皆さんから寄せられた5万件以上の書評をランキング形式で表示しています。ネタバレは禁止
していません。ご注意を!
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クリスティ再読さん |
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| 平均点: 6.39点 | 書評数: 1501件 |
| No.1501 | 7点 | 最後の一壜- スタンリイ・エリン | 2025/11/22 20:46 |
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| 考えてみれば「特別料理」「九時から五時までの男」の短編集は両方ともおおまかに50年代に書かれた短編を集めた短編集になるわけだが、本書は「年一作主義」になってからの短編集だから、1963年から1978年までの15年間に書かれた短編が収録されている。本書以降には5本の短編があるが、雑誌「EQ」での紹介だけで書籍未収録作が多い。
だから作風も変化してきているな。エリンというといわゆる「異色作家」の中では異議なく「ミステリ作家」と言える人のわけで、正面から犯罪事件を扱っていることが多いわけだけども、「真相の解明」とはちょっと違うあたりでのオチがついている作品が多くなってもきている。そして短い作品が増えていく。最初の「エゼキエル・コーエンの犯罪」はナチ占領下のローマのユダヤ人ゲットーで、裏切り者の名を着せられて死んだ人物の死の真相を、冤罪をかけられて静養中の刑事が解明する中編。デテールの丁寧なエリンらしいミステリ。同様に「12番目の彫像」はイタリアでの映画撮影をめぐって悪名高いプロデューサーの失踪事件と死体の処理法の話。もうここらへんはしっかりしたミステリ短編で申し分なし。表題作「最後の一壜」となると、残っておらず名のみ高い伝説的な名作ワインの最後の一壜を購入した大金持ちによる「使い方」の話。これだと奇妙な味ミステリと呼ぶのがピッタリ。 「精算」は軍人の賭けをめぐる話でハードボイルドな雰囲気が出ているし、「警官アヴァディアンの不正」ともなるとかつて警官汚職をテーマにした「第八の地獄」を書いた人だよね、となるような...でもウィットのある意外な真相(苦笑)で好き。 最終2作は確かに殺人をめぐる話ではあるが、その周囲での人間模様にフォーカスが当たっている感覚。「内輪」は家族内部で疑われる「殺人」の効用みたいな皮肉な話。「不可解な理由」は...うん、最後に派手にぶっぱなしてます(苦笑)こういうオチを書くタイプじゃない気がしていたけど(笑) というわけで、エリンと言えばまず「丁寧」。推敲を重ねたリーダビリティの高さは最初から最後まで一貫している。異色作家というよりも「異能作家」と呼ぶべきだと思っている。 |
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| No.1500 | 6点 | メグレ最後の事件- ジョルジュ・シムノン | 2025/11/19 18:36 |
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| 評者の書評1500冊目の記念に何やろう?と思っていたんだが、メグレ物最終作の本作にした。評者は仕事を引退したら、河出のメグレ全冊を読んでやろうと引退数年前から考えていたんだ。これが本サイトに書いたりする前からの夢みたいなものだった。本作でこれが叶った。自分的には大変めでたい。
本作はミステリというよりも男女関係についての小説というべきかな。ミステリというジャンル小説で本作が出てきたら「ちょっとな」という人は多いとも思うけど、読んでいる正直な感想は、孤独に放置されていてアルコールに溺れる女性ナタリーを描いた肖像として、たとえばモーリアックの「夜の終り」に近い印象。「テレーズ・デスケールー」の後日譚ね。夫の遺体が家に戻ってきて、葬儀の準備をしているさなかに、ナタリーはメグレと同行する。ナタリーは棺を見つめて、 「あの人はこのなかにいるの?」「ええ。明日埋葬します。」「わたしのほうは、今日ね...」 そしてメグレ物としてのグラン・フィナーレはこの一文。 彼女は勧められもしないのに、判事の前に坐った。とてもくつろいでいるようにみえた。 まあだからシムノンのカトリック作家としての素地が強く現れた小説だと思うんだ。ミステリとしては芳しい出来ではないけども、ほのかに宗教性を感じさせる小説というのが、やはりシムノンらしい。家庭の中で孤立するナタリーの唯一の味方である女中のクレールが、当初メグレを敵視しているのが、徐々にメグレと和解していくのが小説としての良さでもある。 本作は書評でケナされたことにシムノンが怒ってメグレシリーズを打ち切った、という話が有名だから「ダメな作品?」と思いがちだけど、そんなこともないよ。ただし、ミステリファンが求める方向性とは全然別方向。「こういう方向は歓迎されてないな」とシムノンが察知してメグレを打ち切ったんだと思うよ。 評者的メグレ物のベストテンくらいはやっておこうか。 1.第1号水門、2.メグレのバカンス、3.メグレと若い女の死、4.サン・フォリアン寺院の首吊り人、5.メグレと殺人者たち、6.メグレ罠を張る、7.モンマルトルのメグレ、8.メグレ夫人のいない夜、9.三文酒場、10.メグレと奇妙な女中の謎 それに続くのが、メグレの初捜査、メグレと幽霊、メグレと殺された容疑者、くらいかなあ。 現在メグレ物未読は「メグレと死んだセシール」「メグレと判事の家の死体」の2長編だがEQ連載だけで未単行本化。短編は「メグレと消えたミニアチュア」「メグレと消えたオーエン氏」「メグレとグラン・カフェの常連」「メグレとパリの通り魔」「死の脅迫状」と5本あるか。ギャレ氏ももうすぐ新訳が出るわけで、そうしてみればEQ連載で終わっている長編の翻訳も待っていればあるのかなあ。 |
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| No.1499 | 6点 | チューインガムとスパゲッティ- シャルル・エクスブライヤ | 2025/11/19 01:04 |
