよしひさの芸風の幅広さとエンタメ全体への知識の広さが産んだ作品と言えよう。力作。

No.1511 6点 裏切者- ジョルジュ・シェルバネンコ 2025/12/10 13:17
日本に江戸川乱歩賞があるように、イタリアにはシェルバネンコ賞が、ある。

2010年代に論創社から2冊シェルバネンコは出版されているけども、マニアの憤激を買ったハヤカワの世界ミステリ全集で、早くも1970年代に「裏切者」が翻訳されている。ソ連の「ペトロフカ、38」とかドイツの「嫌疑」と同じ巻だけど、その2つはポケミスから刊行されているにも関わらず、本作はポケミスにならなかったんだよね。あとがきの座談会によるとルドヴィコ・デンティーチェ「夜の刑事」がポケミスで紹介されて、シェルバネンコも本作を含む2冊の翻訳権をゲットしたそうだが、結局シェルバネンコのポケミス入りは叶わなかった。まあ「薔薇の名前」だって凄い凄いと聞かされながら、翻訳が遅遅と進まなかったことから見ても、イタリア語をエンタメの水準で翻訳できる翻訳家がレア、という事情も伺われるな。実際本作の翻訳も生硬。まあ文章が文学寄りでもあるし、英米エンタメの客観的な語り口じゃなくて、詩的・誇張的な感情表現が多いから訳しづらい作品でもあろう。

主人公は安楽死に関わったことで服役し医師免許を取り上げられ、裏街道を生きることを強いられた医師、ドゥーカ・ランベルティ。親友のミラノ警察のカッルア警部の影の助けにより、警察の協力者として細々と生活を送っている。持ち込まれるのは堕胎やら....今回の依頼人の要望は「処女膜の再生手術」だった。結婚相手が処女にこだわるために、何としても処女でなければならない...と話を持ち込んだのはその女の隠れた恋人。ドゥーカが服役中に知り合った悪徳弁護士ソンパーニの紹介だという。女は手術に訪れ、恋人が取りに来るからと軽機関銃の入りのバッグを置いていった。ソンパーニはその直前に運河に車ごと落ちるという不審な死を遂げていた。親友のカッルア警部に報告したドゥーカは、刑事と共に女を追跡する。果たして嵐の夜、運河沿いに車を運転する女と恋人は、突然現れた対向車からのマシンガンの銃撃を受けて、運河に落ちた....

こんな始まり。主人公ドゥーカ医師の屈折感が面白い。裏街道を歩まざるを得ない元エリート。読んでいて近いのは「新宿鮫」。ハードボイルドっぽい孤立感があるし、事件は荒っぽく、ドゥーカ自身が医学知識を生かした拷問をしたりする(をい)。事件はギャングの抗争だけではなく、第二次大戦中の因縁も...ドゥーカはその手術を持ちかけた男に「医師免許の回復を手伝おう」と持ち掛けられもするし、カッルア警部からも医師免許回復に尽力しようと申し出がなされたりする。しかし、ドゥーカはガリレオが宗教裁判した「転向表明」の文書で誘いを断る...

なかなか、アンチヒーローな陰影感があって、いい。エンタメ度は少し低いが、興味深い作品。
(ハヤカワ世界ミステリ全集もあとガードナーと37の短編だけか。来年やろう)

No.1510 5点 「茶の湯」の密室- 愛川晶 2025/12/09 19:10
「茶の湯」の密室、というタイトルをみて急遽読むことにした。表題作と「横浜の雪」と中編2作を収録。

このシリーズは落語界を舞台に「日常の謎」系のちょっとした謎を解きつつ、ネタの落語と人間模様を描いていくタイプの作品のようだ。だから「茶の湯」だってネタ元は古典落語の「茶の湯」ということ。「寝床」の義太夫とか、「蕎麦の殿様」のそば打ちとか、偉い人の趣味に付き合わされる周囲の迷惑の話w
でこの落語「茶の湯」のデテールのヘンテコなあたりをツッコむという、野暮と言えば野暮な趣向で、真打ちになったばかりの落語家の山桜亭馬伝、その妻亮子、師匠でリハビリ中の馬春のトリオが主人公。この馬伝が芸にマジメ(すぎ)で「茶の湯」のデテールのおかしいところを指摘されて悩むとか、「横浜の雪」では三題噺の会で出たお題で作った新作を師匠にダメ出しされてで悩む、というあたりの芸譚っぽいあたりが読ませどころ。それに絡めてややミステリ的な趣向(消えた猫、冤罪の猫殺しで落語会を追われた弟弟子の復権問題)がある。
まあ、落語というのも噺によっては伏線いろいろ引きまくりのものもあるわけで、ミステリ的といえばそうかもね。そういう着眼点の「軽い謎」と人間模様、落語界の裏話を仕立てたエンタメ。

だからちよっとした仕込みがあって、あれ?なるほど!とかそういうタイプの「謎」感覚。悪くはないけど、小ぶりかな。馬伝はマジメだから、「茶の湯」の題材の茶道についての知識を得るため、妻亮子が誘われた茶事がどんな感じだったのかを知りたがる、というエピソードがある。マンションの一室に茶室を作って、というなかなかリアルな設定の「夕さりの茶事」。「密室」は大した話じゃないが、ちょっとした「建築の謎」がある。茶事の内容描写は適切だけど、茶人の監修が入ったそうだ。

「横浜の雪」は、半七でもあった尊王攘夷の浪士が横浜の異人に嫌がらせをする事件を背景に組み立てたオリジナルの噺がネタ。実際に柳家小せん師匠に実演までしてもらったそうだ。これは馬伝が三題噺のお題からヒネリ出した噺を、代打の師匠馬春が施した「変更点」が一番の読みどころかな。

タイトルに期待し過ぎたが、まあ普通。悪くはない。けどネタでピンとこないものもある。仕方ないか。
(馬伝のマジメっぷりに、桂枝雀みたいな危うさも感じるなあ...)

