皆さんから寄せられた5万件以上の書評をランキング形式で表示しています。ネタバレは禁止
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クリスティ再読さん |
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平均点: 6.40点 | 書評数: 1325件 |
No.1265 | 6点 | 兵士の館- アンドリュウ・ガーヴ | 2024/06/20 20:38 |
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ガーヴといえばローカル色の強いネタに強みを発揮する、という美質があるわけだから、「ご当地ミステリの巨匠」とか言ってみたら面白いかも(苦笑)
今回の舞台はアイルランド。でケルト文明の遺跡を使った一大ページェントの陰に隠れてトンデモない陰謀が進行するこの話、巻き込まれ政治スリラーと言うカラーからは「地下洞」とか「レアンダの英雄」に近い話かもしれない。でも実際読んだ印象だと異常な脅迫者に操られる話に近いと見れば「道の果て」とか「黄金の褒章」に近いのかなあ...いや、ガーヴって話のバラエティはかなりある作家だけど、タッチにガーヴらしい共通点な「関心」が見えて、そういうあたりでも「安定のガーヴ」って感じがする。 けどさ、この作品の悪役は、アイルランドの愛国的独立運動になるから、IRAの過激派といえばそうかもしれない(まあ、IRAを当時名指しするのは政治的にマズいという判断もあるんだろうが)。それ以上に、評者が連想したのはアラブ過激派に脅されていいなりになるアンブラーの「グリーン・サークル事件」かもしれないな。でも、ガーヴらしさはそんな中にもファンタジックな味わいがあることで、これは「ガーヴらしい甘さ」とやや欠点のように語られがちな部分なんだけど、ヴィランらしいヴィランを立てるという面では、007とも近いかもしれないし、また本作の場合にはとくにケルト民族主義文化の背景で描かれることからも、ブラックバーンの「小人たちがこわいので」との共通性も感じたりする。 いや言いたいのは、イギリスの「スリラー」って、日本人は「中間的なジャンル」みたいに捉えがちで、曖昧なジャンル観でしか認識されないものだけども、こうやってガーヴ・アンブラー・ブラックバーン・007って横断して見た場合には、ちゃんとした「ジャンルとしての実態」があるものだとも感じるのだ。 |
No.1264 | 6点 | わが兄弟、ユダ- ボアロー&ナルスジャック | 2024/06/17 10:18 |
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後期ボア&ナルって、前期の心理主義が薄れて、奇抜なシチュエーションでのアイロニカルな右往左往を描いて、中にピリっとした仕掛けが仕込まれている...そんなナイスな作風に変わって評者は大歓迎なんだ。
本作の舞台はミトラ教(古代オリエント発祥の神秘主義宗教で、初期キリスト教のライバル宗教)を名乗る新興宗教団体。指導者のピキュジアン教授はまるっきりの浮世離れした神秘主義者であり、教団実務は主人公の銀行員アンデューズが仕切っていた。このアンデューズを含む7人が遭遇する交通事故が事件のきっかけとなる。この事故で生じたある錯誤を教団の利害の為に押し通すために、アンデューズは4人の信徒を殺す計画を立てた.... 彼(ユダ)はペテロに、ヨハネにくってかかりました。"それじゃ、金庫をあずかってみてくださいよ。わたしはもうたくさんです。わたしが一方でせっせと集めてきたものを、あなたたちが他方で浪費しているのですからね" しまいに彼は疲れはてて、放り出してしまいました。 と後半に元司祭で異端視される信徒から、アンデューズはこんな寓話を聞かされて、まさに自分の立場がユダのものであることを示唆される... うん、こんな話。このアンデューズ、昔のボア&ナルなら「冷静なor激情に駆られた殺人者」だったんだろう。このアンデューズはターゲットを誘い出して殺害を試みるんだけども、なんか優柔不断なんだよね。これが本作の味わい。ちゃんと殺せたかも実はよくわからない。こんな終始グダグダな殺人者を巡るブラックなコメディのように読んでいたなあ。 オウムで言えば「子ども集団の中で唯一の大人」と評された早川紀代秀氏に近い立場ということになる。まあユダというキャラ自体、グノーシス福音書の一つで「ユダの福音書」が書かれたりとか、昔からいろいろな空想を誘う人物でもある。小栗虫太郎の「源内焼六術和尚」でも本作と似たような解釈を披露していたりもする。まあだから、こういう発想を軸に「子供たちを守りたい、暴走した母性」といった雰囲気でユダ=アンデューズを描くというのは、よくわかる。 けどね、空さんのご講評でも「動機がすぐ見当がつく」とご指摘のように、ホワイダニットは形式的なもので、それをひっくりかえすほどの仕掛けがないのが残念。一種の寓話だと納得するしかないかな。 でもとっぴな舞台・キャラや展開は興味深いので、楽しく読める。 (そういやこのユダ観って、三田誠広の「ユダの謎 キリストの謎」と近いと思う。史実というより小説家的空想力の産物だけどもね) |