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| さて初タルキニーニ。だから最初から読んでいこう。これが第1作。ロミオとジュリエットの街ヴェローナ。この街で警察幹部を勤めるタルキニーニ警視がシリーズの主人公だが、本作の主人公というか狂言回しはアメリカはボストンから視察に来たサイラス・A・ウィリアム・リーコック。長々とした名前から分かるようにボストンの名家の生まれで...厳格なピューリタン気質!いいかげんなイタリア人気質が気に入らない。早くボストンに帰り婚約者のヴァレリーと結婚し妻の財産を基に議員へ...そんな夢はすぐに雲散霧消。だってエクスブライヤだから(苦笑)
タルキニーニ警視の名前はロメオ、そしてその妻の名はジュリエッタ。ヴェローナの街はロミオとジュリエットだらけ。「犯罪の動機はほとんどいつも恋です。生ける者は愛し、愛され、かなわぬ恋に身を焦がす。とりわけこの地ではそうです。だってここはヴェローナだから」。これがタルキニーニの探偵術!リーコックはこのいい加減で酒飲みで愛妻家のタルキニーニに反発しつつも、川べりで見つかった男の死体を巡る捜査の中で、その人間観とイタリアの風土の惹かれていく....ついには強盗被害に遭いそうになった女性を助けたら一目ぼれ!すっかりダラしなくなったリーコックを追って婚約者がその父とヴェローナに来襲!殺人事件は思わず次々と死の連鎖を生みだすが、陽気な人々とリーコックの恋の行方は? エクスブライヤってキャラ作りは上手だよ。マンガ的だけどもね。タルキニーニはズボラに見えてなかなか懐深く有能。ナイス名探偵だ。リーコックがどんどんハッチャケていくのがナイスで、笑える。要するに「日曜日はダメよ」というか、「死体をどうぞ」でもファシストの警部がすっかり村に馴染んだりするのを思い出す。こういうダラけ方がエクスブライヤ。で追いかけて来た婚約者のオヤジがこれまたイイ親父。これもエクスブライヤw いやちゃんとタルキニーニ、推理もするよ。普通にリアルな謎解き。そこらへんはしっかりしている。 |
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| No.1498 | 7点 | ジャッカルの日- フレデリック・フォーサイス | 2025/11/17 22:05 |
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| さて人気作。70年代の大ベストセラーで、角川書店のミステリの大ヒット作でもある。懐かしい。
内容は周知のとおり。ドゴール暗殺を請け負った暗殺者ジャッカルとそれを追うルベル警視の対決。何となく実話みたいに感じさせるのだが、実は完全なフィクションのようである。何件かあったドゴール暗殺計画にヒントを得て創作したものと捉えるべきだろう。考えてみれば、本作が「新しかった」のは、そういう現実の事件との「虚実の被膜」にある内容と、そう思わせるほどのジャーナリスティックな筆致(ともちろん取材力)なのだろう。言い換えると本作って文章が小説家の文章というよりもジャーナリストの文章なんだよね。 ハードボイルドはもちろん小説家の文章である。ジャーナリストとどう違うのか、といえば「抑制感」とでもいうのかな。さらに言えばカメラアイに徹さない部分。だから純粋にジャーナリスティックな筆致で押し通されると、これが文学性とは別次元の感覚で新鮮に感じた、という側面があろう。この時期にはもうすでに日本でも「サラリーマンがミステリを読む」ことが清張で一般化したわけだし、海外情勢をエンタメで楽しんで知るというミステリ消費が登場した時期だとみるべきだろう。そういう流れにフォーサイスは乗っている。 「情報小説」というエンタメのあり方を示した作品であろう。本作のあと、フォーサイスはナチ残党、傭兵部隊からイラク戦争など、現実の事件に取材した「虚実皮膜」な国際謀略小説を書いてそのジャンルの元祖となったわけである。今年6月に死去されたんだなあ...合掌。 |
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| No.1497 | 6点 | ピーター卿の遺体検分記- ドロシー・L・セイヤーズ | 2025/11/15 20:25 |
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| 要するにピーター卿短編というのは既訳すべてで21篇(未訳1篇)になるわけだ。創元の2冊の事件簿では14篇をカバーできて、残りが7。そのうち4篇を本書がカバーできる。残りは創元「大忙しの蜜月旅行」に併録された「トールボーイズ余話」と「モンタギュー・エッグ氏の事件簿」収録の「アリババの呪文」、それに新潮文庫「クリスマス12のミステリー」に収録された「真珠の首飾り」ということになる。なのでついでと言っては何だが、本書をやればとりあえずピーター卿短編のあらかたを読めたことになる(「蜜月旅行」は既にやってるし)。
そういう意味で中途半端な出版である。本来収録されているはずの「アリババの呪文」が収録されなかったことで、本としての意味を薄くしてもいる。まあそれでも収録作が面白いから、いいか。本書からピーター卿短編に親しんだとしても、悪いわけではないよ。セイヤーズの小説の小洒落た良さがあるから、ミステリとして肩透かしでもそう腹は立たないからね。なので本書で読むべき非重複作は... 「口吻をめぐる興奮の奇譚」 駅で見かけたカップルの様子に違和を感じたピーター卿は...フランス語についての文法的な話がキー。まあ日本人にはキッツいが(苦笑)でもそんなちょっとした謎から大きな犯罪を予知するあたり、ヒーロー性の高いホームズ・ライバルらしさがあるよ。「九マイルは遠すぎる」とかに近いテイストかな。 「瓢箪から出た駒をめぐる途方もなき怪談」 暴走する2台のオートバイを追跡することになったピーター卿が見つけたモノは?なかなかアクティヴな話。 「逃げる足音が絡んだ恨み話」 事実上の密室殺人もの、というか凶器の行方かな。面白い趣向。 「竜頭に関する学術探求譚」 古書探求で「宝島」してしまう話。相棒は御年10歳の甥のガーキンス(「学寮祭」でも成長した姿が...)。でも公爵家の相続人である立場から10歳でもセント・ジョージ子爵!そんな少年が古書店で買ったボロボロのセバスチャン・ミュンスター「一般宇宙誌(コスモグラフィア・ウニヴァルサリス:1540年刊の近世ドイツの地理書)」に隠された宝物とは?なんて話。ピーター卿も童心に帰ってワクワク!読んでいてやたらと楽しい。 というわけで、残っていたのは短い作品だけど、大概既訳が雑誌に掲載されていたりもする。ピーター卿長編は1990年代まで訳されなかったものがあるけども、こう見てみると、雑誌レベルでは紹介されていたんだなあ。面白いからねえ。 で本書の特徴は結構訳にこだわったようで、創元事件簿では「因業じじいの遺言」なのが「メリエイガー伯父の遺書をめぐる魅惑の難題」だったりする要領。セイヤーズの凝りっぷりが窺われる。 (訳で?になったのはp.252の古書の「電子版」という言葉。1928年にコピー機があるわけがない。書誌学でいうファクシミリ版のことかな?面白いことに19世紀に既にいわゆるFAXは存在するから、これに引きずられたのかな) |
