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[ 警察小説 ]
贖罪の街
ハリー・ボッシュシリーズ
マイクル・コナリー 出版月: 2018年12月 平均: 10.00点 書評数: 1件

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講談社
2018年12月

No.1 10点 Tetchy 2020/06/24 23:35
今回もコナリーにはやられてしまった。もはやページを捲ればそれが傑作だと約束されているといっても過言ではない。

ボッシュの停職処分から余儀なくされた早期退職に対する訴訟、それを弁護するのが異母弟のミッキー・ハラー。そしてハラーはボッシュに自分の仕事の調査員になるように依頼する。この2人の職業と関係性を十分に活用しながら実に淀みなくシリーズが展開する様にいつもながら感心する。コナリーはハリー・ボッシュ、ミッキー・ハラーという2人の男の人生を知っており、それを我々読者に提供している、そんな気がするほどの事の成り行きの自然さを感じさせられる。

また本書ではそれまでと異なる描き方がされている。それは事件の犯人の行動が物語の冒頭から同時並行的に描かれていることだ。しかも彼らが刑事であることも判明しており、予め悪徳警察官であることが判っている。これは非常に珍しい。なぜならコナリーはこの手法をサプライズに用いることが多いからだ。
しかしこの新しい手法はまた物語に新たな魅力を生み出している。この2人の行動が不穏過ぎて物語に常に緊張をもたらしているからだ。彼らに監視されるハラーとボッシュ、そしてその他事件関係者たち。彼らが何をしようとしているのか読者は不安の中でページを捲らされる。その先を知りたくて。

今回久々にボッシュは『暗く聖なる夜』、『天使と罪の街』以来、刑事ではない立場にある。従って彼もまた警察の脅威を感じ、いや特権的立場を失っている状態にあることで正しい市民であろうとする。

前科者は必ず犯行を再発する。それは彼らが根っからの悪だからだと悪に対して執着的な怒りを覚えるボッシュ。
一方で人は変われる、やり直せる、だからそんな更生した人を偽りの犯行から護らなければならないと、かつての悪人の贖罪を信ずるハラー。
やがてボッシュもフォスターが真犯人ではないと認める。しかし2人はフォスターが無罪であると信じながらもその目的は異なる。
ボッシュはフォスターを生贄に捧げ、のうのうと生きる真の悪人をのさばらすのを許さず、必ずこの手で真犯人を突き止めようとする。
一方ハラーはフォスターが無罪であることを証明するためにその材料をボッシュに調査させて集めようとする。
元刑事と弁護士の価値観の違い。それがいつしかこの異母兄弟の間に乖離を生む。


私欲のために大勢の人の立場と人生を利用し、そして危なくなればゴミのようにその命を葬り去る。人の死を扱う仕事に就くことで人の死に対して鈍感になり、そして自分の仕事が庶民に対してある種の特権を持つことに気付き、いつしか王にでもなったかのような尊大な男が生んだ悲劇の産物が今回の事件だった。一介の市民となったボッシュが刑事でないことの不便さは即ち彼ら2人が刑事であるがゆえに覚えた特権だったのだ。

コナリーはシンプルなタイトルに色んな意味を、含みを持たせるのが特徴だが、本書の原題“The Crossing”もまた様々な意味で使われている。
まずは元刑事が刑事弁護士の調査員になることをダークサイドに渡る(クロッシング)という裏切り行為という意味で使われ、次は被害者レクシー・パークスが有名な市政管理官補であり、メディアにも多く登場していたことで不特定多数の人間に遭遇(クロッシング)していたことで容疑者特定の困難さを示す言葉として。更に被害者と加害者の動機と機会とを結びつける交差(クロッシング)する瞬間をも意味する。
しかし私はその言葉は次の一言に集約されると感じた。

