皆さんから寄せられた5万件以上の書評をランキング形式で表示しています。ネタバレは禁止
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クリスティ再読さん |
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平均点: 6.41点 | 書評数: 1327件 |
No.427 | 5点 | 眠れる美女- ロス・マクドナルド | 2018/11/11 21:50 |
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皆さん高評価だけどねえ、評者はロスマクの老化みたいなものを強く感じたな。どうも比喩が説明的で、しかも何回も繰り返していたりする。
彼のいったことは嘘ではない。しかし、彼は、真実を語っている時ですら、非実在の人間のような感じを与える。私たちは座ったまま、たがいに顔を見合っていた。非現実感がしだいに二人の間に広がり、やがて、広大な都市から無限の海を越えて沖縄から過去の戦争にまで及ぶ汚染のように宙に浮かんでいた。 くだくだしく、言わでもがなな比喩のように評者は感じる。過去の殺人とそれが子供に与えるトラウマ、誘拐か微妙な失踪、石油王とそのバラバラな家族たち...とロスマク定番の要素がこれでもか、と出てくるマニエリスムに、今回は原油流出事故による海洋汚染と、油に汚れた海鳥を抱えたヒロイン..という要素を付け加えて新味にはしている。けどね、この登場が印象的なヒロインが失踪の後、ホント最後まで出てこないのは作劇としてはどうか、という気がしないでもない。イイのは本当にヒロインが出る冒頭とラストだけ。 あとは精神的なバランスの崩れたいつもの人々が、ヒステリックに振る舞ういつもロスマク。そのわりに、問題の3家族の関係が、中盤になるまではっきりしないとか、実際のところ複雑に見えるのは、情報の出し惜しみをしているだけで、内容的な複雑さではないと思うんだよ。長い割に内容が薄い印象。 あとねえ、アーチャー今回とある関係者の女性と寝るんだけど、どうも同情心から寝てるようにしか思えない。そういうオトコは評者はイヤだな。「別れの顔」から後はイイ作品ってないように思うよ。 (シルヴィア・レノックスって名前、よく付けたなあ...と評者呆れていたんだが、皆さん気にならないのかしら??) |
No.426 | 6点 | チベットの薔薇- ライオネル・デヴィッドスン | 2018/11/11 21:27 |
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ライオネル・デヴィッドスンというと、イギリスでは巨匠、日本ではほぼ無名と彼我での評価に大きな差がある作家である。CWAのゴールドダガーの3冊はすでに評者は書いたけど、「CWAが選出する史上最高の推理小説100冊」というオールタイム・ベスト100でデヴィッドスンの「チベットの薔薇」と「大統領の遺産」の2冊が入っていたりする。受賞作でないあたりがお茶目だが、この人寡作で8冊しか長編がないのに、少なくともイギリス基準では最低でも5冊が名作ということになる。超打率としか言いようがない。
けどね、日本では本当にウケなかった。その理由は言うまでもなく、イギリス人らしいヒネりが利きすぎて、ジャンル感が明快でないとウケづらい日本ではダメ、ということなんだろう。実際本作はチベットを舞台にした大冒険ロマンなんだけど、かなり屈折している。 要するにね、「西欧人がアジアで冒険すること」に対する羞恥心みたいなものが、裏テーマの小説なんである。こりゃ日本の読者にはきっついなあ。チベットには「シャングリ・ラ」を発明したヒルトンの「失われた地平線」という古典があるんで、オカルトとないまぜになって、ユートピアへの憧れを掻きてる土地柄なんだが...実際大変キビシい風土の中で、人々は貧しい生活をし、中国の侵略と圧政もあって、なかなかお気楽にロマンを紡ぎ出す、というわけにはいかない。 本作ではライオネル・デヴィッドソンが出版社社員として、偶然入手した口述原稿を巡って、その真贋やフィクションか現実か、というややこしい問題を検討するメタフィクションの体裁をとっている。これはもう、西洋人がアジアを再度モノガタリの上で搾取する行為への、羞恥心を表しているとしか言いようがない設定だ。でそのオハナシの方はどうか、というと、チベットで消息を断った弟を探して、主人公はシッキム経由でチベットに潜入する。その時、チベットは不穏な予言で騒然としてた。ガイドと共に首尾よく弟の一行が過ごす、ヤムドリンの僧院にたどり着いた主人公は、予言された侵略者だとして捕らえられる。しかし、予言をうまく逆用して主人公は監視付きだが一応の身の安全を確保する...尼僧院長である「羅刹女」の運命の男(チベット密教の活仏だからね)として、弟一行と脱出の機会を窺うが、そのときチベットを制圧しようと中国人民解放軍が行動を開始した! 主人公は「羅刹女」とともに、弟一行を率いて脱出の旅に出た... と、現実の1951年のチベット「解放」を舞台に、荒涼としたチベットの地での潜入と脱出の旅が描かれる。筆致はリアルだが、他の作品のようなユーモア感は薄くて、ハードボイルドなくらいにタイトな文章である。最後なんて悲恋で泣かせるよ。読んでいてやはりこの人、「アンブラーの弟子」みたいに感じる。評者がこの人好きなのはそんなニュアンスからかなぁ。 そういえばアンブラーも晩年「小説」という枠組みを信用しなくなって、「小説」のつもりで読んでいると、実はそれが主人公の特定の狙いがあって書かれた内容だった...という枠組みが浮かび上がる作品がいくつもある。そこらへんも共通する要素になるね。 |