No.1509 8点 闇に踊れ!- スタンリイ・エリン 2025/12/07 12:20
ノンストップ級に面白いネオ・ハードボイルド。エリンと言えば「第八の地獄」でネオ・ハードボイルド(非ハメット)の始祖でもあるわけだけども、本作では盗まれた美術品を取り戻すちょっとハイブラウな私立探偵が主人公。テイストは「空白との契約」の延長線だけど、同様に恋人との恋愛模様を絡めつつ、本作ではニューヨーク(ブルックリン)の歴史とポリコレ(人種問題)に踏み込んでいるあたりが、ネオ・ハードボイルドらしい味わいになっている。だって1983年作品。自ら生み出したネオ・ハードボイルド潮流から自身がいろいろと社会派的側面を取り入れ直した作品だろう。

このところのwokeの歴史的退潮で、ポリコレという言葉が非難と軽蔑の対象へと変化してしまったわけだが、実のところ最近の社会問題というわけでもないんだ。1980年代くらいに「政治的に正しい○○」といったかたちで、アメリカではこんなヘンテコなことが起きているよ、という話が伝わってきていた。またその頃には「座頭市」についての言葉狩りも始まっていたし、「ちびくろサンボ」やカルピス広告への自主規制も1980年代の話だったりするからね。なかなかセンシティヴな問題ではあるのだが、アメリカではもうアファーマティヴ・アクションが本格化し「逆差別」の声も上がっている。これが本作の背景にあるわけだ。

本作ではイタリア系の主人公ミラノは、インテリの美術専門私立探偵として隠密に活動しているわけで、盗まれたブーダンの絵(渋い!)を取り返すべく雇われる。目星はすでにとある画廊についていて、そこにどうブーダンが隠されているかが焦点になる。そのためにミラノは画廊の受付嬢であるクリスティーンに接触。クリスティーンはミラノに協力する代わりに妹ロリーナの不審な収入についての調査をバーターで要求する....このクリスティーン、黒檀のようなスタイル抜群の黒人美人!さらに演劇活動をしていているんだけど、これがフェミニズムと人種問題を重ねたようなwoke全開の芝居(苦笑)。しかし...この黒人一家が住んでいる古いアパートと、その隣にある家主のクラシックな豪邸。元大学教授の家主は古いアパートの経営に苦しむだけではなく、ブルックリンの変遷について深い怒りの感情を抱いていた。

でミラノの調査とこの元大学教授の家主カーワンの告白とがカットバックされる「異例のハードボイルド」。技巧派エリンの面目躍如。この大学教授はニューヨークの先住民と言えるオランダ系の旧家であり、ブルックリンがアイルランド系→イタリア人→ユダヤ人→黒人、と住民を変えつつスラム化していくことを深く憤っている。さらには自身が勤める公立大学でもリベラルの偽善から「自由入学」と呼ばれる無試験入学が認められて、大学の権威が崩壊するのにも手をこまねいていたという負い目も感じていた。そのために黒人を「ブランガ」という蔑称で呼んでいる...このカーワンがガンで余命いくばくもないことから、自殺的な報復感情によってトンデモない無差別殺人を企んでいた...

だから本作の本当の狙いというのは、そういうリベラル白人の傲慢と偽善にあるわけだ。まさにリベラルが世界的な崩壊を起こした2025年に読むべき本だったよ。

これで邦訳のあるエリン長編と短篇集はコンプ。いや後半の長編はおしなべて長いけど、小説的な充実感・面白さは素晴らしいな。さすがエリンというべきだ。
(ちなみにカーワンはイタリア系のミラノをマフィアと誤解する!なるほど)

No.1508 5点 モンタギュー・エッグ氏の事件簿- ドロシー・L・セイヤーズ 2025/12/04 09:37
ピーター卿の残りで「アリババの呪文」を収録するという、何とも困った短編集。で「アリババの呪文」がつまらない、というのがさらに困ったあたり。確かにピーター卿というと短編とか「殺人は広告する」に見られるような冒険者的体質はあって、ある意味ホームズの後継者ポジションがしっかりある人なんだけどもね。何か「ビッグ4」を読まされたみたいな気持ちになる。

でプラメット&ローズ酒造の販売員として地方を回るセールスマン、モンタギュー・エッグ氏の探偵譚6編は、それぞれ短いパズルであまり面白味がない。「販売員必携」を引用しつつ...というキャラも日本人からすると妙にスベってる。「訳者あとがき」によると宗教的なパロディの側面もあるみたいだが。しいて言えば不思議な凶器である「毒入りダウ'08年物ワイン」か。まあ業種を問わずにビジネスホテル(というか「商人宿」という昔風の言い方がハマる)で互いに交流するセールスマン仁義といったものは興味深いか。

さらに6編のノンシリーズ短篇。これは後半3篇がいい。「ネブカドネザル」はセイヤーズらしい衒学が前面に出ている作品だけど、「連想ゲーム」を大がかりなパントマイムでステージにして、隠し言葉を当てさせるオアソビを巡る話。語り手がどんどんと追いつめられて...のサスペンス。「屋根を越えた矢」は広告のつもりが脅迫になるという皮肉な味わい。「パッド氏の霊感」は犯罪逃亡者をお客に迎えた美容師の秘策が炸裂!いやこれは名作。パッド氏の美容室はこりゃ流行るよ(苦笑)

というわけで、面白い作品がないわけではないのだが、全体的にはセイヤーズの中でも二線級。編集意図がなかなか不思議。

No.1507 7点 門番の飼猫- E・S・ガードナー 2025/12/01 11:24
初期作では随一くらいに派手かも。「チョッキに親指を突っ込んでイライラと考えに耽りながら歩き回る」メイスンの定番ムーブって本作からなのかな。さらにデラくんとメイスン、新婚旅行に出かけてしまう(苦笑)熱烈なキスも交わしちゃうぞ。