The Crossing、それは即ち一線を越えること。

まずボッシュは元刑事としてはタブーとされる弁護側の調査員となる一線を越えた。それは逆に彼が別の人間に冤罪を着せ、のうのうと生きている悪を野放しにしてはいけないという刑事の信念に駆られたが故であるのが皮肉なことに一線を越えさせた。
そして一連の事件の主犯であるハリウッド分署風俗取締課の刑事ドン・エリスとケヴィン・ロングは職務を濫用することが甘い汁を吸えることに気付き、刑事としての一線を越えた。彼らは風俗嬢を使い、隠しカメラで一部始終を撮影することで富裕層から大金を強請ることを思い付き、金蔓を生み出していた。それはもはや犯罪者以外何ものでもなく、彼らは悪への一線を越えたのだ。
そしてその2人の悪行に綻びをもたらした形成外科医のジョージ・シュバートも自ら一線を越えたと白状する。患者の1人の風俗嬢の、警察が仕掛けたハニー・トラップに引っかかり、彼は悪徳刑事たちの強請りに屈した。
ただ、誰が彼を責められようか。もし要請に応じて往診に行き、そこで若い女性が誘惑して来たらそれを抗うのは至難の業だろう。彼は全く以て不幸だったに過ぎない。たまたま彼に照準が据えられたのだから。

一線を越えた者たちの内、正しい方への一線を越えたのはボッシュだった。しかしそれがゆえに彼は元仲間たちの警察官から裏切者のレッテルを貼られることになった。なぜなら彼は刑事を犯人として告発したからだ。
正しいことをしながら元仲間たちに蔑まされる。ボッシュの歩んだ道のなんと痛ましいことよ。
そしてその正しさを認めることのできない警察官たちの何とも愚鈍なことよ。
正義を司る者たちが仲間意識を優先して正しき進むべき道を見誤るようになってしまっている。コナリーは今までも正義を裁く側の人間を犯罪者として物語を紡いできたが、それをアウトサイダーになったボッシュによって裁くことでより一層警察組織そのものの歪みが浮かび上がらせることに成功したように思える。

この原題が非常に本書の本質を掴んでいるがゆえに今回は邦題の『贖罪の街』がなんともちぐはぐに感じてしまう。訳者はあとがきでその理由について述べているが、正直苦しい。私ならば原題をそのままカタカナにして『クロッシング』にするか、それともボッシュも常に吐露している、事件の被害者たちが陥った『ダークサイド』もしくは『アザーサイド』か。簡潔にして多種多様な意味を持つ言葉だけに日本語でそれを成そうとすると実に難しい題名だ。

さて何度目かのボッシュとハラーのコラボレーションとなった本書は双方の持ち味が十分に反映された作品となった。
ボッシュは刑事の職を離れ、一介の民間人というハンデを負いながらも生まれながらの刑事とも云うべき執念の捜査を続け、真犯人に辿り着き、そしていくつもの危難を乗り越えた。
一方ハラーはボッシュが集めた証拠とアドヴァイスを存分に活かし、法
廷でハラー劇場とも呼ぶべき鮮やかな弁護を披露し、見事依頼人の無実を勝ち取った。

しかし我々はもはや何が正しく何が間違っているのか解らない世界に生きている。社会に秩序をもたらすために作られた精巧なシステムが正しくなければならない、誤作動するなどあり得ないと断じる、それを扱う側の人間たちによっていつしかその信頼性を守るために、いやミスを認めようとしないつまらぬプライドのために、正しいことがなされず、いつしか過ちがうやむやに葬り去ろうとされる、もしくは落としどころを付けるために弱者に標的を定め、犠牲として捧げる、そんな歪みが蔓延していた世界にいつしかなってしまった。
そんな世界だからこそ小説の、物語の中だけでも正しいことが正しく落着する結末であってほしい。そのために小説は、物語は書かれ、読まれるのではないか。
コナリーの描くボッシュサーガは正義を貫くことの困難さとそれを乗り越えた人々の、人生の充実を常に与えてくれる。ハラーの物語はいつも結末は苦いが、今回はさすがに爽快感をもたらしてくれた。


マイクル・コナリー
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