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[ 警察小説 ] 転落の街 ハリー・ボッシュ刑事 |
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マイクル・コナリー | 出版月: 2016年09月 | 平均: 10.00点 | 書評数: 1件 |
講談社 2016年09月 |
講談社 2016年09月 |
No.1 | 10点 | Tetchy | 2019/05/23 23:35 |
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またしても過去がボッシュを苛む。今回ボッシュが担当するのは彼の宿敵で目の上のタンコブだったアーヴィン・アーヴィングの息子の墜落事件。しかもアーヴィングが強権を発動してボッシュを捜査担当に指名する。
この水と油の関係の2人。これほどシリーズを重ねながらもアーヴィングの影はなかなか消えない。振り子のようにボッシュとアーヴィングはお互い離れ近づきを繰り返す。 相変わらずだが、アーヴィングという男は何を考えているか解らない男だ。唯一解っているのは自分の得になるためだったらどんなことでもやる男だ。その行動原理は独特で、実に政治家に向いていると云えるだろう。微笑と寛容で近づいてきたかと思えば次の時点では冷徹なまでに突き放し、もしくは職さえも奪おうとする。己の考えが全て正しいと思っている、何ともイヤなヤツなのだ。 そしてボッシュはもう1つ事件を担当する。いや本来ならばそちらが担当する事件だったのをアーヴィングによって強引にねじ込まれたのだが。 1989年に起きた未成年女性強姦殺人事件に残された血痕のDNAがヒットし、クレイトン・ペルという男が浮上したが、なんと事件当時彼は8歳に過ぎなかった。この鑑定が担当刑事の証拠取り扱い不注意によって生じた結果なのか、それとも本当にそれがクレイトン・ペルの物であるのか、そして彼が事件の犯人なのかを探るのがボッシュの任務だ。 さて今回の原題“The Drop”は色んな意味を含んでいる。 最初のDROPはボッシュが申請を認められる定年延長選択制度(DROP)の略称だ。つまりボッシュは定年を迎えながら更に刑事を続けることが出来るようになる。但し彼が申請したのは遡らずに5年であったが、遡っての4年。即ち定年を9カ月過ぎてからの承認であり、残り39ヶ月がボッシュの刑事人生となることが明示される。 次のDROPはボッシュとチューが担当することになったコールドケース、リリー・プライスという女性強姦殺人事件だ。彼女の首に付着していた滴下血痕(DROP)のDNA鑑定により、クレイトン・ペルという性犯罪者が浮上するが、事件当時彼はたったの8歳だった。 第3のDROPはそのものズバリでボッシュが図らずも担当することになるアーヴィン・アーヴィングの息子ジョージの墜落事件だ。アーヴィン直接指名での担当となることでその事件を担当していたハリウッド分署の刑事からも白い目で見られる。そして一見自殺と思われた墜落死が調べていくうちに他殺の線が濃くなる。しかもそれが警察関係者である線も濃厚になっていく。 つまりまたもボッシュは警察同士の軋轢に巻き込まれるのだ。まさにアーヴィン・アーヴィングはボッシュの人生にとってのジョーカーのようだ。 そしてもっと大きなDROPがある。それはこの感想に最後に述べよう。 さて私がシリーズ継続に当たって懸念していたマデリンとの関係はどうにか上手く行っているようだ。本書ではボッシュなりの娘との関わり合い、いやボッシュ流子育てが垣間見れる。 つまりリトル・ボッシュを着々と育てているようだ。それは即ち自分が以前のように事件に没頭できる環境を整える意味もある。 そしてマデリンもまたボッシュ並の刑事としての才能の片鱗を覗かせる。 この二人のやり取りは実に微笑ましく、ボッシュの娘に対する愛情と、そして娘のボッシュに対する親愛の情を十二分に感じさせる。 しかもこのマデリン、実に大人びているのだ。ボッシュが刑事を辞めるのを最初に切り出す相手がマデリンならば、父親に適切な回答をするのもまた彼女なのだ。その内容はボッシュをしてとても15歳の少女を相手に話しているとは信じがたいと思わせているが、まさにその通り。私の懸念は見事に吹っ飛び、マデリンはこのシリーズにとってなくてはならない存在までになった。 ヒエロニムス・ボッシュ。まさに彼こそ人生の全てを刑事という職業に捧げた、全身刑事ともいうべき存在だろう。 彼の娘マデリンが将来ボッシュみたいな刑事になりたいと云ってから彼は娘を刑事の訓練を行うが、それは第二のボッシュを育てるというよりも、彼亡き後も悪を罰する使命を娘に託しているのだろう。ボッシュサーガはこのハリー・ボッシュという男の刑事の血を継いでいく物語になる、そんな一大叙事詩のように感じた。 色々なエピソードも含め、今回強く感じたのはハリー・ボッシュシリーズとは刑事・警察の生き方を描いた物語であることだ。 刑事を続けることの能力の限界を悟り、一度はその職を辞しようと揺るいだボッシュの心を繋ぎ留めたのはキズミンが放った怪物たちを捕まえ、止めることこそが気高い我々の仕事なのだという言葉。「これこそ、わたしたちがやっていることの理由」を見出したボッシュは猟奇殺人犯が自身で記録した膨大な写真とビデオテープ、DVDの中から、彼らが担当したリリー・プライスが写っている証拠を探すのは自分たちだとして、他の刑事からの援助を断る。それがボッシュの刑事としての生き様なのだ。 そしてそんな暗鬱な作業の実態を敢えて省かず書いたコナリーの仕事もまた見事だ。彼は警察とは、刑事とはこういう人たちなのだと示したかったからこそこの場面を敢えて詳細に書いたのだ。 大きな正義に小さな正義、そして法を超えた正義。それぞれの立場で異なる正義が主張し、そして実行される。その渦中にいるのがハリー・ボッシュという男だ。 物語の最後は実に苦い。 そう、本書に掲げられたタイトル、転落の街、即ちThe Dropに隠されたもう1つの意味はこのロス市警の正義を意味しているのではないか。それはアーヴィン・アーヴィングの落選(DROP)を期待する堕ちたロス市警そのもの。自分たちの利益のために、一人の刑事と一人の男の死を利用したロス市警はボッシュにとって唾棄すべき存在へと堕ちてしまった。 それでもボッシュは刑事を続ける。キズミン・ライダーが彼に投げ掛けた言葉、「これこそ、あたしたちがやっていることの理由」を心の支えにしながら。 見事だ、コナリー。またも心に染み入る仕事をしてくれた。またもやハードルが高くなったが次もまたそれを越えてくれるだろう。我々の期待以上に。 |