No.425 | 5点 | アリバイ- アガサ・クリスティー | 2018/11/06 22:28 |
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本当は「十人の小さなインディアン」をやらなきゃいけないんだが....あれボッタクリに近い値段だし、クリスマスまで取っておこうか。
というわけで「クリスティ完全攻略」で無視されている「アクロイド殺し」の戯曲化「アリバイ」である。無視の理由は、要するにクリスティは原作提供、戯曲化はマイケル・モートンという人で、自身の戯曲化ではないからだろう。それでも初期のポケミスのラインナップにはあった作品で、長沼弘毅訳というのが時代を伺わせる。図書館で借りたんだが、ボロボロの本だったよ。 他人の戯曲化とはいえ、本作は1928年に上演されていて、原作小説の2年後、クリスティとしても初の舞台化である。チャールズ・ロートンがポアロを演ったようだ(史上初のポアロ役者だよ)。貫禄があり過ぎて困る...と思うが、当時はまだ痩せていたのかしら。内容は原作にかなり忠実。というか、原作に付き過ぎていて、逆に面白みがない。オリジナル要素はシェパード医師の姉が妹になって、もう少ししおらしく、ポアロとイイ感じになったりするロマンス色。 「アクロイドといえば」なあの要素は、芝居にしたら全然無意味なのは言うまでもない。本作は「犯行時間がどんどん前にズレてくるサスペンス」を軸を芝居を組み立てている印象。これ評者昔から指摘していることなんだけど、みんな派手なトリックに眼を奪われて言わないんだよね。そういう意味では手堅いが、逆に「アクロイド」の評でも書いた「お手盛り問題」もしっかり表に出ちゃってる。ミステリ劇として..いいんだろうか、この舞台化?という印象。 クリスティ自身による戯曲化に親しんでいると、クリスティが芝居というものをよく理解し、楽しんで書いていたことがよく分かる。そういう意味では本作は物足りない。 クリスティ自身のオリジナル劇はすべて翻訳済だが、自作戯曲化は「ナイルに死す」「ホロー荘」がまだ。他人による戯曲化は「ナイチンゲール荘」「牧師館の殺人」がまだ。ということになる..が他人戯曲化の方が権利処理がややこしそうだ。本人戯曲化よりもレアになるだろうね。「十人の小さなインディアン」に向けて気分を盛り上げなきゃねぇ。 |
No.424 | 5点 | 地を穿つ魔- ブライアン・ラムレイ | 2018/11/06 08:35 |
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オカルト・ハンターは名探偵の変種みたいなもののわけで、本作のタイタス・クロウだって明白にシャーロック・ホームズの子孫に違いないわけだが...名探偵ぽさを発揮した短編集から、長編のサーガへ移り変わる、その移行期にあたる本作はというとね、怪獣小説みたいなもので「ウルトラQ」である。
そう見ると、たとえばデニス・ホイートリーからジョン・ブラックバーンに続く英国産「ウルトラQ」の系譜みたいなもの(苦笑)を考えてもいいのかもしれない。あ、本作の「怪獣」はクトゥルフ神話の邪神たちなのだが、「クトゥルー眷属邪神群(クトゥルー・サイクル・ディーアティーズ)」略してCCD、ということになる。CCDなんて略された日にゃ、得体の知れないラヴクラフト的「宇宙的恐怖」の名残はなくて、 ピースリー教授のいうところの”害獣駆除(ペスト・コントロール)”が完遂されなければならない と「駆除」の対象である。「人類の英知を結集した」ウィルマース・ファウンデーションにやっつけられるような、情けないものだ。 せいぜいクロウと相棒のマリニーを怖がらせてはくれるが、やっつけれるものだから、怖くはない。弱点は護符と水と放射能だそうだ。「ペギミンH」が特効薬として「はいこれ」されて脱力したウルトラQ(スポンサーは武田薬品だ)みたいなもんだ。評者はCCDが気の毒になってくる。このイギリス人の怪獣退治に比べたら、イマドキの日本人的な萌えクトゥルフのキャラ化のセンスの方に、評者は座布団一枚。がんばれ邪神ちゃんたち! |
No.423 | 4点 | 魔のプール- ロス・マクドナルド | 2018/11/04 16:24 |
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アーチャー登場第2作なんだが、まだ本調子じゃない。通俗ハードボイルぽかった「動く標的」と比較すると、本作はチャンドラー、とくに「さらば愛しき女よ」の模倣みたいなものが随所に伺われて、ファンアートな印象があるんだね。船に乗り込んで、医者に拷問されてとか、本当に「さらば」だしね。黒幕のキルボーンを巡るハードボイルド調の部分と、有閑家庭の不倫の恋の部分が何かチグハグだよ。困った。
でいえば、本当はこっちが3年先行するので何だけど、「長いお別れ」とも妙にモチーフが重複する。確かに「長いお別れ」に同性愛を読み込む、という視点はアリだから、本作の一家のスポイルされたアマチュア俳優(ロジャー・ウェイドに相当する)と演出家の関係に同性愛を持ってくるのは本当にそんな感じになる...けども、ロスマク、あまりインテリを描くのが上手じゃない。なんでかなあ。ちゃんと「自分の語り方」になっていないように感じる。 なので総じて修行中。本作でアーチャー物語が終わってたら、リュー・アーチャーってミステリ史に残ってないと思うよ。 |