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| No.1496 | 7点 | 顔のない男 ピーター卿の事件簿2- ドロシー・L・セイヤーズ | 2025/11/15 12:07 |
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| 創元の2冊目のピーター卿事件簿。どうしても1冊目と比較したら二線級にはなるか。やはり長めの「顔のない男」が秀逸。雰囲気が「死体をどうぞ」や「五匹の赤い鰊」に近くて、「議論小説」という体裁になっている。ピーター卿の「画家の本質」を巡る推測が正しいかどうかにはやや疑問が付されるのだが、議論にはなかなか納得ができる。解釈はあくまでも解釈しかないわけで、このテーマは実事件の評論である「ジュリア・ウォレス殺し」にも通じる。いや「死体をどうぞ」だって、「被害者をハメたロマノフ朝復辟運動というのも、実はひょうたんから出た駒だったのでは?」という疑問を提示して終わるわけで、一種のリドルストーリーなんだよね。
でまあ全体的にピーター卿のヒーロー的な活躍が目立つ短めの短編が続く。中では偽ピーター卿二人とワイン談義をする「趣味の問題」が楽しい。「証拠に歯向かって」はなかなか興味深いトリックを提示するけども、こういうタイプのトリックは本格マニアに好かれないんだよね。評者は松本清張っぽいと感じるのだが。 で問題は実際に起きた殺人事件「ジュリア・ウォレス殺し」のエッセイである。この事件は夫が妻を殺した容疑で裁判にかけられて、状況証拠だけを根拠に裁判官の指示を無視して陪審からは有罪の評決。その後控訴審で無罪となるという異例の展開を遂げる。「妻を殺したのならば、夫が犯人に決まってる」という社会の偏見も経験則であることからも根深い。夫の行動の一つ一つを詳しく見れば辻褄が合わないところもあるが、それは「ある人物がなぜそのようなことをしたかについて、誰もが完全に納得できる説明というのは、探偵小説の中にしか存在しないのかもしれない」。 思うのだが、セイヤーズくらいヴァン・ダインが提示した問題について真剣に取り組んだ作家はいないのだろう。最初の2長編で示した「手がかり無視・心理的証拠がすべて」という過激な主張に対する穏当な反論と読むべきなのだとも感じるのだ。ヴァン・ダインの「心理学的探偵論」はともすれば偏見の専横でしかないわけだから、手がかりによる推理はその偽造問題を考慮しつつも無視できないものである。しかし手がかりは決定的とは限らず幾重にもなる「解釈」を許すものであり、その「解釈」の正当性の根拠を求めることはなかなか難しい。一つの手がかりにいくつもの解釈が並立するわけであり、そのような「解釈の物語」として後期のピーター卿物語は形成されていく。 そして最後に「探偵小説論」を収録。これは乱歩が「これまで発表された諸家の史的評論の中でも、その理解と教養に於て最上の論文」と評価したものである。実際、この論文で指摘されている「一般大衆の共感が法と秩序の側にあること」や「デテールに執着するアングロサクソン的性格」がミステリの前提になっていることは、乱歩とその周辺が探偵小説擁護のために何度も繰り返し述べていることである。ヘイクラフトが「ポオのミステリ」としてデュパン3作+「黄金虫」「お前が犯人だ」に制限したことの発端が本論文にあるのかなとも思える。しかし、ホームズ探偵譚を「煽情派」(要するにヒーロー性の高い小説)としているあたりの、評者の見解に近いが乱歩は無視した議論もある。 また探偵小説が「アリストテレスの『詩学』でいう発端、中間部、結末を完備しているのである。決定的な問題が一つ提示され、それが検討され、最後には解決する。(中略)制限はあるものの、二様押韻の八行詩のように洗練された完璧な形式を持っているのである」に始まる、実作者としての洞察は、感情を小説の主題とすることを避けて探偵小説が備えるべき「陽気なシニシズム」にまで至る。 まさにミステリ論として「完璧」と呼ぶべき内容である。 小説よりも「ジュリア・ウォレス殺し」「探偵小説論」のために加点。 |
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| No.1495 | 5点 | 義眼殺人事件- E・S・ガードナー | 2025/11/13 21:49 |
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| ミステリ初心者が一番手に取りやすいぺリイ・メイスンかもよ。「殺人事件」って入っているだけで有難がる傾向がないわけじゃないからね(苦笑)まあそれは冗談としても、う~ん、もう一つかな。バーガー検事初登場作なのにね。
まあ最初の依頼、義眼男の懸念問題はご都合といえばそうだが、背景考えたらまあ許容範囲じゃない?被害者からの罠とか懸念していたに違いないのだから。 う~ん、の最大の理由はメイスンが仕込んだ大きな罠2つが、結構ミエミエなこと。読者からしたら意外性がないんだな。また正解へ至る推理も何か明白過ぎて、もう一人の該当者とか当然想定すべきなんだしね。なのでメイスンの戦術が豪快というよりも「作りが荒い」という印象。メイスンの裁判戦術のキモは「裁判に勝つ」じゃないんだよね。弁護士としてはアンフェアだと思う。 マクレーン姉弟がどう絡む?と思ってみるとつまらない使い方(まあこれが「消えた大金」になるのはともかくも、あまり引っ張られない)で、とくに姉バーサのキャラはなかなか良くてもったいない。ひょっとしてこの姉弟が別名義作のバーサ&ラムの原型とかあるのかな。またキーマンとなった嫁のキャラとかもっと掘ればいいのに。 というわけで順に読んできた中では一番不満が溜まった。 |
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| No.1494 | 8点 | 針の館- 仁科東子 | 2025/11/12 16:24 |
