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謎解きが終ったら 法月綸太郎ミステリー論集 法月綸太郎 |
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評論・エッセイ | 出版月: 1998年10月 | 平均: 7.00点 | 書評数: 1件 |
講談社 1998年10月 |
講談社 2002年02月 |
No.1 | 7点 | Tetchy | 2017/06/03 23:55 |
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新本格第1期デビュー組の作家でありながら、創作よりもむしろミステリ評論を数多く著し、他の新本格ミステリ作家とは一線を画した存在感を放っているのがこの法月綸太郎氏だが、本書は彼が各所で書いた評論、そして解説を集めたミステリー論集である。
構成は3部に分かれ、「安全ネットを突き破って」と題された第1部はまさにミステリ評論、2部以降はそれぞれ国内作家、海外作家の作品に付された解説が掲載されている。 まず彼の本領が存分に発揮されているのがミステリ評論の第1部だろう。俎上に挙げられた作家は中上健次氏、野崎六助氏、坂口安吾氏といずれも癖のある作家たちだ。 いずれも氏が若かりし頃に書かれた論文であり、その博識ぶりと蘊蓄を存分に振るった文章はこの歳になるとなかなか理解するのに困難で難儀したと正直に告白しよう。そしてその内容もやはり評論家としてのある種の傲慢さや独断が遠慮なく開陳され、鋭利な刃物のような筆致である。例えばミステリは知識人の読み物であると述べる輩をはっきり言ってバカだと断じ、他者の論文を引用しては自らの感じる思いとの差異に対してはっきりと断じているのはやはり若さだなぁと感じざるを得なかった。 法月氏のミステリ論には他のミステリ評論家たちが指摘したこと、もしくは指摘しなかったことに対して、反論または指摘する向きが散見され、実に好戦的な内容だと感じた。溢れんばかりの知識と読書量に裏付けされたそれらの反論はいささか知に偏り過ぎのきらいがあるが、それもまた彼がその時に感じた真実であり、彼の履歴書として後世に残しておくに値する若気の至りとも云える迸りを感じさせる。 一方で第2、3部のミステリ作品の解説として書かれた文章は逆に解説の本分を忠実に守り、実に肯定的な文章が、しかも平易で書かれており、逆にこちらの方がかなり面白く読めた。日本人作家に関してはその作家の創作のルーツを海外作家の作風に見出したり、同時期に刊行された作品との比較を精緻に行い、論証を挙げることでその作家の創作意図を読み解く内容が実に面白く読めた。連城三紀彦氏の解説では彼の作品を1作目から論じることで連城氏の創作作法を読み解く。これがなんともスリリングな内容でちょっと長いが引用しよう。 中井英夫が「アンチミステリー」と命名することで「探偵小説の終焉」を宣言したとするならば、連城三紀彦は「最後の探偵小説」が終った時点から、その終りを始まりへと反転させることによって、自らのミステリー作家の経歴をスタートさせた こういった独特の主張は海外作家に関しても同様だ。デクスターの作品を「問題編の存在しない、解決篇だけで構成されたロジカルなパズル・ストーリー」と論じる辺りはまさに慧眼だし、セイヤーズやブレイクなど黄金時代の作家たちについては当時の時代性や他のミステリ作家たちからの影響を例を挙げて論じ、単に読み物としてその作品を論じるのではなく、時間軸の縦の繋がりだけでなく、共に同じ時代にいた作家たちの横の繋がりをも盛り込むことで解説の内容に膨らみをもたらしている。 本書の題名は作者によればザ・ドアーズの『音楽が終ったら』を文字って題されたと書かれている。ザ・ドアーズの歌詞では“音楽が終ったら、明かりを消そう”と書かれている。さて『謎解きが終ったら』では次に何をするのか?単に面白かった、で満足して明かりを消すだけではつまらない。ミステリを読み終わったら読む前の自分にはなかった知の明かりに火を灯る、そして知的好奇心の充足がそこから始まるのだよと、法月氏はこの題名に込めているように思えた。 貴方も本書を読んで、ちょっと知的にミステリを愉しみませんか? |