No.422 | 6点 | 砂漠の天使- ジョゼフ・ハンセン | 2018/10/29 20:09 |
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それとなく前振りをしておいたとおり、70年代的ネオ・ハードボイルドのホモセクシャル探偵として名を上げた、デイヴ・ブランドステッター物の第6作である(なので出版は82年)。読んだ感じは「これ、ハードボイルドって言っていいのかなあ?」というところ。
そりゃホモセクシャルということで、マチズムには無縁だし、リアリズム重視から私立探偵設定さえ止めて保険調査員という職業。まあそういう設定面はどうでもいい。評者の見るところ、主人公周辺を丁寧に描いて魅力があるのだが、「皆さまに支えられて」感がありすぎるために、「孤独なオレ」の小説としてのハードボイルドらしさみたいなものが、完全にないんだよね。ここ結構重大な違いのように評者は思うよ。 もちろん愛人のセシルや、義母で関係のビミョーなアマンダといったレギュラーたちとの人間関係の面白みが十分あるし、アーチャー風になかなか本音を言わない関係者の話を聞いて回るあたりに、リアルな小説的充実感がある。恋の鞘当てまであったりするから、エンタメとしては充分。ラストはあっと驚く派手さもあるから期待してね。 「ハメット・チャンドラー・マクドナルド・スクール」とは言うけども、「エリン(第八の地獄)・後期マクドナルド・スクール」ってのも考えていいんじゃないのかな。ロマンvsリアル、ヒーローvs等身大、といった対立軸でもまとめれるかもしれないや。まあこのシリーズ、雰囲気もいいし、文章も上手さを感じる。少し追っかけても退屈しないんじゃないかな。 あとねえ、作者は「ゲイ」という言い方を嫌がってるそうだ。「ゲイ・カルチャー」にアイデンティファイする人が「ゲイ」のようにも評者は思えるから、「ホモセクシャル」でイイんだと思うよ。まあ傍でどうこう言うよりも自己申告を重んじるべきかな。黒人のセシルくんが時代柄からして「パラダイス・ガレージ」とか「ウェアハウス」で遊んでたとかしたら面白いんだがね。 |
No.421 | 8点 | 終りなき戦い- ジョー・ホールドマン | 2018/10/27 10:38 |
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評者このところ、ネオ・ハードボイルドをいろいろ漁ってるところなんだが、やはり「70年代のアメリカ」というものが分からないと、ネオ・ハードボイルドって本質的には分からないようにも感じる。評者は年寄りだから何とかなるんだが、「70年代アメリカ」の上出来な手引きがあれば...とも思う。本作はSFだけど、この要望にマッチする面白小説だ。そう、70年代アメリカというと、「ベトナム戦争」が外せない。本作は作者がベトナムに従軍して、その体験をベースに書いた星間戦争モノのSFである。本サイト的には少し反則だが、SF苦手な評者でも大好きなSFだから紹介したいな。
時代設定は1997年。画期的な星間航法「コラプサー・ジャンプ」により人類は宇宙に進出した。異星人トーランとの遭遇から、人類はトーランと泥沼の全面戦争に突入する。エリート徴兵令によって徴兵された主人公は、過酷な訓練ののち特殊戦闘スーツに身を固めて、辺境宇宙へ旅立った。主人公は4度の戦闘に生き残るが、ウラシマ効果によって生還した世界は戦争終結から200年後の西暦3138年だった... とあらすじを読むとタダの宇宙戦争モノなんだけども、実のところ、作者が体験したベトナム戦争の泥沼と、兵士にとっては何のために戦うのか意味不明なこと(戦死者よりも、戦わせるための洗脳による発狂者が多いんだよ)、死ぬ思いをしてやっと生還してみれば、社会は自分たちを見捨てて気楽な繁栄を謳歌している....そういう70年代のアメリカ青年の怨念を込めながら、しかしそれを「面白い小説」に仕立て上げたという空前の「SF」である。 主人公マンデラはヒッピーの両親から生まれた設定で、「曼荼羅」からのネーミングだそうだ。一時的に帰還した未来社会では、人工抑制のために同性愛が社会的に奨励され、マリファナがタバコに代わる嗜好品となり、ファッションもエリザベス朝まがいの華美なもの...とヒッピーの楽園みたいなものに変わり果てている! しかし同時に、70歳を越えたら社会貢献度が低い老人は、一切の医療を拒まれる非情な管理社会でもある。母をそれで亡くした主人公は、このディストピアへの違和感から永久戦争に戻っていった...今度は士官として従軍するが、そのときには部下すべてが「同性愛がアタリマエで、異性愛は異常」とされる時代になっていた! とまあ社会風刺のキッツイ作品で、評者なんぞ大喜びで読む作品である。しかし、本作のSFネタ・ガジェットは結構いろいろアニメなどにも採用されていて、ハードSFとしても影響力がある。発表当時ヒューゴー・ネヴュラW受賞でも分かるように、アメリカでは熱狂的にウケたんだね。時代の気分を的確に掬いとった名作であり、今読んでも抜群に面白い作品なのは評者が保証する。たまにはいかが? |