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| 高木彬光「成吉思汗の秘密」の最終章で突如登場して名前の謎解きをやってのけた女性、仁科東子が書いた本である。いやこれ凄いよ。日本の精神病院で横行していた人権侵害と、措置入院の闇を暴く小説である。しかも著者は「成吉思汗の謎」を巡る考察を書いたことで、精神病であると家族から思われて精神病院に強制的に入院させられてしまう。その実体験がこの小説の背後にあるわけだ。
小説では豪邸を相続した身寄りのない青年雪下透のもとに、家計を見るという名目でその母の妹に当たる女性が邸に乗り込む。その義理の娘が主人公今日子。今日子はやや変人のきらいのある透と恋仲になるが、実は継母は透を排除して財産を奪おうという計画をもっていた。継母の企みにより透は精神病院に強制入院させられてしまう。事情を知った今日子は透救出のために、精神病を装って同じ病院に入ろうと.... 社会から隔絶させられた精神病院の中は、人権無視が横行する闇の世界だった。この地獄の中で今日子は自身の状況を改善すると同時に、男子病棟に監禁されている透と連絡を取り付けようといろいろと努力していく。今日子自身も電気ショックの脅威に怯えつつ、閉鎖病棟の連帯感、開放病棟の監視下での「病気を受け入れたようにみせる演技」など、この精神病院でのサバイバルを詳細に描く。 評者が学生の頃に宇都宮病院事件という大事件があって、精神病院での「治療」が医療の名に値しない儲け主義の実態が暴かれたことがあった。そして前から噂されたように、邪魔な家族を精神病院と結託して「入院」させて排除する、悪夢のような陰謀や、治っても行き場がなくなった人をズルズル入院させる社会的入院など、人権蹂躙を指摘されたらその通りの実態があったのは事実である。ために1987年に精神保健法が改正されて、人権侵害に対する監視措置が法で定められることにもなったわけだ。 本書の時代はその前の、精神医療が「闇」としか言いようのない人権蹂躙の時代である。その告発となった本書はもちろん「社会派」であり、サスペンスの導き方などなかなか巧妙、かつ恋愛小説としても印象的である。まあだから本サイトで扱う価値もあるというものだ。 精神病院に不当に入院させられた時には、「自分が病気だ」を受け入れたフリをしてとにかく状況を改善することが第一だ、という逆説が、本当の悲惨でもある。運よく脱出しても、当時は「精神病院帰り」のレッテルを貼られるというとんでもないスティグマになっていたのが、作中で描かれる。結ばれた透と今日子は、同じ地獄からの生還者同志として、レッテルに負けずに愛をさらに確かめあう.... 単純にエンタメとして読んでも上等な作品。序盤の豪邸の妖気みたいなものがよく描けてもいて、本当に「不穏さ」が立ちのぼる。そこから一気に地獄めぐりに突入する。実体験に裏付けられて迫力満点のホラーでもある。しかし今では出版自体が「差別的」とか言われることにもなりそうで、かなり貴重な本。 (島尾敏雄の病妻ものが電気ショックを描いていたなあ...) |
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| No.1493 | 6点 | 山窩奇談- 三角寛 | 2025/11/10 10:30 |
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| 文芸坐にはお世話になったよ。評者の頃は池袋にあった名画座の中の名画座だったなあ。この文芸坐の経営者が三角寛。戦前の朝日新聞の警察廻り記者で、説教強盗の事件で名をあげた。その際に「犯人はサンカでは?」という話を聞き込んで...で三角はこの「サンカ」の研究を始めた。そして戦前のオール読物などに一連の「サンカ小説」を書き始め、それがベストセラーに。戦後にはこのサンカ研究を引っ提げて東洋大学で博士号を取得した。
というわけで戦前の大衆小説に大きな影響を与えた作家なんだけども、最近はいろいろと研究が出ていて、ほぼこの三角のサンカはフィクションだという結論にはなっている。川辺でテント生活を営み、箕などの竹細工・川魚漁などで漂泊の屋外生活を営む人々。もちろん戸籍制度には把握されず、警察からは浮浪者として扱われ取り締まりの対象に...というあたりの話が、民俗学と伝奇小説の合い間でさまざまに屈曲して膨れ上がっていったわけだ。 だから三角のサンカ小説がさまざまな影響をミステリに与えてもいる。横溝正史が直接触れている小説もあるし、特殊な「サンカ語」を駆使する犯罪集団と捉えた場合には、伝奇小説のネタにも使われて、忍者のように扱われる。その中で特異な能力が設定されれば、そのまま風太郎忍法帖だ。なにげに漫画にもサンカの首領「乱裁道宗」が登場したりもするわけだよ。とはいえ特異な「サンカ語」を使う犯罪集団と見れば、日本のセリ・ノワール、日本のシモナンと見ることもできるかもしれないな。 というわけで、この本では三角自身が直接サンカから聞いた話や交流の中で見聞した話として、6編の短編を収録。自身の民俗学研究としてのサンカ研究を補強する意図で戦後に編まれた本だそうだ。明治期の警察の刑事がサンカの諜者を抱えて、手先として使ったりなどの捜査の模様が描かれりするのも興味深い。そんな諜者として警察に使われる国八老人の体験談もあれば、山犬の乳で育った「中仙道の犬(オバサン)」直吉は、犬並みと言われる嗅覚を駆使して、サンカ組織の「小手下」として、サンカの中の目付・捜査官として描かれて、サンカが容疑者となった事件の解決をしたりもする。広い意味での時代ミステリというべきだ。 あるいは護国寺の墓地に暮らす学識豊かな老学者のサンカやら、妙齢の尼さんと密通して子供を産ませる二枚目サンカやら、多彩な人物が登場する。いや水木しげるの世界かな(苦笑) というわけで、ミステリ周辺本としての価値はしっかりある。三角のサンカ研究は事実上フィクションだったわけだが、国家制度の外側・農耕社会の外側に生きる人々に託されたロマンとしての、心情のリアリティとこの世の外側への憧れが覗くのが面白い。 |
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| No.1492 | 6点 | ロニョン刑事とネズミ- ジョルジュ・シムノン | 2025/11/08 17:27 |
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| 1938年作品で、メグレ物の長編休止期(短編は書いているあたり)に書かれた外伝。いや評者もご贔屓のロニョン刑事のデビュー作だそうだ。まあ何というか、優秀なんだけども、運の悪い刑事。だから性格がヒネちゃったわけだが、本作ではまだそれほどヒネてない。ロニョン夫人もややエキセントリックだが「悪妻」というほどではない。このロニョンの「無愛想な刑事」という異名は本作の中心人物「ネズミ」が付けたものだそうだ。
