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[ 本格 ]
完全殺人事件
ルドヴィック・トラヴァースシリーズ
クリストファー・ブッシュ 出版月: 1950年01月 平均: 4.80点 書評数: 10件

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雄鶏社
1950年01月

東京創元社
1958年01月

新潮社
1958年01月

東京創元社
1959年01月

東京創元社
1959年12月

東都書房
1964年01月

講談社
1972年01月

No.10 6点 弾十六 2022/11/19 09:37
1929年出版。トラヴァーズもの第2作、というがシリーズ第1作目(1926)ではほんの端役らしい(なんだかE.G.作のあのシリーズを思い出す)。講談社文庫の翻訳(原 百代©︎1977、講談社『世界推理小説大系 11』(1972)収録と同じか)は実に達者。戦後GHQで活躍された方のようだ。(ノウゾーさんがどう処理してるのか気になったので、創元文庫を発注。翻訳は忠実な逐語訳で遜色なかったです。講談社文庫で省略があった図面関係も完備。私は全然そう思わないが文章が古臭いかなあ…)
ブッシュさんは本名Charlie Christmas Bush、こういう名前はからかいの対象になってたのでは?と余計な心配をしてしまう。グラマー・スクールからロンドン・キングス・カレッジへ(Modern Languages専攻)。卒業後、教師となった。本作では教師ネタが充実してると感じたが、ああ、なるほど、という経歴。クリケットは上手だったんじゃないか、と思う。そういえばバークリーの作品にも教師がクリケットの学校対抗試合に夢中、というシーンがあったっけ… デテクション・クラブへの加入は1937年。創設メンバーへの追加としては8番目、同年にはニコラス・ブレイク、ニュートン・ゲイル(誰?)、ECRロラックが加盟している。