「なにをかくそう、弁護士は、片手間仕事で、実は冒険家なんだ」とかね、ちょっとハッチャけ気味のメイスン、本作での法廷シーンは本来の陪審裁判ではなくて予審で50ページほど。だからデラくんもメイスンも証人尋問されたりするという意外な展開あり。

まあフィージビリティを重視する読者は嫌がる作品かもしれないな。評者はアバウトなのでそこらへんは素直に楽しむ。意外に本作あたりからシリーズ物としての手ごたえを本格的に感じて、作者もヴァラエティを用意してきたのかな。単純に「ぺリイ・メイスンの世界」といった「楽しさ」が感じられる。
けどさあ、創元小西宏訳

「ねえ、記者(ぶんや)さん、あーとはいえない、二人は、わかあい」(14章末尾)

なかなか訳文もハッチャけてる。ハヤカワどうなんだろう?
(あと本作の記述だと一酸化炭素が不燃性みたいに書いてあるけど、実は可燃性で爆発することもあるよ)

No.1506 9点 ハリー・ポッターと死の秘宝- J・K・ローリング 2025/11/29 11:35
さてハリポタの大団円となる7冊目。よくもまあ、ここまで書いたものだ。もちろん「ホグワーツの戦い」の最終決戦であり、今まで登場したキャラもここかしこに顔を見せる同窓会効果もあり。コリンくんの戦死とか胸が痛いなあ。

だからローリング女史、クールにキャラを殺していくよ。非情と言ってもいいくらい。最初のヤマの「七人のポッター作戦」ではハリーのふくろうでお馴染みヘドウィグが流れ弾で死んだりしてヒヤっとする。まあ別な重要人物もここで戦死するけども、確かに全体の展開を考えたときに、意味がない(ふくろう)、動かしづらいなど小説上の役割を終えているのが確かなんだ。

そしてビルとフラーの結婚式が暗転して一気に状況は不穏に。三人組は逃亡を通じて分霊箱の探索と破壊の任務に。ハリポタシリーズ後半に特徴的なんだけども、上巻に動きが少ないんだよね。その分上巻で丁寧に伏線を張っていることにもなる。下巻の中盤にようやく三人組はホグワーツに到着。そこから怒涛の伏線回収で、シリーズ全体の最大の伏線である、ダンブルドアの意図とスネイプに託した意味が明らかになっていく。ここらへんにミステリ的な興味があることになる。

だから最終巻まで読むと、ダンブルドアとスネイプの印象が百八十度変わるくらいのものなんだよね。日本のスネイプ人気もわかる(いや...評者はそこまで好きじゃない)。ある意味、主要キャラには完全な善人って誰もいないわけでもある。冒頭あたりでハリーがルーピンを辱めてたりするあたりは、反発も感じるし。それでも登場人物の間での家族的な愛情の強調がとりあえずジュブナイルの枠にシリーズをとどめているというべきだろうか。

結局のところハリーとヴォルデモートの共通性というのが、実は全体のキーみたいなものだったりするわけでもある。だから最後の19年後の描写で、ハリーの息子アルバスが「もしスリザリンに組み分けされたら?」と危惧する話というのは、まさにシリーズ冒頭のハリーの危惧でもあったわけである。そういう「危うさ」をうまくコントロールした話でもあるのだろう。いやダンブルドアも過去を覗けばそういう自分の危うさに足をすくわれ続けたわけなんだしなあ。

というわけでハリポタ完結。評者的にもいろいろと思い出深いシリーズだったりするよ。ローリング女史のキャンセルも終結したわけであり、ローリング女史が示した「勇気」がすでにハリポタで示されていたことが、なかなかに感慨深い。

No.1505 7点 キャンティとコカコーラ- シャルル・エクスブライヤ 2025/11/27 10:28
さて評者タルキニーニ邦訳三冊をやってしまって、エクスブライヤの翻訳コンプになってしまった。
本書がタルキニーニ第三作。第一作の「チューインガムとスパゲッティ」でボストンからヴェローナを訪問したお堅いサイラス・A・ウィリアム・リーコックがタルキニーニに感化されてしまい、タルキニーニの娘ジュリエッタと結婚した。ジュリエッタをボストンに連れ帰ったものの、なかなかヴェローナに戻ってこないのに業を煮やしたタルキニーニがボストンの娘に逢いに行く...そんな設定で、今回の舞台はピューリタニズムが色濃いボストン上流階級!

もちろんタルキニーニはお堅いボストンの人々の困惑のタネになり、ボストンで遭遇した冤罪事件で警察当局とは対立。婿のサイラスもタルキニーニを持て余し、ジュリエッタもそんな父を迷惑に思っているようだ....でもタルキニーニはメゲない。いやタルキニーニのいいところで、超絶にポジティヴなところなんだよ。読んでいて爆笑しながら元気が出るんだ。そんなポジティヴさでボストンでも意外な味方が続々と湧いてくる。爆笑モノの展開が続く中、殺人事件が続き、その中でタルキニーニが名指す真犯人は?