でこの「ネズミ」はパリのルンペン。街で小遣い稼ぎをする浮浪者なんだが、ある夜、殺人直後の光景?に出くわして、そこで拾った財布の大金をせしめてやろうと画策する。担当刑事がロニョン。ネズミとロニョンの丁々発止が繰り広げられるが、次第に事件の被害者は大物経済人?という話に広がっていき.... だから「無愛想な刑事」ロニョンと陽気な浮浪者ネズミの対比が本書の軸のわけ。「自由を我等に」とかそういうノリだね。ここらへんメグレ物のシリアスとも対比になっていて、軽妙な面白さに繋がっている。ネズミを囮にしたリュカ警視の策略と、フランス警察の組織力を駆使した追跡劇に実録物っぽいスリルがある。もちろんロニョン君はいい手がかりをつかむものも、頭を殴られるわ、またもや司法警察への出世はうまくいかない(泣)。世の中そんなものさ。 重苦しくなった第一期メグレに対するアンチテーゼと、エンタメを意識した第二期長編の、試作品というものかな。さくっと軽めに書いたエンタメだ。 |
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| No.1491 | 5点 | 百億の昼と千億の夜- 光瀬龍 | 2025/11/07 18:47 |
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| 国産SFではレジェンドということになる。プラトンの後身のオリオナエ、シッタータ、阿修羅のトリオが宇宙の起源と目的を求めて、弥勒とその配下であるナザレのイエスや帝釈天と戦うSF。視覚効果の派手なことから「ワイドスクリーンバロックSF」と言われるのはそうだね。後で触れるが萩尾望都のコミカライズで70年代後半にメチャクチャ、流行った。
う~ん、なんだけどもね、評者本作のSFの風呂敷の広げ方が好きじゃないのかも。「宇宙の運命」とかそういうの、苦手だな。さらにプラトンとかシッタータが大宇宙でSF活劇しちゃうとなると、「幸福の科学」みたいなイヤな感じがしてしまう。苦手だ(まあ大川隆法がこういうのを真似たんだが)。それぞれがそれぞれに超越者に疑問を抱く導入編の方が興味を持って読めていたように感じる。 まあ中盤には超管理社会のディストピア物みたいな話もあるし、「神々の冷淡さ」というテーマは宗教染みていると言えばそう。シッタータが出家する際に武官が切り付けて「色身は敗壊す!」と問うのは禅の公案で、確かに人間は皆短い生を生きて必ず死ぬのに、なぜ永遠の真理なんぞに憧れるのか?という問いはそれこそ「不思議」。この小説ではそれをひとつの「罠」として捉えるアイデアのわけ。キリスト教と仏教と両方にケンカ売ってるという評には笑う。 で萩尾望都のマンガだけど、これって少年チャンピオンに連載されたんだよね。しっかり覚えてるよ。原作が晦渋になっているところをしっかりと分かりやすく踏み込んで説明していて、マンガの方がいいと思う。ナザレのイエスの扱いが原作では中途半端だけど、マンガではしっかりと敵役。それに引っ張られるようにユダがマンガではいい役回り。弥勒の目が開くあたり異様さが出ていていいなあ。日本のエンタメでの「キリスト教が悪役」の嚆矢かな。 マンガはね、もちろん阿修羅人気が爆発したわけだ。興福寺のオリジナルは今でもしっかり人気者だが、萩尾望都の少女阿修羅は独特の中性性が良かったなあ。 なんか原作の不完全燃焼感がマンガを読んで晴らされたような気持。 ちなみに週刊少年誌での女性マンガ家の連載としては「わが輩はノラ公」「さすらい麦子」に続く3つ目。4つ目が「うる星やつら」。 |
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| No.1490 | 7点 | AKIRA- 大友克洋 | 2025/11/03 23:28 |
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| さて国産サイバーパンクを語る上では絶対に外せない作品だから、懸案みたいに感じていた。すまぬ評者あまり大友克洋にハマってなかったんだ。映画は見たけどリアルタイムではそれほど関心がなかったなあ。ヤングマガジンに連載されていたから追ってなくても絵は見ていたりしたわけだけどもね。ニューエイジ色が強いのを何となく敬遠したんだな。
以前1)サイバースペース、2)パンク要素、3)ジャポニズム、のサイバーパンク3要素としてまとめたことがあるけど、本作ではサイバースペースは出ないし、日本が舞台とはいえ瓦礫ばっかりでジャポニズムは希薄。「パンクSF」と呼んだ方がいいんじゃないのかな。事実上、超能力バトル物だよ。金田を中心とするパンクスたちとケイたちゲリラが、大佐のグループとミヤコ教勢力、そしてもともと金田の仲間だが超能力を得たことで暴走する鉄雄が、ナンバーズと呼ばれる超能力者とアキラを巡って集団抗争する話である。 もちろん最大のウリは大友の繊細で緻密、でもスケール感のある作画術。話はキャラが次第に自分で動いていくのを待つ、というスタイル。だからプロットが緻密というわけではなくて、結構イキオイという印象。3巻末でアキラが解放されてネオ東京が滅亡し、アキラと鉄雄が組むことで話が前後に二分されたことにもなる。一旦話がリセットされている感覚。中盤に金田がそのままでは動かしづらくなったのかな? だから画力や廃墟イメージが一番のポイント。未来らしくない荒廃した未来像に新しさがあったわけだ。「バイオレンス・ジャック」とか「マッドマックス2」の世界。考えてみれば設定年代が2020年だから、もうAKIRAも過去になってしまったわけだ。 個人的にはミヤコさまの敢闘精神が好きだなあ(苦笑) |
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| No.1489 | 5点 | 殺人鬼登場- ナイオ・マーシュ | 2025/10/31 15:23 |
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| マーシュというととにもかくにも演劇界が主戦場。本作では探偵劇の劇中クライマックス、悪党を主人公が射殺する場面で実弾が銃から出てしまった!というキャッチーな事件。探偵役のアレイン警部も主演者の友人の新聞記者から誘われてこの公演を見物していた!最後の再現上演の中で、アレイン警部は真犯人を指摘する...