本書はクロフツさんを意識したようなスタイル。刑事や探偵が気軽にフランス出張に行く(1921年に英仏間のビザは廃止されている)。一つの証言があっても、別角度からしつこく確かめるのもクロフツっぽい。個人的には「検死廷(inquest)」を楽しみにしていたが、詳しい描写があまりなくて残念。
講談社文庫の解説は各務三郎。本格探偵小説を「パズル小説」と呼び、なかなか面白い。ついでに井上良夫『探偵小説のプロフィル』も参照してみると、翻訳『完全殺人事件』(春秋社)の後書きではすごく褒めているようにも受けとれるが、原書の読書評(「完全なる殺人」という仮タイトル)では「感心した」レベルで「傑作」という評価ではないと感じた。
私は、この作品、冒頭に作為がありすぎて、ガッカリ物件になってしまった作品だと思う。予告行為を無しにして話を進めたら(何かの偶然で完全犯罪が崩れる)迷宮課事件簿っぽい話になって、地味だが割と面白い、という穏当な評価になったのでは? (でも地味すぎて評判にならないでしょうね) 私は戦間期の英国生活に非常に興味があるので、作者が描いている微妙なディテールを十分楽しめたのですが(クロフツ同様、登場人物に派手さがないのですが、普通の人々が普通に登場して普通の生活をしているのが良い)そういう骨董的価値(各務三郎はそう評している)に無縁な人には退屈な作品とうつるのも仕方ないでしょう。ミステリ的には、強いインパクトの冒頭部分を除けば、凡作、という感じ。人を驚かせる要素不足。キャラクター描写は言われるほどダンボール人形ではない。ウォートン警視が印象深くて、この人はトラヴァースもののレギュラーらしいので、他のブッシュ作品も発注してしまいました。
以下、トリビア。参照した原文はDean Street Press 2017、トラヴァースものをたくさん復刻しているようだ。
作中現在は、作者は近未来(1930年代)に設定している(p22)が、作品内の印象では1928年10月であろう(p93、p267、p285、p292参照)。
英国消費者物価指数基準1928/2022(74.25倍)で£1=12395円、1s.=620円、1d.=52円。
献辞はTO MARJORIE(奥さんか?) 講談社文庫、創元文庫とも省略。
p8 A… B… C… ◆ 章の中を分割する記号なのだが(第一章A、第一章B… という感じで区切っている) アルファベットを使うのは初めて見た。
p18 当イギリス第一映画会社は…(Leading British Film Company)◆ 会社名を明記しないで「英国の有名映画会社は…」という表現だろうと思う。
p19 チャップリン◆ 当時なら数多くの短篇コメディや『黄金狂時代』(1925)のイメージだろう。
p21 昔の映画(those early pictures)◆ まだサイレント映画の時代。それで「昔の映画」って… と思ったが、多分、作者は大衆化した騒がしい近年の映画が嫌いで、芸術性の高いサイレント古典作品を念頭に置いている。
p22 一九三--年十月七日(the 7th of October, 193—)◆ 1930年代の話だよ、と示しているが、出版時だと近未来の話。なぜそうしたのだろう?
p23 没書籠(ダブリユ・ピー・ビー) W. P. B. ◆ WPB, W.P.B.でwaste-paper busketと辞書にあった。
p23 メアリアス(Marius)◆ 「マリウス」が普通かなあ。創元だとそうなっている。p125に説明あり。
p27 ローランド社製の携帯用タイプライター(the typewriter was a Rolland Portable)◆ 架空メーカー
p27 シャンペン酒やビスケット(champagne or biscuit)◆ アペリティフ、という意味で合ってる?
p35 「O」警察管区(the “O” Division of Police)◆ ヴィクトリア時代のロンドン管区の一覧表を見つけた。“1888年の「シティ警察とスコットランド・ヤード」の警察官の人数” (みっちょんさんのWEB「シャーロック・ホームズの世界」より)この表によると「O」管区は存在しない。(実在だと差し障りを気にするだろうから当然か)
p36 ルーベンソンの筆で(was painted for it by Rubenson)◆ 架空の画家のようだ
p36 前便と共通の文字を比較検討されれば、使用タイプライターの個性が両者同一であることを、ただちに了解されると信じます(First, to test the genuineness of this communication compare the word ‘thesis’ for peculiarities of type)◆ 講談社文庫では重要な語句だと理解せずthesisのところを削り、余計な「前便」を付加している。能三訳「この通信の真実性をテストするために『主題(シーミス)』という言葉の活字の特徴を比較検討くださるようにお願いします」以前の通信には何処にもthesisという単語は使われておらず、この連なりを持つ語も無い。(もちろん単独の文字レベル(t,h,e,s,i)なら英語に頻出する文字ばかりなので多数使われている) この『主題』(講談社文庫では『課題』)というタイプ文字は別の場面に登場するのだ。それで犯人の同一性がわかる、という事を犯人は記している。(この説明を作者は全く書いていないので講談社文庫の訳者は気づかなかったのだろう) 試訳「まず、この通信内容が本物であることは『主題(thesis)』というタイプライター活字の特徴を比較すればわかります」