No.420 | 2点 | ゴッドウルフの行方- ロバート・B・パーカー | 2018/10/23 13:03 |
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スペンサーというと、その昔人気絶頂の頃に「初秋」を読んで、○○となってそれ以降「評者の読むもんじゃねえや」と敬遠していたわけだが、このところ70年代ネオ・ハードボイルドを漁るようになったこともあって、スペンサー初登場の本作を読んだわけだが....まあ、評者の読むようなもんじゃない。相当の酷評をするので、ファンの方はブラウザバックを。
ハードボイルドというと、まあ「警句」という奴が主人公の生き様を示して云々、があるわけだけど、たとえばマーロウの場合、「警句」を飛ばすのは何かしらマーロウが傷ついてる心理を表す、なかなか奥深い機能を評者は感じるわけだ。だから「警句」は気の利いたことを言って他人をやり込めるのが目的じゃないどころか、「他人への愛や思いやり」は絶対必要なんだよ。このスペンサーという男、依頼主は侮辱するわ、表立っては法に触れていない学生や教授を恫喝するわ、やりたい放題。しかも嫌がらせみたいな皮肉を飛ばすチンピラにしか評者は見えないんだが、どうも皆さんそう見えないのかな? でまた、大学当局と容疑のかかった女子学生の父親から、実質同じ事件について二重に依頼を受けることになる。「私立探偵業法」なんてものはなかろうが、やはり「依頼主への忠実義務」ってものはあるでしょうよ。日当の二重取りでもするつもりなのかしらん。マーロウの場合私立探偵という「有料トモダチ」という立場への含羞みたいなものが、基本的な「探偵の立場」としてあるわけだが、スペンサーは依頼主無視で手前勝手にやりたい放題。評者、私立探偵に調査を依頼するんなら、スペンサーにだけは絶対に依頼したくないや。 でまあ、ミステリとしての出来がいいならまだしも、ヒネリもなにもなし。真相はお寒い限りで、しかも70年代の時台背景もあるのかないのか。過激派とヒッピーをちゃんと理解して書いているサイモン(モウゼズ・ワイン)とは雲泥の差。 なんでこんなものが人気だったんだろうね。理解不能である。「初秋」の頃には結構スペンサーのアンチがいた記憶があるんだけど、どこいったのかしら? |
No.419 | 9点 | カリブ諸島の手がかり- T・S・ストリブリング | 2018/10/21 11:26 |
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日本人は奇書とかアンチ・ミステリとか大好きなんだけど、海外作品でそれっぽい作品が...となると、本作はオススメである。というか、ミステリマニアの玩弄物で終わるは勿体なすぎるくらいの名作だと思う。ポスト・コロニアルとかそういう視点で、広く読まれていい一般性のある作品だと思うよ。
本作のイイ点は、主人公ポジオリ教授の「迷探偵」ぶりである。要するに「迷う探偵」なんだよね。カリブ諸島というさまざまな文化が雑居し混淆するクレオールな社会に、旅行者として紛れ込んだイタリア系アメリカ人のポジオリ教授なので、植民地支配者の側にいながらも、植民地主義には批判的であり、かといって現地の土俗文化に入り込むこともできず、しかもカリブ海域の政治情勢のややこしさも、ポジオリの立場を定めづらいものにしかならない。1920年代だから、長らく続いたヨーロッパの列強のナマな植民地支配がそろそろ終わりを告げて、そのかわりにアメリカの「ソフトな植民地主義」に取って代わろうという時期だ。しかしそれぞれの島で宗主国由来の文化と、原住民駆逐後に導入された黒人奴隷文化、あるいはその後に導入されたインド人・中国人のクーリーたち、と島によってその配合が全く異なることで、「島々の個性」が複雑怪奇を極めている。そこに(ある意味単純な)アメリカ文化を背負ったポジオリが、身に余る「名探偵の名声」をひっさげて、多様な文化を巡礼する話なのである。ポジオリはどの文化にも帰属できない「マージナル・マン」なのである。評者は「名探偵はマージナル・マンであるべきだ」と思ったりするから、ある意味ポジオリは評者の「理想の探偵像」に近いものがある... まあだから、謎解きは実のところ、何の役にも立たないようなものだ。事件は勝手に起き、迷探偵は途方に暮れ、その意図から外れたような解決をする。本書を絶賛するクイーンは、中期以降「迷探偵エラリイ」像を確立して、ついには「第八の日」で本当にポジオリ的なポジションにエラリイを立たせることになるけども、やはり本作が大きなヒントを与えているんじゃないかな。 そういう作品なので、実のところ「ベナレスへの道」だけがクローズアップされて取り上げられるのは間違いだと思うよ。全体の「名探偵の失敗」構図の中でやはりあのオチも理解されるべきなので、そのために前半4作があるんだからね。短編集トータルで理解すべき作品だと思う。個人的には「カバイシアンの長官」のポワロン長官に惚れる。粗野にして賢明で、パワフルで獰猛な黒人国家ハイチの行政官! |
No.418 | 4点 | 忘却へのパスポート- ジェイムズ・リーサー | 2018/10/16 09:15 |
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スパイ小説全盛期に1作だけ紹介されたイギリス・スパイ小説。「スパイがいっぱい」というタイトルで、デヴィッド・ニヴン主演で映画化されている。映画と連動で翻訳されたのだろう...