と聞くと面白そうなんだよね。たしかにプロットはいいんだよ。けど展開がもたもたしている感じが強い。キャラもまったく描かれない並び大名クラスが多数で、「ミスディレクションにもならない」のはその通り。確かに人の出入りを整理するとそういう推理は成立するのだろうけども、劇場の構造が読者にはよく理解できていないから、「あそう」で済んでしまう。というわけで、いろいろと残念な個所が多い作品だと思うよ。 あと、多分だけど演劇界特有の言い回しを翻訳がちゃんと伝えきれていない部分があると思う。「Break a leg!(脚を折れ!)」が「グッドラック」の意味でつかわれるオカシな業界でもあるわけだからねえ。 (空砲を撃つんだと火薬で汚れるから、裏でタイミングを合わせて空砲を撃つんだそうだ。なるほど) |
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| No.1488 | 6点 | 名探偵登場 5- アンソロジー(国内編集者) | 2025/10/31 15:07 |
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| さて早川版の「世界短編傑作集」である「名探偵登場」。第5巻は「すこし毛色の変わった人物を中心にえらんでみた」と解説にある。まあ第4巻で評者でも「カブリの多い巻」と言っちゃったくらいにオーソドックの度が過ぎた巻でもあったからね。今回の既読作はアーチャー登場の「女を探せ」だけ。秀作だからいいよ。
・A.バウチャー「パルミエリ伯のように」 SPレコードコレクターの妄執による犯罪。探偵役はアル中で退職した元刑事のニック・ノーブルで、なかなかキャラ良し。 ・チャータリス「神の矢」 ご存知「聖者」。砂浜で寝ていた男の上にビーチパラソルが刺さって死んだ!という一件。トリックは想定内だが、まあよくできている。 ・Q.パトリック「さよなら公演」 ギリシャ悲劇「メディア」をさよなら公演に選んだ女優の部屋に転がった死体。トラント警部は容疑者筆頭の女優にさよなら公演に出演するのを許す... ・C.ライス「うぶな心が張り裂ける」 ご存知マローンの初登場作だそうだ。マローンが弁護して審理のやり直しを勝ち取った青年が獄中で自殺。マローンは刑務所ソングが耳について離れない...「網走番外地」とか「練鑑ブルース」みたいなのがアチラにもあるんだね。これは雰囲気があって小説としての出来がいい。 ・C.ロースン「入れ墨の男と折れた脚」 グレート・マーリニ登場の推理パズル二編。 ・ロバート・アーサー「大金」 「謎の旅行者」というわけのわからないキャラが話し手みたいに振る舞う犯罪物語。ちょっと異色、というか「幽霊紳士」の元ネタなのかな? ・R.マクドナルド「女を探せ」 いわずとしれた秀作。中田耕治氏の訳が凝り過ぎかな。 ・F.ブラウン「スミス氏、顧客を守る」 甘目だけど監視型密室。「最後の一行もの」で全面解決だけど、これがバカミスの味わい。保険勧誘員スミス氏が探偵役(保険調査員ではない!)。 ・P.G.ウッドハウス「名探偵マリナー」 ウッドハウスらしいユーモアと皮肉の話。今回マリナーは別に名探偵じゃない(苦笑) とバラエティがある。やはり6巻では「ハードボイルド派」の「名探偵登場」を予告しているから、そっちもやりたいな。 |
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| No.1487 | 7点 | カードの館- スタンリイ・エリン | 2025/10/29 12:49 |
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| 実は評者、本サイトで書評を書いた海外ミステリが、ポケミスを基準でカウントしてみると500冊になった。もちろんミステリ文庫や創元などで読んだものもあるのだが、ポケミスで勘定した時に500冊のキリ番になる。記念に超大作を、で今回はエリンの本作。ポケミスで400pになる大作だから、「ビロードの悪魔」とか「黒い塔」レベルの長さ。
アルジェリアの入植者(コロン)のヴィルモン将軍一族が、独立運動に追われてパリに戻った。この一族の後継者たる少年ポールの家庭教師に雇われたアメリカ人レノを主人公に、この貴族的で謎めいた一族の陰で動く陰謀と、レノにかかった殺人容疑と逃亡、そしてポール少年の母であるアンとのロマンスを絡めて、パリ〜ヴェニス〜ローマに至る逃亡の旅...こんな波瀾万丈のお話。 この事件の背景は、たとえば映画「アルジェの戦い」とかね、あるいはヌーヴェルヴァーグの映画作品によく触れられることのあるアレ。「ジャッカルの日」もそうだな。だから話の趣きはアンブラーの巻き込まれ型スパイスリラーに近いものだ。ヴィルモン一族とレノとの駆け引きをいろいろと絡めつつ、逃亡と反撃の展開となる。長丁場だけどリーダビリティが高く、舞台背景の切り替えも効果的で、よくできている。人並さんが「新聞連載小説のような」とご指摘だけど、読者の興味関心を逸らさない練達の技が素晴らしい。 また主人公レノが元ボクサーで小説を書いたりするという、知性と肉体の両方を備えたナイスガイ。家庭教師採用もクラブでのトラブルを見事に捌いたことに、感銘を受けた一族に気に入られた(まあ、リクルートも兼ねてたが)ことによる。このキャラの人格に説得力があるのが、なにげのエリンの筆力だと思う。 キャッチーなポイントとかはないのだが、よくできた小説。サディストっぽい敵役にリアルな007みたいな雰囲気もちょっとある。キリ番にふさわしい読み応えある大作でした。 (金に困ってトレビの泉に入って小銭を漁るなんてシーンがあるw) |
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| No.1486 | 7点 | ミイラ志願- 高木彬光 | 2025/10/24 10:26 |