p38 興信所(expert consulting and publicity agents)◆ イメージしてるのはどういう類の企業なのだろうか。経営上のアドバイスを行ったり、探偵業を行なっているのだが… (p108の記述では広告業も引き受けているようだ) 少なくとも単なる「興信所」とか「広告代理店」ではない。情報業の総合商社(現実には存在しないが)という感じ? 能三訳では「専門技術顧問業及び広告代理業」
p40 マホウン事件やクリッペン事件(the Mahon and Crippen Cases)◆ Patrick Mahon によるEmily Kaye 殺人事件(1924)とHawley Harvey CrippenによるCora Turner殺人事件(1910)
p50 電話交換局の情景。今となっては興味深い。
p54 さし金はかけないほうがいい(don’t let the catch work)◆ 玄関の扉。catchはboltの受け金具のことだろう。
p55 私が参照した原文では図面上に台所と食堂の間にPantryがあった。(階段の真ん中あたりに出入口のない壁がある) なお創元文庫では正しい図面。(食糧貯蔵庫)
p55 鍵がさしたまま(a door with key in lock)
p57 チョッキの胸に… しみがみえる。その中央からAAAが半クラウン銀貨ほどの大きさで、突き出ている(On the waistcoat of the suit was a stain, circular in shape and no bigger than a half crown, but from its centre protruded the AAA)◆ ここは明白に誤訳。しみの大きさが半クラウン貨くらいだった、という事。能三訳では正しく訳されている。(「やっと半クラウン銀貨ほどの大きさの血のしみ」) なお当時のHalf Crownはジョージ五世の肖像、1920-1936鋳造のものは.500 silver, 14.1g, 直径32mm
p59 異色の作家ジョージ・ボロウの文献蒐集(Borroviana)◆ George Henry Borrow(1803-1881)は死後評価されたようだ。当時熱狂的なファンがいたのかな? 英Wikiを読んでもよくわからなかった。
p60 フランス窓… 鍵穴に鍵をさしたままで、上下にさし金をはめてある(The key of the French window was in the lock, and at top and bottom bolts were firmly home)◆ ここは「ボルト」か「かんぬき」が好み。試訳「上下のボルトはしっかり差し込んであった」
p60 台所との間にもドアがあるが、上下に用心ぶかく、さし金がさしてあった(The door which led to the kitchen was bolted top and bottom)◆ 試訳「上下ともボルトで閉まっていた」
p62 シリング貨が二枚、六ペンス貨一枚、一ペンス貨二枚(two shillings, sixpence, two pennies)◆ ペンスは複数形なので「1ペニー」貨が正しいけど、大抵ペンスを使い、先に六ペンスも出てくるので流れで合わせたくなる気持ちはわかる。能三訳では「1ペニー銅貨」
p62 ポンド紙幣が14枚(fourteen pound notes)◆ 当時の1ポンド紙幣は、財務省発行の£1 3rd Series Treasury Issue(1917-1-22から1933まで発行、茶色と緑、151x84mm、表のデザインはジョージ五世の肖像と馬上の聖ジョージ&ドラゴン)か、イングランド銀行発行の£1 Series A (1st issue)(1928-11-22から発行、緑、151x84mm、表のデザインはブリタニアの坐像)のいずれか。作中現在1928年説なら前者で確定。
p73 オード、キヤン(Quillan, Aude)◆ 南フランス、オード県の集落キヤン。
p76 クリッペッジ(cribbage)◆二人遊びのトランプ・ゲーム。専用スコアボードがあるんですね。Wiki “クリベッジ”参照。
p86 くさりとさし金でしめる(It went with a chain… and bolts)
p90 マーティン、グラーズ、ランドシーアなどの銅版画(the engravings after Martin, Greuze, and Landseer)◆ John Martin(1789-1854)のこと? 他二人は苗字だけで特定できる。
p93 木曜日には必ず(on Thursday nights)◆ 事件の日。10月11日木曜日が該当するのは出版近辺で1923年、1928年、1934年。
p105 ポケット鉄道案内(a handy Bradshaw)◆ ここは「ブラッドショー」を残して欲しかった。能三訳では「ブラッドショー鉄道旅行案内」