テヘランでイギリスのスパイKが行方不明になった。しかし中東のイギリススパイ網が壊滅していたために、その調査に当たる人材がたまたまいなかった....諜報機関の次長マクギリヴレーは、戦時中に知りあった医師ジェースン・ラヴ博士をスカウトすることにした。思いのほか軽い気分でテヘラン行きを承知したラヴ博士は、促成のスパイ教育とスパイ秘密道具を授けられて、「国際マラリア会議」出席を名目としてテヘランに向かう。が、搭乗予定の飛行機が何者かによって爆破された。そもそも生還のアテがあるのだろうか?? 大体こんな話。描写はハードで、スパイ活動のデテール感は少しある。イラン国王の暗殺を阻止したラヴ博士が、脱出の際にソ連スパイに捕まって...とか、後半なかなか派手な展開をする。けどね、最終的なソ連スパイの作戦が凝り過ぎでトンデモだし、支給されたスパイ道具の性能がなかなかもってファンタジー。現在でも小ささと性能の要求仕様を満たすのが難しいと思うよ....要するに「電池どうするんだ?」と評者とか、悩む。007が車に仕込む追跡用発振器が、タバコパッケージサイズなのがリアリティってものだ。で巻き込まれ型スパイ、というわけでもなくて、一応はヴォランティア(志願兵。柔道が茶帯だけど強いぞ)だし、中途半端な雰囲気がただような。サポートもなしにシロウトを敵地に送り出すイギリス諜報部、無責任ってもんでしょうよ。 作者はどっちかいうと第二次大戦の戦記ノンフィクションで有名な人のようで、そっちは5作くらい訳されているようだ。フィクションもかなりあるようだが、訳されたのこれだけ。デヴィッド・ニヴン主演ってあたりでピンとくるだろうけど、映画はスパイ・コメディのようだ。いや評者粋なニヴン好きなんだけどね。それこそジェームズ・ボンドの容姿のモデル、とされる俳優さんだし、スパイ映画(もちろん「カジノ・ロワイヤル」)とはご縁が深い人である。 |
No.417 | 4点 | サキ短編集- サキ | 2018/10/14 12:05 |
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困ったな。意外かもしれないが、評者は肌に合わない。シニカルでニヒル、とは言っても着地先の「安定性」みたいなものが垣間見れて、本当の意味で虚無的な部分や狂気はないように感じる。結局上品になるから、逆に一般受けしやすいのかもしれないが....
大体モーリス・ルヴェルあたりと同じ時代のショートショートになるわけだが、ルヴェルの悪趣味や残虐はない。単に「冷たい」だけの短編のような気がするのだが...まあ好きな人にはごめん、としておこう。 ※これは昔からある新潮文庫(中村能三訳)の書評です。21作収録。「二十日鼠」「開いた窓」「狼少年」などを収録しているが、半分弱くらいはぎりぎり「ニアミス」と言えるかなぁ。miniさんが書いておられるけども、より「らしい」作品が収録されていない本ではあるようです(評者はあまり詳しくはない..)。 |
No.416 | 6点 | 007/黄金の銃をもつ男- イアン・フレミング | 2018/10/10 00:03 |
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評者はどうもワルモノなので、「マジメを売り物にする」奴が嫌いみたいだ。というのは、ル・カレをこのところ5冊やったんだが、何かねえ読んでいて嫌な気分になることが多いんだ。その点、フレミングは、洒落っ気があるのでスノッブな気取りだって嫌な気分にはならない。エンタメに徹してるが、これだけ売れたシリーズのわけで、それはそれである種の「真実」を示しているようにも思うのだ....と、人気絶頂での作者の死によって遺作となった本作は、ある意味このシリーズの本質みたいなものを露呈しているのが面白い。
前作「二度死ぬ」の最後で行方不明になったボンドが、突然帰ってきた...が、この裏にはソ連に洗脳されたボンドによるM暗殺が企まれていた。間一髪で暗殺を逃れたMは、ボンドに療養をさせたのち、回復したボンドに汚名挽回のための任務を与える。カリブ海を根城にソ連の仕事を多く請け負う殺し屋スカラマンガの暗殺である。スカラマンガは「黄金銃を持つ男」として伝説化した殺し屋だった....スカラマンガに接近したボンドに対決の日が近づく。 ボンドの帰還とM暗殺を巡るシーケンスが、「秘密情報部の一般社会インターフェイス」という視点で描かれていて、なかなか興味深い。で、本作は実際のところ「007=殺人許可証を持つ男」というのが、国家の暗殺者だ、ということを露呈しているのだ。正義の冒険者、というよりも暗殺を業とする殺し屋としてのボンドが、伝説の殺し屋と決闘する、というウェスタン調の話なのである。原作でもスカラマンガは何となくボンドを気に入ったかたちで、身近に雇うことにする。同類としての共感みたいなものが、原作でも底流に感じられる。 で、これは映画ではクリストファー・リーがスカラマンガを演じて、これはもうボンドに対する親愛感をまったく隠さない、というか同性愛的なニュアンスさえある(スカラマンガとニックナックの関係も怪しい)。二人は古典的な正々堂々な決闘をする。ほぼスカラマンガのキャラだけを原作から採用して、舞台背景や事件はほぼオリジナルになっているのだが、これはこれで原作のウェスタンな「殺し屋vs殺し屋の話」のテイストを維持できていて、ナイスな映画化だと評者は(あえて)思うのだ。