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ミステリの祭典

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麝香福郎さんの登録情報
平均点:6.78点 書評数:68件

プロフィール| 書評

No.28 5点 怪盗の後継者
久住四季
(2022/12/07 21:49登録)
主人公の柏手因幡は平凡な大学生。ところが大学講師を世を忍ぶ仮の姿とする謎の男・嵐崎望から「君、私と一緒に泥棒をやってみないか?」とスカウトされる。嵐崎の話によると、因幡の父は伝説の怪盗ジャバウォックそのひとりであり、嵐崎はその協力者だったという。因幡は嵐崎とその仲間たちとともに、父を罠にはめた大物政治家・早乙女巌の悪事の証拠を盗み出すことになった。
普通の大学生が泥棒からスカウトされて父の遺志を継ぐ導入部がやや唐突で、心理的に納得し難いものを感じたが、そこさえ目を瞑れば、あとは手に汗握る展開の連続。ハイテク防犯装置で守られたターゲットを奪うのがたやすいことではないのは当然のこと、切れ者適役の早乙女が積極的に攻撃を仕掛けてくるタイプなのもミッションの難度を高めている。
嵐崎とその仲間たちが非凡な技能を誇る中で、素人同然の因幡がこの物語でいかに存在意義を示せるかも読みどころとなっている。


No.27 7点 片翼の折鶴
浅ノ宮遼
(2022/11/18 23:14登録)
第十一回ミステリーズ!新人賞を受賞した「消えた脳病変」は、学生時代の西丸が講師の提示する謎に挑む。他四編はその後の彼の活躍を描くもので、どこから失血しているか分からない不審な患者の謎を解く「血の行方」、証人が逆行性健忘に陥ったために不可能状況が生み出される「幻覚パズル」など、密度の高い物語が楽しめる。題材に見合った、冷徹な筆致も魅力的である。
物語の根底にあるのは、全力を尽くして患者を救わんとする医師の熱意だ。「消えた脳病変」で医学生たちに挑戦した講師は言う。「医者は、答えが見つからないからと言って考えるのをやめてはならない」「考えるのを放棄するということは、その患者を諦めることを意味する」のだと。知的パズルと医療への関心が融合した医学ミステリ。


No.26 8点 網内人
陳浩基
(2022/11/02 20:56登録)
地下鉄での痴漢の被害者から一転、疑惑の不良少女としてネットで叩かれ追い詰められる。現代の香港が抱える諸問題やネットの危うさを背景に、極めて有能だが癖のあるアニエが進めるハイテク調査の濃密なディテール、妹の復讐劇へと移り行く緊迫した展開、細やかに配された数々の仕掛けの妙、そして並行して描かれるITビジネス小説のごときパートの意味。
本作は、技術革新により人間の「ひと」を見る力が衰えつつある現代で、それでもひとと正しく向き合おうとする意義を問い、いま優れた知識と大きな力を有する者がいかに在るべきかを示す、未来への希望を込めた物語といえよう。


No.25 6点 がん消滅の罠 完全寛解の謎
岩木一麻
(2022/10/17 22:53登録)
日本がんセンター研究所に勤務する夏目典明は、生命保険会社の友人から不可解な相談を受ける。余命半年の宣告を受け、リビングニーズ特約に基づいて生前に保険金を受け取った患者のがん病巣が、跡形もなく消えたというのだ。しかも同様の事例がほかにも起きているという。医学上の常識を覆す奇跡が起きているのか、この殺人事件ならぬ「活人事件」の裏にあるもの、そしてがん消失そのものの仕組みが本書の中心にある謎なのだ。人体を一つの構造物に見立てた密室事件と表現してもいい。謎を綺麗に解かれることによってさらにその魅力を増すが、本書においては解答編も大胆かつシンプルで美しい。
主人公の恩師が「医師にはできず、医師でなければできず、どんな医師にも成し遂げられなかったこと」をするために突如職を辞して医大を去るというサイドストーリーがあるが、それも側面から物語を補強している。小説のすべての要素が最後に明かされるがん寛解の謎解きのために機能しており、医学ミステリの醍醐味を満喫させてくれる。