No.1263 | 8点 | イマベルへの愛- チェスター・ハイムズ | 2024/06/14 12:55 |
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いや~本作評者はドストライクだわ。墓掘りジョーンズと棺桶エドの黒人刑事コンビ初登場の本作、狂言回しの葬儀社店員ジャクソンの登場が多すぎる、というご不満の向きもあるようだが、ブラック・ユーモアが溢れてイジ悪く笑えるハードボイルド小説として、大変面白い。一番連想するのがマンシェットの「愚者が出てくる、城塞が見える」だったりするような、ジャクソンのアホでファンキーな逃亡劇が素晴らしい。霊柩車で市場に突っ込んで、卵や牛肉を蹴散らしながら、死体を振り落として逃げるさまが、抜群にイカす。
しかも、タイトなハードボイルド文章感覚が心地いい。ファンキーさが客観描写オンリーのハードボイル文によって引き立っている。 南部から来た三人組の詐欺師 vs ジャクソンと兄のゴールディ。このゴールディ、修道女の扮装でナンバーズ賭博の情報屋が生業で、この造型がナイスなんだな。しかもジャクソンは信心深くて、兄とは腐れ縁みたいな妙な凸凹コンビ。ゴールディは聖書の引用でケムに巻きながら、賭博の当り情報を提供してご寄付を頂く商売スタイル(苦笑)。中年の黒人って男女の性差が薄いのかしら。ゴールディは同じく女装の仲間と一緒に住んでいるようで、黒人ゲイ・コミュニティをそれとなく描いているのかな。 ハードボイルドなら付きものの悪女イマベルがタイトルロール。イマベルは「色が薄めの黒人」でもちろんジャクソンを騙して翻弄する。特殊な紙に挟んで電子レンジにかければ、1ドル札が10ドル札にあら不思議、なんてアホな手口にひっかかるのが幕開けで、これからジャクソンはどんどん追い詰められていくのがお話の展開。 そして、ハーレムの黒人刑事コンビ、墓掘りジョーンズと棺桶エド。本作だとあまりしっかりした描写はないが、特製のニッケル・メッキをした銃身の長い38口径のリヴォルバーをすぐ抜いて怒鳴りつける捜査スタイルが、何かパロディックな面白味さえある。で、エドが硫酸をぶっかけられて失明しかかかるのがこの話。でも二人とも悪徳警官じゃなくてヒーロー性もあるのが、なんかいいなあ。 でトンデモない意外な結末を迎える本作は上出来。いやこれほど面白かったっけ?となるくらいの面白さ。本サイトの一連の作品の評を見ても、結構皆さん高評価されている。ちょっと追いかけようか。 |
No.1262 | 7点 | 黒い山- レックス・スタウト | 2024/06/10 09:37 |
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ウルフ・サーガとしての重要性があるだけでなく、内容的もウルフ物に親しんでいればいるほど面白味を感じるタイプの作品である。
だってさあ、腰の重いウルフがアーチ―をお供に引き連れて、ユーゴスラビアに潜入する!足が痛いとなぞと不平を言いながらも山道を踏破して、反体制組織が潜むアジトの洞窟を訪れ、かつアルバニア国境を越えて監視所のある古城に忍び入る.... この話を聞いたら「ホントにウルフ?」となるのが普通だろうね。キャラぶれてるじゃない....そうなってないのが、著者の凄いあたりだ。 実はこの潜入先はウルフの故郷で、洞窟のアジトやアルバニアの古城も幼少時のウルフが遊びまわった地帯だ。土地勘どころじゃない身に付いた知識がある。そしていつもは「行動=アーチ―、思考=ウルフ」の役割分担になるのが、外国でアーチ―は現地語がまったく理解できない。だからウルフがすべてのガイドを務めることになって、普段の役割分担が逆転する面白さがある。ホントにアーチ―がワトソン役に戻り、アメリカ人のアーチ―視点でのモンテネグロが語られることになる。 さらにこの事件全体の幕開けになったのが、ウルフの親友でご贔屓レストラン「ラスターマン」の名シェフでありオーナーのマルコ・ヴクチッチが待ち伏せにあって射殺されたという事件である。幼少期から共に過ごした親友(兄弟説があるよね)が殺されたという知らせが届き、ウルフが率先して外出してなすべきことを果たす姿を極めて抑制的に描いている筆が素晴らしい。アーチ―視点での外面描写に徹している分、ハードボイルド文らしい良さが際立っている。 続いて、マルコが反チトーの民族主義運動の支援者であるという秘密を、ウルフの養女で「我が屍を乗り越えよ」に登場したカーラに知らさせる。カーラも前作同様に民族運動に関わっているわけだが、本質的にはリバタリアンであるウルフはそういう政治運動には冷淡で、それにカーラは怒り飛び出していく。しかし、カーラがモンテネグロで殺された知らせをウルフは受ける。「犯人は黒い山が見えるところにいる」というマルコ殺しの犯人を示す伝言と共に..... まさにウルフ・サーガとしてこれほど重要な作品はない。結構後(2009)まで翻訳されなかったのが不思議なくらいのものだ。その後は潜入プロセスのデテールをしっかりと描くわけだが、もちろんチトー政権の秘密警察との騙し合いや、真犯人を見つけてそれをどうアメリカに護送するか?でウルフ物らしい腹の探り合いや策略が見どころになる。ウルフ物って犯人当て興味はいつも比較的薄くて、それ以上に犯人を罠にかけて捕まえるプロセスに面白味があることが多いから、これはこれでウルフ物の本道の「らしさ」にも思っているよ。 なのでいろいろな読みどころのある作品。「我が屍を乗り越えよ」が今一つ平凡な作品だったのとは大きく違う。けど「我が屍~」と比較すると、ウルフ物もやや「サザエさん時空」だよね(苦笑) (ちなみにマルコの遺言執行人にウルフが指名されていて、「ラスターマン」の経営にウルフが関与し、フリッツが面倒を見る話になったそうだ) |
