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クリスティ再読さん
平均点: 6.39点 書評数: 1494件

プロフィール高評価と近い人 | 書評 | おすすめ

No.1494 8点 針の館- 仁科東子 2025/11/12 16:24
高木彬光「成吉思汗の秘密」の最終章で突如登場して名前の謎解きをやってのけた女性、仁科東子が書いた本である。いやこれ凄いよ。日本の精神病院で横行していた人権侵害と、措置入院の闇を暴く小説である。しかも著者は「成吉思汗の謎」を巡る考察を書いたことで、精神病であると家族から思われて精神病院に強制的に入院させられてしまう。その実体験がこの小説の背後にあるわけだ。

小説では豪邸を相続した身寄りのない青年雪下透のもとに、家計を見るという名目でその母の妹に当たる女性が邸に乗り込む。その義理の娘が主人公今日子。今日子はやや変人のきらいのある透と恋仲になるが、実は継母は透を排除して財産を奪おうという計画をもっていた。継母の企みにより透は精神病院に強制入院させられてしまう。事情を知った今日子は透救出のために、精神病を装って同じ病院に入ろうと....

社会から隔絶させられた精神病院の中は、人権無視が横行する闇の世界だった。この地獄の中で今日子は自身の状況を改善すると同時に、男子病棟に監禁されている透と連絡を取り付けようといろいろと努力していく。今日子自身も電気ショックの脅威に怯えつつ、閉鎖病棟の連帯感、開放病棟の監視下での「病気を受け入れたようにみせる演技」など、この精神病院でのサバイバルを詳細に描く。

評者が学生の頃に宇都宮病院事件という大事件があって、精神病院での「治療」が医療の名に値しない儲け主義の実態が暴かれたことがあった。そして前から噂されたように、邪魔な家族を精神病院と結託して「入院」させて排除する、悪夢のような陰謀や、治っても行き場がなくなった人をズルズル入院させる社会的入院など、人権蹂躙を指摘されたらその通りの実態があったのは事実である。ために1987年に精神保健法が改正されて、人権侵害に対する監視措置が法で定められることにもなったわけだ。

本書の時代はその前の、精神医療が「闇」としか言いようのない人権蹂躙の時代である。その告発となった本書はもちろん「社会派」であり、サスペンスの導き方などなかなか巧妙、かつ恋愛小説としても印象的である。まあだから本サイトで扱う価値もあるというものだ。

精神病院に不当に入院させられた時には、「自分が病気だ」を受け入れたフリをしてとにかく状況を改善することが第一だ、という逆説が、本当の悲惨でもある。運よく脱出しても、当時は「精神病院帰り」のレッテルを貼られるというとんでもないスティグマになっていたのが、作中で描かれる。結ばれた透と今日子は、同じ地獄からの生還者同志として、レッテルに負けずに愛をさらに確かめあう....

単純にエンタメとして読んでも上等な作品。序盤の豪邸の妖気みたいなものがよく描けてもいて、本当に「不穏さ」が立ちのぼる。そこから一気に地獄めぐりに突入する。実体験に裏付けられて迫力満点のホラーでもある。しかし今では出版自体が「差別的」とか言われることにもなりそうで、かなり貴重な本。
(島尾敏雄の病妻ものが電気ショックを描いていたなあ...)

No.1493 6点 山窩奇談- 三角寛 2025/11/10 10:30
文芸坐にはお世話になったよ。評者の頃は池袋にあった名画座の中の名画座だったなあ。この文芸坐の経営者が三角寛。戦前の朝日新聞の警察廻り記者で、説教強盗の事件で名をあげた。その際に「犯人はサンカでは?」という話を聞き込んで...で三角はこの「サンカ」の研究を始めた。そして戦前のオール読物などに一連の「サンカ小説」を書き始め、それがベストセラーに。戦後にはこのサンカ研究を引っ提げて東洋大学で博士号を取得した。

というわけで戦前の大衆小説に大きな影響を与えた作家なんだけども、最近はいろいろと研究が出ていて、ほぼこの三角のサンカはフィクションだという結論にはなっている。川辺でテント生活を営み、箕などの竹細工・川魚漁などで漂泊の屋外生活を営む人々。もちろん戸籍制度には把握されず、警察からは浮浪者として扱われ取り締まりの対象に...というあたりの話が、民俗学と伝奇小説の合い間でさまざまに屈曲して膨れ上がっていったわけだ。

だから三角のサンカ小説がさまざまな影響をミステリに与えてもいる。横溝正史が直接触れている小説もあるし、特殊な「サンカ語」を駆使する犯罪集団と捉えた場合には、伝奇小説のネタにも使われて、忍者のように扱われる。その中で特異な能力が設定されれば、そのまま風太郎忍法帖だ。なにげに漫画にもサンカの首領「乱裁道宗」が登場したりもするわけだよ。とはいえ特異な「サンカ語」を使う犯罪集団と見れば、日本のセリ・ノワール、日本のシモナンと見ることもできるかもしれないな。

というわけで、この本では三角自身が直接サンカから聞いた話や交流の中で見聞した話として、6編の短編を収録。自身の民俗学研究としてのサンカ研究を補強する意図で戦後に編まれた本だそうだ。明治期の警察の刑事がサンカの諜者を抱えて、手先として使ったりなどの捜査の模様が描かれりするのも興味深い。そんな諜者として警察に使われる国八老人の体験談もあれば、山犬の乳で育った「中仙道の犬(オバサン)」直吉は、犬並みと言われる嗅覚を駆使して、サンカ組織の「小手下」として、サンカの中の目付・捜査官として描かれて、サンカが容疑者となった事件の解決をしたりもする。広い意味での時代ミステリというべきだ。

あるいは護国寺の墓地に暮らす学識豊かな老学者のサンカやら、妙齢の尼さんと密通して子供を産ませる二枚目サンカやら、多彩な人物が登場する。いや水木しげるの世界かな(苦笑)

