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[ その他 ] メグレとリラの女 メグレ警視 |
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ジョルジュ・シムノン | 出版月: 1978年07月 | 平均: 6.00点 | 書評数: 3件 |
河出書房新社 1978年07月 |
No.3 | 6点 | クリスティ再読 | 2023/08/22 09:35 |
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メグレ、ヴィシー温泉に湯治に行く。
ヨーロッパだとお風呂に入るわけじゃなっくて「飲む」のが温泉利用の中心のようだ。タルコフスキーの「ノスタルジア」が温泉地が舞台で、屋外プールみたいなのに水着で入っていたけど、日本の温泉とは大きく違うのが面白い。 過労と歳で何となく体調が悪いメグレのために、医者は2種類の源泉を毎日飲むように処方される。こんな利用法らしい。もちろんメグレ夫人と...でもメグレだから事件も追っかけてくる。 湯治場で出会う、特徴的なファッションにより「リラの女」とメグレが秘かに読んでいた中年女性が自分が経営する下宿で絞殺された!ヴィシーを管轄するルクール警視はメグレの旧部下。殺された女性の不思議な佇まいに関心があったメグレは、ルクールに乞われて事件に関わる...この殺された女性の過去とは一体? こんな話。だから湯治と捜査が並行するようなもので、普段以上にメグレ夫人の出番も多い。旅先のクセに、ほのぼのアットホームな雰囲気が漂う。メグレはアウェイな事件は多いけど、温泉町でも皆メグレを知っていて、リスペクトされているのが、さらに「ゆるめ」の雰囲気を醸し出している。 ミステリとしては..うん、とっても気の毒な犯人。それなりにミスディレクション風の仕掛けもあるんだが、その仕掛けと被害者の「自立した女性像」とミスマッチしている感が強くて、何かね~という印象もある。 まあだけどさ、こういうのはシリーズものでしかできない世界でもあるよ。メグレというシリーズを続けてきたご褒美みたいな作品と思うのがいいんじゃないかな。 (tider-tiger さんもご指摘だけど、訳者伊東守男氏による解説がなかなかヒドい。いやさあ、こういうシリーズものによって、読者とキャラとの間の継続的で親密な関係性を築いてきたことで、はじめて立ち現れる「空気感」というというか、個人を越えた集合的な「世界」もあるとと思う。単発の「作品主義」も、読者と作者が一対一で対峙する「作家主義」も文芸創作のすべてではないし、ジャンル小説としてのジャンルと作者の相克など、エンタメが持つ「文芸論的な論点」というのも非常に興味深いものだと評者は思っているよ) |
No.2 | 6点 | tider-tiger | 2018/07/21 01:08 |
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友人のパルドン医師に薦められてメグレは夫人とともにヴィシー温泉に湯治に行く。同じ時刻に同じ場所で温泉の湯を飲む毎日。そのため同じ人間を何度も見かけることになる。リラ色の服を着た婦人もそんな一人だった。孤独を誇りに感じているようなこの奇妙な婦人にメグレは関心を持った。
数日後、この婦人の写真が地方紙に大きく掲載された。 1968年(67年かも)発表。前回書評した「メグレと殺人予告状」の一つ前に書かれた作品。殺人予告状が「メグレと火曜の朝の訪問者」だとすると、こちらはさしづめ「メグレと若い女の死」といったところか。 被害者の過去をほじくり返すいつものメグレだが、事件の裏で起きたある出来事が鍵となっていて、この出来事がわかってしまえば犯人は自然と特定される。 この出来事がなかなか面白いと思った。さらに読者がこの出来事について推測ができるようきちんと材料が提示されている。ミステリとしては「メグレと殺人予告状」は殺される人間を推測するという楽しみ方ができたが、本作には事件の原因となる裏の出来事を推測する楽しみがあると思う。 両者ともシムノンらしからぬ読者を意識した(のか?)丁寧さがある。 リラの女の造型、特にその二面性の描き方なんかが面白い。 相棒となる元部下のルクール警視とメグレの絡みもいい。犯人が確定しての最後の尋問でもたつくところなんかもよかった。 「殺人予告状」と「リラの女」は地味だが、意外と完成度は高くて、遊び(無駄な場面)もあって、小説としてなかなか面白いのではないかと思っている。 気になったのは犯人の人物像がちょっと単純な点。それから、この事件が殺人に至ってしまったのはかなり強引。チャンドラーのとある作品でも本来は殺人に事件になるはずはなかったのに犯人が~ゆえに殺人になってしまったものがあったが、本作は犯人の人物像からしてチャンドラーの作品よりも強引さが際立ってしまう。 ちなみに本作での自分のお気に入りの場面。 ~(温泉のお湯を適量飲むため)彼(メグレ)も他の人同様、目盛りのついたコップを買い込んだが、メグレ夫人は自分も欲しいと言い張った。~ 本作はメグレ夫人の出番がかなり多い。どの作品でも夫人はメグレの気分をつねに察知する。今さらだがシムノンはどの作品においてもメグレ警視の気分を執拗に描く。ここまで登場人物の気分を大切にする作家は珍しいように思う。メグレものになれてくると、こちらもセリフだけでメグレの機嫌の良し悪しがわかったりする。シムノン自身が非常に気分屋で、もっと言うと精神的に不安定な人物だったのだろうと憶測したくなる。 おまけ 本作は訳者による「あとがき」がすごかった。「後足で砂をかける」という言葉がピタッとあてはまる前代未聞の代物だと思う。 簡単にまとめると以下のようなことが書かれていた。 メグレ警視シリーズはミステリとしては優れているのかもしれないが文学としては二流。シムノンは人種差別主義、階級差別主義があり、それがメグレ警視に投影されている。本来文学というのは弱者に寄り添ってウンヌンカンヌン。 あとがきを長々と評価しても仕方がないので詳述しないが、とにかく肝腎なところでピントがずれているし、文学観も独善的に過ぎるよう自分は感じた(いくばくかは理解できなくもない部分はあったが)。 第三者の書評ならなにを書こうと勝手だが、訳者があとがきでこんなことを書くのはありなのか? 底意地悪く作者を貶し、褒めている部分でさえ嫌味が仄見える。こんなあとがきは見たことがない。ある意味貴重。 |
No.1 | 6点 | 空 | 2012/11/08 20:57 |
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健康を害して、湯治場ヴィシーに来たメグレ夫妻が、毎日ゆっくり散歩し、湯を飲んで静養する日々を送っているという状況がまず微笑ましい作品です。しかしもちろんそれだけではミステリにならないので、そこで目についたリラ色の服を着た周囲から孤立した感じの女が殺されるという事件。
地方警察の本部長がメグレの元部下だったという偶然を、メグレが捜査に関わるきっかけにしています。といっても休暇中で管轄外ですから、アドバイザー的立場を最後まで貫き、尋問には全然口を出しません。そういったことも本作の緩やかな雰囲気づくりに貢献しています。定石通りの捜査が進められ、当然のように容疑者が浮かんできます。容疑者は任意同行を求められ、ある程度覚悟もしていたのでしょう、すぐに自白して終りという、平凡と言えば確かにそうなのですが、そこがいい味を出している作品です。 |