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ミステリの祭典

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平均点:6.73点 書評数:1631件

プロフィール| 書評

No.1211 7点 今はもうない
森博嗣
(2015/09/22 23:23登録)
後期になってS&Mシリーズは典型的な密室殺人から離れたかと思ったが、今回は密室物としてはど真ん中の“嵐の山荘”物だ。
台風の接近で電話線が切れ、道路は倒木で寸断されて警察が介入できないという実にベタな設定。
しかしそれらはもっと大きなトリックへのフェイクであることが後に解る。

個人的には傑作になり損ねた佳作という評価になってしまう。それはやはり本書に仕掛けられた大きなトリックに比して、物語の中心となっていた密室殺人の真相が実に凡庸だからだ。しかし本書の探偵役のことを考えるとこの凡庸さは逆に作者が意図したものかもしれないとも思える。

タイトル“今はもうない”は事件があった別荘が今はもう残っていないことを指す。しかしその時のことは彼らにとって永遠なのだ。本書はミステリとしては凡作だが、過ぎ去りし日々を懐かしむ歳になった者たちにとって何がしかのノスタルジイを感じさせる物語が強い印象を残す。
左脳系ミステリの書き手である森氏が放った右脳系ミステリという意味で本書はS&Mシリーズで異彩を放つ存在となるのだろう。シリーズナンバーワンと評する人々もいるというのもあながち間違いではない作品だ。


No.1210 7点 東野圭吾公式ガイド
事典・ガイド
(2015/09/12 23:19登録)
目玉は読者1万人による東野作品の人気投票ランキング結果だが、なんとこれはたった40ページ弱で纏められてしまい、21位以下の下位作品はタイトルと無差別に選出されたコメントが付されただけという、何とも期待外れな内容だった。
正直これだけならば壁本だったのだが、その後全ての作品についての東野圭吾が各所で語った自作コメントが付けられていたことで思わず振りかざした手を下すことが出来た。

ランキングについてここで詳細に語ることは避けるが、3位にあの作品が入っていることはかなり驚いた。やはりメディアの力は強いと云う事か。

本書のメインは第2部とも云える作者自身による全作品解説だ。とは云っても書き下ろしではなく、各所で語られた物を集めたものだが、それでも最近の作品では解説はおろか、あとがきもないため、この解説は当時の制作状況や作者の意図が解って実に有意義な内容だった。このガイドブックで挙げられている作品の中には未読作もあるので、ここに書かれた内容を頭において読むのもまた一興だろう。
ところでようやく2015年になって彼の隠れた傑作『天空の蜂』が映画化され、今公開中である。そんな「今」を知ってこのガイドに書かれた同作のコメントを読むと非常に感慨深いものを感じる。

しかし作家生活25周年記念でこのようなガイドブックが文庫版で編まれることが現在の東野人気の凄さを物語っている。彼の場合、ぽっと出のベストセラー作家ではなく、質の高い作品を書きながらもミステリファンにおいては高評価を得ながらも巷間では知られていなかった長い下積み生活を経てのブレイクだけに作家としての基盤がしっかりしており、簡単には揺らがない強さがある。実際出す作品の質は高いし、シリーズ物はどんどん深みを増している。

数十年後改訂版として再びガイドブックが編まれた時、ランキングがガラッと変わるような傑作が出される可能性が高いだけに今後の東野圭吾の作品に注目していきたい。


No.1209 7点 カッコウの卵は誰のもの
東野圭吾
(2015/09/09 23:33登録)
東野圭吾公式ガイドブックによれば、本書のテーマは“才能って何だろう?”とのこと。よく才能があると云われるが、それこそ曖昧な物ではないだろうか、そして後世に残る記録を残し、また世界的に活躍したスポーツ選手の二世が必ずしも大成するとは限らない。
そんな疑問に対して東野圭吾は実に面白い設定を本書で設定する。それはかつてオリンピックのスキー選手であった父親の娘がその二世としてめきめきと頭角を現しているが、実は血の繋がりの無い親子だったという物。

単に赤ん坊を盗みだし、その罪の呵責に耐えかねて自殺したと思われた妻に纏わる事件は調べれば調べるほど謎が積み重なっていく。まさに謎のミルフィーユ状態だ。
しかしそれら全ての謎が明かされると、単純に見えた物語の構図を複雑にするためにかなり無理があったと感じてしまった。

