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別名S・S・ヴァン・ダイン ファイロ・ヴァンスを創造した男 ジョン・ラフリー |
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伝記・評伝 | 出版月: 2011年09月 | 平均: 7.00点 | 書評数: 1件 |
国書刊行会 2011年09月 |
No.1 | 7点 | クリスティ再読 | 2018/06/29 18:46 |
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本書は労作であるが、堅苦しくはなくて興味深く読める。ただし、本書は(本サイトの読者には)残念なことに、ヴァン・ダインの評伝である以上に、W.H.ライトの評伝である。
1910年代に過激で辛辣、お騒がせなメンケン一派の文芸批評家から出発し、画家として名を成すことになる弟スタントン・マクドナルド=ライト(どうやらアメリカの抽象絵画の先駆者、ということになるようだ。ググって見たらなかなかイイ絵を描いている)の影響でいくつかの前衛的な美術評論を出した男が、いかに探偵小説作家として再デビューし、第一次戦後のバブルと大不況の時期に、社会的成功と没落の日々を送ることになったか、についての客観的だがやや辛辣な評伝である。実際、こうやって伝記的事実を追っていくと、ライトの大きな特徴が見える。それはある種ジャーナリスティックな外面性、といったらいいのだろうか、本人は芸術的な表現活動に強く憧れているのだが、どちらか言えば外部的な刺激に強く左右されがちで、そのような刺激をやや誇張気味にプレゼンテーションする能力、といったものにライトは長けているようだ。評論家として一番の成功を収めた美術評論でさえ、シンクロミズムが「うまくいかなかったのは兄の自己宣伝のせいだ」とまさにその弟が言っている。 『近代絵画』は途方もなく退屈な批評の時代に出現した、溢れんばかりの情熱に満ちた本だった。それは同時に狡猾で狭量な見解でいっぱいの驚くほど偏った専門書であった。 ヴァン・ダインの成功というものも、ライトの批評家的な「戦略眼」と噛み合った、スクリブナーズ社の担当編集者マックス・パーキンズの共同作業にあるようである。ライトの成功の要はやはり、ファイロ・ヴァンスという人物の創造、それはライト自身を戯画的に理想化したキャラクターであり、このキャラを具体的に語る能力を担当編集者はライトに認めた。そして念を入れた売出しのスケジュールのもとに、「ヴァン・ダイン」という商品が売り出されていく...ライト自身もその「ヴァン・ダイン」を積極的に演じていくさまが非常に興味深い。当初はライトとしての過去は隠されたが、後にはおおっぴらにというか「自虐的に」と言っていいほどに「ライトの(かなり粉飾された)過去」さえも商品化されていく。 絶頂を極めれば終わりも近づく。最初の3作は当初の企画、「僧正」は最初の3作の中で思いついたネタだが、その後の作品は「外部」的な刺激に対するライトの反応みたいなものだ。「スカラベ」は当時の古代エジプトのブームを当て込んで書かれ、「ケンネル」「ドラゴン」「カジノ」はライトの新しく移り気な趣味の中で生れ、アメリカの消費生活の落とし子と言ってもよかろう。「カナリア」に始まる映画の成功と一攫千金もつかの間、ヴァン・ダインの商品価値の低下によって、ハリウッドの側に主導権が移っていく。 「ガーデン」「誘拐」が映画に合わせたヴァンス像の修正だったが、小手先の修正では間に合わなくなり、「グレイシー・アレン」「ウィンター」での「映画向きのシノプシスにヴァン・ダインという『名前』をつけるだけ」の役割に落ちぶれることになる。その時、ライトにはもう残された時間はなかった。 こうライトの人生を読んでいって自身の若き日の自伝小説『前途有望な男』のタイトルそのままの、野心と自己顕示欲と、やや外面的な才能を持ったアメリカの若いインテリが、ある意味悲惨である意味滑稽な人生、最良の場合でも欠点や欠陥に付きまとわれ、メンケン一派や弟などの過去を知る人々とは微妙な関係にならざるを得なかった人生を、一気に鳥瞰する大河ドラマのような労作である。 (すでにタイトル登録があったから使いましたが、本書のカテゴリは「評論・エッセイ」ではなくて「伝記・評伝」が適切です。変更できたら幸いですが...) |