p111 探偵小説そっくりの事件(of the detective novel type)
p111 ルコック◆ ブッシュさんの評価は高い。フィルポッツ『レドメイン』フィル・マク『鑢』など、1920年代くらいまでの作者にとってガボリオの評価は非常に高い。その後、読まれなくなり、シャーロックの口車などによって低評価となったのだろう。ガボリオの『ルルージュ』『オルシバル』は紛れもなく傑作だと思う。(ちょっと長いけど)
p116 検屍廷(inquest)
p121 かけ金までかけて(fasten the catch)◆ 窓のcatchのイメージは“Window Sash Lock Catch Old Style”で見られるようなもの。回転するロック側と、受け金(catch)のセット。
p121 とめ金を発明したのは(safety catches were first invented)◆ なぜかこっちでは「とめ金」と訳している
p122 鎧戸を閉める。これにはむろんとめ金がある(close the shutter which has the slot)◆ ここではslotを「とめ金」と訳している。このslotは文脈から上下に動くかんぬきタイプか。ボルトを差し込む「穴」が原意。もしかすると上下ではなく回転するタイプ(画像はBIG Round Vintage LATCH Hook Slot Antique)かも。
p131 当時、理髪熱が高まった(the shingling craze)◆ shingle が流行ったのは第一次大戦後くらいか。ルイーズ・ブルックスの髪型。
p136 失楽園(Paradise Lost)◆ 大ヒット映画(the super-film)という設定だが、架空作品。ミルトン原作のスペクタクルという設定か。
p153 画筆(brushes)… 大小2本で30シリング(about thirty bob the pair)◆ 高級品
p158 木曜日◆ 事件の日(10月11日)の曜日。
p172 十月三日、水曜日
p179 ポンド紙幣(a pound note)◆ p62参照。
p190 少しばかり財産を持って… なんといっても紳士… つき合いの邪魔… 財産家だの紳士だのってものは、われわれの職業では、むしろ許しがたい悪徳なんです(… happens to have a small amount of private means; he’s a damn sight more of a gentleman than some we’ve got here, and he used to keep himself to himself: three unpardonable crimes in our profession)◆ 公立高校の教師の本音
p191 校長なんていうものは、どこの学校でも、変人ばかりでしてね(Headmasters are strange beings)◆ 同上。作者の本音でもあるのだろう。
p198 チップを半ポンド(half a quid)◆ ホテルのポーターへのチップ。高額。
p201 フットボール… 学生が対抗試合をやってるんなら別だが、職業となると感心しない(No use for football… Man must play for his school and all that. This professionalism… is no class. Not the sort of thing to do)◆ アマチュア礼賛が英国の特徴。
p201 シリング銀貨(a shilling)◆ ウイスキー1杯分のようだ
p205 頸にラシャの切れをまいた(tucked the wool strip into his neck)◆ 理髪店で。切った髪が服の中に入らないようにしているのだろう。
p210 給金を週に10シリングにあげる(raised… ten bob a week)◆ 月額26867円。理髪店で。結構な昇給のはずなので「10シリングの値上げ」という意味では? 原文ではそのように読み取れる。能三訳では「週に10シリング昇給」
p224 衣食住つきで40ポンド(salary had been £40, all found)◆ 家政婦(housekeeper)の当初の給料。これは年額なので月額41317円。
p228 十一月
p230 ある探偵小説の序文として、チェスタートンが書いた…殺人犯人が、物語中に一度も姿を現わしたことのない人物だとわかったら、読者は腹立たしい思いがするに決まっている(a preface written by Chesterton for a detective novel and in it he said how annoyed he always was if the murderer turned out to be some person whom he had never met before in the story)◆ これはマスターマン『誤配書簡』(1926)の序文のことだろう。シミルボンにこの序文について詳しく書いてるのでご覧ください。記事タイトル「チェスタトンの八戒」チェスタトンの原文はHe [著者] does not trace the crime hurriedly in the last page or two to some totally insignificant character, whom we never suspected because we never remembered.