というわけで、ミステリ周辺本としての価値はしっかりある。三角のサンカ研究は事実上フィクションだったわけだが、国家制度の外側・農耕社会の外側に生きる人々に託されたロマンとしての、心情のリアリティとこの世の外側への憧れが覗くのが面白い。

No.1492 6点 ロニョン刑事とネズミ- ジョルジュ・シムノン 2025/11/08 17:27
1938年作品で、メグレ物の長編休止期(短編は書いているあたり)に書かれた外伝。いや評者もご贔屓のロニョン刑事のデビュー作だそうだ。まあ何というか、優秀なんだけども、運の悪い刑事。だから性格がヒネちゃったわけだが、本作ではまだそれほどヒネてない。ロニョン夫人もややエキセントリックだが「悪妻」というほどではない。このロニョンの「無愛想な刑事」という異名は本作の中心人物「ネズミ」が付けたものだそうだ。

でこの「ネズミ」はパリのルンペン。街で小遣い稼ぎをする浮浪者なんだが、ある夜、殺人直後の光景?に出くわして、そこで拾った財布の大金をせしめてやろうと画策する。担当刑事がロニョン。ネズミとロニョンの丁々発止が繰り広げられるが、次第に事件の被害者は大物経済人?という話に広がっていき....

だから「無愛想な刑事」ロニョンと陽気な浮浪者ネズミの対比が本書の軸のわけ。「自由を我等に」とかそういうノリだね。ここらへんメグレ物のシリアスとも対比になっていて、軽妙な面白さに繋がっている。ネズミを囮にしたリュカ警視の策略と、フランス警察の組織力を駆使した追跡劇に実録物っぽいスリルがある。もちろんロニョン君はいい手がかりをつかむものも、頭を殴られるわ、またもや司法警察への出世はうまくいかない(泣)。世の中そんなものさ。

重苦しくなった第一期メグレに対するアンチテーゼと、エンタメを意識した第二期長編の、試作品というものかな。さくっと軽めに書いたエンタメだ。

No.1491 5点 百億の昼と千億の夜- 光瀬龍 2025/11/07 18:47
国産SFではレジェンドということになる。プラトンの後身のオリオナエ、シッタータ、阿修羅のトリオが宇宙の起源と目的を求めて、弥勒とその配下であるナザレのイエスや帝釈天と戦うSF。視覚効果の派手なことから「ワイドスクリーンバロックSF」と言われるのはそうだね。後で触れるが萩尾望都のコミカライズで70年代後半にメチャクチャ、流行った。

う~ん、なんだけどもね、評者本作のSFの風呂敷の広げ方が好きじゃないのかも。「宇宙の運命」とかそういうの、苦手だな。さらにプラトンとかシッタータが大宇宙でSF活劇しちゃうとなると、「幸福の科学」みたいなイヤな感じがしてしまう。苦手だ(まあ大川隆法がこういうのを真似たんだが)。それぞれがそれぞれに超越者に疑問を抱く導入編の方が興味を持って読めていたように感じる。

まあ中盤には超管理社会のディストピア物みたいな話もあるし、「神々の冷淡さ」というテーマは宗教染みていると言えばそう。シッタータが出家する際に武官が切り付けて「色身は敗壊す!」と問うのは禅の公案で、確かに人間は皆短い生を生きて必ず死ぬのに、なぜ永遠の真理なんぞに憧れるのか?という問いはそれこそ「不思議」。この小説ではそれをひとつの「罠」として捉えるアイデアのわけ。キリスト教と仏教と両方にケンカ売ってるという評には笑う。

で萩尾望都のマンガだけど、これって少年チャンピオンに連載されたんだよね。しっかり覚えてるよ。原作が晦渋になっているところをしっかりと分かりやすく踏み込んで説明していて、マンガの方がいいと思う。ナザレのイエスの扱いが原作では中途半端だけど、マンガではしっかりと敵役。それに引っ張られるようにユダがマンガではいい役回り。弥勒の目が開くあたり異様さが出ていていいなあ。日本のエンタメでの「キリスト教が悪役」の嚆矢かな。
マンガはね、もちろん阿修羅人気が爆発したわけだ。興福寺のオリジナルは今でもしっかり人気者だが、萩尾望都の少女阿修羅は独特の中性性が良かったなあ。

なんか原作の不完全燃焼感がマンガを読んで晴らされたような気持。
ちなみに週刊少年誌での女性マンガ家の連載としては「わが輩はノラ公」「さすらい麦子」に続く3つ目。4つ目が「うる星やつら」。

No.1490 7点 AKIRA- 大友克洋 2025/11/03 23:28
さて国産サイバーパンクを語る上では絶対に外せない作品だから、懸案みたいに感じていた。すまぬ評者あまり大友克洋にハマってなかったんだ。映画は見たけどリアルタイムではそれほど関心がなかったなあ。ヤングマガジンに連載されていたから追ってなくても絵は見ていたりしたわけだけどもね。ニューエイジ色が強いのを何となく敬遠したんだな。

以前1)サイバースペース、2)パンク要素、3)ジャポニズム、のサイバーパンク3要素としてまとめたことがあるけど、本作ではサイバースペースは出ないし、日本が舞台とはいえ瓦礫ばっかりでジャポニズムは希薄。「パンクSF」と呼んだ方がいいんじゃないのかな。事実上、超能力バトル物だよ。金田を中心とするパンクスたちとケイたちゲリラが、大佐のグループとミヤコ教勢力、そしてもともと金田の仲間だが超能力を得たことで暴走する鉄雄が、ナンバーズと呼ばれる超能力者とアキラを巡って集団抗争する話である。

もちろん最大のウリは大友の繊細で緻密、でもスケール感のある作画術。話はキャラが次第に自分で動いていくのを待つ、というスタイル。だからプロットが緻密というわけではなくて、結構イキオイという印象。3巻末でアキラが解放されてネオ東京が滅亡し、アキラと鉄雄が組むことで話が前後に二分されたことにもなる。一旦話がリセットされている感覚。中盤に金田がそのままでは動かしづらくなったのかな?