No.24 8点 渚の蛍火
坂上泉
(2022/09/28 21:44登録)
作品の舞台は、まさに五十年前、本土復帰直前の沖縄だ。主人公は本土への「留学」のあと、琉球警察に入った若き警部補、真栄田。警察庁への出向から那覇に戻ってきて早々に前代未聞の大事件が勃発する。
円への切り替えのために回収したドル札を運んでいた銀行の現金輸送車が襲われ、百万ドルが強奪されたのだ。外交問題に発展することを恐れた警察上層部は、事件を秘密裏に解決するよう真栄田に命じる。タイムリミット間近に迫った本土復帰の日。真栄田はわずか五人のチームで、推理と捜査に奔走することになる。
スリリングなストーリー展開の合間に、復帰直前の混乱と、人々の暮らしが描かれる。チームの面々の姿も印象的だ。琉球警察が女性警察官を採用していなかったため刑事になれず、事務職員となった新里。警備に当たったデモ隊の中に恋人がいたことで破局し、自分が守っているものは何かと自問する与那覇。石垣出身で直接の戦禍を経験せず、「沖縄人」からも「日本人」からも疎外されていると感じている主人公の真栄田。
彼らは沖縄が強いられた分断ゆえの葛藤と苦悩を抱えている。本書は、そんな彼らと読者とをつなぐ。怒涛の展開を追い、ラストシーンにたどり着くとき、五十年前の彼らを、そして今を思わずにはいられなくなる。


No.23 6点 0 ZERO
堂場瞬一
(2022/08/20 17:05登録)
主人公は、ミステリ作家の古谷悠。古谷悠は、生前に親交があり、私淑もしていた同郷の大物作家・岩佐友の葬儀場で、岩佐の長男・直斗から声を掛けられる。病床にあった父が、「すごい原稿がある」と言っていたのだが、「あれは何だったのかなあ」と。
物語は、そのすごい原稿の謎で読者を牽引していく。同時に、亡くなった一人の作家の生きざまを多面的に描き出していくのだが、この過程がスリリング。葬儀に居合わせた編集者の仲本美和に原稿探しを機に、岩佐の評伝を書いてみないかという提案に心動かされ、原稿を探しつつ、岩佐友という一人のベストセラー作家の足跡を追っていく。
ストーリーテリングには定評のある作者だが、その巧者ぶりは本書でもいかんなく発揮されている。何よりも、原稿の謎と岩佐自身の謎という二つの流れが、やがて一つに集約されていく様は圧巻。物語の終盤、その謎が明らかになった時、読者が受けるのは作家を志した人間の、壮絶な覚悟。その激烈なまでの意志は、古谷と美和だけではなく、読者の胸にも深く重く沈んでいく。読後、タイトルの「ゼロ」という言葉の意味が、何重にも響いてくる物語だ。


No.22 5点 八日目の蝉
角田光代
(2022/07/21 21:30登録)
「親であること」「家族であること」のつまづきを徹底的に描きながら、しかしこの小説が向かうのはそこではない。希和子は人の子を奪い、自分の子を持ったことで、それを奪われる恐怖と苦しみを知り、その時「母」になった。子供をさまざまな形で失う作中の人々を「親になる資格がなかった」という自業自得論で片づけることは容易いが、この作品は何かを糾弾することはしない。誘拐犯も、ダメ母、ダメ父も、意気地のない子供たちも、狂信的集団も。
小説が人間の内面に寄り添う瞬間というのはこういうものを言うのだろうか。本書はそんな瞬間を次々と出現させて、生身の人の理不尽さを堂々と描き切っている。


No.21 7点 聖者のかけら
川添愛
(2022/07/17 19:31登録)
本書は史実を下敷きに、ベネディクトが聖遺物をめぐる大いなる謎と複雑な宗教社会のうねりに巻き込まれていく歴史ミステリだ。
とにかく胸がときめく設定が満載の小説だが、当然ながら道理に疎い素直なお坊ちゃんだけでは話は転がってこない。そこで本書にはもう一人、彼の協力者となる探偵役が登場する。それがピエトロだ。
この男のキャラクターがなかなか強烈。まず、教会の司祭でありながら、裏では聖遺物を見つけては、こっそり売りさばいている。頭の回転が速く口が達者で、自分の利益優先で最大限効率的に行動し、神の働きかけは基本ありえないと考えている。そうベネディクトとは正反対の世間擦れしたリアリストなのである。
真実に一歩一歩迫る一方で、ベネディクトはこの変わり者ピエトロや、他のさまざまな修道士・会子と信仰にまつわる対話を重ねていく。聖フランチェスコが実践した清貧とは何か。神が願いを聞き届けてくれないときは、自分ひとりで抱え込むか、周囲に相談するか。思い焦がれるほどに神や聖者を、そして友人を信じ敬うとはどういうことか。
こうした真摯な問答には、時代も舞台も現代とはまるで違うけれど、人間社会を生きていく上での普遍的な知恵が秘められているようで、読んでいて非常に快い。成長譚であり、バディ小説としても啓発書としても存分に楽しめる。


