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[ 本格/新本格 ] 赤いべべ着せよ… 旧題『「通りゃんせ」殺人事件』 |
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今邑彩 | 出版月: 1992年01月 | 平均: 6.17点 | 書評数: 6件 |
双葉社 1992年01月 |
角川書店 1995年08月 |
中央公論新社 2012年07月 |
No.6 | 6点 | 虫暮部 | 2023/03/09 12:06 |
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良く出来てはいるが、型通り。ただ、この作者の場合、それが個性の一部みたいになっているかも。そら来た! 待ってました! と掛け声が出てしまう。歌舞伎の様式美の世界である。今邑屋ァ! |
No.5 | 5点 | E-BANKER | 2020/06/02 22:49 |
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旧タイトル「通りゃんせ殺人事件」として発表された長編作品。
作者お得意のホラー風味ミステリー。 1995年発表。 ~「こーとろ、ことろ、どの子をことろ・・・」。子とり鬼のわらべ歌と鬼女伝説が伝わる街・夜坂(やさか)。夫を亡くし、娘と二十年ぶりに帰郷した千鶴は、幼馴染みの娘が殺されたと聞かされる。その状況は、二十二年前に起きた事件とそっくりだった。その後、幼児が殺される事件が相次ぐ。鬼の正体はいったい誰なのか?~ 本作は旧題の双葉ノベルズ→角川ホラー文庫→中公文庫という流れで刊行された模様。 でも正直なところ、「ホラー」というほどの怖さやゾクッとくる感覚は殆どない。 事件の構図や真相も、作者の他作品に比べるとやや安易なレベルに思えた。 ストーリーの展開自体はいいのだ。 主人公の帰郷を機に、幼馴染みの子供たちがつぎつぎに殺されていく。動機は二十年前に起こった同じく幼女の殺人事件。時を同じくして二十年前の被害者の関係者も帰ってきており・・・、という流れ。 読者としては、いかにも怪しい関係者はダミーに違いないし、主人公の仲間うちに真犯人がいるのでは? という目線で読み進むことになる。 中盤から終盤当初まではうまい具合に謎が謎を呼ぶ展開だし、手堅い旨さなのだけど、そこからの終盤がイマイチ。 作品の枚数を調整するかのように、安直なラストに持ち込んでしまった。 (「エピローグ」はせめてもの味付け、かな?) 個人的に作者の作品は評価のバーが上がってしまっていることも原因かな。 普通の作家なら及第点の作品だろう。 本格なら本格として、ホラーならホラーとして、もう少し徹底した方がよかったのかもしれない。 そんな作品。 |
No.4 | 6点 | まさむね | 2019/06/24 22:41 |
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リーダビリティが高く、次々にページをめくらされました。作者がこの小説の根底に据えようとしたテーマが、事件の展開や真相の中にキッチリと織り込まれていた印象。その織り込ませ方に、この作者らしい美しさを感じました。 |
No.3 | 7点 | Tetchy | 2018/06/10 14:57 |
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日本のとある地方都市、昨今の都市開発による都会化と昔ながらの田舎の風景が残る夜坂で起きる子供たちの連続殺人を扱っている。
その町に昔から伝わる平安時代末期に桜姫という公家の娘に纏わる子取り鬼の伝承、それに由来する廃寺に祀られた子取り観音。その伝承を擬えるような幼い子供の殺人事件。これらは見事なまでに本格ミステリの見立てである。 何とも人の業の深さを痛感させられる物語であった。 本書における怖さとは何か?次々と何者かによって我が子を殺される未知の恐怖。それも確かに恐ろしい。 しかし事件が起こることで起きる友人たちとの軋轢。いや一枚岩だと思われた友情が脆くも崩れ去り、謂れのない憎悪を向けられること、これが最も怖い。 その対象となるのが東京から出戻ってきた主人公の相馬千鶴だ。 つい先ほどまで22年ぶりの再会を喜び、娘がいなくなればお互いに励まし合い、一緒に探してもくれた幼馴染が災厄が自分に降りかかることで一変する恐怖。近しい人たちの裏切り。人間の心の弱さこそが本書において最も大きな恐怖だと感じた。 更に我が子を亡くすことで憔悴し、狂人のように変わっていく母親。さらに自分たちの都合のいいように解釈し、証拠もないのに怪しいと云うだけで殺そうと企む集団心理の怖さ。 