No.1261 | 6点 | 箱男- 安部公房 | 2024/05/30 20:18 |
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高校生くらいの時には安部公房っていえば純文学のスターだったわけだから、評者だってそこそこ読んでたんだが...いや見事にハマらなかった(苦笑)評者「意識高い」に代表されるような「カッコよさ」って苦手なんだね。本作とかピント甘目の写真が入って(ピンホールカメラじゃない?)見るからにアーティスティックでオシャレなんだよね。そんな評者の偏好の犠牲になった作家のように感じるよ。
ここは「ミステリの祭典」という場なんだから、「箱男」のまさにアイデンティティである「箱」を一つの密室として再構成するのも一興だろう。だから本作は「密室殺人」を扱ったミステリなんだ。 「暗い箱」の中には。ピンホールカメラの原理によって、外界が写り込む。これはまさに「意識」そのものなのだ。人間は皆「自己」の中に閉じ込められた「箱男」だ。その「箱男」の殺人事件とは、「ぼく殺しの主犯はあくまでぼく」、しかしそれは自殺ではない「自分殺し」の「殺人」なのである。 自殺ではないからこそ、「そしてぼくは死んでしまう」と他者視点でヌケヌケと書けるのだ。それでもこの意識というこの「箱」に出入りした「他者」は存在しない.... しかしだ、箱男の「箱」の中にあるもの、というのは紛れもない即物的な身体なのだ。この箱の中の身体から、自我であるとか意識であるとか、アイデンティティが「殺され」て雲散霧消した結果なのでもある。いやね評者は初めてカプセルホテルに投宿した際に、ひどく感動したんだよね。自分というの「もの」があり、この「もの」の容器としての「箱」がある。アカラサマなこの事実が「自分はモノになれる!」ことを評者に突きつけたんだ。これが「死」でなくて何だろう? カプセルホテルに泊まり給え。あなたも「箱男」になれる。「箱男」とは、このような意識と身体の葛藤と、その出口の寓話なのだ。 |
No.1260 | 3点 | 悪霊島- 横溝正史 | 2024/05/27 18:48 |
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御大最後の作品。リアルタイムだったし...金田一が刑部大膳に誘われて吉太郎が漕ぐ船で海上から島を一回りするシーンだけが妙に印象に残っていた。
うんまあ、本作あたりは最晩年で気力が落ちているのを、横溝ブームからの「ご要望」にお応えするわけだから、「自己模倣でいいや」で割り切った「横溝ミステリ」になる。「本格ミステリ」を期待するのはもう本当に筋違い。そこらへんは当時だって、皆よく分かって読んでいた作品だから、この低評価はそういう「本格」視点での採点ではない。 本作って本当に「八つ墓村」のリライトみたいなものだよ(島は「獄門島」、神楽一座は「女王蜂」を連想するが)。いろいろとモチーフを登場させているけども、どのモチーフもお約束みたいなオチになる。本来、刑部一族vs越智一族の対立で話が展開するはずなんだろうけども、それがまったく展開されていないから、「島の対立」が全然モチーフになってこない。越智竜平の帰島が「イベント」でしかないんだ。事件も異常な人物に島が引っかき回されただけのことだ。 でまあ、片帆とか浅井はるが殺される理由もはっきりしないし、浅井はるが五郎を島に差し向けた理由だって不明(はるが島に異常なほど悪意があったとしか...)とか、デテールにアラがあり過ぎるのと、 いまや磯川警部は完全にズッコケていた とかさあ、文章が心配するくらいに雑になっている。集中できなくて本当に困った。 あまり悪口を書くのも何だから、映画に倣って、Let it be...とでもつぶやいて終わりにするよ。すまぬ。合掌。(そういや映画の巴は志麻姐御だったな) |
No.1259 | 6点 | 大穴- ディック・フランシス | 2024/05/24 11:37 |
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どうも評者はフランシスに思い入れがないのが、大きな問題のようにも感じるなあ....うん、大人気シリーズだったし、ウケるのはよく分かる。今回再読したわけだが、小粒ながらよくまとまった作品だとは感じる。敵方の悪事が手口のあくどい地上げ屋程度なのが、キャラのサディストっぷりでヴィラン化している印象。いやこのシリーズって、立ち位置はリアルで市民的な007だと思うんだ。