で実は結構細かいミスディレクションがあって、そういうあたりも面白い。文庫200ページくらいの短い話だから、それほど徹底してはいないのだが、それでも人間関係の綾がいろいろと仕込んである。「愛こそすべて」なタルキニーニは絶対に勝つ。人間とは愛、愛とは人間の情念と人間関係そのものなのだから(苦笑)

振り返るとエクスブライヤって、イモジェーヌもそうだけど、シリーズが進行していくにつれてキャラがこなれてきて、尻上がりに作品が良くなる傾向があるように感じる。タルキニーニもそう。多作家なんだからもっと翻訳すればいいのに。お笑い好きな評者はエクスブライヤを「お気に入り作家」に入れたい。

No.1504 9点 夜の旅その他の旅- チャールズ・ボーモント 2025/11/26 16:35
さて早川「異色作家短篇集」の本書ではアンソロの1+3冊を残すだけになった。ボーモントは未読なんだけども、評判のあまりの良さに最後にとっておいたんだよ。で皆さんのおっしゃる通り素晴らしい。大好き。

何というのかな、「典雅」というのが適切か。ブラッドベリの弟子みたいな存在だそうだが、SF度は低い。まあSFといえばタイムパラドックスを扱った「お父さん、なつかしいお父さん」は誰もが艶笑ギャグとして知ってるオチを使いながらも、主人公の変人キャラ設定が上手なあたり。タイムマシンならぬスペースマシンとアメリカ美学党政権の話を扱った「かりそめの客」はSFとしてはヘンに中途半端でそれ以上にアーチストがアメリカの大統領府を乗っ取った政権の方が印象的。要するにオチの人ではないんだ。それ以上に世界の奇妙な実相に讃嘆の目を見開く幼子のような感性がとにかく印象的。そこらへんが確かにブラッドベリに共通するのかな。

とはいえヘミングウェイ的に闘牛を扱った「黄色い金管楽器の調べ」は罠に向かって堂々と歩む主人公の姿が印象的だし、引退間際の自動車レーサーの勝負を描いた「人里離れた死」もヘミングウェイ好みの題材。こういうのはオチも仕掛けもないがそれがいい。こういうので勝負できる作家なんだ。この路線の頂点は「鹿狩り」。映画「ディア・ハンター」を英語の洒落で「優しさの狩人」と評していたのを思い出すような出来。まさに「鹿は一発でしとめなければならない」話。ボーモントってこういった名セリフがないあたりが特徴なのかな。

とはいえオチのある話もあって、アメリカらしい悪魔崇拝ホラーの「越してきた夫婦」がある一方、白人住宅地に引っ越した黒人夫妻が迫害に怯える「隣人たち」、修道院に囚われた男の真実がオチになる「叫ぶ男」、あるいはスポーツクラブの会員が連続自殺する「引き金」ならミステリとしての結構を備えているわけで、そういう話もしっかり描ける。しかしそれ以上に新婚旅行専用の客船の最後の航海を描いた「淑女のための唄」が、泣ける。ブラッドベリを上品にしたファンタジーテイストの話。いいな、こういうの。

だから結構泣ける話が多いんだ。老境に入った旅の手品師の失意を描いた「魔術師」もそう。抑えた筆致で情感がダダ漏れする。そして表題作にもなる「夜の旅」。27歳クラブという有名な表現があるわけだけど、なぜか優秀なミュージシャンが不幸であること、どうしようもない変人が多いことの話。スタンダード曲が多数登場する。

いや最後に持ってきてよかった。好み。

一応本書で早川異色作家短編集はアンソロを残すだけ。ここでお気に入りベスト5してもいいかな(順不同)。「くじ」シャーリー・ジャクソン、「レベル3」フィニイ、「一角獣・多角獣」スタージョン、「壁抜け男」エイメ、「夜の旅その他の旅」ボーモント。たぶんこのシリーズのお気に入りは選ぶ人の個性が出まくりになるんじゃなのかな。評者意外にもファンタジー寄りの結果でびっくりしている(苦笑)

No.1503 6点 ハンサムな狙撃兵- シャルル・エクスブライヤ 2025/11/24 11:20
タルキニーニ警部ってなかなかに名探偵だよ。いやドーヴァー警部系の迷探偵かもしれないが。モルグで被害者の死体と熱く会話を交わしたりする、「愛の警部」w キャラ立ち抜群というべきだ。

今回の被害者はトリノ警察のアレッサンドロ・ツァンポール刑事。前作のリーコックくん同様の堅物。だけど妻に裏切られて死別し女性を恨んでいる!被害者は「ハンサムな狙撃兵」ニーノ。言わずと知れたプレイボーイで女泣かせ。だから愛の警部タルキーニはこのツァンポールくんの行く末も気にかけてキューピッドに!いやいやこれが本作の脇筋で、お節介なタルキーニvs女嫌いツァンポールの対決の結末は...そりゃ「愛が勝つ」!

凶器の謎とか犯人の策略とか小味な仕掛けも目立たない程度にあるよ。何より陽気なエンタメとして単純に楽しい。「この世は素晴らしく、人々は善意に溢れ、人生は生きるに値するものに思えてくる」偉大な名探偵!

覚えておくんだ、アレッサンドロ。戦の勝ち負け、何千もの死者の話など、すぐに忘れられてしまう。ところが、うまい料理の秘密はどんな困難も乗り越え、人間の愚かさなど知らぬげに世代を越えて受け継がれていく。

まさに人の世の真理である。ナイス。

No.1502 7点 夜の終り- フランソワ・モーリアック 2025/11/23 19:40
先日「メグレ最後の事件」を書評した際に、どうにも本書を連想したのでやることにした。20世紀フランス文学最凶の萌えキャラ、テレーズ・デスケールーのその後を扱った小説である。

「メグレ最後の事件」では家庭の中で孤立するナタリーがメグレの捜査を待つかのように、そしてメグレの捜査が「救い」であるかのような姿が描かれたわけである。意外に女性主人公が少ないシムノンだけど、「ベティ」あたりに近い作品なんだよね。でこのような「運命を待ち受ける女性」の原型みたいに評者が感じるのが本作。
前作「テレーズ・デスケールー」から15年後。夫を毒殺しようとしたテレーズは、家の体面を守るために家族全てが口裏を合わせて、テレーズにかかった夫の殺人未遂の容疑の不起訴を勝ち取る。テレーズはカトリックの教義から離婚はされずに、軟禁生活を送ることになる。ほとぼりが冷めた頃、テレーズは夫から解放されてパリで一人生活を送ることになる...が前作まで。本書では初老に入ったテレーズは心臓の持病を抱えつつ、パリで女中のアンナだけを頼りに孤独に生活していた。そこに娘のマリが突然訪れる。家族はテレーズの犯罪をキツく口止めしていたために、マリはテレーズの罪を不倫と誤解していたのだ。マリもやはり恋人ジョルジュとの恋に悩み、ジョルジュを追ってパリに出奔してきてテレーズを頼ったのだ。テレーズの事件はやはり二人の結婚の障害にもなっており、マリは真相を知りたい、不幸な母を救いたいという思いからテレーズを訪れたのだ...しかし、ジョルジュはテレーズの「すべての調子を狂わせる天分」からテレーズに惚れ込みマリとの婚約が危機に陥る...母を恨むマリとの決着は?