だから画力や廃墟イメージが一番のポイント。未来らしくない荒廃した未来像に新しさがあったわけだ。「バイオレンス・ジャック」とか「マッドマックス2」の世界。考えてみれば設定年代が2020年だから、もうAKIRAも過去になってしまったわけだ。

個人的にはミヤコさまの敢闘精神が好きだなあ(苦笑)

No.1489 5点 殺人鬼登場- ナイオ・マーシュ 2025/10/31 15:23
マーシュというととにもかくにも演劇界が主戦場。本作では探偵劇の劇中クライマックス、悪党を主人公が射殺する場面で実弾が銃から出てしまった!というキャッチーな事件。探偵役のアレイン警部も主演者の友人の新聞記者から誘われてこの公演を見物していた!最後の再現上演の中で、アレイン警部は真犯人を指摘する...

と聞くと面白そうなんだよね。たしかにプロットはいいんだよ。けど展開がもたもたしている感じが強い。キャラもまったく描かれない並び大名クラスが多数で、「ミスディレクションにもならない」のはその通り。確かに人の出入りを整理するとそういう推理は成立するのだろうけども、劇場の構造が読者にはよく理解できていないから、「あそう」で済んでしまう。というわけで、いろいろと残念な個所が多い作品だと思うよ。

あと、多分だけど演劇界特有の言い回しを翻訳がちゃんと伝えきれていない部分があると思う。「Break a leg!(脚を折れ!)」が「グッドラック」の意味でつかわれるオカシな業界でもあるわけだからねえ。
(空砲を撃つんだと火薬で汚れるから、裏でタイミングを合わせて空砲を撃つんだそうだ。なるほど)

No.1488 6点 名探偵登場 5- アンソロジー(国内編集者) 2025/10/31 15:07
さて早川版の「世界短編傑作集」である「名探偵登場」。第5巻は「すこし毛色の変わった人物を中心にえらんでみた」と解説にある。まあ第4巻で評者でも「カブリの多い巻」と言っちゃったくらいにオーソドックの度が過ぎた巻でもあったからね。今回の既読作はアーチャー登場の「女を探せ」だけ。秀作だからいいよ。

・A.バウチャー「パルミエリ伯のように」
SPレコードコレクターの妄執による犯罪。探偵役はアル中で退職した元刑事のニック・ノーブルで、なかなかキャラ良し。
・チャータリス「神の矢」
ご存知「聖者」。砂浜で寝ていた男の上にビーチパラソルが刺さって死んだ!という一件。トリックは想定内だが、まあよくできている。
・Q.パトリック「さよなら公演」
ギリシャ悲劇「メディア」をさよなら公演に選んだ女優の部屋に転がった死体。トラント警部は容疑者筆頭の女優にさよなら公演に出演するのを許す...
・C.ライス「うぶな心が張り裂ける」
ご存知マローンの初登場作だそうだ。マローンが弁護して審理のやり直しを勝ち取った青年が獄中で自殺。マローンは刑務所ソングが耳について離れない...「網走番外地」とか「練鑑ブルース」みたいなのがアチラにもあるんだね。これは雰囲気があって小説としての出来がいい。
・C.ロースン「入れ墨の男と折れた脚」
グレート・マーリニ登場の推理パズル二編。
・ロバート・アーサー「大金」
「謎の旅行者」というわけのわからないキャラが話し手みたいに振る舞う犯罪物語。ちょっと異色、というか「幽霊紳士」の元ネタなのかな?
・R.マクドナルド「女を探せ」
いわずとしれた秀作。中田耕治氏の訳が凝り過ぎかな。
・F.ブラウン「スミス氏、顧客を守る」
甘目だけど監視型密室。「最後の一行もの」で全面解決だけど、これがバカミスの味わい。保険勧誘員スミス氏が探偵役(保険調査員ではない!)。
・P.G.ウッドハウス「名探偵マリナー」
ウッドハウスらしいユーモアと皮肉の話。今回マリナーは別に名探偵じゃない(苦笑)

とバラエティがある。やはり6巻では「ハードボイルド派」の「名探偵登場」を予告しているから、そっちもやりたいな。

No.1487 7点 カードの館- スタンリイ・エリン 2025/10/29 12:49
実は評者、本サイトで書評を書いた海外ミステリが、ポケミスを基準でカウントしてみると500冊になった。もちろんミステリ文庫や創元などで読んだものもあるのだが、ポケミスで勘定した時に500冊のキリ番になる。記念に超大作を、で今回はエリンの本作。ポケミスで400pになる大作だから、「ビロードの悪魔」とか「黒い塔」レベルの長さ。

アルジェリアの入植者(コロン)のヴィルモン将軍一族が、独立運動に追われてパリに戻った。この一族の後継者たる少年ポールの家庭教師に雇われたアメリカ人レノを主人公に、この貴族的で謎めいた一族の陰で動く陰謀と、レノにかかった殺人容疑と逃亡、そしてポール少年の母であるアンとのロマンスを絡めて、パリ〜ヴェニス〜ローマに至る逃亡の旅...こんな波瀾万丈のお話。

この事件の背景は、たとえば映画「アルジェの戦い」とかね、あるいはヌーヴェルヴァーグの映画作品によく触れられることのあるアレ。「ジャッカルの日」もそうだな。だから話の趣きはアンブラーの巻き込まれ型スパイスリラーに近いものだ。ヴィルモン一族とレノとの駆け引きをいろいろと絡めつつ、逃亡と反撃の展開となる。長丁場だけどリーダビリティが高く、舞台背景の切り替えも効果的で、よくできている。人並さんが「新聞連載小説のような」とご指摘だけど、読者の興味関心を逸らさない練達の技が素晴らしい。