007なら普通は近づけない上流階級の生活デテールを散りばめて、読者の下世話な興味も惹きつけるわけだが、フランシスならそれが競馬の世界になる。実際、この作品でもシッド・ハレ―の経歴に自分の過去を重ねているように、イギリスの競馬ワールドは上流階級も下層階級も交流があるようなイギリス階級社会の例外に相当する特殊な世界のようである。だからジョッキーとして成功をおさめ「なり上がった」立場のハレ―が、身分違いの結婚をしてその義父に(偽装で)虐待される演出が、リアルな描写としてササることになるのだろう。世界設定自体が、このシリーズの成功を約束しているようなものなのではなかろうか。 なので、ハレ―の自己回復の障害となるコンプレックスは三層になっていると読むべきだ。1.左手の障害、2.小男で暴力に弱い、3.下層の出自。これらが絡み合って、事件を通じた自己回復がなされる、という構図が嫌味なく描かれていることになる。たぶんシッド・ハレ―人気はフランシスの自己投影が強いあたりにあるんだろうとも感じるよ。 (そういえば昔のドラマ「ディック・フランシス・ミステリー」が懐かしいなあ。あのシリーズだと最初だけが本作の原作で、シリーズ後続5作はオリジナル脚本だった) |
No.1258 | 5点 | 深夜の密使- ジョン・ディクスン・カー | 2024/05/23 11:39 |
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カーの事実上の歴史ロマン第一作になる。大名作「ビロードの悪魔」が王政復古期を舞台にしているが、本作も王政復古期(1666年)で、1675年が舞台の「ビロードの悪魔」より少し古く、カーでも舞台が最古になるだろう。
というか、最初に出版されたタイトルが "Devil Kinsmere" で「悪魔キンズミア」。主人公を悪魔呼ばわりしているわけだが、実は「ビロードの悪魔」だって主人公の異名である(悪魔は別途登場してもね)。そうしてみると、結構この2作の縁は深いようにも感じる。 で本作も「ビロードの悪魔」同様に「伝奇冒険ロマン」のカラーが強いんだよね。ちょっとだけだがチャンバラもあり。そうしてみれば本当の元ネタである「三銃士」とも時代背景が気になるあたり。第三部の「ブランジェロンヌ子爵(鉄仮面)」が名誉革命を背景にしているから、第二作「二十年後」と第三作の中間にあたる時代になるわけだ。さらには冒険の最後の場面はフランスになるから、ダルタニャンと主人公が遭遇するのも可能ではある。いや実際、田舎から上京して有力者の元に挨拶に...という導入がまさに「三銃士」の冒頭と一緒の設定だったから、オマージュだよね。 なんだけども、どうも話の展開が遅いんだよね。しっかりと時代考証が書き込まれていて、それはホント凄い。ビールのジョッキが革製とかへ~~となるトリビアもある。しかし、冒険の内容が意外なくらい小粒なんだ。朝に有力者の元を訪れて深夜にチャールズ二世の依頼で密使に旅立ち、朝にはドーヴァーで船に乗り込んで海賊騒ぎ、翌夕にカレーで結末と2日間の出来事。カーのミステリと同じで事件がやたらと詰め込まれた、妙に急ぎ過ぎの展開。デテールに凝った文章だから、話がリアルタイムで急展開するようなもの。いろいろと語り口にはまだまだ工夫の余地があるようも思うよ。食わせ物なチャールズ二世のキャラはナイスだが、ヒロインの女優が全然活躍しないとか、いきなりヤられるライバル剣士とか、もう少し扱いようがあったのでは...「ビロードの悪魔」には遠く及ばない出来なので、あまり期待すべきではないな。 まあ「ミステリ」としての謎は簡単に気が付くようなもので、期待しちゃいけない。カーは国教会びいきでガチガチの国王派だが、保守派の「ピューリタン嫌い」があからさまに描かれていて、敵役のサルヴェイション・ゲインズのキャラの嫌らしさが印象的。そりゃ清教徒革命が破綻してチャールズ二世が復辟した後の時代背景だから、ピューリタンが悪者なのは当然というものだ。名誉革命の原因ともなったカトリックの問題も少し言及があるが、ややこしいイギリスの宗教問題が保守視点ではあるがリアルに感じられるのも面白い点である。 |
No.1257 | 7点 | メグレの退職旅行- ジョルジュ・シムノン | 2024/05/19 12:31 |
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実は意外なくらいにメグレ物短編って本数が少ないようだ。雑誌に載っただけで未収録の作品やら雑誌掲載時に訳題がバラバラなこともあって混乱することが多いようだが、基本的には第二期短編集としてフランスで出た「メグレの新たな事件簿」が底本であり、これの訳本が角川文庫の「メグレ夫人の恋人」「メグレの退職旅行」に相当する。しかし、底本には収録でもなぜか訳書からは収録が漏れた「メグレと消えたミニアチュア」があり、また同時期執筆作でこの短編集に収録されなかったものが「メグレと消えたオーエン氏」「メグレとグラン・カフェの常連」の2作。