本書の前に読んだ『ダ・フォース』も悪漢警察物とホラーと全く異なるジャンルながら、物語の根底にあるのは厚い友情で結ばれた者たちがあるきっかけで脆くも崩れていく弱さと共通している。片や2017年に刊行され、こちらは1992年刊行と25年もの隔たりがあるが、いつの世も人間の根源と云うのは変わらず、そして進歩がないものだと思わされる。 洋の東西、そして古き新しきを問わず、我々の正気と云うのはいわゆる安心の上で成り立っていることがよく解る。しかしその安心はいつまでも続く、つまり今日無事だったから明日も、1年後も、5年後も、10年後も、いや死ぬまでそうであると思いながら、実は実に脆い薄い氷のような物であることが知らされる。そしてその安心という支えが、基盤が無くなった時、なんと我々は文化人から野蛮人へと豹変するものかと痛感させられる。友情や愛情はすぐに疑心暗鬼、憎悪に変り、不安定な地盤に立つ自分と同じように人を引き摺り込もうと企む。 それは単に資産が無くなったり、家族が喪われると云った大きな危難に留まらず、例えば子供が云うことを聞かない、試験に自分の子だけ受かっていない、なぜうちのところに他所の家族を住まわせなければならないのかというちょっとした日常の不具合から容易に生じる。今邑氏はそんな日常にこそ狂気の種が既にあると仄めかしている。 以前も思ったが今邑氏の作品には常に無駄がない。人の悪意、心の根底になる妬み、嫉みと云った負の感情を、殺人によって表層化させ、全てが物語に、そしてミステリの謎に寄与し、登場人物たちの行動もさもありなんと納得させられるエピソードが散りばめられている。しかもそれぞれの登場人物たちが抱く負の感情が的確な表現で纏められ、人が大なり小なり些細なきっかけで容易に罪を犯すことを悟らされるのだ。 作中、登場人物の1人、高村滋が自宅の靴について語るシーンがある。彼が帰って三和土を見ると靴が減っていることに気付く。かつては校長だった父親の靴があり、母の靴、妻の靴、そして娘のみちるの靴で三和土はいっぱいだった。しかし父は愛人の許を去った際に母親は父の靴を全て燃やしてしまい、みちるは1年前の事件で亡くなり、後を追うように母も亡くなり、彼女たちの靴はもう玄関先にはない。高村家は靴が無くなるごとに暗鬱さを増し、そしてそれが住まう人々へ悪意を募らせているように見える。 そんな家に加わったのが千鶴と紗耶の靴。しかしこの母娘も狂ってしまった郁江に襲われた際に命からがら逃げ出すのに靴を置いて裸足で逃げだす。 私はこの悪意の棲む家に新たに靴が増えたことは何を意味しているのかと考えた。それは千鶴たちが悪意から逃れるために必要だったからではないか。靴が無くなることは即ち更に悪意が募ること。つまり彼女たちは悪意を持ち出すことを意味しているのではないか。 そう考えると最後に彼女がまず靴を買わなければいけないと思ったと敢えて作者が書いたことにある答えがある。それは夜坂に戻って晒された悪意からの解放を象徴しているのではないか、そして彼女は自分の足で再び立つことを決意したのだ。しかも靴を履く、つまりは外へ出ることを。夜坂を出る、そして社会に出ることを。 300ページにも満たない長編ながら、幼馴染という最初のコミュニティの絆の脆さ、我が子を喪うことで容易に陥る人間の狂気、1つの母子家庭の自立など、色んなテーマを孕んだ濃い内容の作品だった。 |
No.2 | 6点 | メルカトル | 2012/10/18 21:53 |
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良くも悪くも今邑女史らしい作品。
本格ミステリと言うより、サスペンス色の濃い仕上がりになっている。それにホラーがちょっぴり味付け程度に色をつけている感じ。 全体として悪くはない出来だとは思うが、確かに突出したものが感じられないので、強烈な印象は残らない。 今邑女史は長編より短編集のほうが楽しめるような気がするね。 それと一つ気になったのは、謎が謎のまま残されて置き去りにされているところがある点。 一応本筋に関係しているものなので、ちょっとどうかと思う。 |
No.1 | 7点 | makomako | 2012/09/01 13:11 |
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本格もとしてきちんとまとまっており、犯人もまあ以外だしそう悪いところはないのだが、いまひとつインパクトにかける気がする。トリックというほどのものは出てこないし、何となく小粒な印象です。
もちろん作者独特のホラー趣味はあるが、それほど前に出てこないので、わたしとしては読みやすかった。 本格物が好きなら読んで楽しめると思います。 |