p239 ガストン・ド・フォア(Gaston de Foix)◆ (1489-1512) ヌムール公、フランスの将軍。「イタリアの雷」(le foudre d'Italie)と呼ばれた。
p244 五フランの紙幣(five-franc note)◆ 当時はBillet de 5 francs violet(1917-1940)、サイズ125x80mm
p245 私が参照した原文では、島の全図に加え、島西部の拡大図がついていた。創元文庫には両方の図面あり。講談社文庫の島の全図はやたら細かい本式の地図を載せているが、原書や創元文庫の図は手書きのスケッチ。
p246 ポルケロール島(Island of Porquerolles)◆ 実在の島。聖地巡礼してみたいですね。
p259 デイリイ・メイル紙(Daily Mail)◆ ここだけ実在の新聞が登場
p263 主要な点だけは聞いていただきたい… ウッドロウ・ウィルスンじゃありませんが(I’ll go over the principal points as I made them. Almost as many as Woodrow Wilson’s)◆ the principal pointsから連想したのだろう。米国大統領ウィルスンが1918年1月8日に議会で演説した「十四か条の平和原則」(a 14-point program for world peace)
p267現在の為替相場ならば、ポンドが125フランにあたります(with the exchange at 125)◆ 1923年だと£1= 75.10フラン、1928年123.75、1930年123.68。1927年以降はだいたい123フランで落ち着いている。
p271 ガボリオのルコック探偵の方法を踏襲(calls for the methods of Lecoq)
p273 特別の情報が入りました時は、半クラウンを投資します(sometimes the Major gives me a tip and sometimes Mr. Henry does, and I put on my half-crown)◆ ここら辺がブッシュさんの味なんだろう。語り手の堅実さもくっきりと浮かぶ。良い情報があってもせいぜい2.5シリング(=1550円)しか賭けないのだ。
p282 五シリング(five bob)◆ 内科の診察1回の料金のようだ
p283 僧侶の戦争行進曲(War March of the Priests)◆ Felix Mendelssohn作曲の"Athalie, Op. 74"から。ドイツ語Kriegsmarsch der Priester。勇壮な行進曲。
p285 クロス・ワード・パズル(crossword puzzle)◆ p114にも出てくる。伯母さんまで夢中になっており、それが過去の話なので作中現在は1920年代後半だろう。クロスワード・パズルが英国に上陸したのは1924年。The Timesが載せるようになったのは1930年からだ。
p290 二十ギニー(Twenty guineas)◆ 事務所の一週間の賃料。
p290 現金です。1ポンド紙幣で(Cash down. Treasury notes)◆ treasury noteは1ポンド札と10シリング札の二種類あるが文脈から1ポンド札に限定して正解だろう。能三訳では「大蔵省発行の紙幣」
p292 ルドルフ・ヴァレンチノやオウエン・ネアーズ、フォーブス・ロバートスンなどの写真(photographs of the late Rudolph Valentino, Owen Nares, and Forbes Robertson)◆ ヴァレンチノ(ハリウッド俳優、イタリア生まれ1895-1926)、ネアーズ(英国俳優 1888-1943)、フォーブス=ロバートスン(英国俳優1853-1937)。原文では「late Rudolph Valentino」なので、作中現在は1926年8月以降で確定。能三訳「故ルドルフ・ヴァレンチノ」
p302 たわいのない探偵小説の類(silly detective novels)
p317 バーナム奨励賞(Burnham Award)◆ The Burnham committee はH. A. L. Fisher教育大臣が1919年に設立した、公立学校の教師の給与基準を制定する委員会。名称は初代議長Lord Burnham(1862–1933)による。Awardを受けると最高ランクになるのだろう。
p320 旅券(パスポート)制度が昨年廃止された(the passport system was abolished last year)◆ Visaは英仏間で1921年に廃止となっている。調べはつかなかったが、ここら辺の記述を踏まえると、もしかしたら英仏旅行ではパスポートも不要だったのかもしれない。
p360 五十ポンド紙幣(fifty-pound notes)◆ イングランド銀行発行(1725-1945)のWhite note、サイズ211x133mm

