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[ SF/ファンタジー ]
百億の昼と千億の夜
光瀬龍 出版月: 1973年04月 平均: 5.50点 書評数: 2件

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早川書房
1973年04月

角川書店
1980年10月

KADOKAWA
1996年12月

早川書房
2010年04月

No.2 5点 クリスティ再読 2025/11/07 18:47
国産SFではレジェンドということになる。プラトンの後身のオリオナエ、シッタータ、阿修羅のトリオが宇宙の起源と目的を求めて、弥勒とその配下であるナザレのイエスや帝釈天と戦うSF。視覚効果の派手なことから「ワイドスクリーンバロックSF」と言われるのはそうだね。後で触れるが萩尾望都のコミカライズで70年代後半にメチャクチャ、流行った。

う~ん、なんだけどもね、評者本作のSFの風呂敷の広げ方が好きじゃないのかも。「宇宙の運命」とかそういうの、苦手だな。さらにプラトンとかシッタータが大宇宙でSF活劇しちゃうとなると、「幸福の科学」みたいなイヤな感じがしてしまう。苦手だ(まあ大川隆法がこういうのを真似たんだが)。それぞれがそれぞれに超越者に疑問を抱く導入編の方が興味を持って読めていたように感じる。

まあ中盤には超管理社会のディストピア物みたいな話もあるし、「神々の冷淡さ」というテーマは宗教染みていると言えばそう。シッタータが出家する際に武官が切り付けて「色身は敗壊す!」と問うのは禅の公案で、確かに人間は皆短い生を生きて必ず死ぬのに、なぜ永遠の真理なんぞに憧れるのか?という問いはそれこそ「不思議」。この小説ではそれをひとつの「罠」として捉えるアイデアのわけ。キリスト教と仏教と両方にケンカ売ってるという評には笑う。

で萩尾望都のマンガだけど、これって少年チャンピオンに連載されたんだよね。しっかり覚えてるよ。原作が晦渋になっているところをしっかりと分かりやすく踏み込んで説明していて、マンガの方がいいと思う。ナザレのイエスの扱いが原作では中途半端だけど、マンガではしっかりと敵役。それに引っ張られるようにユダがマンガではいい役回り。弥勒の目が開くあたり異様さが出ていていいなあ。日本のエンタメでの「キリスト教が悪役」の嚆矢かな。
マンガはね、もちろん阿修羅人気が爆発したわけだ。興福寺のオリジナルは今でもしっかり人気者だが、萩尾望都の少女阿修羅は独特の中性性が良かったなあ。

なんか原作の不完全燃焼感がマンガを読んで晴らされたような気持。
ちなみに週刊少年誌での女性マンガ家の連載としては「わが輩はノラ公」「さすらい麦子」に続く3つ目。4つ目が「うる星やつら」。

No.1 6点 虫暮部 2019/01/04 10:38
 “「神」を追い求めた日本SFの金字塔” との謳い文句、偽りではないが、そのポジションは(SFが発展途上だった)時代が多少有利に働いた結果だろう。第四章までは複数のプロローグが羅列されている感じでなかなか物語が走り出さない。後半のスケール感には目を瞠るが、既に判っている究極の答えを勿体振っている観もある。読みにくい文章、と言うほどではないが、グイグイ引っ張るには何かひとつ足りない。
 但しそれらは作品がもともと孕む問題であり、“古い” とは感じなかった。


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光瀬龍
1983年03月
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百億の昼と千億の夜
平均:5.50 / 書評数:2