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[ SF/ファンタジー ]
不眠症
スティーヴン・キング 出版月: 2001年06月 平均: 8.00点 書評数: 1件

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文藝春秋
2001年06月

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2011年10月

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No.1 8点 Tetchy 2024/04/27 01:05
物語の舞台はキャッスルロックに並ぶキングの架空の町デリー。そう、あの大著『IT』の舞台となった町だ。
勿論その作品とのリンクもあり、“IT”に立ち向かった仲間の1人マイク・ハンロンは図書館々長となっている。

さて上下巻約1,280ページに亘って繰り広げられるこの物語はスーザン・デイという中絶容認派の女性活動家の講演を招致することでデリーの街が中絶容認派と中絶反対派に二分され、そして彼女がデリーの街に訪れるXデイに起こる惨事を主人公が食い止める話だ。

しかし途中で物語はスピリチュアルな展開を見せる。そして見えてくる物語の構造を端的に云えば、次のようになるだろう。
デリーの街に蔓延る異次元の存在。彼らが解き放ったサイコパスから街を守るのは不眠症の老人男女2人だった。
冗談ではなく、これが本書の骨子である。
本書の主人公70歳の老人ラルフと68歳のロイスが立ち向かうのは不眠症とエド・ディープノーという男、そして彼にも見えるチビでハゲの医者だ。
まずエドという男はいわば“隣のサイコパス”ともいうべき存在。常に微笑みを絶やさない、好青年ぶりを発揮する。しかし彼もまたオーラの世界と云う異次元を見る能力者であり、デリーの街が持つ特別な≪力(フォース)≫を知覚する人物でもあった。

さて本書で述べられる主人公ラルフの不眠症。実は私にも当てはまることがいくつかあり、背筋に寒気を覚えた。従ってラルフの抱える苦悩は肌身に染み入るほど私事として捉えることができた。本当に不眠症は辛いのである。

そしてラルフとロイスが不眠症が重くなるにつれて見えだすオーラの世界に住まう異次元の存在、3人のチビでハゲの医者たちと称される者たちはラルフが例えるギリシア神話の「運命の三女神」、クロートー、ラケシス、アトロポスと名乗る。
彼らは生物に繋がっている風船紐を断ち切ることで死をもたらす。
しかしアトロポスが風船紐―医者たちの言葉を借りれば生命コード―を断ち切っても死ななかった存在、それがエド・ディープノーなのだ。それはつまり彼こそがデリーの街を二分する騒動や不安をもたらしたマスターコード、災厄の種であるとクロートーとラケシスは述べる。

ラルフとロイスは次第にオーラが見える力を安定させていく。
まず彼らは不眠症を重ねることでどんどん若々しくなっていき、その結果周囲の人たちから不眠症が治ったと勘違いされるが、これは彼らが周囲の人たちのオーラを頂戴する能力を備えているからだ。

なかなか構造が見えにくい物語だったが、ラルフとロイスにオーラの世界を知覚し、そしてオーラを自由に操る能力が授けられたのはある任務のためだった。
3人の医者のうち、≪意図≫の生死を司るクロートーとラケシスは魂の風船紐をアトロポスに断ち切られても生きており、彼はいわば自由に動ける存在で、真紅の王から特別な任務を授かっている。彼がプラスチック爆弾を乗せた飛行機でスーザン・デイの公演が行われるデリー市民センターに突入し、2,000人もの中絶容認派たちを大量虐殺しようとするのだが、クロートーとラケシスが止めるようとしているのはスーザン・デイや2,000人の命を守るためではなく、そこに居合わす特別な存在、その後の世界にとって重要な役割を担う1人の子供の命を救わせるためだった。
それがパトリック。ダンヴィルという少年で18年後に2人の男の命を救うことになっており、そのうちの1人は≪偶然≫と≪意図≫のバランスを保つために死んではならない存在となる。つまりパトリックがその男を救うことで世界の崩壊が免れることになるという、いわば救世主のバトン役みたいな存在だ。
結局“Xデイ”の中心となるスーザン・デイは単なる狂言回しに過ぎなかった。彼女は物語の舞台に上がる前に爆風によって割れたガラスで首を斬られただけである。彼女は全く“特別な存在”ではなかったわけだ。