また主人公レノが元ボクサーで小説を書いたりするという、知性と肉体の両方を備えたナイスガイ。家庭教師採用もクラブでのトラブルを見事に捌いたことに、感銘を受けた一族に気に入られた(まあ、リクルートも兼ねてたが)ことによる。このキャラの人格に説得力があるのが、なにげのエリンの筆力だと思う。

キャッチーなポイントとかはないのだが、よくできた小説。サディストっぽい敵役にリアルな007みたいな雰囲気もちょっとある。キリ番にふさわしい読み応えある大作でした。
(金に困ってトレビの泉に入って小銭を漁るなんてシーンがあるw)

No.1486 7点 ミイラ志願- 高木彬光 2025/10/24 10:26
どうも評者は刺青人形白昼といった人気作を無視して、70年代の高木作品ばかりやっている。評者にとっての「リアル」を優先していることもあれば、高木氏という作家の「らしさ」の部分での面白味を優先しているところもある。さらに言えばミステリという娯楽小説のある意味「いかがわしい」あたりの面白さも見逃せないと感じている部分もあるわけだ。今回講談社大衆文学館で読んだわけだが、二階堂黎人氏の巻末エッセイ「日本のディクスン・カー」が収録されていて、このエッセイでカーの「ビロードの悪魔」に典型的に表れた伝奇ロマンの書き手としての高木氏の共通点を指摘しているあたり、完全同意だったりする。

でこの短編集はミステリが表に出ない「歴史伝奇」である。ミイラ、偽首、乞食、妖怪、不義士、飲醤、首斬り、女賊、渡海などの望むことがオカシイような悪名を自ら「志願」する人々の話。まあホラー寄りの「ミイラ」、SF寄りの「妖怪」はともかくも、その他の作品は欲望と策略を秘めた人々の「奇策」とでもよぶべき「志願」の結末を描いた「奇妙な話」の連作である。だからそういう奇抜な願いを持つ人々自身にフォーカスが当たる。蹴鞠の達人として河原乞食に甘んじる今川氏真、赤穂義士の脱落者となった高田郡兵衛、毒婦を望んだ雷のお新、密航を企む棋士井上幻庵因碩といった奇抜な人々の生き方がまず、面白い。そして、高木氏の「猟奇」というべき好み、ミイラ、刺青、首斬りといった背景でこれらの人々の計算と運命が描かれる。そりゃ、面白いに決まっているよ。

あといえば、アイデアを生で出して失敗している「妖怪志願」は、関ヶ原のIFを描いて「連合艦隊ついに勝つ」と同様のアイデアだったりする。そういうあたりでも高木氏が抱く「ミステリからはみ出すロマン」の興味が窺われて面白い。そしてその奇抜な願いを持つ人々の奇抜な「逃走の夢」に哀切なものがある。

高木彬光のちょっと「別な側面」にしっかりとスポットライトの当たった短編連作である。

No.1485 6点 メグレと善良な人たち- ジョルジュ・シムノン 2025/10/23 15:27
いやホントに「善良な人たち」の話だったりする。
工場経営者を引退した善良な男が殺された。神経質な妻は茫然としているが怪しいわけではない善良な女だ。娘は医師と結婚して別世帯で、これもまた評判がいい。あまり友人も多くはなく、平穏な引退生活を送っている人々だ。しかし、犯人は一家の内情を良く知るもののようだ...行きずりの強盗とかそういう事件ではないのだ。一体善良な一家のどこに殺人者が?

ホントに善良な人々ばっかりならば、殺人事件なんて起きるわけがない。しかしメグレの捜査を通じて「善良ならざる」人物が浮かんでこないのだ。そんな矛盾にメグレは手を焼くことになる。ちょっとアンチミステリ的な趣向の作品なんだよ(苦笑)
それでもちゃんと小説として成立するのが、円熟したシムノンの筆。1950年代は脂ぎったような充実感があったわけだが、1960年代になるとシンプルな中にも芯の通った作品になってきて、そういうメグレ物の良さが出ている作品。でもミステリとしてどうか?と言われたら「警察小説としてはしっかり成立しているよ」と答えることになるのかな。確かにそういう警察小説としての「リアル」が作品の狙いそのものである。この家族が抱える「善良な人たちの問題」というものが、事件の動因になっているのである。

メグレ物だからミステリとしてアリなんだ、と強弁したくなるような作品である。

No.1484 6点 この子の七つのお祝いに- 斎藤澪 2025/10/20 22:24
第一回横溝正史ミステリ大賞受賞作(1981)。翌1982年に角川春樹制作で映画化。

選評でもとにかく筆力があることが、受賞の決め手になっているね。ベタな女性の復讐譚なんだけども、政界の大物の内妻とされる、驚異の手相占い師「青蛾」の謎、戦後直後の混乱期の引揚者の苦難など、キャッチーな要素をうまく組み合わせて構成されている。キャラも前半で事件を追及するルポライター母田とバーのママとのロマンスが良く描けていて、人物の輪郭を印象的に見せる筆力が確か。選評でもミステリ的な「傷」が指摘されるわけだけど、まあそれは(苦笑)。謎は大したことはなくても、サスペンスがキッチリ持続していて弛まない。典型的なイヤミス、というかイヤミスのハシリみたいな作品。映像向けな美点はいろいろあり、映像化含みのコンペとして納得の受賞作というべきだろう。

