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[ ホラー ] ランゴリアーズ Four Past Midnight |
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スティーヴン・キング | 出版月: 1996年08月 | 平均: 7.00点 | 書評数: 1件 |
文藝春秋 1996年08月 |
文藝春秋 1999年07月 |
No.1 | 7点 | Tetchy | 2021/03/06 00:31 |
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キングの中編集“Four Past Midnight”に納められた4編の内、2編を収めた作品集。
本書に付された序文によれば『恐怖の四季』がそれまでに思いつくままに綴った作品を収録した物であったのに対し、本書はキングが不調で引退したと思われていた2年間に書かれたホラーであることが異なっている。 余談だが、映画『スタンド・バイ・ミー』が大ヒットした映画監督のロブ・ライナーは自分の設立したプロダクションを<キャッスルロック・プロダクション>と名付けたらしい。 また本書では各編に創作ノートが付けられているのも特徴だ。そこにはキングはそれぞれの物語の着想を得た時の状況やあるアイデアから物語が膨らみ、各編へと至った経緯が語られており、興味深い。 特に私が驚いたのはキングが「アイディア・ノート」を一切作っていないこと。彼は良いアイディアはすぐには忘れられるものではないとし、自然消滅するようなアイディアはつまらないものだと思っている。そしてよいアイディアは折に触れ頭に浮かび上がり、次第に形になっていくものだと述べている。 「ランゴリアーズ」では旅客機の隔壁の亀裂を必死に抑え込んでいる女性のイメージが浮かび、ベッドに就いている時にその女性が亡霊であることに「気付き」、そこから物語が出来ていったそうだ。 このようなエピソードを読むとやっぱりキングは全身小説家とも云うべき常に物語が頭にある稀有な作家なのだと思い知らされる。 そんなキングが生み出した本書2編に私は作者の作家としての苦悩と恐怖を感じた。 本書の表題作である「ランゴリアーズ」。 ランゴリアーズという黒い球体のような物体が何兆もの夥しい数で現れ、大きな口を開けて世界を食べていく。ランゴリアーズが噛んだ後は何も残らない暗闇、即ち無になる。球体で大きな口と云えばパックマンを思い浮かべるが、恐らくキングもそれからイメージを喚起したのかもしれないが、キング版パックマンであるランゴリアーズは何とも恐ろしい。彼らが食べる後にはそれこそ何も残らない。登場人物の1人が云うように奴らは永遠の虚無を掘り起こしているのだ。 そしてこの迫りくる虚無。全てを無にしてしまうランゴリアーズはキングの潜在的な恐怖を具現化したもののように思える。それは忘却だ。 本書の中編が書かれたのは序文にもあるように世間で引退したと思われていた時期の2年間に書かれている。つまりキングがスランプ状態に陥った時の作品だが、この『ランゴリアーズ』はその時のキングの心情が色濃く表れているように思われる。 それまでのキングはその頭の中からどんどん湧き出す物語があり、それを紙面に落として数々の作品を生み出していたわけだが、その彼が急にスランプになり、書けなくなった。そうすると世間では彼が引退したとみなし、もう過去の作家だと思われているのではないかとキング自身が忘れ去られようとしていると思い込み、その恐怖がランゴリアーズを生み出したのではないか。 登場人物の1人パイロットのブライアンが呟く。ランゴリアーズに食い尽くされた大地にあるのは真っ暗闇の無、虚空。飛行機の燃料が尽きる時、そこには激突は出来ず、ただ墜ちるしかない。虚空に向かってどれだけ墜ちていくことができるのだろう、と。それはまさにひたすらスランプに陥ったキングがこのままどこまで堕ちていくのかと想像を絶する不安を抱えていたことを暗示しているかのようだ。 この作品で狂える銀行重役クレイグ・トゥーミーこそ当時の作者の醜い部分を表した人物であるように思える。ランゴリアーズの襲来を恐れるあまり、盲目の少女の胸にナイフを突き立て、重傷を負わせ、1人の死者を出し、ボストン行きに固執する彼はキングの焦燥感をそのまま写した鏡のようなキャラクターと捉えるのは間違いだろうか。 そして異世界に迷い込んでしまった彼らが生還するには知らぬ間に潜り抜けてしまった“時間の裂け目(タイム・リップ)”という彼らの住む世界とランゴリアーズの蔓延る世界の境界に空いた裂け目を再び潜り抜けるしかないと考える。それはLA発ボストン行きのフライトの途中にあると思われ、彼らはそれを逆に辿ることにする。つまり出発点に戻る、過去に戻るために。 何とも象徴的な作品だ。ランゴリアーズの住む世界はキングが恐れた、自分がスランプを脱せずにこのまま忘れ去られようとしている暗鬱な未来を象徴し、このスランプから逃れるために原点に戻ろうとする、当時のキングそのものの心境、覚悟が行間からにじみ出ているかのようだ。 そして彼らは見事“時間の裂け目(タイム・リップ)”を見つけ、1人の乗客を犠牲にして生還する。しかしその生還も単純ではない。彼らは過去に戻りながら、その過去の時点の未来に戻ったのだ。そして現在が追いかけてきて同調し、元の世界に戻る。しかし戻った彼らは他の人々とは少し違って、なんだか輝いて見える。登場人物の1人ローレルが、新しい人間になったようだと云うが、これもまさにキングの心情そのものではないか。 キングは本書を『恐怖の四季』とは異なり、全てホラーを書いたと述べた。しかし本書は確かに異世界に迷い込み、そこで発狂する人間が登場し、それによって殺人が起こり、尚且つランゴリアーズという全てを無にする怪物が登場するパニック・ホラーではあるが、結末は何とも清々しい。 つまりこの「ランゴリアーズ」という作品そのものがスランプを脱し、再びモダンホラーの世界に戻りながらも、それまでの作品とは違った風合いを持った作品を放つ新生キングの誕生の声高の宣言書のように読み取れるのだ。 しかし一方次の「秘密の窓、秘密の庭」は逆に小説家という職業に付きまとう根源的な恐怖を描いている。自分が紡ぎ、世に送り出した小説が実は今まで自分が読んだ他者の小説の影響を潜在意識下で受け、模倣、剽窃したのではないかという恐れだ。 スランプに陥り、新たな出発を誓いつつ、その一方で今から書くものは本当に自分のオリジナルなのだろうかと自らを苛むキングの姿が見えるようだ。 従ってある日知らない人が訪ねてきて、「あなた、私の作品、真似したでしょ!」と糾弾され、次第に狂っていくモート・レイニーの姿はキングの根源的な恐怖の象徴なのかもしれない。 またこの作品では映画化される予定の作品が昔の作品に類似していることから頓挫したエピソードが出てくるが、これもまた作者の実体験のように思われる。人間が生まれてそれほど数えきれない数の物語が語られ、書かれてきた現在、完全なオリジナルの作品は皆無と云えるだろう。同じパターンの話を設定と語り口を変えてヴァリエーションを増やして生み出しているというのが現状だ。例えばこの「秘密の窓、秘密の庭」の話自体、今やそれほど驚かされる話ではない。しかしこの作品が映画化までされたのはそこに作家キングの影や彼自身が抱く潜在的な恐怖が滲み出ているからだ。 この時期のキング作品には彼自身の創作意欲が放つエネルギーがもはや虚構に留まらず、現実世界にまで及んでいると感じさせられるほどの凄みがある。 |