舞台を映画の前作とカブるという理由でカリブ海から香港・マカオ・東南アジアに移して、折からのカンフーブームにも乗っかって...と、かなりお気楽なボンドならぬモンド映画風の作りになっているので、マジメなファンは嫌がる作品で有名なんだがね。 と、舞台が共通する「スクールボーイ閣下」でマジメにベトナム戦争を背景にしたル・カレと対比すると、あちらのマジメさが結局華僑の囲われ者になっていたイギリス人女性を、イギリスの臨時工作員が任務を逸脱して華僑から奪おうとする話..となってしまい、イギリス人の視野の狭い独善性みたいなものを感じて評者はノレないんだな。こっちは「ガキじみた決闘ごっこに血道を上げて、アジアの片隅で腐れ果てるイギリス変態紳士たち」の映画だ。これに巧まざる批評性を読み込こんでみたいと評者は思うのだ。 ま、映画はカジノ・ロワイヤルが 1967 > 2006 な映画バカなら、お気に入りになること間違いなし。映画の方が原作よりも面白い。 |
No.415 | 6点 | 影の顔- ボアロー&ナルスジャック | 2018/10/08 16:35 |
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「悪魔のような女」もそうだけど、ボア&ナルは異常な状況に置かれた人間の疑惑や妄想を膨らまして、短めだが長編を構築するという力技で成り立っているわけで、実際オチなんてどうでもいいんだね。で、本作は中途失明者が、かつて知っていた生活と失明後の視覚以外の感覚を総動員して得られる「失明者の生活の感覚」との齟齬に苦しむ話である。カッコよくいえば「盲者のコギト」かな。この生活空間の再建の中に紛れ込んだ疑惑とその成り行きを楽しむのだから、本当にプロセスだけが大事。プロットを取り出しても仕方がないや。
なので桃のエピソードとか、いいな。けど小切手に署名だけして渡すのはいくら何でも警戒心がなさすぎるね...本作はあまりオチははっきりしたものではないので、オチを期待して読むと絶対肩透かし。miniさん同様、そういう読み方をする作品ではないと思う。 世界は何のつながりもないばらばらの外観だけででき上がっており、まるで足下から崩れおちるくさった手すりのように、一度にどっと崩れてしまうかのようだ... ここらに「哲学」を感じながら読むと楽しめる。 |
No.414 | 9点 | ビロードの悪魔- ジョン・ディクスン・カー | 2018/10/07 21:26 |
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評者はマニア道純粋主義みたいなものに懐疑的なのは、皆さんご承知ではと思うのだが、カーの歴史ロマンの本作は、評者はカーの代表作にしてもいい..なんていうと嫌がる方も多いかもしれない。でもそうなんだもん、仕方ないや。
SFタイムトラベル設定+考証重視の歴史小説+剣戟ロマンだけじゃなくて、タイムリミットサスペンスや意外な犯人まである、本当に欲張りな小説だ。しかも各要素が渾然一体になって持ち味を損なわない、というジャンルミックスのお手本みたいな小説だと思う。 でとくに、歴史小説としての考証の充実感が半端なく、タイムトラベルする主人公が歴史学者、という設定が効いている。「別な時代」の固有な感性と風俗のリアリティ、強いて言えば「(時代の違う人々の感性が)わからない」のが、「わかりやすく」伝わる。これはかなり歴史小説として凄いことだ。評者なんて歴史小説が現代人のコスプレにしか見えなくてシラケることが多いけど、本作の考証のリアリティは素晴らしい。というか、今の時代小説だと何着てるかさえちゃんと書かない(書けない)作品が多すぎるしね。 まあ弱点は王政復古期のイギリス、という時代設定が日本人にはかなり馴染み薄な時代なこと。イギリス史は宗教が絡むから難しいや...まああまり気にせずに楽しんで読むのを優先したほうがいいだろう。 (あと本作が面白かった方には「ゼンタ城の虜」をオススメする。かなり本作は「ゼンタ」を下敷きにしているから読み比べるのが一興) |
No.413 | 6点 | 死体置場で会おう- ロス・マクドナルド | 2018/10/06 22:33 |
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アーチャー初登場の「動く標的」はガチ誘拐物だったけど、それ以降ロスマクは「誘拐?」とはなっても、「誘拐かそうでないかビミョー」という「なんちゃって誘拐」な事件が多いんだね。私立探偵にはガチ誘拐は荷が重すぎるから、わからないでもないが、本作の主人公はアーチャーではなくて、執行猶予中の犯罪者を管理する「地方監察官」である。日本の保護司は名ばかりの公務員でボランティアみたいなものだが、「地方監察官」だと捜査権もあるようで、警察でも邪険にはされない。けどね、誘拐犯の前科者が、その誘拐被害者と一緒に、誘拐直前に主人公のオフィスを訪れるとこから、話が始まるんだよ....「なんちゃって誘拐」というものだ。