この一連の短編に続いて書かれたが戦後の「しっぽのない小豚」に収録されたメグレ物が「街を行く男」「愚かな取引」、「メグレ激怒する」と合本で収録された「メグレのパイプ」が戦前に出た第二期の短編になる。 そして戦後のメグレ物短編集で完訳されている「メグレと無愛想な刑事」収録の4作、そして単発のクリスマスストーリーとして後年に書かれた「メグレのクリスマス」があるだけだ。そうしてみるとシムノンの短編小説はかなり多いのだが、メグレ物短編は数が少ない。 なので特にこの角川の2冊は読み逃せない短編集になる。「メグレ夫人の恋人」も良い短編集だったが、初期仕様のパズラー風のものもあって、魅力十分とまではいかない。2冊目のこの短編集はパズラー的な「月曜日の男」でも、絶妙のキャラ設定があって興味深い(毒物がヘンテコだがw)。リアルなトリックがあるといえばあってコンパニオンの女性が女主人の謀殺を訴える「バイユーの老婦人」、娼婦のフリをする良家の子女とメグレが対決する「ホテル北極星」、お針子が引退後のメグレを振り回す「マドモアゼル・ベルトの恋人」、そしてメグレ夫人の魅力が全開する「メグレの退職旅行」と、女性キャラにリアルと生彩ががあるのがいいあたり。 確かに第二期のカラーである上出来なエンタメらしさをシンプルに出した短編集だと感じる。キャラに魅力を与えることにシムノンの腕力が発揮されて、それをメグレの父性と呼ぶべき個性が支えて趣きが深くなっている。粒揃い。 |
No.1256 | 4点 | 五匹の赤い鰊- ドロシー・L・セイヤーズ | 2024/05/17 10:38 |
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皆さんも本作は苦手のようだ。
確かに本作ってセイヤーズの中で一番「実験的」な作品なんだと思うんだ。純粋探偵小説と呼ぶべきだろうか。フラットに描かれた6人の容疑者。そして被害者の死亡時刻と犯人の偽装行動を巡ってアリバイが細かく検討される。ピーター卿の初動調査のレベルで匂わされるとある証拠。警察関係者による6様の推理と、ピーター卿が主導する犯行再現....いやいや「毒入りチョコレート事件」にセイヤーズが回答してみたと捉えても、不思議じゃない作品だと思うんだ。 しかし、この不人気さの理由が面白いとも感じる。 なんやかんや言って「毒入りチョコレート事件」がうまくいったのは、推理によって様相が切り替わっていく「転換」の面白味だっとようにも感じる。話が推理によってダイナミックに動いていく面白味であり、そこでフェアプレーや緻密さはそれほど重視されていない。しかし本作は6人の容疑者を並行で同列に描く、というのを徹底したために、それぞれの推理が個性と印象を殺し合っているようにしか見えないんだ。容疑者は全員、男性の(ややディレッタントな)画家で、渓流での釣りとパブでウィスキーを飲んだくれるのが趣味。純粋に「ミステリの興味」を追求したのは天晴れでも、公平性に力点を置いて小説としては印象の薄いものになってしまうのは仕方のないことだろう。 まあだから次作の「死体をどうぞ」が本作でうまくいかなかったあたりの修正改善版だと見るのが適切だと感じる。「事件のイメージ」を読者がどれほどしっかりと現実的に捉えることができるのか、という「推理小説」の最大のポイントについて、本作はあまりに性急であり過ぎたのではなかろうか。 (鉄道事業の詳細を利用したリアルなトリックとか、大昔の海外の話になると読者的なリアリティもあったもんじゃないしなあ....ともボヤくよ) |
No.1255 | 6点 | 倫敦から来た男- ジョルジュ・シムノン | 2024/05/12 18:36 |
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奪った金をめぐる仲間割れを目撃した主人公の転轍手。ふと手に入ったその大金。そして片割れの犯人との神経戦....でも、シムノンって「説明」しないんだ。主人公の心理は日常の出テールに霧散して「何をどう」が極めて曖昧なままに最後まで走り抜く。
言い換えるとシムノンの登場人物は「その場に生きている」。プロットの綾に(それは大金の誘惑でもあるが)翻弄されるのを、自ら拒んでもいる。あくまで頑固に「自己の運命」と信じるものに忠実に、ロバのように頑固に従う。 一瞬だけ「運命」の前に歩み出た男の姿を描いた小説と呼ぶべきだろう。 (そういえば同じくディエップを舞台とする「メグレの退職旅行」=「海峡のメグレ」なんだなあ。近々やろう) |
No.1254 | 5点 | 料理長殿、ご用心- ナン&アイヴァン・ライアンズ | 2024/05/11 19:56 |
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70年代って小洒落たミステリ映画がたくさん作られてた、と思う。洒落てた、といえばこれじゃない?ジャックリーン・ビセット主演。有名シェフが鳩の包み焼き、ロブスター、鴨の詰め物グリルと次々自分の得意料理にちなんで殺される連続殺人事件。デザート担当はビセットだもん美人パティシエ、作品はその名も「リシュリューの爆弾」!