もし自分にある才能が有り、それが他者によって開眼されたとして、その才能を伸ばそうとするだろうか?その答えの1つがこの息子鳥越伸吾の決断とも云えよう。
人が羨ましがるような才能が逆に苦痛の種となり、本当の夢を諦めざるを得なくなるのは本末転倒だ。しかし才能を見出した側にとっては他者にはない特殊な能力を使用し、伸ばそうとしないことは宝の持ち腐れであり、なんとも勿体ない話だ。
私に彼鳥越伸吾と同じ才能があった場合、私は云われるままに代表選手として日々練習に励むだろうか?果たしてそれは解らない。鳥越伸吾の選択した道―クロスカントリー選手の道を諦め、音楽の道へ進む―は彼の人生だからこその決断だ。そこに本書の題名の答えがある。カッコウの卵は即ち持ち主自身の持ち物なのだ。それをいかに孵化させ、育てるかはまた当人次第なのだ。


No.1208 8点 皆殺し
ローレンス・ブロック
(2015/09/06 00:14登録)
色々なサプライズと“倒錯三部作”のスリルを凌駕するほどの戦いを孕んだ作品だ。

以下ネタバレ

 世界中に伝承される破壊の女神は世界を焼き尽くす。それはまた新たな世界を作るための破壊である。このマット・スカダーシリーズもまた本書で一旦全てを喪う。ミックは上に書いた仲間とグローガンの店に加え、オマラ夫妻が管理する農場をも失う。
マットもまた例外ではない。永らく彼の助言者だったジム・フェイバーを喪い、彼の魂の駆け込み寺だったリサ・ホルトマンを、そしてようやく得た探偵許可証も失うことになりそうだ。
全てを失い、そしてまた新しい日が始まる。恐らくこのシリーズもまた。

哀しい事ばかりが起きた作品だった。それまで人伝えにしか解らなかったミック・バルーという男の凄まじさを知らされた作品だった。シリーズを読みながらも驚きと知らないことがあることを気付かされる。それはまさに人生そのものではないだろうか。


No.1207 4点 地獄の綱渡り
アリステア・マクリーン
(2015/08/29 00:36登録)
マクリーンも後期になるとレーサーなど色々なヴァリエーションが見られるが、なんと本作ではサーカスの世界。原題も“Circus”とそのものズバリ。

しかし舞台はサーカスではない。その題名は今回の主人公ブルーノ・ワイルダーマンがサーカス随一の曲芸師であり、メンタリストであることに由来する。彼は難攻不落の研究所への進入と重要機密書類奪取をCIAから依頼されるのだ。それは一流の曲芸師である彼でなければ達成しえないほど鉄壁の防御網によって守られた研究所だからだ。

本書は映画“ミッション:インポッシブル”のような難攻不落の研究所への進入に加え、サーカス団員であるナイフ投げの名手マヌエロ、無双の怪力を誇るカン・ダーン、投げ縄の名人ロン・ローバックといった一芸に秀でた個性豊かな仲間がブルーノを助ける。さらには一見ペンにしか見ない麻酔銃と毒ガス銃が登場したりとエンタテインメント色が実に濃い。
本書が1975年発表であることを考えると前掲の原型であるアメリカのスパイドラマ『スパイ大作戦』やイアン・フレミングの007シリーズの影響をマクリーンも受けていたのではないかと勘繰らざるを得ない。

しかし溜めに溜めた敵との対決は実に呆気なく終わる。この拙速に過ぎた物語の閉じ方はいかがなものだろうか?途中で作者自身が飽きてしまったかのような印象を受ける。途中でこのようなジェームズ・ボンド張りのスパイ物はガラではないと悟ったのだろうか?