そして驚くべきことにパトリックが市民センターで裏紙に書いている絵はなんと暗黒の塔の上に赤い服を着た男とそれと対峙する拳銃使いの男の絵なのだ。そして拳銃使いの名はローランドなのだとパトリックは話し、彼はたびたび夢の中でローランドと逢っているらしい。
なんと本書でデリーの街と『ダークタワー』シリーズが繋がるのである。

とにかくもラルフは見事ミッションを果たし、そして彼はその後ロイスと再婚し、実に幸せな日々を送る。そして事件の後、彼ら2人の不眠症はぱったりと止み、やがてオーラの世界のことも次第に忘れていく。
本来ならば物語はここで閉じられるのだが、キングは60ページにも亘るエピローグを語り、衝撃の結末を我々読者に見せる。そしてそれは本書では明らかにならなかったあるイベントの内容の答だった。そしてこのエピローグで私の本書の評価がグッと上がったのだ。それについて触れるためにある印象的なシーンについて述べよう。

ラルフとロイスが最後の戦いに挑む途中で街の老人仲間のフェイ・チェイピンを中心としたチェス仲間が集まってチェスに興じる姿に2人は宝石のような美しいオーラを見出すシーンがある。私はこのシーンを読んだときに思い出したのは東野圭吾氏の『容疑者xの献身』の次の文章だ。
人は時に、健気に生きているだけで、誰かを救っていることがある。
そう、人は単に生きているだけで美しいのだ。気の置けない仲間たちと休日、集まってチェスに興じ、笑い、語らい、そして冗談を云いあい、まるで子供のように楽しむ。
それはまさにクリスタルのようなかけがえのないひと時なのだ。そんな素の姿を出している人々はそれだけで美しいのだ。
そしてそれを象徴するかのように物語の最後を迎える。

『IT』で登場したキングが創造したキャッスルロックに次ぐ架空の街デリー。この街には他の街にない特有の見えざる力が働くようだ。

この街の下水道は“IT”の巣窟であったが、今回災厄の中心とされたエド・ディープノーの結婚指輪がこの下水道に飲み込まれる。それは再び災厄が訪れることを象徴しているのだろうか?あの奥深くてジメジメとした下水道の中で。
そして『IT』でも少年たちが子供の頃に一度“IT”と対決したことを忘れていたように、ラルフもクロートーとラケシスに頼まれた使命を果たした後、不眠症が解消され、オーラの世界のことを忘れてしまう。
そして時が流れ、成長したナタリーにアトロポスの魔手が伸びるその時が近づいた時にラルフは不眠症が再発し、やがてオーラの世界のことも思い出していくのである。

あまりに強烈な悪夢を見ると起きた時にその印象だけが残ってどんな夢か覚えていないことがある。
デリーの街もまた同じようで、時に運命の分かれ目と云えるほどの大きな災厄が訪れるが、それを乗り越えるとそれに関わった人々はその強烈さから心を護るためか、その戦いについて忘れてしまうようだ。おそらくそれがこのデリーという街特有の自浄作用なのだろう。
忘却と災厄の街。この呼び名がデリーには似合うようだ。

そして今回ラルフが市民センターに突入しようとした飛行機の中で遭遇した真紅の王は、対峙する者の記憶の奥底に眠るトラウマの対象に姿を変えて現れる。今回ラルフの前に現れた真紅の王は7歳の時にラルフが釣り上げて死なせたナマズ、クイーンフィッシュの姿で現れた。
これはまさに“IT”ではないか。

“IT”、真紅の王と巨大な悪を迎えたデリーにまだ安息は訪れないのか。次の災厄はどんな敵の姿で現れるのか。私の不眠症が解消されないのと同様に、またも誰かが不眠症にうなされそうだ。


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