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おかしな二人―岡嶋二人盛衰記
評論・エッセイ 出版月: 1993年12月 平均: 8.00点 書評数: 1件

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講談社
1993年12月

講談社
1996年12月

No.1 8点 Tetchy 2020/07/10 00:07
二人一組の作家の創作方法とコンビ存続もしくは解消の事情については断片的に語られる、もしくはプライベートなことだからと秘されているのが大抵で藤子不二雄についてもWikipediaでその経緯や理由について触れられているが出典不明扱いとされている。
従って本書のように詳らかに二人一組の作家の裏事情が語られるのは稀有なことで、その分非常に興味深く読むことができた。その内容は二人一組の作家の創作活動の困難さと苦難、そして変わっていく人間関係の哀しさが如実に表れている。


まず驚いたのは岡嶋二人の最盛期は江戸川乱歩賞受賞その時にあり、そこから2人のコンビは坂道を転がるように崩れていったとある。それを実証するかのように乱歩賞を受賞するまでが「盛の部」と付けられ、受賞してからのプロ作家としての活動は「衰の部」となり、「盛の部」の分量はほぼ半分もある。つまりそれほどデビューが長かったのだ。
確かにデビューに至る道のりは長い。

共通の友人を介して知り合った徳山氏。1972年に初めて出逢った2人はその後すぐにコンビを組むわけでもなく、共同で映画製作と写真撮影を請け負う会社を設立するが、全く仕事をすることなく、1年も経たずに消滅。その後も2人の付き合いは続きながらようやくミステリ作家としての一歩を踏み出すのが1977年。そして乱歩賞受賞が1982年とそこから6年を要する。
これほどまでに長くかかったのは井上氏と徳山氏が非常に計画性がなく、行き当たりばったりで生きていることに由来する。この2人の生き方は生活の確たる基盤という物を感じさせず、普通の会社人である私は絶対に出来ない生き方である。

しかしこの雌伏の時にこそその後の岡嶋二人作品の萌芽が育っていたことが綴られる。
この時の2人の対話こそが岡嶋二人という作家の本質と云っていいだろう。時間は無限にある中、お互い思い付きで話す話題がミステリの種になり、ストーリーを生み出すことへ繋がっていく。好き嫌いが激しく、飽きっぽい井上氏は徳山氏の出すネタを詰まらないと思うと一蹴し、それを受けた徳山氏は次にはまた新しいネタや新展開を考えて語り出す。
我儘な井上氏と粘り強い徳山氏。この組み合わせでなければ生まれなかったアイデアがこのデビュー前の対話で繰り広げられる。

本書の冒頭で井上氏はこの対話こそ岡嶋二人の創作活動そのものであるので、岡嶋作品のネタバレをバンバン行うと宣言しているが、まさにこの2人の対話はネタバレそのものだ。いやむしろそれを書かないと逆にこれほどミステリが、ストーリーが生まれる経緯は解らないし、詳しく書いてくれたことで実に興味深く読むことができた。代表作とされる『99%の誘拐』、『クラインの壺』のアイデアも既にこの段階で生れていることに驚かされる。
そしてアイデアを小説にしていくことの難しさ。それまで全く小説などを書いたことのない2人がいかにしてミステリを書くに至ったかなどが語られる。

そんなところから始まった岡嶋二人が受賞に至るまでの道のりは、これから作家を目指す人たちにも読んでほしい内容が詰まっている。

乱歩賞受賞作『焦茶色のパステル』の創作経緯は実に面白かった。ミステリの核となるアイデアは勿論のこと、それを軸に物語にいかに起伏を持たせ、読む者の興味を惹くか、そしてそれを成功させるために主人公をどのように設定するか。今まで『ミステリーの書き方』など作家の創作方法を紹介したエッセイを読んできたが、これほどまでのページを費やしてその経緯を書かれた物はなかった。そして賞を獲るためにはここまで綿密に作品の内容を練らなければ通用しないのだと云うことを痛感させられる。
そして乱歩賞受賞者のみが知るその舞台裏。右も左も解らぬ状態で講談社に招かれ、いきなり記者会見。そしてその後すぐ1週間後に受賞後第1作の短編を書くよう要請されること。ここまでの件をこれから乱歩賞を目指す人には是非とも読んでほしいところだ。受賞するための傾向と対策が、受賞後まで書かれているからだ。つまり受賞を望むには受賞作だけでなく、受賞後第1作の短編まで用意しておかなければならないことを知っておかねばならない。