原作が角川ベストセラーズから出ていて、ノベライズとかそういうものではない。角川春樹が気に入って紹介したという話があるようだ。小説の中にその料理のレシピやら書簡やら報告書やら乱雑に入っているタイプの本。リアルなタッチでおしゃれを狙った感覚的なスタイルといったらいいか。 華麗なラズベリー・シャーベットの台の上に綿菓子が王冠のようにのっていて、そのまわりをまるく囲んだホイップド・クリームには生のラズベリーが宝石のようにちりばめてあった でも皮肉でユーモラス、イキイキした会話を狙いすぎて、読んでいてやや読者が置いてきぼりになる傾向もあるなあ。だしこういう感覚的な「おしゃれ」を狙ってしまうと、映画のリアリティに絶対に勝てない。映画だと「リシュリューの爆弾」は最後に火をつけて完成、というデザートだと「こんなの、あり?」なアレンジがなされているけど、名前とヴィジュアルならこっちが正解。ファンタジーでいいんだよ(苦笑) 小説では第二の殺人で犯人を割っているので、ミステリ的には「意外な(変な)動機」に全振り。うん、まあ分かるけどもねえ。 小説読むより映画見た方が楽しい作品なのは否定できないよ。そういえば監督のテッド・コッチェフは本作で名を売って「ランボー」の監督をゲットしたんだったなあ。 |
No.1253 | 6点 | 暴力教室- エヴァン・ハンター | 2024/05/03 17:13 |
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不良少年モノのハシリみたいな作品。こういうの読むと、海外作品で「社会派」がないのが残念になる。実業学校に赴任した新任教師の主人公を「指す」匿名の密告が誰か、という小さい謎はあるけども、事実上はヒューマンドラマ。
教室では主人公の授業の妨害の先頭に立つが、クリスマスのショーや個人的なつきあいのレベルでは主人公をある意味「慕う」、複雑な二面性を見せる黒人生徒のミラーが出色のキャラ。こういうキャラ好きだ。悪ふざけでもリーダーだし、実は知能指数も高くて人種差別を重々承知して、どう人生を拓いていくかをなにげに考えているあたり、ナイス造型。 スウィング・ジャズのマニアで、そのレコードを授業に使って生徒の心を掴もうとするが、暴れる生徒たちに面白半分にコレクションを破壊されて絶望する同僚もいいなあ。心がイタいぜ。 でこの作品映画になってて、実は音楽映画としては「ロック・アラウンド・ザ・クロック」を大ヒットさせて、ロックンロール映画の先駆となったことでも有名。だから、白人のインテリの先生が好きな古臭いスウィング・ジャズと、不良少年たちが熱中するロックンロールの対比というのが、原作にない映画のミソだったりする。けど映画では反抗する生徒と熱血教師の交流みたいな「金八先生」風のお約束で話をまとめているのは時代柄仕方ない。黒人生徒も「良い黒人俳優」の代名詞のシドニー・ポワチエだからねえ。原作はそんなに「甘い」ことはないのが、いいあたりかな。ちなみに白人の不良生徒で最後にナイフで主人公と対決するのが後年「コンバット」でブレークしたヴィック・モロー。 マクベインらしい達者なキャラ造形で、長いけどツルツル読める小説。ミステリとは言い難いが、ポケミスにも世界ミステリ全集にも収録されているのに、当時の早川書房のスタンスが窺われる。 |
No.1252 | 6点 | ゲッタウェイ- ジム・トンプスン | 2024/05/01 16:38 |
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懐かしの北京派。スローモーションで弾着の血しぶきが上がって、撃ち手と細かくカットバックされるあれ。その原作小説。
男女二人組のギャングが逃亡する話だから、映画の企画は早い話ニューシネマとしての「俺たちに明日はない」の後追い。本作はペキンパーでも名作評価、というほどでもないが、それでもある意味「有名作」なのは、ハリウッドのメジャー映画として初めて「勧善懲悪」を明白に踏みにじったことである。映画のラストではオンボロトラックを譲り受けて、車が遠ざかっていく....「逃亡(ゲッタウェイ)」成功、というわけだ。 評者原作は初読。このイメージがあるために、原作の例のミョウチクリンなラストシーンに唖然。いや実は原作は「勧善懲悪」だったのを、映画で「勧悪懲善」に変更した映画製作陣のナイス判断と呼ぶべきだろう。原作さあ、キャロルが悪女と言うよりも甘えた浮気女風なところが、カッコよくない。心理描写したがる小説の悪いところだろう。映画は熱愛中のマックィーンとマッグローというわけで、ラブラブ光線がスクリーンから飛びまくっている。原作の中途半端な採用が映画の出来を押し下げたような印象かな。 ノワールだったら小説はわりと以前から勧善懲悪でなくてもいいんだけども、映画はヘイズコードの昔から倫理が厳しかったからね。そんな矛盾と相克が作品の中でもネジれているのに感慨。 悪党パーカーはハードボイルドだけど、トンプスンだとノワール、なんだなあ。 |