No.20 7点 シューマンの指
奥泉光
(2022/07/13 19:23登録)
かつて音大を目指す自分の前に現れた年下の天才少年ピアニスト修人に、憧れを募らせながらも、彼が指を失った事件をきっかけに、音楽の世界とは縁を切った「私」が、三十年前を振り返る手記という形で展開される。
「私」の卒業式の夜、音楽室のピアノで修人が奏でたシューマンの「幻想曲ハ長調」。その類まれな演奏に聞きほれているさなかに起きた殺人事件。
シューマンの生涯と楽曲をモチーフに、若き芸術家の苦悩という古くからある文学テーマを奏で上げた、美しい音楽本格ミステリ。音楽は「イデアの中に在る」という意見を中心に展開される音楽論も、知的好奇心をそそって魅力的。


No.19 4点 Fの記憶
吉永南央
(2022/07/13 19:11登録)
嶽澤は解体作業を請け負う会社の社長。ライバル会社に仕事をさらわれるようになり、少しずつ苛立ちと怒りを内に溜め込むようになった嶽澤が思い出すのが、高校時代に痛めつけてやったFのこと、Fの言い放った呪いの言葉。
嶽澤というヤクザまがいの男が視点人物ゆえに、黒々とした筆致で描かれているこの物語の影の主人公がF.
多視点かつ、様々なトーンの物語を併せて一つの物語にする手法は悪くはない。だが、それがうまく活きていない。原因としては、Fという人間へのこだわりが、第一話の嶽澤以外の登場人物から必然として伝わってこない点にある。また、三つの物語から読者が脳内で作り上げたF像と、最終話に登場する実際のFの雰囲気がかけ離れすぎなのはどうなのか。


No.18 10点 虚無への供物
中井英夫
(2022/07/07 23:49登録)
普通の推理小説から逸脱している。展開される推理ゲームは劇中劇のように複雑に交叉しながら、果てしない空想と妄念のアラベスクを形作っていく。
作中には、アイヌの奇譚、ポーの小説やルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」、あるいはタイトルにもなっているポール・ヴァレリーの詩、色彩学、薔薇と宝石のコレクション、戦後の下町の雑多な空気や様々な事件、風俗談義など、実に多彩な材料が詰め込まれている。
作者はこの大作を十年近い歳月を費やして完成させた。四つの密室殺人の謎に彩られた巨編は、もちろん本格的な推理小説として楽しむことができる。そのディテールのひとつひとつには息もつかせぬ勢いで、物語の革新へと引っ張っていく。しかしまた、作者はこれをアンチミステリとして構成していたことを忘れてはならない。


No.17 8点 ドグラ・マグラ
夢野久作
(2022/07/07 23:37登録)
主人公の「わたし」は七号室の患者として、正木博士の実験材料として、この現実の時空間をこえた、脳の宇宙の中を漂い、彷徨する。そこでは一瞬が千年の単位の時間と重なり、地理的な空間も、瞬時に飛び越えてしまう。
幻覚なのか、現実なのか、主人公自身もわからぬまま、物語は複雑に絡み合い進行する。狂気と笑い、グロテスクな冗談と奇怪な学術語が交錯し、スカラカ、チャカポカというふざけた口調によって、精神医療の現実が強烈に風刺される。
「ドグラ・マグラ」というタイトルは、「心理的迷宮遊び」といったニュアンスをあらわす、作家による造語であり、その天衣無縫な語り口と、自由自在なプロットの組み合わせによって、狂気と正気の狭間に読者をいざなう。