ついでだから映画も再見。監督は大ベテラン増村保造で本作が遺作になる。日本映画らしいローアングルを多用した丁寧な絵作りが印象的。ストーリーは適当に端折りつつほぼ忠実に展開し、クライマックスだけ対決を盛っている。まあ犯人当て、というようなものでもないから、役者の格で犯人って決まるものだ(苦笑)岩下志麻はクール美女。現代作品でもほぼ全編着物姿でこれがまた似合う。長襦袢でのラブシーンが素敵。でも復讐に人生賭けちゃう女性のドロドロ怨念とは相性がいいとは思えないなあ。逆に「実は真犯人」な岸田今日子の怪演技が有名。評者は杉浦直樹の演技って昔から嫌い。ヘンな力の入り方があって、どうも受け付けない。
トラウマという声があるくらいにホラーでかつ、派手に血ドバドバなスプラッター。凶器となるカンナ棒が見た目禍々しいのがいい。まあ普通に商業的に撮ったサスペンス映画だな。凡作だけど、併映作の「蒲田行進曲」が当たった分、見た人が多い作品。
(あと御年40歳越えの志麻アネゴのセーラー服姿が、観客にショックを与えた有名な話がある。スチル写真だけどね。志麻アネゴ気の毒)

No.1483 7点 ロンドン橋が落ちる- ジョン・ディクスン・カー 2025/10/20 07:59
時代的には「ビロードの悪魔」より後で「喉切り隊長」の前。ジョージ二世の長い治世の終盤で、七年戦争に乗じて海外植民地の拡大にいそしんでいた時期。フランスはルイ15世の全盛期であり、王立の音楽学校の触れ込みで作られた「鹿の園」が実は超高級娼館みたいなものだったのに気が付かず、家出の末それに引っかかって入学してしまったヒロイン・ペッグ。主人公のウィンはペッグと付き合っていたこともあることから、保護者の伯父の命で奪還してきた。ロンドンに近づく馬車の中でヒロインのペッグとウィンは仲睦まじく...じゃなくてさっそく喧嘩バトルで小説の幕が上がる。

いやいや、要するにカーお得意のツンデレヒロインと、それに苦労する主人公の話でした(苦笑)喧嘩真っ最中に馬車はロンドン橋に至るんだけど、この貧民窟と化した時期のロンドン橋が一番の事件の舞台。橋の上に家が立ち並び、そこがスラムになっているわけだ。「橋の下」じゃなくて「橋の上」なのが面白いな。
で、主人公は thieftaker(訳では「捕吏」、泥棒取り)。 だから保護者の依頼で任務を果たす、私立探偵みたいなものだけども、実はこれがイギリスの警察制度の基になっているのが面白い。この thieftaker にちゃんと給与を払い「ボウストリート・ランナーズ」に組織化したのが「ジョナサン・ワイルド伝」やら「トム・ジョーンズ」やら、イギリス近代小説の始祖の一人となる小説家でもあるヘンリー・フィールディングだ。まあだからこそ、探偵作家のカーなら一番に食いつく人になる...んだが、本書ではその弟で「盲目の治安判事」として活躍したジョン・フィールディングが主人公の上司として活躍する。いろいろ思惑のある人物でもあってなかなか胆が見えない。さらに「トリストラム・シャムディ」の作者スターン師まで登場し、酔っぱらって脱線しまくりの長舌を繰り返すのがお笑い。まあ小説どおりのキャラみたいだな。カーの歴史推理ってその時代をテーマパークみたいに見せているような気もするんだが、裏テーマとして「イギリス警察制度の発展」があるのがいかにもカーらしいこだわり。

で主人公は決闘3回とチャンバラ要素あり。死因不明の老婆の死が、実は殺人だ....とかね、ミステリ要素もしっかり。実は評者は真犯人の動き方がどうにも不自然であれ?と思ってたから「やっぱりこの人」とはなったよ。

総じてカーの歴史推理では舞台設定にヒネリがあって面白いほう。ヒロインやフィールディング判事などいいキャラがいて、軽妙な良さがある。

(ちなみに評者は昭和59年の再版ポケミスで読んだ。裏表紙はちゃんと1757年になってますwそういえばポケミスで出た最後のカーなんだ!)

No.1482 6点 十三の謎と十三人の被告- ジョルジュ・シムノン 2025/10/14 15:37
「十三の秘密」とトリオになる三部作で、この三部作自体、本名名義にする以前のペンネームでも一番馴染みのある「ジョルジュ・シム」名義の連作短編集である。「十三の秘密」は図面を見て安楽椅子推理をするルボルニュ青年が探偵役だが、「十三の謎」は地方出張の多い刑事G7(ジェ・セットとフランス語読みするのがいいらしい)で、「十三人の被告」はフロジェ判事と、それぞれの探偵役が違うのが面白いところ。「十三の秘密」のルボルニュ青年はお約束っぽい素人探偵だが、G7は行動派の刑事でフランスの名勝地で起きた事件の捜査に駆り出される敏腕、一方フロジェ判事はそれこそメグレ物の取り調べシーンを抽出したような、かなりメグレに近いキャラ。
というわけで、以前「十三の秘密」を評したときに、「メグレファンだったらパズラー短編なんて退屈」って思わず言っちゃったくらいに、推理クイズ的なショートショート集(掲載された図面に基づく推理が多いから結構企画ものっぽい)なんだけども、最後のフロジェ判事ものとなると「メグレまであと一歩!」くらいの気持ちになる。いやショートショートくらいの紙幅しかないんだが、メグレの捜査実録物テイストが、フロジェ判事ものにはかなり強く立ち上る。そりゃパズラーの視点から見たら技巧性は薄いわけだけど、「世の中にはこんなこともあるよね」な納得感をフロジェ判事ものに感じる。
あと面白いのは、第一期メグレ物に親しんでいると、「あ、これメグレ物のこの作品に...」と感じる箇所がいろいろある。しっかりメグレ物の元ネタとして再利用しているんだね(苦笑)「黄色い犬」だって登場しちゃうぞw「ハン・ぺテル」で登場するポルクロール島なら後年の「メグレ式捜査法」の舞台だし、エトルタなら「メグレと老婦人」だしね。
フロジェ判事はG7と比べたらほぼ引きこもり状態だけど、意外に同性愛っぽいネタが多いと思う。「ミスター・ロドリゲス」「フィリップ」がそうだし、「トルコ貴族」はSMネタだからね。こんな頽廃的雰囲気は「深夜の十字路」で再現されているのかなあ。メグレ物では性的逸脱は不倫一本槍なところがあるけど、若い頃は当然色々見聞していて、ネタにしているのだろうな。G7と一作一作の長さは変わらないのに、ぐっとキャラが濃くなり、しかも犯罪にひねりも出てくる。「クイーンの定員」に選ばれているくらいに、独自性が発揮されているよ。フロジェを誘惑しようと脚を組む「ヌウチ」(「可愛い悪魔」かな)とか、残虐な犯罪を犯すサイコ風味の「アーノルド・シュトリンガー」など印象的な被告。女装趣味?という味わいがある「フィリップ」ならばブルボン朝復辟詐欺の件からも「死んだギャレ氏」の元ネタだしね。ギャレ氏風の敗残者ならば改めてまた「オットー・ミュラー」でも描かれる。粗暴な黒人凶悪犯をめぐる「バス」は中期メグレのアメリカ風味の警察小説を連想する。
というわけで、メグレ物に十分親しんだ後の方が、この短編集は面白いと思う。いやまあ、シムノンも一夜にしては成らず、というものか。
(本サイトで「ダンケルクの悲劇」「猶太人ジウリク」で登録されている2作は、この短編集の別訳にあたる。読む予定から評者は除外)