No.1251 | 8点 | 殺意の楔- エド・マクベイン | 2024/04/26 15:49 |
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87でも異色作にはなるけども、評者は傑作だと思う。
突如刑事部屋を拳銃とニトロで占拠した女。非常事態に大の男が揃った刑事部屋もただならぬテンションで金縛りとなるが、それでも刑事部屋の日常は続いていく....この非常事態と刑事部屋のデテール、そして普通ならば何気なしに見逃される刑事部屋の日常の出来事がクローズアップされてくるのが、実は眼目なんだと思う。 それでも占拠女お目当てのキャレラ刑事は帰ってこない。 これがちょっとした不条理劇のような様相を呈してくる。かかってくる電話もごく当たり前な刑事部屋の日常だが、応対には占拠女の目が光り、刑事たちも四苦八苦。占拠女もイライラ。刑事たちもイライラ。でもウィリス刑事が逮捕したプエルトリコ娘は能天気! 評者は本作を完全に密室劇のコメディとして読んでいたなあ。不条理コメディとしてぜひ舞台化したいと思うよ。「キャレラを待ちながら」とかね(苦笑) キャレラが電話をかけてきてもいいじゃないかな....でも妙な思い込みと行き違いで事情が伝わらないとかね。ヘンテコな電話が続々かかってくるとか、どう? まあだからキャレラが解決する密室殺人はおまけみたいなもの。刑事部屋の密室(劇)との対比をしたかったのだろうけども、考えオチみたいでこれはグッドアイデアとは思わない。ひょっとしてマルティン・ベックの「密室」は本作の改良版なのかな。 |
No.1250 | 6点 | 警官嫌い- エド・マクベイン | 2024/04/25 21:23 |
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87の記念すべき第1作。87分署の刑事が連続して撃たれる事件「警官嫌い」。逆に言えば、シリーズ第1作にこれ持ってくるの?というのを改めて考えるととても不思議。まあ派手でいんだが(苦笑)。
でも本作で殺される刑事たちのプライヴェート描写がしっかり行われるのが、この後のこのシリーズの特徴にもなってくる。描写の細かい馴染みのない刑事は「あ〜そのうち殺されるね」とか妙に期待しながら読んでしまう。そういえばマイヤー・マイヤーは登場しないんだ(意外)。クリング君は制服警官だけど登場するのにね。このシリーズの「主人公」のキャレラというと、狂言回しのカラーがあるためにか、周囲の濃いキャラと比べてキャラ付けが薄味なのはご存知の通り。でもテディのピンチを救う結末とか、キャラの濃いテディとセット、という読み方もできるのかな。 でも最初からバンバン刑事が殉職する話、と捉えたら、その後の殉職者たちにも思いを馳せることにもなるか。いつ殉職するか分からない、というのがシリーズ全体の緊張感にも繋がっているんだろう。未登場キャラも多いが、第1作でシリーズ全体のキートーンはしっかり定まっていると見るべきだ。 (ちょっとツッコむと、私服の刑事たちだけがオフタイムに狙って殺されることから、「なぜ刑事って分かるの?」が重大な手がかりだと思うんだがなあ....) |
No.1249 | 8点 | 死と空と- アンドリュウ・ガーヴ | 2024/04/24 09:59 |
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悪女、冤罪、沼沢地帯での逃亡劇、ヨット、死刑回避のための奮闘...実に「ガーヴ幕の内(フルコースと言いたいんだが...)」といった献立の作品。というか、キャリア的にはわりと初期の作品になるわけだから、キャリア全体から顧みたら「ガーヴ、覚醒」といった位置にあるといってもいいんじゃないかな。
でもポケミス裏表紙「抜きさしならぬ窮地に追いつめられた男と、愛するその男を救うために身も心も投げ出していとわぬ女とは、かくて、警察の追及に捨て身の挑戦を企てる!」の紹介だと、皆さんおっしゃるような「ガーヴ流幻の女」とミスリードされてしまう(苦笑)。これ不当な話だとも感じる。さらに突っ込めば設定の類似性が高いのは「黒い天使」だ。 まあ最後の決め手に気がつかないのは、小説として中盤の逃亡劇にリアリティと迫力があるためだから、これはガーヴの大衆作家としての力量の証明になって悪いことではない。でもリアルな裁判だったら気づくんじゃない? 確かにウールリッチほどではないけども、ガーヴにだってちゃんと「魔法」はある。 自分がやりたいことを素直に出せた作品になると感じる。そういう熱気が多少ある欠点も全部カバーできているのでは。ガーヴが自分の「スタンダード」を確立した記念碑だと思う。 |
No.1248 | 6点 | 毒蛇- レックス・スタウト | 2024/04/18 23:01 |