No.1206 8点 禍家
三津田信三
(2015/08/23 00:15登録)
2階の自室に入るにはひたひたと彼に迫る得体のしれない足音を振り払わなければならない。
祖母が留守の時に家に帰れば、祖母の部屋からどこまでも伸びる蛇のような老人の手が襖から伸び、キッチンへ逃げ込めば首の無い四つん這いの女性の死体が徘徊する。風呂に入れば赤ん坊のような物が彼を湯船の中に引きずり込もうとする。
他の部屋に入れば死んだと思われた父親が現れ、幼き頃と同じように絵本を読んでくれたかと思えばいきなりおぞましい嗚咽を洩らし、首から鮮血を飛び散らす。

そんな家に住みながら、主人公は祖母のことを思って引っ越そうと云わない。恐怖に襲われながらもそれを受け入れ生活を続ける彼の心の強さは只者ではない。それは祖母と2人暮らしと云う決して裕福ではない家庭環境故に引っ越したばかりの家からすぐに引っ越すための新しい物件探しや、財政的にも苦しいという背景があるためなのだが、そんなことを小学校を卒業したばかりの少年が考えるのが奇妙なおかしみを与えている。

特筆すべきは冒頭に登場する恐怖を煽る小久保家の老人の意味不明な言葉の数々が調べるにつれて次第に意味を帯びていき、彼の家に纏わる忌み事の真相に繋がっていく。これはホラーでありながら、その因果を解き明かす過程はミステリそのもの以外何物でない。

この次々と起こる怪奇現象と近所に残る忌まわしい事件、そして一家殺害事件を起こした狂える学生と、ホラーのおぜん立てを十二分に死ながら、ミステリとしてのサプライズも提供するこのサービス精神の旺盛さ。彼は最初から本格ミステリの心をホラーの土壌に立つ作家だったのだと認識させられた。


No.1205 3点 夏のレプリカ
森博嗣
(2015/08/19 23:43登録)
本書は前作『幻想の死と使途』の偶数章を司る作品であり、2つで1つの物語が構成されるという凝った作りなのだが、内容にはお互いの作品に密接に絡み合う要素はほとんどなく、それぞれ独立した作品として読める。
このような形式を取った理由として森氏は作中で殺人事件に限らず、あらゆる犯罪はその首謀者たちがお互いに譲り合ったり、スケジュールを調整しながら起こされるものではないからだと述べている。つまり前作の有里匠幻殺人事件と本書の簑沢家誘拐未遂事件及び簑沢素生失踪事件は同時期に起きており、これを分離した2つの作品としながら一方を奇数章、こちらを偶数章で構成することで西之園萌絵が大学院受験時に起きた事件としている。
しかしこの試みは成功しているとは思えない。確かに森氏の云うように犯罪とは1つが終われば次のが起こるように規則正しくないのだが、同時多発的に複数の事件が起こる作品はこれまでも多々あった。モジュラー型ミステリがそれに当たるが、それらのジャンルに当てはまる作品と比べてもこの2作でたくさんの犯罪が起きるようには思えない。単なる奇抜な着想で終わってしまっている。奇妙な符号としては双方に事件関係者に盲目の人物が関わっていることだ。前作では真犯人の妻が―結局前作の矛盾については何も語られなかった―、本書では杜萌の腹違いの兄で詩人の素生が盲目だ。しかしそれも両者のストーリーには何の関わりももたらさない。

作中で登場人物の1人儀同世津子も述べているが、小粒な事件故に作者は『幻惑の死と使途』の事件と敢えて同時期に起こす設定にして、500ページもの分量で語ろうとしたのではないか。こんなミステリ妙味薄い事件にもかかわらず、事件は有里匠幻殺害事件が起きた8月の第1日曜の3日前に起きながら、事件解決はその事件解決後の9月最後の木曜日と実に2ヶ月もかけられている。

物語は実に無駄の多い内容で、一向に解決に進まない。私は常々森ミステリには事件解決までのタイムスパンが非常に長い事を特徴として挙げており、これを個人的に森ミステリ特有のモラトリアムな期間と呼んでいるのだが、本書はそれが最も長い作品であろう。西之園萌絵が有里匠幻殺害事件の解決にかかりきりになっていることと大学院受験を控えていることがその理由となっているが、上に書いたように事件に直接関係のない登場人物の頻度が増していたり、西之園萌絵のお見合いシーンや、犀川創平の妹儀同世津子の妊娠のエピソードなど、物語の枝葉にしては長すぎるエピソードの数々が逆に本書のリーダビリティを落としている。キャラクター小説として物語世界を補強するためのエピソードかもしれないが、さほどこのシリーズにのめり込んでいない当方としては退屈な手続きとしか思えなかった。