という愛憎が渦巻くドロドロの小説。それでもやはりテレーズの独特の魔女的キャラクターが独自。体の弱ったテレーズは妄想にも囚われる一方、鋭い洞察を示すこともあり、命が終わりかけている「罪の女性」の救いは?というカトリック小説としての狙いがある。

シムノンでも「べべ・ドンジュの真相」がシムノン流解釈の「テレーズ・デスケールー」だったりするわけだ。実は純文学カトリック作家のモーリアックの方が異教っぽい心理主義ドロドロで、シムノンの方に宗教的清澄さが漂っているとか、なかなか一筋縄ではいかない。「メグレ最後の事件」の末尾は

彼女は勧められもしないのに、判事の前に坐った。とてもくつろいでいるようにみえた。

とあたかも神の前での裁きに臨むかのような描写なんだ。「夜の終り」では

「何もしないの。ただ時間が鳴るのを聞いているんですわ。命が終るのを待っているのですよ…(中略)そうですよ、ジョルジュ、命の終り、夜の終りをね」

No.1501 7点 最後の一壜- スタンリイ・エリン 2025/11/22 20:46
考えてみれば「特別料理」「九時から五時までの男」の短編集は両方ともおおまかに50年代に書かれた短編を集めた短編集になるわけだが、本書は「年一作主義」になってからの短編集だから、1963年から1978年までの15年間に書かれた短編が収録されている。本書以降には5本の短編があるが、雑誌「EQ」での紹介だけで書籍未収録作が多い。

だから作風も変化してきているな。エリンというといわゆる「異色作家」の中では異議なく「ミステリ作家」と言える人のわけで、正面から犯罪事件を扱っていることが多いわけだけども、「真相の解明」とはちょっと違うあたりでのオチがついている作品が多くなってもきている。そして短い作品が増えていく。最初の「エゼキエル・コーエンの犯罪」はナチ占領下のローマのユダヤ人ゲットーで、裏切り者の名を着せられて死んだ人物の死の真相を、冤罪をかけられて静養中の刑事が解明する中編。デテールの丁寧なエリンらしいミステリ。同様に「12番目の彫像」はイタリアでの映画撮影をめぐって悪名高いプロデューサーの失踪事件と死体の処理法の話。もうここらへんはしっかりしたミステリ短編で申し分なし。表題作「最後の一壜」となると、残っておらず名のみ高い伝説的な名作ワインの最後の一壜を購入した大金持ちによる「使い方」の話。これだと奇妙な味ミステリと呼ぶのがピッタリ。

「精算」は軍人の賭けをめぐる話でハードボイルドな雰囲気が出ているし、「警官アヴァディアンの不正」ともなるとかつて警官汚職をテーマにした「第八の地獄」を書いた人だよね、となるような...でもウィットのある意外な真相(苦笑)で好き。
最終2作は確かに殺人をめぐる話ではあるが、その周囲での人間模様にフォーカスが当たっている感覚。「内輪」は家族内部で疑われる「殺人」の効用みたいな皮肉な話。「不可解な理由」は...うん、最後に派手にぶっぱなしてます(苦笑)こういうオチを書くタイプじゃない気がしていたけど(笑)

というわけで、エリンと言えばまず「丁寧」。推敲を重ねたリーダビリティの高さは最初から最後まで一貫している。異色作家というよりも「異能作家」と呼ぶべきだと思っている。

No.1500 6点 メグレ最後の事件- ジョルジュ・シムノン 2025/11/19 18:36
評者の書評1500冊目の記念に何やろう?と思っていたんだが、メグレ物最終作の本作にした。評者は仕事を引退したら、河出のメグレ全冊を読んでやろうと引退数年前から目論んでいたんだ。これが本サイトに投稿する前からの夢みたいなものだった。本作でこれが叶った。自分的には大変めでたい。

本作はミステリというよりも男女関係についての小説というべきかな。ミステリというジャンル小説で本作が出てきたら「ちょっとな」という人は多いとも思うけど、読んでいる正直な感想は、孤独に放置されていてアルコールに溺れる女性ナタリーを描いた肖像として、たとえばモーリアックの「夜の終り」に近い印象。「テレーズ・デスケールー」の後日譚ね。夫の遺体が家に戻ってきて、葬儀の準備をしているさなかに、ナタリーはメグレと同行する。ナタリーは棺を見つめて、

「あの人はこのなかにいるの?」「ええ。明日埋葬します。」「わたしのほうは、今日ね...」

そしてメグレ物としてのグラン・フィナーレはこの一文。

彼女は勧められもしないのに、判事の前に坐った。とてもくつろいでいるようにみえた。

まあだからシムノンのカトリック作家としての素地が強く現れた小説だと思うんだ。ミステリとしては芳しい出来ではないけども、ほのかに宗教性を感じさせる小説というのが、やはりシムノンらしい。家庭の中で孤立するナタリーの唯一の味方である女中のクレールが、当初メグレを敵視しているのが、徐々にメグレと和解していくのが小説としての良さでもある。