身代金要求は届くから、主人公は半信半疑のまま身代金を追って、死体と出くわす。なんか善意からズルズルと事件に介入して...という感じ。だからタイトルがいかにもハードボイルド、な雰囲気を醸していても、カウンセラーみたいな後期アーチャーっぽさがありこそすれ、ハードボイルドらしさは薄い。それでも身元確認のために「死体置場で」落ち合っているので、看板に偽りはない。 アーチャー物でもよかった気がするが、まだこの時期はアクションもこなすハードボイルドな探偵だったからね、そこらへんを差別化したかったのかな。そう悪い作品ではないが、内容的には今ひとつ押しきれない。というわけで、中期のポケミスのみの作品では、 運命>犠牲者は誰だ>ギャルトン事件>本作 になるけど、まあどれも「何で文庫にならなかったかな?」と不思議に感じるくらいの粒揃いではある。 |
No.412 | 6点 | 病める巨犬たちの夜- A.D.G | 2018/10/06 21:51 |
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マンシェットの翻訳コンプを記念して、邦訳2冊だけのA.D.G も片付けよう。けどね、これ何とも面妖な小説である。エクスブライヤの田舎ユーモアミステリみたいに始まるが、A.D.Gなんで下ネタだって満開でお下劣。村はずれにキャンプを張ったヒッピーと村人が馴染んじゃうあたり、ほのぼの&アナーキーな良さがある。となると旦那衆と軋轢が...と期待するんだが、この旦那衆、というのが曲者ぞろい。「城」の元持ち主の老嬢が絞殺されたのをきっかけに、その兄「稚児さん」一家が村に滞在するのだが、インドシナで怪しい商売をしていたというイワクがある。先代の棺の中に少女の白骨死体が見つかる異様な出来事ののち、ヒッピーのキャンプの放火には、ギャングなボディガードを従える今の「城」の持ち主「パリっ子ジェラール」に疑惑がかかる。村人、ヒッピー、「稚児さん」一家、城の持ち主「パリっ子ジェラール」一派と組んずほぐれつの「病める巨犬たちの夜」が始まる...
村人とはいえ、ハンティングやレジスタンス経験があったりしてみんな血の気が多い(軽機関銃だって隠してあるのさ!)し、そこはA.D.G。読み終わったあとにちゃんと「ノワール、だったね」と思わせる作品だ。 ま、フレンチ・ノワールって「言語」という面では過激なものが多いわけで、それこそギャングの隠語たんまりなシモナン、ルブルトンから、体脂肪率ゼロのマンシェット、で方言俗語なんでもござれなA.D.Gで、実のところ実験小説みたいに読むのがいいんだろう。生き方もアウトローなら、コトバもアウトロー、そういう実践ということだ。 |
No.411 | 7点 | 大いなる賭け- ロジャー・L・サイモン | 2018/10/03 19:41 |
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モウゼズ・ワイン初登場の本作は一応CWAの新人賞を獲ってる。70年代初めのサブカルの雰囲気を味わうんだったら、本作かなりイイ線をいってる作品である。言ってみりゃミステリの「ホテル・カリフォルニア」。
....1969年のベトナム反戦/ヒッピー・ムーブメントの盛り上がりの後で、過激派だったワインも今じゃ二児の父でしがない私立探偵。1969年のお祭りの騒ぎの最中、フリーセックスをワインと楽しんだライラも、進歩派の民主党大統領候補のキャンペーン運動員だ。その候補の「ホメ殺し」を仕掛けた元過激派の政治ゴロの対策をワインに依頼する。しかし、ライラは車ごと崖から落ちて死んだ....青春の挫折に苦い感傷を感じながらも、ワインは陰謀に肉薄していく。黒魔術のセクト、ネバダ砂漠の売春宿、ワインはハーレーで砂漠をぶっとばす! とホントにアメリカン・ニューシネマの世界を彷彿とさせる話である。もちろんサブカル・ネタも大量に仕込んであるので、そこらを楽しめるかどうか、というかなり高いハードルのある作品だ。評者はそこらへん一応の常識がある年寄りだから楽しんで読めるけど、若い読者が単語をググりながら読むんだったらツラいかもね。 ここはスピリットを1969年以降は置いていないんです そういう幻滅の話。カラフルでマンガのようなノリの良さがあって、ミステリというよりも冒険小説みたいなテイストを感じる。ワインは道化だが、その道化の想いには苦いものがあるな。ワインの彼女になるチカーノのアローラは、次作の「ワイルドターキー」にも登場するんだが、ユダヤ系のワイン、チカーノのアローラと兄弟たち..とこのシリーズは人種もごっちゃ、政治背景もぐちゃぐちゃといった、猥雑な70年代の「リアル」をうまく掬い取っていると評者は思う。もちろん古くはなるから読者がついていくのは難しいけど、先に読んだマジメなプロンジーニよりも、チャランポランなサイモンの方が小説としてはずっと面白い。 |
No.410 | 6点 | 誘拐- ビル・プロンジーニ | 2018/09/30 22:06 |
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70年代のネオ・ハードボイルドで一番「らしい」部類のシリーズである。どこが「らしい」かって? 70年代のアメリカ社会の変容によって、ハードボイルドなタブガイが急速にリアリティを失って、ノスタルジアかパロディか、そんなものにしかならなくなった苦い自嘲を込めた探偵像が「新しい=ネオ」ということになったわけである。本作の「名無しのオプ」も、タフガイらしくもなくタバコの吸いすぎによる咳に怯えるし、パルプ雑誌のコレクションが趣味、また参照されるスターもアメリカの大衆文化が花開いた30年代...とおよそ「後ろ向き」な男なんだね。