No.1481 5点 真赤な子犬- 日影丈吉 2025/10/13 15:38
「ミステリとは遊戯文学である」という大前提がある。だからこそ、そのゲームの「リアル」を感じるためにも、描写に手を抜いてはいけない、という暗黙のルールが確かにあったようにも思うんだよ。これは本格派vs文学派対立以前の問題として、「本格派でパズラーであるからこそ、ちゃんとした心理と描写のリアリティがなければいけない」は「商品」としてミステリを作る上でも避けては通れない問題である。

ある意味これが崩れたのが「新本格」なのだと思う。そういう意味で本作は「早すぎた新本格」なのだと思うんだ。いや名手日影丈吉だからね、キャラ造形とか大変上手なんだよ(苦笑)本作の「うわついた雰囲気」というのは、狙って書いたものだというのは重々承知の上。確かに「真赤な子犬」のシュールさとか、ガラスの檻のような変態モダン建築とか、グルメ談義とか、日影らしい魅力が詰まってもいる。メタな章見出しとか、そういうあたりにも遊戯性が詰まっているわけだが、本作ではその遊戯性が暴走気味でもあり、読者は「振り回された」という感覚じゃないかな。カーや「ナイン・テーラーズ」に言及するとかお遊び部分が、今はウケるのかな?

日影丈吉の魅力満開というわけではなく、はぐらかされたような気持ち。

No.1480 5点 嘲笑う男- レイ・ラッセル 2025/10/11 19:05
さてこのシリーズも本書とボーモントで終わりかな。評者はこの人あまり馴染みがなかった。冒頭の「サルドニクス(冷笑者・嘲笑う男は意訳)」が、ちょっと「吸血鬼ドラキュラ」の冒頭を思わせる雰囲気がある怪奇小説の中編。医師が縁ある女性の夫となったボヘミアの田舎の城に訪れる。この城主は「嘲笑う男」、口が歯を剥き出しにして笑っている状態で麻痺するという奇病に取り憑かれており、その治療のために主人公の医師を呼んだのだ。この奇病の原因がちょっとした因縁である。まあだから主人公が行った治療法が...という話ではある。雰囲気は出ているのだが、まあ想定内のオチといえばそう。

で、この話の他は、劇場に舞台をとった演劇関連か、SFのショートショートという感じ。それなりに上手ではあり、メランコリックな傾向があるから、印象はブラウンというよりも星新一。星ほどの切れ味ではないか。やはり星新一のミニマリスト的な冴えは特異だというのが結論。星っぽさなら、催眠術的なタバコの広告をめぐる「深呼吸」とか、悪意ある破壊的な文明が発展することを未然に防ぐ活動をする「防衛活動」などが、メランコリックな色彩で共通点があることになりそうだ。しかし、オチ重視、というわけではない。サクッと書いたアイロニカルな話というくらいの感覚。まあヤンキーなブラウンよりもヨーロッパ風で「品がいい」という印象はある。

異色作家というのともちょっと違うかな。わりと王道。
「サルドニクス」がやはり特異。ならばこの人の怪奇路線の長編「インキュバス」はどうなんだろう?

No.1479 7点 華やかな殺意―西村京太郎自選集〈1〉- 西村京太郎 2025/10/07 17:38
西村京太郎である。しかしこの自選短編集は十津川警部とかよりずっと前。「天使の傷痕」より前にコンペ入賞した「病める心」「歪んだ朝」に、乱歩賞受賞直後の発表になった「美談崩れ」、それから長編では「名探偵なんか怖くない」の前に発表されていることになる「優しい脅迫者」「南神威島」の収録。だからホントに初期作だし、社会派隆盛期でもあり、「天使の傷痕」同様に社会派系の作品集である。

「病める心」「美談崩れ」と今でいう報道被害を扱っているあたり、今でも特に意義があるんじゃないかな。新聞記者の功名心が事件関係者の心を踏みにじって更なる悲劇を呼んでしまう、何ともやりきれない話。子供が絡んだシンプルな話だけにココロが痛い。まあブンヤなんてロクでもないというのは評者も先日実体験したよ。
刑事を主人公に据えた「歪んだ朝」は、山谷のドヤ住まいの父に育てられる、悲惨な境遇の少女が殺されたリアリティのある事件を扱って、丁寧な捜査による事件の二転三転を追った読み応えのある中編。少女はなぜ口紅を塗ったのか、その幼い心に秘められた謎がストーリーのコアとしてうまく機能している。本書中のベスト。

