皆さんから寄せられた5万件以上の書評をランキング形式で表示しています。ネタバレは禁止
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[ 本格 ] 薔薇の殺意 ウェクスフォード警部 |
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ルース・レンデル | 出版月: 1981年12月 | 平均: 6.00点 | 書評数: 2件 |
![]() KADOKAWA 1981年12月 |
![]() 角川書店 1981年12月 |
No.2 | 7点 | Tetchy | 2025/01/15 00:38 |
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私がレンデル作品を初めて読んだのが1998年。ウェクスフォード警部シリーズ第7作の『ひとたび人を殺さば』だった。それから23年(当時)を経てようやくシリーズの第1作を手にすることが出来た。ただ訳者あとがきによればウェクスフォード警部シリーズの邦訳紹介はその『ひとたび人を殺さば』だったようで、本書はシリーズ第2弾として出版されたらしい。
私は『ひとたび人を殺さば』を傑作だと思っており、恐らくはシリーズ訳出の試金石としてそちらが先に発表されたのだろう。日本の翻訳出版事情はこのようにシリーズの順番関係なく評価の高い作品から訳出される傾向にあるが、これは作者の作品を刊行順に読みたい私にとってあまり歓迎したくない風潮だ。 この有名なシリーズのデビュー作にしては実に事件は地味である。 地味な一人の女性の死。その犯人は正直現代ではさほど意外なものではない。寧ろ途中で私は犯人が解ってしまった。 本書が書かれたのは1964年。現在ジェンダーフリーが提唱され、認知はされつつあるがなかなか同性愛に理解が示されない世の中である。 つまりまだ女性を愛するのは男性であるという固定観念が強かった時代に本書の犯人を敢えて同性愛者に据えたことが斬新だったのだろう。 本書は二項対立による先入観と時の流れによる人の変遷について書かれた作品であることが最後に判る。 二項対立とは被害者であるマーガレット・パースンズと彼女の遺体の傍に落ちていた口紅の持ち主ヘレン・ミサル、そしてミサル家の専属弁護士クォドラント夫妻の妻フェイビアの2組を指す。 前者は化粧気のない地味な古風な美人だが、わずかに肥満気味と、まあどこにでもいる主婦だが、それに反してヘレンは夫がカーディーラーを経営しており、生活は裕福でドイツ人の若い女性ベビーシッターを雇って子供の世話をさせている派手で美しい女性であり、一方フェイビアも弁護士夫人として優雅な物腰と高価な服を着た、いわゆるスノッブと揶揄される上流階級の女性たちだ。 おおよそ接点のないこの3人の女性たち。寧ろヘレンとフェイビアはマーガレットのような女性と近所付き合いすることすら歓迎しないと思われたが、実はかつて同じ学校に通った女学生であり、しかも当時親しい仲だったことが判明する。 そして女学生時代、マーガレットはその美貌と年不相応の落ち着いた雰囲気から先生からも綺麗で魅力的だったと評され、他の女学生達の憧れの存在であり、集合写真を写すときも中心で周囲が学生らしい若さを漲らせた笑顔を見せるのに対し、彼女だけが口角のみを挙げた大人びた微笑みを浮かべる表情を湛えていた。まさに価値観の反転である。 「人は見た目で判断してはいけない」と云われるが、その反面「人は見た目で8割が決まる」と見た目が重視される言葉もある。この価値観の反転はまさに相反する謂れによって我々が見た目に惑わされているかを如実に表しているようだ。 「こう見えても私は昔はモテたのよ」と過去の栄光を懐かしむ人がいる。 それは現在の自分を顧みて、若さが自分にもたらせた輝きや万能感を惜しむ気持ちが滲み出ている言葉だ。自分が最も輝いていた時期を懐かしみ、そして惜しむ気持ちは誰しもあるだろう。 しかしこのマーガレットは違ったのだ。彼女が亡くなった時に新聞に掲載された写真を見たかつての知人たちは「昔は彼女も美人だったのにねぇ」と半ば同情と哀れみを持ちながら、そして昔の美人も人の子だったとホッとするとともにちょっとした優越感を得る気持ちもあるだろう。 しかし彼女は元々自分に自信がなかったのだ。 マーガレットは大人になって苦労して地味になったのではなく、それが本来の自分なのだ。 昔からかつては美貌で鳴らし、周囲の羨望の的であった女性が次第に老いていくことで老醜を露見していく様から「時の流れは残酷だ」と云われているが、しかしそれは実はかつての姿を知る他人が思うことであって、当人はそういう風には思っていないことが私には不思議である。いや彼女は既に魂の充足を手に入れていたのか、齢30にして。 しかしレンデルには感心させられる。実に人間臭い動機や考え、または性格が事件を生むまでに発展することを巧みに物語に、設定に取り込んでいるからだ。 正直本書がどれほど好評を以て迎えられたかが解らないが、2作目の『死が二人を別つまで』ではいきなりウェクスフォードとバーデン側からではなく、捜査を受ける側から書かれている。つまり2作目でいきなりアクロバティックなことをしているのだから、レンデルはウェクスフォード警部をシリーズキャラとして定着させたかったのではなかろうか。一方でレンデルはウェクスフォード警部物を書くのに後年うんざりしているとインタビューで答えている。読者の要請があるから書いているだけで自分の本質はヴァイン名義で書くような純文学寄りのミステリなのだとも。 しかし『薔薇の殺意』は原題とはかけ離れているが、原題はほぼネタバレに近い。しかしこの邦題はあまり内容に即した物だとは思えない。私なら『百合の殺意』とするだろう。最後になって題名の意味が解るようになるからだ。 しかしこれもネタバレギリギリか。 やはり内容に相応しい当意即妙な邦題を付けるのはなかなか難しいものである。 |
No.1 | 5点 | nukkam | 2009/04/22 15:13 |
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(ネタバレなしです) P・D・ジェイムズと共に英国ミステリーの女王の座に君臨する存在だったのがルース・レンデル(1930-2015)です。その作風を大雑把に分類すればウェクスフォード主任警部シリーズの本格派推理小説、ノンシリーズのサイコ・サスペンス小説、バーバラ・ヴァイン名義の文学志向の強いサスペンス小説に分かれますがいずれのジャンルも高く評価されています。もっともミステリー第1作(ウェクスフォードシリーズ第1作でもあります)である本書が発表された1964年が本格派推理小説冬の時代だったためか最初はあまり売れなかったようですが。本格派としては容疑者の数がかなり絞られているので犯人当ては比較的容易ですし、後の作品に比べると内容も軽いです。しかし深みのある人物描写は既に本書でも十分に発揮されていますし後の重厚な作品群もいいのですが本書の淡色の水彩画を思わせるような繊細なタッチもまた魅力的です。これこそがレンデルの原点だということをしっかり感じさせてくれます。 |