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いうまでもなくネロ・ウルフお目見えのデビュー作。でも一番印象に残ったことは、この処女作からして、ウルフとアーチ―のキャラが最初から完璧に出来上がっていること。キャラが以降のシリーズの展開の中でも全然ブレてないことだったりする。いやこんなシリーズ物、他にないと思う....ミステリとしてはバランスがどうか、と思う部分もあるし、シンプルな話に過ぎるとも感じるから、「ミステリとしての傑作」とは少しも思わないけど、上々吉のシリーズ開始作になっている。
ふと我に帰れば、ウルフの変人キャラなんて「よく考えるよ...」と呆れるくらいなものだと思うんだ。しかも天才。それを嫌味なく説得力をもって描いて、人気を博したわけだ。本作読むとこれを最初から狙って「アテた」としか思えないから、作者のスタウトの「異常な老成」といったものさえ感じる。ファイロ・ヴァンスなんて極めて「厨二」なキャラ(作者が妙に酔ってる)だが、スタウトには計算づくの凄みを感じる。 まあ基本ラインは「ハードボイルドを通過したホームズ譚」ということでいいと思う。このシリーズは確かに「名探偵小説」だから、よく「本格」カテに入れられはするが、パズラーかと言われれば全然違う。犯人が仕掛けるトリックよりも、探偵が仕掛ける犯人への罠が興味の主眼なことも多い。本作だとかなり早く犯人が割れて「犯人とウルフの闘争」が話の軸になるけども、これが成功しているか、というと疑問。 一番好きなシーンはキャディの子供たちを集めてワイワイガヤガヤで重大事実を掘り当てるあたりかなぁ。ウルフの「大人」な冷静さを強く印象付けられた。 |
No.1247 | 6点 | エスパイ- 小松左京 | 2024/04/15 09:32 |
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「十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない」はSFという小説の大前提なんだけども、「SFとスパイ小説をフージョンした」本作の場合だと、007に代表される科学応用の「スパイ・ガジェット」というものの説得力は、実のところ「超能力」に置き換えても何ら問題ないことを暴露してしまう...なんかそんな皮肉な感想をもってしまうんだ(苦笑)
だから「SF作家から見た007」というような視線がどうも気になる。頻繁に挿入される美女の誘惑もそうだけど、カジノやら黄金銃やらこれみよがしに挿入した007パロディを見つけると、「これってやっぱり、007パロディやりたいんだろう??」なんて感じてしまうのだ。 まあ小松左京的には本作で展開する「理想主義的現実主義」といったものに実は大真面目だったのかもしれない。60年代にそれなりの心情的リアリティがあったことは、それは評者的にも、わかる。しかしそれから50年以上経過した今となっては、小松左京の「ハズしっぷり」が同時に判明することにもなって、ココロが痛いなぁ。 まあだから、そんなこと以上に、日本のSF草創期でのパロディ上等な「フマジメで八方やぶれなアナーキズム」といったアティテュードが蘇るのが、評者的には妙に面白い。こういうちょっと「ワルぶった気取り方」に懐かしさを感じるのは、評者が年寄りだからだ。骨董には意図しないような骨董的価値が出てくるものなのだよ。 |
No.1246 | 6点 | 黒い天使- コーネル・ウールリッチ | 2024/04/13 10:59 |
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ウールリッチはいつも同じ歌を歌う。聴衆はそれにいつも魅了される。
なんて言いたくなるなぁ。今回はお得意の女性主人公。メソメソするあたりにリアリティがあるが、クールさがない分ややベタになっているという印象。なんやかんや言って視点の切り替えがあってクールな印象のある「幻の女」やカップルによる「都市への果し合い」のテーマがある「暁の死線」より、やや感傷が前に出て通俗的かな。 で例によってオムニバス風の展開で、出来は3番目のロマンス風のメイソンの件が一番いい。出会いのシーンでの騙し合いみたいなラブゲームが素敵。ヒロインが夫と身元を隠して接近した男との間で揺れるのに、ドラマが立ち上がる。としてみると「天使の顔」というヒロインのキーコンセプトが効いてない最初の2つのエピソードはやや不完全燃焼なのかも(でも最初のバウワリのホームレスを追う話だと、ヒロインの冷徹さが出ていいんだけども)。 ミステリとしてはいろいろとツッコミどころがあるのはウールリッチの通常営業だからとやかく言わない。下半身を轢かれた犬の話とか、ウールリッチの精神状態がウツに傾いてきているようにも感じなくもないなあ....そういう「黒さ(ノワール)」がウールリッチの「らしい」ところではある。 口紅を軽く塗り、小切手の裏の但し書きの下に唇を押しあて、その下に"ご辞退します"と記す。 ってトリビアだけどこれ、小切手譲渡の際の裏書を模した洒落たギミックだな。今の人は判らないか。 |