で「優しい脅迫者」はクイーン編の「日本傑作推理12選」で海外に紹介されたことでも有名だし、2回のテレビドラマ化がされている。1978年の「土曜ワイド劇場」を評者観た記憶しっかりあるよ。ひき逃げをした理髪店主のもとに、定期的に訪れてはヒゲを当たらせて、その秘密で店主から金を巻き上げる恐喝者の話。今回この本を取り上げたのは、このドラマが強く記憶に残ってるからだ。店主は神経質そうな田村亮、「優しい脅迫者」は坂上二郎。まあだからコント55号解散後の坂上二郎のキャラクター性がとってもハマっていたドラマだった。ネットで検索してみると「トラウマになった」なんて声が今でもあるな。監督は「拳銃は俺のパスポート」で日活ハードボイルドの名作を撮ったこともある野村孝。とても懐かしい。

最後は「南神威島」。南国の島に追われるように赴任した若い医師。到着直後に島を伝染病が襲った。医師は自身が感染源であるということを隠して、血清の到着を待った...伝染病の責任は、島の信仰によってどう裁かれるか?
まあこんな話。大体お約束の範囲。ホラーみたいな感覚なのかな。

というわけで、「歪んだ朝」「優しい脅迫者」の2本がナイス。

No.1478 5点 囚われのイヴ- アイリス・ジョハンセン 2025/10/04 16:22
久々にロマサス。復顔彫刻家イヴ・ダンカンのシリーズ。2013年の新三部作の一つ目で、NYT全米ベストセラー1位ゲット。全体が総ページ数1500ページくらいになる超大作になるんだが、一話目の本書では、話が続いていくから、ちゃんとした結末ではなくていわゆる「クリフハンガー」。

評者は翻訳済分では前々作になる「パンドラの眠り」は読んでるから、大体の人間関係は把握済み...のつもりがねえ、ヒロインのイヴ・ダンカン、メインヒーローの誠実派のクイン刑事、養女で画家になったジェーン、誘拐されて殺されたけど霊的な守護をイヴに与え続けている娘ボニーという辺りはともかくも、養女ジェーンを巡って鞘当てるチョイ悪系の「危険な香り」の謎の男ケイレブと、美形のトレヴァー、CIA捜査官でイヴに惚れているベナブル、それから犬の訓練士サラ・ローガンやら何やら、要するにこのシリーズ、間の作品に登場したキャラが再登場するのと、過去の大量のスピンオフで活躍したキャラが、さらに本線に再登場する。それでもキャラ説明が懇切丁寧なために、新規客が「誰だこれ!」にならずに参入障壁が低い。MCUとかDCとかに通じるアメリカンなエンタメのスタイルじゃないのかな。

復顔彫刻家イヴの元に、養女のジェーンが帰省する予定。しかし、パートナーのクイン刑事は証言のために出張、ジェーンは愛犬が重態に陥ったために、信頼する獣医の元へ駈け込んで遅れるとの連絡。しかし、犬の病気は何者かに毒注射をされたのが原因であり、獣医の島でジェーンは狙撃される。クイン刑事はその島へ飛び、イヴもその島へ駆けつける準備をしたその時、イヴは誘拐された...すべてはイヴを一人にする策略。妄執に囚われた危険な男が、その崇拝する邪悪な息子の顔を、頭蓋骨から復顔することをイヴに強制する。このイヴのピンチにイヴの周囲の人々は結束してイヴの救出に向かう....

まあこんな話。イヴとジェーンが二人ヒロインで、周囲の男たちがメロメロ。イヴは特に「女王蜂」って呼ばれて、意外なくらいに日本ではウケが悪いようだ(苦笑)まあこの人、サスペンス・ホラー色は強いけど、官能色は薄いからね。普通にサスペンス。でも、結構スピリチュアルなカラーは強め。これも日本人ウケが悪いかな。もちろんキャラの書き分けなんぞ達者なものだし、キャラの心理描写もたっぷり入っていても、重苦しくならないくらいに節度がある。

ジェーンが死んでしまうのではないかと思ったとき、怒りだけではなくもっと深い、不思議な感情が沸き上がって来た。ケイレブは深く考えないことにした。これまで経験したことのない危険な感情だと本能的に悟ったからだ。とりあえず怒りと所有欲だけを意識することにした。怒りと所有欲だけならば、なんとか対処できる。

となんとまあ、懇切丁寧でわかりやすく、しかし溺れないキャラ描写を兼ねた心理描写なことだ。こういう悪達者さが嫌でなければ、エンタメとしては充分。

No.1477 5点 石の下の記録- 大下宇陀児 2025/10/02 10:07
探偵作家クラブ賞受賞作。「虚像」とならぶ作者戦後の二大長編というわけだけども...う~ん「虚像」ほどじゃないなあ。不良学生グループを中心にして、学生による教授排斥から、学生強盗、性的乱脈、学生高利貸として「白昼の死角」やら「青の時代」で描かれた「光クラブ」といった、戦後のいわゆるアプレ青年風俗を描きつつ、保守政界の再編と絡んだ買収工作とその政治家殺人事件、失踪した元将軍はひょっとして三無事件みたいなクーデター計画か?となかなかに盛りだくさんの事件が取り扱われている。その分、散漫に流れているように感じた。