本作は書評でケナされたことにシムノンが怒ってメグレシリーズを打ち切った、という話が有名だから「ダメな作品?」と思いがちだけど、そんなこともないよ。ただし、ミステリファンが求める方向性とは全然別方向。「こういう方向は歓迎されてないな」とシムノンが察知してメグレを打ち切ったんだと思うよ。

評者的メグレ物のベストテンくらいはやっておこうか。

1.第1号水門、2.メグレのバカンス、3.メグレと若い女の死、4.サン・フォリアン寺院の首吊り人、5.メグレと殺人者たち、6.メグレ罠を張る、7.モンマルトルのメグレ、8.メグレ夫人のいない夜、9.三文酒場、10.メグレと奇妙な女中の謎
それに続くのが、メグレの初捜査、メグレと幽霊、メグレと殺された容疑者、くらいかなあ。

現在メグレ物未読は「メグレと死んだセシール」「メグレと判事の家の死体」の2長編だがEQ掲載だけで未単行本化。短編は「メグレと消えたミニアチュア」「メグレと消えたオーエン氏」「メグレとグラン・カフェの常連」「メグレとパリの通り魔」「死の脅迫状」と5本あるか。ギャレ氏ももうすぐ新訳が出るわけで、そうしてみればEQ掲載で終わっている長編の翻訳も待っていればあるのかなあ。

No.1499 6点 チューインガムとスパゲッティ- シャルル・エクスブライヤ 2025/11/19 01:04
さて初タルキニーニ。だから最初から読んでいこう。これが第1作。ロミオとジュリエットの街ヴェローナ。この街で警察幹部を勤めるタルキニーニ警視がシリーズの主人公だが、本作の主人公というか狂言回しはアメリカはボストンから視察に来たサイラス・A・ウィリアム・リーコック。長々とした名前から分かるようにボストンの名家の生まれで...厳格なピューリタン気質!いいかげんなイタリア人気質が気に入らない。早くボストンに帰り婚約者のヴァレリーと結婚し妻の財産を基に議員へ...そんな夢はすぐに雲散霧消。だってエクスブライヤだから(苦笑)

タルキニーニ警視の名前はロメオ、そしてその妻の名はジュリエッタ。ヴェローナの街はロミオとジュリエットだらけ。「犯罪の動機はほとんどいつも恋です。生ける者は愛し、愛され、かなわぬ恋に身を焦がす。とりわけこの地ではそうです。だってここはヴェローナだから」。これがタルキニーニの探偵術!リーコックはこのいい加減で酒飲みで愛妻家のタルキニーニに反発しつつも、川べりで見つかった男の死体を巡る捜査の中で、その人間観とイタリアの風土に惹かれていく....ついには強盗被害に遭いそうになった女性を助けたら一目ぼれ!すっかりダラしなくなったリーコックを追って婚約者がその父とヴェローナに来襲!殺人事件は思わず次々と死の連鎖を生みだすが、陽気な人々とリーコックの恋の行方は?

エクスブライヤってキャラ作りは上手だよ。マンガ的だけどもね。タルキニーニはズボラに見えてなかなか懐深く有能。ナイス名探偵だ。リーコックがどんどんハッチャケていくのがナイスで、笑える。要するに「日曜日はダメよ」というか、「死体をどうぞ」でもファシストの警部がすっかり村に馴染んだりするのを思い出す。こういうダラけ方がエクスブライヤ。で追いかけて来た婚約者のオヤジがこれまたイイ親父。これもエクスブライヤw

いやちゃんとタルキニーニ、推理もするよ。普通にリアルな謎解き。そこらへんはしっかりしている。

No.1498 7点 ジャッカルの日- フレデリック・フォーサイス 2025/11/17 22:05
さて人気作。70年代の大ベストセラーで、角川書店のミステリの大ヒット作でもある。懐かしい。

内容は周知のとおり。ドゴール暗殺を請け負った暗殺者ジャッカルとそれを追うルベル警視の対決。何となく実話みたいに感じさせるのだが、実は完全なフィクションのようである。何件かあったドゴール暗殺計画にヒントを得て創作したものと捉えるべきだろう。考えてみれば、本作が「新しかった」のは、そういう現実の事件との「虚実の被膜」にある内容と、そう思わせるほどのジャーナリスティックな筆致(ともちろん取材力)なのだろう。言い換えると本作って文章が小説家の文章というよりもジャーナリストの文章なんだよね。

ハードボイルドはもちろん小説家の文章である。ジャーナリストとどう違うのか、といえば「抑制感」とでもいうのかな。さらに言えばカメラアイに徹さない部分。だから純粋にジャーナリスティックな筆致で押し通されると、これが文学性とは別次元の感覚で新鮮に感じた、という側面があろう。この時期にはもうすでに日本でも「サラリーマンがミステリを読む」ことが清張で一般化したわけだし、海外情勢をエンタメで楽しんで知るというミステリ消費が登場した時期だとみるべきだろう。そういう流れにフォーサイスは乗っている。

「情報小説」というエンタメのあり方を示した作品であろう。本作のあと、フォーサイスはナチ残党、傭兵部隊からイラク戦争など、現実の事件に取材した「虚実皮膜」な国際謀略小説を書いてそのジャンルの元祖となったわけである。今年6月に死去されたんだなあ...合掌。

No.1497 6点 ピーター卿の遺体検分記- ドロシー・L・セイヤーズ 2025/11/15 20:25
要するにピーター卿短編というのは既訳すべてで21篇(未訳1篇)になるわけだ。創元の2冊の事件簿では14篇をカバーできて、残りが7。そのうち4篇を本書がカバーできる。残りは創元「大忙しの蜜月旅行」に併録された「トールボーイズ余話」と「モンタギュー・エッグ氏の事件簿」収録の「アリババの呪文」、それに新潮文庫「クリスマス12のミステリー」に収録された「真珠の首飾り」ということになる。なのでついでと言っては何だが、本書をやればとりあえずピーター卿短編のあらかたを読めたことになる(「蜜月旅行」は既にやってるし)。

そういう意味で中途半端な出版である。本来収録されているはずの「アリババの呪文」が収録されなかったことで、本としての意味を薄くしてもいる。まあそれでも収録作が面白いから、いいか。本書からピーター卿短編に親しんだとしても、悪いわけではないよ。セイヤーズの小説の小洒落た良さがあるから、ミステリとして肩透かしでもそう腹は立たないからね。なので本書で読むべき非重複作は...