で本作が第一弾になるわけだ。丁寧な風景・人物描写はあるが、誘拐から殺人に発展した事件のくせにあまり大した「イベント」が起きている印象がない。短めの長編だが、そこらが大いにハードボイルドらしくなくて、御三家だったらきっと短編にしかならないだろう。ハードボイルドらしいスピード感・ドライブ感に、作者は本当に関心がなさそうだ。主人公も警句を吐くでもなく、アーチャー以上に真面目な感じ。その「後ろ向き」なキャラを恋人に呆れられて捨てられるのを、グズグズと内省する。それでもミステリとして手堅いので、そうそうつまらないわけではないんだがなぁ。 「ハードボイルド」とコダワるのがもう必然性がないんだ、そんなことなんだろう... |
No.409 | 8点 | 虎よ、虎よ!- アルフレッド・ベスター | 2018/09/27 22:02 |
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少し気分転換。SFでは超有名な名作である。評者SFはどっちか言うと苦手感が強いんだが、本作は別。結構何回も読み返している本である。
誰? あのフォーマイル? ああそうね。道化だわ。成金紳士。俗悪。低劣。猥褻。 と主人公を評するこの言葉がすべてを語ってるかもしれない。実際、今回読んだ感想としては、「大いなる眠り」に似てるよね...と感じたりもした。圧縮され疾走感に溢れた、熱いコラージュ、という肌触りのことだ。終盤にご都合主義的にキャラが皆恋愛に走るのが奇観なのだが、主人公だってそうなる前は、なかなかハードボイルド、なのである。「ミステリの祭典」的には、チャンドラーが好きなら、楽しんで読めるのでは。 本作のスジとかSFの道具立てについては、今更評者なんかが細かく言わなくても「ネタの宝庫として、メディアを問わず後世への影響力絶大」で充分。それよりも本作の強烈でアツい「俗悪・低劣・猥褻」が導く崇高さが、「ああ、ワルい本読んだ!」というスペシャルな充実感で満たしてくれる。言うならば「精神にカツが入る」ような本なのである。 評点は10点でもいいんだけど、「ミステリの祭典」と銘打つ以上、流石にSFなので遠慮して8点とします。まあ本作なんて何点でもいいさ。パンクにどうやって点をつけると言うんだね。 |
No.408 | 9点 | 殺戮の天使- ジャン=パトリック・マンシェット | 2018/09/24 21:50 |
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さて翻訳のあるマンシェットでは評者はラストになる...実はあまり期待してなかった作品なのだが...いや、これ凄いよ。文章がちょっと鬼気迫ってる。「殺しの挽歌」→本作→「眠りなき狙撃者」の執筆順だから、最後から2つ目の作品になるのだが、文章は本作でもう「眠りなき狙撃者」のソリッドさが実現されていると思う。削ぎ落とし、という面ではもう完成していて、「眠りなき狙撃者」では「削ぎ落としたあとに何が広がるか?」だったわけだが、本作では削ぎ落とした単語の間から、マンシェットのヒロインへの愛が噴出する、というトンデモない作品である。
文章のハードさに負けないくらいに、お話もハード。主人公の女性エメは殺し屋。ただし鉄砲玉としてただ殺す、という道具ではなくて、「殺し」の自営業者みたいなものだ。その「営業」はリアルで、身なりを変えては田舎町に滞在して、町の有力者たちのいざこざを陰で煽って、「殺し」を持ちかけて金を頂く、というビジネスだ。「チャップリンの殺人狂時代」に近いテイストを感じる。 もちろんマンシェット。一切の妥協のない客観描写で、プロセスを機械の眼で見つめていく。ここには美化が一切ない。気取りも皮肉もない。あくまで目的に向けて駆動する冷徹なマシンと自らを律し、自らを使いこなしてみせるヒロインがいるだけだ。だからこそ、そのターゲットとなる町の旦那衆方は、お気楽で低俗で曖昧な連中にしか見えないのだ。ヒロインは新しい魚市場の冷蔵装置が壊れていたことから起きた食中毒事件を利用して、港町の有力者たちのいざこざを仕掛けていく... さあ、狩りの時間である。しかし想定外の事件が起きて、ヒロインは旦那衆と正面衝突することになる。 エメの姿は闇に沈んで見えなかった。もし見えたとして、美しい姿とは言えなかった。いや、あるいはむしろ、これこそ美しい姿だというべきか。それは趣味の問題である。 クライマックスのさなかで突如ギアが切り替わる。読者はその突然のギアの切り替えで頭をブツけるだろう。作者が乱入して正面衝突するのだ。この作者はヒロインに負けないくらいに、狂っており、愛に満ちている。だから本作はこの破調において真に感動的なのだ。そして「聖テロリズム」としか言いようもないラストを迎える。 ハイヒールを履き真紅のイブニングドレスを着たエメは、傷一つない驚くべき美しさを湛えて、モンブランの山塊の斜面にも似た雪の斜面を足取りも軽く登っていった。「淫蕩にして冷徹な女たちよ、この書物をあなたたちに捧げる」(カッコ内ゴシック) 追記:マンシェットは訳が出てるものはコンプ。6冊だから楽なものだけど、いや評者総ツボで本当に大好き! 「危険なささやき」以外は全部オススメですが、わかんない人は死んでもわかんない、というタイプの作家だと思います。 |