皆さんから寄せられた5万件以上の書評をランキング形式で表示しています。ネタバレは禁止
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黄色い部屋はいかに改装されたか? 都筑道夫 |
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評論・エッセイ | 出版月: 1975年01月 | 平均: 7.00点 | 書評数: 5件 |
晶文社 1975年01月 |
晶文社 1998年04月 |
フリースタイル 2012年04月 |
No.5 | 10点 | クリスティ再読 | 2021/10/10 17:37 |
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中学生時代に読んだきり。図書館本だから手元にあったわけではなくて、先日改めてフリースタイルからの増補版を購入して読み直したのだけども....評者個人としては、きわめてショッキング。
もちろん、評者自身がこの評論に強い影響を受けているのは自覚してますよ。「本格ミステリ」って呼ばずに「パズラー」って呼ぶのなんて、モロにこの本の影響。でもね、このサイトでパズラーに絡んでいろいろそれこそ「挑発的」に書いた内容の多くが、実はすでにこの本で都筑が言っていることを繰り返しているだけだった....それこそ、「げ~ここまで影響受けてたか!」というのが、そのショック。もう50年以上前に発表された評論なんだけどね。評者なんていまだにタダの都筑亜流の「改装主義者」ですよ、ほんとに。 しかしね、何で今でも評者が「改装主義者」でありうるのか?というのはまた別な問題。要するに、この本は都筑道夫が推し進めた「ミステリのモダン」の頂点に位置する評論のわけで、そういうモダニズムというのは、「歴史主義」ということと同じ意味なわけだ。ミステリというものをポオから徐々に発展していって、歴史的により巧緻に、かつ自然で小説としての納得のいくものを、目指していった「プロセス」として捉えて、その「プロセス」を参照しながら実作と評論を両立させようというのが、ほかならぬこの本の立ち位置だ。 しかし、この本以降の日本のミステリの進路は、「モダニズム」ではなくて、「ポスト・モダニズム」に屈曲していったわけである。とくに日本の新本格というのは、ノスタルジーとしての「探偵小説の枠組み」を再度取り上げ直して「モダンのプロセス」を意図的に無視するところから始まったわけだ。歴史は好きなように再配置してかまわないし、引用的な身振りさえもまた「マニアらしさ」として、別途評価されてしまう.... つまり、この本の議論が無効になったわけではないのだが、ある意味ミステリ自体が「どう進化すべきか?」という進路が見失われ、それを無意味とする拡散の側にシフトしたために、「野暮」にもなっている、ということのなのである。「今さら、言うなよ」とでも言えばいいのかな。「パズラーだから、かくあるべし」の規範が失われたと捉えるのなら、そもそもこういう大上段のパズラー論自体が不可能になりつつもあるわけだ。 だからこそ、この本は本当に「時代の一つの頂点」を作り出したピーキーなミステリ論である。改めて、ここから「どう始め直すか?」を問い直すのも、必ずしも今無意味ではないと思いたい。 ちなみにこの評論での「トリック否定論」は、実は天城一も「密室犯罪学教程」で同等の議論をしているし、「トリック至上主義」の開祖として乱歩を指している面でも、この論を継承した立場だと考えてます。併読を勧めます。 (あと、フリースタイル刊の造本が、昔のポケミスの造本のコピーなのが、オールドファンにとってはやたらとうれしい) |
No.4 | 8点 | ねここねこ男爵 | 2018/04/20 23:54 |
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語られている内容や提示されている問題が時代に追いつかれている感はあるが、必読。ただ、読者の嗜好や、そもそも問題意識を持っているかどうかで感想は大きく変わるかと。読書経験豊富でも全く意味が分からん人もいると思う。「この本は面白い」「この本はつまらん」などというレベルではなく、「何故このような本が書かれたのか?」「この本が持つ歴史的意義とは?」という。
あと、この時代に叙述トリックが全盛をむかえていたらどのように評されていただろうか、と妄想する。 「逆立ちして人を殺したとき、『①逆立ちのままどうやって殺したのか?』より『②なぜ逆立ちしたのか?』が本質」とはあまりにも核心。 (①のみで②が抜けているものを『昨日の本格』、②を正しく扱っているものを『今日の本格』と評されている) |