No.9 6点 人並由真 2022/04/24 14:55
(ネタバレなし)
 1930年代のイギリス。その年の10月7日。「デイリー・レコード」ほか、いくつかの新聞社に「マリウス」なる人物から、自分はしかるべき理由から今月の11日にロンドンのテムズ川周辺で、決して罪科を問われることのない「完全殺人」を行なうという主旨の手紙が届く。英国中の市民がこの怪事に関心を抱くなか、殺人は現実に発生し、理髪店ほかを経営する資産家トマス・リッチレイが殺される。リッチレイの周辺で容疑者が浮かび、なかでも被害者の甥である4人の兄弟は特に疑念を呼ぶが、彼らにはそれぞれ明確なアリバイがあった。

 1929年の英国作品。ルドヴィック・トラヴァースシリーズ第二弾。
 
 数年前からそろそろ読もうと思って、少年時代に購入した創元文庫の旧版(洒落た素晴らしいジャケットアートだと思っていたら、粟津潔という大家の仕事だったようで。クリスティ再読さんのレビューで知った。ありがとです)を家のなかで探していたが、例によって見つからない。
 そのうちにツヅキの『やぶにらみの時計』の中で、本作の大ネタをポロっとバラされてしまう(怒)。
 そこで思いついて、近所の図書館の蔵書を検索したら創元の「大系」版があるので、それを借りてきて読んだ。

 大昔のミステリ初心者時代に、この大仰なタイトルにどんな傑作だろうと胸をときめかした思いはなんとなく記憶にあるが、さすがに今となっては「そこそこの作品」なのであろうという予見を抱く。
 しかも先の通りに大ネタのトリックも教えられてしまっているので、悔しい反面、その分、気楽に読み始める。すると、冒頭のいわくありげな先出しの断片描写、外連味に富んだ殺人予告と、掴みは結構面白い。

 作品そのものは、本サイトの先のレビューでみなさん書かれるようにクロフツでありガーヴである。クリスティ再読さんの『闇からの声』を想起というのも、ああなるほどね、ではあった。
 
 で、たまによくあるパターンだが、この作品の場合は先に大ネタをツヅキに教えられていた分、じゃあその条件に合致するのは? 的に頭が動いて良かった面もあった。もちろん、ネタバレ・ネタバラシという行為そのものは首肯しないが。
 後半までぎりぎりフーダニットの枠が守られるバランスも悪くないとは思う。
 
 今回の実質的な探偵はトラヴァースよりフランクリンという感じだ。しかし、物語の舞台があちこちに飛ぶ分、登場人物は多い。名前のあるキャラクターだけで70~80人。しかも翻訳のせいか、原文の雰囲気の再現かは知らないが、いきなり先に固有名詞が出てきて、そのあとから該当人物の素性を語るパターンも多いのには閉口した。
 中村能三の訳文そのものは、古いながら、けっこう読みやすかったけれどね。

 一回、全体の5分の3くらいのところで中断し、二日に分けて読んだのでテンションがやや下がってしまったところはあるが、トータルとしてみれば、期待値がそんなに高くなかったこともあって、まあまあ悪くない。
 ちなみに例の冒頭のジグソー描写が本筋にハメこまれる辺りは、やや微妙。着想はすごく良かったのに、小説の演出の悪さでソンをしてる感じだ。

 読後、寝る前に気になって井上良夫の『探偵小説のぷろふぃる』を手に取り、本作の原書を読んでの同人のレビューを拝見すると、すごい大激賞。とはいえ、井上御当人が面白いと思ったポイントにはさほど異論はないので、現時点で評者などが抱く感想とかつての井上の称賛の深さとの温度差などは、当時までのミステリ文化の蓄積と受け手の距離感とかの問題もあるのだろう。
 
 とにもかくにもミステリファンとしての人生の宿題をまたひとつ終えた。今はそれが一番かな(笑)。

【2022年11月19日追記】
 今年の秋、埋もれて見えにくい自宅の本の山の中で、本作収録の「大系」(わざわざ図書館から借りて読んだやつ)が見つかった。いろいろとダメである(汗)。