No.16 8点 メインテーマは殺人
アンソニー・ホロヴィッツ
(2022/06/24 21:21登録)
本書は、まさしく犯人当てミステリのルールに則った、しかも極めてフェアな謎解きの魅力が全開の一作となっている。
物語は、資産家の老婦人が自分の葬儀の一切合切を手配したその夜、何者かによって絞殺されるという事件から始まる。もしかして彼女は、自分が殺されることを知っていたのか?それとも。
派手さには欠けるかもしれないが、何とも奇妙で強烈な謎である。加えて物語の語り手でもある「わたし」は、作者自身という趣向が凝らされている。現実社会での作者の仕事ぶりや生活が、ほとんどそのまま描かれているのだ。
そこへある日、刑事ドラマの脚本を書いている時に知り合った元刑事(架空の存在)で、現実はロンドン警視庁の顧問をしている人物が訪れる。彼曰く、実はいま不思議な事件を捜査している。ついてはその事件を担当している自分を取材して、本にしないかというのである。要するに自分はホームズ役をやるから、お前はワトソン役になれとの提案だった。
かくして二人は事件の謎に迫っていくのだが、事の真相と犯人が明らかになった瞬間の驚きというか、見事にしてやられた悔しさと爽やかさは半端ではなかった。


No.15 7点 死亡通知書 暗黒者
周浩暉
(2022/05/23 18:51登録)
復讐の女神(エウメニデス)の名による死亡通知書と、その予告によって起こる連続殺人。省都警察に集まった専従班の面々を嘲笑うかのように殺されていく被害者たちには、過去に罪を犯すも裁かれていない共通点があった。龍州市の刑事・羅飛はエウメニデスが十八年前に起こした事件と個人的な因縁があったために専従班に参加するが。
犯人側が全知全能の超人過ぎて、結局どうやってそんなことを知ったんだとツッコミたくなる部分は多いが、それが気にならないほどに展開の目まぐるしさと事件の外連味に振り回される。
予告殺人という派手さから大味な作品かと思いきや、十八年前の事件の謎が現在の事件に通じている様など伏線も実に丁寧。



No.14 9点 虐殺器官
伊藤計劃
(2022/02/08 20:19登録)
舞台は「9・11」以降の「もうひとつの近未来」。テロとの戦いの末、先進諸国からは危険が一掃されたが、その一方で、地球上のそれ以外の地域では、必ずしも原因が定かではない虐殺や内戦が急増していた。米軍情報部に所属するシェパード大尉は、その謎の背後に見え隠れするジョン・ポールと呼ばれる男の存在を知り、彼の追跡を開始するのだが。
現実の国際情勢から論理的な推論を組み立てた、極めてリアルなSFであり、強烈な謎を焦点に置いた独創的なミステリであり、冒険小説や戦争小説、ポリティカル・フィクション等の要素もあり、そして暗殺のプロでありながらナイーブな内面を抱え持つシェパード大尉の瑞々しくも哀切な青春小説でもある。
世界中を飛び回るスケールの大きさと、内省的なテーマを深く掘り下げていく筆致が、作者らしい独特なバランスで結び付けられている。骨太でありながら繊細、大胆にして精妙。「小説」というものには、何が可能なのか、ということを徹底的に問い詰めた傑作。


No.13 8点 ザ・カルテル
ドン・ウィンズロウ
(2022/01/06 18:40登録)
麻薬戦争は2006年以降、メキシコ政権が軍を投入し、麻薬密売組織(カルテル)の徹底的発を図って激化。組織同士の抗争も加わり、死者は推定10万人とされる。本書はこの血みどろの現実を反映させ、緊張感に満ちている。
麻薬組織が警官を追い出した無法地帯で町長となり、秩序回復を図る女性医師、麻薬組織同士が争う国境の町で、組織の脅迫を受けながら報道の砦を守ろうとする地元紙記者たち。医師や記者は郷土への尽きせぬ愛着を持ち行動するが、麻薬組織から命を狙われる中での不安、諦めまで書き込まれ彼らの苦悩が強く伝わってくる。
物語の底流には、戦争の原因をつくった麻薬消費国・米国への著者の怒りが満ちている。主人公の米捜査官ケラーは単純な正義のヒーローではなく、自国の矛盾に引き裂かれた悲劇的人物の色彩が濃い。 
善と悪の区別がはっきりとせず、解決策が見いだせない現実は今も続くが、本書が描いたような一般市民の勇気をもって光明はあると信じたい。