No.3 | 3点 | mini | 2013/04/02 09:54 |
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発売中の早川ミステリマガジン5月号の特集は、”没後10年・都筑道夫が僕らに教えてくれたこと”
そもそも早川ミスマガの前身の日本版エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン創刊時の初代編集長が都筑だったし、特集の方も都筑ファンには見逃せない内容となっているようだ う~ん、都筑の評論は数多いのに何故「黄色い部屋の改装」だけが突出して有名なのかいまいちピンと来ぬなぁ、私は今回初めて読んでみた(ただし旧版の方ね) 都筑は道草が多いというか話が紆余曲折するんだけどまぁこれはこれでいい、ただ結局のところ出た結論としての論旨がさして目新しさもなく大して面白くもないというのが正直な感想である ※ ところで実はこっちの話の方が書きたかったんだけど、論創社のTwitterに小塚麻衣子氏が降臨していたのには驚いた 小塚氏は早川ミステリマガジンの現編集長の方である 舞子じゃなくて麻衣子ね、小塚舞子だと別人だからね(笑) ミスマガ5月号の宣伝を兼ねて、創刊準備に大きく関わった田中潤司氏への御礼を述べられていた |
No.2 | 7点 | kanamori | 2012/07/07 13:52 |
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本格ミステリの将来のあり方について論考した都筑道夫のエッセイ風の評論集。作者の言い方では”モダーン・ディテクティヴ・ストーリイ論”となりますが、要は’70年はじめの国内ミステリの現状に対するアンチテーゼになっています。このたび、佐野洋氏との”名探偵論争”部分の「推理日記」からの転載などを追加した”増補版”がでて、しかも解説が法月綸太郎氏ということで約30年ぶりに”再読”しました。
論旨は、「トリックよりロジック」とか「論理のアクロバット」などの有名なキーワードでよく知られていると思いますが、まとめると、当時(昭和45年ごろ)の必然性のないトリック偏重の本格ミステリを批判し、謎解きのロジックに重点を置くミステリを提唱、そのためには読者が納得できる”名探偵”が必要というものです。 初読時には、なぜ”モダーン・ディテクティヴ”がシリーズ名探偵復活という結論になるのか、逆行じゃないかと違和感もありましたが、トリック小説への批判と同時に、犯罪小説によるジャンルの拡散への畏れという「二正面作戦」ではないか、という法月氏の解説で目からウロコです。しかし、「なめくじに聞いてみろ」をリスペクトしたタイトルの小説も書き、ロジック重視ミステリの正統後継者といえる法月綸太郎氏ですから、本書の解説者に最適ではあるのですが、評論集の評論というのは結構神経を使ったんじゃないでしょうかね。 評論といってもエッセイ風の読みやすい内容ですし、多くの内外ミステリ(自作の小説作法を含む)を例示のために取り上げているので、(たびたび話が横道に逸れるのを我慢できれば)、現在の若い人でも十分興味深く読めるのではと思いますよ。50歳前後のおじさん読者はノスタルジーに浸れますし。 |
No.1 | 7点 | 臣 | 2011/01/28 15:27 |
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本書は、こうさんが「ベスト・ミステリ論18」の書評の中でも推薦されている、本格ミステリに関する評論作品です。
やはり「ベスト」にも抜粋されていた「トリック無用は暴論か」の章が気になり、その前後をじっくりと読みました。本格ミステリはトリックよりも事件解決に至るロジックが重要とのこと。これはパズラー条件6箇条の1つです。 ロジック論に絡んで、横溝正史の「獄門島」を今日の本格、「悪魔の手毬唄」を昨日の本格と呼んでいたことが興味深いです。たんなる好みだけなら反論もありませんが、私にとって「悪魔の手毬唄」は横溝の最高傑作であり、「獄門島」よりは上だったと記憶していただけに、この点には反論したくなります。まあ大昔に読んだきりなので、何を反論していいのかわかりませんが。 当時の流行作家の作品でもばっさりと斬り捨てるような文章もあり、心地よさ、反感、納得など様々な印象を受けましたが、総じてミステリー(パズラー)への愛情を感じられました。中身の濃さではピカイチでした。 なおネタバレもあるので気をつけてお読みください。 |