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| どうも評者は刺青人形白昼といった人気作を無視して、70年代の高木作品ばかりやっている。評者にとっての「リアル」を優先していることもあれば、高木氏という作家の「らしさ」の部分での面白味を優先しているところもある。さらに言えばミステリという娯楽小説のある意味「いかがわしい」あたりの面白さも見逃せないと感じている部分もあるわけだ。今回講談社大衆文学館で読んだわけだが、二階堂黎人氏の巻末エッセイ「日本のディクスン・カー」が収録されていて、このエッセイでカーの「ビロードの悪魔」に典型的に表れた伝奇ロマンの書き手としての高木氏の共通点を指摘しているあたり、完全同意だったりする。
でこの短編集はミステリが表に出ない「歴史伝奇」である。ミイラ、偽首、乞食、妖怪、不義士、飲醤、首斬り、女賊、渡海などの望むことがオカシイような悪名を自ら「志願」する人々の話。まあホラー寄りの「ミイラ」、SF寄りの「妖怪」はともかくも、その他の作品は欲望と策略を秘めた人々の「奇策」とでもよぶべき「志願」の結末を描いた「奇妙な話」の連作である。だからそういう奇抜な願いを持つ人々自身にフォーカスが当たる。蹴鞠の達人として河原乞食に甘んじる今川氏真、赤穂義士の脱落者となった高田郡兵衛、毒婦を望んだ雷のお新、密航を企む棋士井上幻庵因碩といった奇抜な人々の生き方がまず、面白い。そして、高木氏の「猟奇」というべき好み、ミイラ、刺青、首斬りといった背景でこれらの人々の計算と運命が描かれる。そりゃ、面白いに決まっているよ。 あといえば、アイデアを生で出して失敗している「妖怪志願」は、関ヶ原のIFを描いて「連合艦隊ついに勝つ」と同様のアイデアだったりする。そういうあたりでも高木氏が抱く「ミステリからはみ出すロマン」の興味が窺われて面白い。そしてその奇抜な願いを持つ人々の奇抜な「逃走の夢」に哀切なものがある。 高木彬光のちょっと「別な側面」にしっかりとスポットライトの当たった短編連作である。 |
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| No.1485 | 6点 | メグレと善良な人たち- ジョルジュ・シムノン | 2025/10/23 15:27 |
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| いやホントに「善良な人たち」の話だったりする。
工場経営者を引退した善良な男が殺された。神経質な妻は茫然としているが怪しいわけではない善良な女だ。娘は医師と結婚して別世帯で、これもまた評判がいい。あまり友人も多くはなく、平穏な引退生活を送っている人々だ。しかし、犯人は一家の内情を良く知るもののようだ...行きずりの強盗とかそういう事件ではないのだ。一体善良な一家のどこに殺人者が? ホントに善良な人々ばっかりならば、殺人事件なんて起きるわけがない。しかしメグレの捜査を通じて「善良ならざる」人物が浮かんでこないのだ。そんな矛盾にメグレは手を焼くことになる。ちょっとアンチミステリ的な趣向の作品なんだよ(苦笑) それでもちゃんと小説として成立するのが、円熟したシムノンの筆。1950年代は脂ぎったような充実感があったわけだが、1960年代になるとシンプルな中にも芯の通った作品になってきて、そういうメグレ物の良さが出ている作品。でもミステリとしてどうか?と言われたら「警察小説としてはしっかり成立しているよ」と答えることになるのかな。確かにそういう警察小説としての「リアル」が作品の狙いそのものである。この家族が抱える「善良な人たちの問題」というものが、事件の動因になっているのである。 メグレ物だからミステリとしてアリなんだ、と強弁したくなるような作品である。 |
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| No.1484 | 6点 | この子の七つのお祝いに- 斎藤澪 | 2025/10/20 22:24 |
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| 第一回横溝正史ミステリ大賞受賞作(1981)。翌1982年に角川春樹制作で映画化。
選評でもとにかく筆力があることが、受賞の決め手になっているね。ベタな女性の復讐譚なんだけども、政界の大物の内妻とされる、驚異の手相占い師「青蛾」の謎、戦後直後の混乱期の引揚者の苦難など、キャッチーな要素をうまく組み合わせて構成されている。キャラも前半で事件を追及するルポライター母田とバーのママとのロマンスが良く描けていて、人物の輪郭を印象的に見せる筆力が確か。選評でもミステリ的な「傷」が指摘されるわけだけど、まあそれは(苦笑)。謎は大したことはなくても、サスペンスがキッチリ持続していて弛まない。典型的なイヤミス、というかイヤミスのハシリみたいな作品。映像向けな美点はいろいろあり、映像化含みのコンペとして納得の受賞作というべきだろう。 ついでだから映画も再見。監督は大ベテラン増村保造で本作が遺作になる。日本映画らしいローアングルを多用した丁寧な絵作りが印象的。ストーリーは適当に端折りつつほぼ忠実に展開し、クライマックスだけ対決を盛っている。まあ犯人当て、というようなものでもないから、役者の格で犯人って決まるものだ(苦笑)岩下志麻はクール美女。現代作品でもほぼ全編着物姿でこれがまた似合う。長襦袢でのラブシーンが素敵。でも復讐に人生賭けちゃう女性のドロドロ怨念とは相性がいいとは思えないなあ。逆に「実は真犯人」な岸田今日子の怪演技が有名。評者は杉浦直樹の演技って昔から嫌い。ヘンな力の入り方があって、どうも受け付けない。 トラウマという声があるくらいにホラーでかつ、派手に血ドバドバなスプラッター。凶器となるカンナ棒が見た目禍々しいのがいい。まあ普通に商業的に撮ったサスペンス映画だな。凡作だけど、併映作の「蒲田行進曲」が当たった分、見た人が多い作品。 (あと御年40歳越えの志麻アネゴのセーラー服姿が、観客にショックを与えた有名な話がある。スチル写真だけどね。志麻アネゴ気の毒) |
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| No.1483 | 7点 | ロンドン橋が落ちる- ジョン・ディクスン・カー | 2025/10/20 07:59 |