確かに本作の登場人物で一番よく描けているのは、光クラブに相当する学生高利貸を始める笠原である。とはいえねえ、やはり三島の「青の時代」と比較するまでもなく、かなり浅薄。最大の問題は、この学生グループは「S大」という仮名で描かれているけど、光クラブの山崎晃嗣は東大生だったわけ。三島とも面識があったようで、ちょっと歪んだエリート思想が「青の時代」でも読みどころになってた。このS大の同級の園江新六が愚昧で狂暴な男として描かれているから、ホントにエリート大学なのかよと、怪しくなってしまう。さすがに東大生強盗というのは聞いたことがない(苦笑) 
さらに形式的な主人公でもある藤井有吉が被害者の政治家の息子で、絵にかいたような優柔不断のボンボン。こういう主人公像が「人生の阿呆」でもそうだけど、戦前に流行ったんだよね。こういうあたりがどうも古臭くも感じてしまうんだ。こんなドラ息子と心中することになる娘さんが気の毒で仕方がないよ....
意外にいいキャラなのが有吉の義母になり一時笠原と浮気をする貴美子。貞節なのかワガママなのかよく分からないあたりにヘンなリアルがあるけども、実はキャラ設定のミスなのかもしれない...怪我の功名みたいな気がする(苦笑)

というわけで、意外なくらい「時勢がよく分かってない」作品だと思うよ。
「虚像」だと確かに「社会派の先駆だよね」という新しさがあったけど、本作は戦後風俗を描きながらも、見る視点が「戦前的」だと思う。そうしてみると、いかに松本清張の「社会派」が「戦前のモダニスト小説」の延長だった戦後の探偵小説の「書き方」を更新したものであるのか、改めて感じ入ることになる。

No.1476 5点 エデンの妙薬- ジョン・ラング 2025/09/30 14:57
なんとなく気になって読んでみた。クライトンの別名義の医学スリラー。暴走族ヘルズ・エンジェルズとハリウッド女優が昏睡に陥って搬送されてきた。病院の医師の主人公はその二人が「青い尿」を排出しているのを目撃する....二人ともドラッグをいろいろと試しているという情報もある。青い尿は何らかの幻覚剤の副作用か? 医師はカリブ海の秘密のリゾートへ行くことを、昏睡から回復し親しくなった女優に誘われる。まさに地上の楽園と呼ぶべき究極のリゾートだそうだ....

と、サイケデリックなあたりに惹かれたのかなあ。なんかリーダビリティがムチャいい。つるつると読める。心理学と向精神薬と心理操作、そんなあたりのネタのホラーストーリーといったもの。

しかもIBMは重くたれた観光客の首によって十点を失った。林務官はゴムのトランプ遊びなのだろうか?そしてわれわれは城塞に砲撃を開始し、全砲門が女王陛下のために雄叫びをあげる。だろう?

となかなかサイケでラリラリな描写もあったりするわけだ。そういうサイケデリックな味わいがこの作品の眼目。でも枠組み自体は陰謀論的な迫害を受けて追い詰められるスリラーで「いいかロジャー、きみは遠隔操作されている。プロクター・アンド・ギャンブルに、フォードに、MGMに、ランダム・ハウスに、ブルックスに、バーグドーフに、レブロンに、アップジョンに...」とまあこういう話である。安っぽい駄菓子である。ひょっとして青い尿も駄菓子の食用色素かも。ご馳走さま。

No.1475 7点 日本推理作家協会賞受賞作全集9 顔- 松本清張 2025/09/29 21:47
双葉文庫のこのシリーズ、ちゃんと受賞対象をコンプした内容でコンパイルしてくれるから重宝するね。とくに松本清張の受賞対象は「顔」「殺意」「なぜ「星図」が開いていたか」「反射」「市長死す」「張込み」の6編。「顔」「張込み」の二作はトータルでも清張短編代表作扱いされるものだからねえ。だからもちろん、この二作については収録された短編集は多数。だけどやはり、受賞対象である講談社ロマンブックス(1956)の収録内容でやはり読んでみたいというものである。

倒叙中心にいろいろなミステリ書法をやってみているあたりが面白い。

「顔」倒叙:殺人するためのプロセスの段階で、企図が挫折するのがいい
「殺意」ホワイダニット。コンプレックスに焦点
「なぜ「星図」が開いていたか」プロビバリティの殺人
「反射」倒叙:乱歩「心理試験」の改良作みたいな雰囲気
「市長死す」一応パズラーかな。嘘のリアルな使い方。切れ味よし
「張込み」刑事視点での捜査小説

驚きの話だが、全会一致の圧倒的支持での受賞の時点では清張自身はまだ日本探偵作家クラブに入会していない!(授賞式での長沼弘毅の挨拶でこの件に触れている)この当時には松本清張=芥川賞作家、というイメージだったわけである。いやこうやって受賞作品の傾向を見てみれば、最初っからミステリマインド全開の作家なんだけどもねえ(苦笑)乱歩が「赤い部屋」で先鞭をつけたプロビバリティの殺人とか、やや理屈倒れな「心理試験」をよりリアルな尋問技術に応用したアイデアを軸にした「反射」とか、乱歩リスペクトが強く窺われる。実はこの回のライバルが「黒いトランク」だったにも関わらず、清張が圧勝したというのは興味深いよ。そのくらいにインパクトが強かったわけだ。

(まあでも「張込み」は望遠カメラの効果が映画では印象的なこともあって、映画の方がいいかな。「顔」はなんと言っても平野屋のいもぼう!食べたいw)

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クリスティ再読さん
ひとこと
大人になってからは、母に「あんたの買ってくる本は難しくて..」となかなか一緒に楽しめる本がなかったのですが、クリスティだけは例外でした。その母も先年亡くなりました。

母の記憶のために...

...
好きな作家
クリスティ、チャンドラー、J=P.マンシェット、ライオネル・デヴィッドスン、小栗虫...
採点傾向
平均点: 6.39点   採点数: 1494件
採点の多い作家(TOP10)
ジョルジュ・シムノン(113)
アガサ・クリスティー(97)
エラリイ・クイーン(49)
ジョン・ディクスン・カー(34)
ロス・マクドナルド(26)
ボアロー&ナルスジャック(26)
アンドリュウ・ガーヴ(21)
エリック・アンブラー(17)
アーサー・コナン・ドイル(17)
ウィリアム・P・マッギヴァーン(17)