そしてこの最初に訪れる厳しい締切が岡嶋二人解散のカウントダウンの始まりだったことが述べられる。

そこからはその後の岡嶋氏の活躍からは全く想像できなかった苦しみが延々と綴られ、驚きの連続だ。
受賞作の『焦茶色のパステル』よりも同時受賞した中津文彦氏の『黄金流砂』の方が売れ、デビュー早々に「売れない作家」のレッテルを貼られたこと。
乱歩賞受賞が講談社のみならず他の出版社からの原稿依頼を多数招き、常に締切に追われるようになり、かつてのような徳山氏との対話をする時間が次第に失われていったこと。しかもネームヴァリューも低いから1年に数冊出さないと生計が立てられないため、それを飲まざるを得ないこと。
そしてアイデア案出の徳山氏が次第にその役割を怠るようになり、文章係の井上氏が締切に圧迫され、更に状況が悪くなる。パソコン通信という新しいツールを得てそれぞれが話し合うために移動する時間を節約したにもかかわらず、井上氏側の視点から語られる、徳山氏の応対がどんどん悪化していくこと。
そんな中でかつての2人が持っていたコンビネーションを存分に発揮した作品が傑作『99%の誘拐』であったことが明かされている。

始まったものにはいつか終わりが来る。井上氏と徳山氏によって生み出された岡嶋二人というミステリ作家。その作家によって生み出された作品は赤川次郎氏、西村京太郎氏や内田康夫氏などのベストセラー作家に比べて売り上げは低かっただろう。しかしミステリのガイドブックには彼らの作品は多数挙げられており、その評価は高い。特に『99%の誘拐』は後年文庫のミステリで1位を獲得するに至った。
それはしかしてっきり2人による合作作家という強みを活かしたゆえの結果だと思っていたが、実情は全く違っていたことを改めて本書で知り、驚いた次第だ。無論これは全て井上氏側から語られた話であるため、一方的ではあるのだが。
性格の違い、発想の違いというミスマッチが生み出す妙。それが岡嶋二人の正体だった。しかしやがてその違いが次第に歪みを生み、崩れていく。その始まりが何とデビューとなった乱歩賞受賞だったのは何とも皮肉な話だ。
親しい者が仲たがいしていくのは読んでいて胸が痛くなる。岡嶋二人であった時の2人の関係は、徳山氏側は解らないが、井上氏は苦痛しか感じなくなっていくのが辛くなってくる。なぜ自分だけがこんな思いをしなければならないのかとずっと思いながら創作していたのが行間から滲み出ているのだ。

井上氏側から書かれた徳山氏は自分の周りにいる、Yesと答えながら結局何もやらない要領のいい男のように映った。なぜかこういう男は困ったことに憎めない。井上氏がコンビ解消した後も創作中に彼のことが浮かぶのは彼が仕事ぶりは欠点ばかりだが人間として魅力あるからだ。彼は井上氏に知らない世界を見せ、そして彼をミステリ作家に導いた。そして彼はミステリ作家になる術を、知恵を井上氏に授けたのだ。

井上氏がビートルズフリークであるからだろうか。私はこの感想を書いている今、ビートルズの曲のある有名な一節がふと頭に浮かんだ。
“When I find myself in time of trouble, Mother Mary comes to me
Speaking words of wisdom, let it be”
(自分が困っている時、マリア様が来て、知恵の言葉を授けてくれる。あるがままに、と)
“Let It Be”の歌い出しの一節である。

世間を知らないビートルズフリークの、映像関係の仕事に就きたいと野心だけを抱く小生意気な若造が妻子を抱え、明日をも知れぬ生活をしている最中にミステリ創作の知恵を授け、岡嶋二人となり、そして最後通牒を突き付けられ去っていった徳山氏。そんな彼の姿がこの歌詞に重なる。
井上氏にとって徳山氏は知恵の言葉を授けてくれるマリアだったのではないだろうか。
徳山氏がいなかったら岡嶋二人は生まれなかったし、そして井上夢人も生まれなかった。

彼は今いったいどこで何をしているのだろうか。しかし井上氏がこのエッセイの結び「終わりに」に書いたように、今でも井上氏が創作している最中に彼が現れ、知恵を授けているに違いない。
Let It Be、イズミが思った通りに書いたらいいよ、と。


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