No.8 5点 nukkam 2022/04/06 23:07
(ネタバレなしです) 英国のクリストファー・ブッシュ(1885-1973)は1920年代後半から1960年代後半にかけて活躍した多作家で、別名義での作品もありますがブッシュ名義で発表された60作以上は全部がルドヴィック・トラヴァースシリーズの本格派推理小説で非シリーズ作品がないらしいのに驚かされます。ただ初期作品でのトラヴァースは影が薄く、シリーズ第1作では友人のジェフリー・レンサム(本書でもちょっと登場)の活躍が目立っているそうですし、1929年発表のシリーズ第2作の本書でも元刑事のジョン・フランクリンの捜査場面が多いです。アリバイトリックを見破ったり、犯人の不注意な言動を指摘したりと名探偵らしさはあるのですけどトラヴァースの存在感がなさ過ぎです。序盤の完全殺人の予告状以外は盛り上がりを欠き、早々と容疑者は絞り込まれて犯人当ての楽しみはなく、肝心のトリックもぱっとしません。タイトルがあまりに強気なだけに期待外れの印象を抱いた読者が多いのではないでしょうか。私が読んだ創元推理文庫版は半世紀以上も昔の翻訳でとても読みにくいですが、新訳版があれば再読したいかというとうーん、遠慮しときます(笑)。

No.7 6点 クリスティ再読 2019/07/21 21:40
本作最大の難点は、パズラーしか読まない人にしか読まれない作品なことである、なんてね。
大昔読んだときには「何て月並みな...」と思って読み返しなんてしたことなかったのだが、本作はガーヴ風のスリラーとして読むべきだ、というのが今回読み返しての印象だ。パズラーだと思うと密室もアリバイも犯行予告も全部納得いかないだろうね。だからそっちに重点を置いちゃダメなんだ。
本作のうまい辺りは、例えば探偵像にもある。広告代理店の宣伝として注目を集めた犯罪に介入する、というのはなかなか秀逸だと思うのだよ。小説としてのオチをこれがうまく決めているしね。マッギヴァーンの「虚栄の女」が広告代理店勤務の主人公が、広報担当としてクライアントにかかった容疑を晴らす、というのがあったけど、それに近い探偵像だろう。だからあくまでも私人であって、推定犯人を追い詰めるのもそう強引にはいかない。徐々に近づいて...というあたりもガーヴ風というか、「闇からの声」みたいというか、そういう在野主人公のマンハント系スリラーとして楽しむべきなんだと思う。そうしてみると、結構面白く読めたんだがなあ。犯行予告も犯人の屈折から理解すべきだから、ハッタリと片付けたら気の毒だと思うよ。
というわけで、本作、紹介のされ方、読まれ方が間違ってる。そうそうヒドい作品ではない。
(あと創元の昔の時計のカバー、秀逸だと思う。さすが粟津潔)

No.6 2点 文生 2017/11/09 14:50
ミステリーにハマり始めた頃に読んだ作品で、大風呂敷を広げた割にトリックがしょぼくてひどくがっかりしたのを覚えている。ストーリー的にも盛り上がるのは冒頭だけで、あとは終始グダグダの残念な作品。

No.5 3点 りゅうぐうのつかい 2016/01/04 18:13
非常にわかりにくい話であった。
これだけストーリーテリングが下手だと、新人作家であれば編集者に最後まで読んでもらえないだろう、と思った。
アリバイトリックも拍子抜けするものであり、完全にタイトル負けしている。
捜査の過程も冗長かつわかにりくく、読むのが苦痛であった。

No.4 5点 mini 2015/12/05 09:56
論創社からクリストファー・ブッシュ「中国銅鑼の謎」とジョルジョ・シェルバネンコ「虐殺の少年たち」が刊行された、ブッシュのは当サイト登録済のようだがどうせついでだからシェルバネンコの方も登録してしまえばいいのにね、シェルバネンコも今回で2冊目なんだよね
ジョルジョ・シェルバネンコという作家は…、いや今日は止めておこうか(苦笑)