「口吻をめぐる興奮の奇譚」
駅で見かけたカップルの様子に違和を感じたピーター卿は...フランス語についての文法的な話がキー。まあ日本人にはキッツいが(苦笑)でもそんなちょっとした謎から大きな犯罪を予知するあたり、ヒーロー性の高いホームズ・ライバルらしさがあるよ。「九マイルは遠すぎる」とかに近いテイストかな。
「瓢箪から出た駒をめぐる途方もなき怪談」
暴走する2台のオートバイを追跡することになったピーター卿が見つけたモノは?なかなかアクティヴな話。
「逃げる足音が絡んだ恨み話」
事実上の密室殺人もの、というか凶器の行方かな。面白い趣向。
「竜頭に関する学術探求譚」
古書探求で「宝島」してしまう話。相棒は御年10歳の甥のガーキンス(「学寮祭」でも成長した姿が...)。でも公爵家の相続人である立場から10歳でもセント・ジョージ子爵!そんな少年が古書店で買ったボロボロのセバスチャン・ミュンスター「一般宇宙誌(コスモグラフィア・ウニヴァルサリス:1540年刊の近世ドイツの地理書)」に隠された宝物とは?なんて話。ピーター卿も童心に帰ってワクワク!読んでいてやたらと楽しい。

というわけで、残っていたのは短い作品だけど、大概既訳が雑誌に掲載されていたりもする。ピーター卿長編は1990年代まで訳されなかったものがあるけども、こう見てみると、雑誌レベルでは紹介されていたんだなあ。面白いからねえ。

で本書の特徴は結構訳にこだわったようで、創元事件簿では「因業じじいの遺言」なのが「メリエイガー伯父の遺書をめぐる魅惑の難題」だったりする要領。セイヤーズの凝りっぷりが窺われる。
(訳で?になったのはp.252の古書の「電子版」という言葉。1928年にコピー機があるわけがない。書誌学でいうファクシミリ版のことかな?面白いことに19世紀に既にいわゆるFAXは存在するから、これに引きずられたのかな)

No.1496 7点 顔のない男 ピーター卿の事件簿2- ドロシー・L・セイヤーズ 2025/11/15 12:07
創元の2冊目のピーター卿事件簿。どうしても1冊目と比較したら二線級にはなるか。やはり長めの「顔のない男」が秀逸。雰囲気が「死体をどうぞ」や「五匹の赤い鰊」に近くて、「議論小説」という体裁になっている。ピーター卿の「画家の本質」を巡る推測が正しいかどうかにはやや疑問が付されるのだが、議論にはなかなか納得ができる。解釈はあくまでも解釈しかないわけで、このテーマは実事件の評論である「ジュリア・ウォレス殺し」にも通じる。いや「死体をどうぞ」だって、「被害者をハメたロマノフ朝復辟運動というのも、実はひょうたんから出た駒だったのでは?」という疑問を提示して終わるわけで、一種のリドルストーリーなんだよね。

でまあ全体的にピーター卿のヒーロー的な活躍が目立つ短めの短編が続く。中では偽ピーター卿二人とワイン談義をする「趣味の問題」が楽しい。「証拠に歯向かって」はなかなか興味深いトリックを提示するけども、こういうタイプのトリックは本格マニアに好かれないんだよね。評者は松本清張っぽいと感じるのだが。

で問題は実際に起きた殺人事件「ジュリア・ウォレス殺し」のエッセイである。この事件は夫が妻を殺した容疑で裁判にかけられて、状況証拠だけを根拠に裁判官の指示を無視して陪審からは有罪の評決。その後控訴審で無罪となるという異例の展開を遂げる。「妻を殺したのならば、夫が犯人に決まってる」という社会の偏見も経験則であることからも根深い。夫の行動の一つ一つを詳しく見れば辻褄が合わないところもあるが、それは「ある人物がなぜそのようなことをしたかについて、誰もが完全に納得できる説明というのは、探偵小説の中にしか存在しないのかもしれない」。
思うのだが、セイヤーズくらいヴァン・ダインが提示した問題について真剣に取り組んだ作家はいないのだろう。最初の2長編で示した「手がかり無視・心理的証拠がすべて」という過激な主張に対する穏当な反論と読むべきなのだとも感じるのだ。ヴァン・ダインの「心理学的探偵論」はともすれば偏見の専横でしかないわけだから、手がかりによる推理はその偽造問題を考慮しつつも無視できないものである。しかし手がかりは決定的とは限らず幾重にもなる「解釈」を許すものであり、その「解釈」の正当性の根拠を求めることはなかなか難しい。一つの手がかりにいくつもの解釈が並立するわけであり、そのような「解釈の物語」として後期のピーター卿物語は形成されていく。

