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[ サスペンス ] ドロレス・クレイボーン |
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スティーヴン・キング | 出版月: 1995年09月 | 平均: 8.50点 | 書評数: 2件 |
文藝春秋 1995年09月 |
文藝春秋 1998年12月 |
No.2 | 7点 | Tetchy | 2021/10/21 23:35 |
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本書は前作の『ジェラルドのゲーム』と同じく皆既日食の時に起きた事件の話だ。アメリカの東西で皆既日食の時に起きた事件を語る趣向のこの2作はしかし厳密な意味ではあまり関連性がない。
本書は章立てもなく、ひたすらドロレス・クレイボーンという女性の一人語りで展開する。 通常こういう一人称叙述の一人語りは短編もしくは中編でやるべき趣向だが、なんとキングはこれを340ページ強の長編でやり遂げたのだ。まあ、もともとキングは冗長と云えるほどに語り口は長いので、キングなら実行してもおかしくはないのだが。 さて全くの章立てなしで最初から最後まで通して語られる物語はドロレス・クレイボーンという女性が犯した殺人の告白であり、彼女の半生記でもあり、またセント・ジョージ家の家族史でもあるのだ。そしてふてぶてしい老女の一人語りはなぜ彼女がふてぶてしくなったのかが次第に判ってくる。彼女は理不尽な日々を耐えるうちにふてぶてしさの鎧を身につけていったことに。 前半はドロレスが長年家政婦として仕えていたヴェラ・ドノヴァンとのやり取りが語られる。 このヴェラの世話の一部始終を読んで立ち上るのは介護の問題だ。ドロレスが長年やっていたのは裕福な老女の世話でそこには介護の苦しみが描かれている。そういう意味では介護問題が社会的問題になっている今こそ読まれるべき作品であろう。 しかしドロレスは見事それをやり遂げる。そして22歳で家政婦になってからこれまでずっと彼女に仕えるのだ。そこには単なる主従の関係を越えた、お互いの秘密を共有した鉄の絆めいたもので結ばれるのだ。 さてその絆とは一体何なのか? それが後半のいわば物語の核心で語られる、当時容疑を掛けられても起訴に至らなかった夫ジョー・セント・ジョージ殺しの一部始終である。 このジョー・セント・ジョージと云う夫、キング作品に登場する家族の例にもれず、問題のある亭主である。 ドロレスには内なる目というイメージを持っている。それは物事を客観的に見つめる、殺意という名の目だ。彼女は夫ジョーの度重なるろくでなしぶりに殺意を募らせ、その目が次第に大きくなっていくが、今一歩踏み切れないでいる。しかしその葛藤をヴェラは気付き、促されるままにドロレスは夫ジョーの行った家族への仕打ちと彼に対する報復の思いを吐露するが、一歩踏み切れないでいることも打ち明かす。 そしてドロレスの決意を押したのはヴェラだった。彼女がドロレスからその話を聞いた時、彼女は目のことを話す。ドロレスは自分が持っている目のことをヴェラもまた知っていること、または彼女もまたそれを持っていることを知り、後押しされるのだ。 これが2人の強固な絆を築くこととなった。 皆既日食の日を共通項に2つの異なる密室劇を描いたキング。 片や脳内会議が横溢した決死の脱出劇、片や1人の女性の記憶で語られる半生記。 その両者の軍配はどちらも地味ならばやはり余韻が深い本書に挙げる。 |
No.1 | 10点 | ∠渉 | 2014/12/18 22:19 |
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全編主人公のドロレス・クレイボーンの、取り調べ室での一人語り。このおばちゃんがまぁしゃべるしゃべる。最初は「またダラダラ始まったよ」なんて思ってるのもつかの間、このあばちゃんの生き様がだんだん見えてくる。見えてくれば見えてくるほど、見えてないものの多さに気付く。小さな町を暗く包んだ皆既日食が隠した彼女の真実に、もう涙ちょちょぎれなのである。
この叩き上げの肝っ玉かあさんこそ、キングが描く「イイ女」なのである。 |