ブッシュは古くから翻訳紹介されていたにしては日本では謎の多い作家である、その全貌が知られるようになったのは例の森事典のおかげであろう
ブッシュの長編数は60作以上とかなり多いのに、我が国に紹介されたのが数冊、それも全てがアリバイ崩しもので、ブッシュ=アリバイ崩しみたいな先入観はずっと日本の読者に付きまとっていたわけだ
ところが森事典によると、100%アリバイもの専門家というわけでもなく、たまたま初期の代表作がアリバイものだった為に固定観念で見られてしまうようになったみたいだ
何しろ多作な作家だけに、アリバイ崩しがテーマではない作も多いらしく、まだまだ未知の作家でもある、今後はアリバイもの以外の作も紹介される必要があるだろうし、未訳のものにも良いものが有るらしいので、既訳で絶版の「チューダー女王」の復刊などにこだわっていないで、未訳作を紹介する方を優先すべきだ
極論言えば「チューダー女王」なんて放ったらかしでもいいと思うよ

さて「完全殺人事件」だが、そもそもこれが代表作みたいに言われていたのが古い時代の定説であって、この定説が今だに生きているのがブッシュには気の毒としか言いようがない
今なら中期や後期の代表作まで紹介されて真価を問われるべきであろう、そういう意味で論創社の仕事は意義が有る
論創社は過去に「失われた時間」を刊行しているが、これがなかなか良いんだよね、一応アリバイものなんだけど、ごく短い時間のアリバイをテーマにしながら人間心理の機微を突いた佳作だ
「失われた時間」を読むと、「完全殺人事件」のブッシュとのイメージは払拭されるべきだ、少なくとも「完全殺人事件」が作者の代表作であるという誤った認識は正されるべきであろう

No.3 4点 斎藤警部 2015/11/24 11:56
印象に残る挑戦的プロローグのハッタリかまし具合は愉快だが、そのハッタリを知的興奮とかハラハラドキドキで回収し切れてないですよね。ただ、アリバイ古典と謳われながら●●●●トリックという落ちだけではずっこけそうになる所をギリギリの伏線勝負で救ってはいる、そのハッタリプロローグの使い方は「なるほどね」てなもんです。まあそこまでです。格好付けた割には魅力に乏しい、狩野英孝みたいな小説ですね!

No.2 6点 2012/11/22 20:07
ブッシュのミステリで邦訳されたのは現在5冊のみですが、著作は60冊以上もあるそうで、本作はその第2作です。1929年発表と言えば、アメリカではクイーンがデビューした年。
殺人予告状を警察と大手新聞社に送りつけるという芝居がかった犯人で、「完全殺人」という言葉もこの予告状の中で使われています。で、なぜ予告状を送りつけたのか、『ABC殺人事件』みたいに意味があるのかというと、ただ犯人(作者)のはったりというだけのことでした。
作者のはったり好みは、プロローグの中に手がかりが隠されているぞと冒頭で宣言しているところにも表れています。それにしては、実際に殺人が起こってからは容疑者たちの地味なアリバイ調査が続きます。ただクロフツや鮎川のようなトリックの意外性を期待すると肩すかしでしょう。むしろプロローグがアリバイ崩しとどう絡んでくるかが謎解き的な意味での読みどころです。

No.1 5点 Tetchy 2008/10/16 23:36
プロローグをぽけーっとしながら読んでいると、後で足をすくわれるからご注意を!
ここに注意しないとこの作品の本当のよさが解らないだろう。
登場人物表に載っていない人物が意外に物語の核になっているのが、ちょっと気になったが。


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クリストファー・ブッシュ
2015年12月
中国銅鑼の謎
平均:5.00 / 書評数:1
2006年12月
失われた時間
平均:6.00 / 書評数:2
1959年01月
チューダー女王の事件
平均:5.50 / 書評数:2
1956年02月
100%アリバイ
平均:5.00 / 書評数:3
1950年01月
完全殺人事件
平均:4.80 / 書評数:10
不明
のどを切られた死体
平均:5.00 / 書評数:1