No.12 7点 空飛ぶタイヤ
池井戸潤
(2021/11/25 20:23登録)
大型トレーラーのタイヤが突如外れ、歩道を歩いていた子連れの主婦を直撃した。男の子は軽傷ですんだものの、主婦は死亡。大型トレーラーを所有していた運送会社に、業務上過失致死容疑の捜査が入る。トレーラーの製造元であるホープ自動車にはなんの過失もなかったのか。そのことを究明するために、運送会社社長の赤松は全国を走り回り、やがてホープ自動車の欠陥隠しを確信する。
なるほど、このようにして人はたやすく物事の本質を見誤るのか。ひとりの命より、社名や肩書や世間体が重要だと、このようにして思い込んでしまうわけか。「結局のところ人は皆、歯車である」というのは、赤松がつぶやく言葉である。企業や社会において歯車でしかない私たちが、どのように自分自身を獲得するか、その過程を書いている。実に牽引力のあるエンターテインメント小説であり、同時に人間性を疑うような事件の多い現在への痛烈な批判でもある。


No.11 6点 鉄の骨
池井戸潤
(2021/11/01 18:39登録)
中堅ゼネコン一松組の若手社員・富松平太は、建設現場から"花の談合課"こと業務課に異動となった。慣れない仕事に戸惑う彼は、常務の命により、談合を仕切るフィクサーの三橋萬造の家に出入りするようになる。二千億円規模の地下鉄工事の受注を担う一松組だが、入札をめぐる各ゼネコンの談合の動きを見て、平太の心は激しく揺れる。また、私生活でも銀行員の恋人との間がぎくしゃくしてきた。公私ともに波乱に満ちた平太の人生はどこに向かうのだろう。
平太の見た談合の実態。それはゼネコンの生き残りと、深くかかわっていた。ならば談合は必要悪なのか。しかし一方で、フィクサー三橋に談合を否定させるなど、作者は談合を単純な善悪で割り切らない。だから平太の心の揺らぎが、そのまま読者の揺らぎとなり、談合について深く考えるようになるのだ。ここが本書の読みどころといえよう。
さらにラストに控えた、ミステリの仕掛けも見逃せない。談合と密接に関係したサプライズが、テーマをより際立たせるのだ。あくまでもエンターテインメントとして読者を楽しませながら、現代の問題に鋭く切り込んでいる。


No.10 7点 銀行狐
池井戸潤
(2021/04/06 20:15登録)
銀行業務は高度化、洗練化されてきたが金の貸し借りを仲介する場という基本は変わらない。そこには欲望、誘惑や恨みといった人間の性が渦巻いている。
本書は内幕を暴露した実録物ではない。だが収められた五本の短編は読む者をカウンターの内側に迷い込んだ気分にさせるリアリティーを備えている。銀行での実務経験に裏打ちされた緻密な描写が強み。
破綻した銀行の支店金庫室で発見された死体の謎をめぐる「金庫室の死体」、顧客にサービスする粗品の中身を入れ替える現金詐欺トリックを描いた「現金その場限り」、狐を名乗る脅迫犯が銀行の危機管理の穴を突く表題作の「銀行狐」。どれも多彩な犯行手口と意外な展開が待っており、まずは良質のミステリといえる。


No.9 9点 半七捕物帳
岡本綺堂
(2020/02/08 19:33登録)
語り口が岡本綺堂の魅力。時代は幕末の頃で、舞台は江戸。当時の風俗習慣も町の様子もさりげなく書き込まれている。そこにまぎれもなく存在している何とも懐かしい空気は、岡本綺堂がつくり出したもの。江戸の風物詩があるから、江戸情緒があるから懐かしい、というものではない。
この捕物帳には怪談仕立てのものがいくつも出てくる。武士はともかく、人々が怪異なものを信じていた時代だから、幽霊やお化けが世間を騒がし、犯罪にも幽霊やお化けが絡む、といった事件は珍しくもなかったのだ。幽霊やお化けには必ず種も仕掛けもあり、そこには怪異と見せかけた犯罪があることを見抜いて、そのからくりを明らかにしてみせる。
考えてみれば当たり前のことで、この捕物帳は怪異小説ではなくて、シャーロック・ホームズものにひけをとらない立派な探偵小説なのだ。改めて岡本綺堂の力量に脱帽だ。

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