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| 時代的には「ビロードの悪魔」より後で「喉切り隊長」の前。ジョージ二世の長い治世の終盤で、七年戦争に乗じて海外植民地の拡大にいそしんでいた時期。フランスはルイ15世の全盛期であり、王立の音楽学校の触れ込みで作られた「鹿の園」が実は超高級娼館みたいなものだったのに気が付かず、家出の末それに引っかかって入学してしまったヒロイン・ペッグ。主人公のウィンはペッグと付き合っていたこともあることから、保護者の伯父の命で奪還してきた。ロンドンに近づく馬車の中でヒロインのペッグとウィンは仲睦まじく...じゃなくてさっそく喧嘩バトルで小説の幕が上がる。
いやいや、要するにカーお得意のツンデレヒロインと、それに苦労する主人公の話でした(苦笑)喧嘩真っ最中に馬車はロンドン橋に至るんだけど、この貧民窟と化した時期のロンドン橋が一番の事件の舞台。橋の上に家が立ち並び、そこがスラムになっているわけだ。「橋の下」じゃなくて「橋の上」なのが面白いな。 で、主人公は thieftaker(訳では「捕吏」、泥棒取り)。 だから保護者の依頼で任務を果たす、私立探偵みたいなものだけども、実はこれがイギリスの警察制度の基になっているのが面白い。この thieftaker にちゃんと給与を払い「ボウストリート・ランナーズ」に組織化したのが「ジョナサン・ワイルド伝」やら「トム・ジョーンズ」やら、イギリス近代小説の始祖の一人となる小説家でもあるヘンリー・フィールディングだ。まあだからこそ、探偵作家のカーなら一番に食いつく人になる...んだが、本書ではその弟で「盲目の治安判事」として活躍したジョン・フィールディングが主人公の上司として活躍する。いろいろ思惑のある人物でもあってなかなか胆が見えない。さらに「トリストラム・シャムディ」の作者スターン師まで登場し、酔っぱらって脱線しまくりの長舌を繰り返すのがお笑い。まあ小説どおりのキャラみたいだな。カーの歴史推理ってその時代をテーマパークみたいに見せているような気もするんだが、裏テーマとして「イギリス警察制度の発展」があるのがいかにもカーらしいこだわり。 で主人公は決闘3回とチャンバラ要素あり。死因不明の老婆の死が、実は殺人だ....とかね、ミステリ要素もしっかり。実は評者は真犯人の動き方がどうにも不自然であれ?と思ってたから「やっぱりこの人」とはなったよ。 総じてカーの歴史推理では舞台設定にヒネリがあって面白いほう。ヒロインやフィールディング判事などいいキャラがいて、軽妙な良さがある。 (ちなみに評者は昭和59年の再版ポケミスで読んだ。裏表紙はちゃんと1757年になってますwそういえばポケミスで出た最後のカーなんだ!) |
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| No.1482 | 6点 | 十三の謎と十三人の被告- ジョルジュ・シムノン | 2025/10/14 15:37 |
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| 「十三の秘密」とトリオになる三部作で、この三部作自体、本名名義にする以前のペンネームでも一番馴染みのある「ジョルジュ・シム」名義の連作短編集である。「十三の秘密」は図面を見て安楽椅子推理をするルボルニュ青年が探偵役だが、「十三の謎」は地方出張の多い刑事G7(ジェ・セットとフランス語読みするのがいいらしい)で、「十三人の被告」はフロジェ判事と、それぞれの探偵役が違うのが面白いところ。「十三の秘密」のルボルニュ青年はお約束っぽい素人探偵だが、G7は行動派の刑事でフランスの名勝地で起きた事件の捜査に駆り出される敏腕、一方フロジェ判事はそれこそメグレ物の取り調べシーンを抽出したような、かなりメグレに近いキャラ。
というわけで、以前「十三の秘密」を評したときに、「メグレファンだったらパズラー短編なんて退屈」って思わず言っちゃったくらいに、推理クイズ的なショートショート集(掲載された図面に基づく推理が多いから結構企画ものっぽい)なんだけども、最後のフロジェ判事ものとなると「メグレまであと一歩!」くらいの気持ちになる。いやショートショートくらいの紙幅しかないんだが、メグレの捜査実録物テイストが、フロジェ判事ものにはかなり強く立ち上る。そりゃパズラーの視点から見たら技巧性は薄いわけだけど、「世の中にはこんなこともあるよね」な納得感をフロジェ判事ものに感じる。 あと面白いのは、第一期メグレ物に親しんでいると、「あ、これメグレ物のこの作品に...」と感じる箇所がいろいろある。しっかりメグレ物の元ネタとして再利用しているんだね(苦笑)「黄色い犬」だって登場しちゃうぞw「ハン・ぺテル」で登場するポルクロール島なら後年の「メグレ式捜査法」の舞台だし、エトルタなら「メグレと老婦人」だしね。 フロジェ判事はG7と比べたらほぼ引きこもり状態だけど、意外に同性愛っぽいネタが多いと思う。「ミスター・ロドリゲス」「フィリップ」がそうだし、「トルコ貴族」はSMネタだからね。こんな頽廃的雰囲気は「深夜の十字路」で再現されているのかなあ。メグレ物では性的逸脱は不倫一本槍なところがあるけど、若い頃は当然色々見聞していて、ネタにしているのだろうな。G7と一作一作の長さは変わらないのに、ぐっとキャラが濃くなり、しかも犯罪にひねりも出てくる。「クイーンの定員」に選ばれているくらいに、独自性が発揮されているよ。フロジェを誘惑しようと脚を組む「ヌウチ」(「可愛い悪魔」かな)とか、残虐な犯罪を犯すサイコ風味の「アーノルド・シュトリンガー」など印象的な被告。女装趣味?という味わいがある「フィリップ」ならばブルボン朝復辟詐欺の件からも「死んだギャレ氏」の元ネタだしね。ギャレ氏風の敗残者ならば改めてまた「オットー・ミュラー」でも描かれる。粗暴な黒人凶悪犯をめぐる「バス」は中期メグレのアメリカ風味の警察小説を連想する。 というわけで、メグレ物に十分親しんだ後の方が、この短編集は面白いと思う。いやまあ、シムノンも一夜にしては成らず、というものか。 (本サイトで「ダンケルクの悲劇」「猶太人ジウリク」で登録されている2作は、この短編集の別訳にあたる。読む予定から評者は除外) |
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