そして最後に「探偵小説論」を収録。これは乱歩が「これまで発表された諸家の史的評論の中でも、その理解と教養に於て最上の論文」と評価したものである。実際、この論文で指摘されている「一般大衆の共感が法と秩序の側にあること」や「デテールに執着するアングロサクソン的性格」がミステリの前提になっていることは、乱歩とその周辺が探偵小説擁護のために何度も繰り返し述べていることである。ヘイクラフトが「ポオのミステリ」としてデュパン3作+「黄金虫」「お前が犯人だ」に制限したことの発端が本論文にあるのかなとも思える。しかし、ホームズ探偵譚を「煽情派」(要するにヒーロー性の高い小説)としているあたりの、評者の見解に近いが乱歩は無視した議論もある。
また探偵小説が「アリストテレスの『詩学』でいう発端、中間部、結末を完備しているのである。決定的な問題が一つ提示され、それが検討され、最後には解決する。(中略)制限はあるものの、二様押韻の八行詩のように洗練された完璧な形式を持っているのである」に始まる、実作者としての洞察は、感情を小説の主題とすることを避けて探偵小説が備えるべき「陽気なシニシズム」にまで至る。

まさにミステリ論として「完璧」と呼ぶべき内容である。

小説よりも「ジュリア・ウォレス殺し」「探偵小説論」のために加点。

No.1495 5点 義眼殺人事件- E・S・ガードナー 2025/11/13 21:49
ミステリ初心者が一番手に取りやすいぺリイ・メイスンかもよ。「殺人事件」って入っているだけで有難がる傾向がないわけじゃないからね(苦笑)まあそれは冗談としても、う~ん、もう一つかな。バーガー検事初登場作なのにね。

まあ最初の依頼、義眼男の懸念問題はご都合といえばそうだが、背景考えたらまあ許容範囲じゃない?被害者からの罠とか懸念していたに違いないのだから。
う~ん、の最大の理由はメイスンが仕込んだ大きな罠2つが、結構ミエミエなこと。読者からしたら意外性がないんだな。また正解へ至る推理も何か明白過ぎて、もう一人の該当者とか当然想定すべきなんだしね。なのでメイスンの戦術が豪快というよりも「作りが荒い」という印象。メイスンの裁判戦術のキモは「裁判に勝つ」じゃないんだよね。弁護士としてはアンフェアだと思う。

マクレーン姉弟がどう絡む?と思ってみるとつまらない使い方(まあこれが「消えた大金」になるのはともかくも、あまり引っ張られない)で、とくに姉バーサのキャラはなかなか良くてもったいない。ひょっとしてこの姉弟が別名義作のバーサ&ラムの原型とかあるのかな。またキーマンとなった嫁のキャラとかもっと掘ればいいのに。

というわけで順に読んできた中では一番不満が溜まった。

No.1494 8点 針の館- 仁科東子 2025/11/12 16:24
高木彬光「成吉思汗の秘密」の最終章で突如登場して名前の謎解きをやってのけた女性、仁科東子が書いた本である。いやこれ凄いよ。日本の精神病院で横行していた人権侵害と、措置入院の闇を暴く小説である。しかも著者は「成吉思汗の謎」を巡る考察を書いたことで、精神病であると家族から思われて精神病院に強制的に入院させられてしまう。その実体験がこの小説の背後にあるわけだ。

小説では豪邸を相続した身寄りのない青年雪下透のもとに、家計を見るという名目でその母の妹に当たる女性が邸に乗り込む。その義理の娘が主人公今日子。今日子はやや変人のきらいのある透と恋仲になるが、実は継母は透を排除して財産を奪おうという計画をもっていた。継母の企みにより透は精神病院に強制入院させられてしまう。事情を知った今日子は透救出のために、精神病を装って同じ病院に入ろうと....

社会から隔絶させられた精神病院の中は、人権無視が横行する闇の世界だった。この地獄の中で今日子は自身の状況を改善すると同時に、男子病棟に監禁されている透と連絡を取り付けようといろいろと努力していく。今日子自身も電気ショックの脅威に怯えつつ、閉鎖病棟の連帯感、開放病棟の監視下での「病気を受け入れたようにみせる演技」など、この精神病院でのサバイバルを詳細に描く。

評者が学生の頃に宇都宮病院事件という大事件があって、精神病院での「治療」が医療の名に値しない儲け主義の実態が暴かれたことがあった。そして前から噂されたように、邪魔な家族を精神病院と結託して「入院」させて排除する、悪夢のような陰謀や、治っても行き場がなくなった人をズルズル入院させる社会的入院など、人権蹂躙を指摘されたらその通りの実態があったのは事実である。ために1987年に精神保健法が改正されて、人権侵害に対する監視措置が法で定められることにもなったわけだ。

本書の時代はその前の、精神医療が「闇」としか言いようのない人権蹂躙の時代である。その告発となった本書はもちろん「社会派」であり、サスペンスの導き方などなかなか巧妙、かつ恋愛小説としても印象的である。まあだから本サイトで扱う価値もあるというものだ。

精神病院に不当に入院させられた時には、「自分が病気だ」を受け入れたフリをしてとにかく状況を改善することが第一だ、という逆説が、本当の悲惨でもある。運よく脱出しても、当時は「精神病院帰り」のレッテルを貼られるというとんでもないスティグマになっていたのが、作中で描かれる。結ばれた透と今日子は、同じ地獄からの生還者同志として、レッテルに負けずに愛をさらに確かめあう....

単純にエンタメとして読んでも上等な作品。序盤の豪邸の妖気みたいなものがよく描けてもいて、本当に「不穏さ」が立ちのぼる。そこから一気に地獄めぐりに突入する。実体験に裏付けられて迫力満点のホラーでもある。しかし今では出版自体が「差別的」とか言われることにもなりそうで、かなり貴重な本。
(島尾敏雄の病妻ものが電気ショックを描いていたなあ...)

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クリスティ再読さん
ひとこと
大人になってからは、母に「あんたの買ってくる本は難しくて..」となかなか一緒に楽しめる本がなかったのですが、クリスティだけは例外でした。その母も先年亡くなりました。

母の記憶のために...

...
好きな作家
クリスティ、チャンドラー、J=P.マンシェット、ライオネル・デヴィッドスン、小栗虫...
採点傾向
平均点: 6.39点   採点数: 1513件
採点の多い作家(TOP10)
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