しかしこれほど拍子抜けする真相も珍しい。誘拐犯殺害の真相は意外な反転があるものの、カタルシスを感じるほどのものではないし、またもや全ての謎が解かれるわけでもない。よほどこのシリーズが、この世界観が好きでないとこの物語は楽しめないだろう。それほど森氏の趣味が盛り込まれた、それはある意味少女マンガ趣味とも云える幻想味が施されている。
また前作では初めて西之園萌絵が探偵役を務めたにもかかわらず、最後の最後で犀川によって真相が解明されるという詰めの甘さを見せたが、本書では彼女によって真相が見事に暴かれ、犀川はその真相に至っていながらも積極的に事件に介入しない、いわば保護者的役割に終始している。これは西之園萌絵の成長とみるべきか、シリーズにおける名探偵交代を示す転換期なのか。
何にせよ、ようやく密室殺人事件から離れた作品なのだが、逆にそれ故に小粒感が否めない。あらゆる意味で何とも残念な作品だ。


No.1204 7点 プラチナデータ
東野圭吾
(2015/08/16 20:47登録)
情報を操る者は情報に操られるというのが高度情報化社会での皮肉な現象だが、今回の主人公神楽もまた高度なDNA情報を利用したファイリングシステムを構築していながら、自分自身が容疑者として検出される実に皮肉な運命が待ち受けていた。
このDNA捜査システムを読んで想起したのは住基ネットである。これは単に住所、氏名、年齢といった本人を取り巻く外的情報でしかないが、これもまた警察と政府によって仕組まれた国民管理構想の一端のように思えてならない。従ってもしDNA情報まで保存・管理・検索できるスーパーコンピューターが開発されれば本書のような捜査システムが構築されるのは時間の問題なのかもしれない。

エンタテインメントの手法としては古くからハリウッド映画でも題材にされてきたテーマだろう。しかしこれを絵空事と思っていいものだろうか?上に書いたように、既に我々の情報は公共機関によって管理されている。それが機械のミスで、いや故意に人為的に操作されて自分がある日突然犯罪者に仕立て上げられる可能性もあるのだ。このデータは嘘をつかない、機械はミスをしないと信じる盲信性こそが現代社会に生きる我々の最大の敵ではないだろうか。

完璧な正義など存在はせず、大なり小なりの悪が存在しながら社会は機能している。東野氏は自身の公式ガイドブックの諸作の自己解説でところどころ上のようなことを述べている。従って東野作品は個人の力ではどうしようもないことに対して非常に自覚的である。それが故に彼の作品は勧善懲悪的に悪が必ず罰せられる結末を迎える作品は少なく、どこか割り切れなさと現実の厳しさというほろ苦さを読後に残す。
本書もその例に漏れず、本質的な解決は全く成されていない。例えばハリウッド映画に代表されるエンタテインメントならばこのような近未来の歪んだシステムは主人公の活躍によって壊滅され、大団円を迎えるのが通例なのだが東野氏はそれを選択していない。
果たしてこれは来るべき未来に対する東野氏からの警鐘なのだろうか。裁かれるべき者が、巨悪がさらに大手を振って世間に幅を利かせる世の中になっていく。ここで書かれた未来はなんとも暗鬱だ。


No.1203 7点 殺し屋
ローレンス・ブロック
(2015/08/09 23:28登録)
黒い表紙に都会の片隅を想起させる湿った路地の写真と銃痕で穴の開いた窓の意匠に「殺し屋」の文字。装丁から想起されるのは非情で孤独な男の世界なのだが、しかしこの殺し屋に纏わる話は実に奇妙なのだ。どのシリーズにもないどこか不条理感を伴っている。

しかしそれもシリーズを読み進めるうちに読者にケラーの素性が解ってくるに至り、何を考えているのか解らなかったこの男が実に人間臭い人物になってくる。
つまり読み進むうちにケラーの変化を同時に読者は感じるようになり、次の展開が非常に気になる作りになっている。

「ケラーの責任」はMWA賞受賞作に相応しい傑作だ。本作のケラーは実に深みがあり、孤高の殺し屋としての流儀を重んじる人物になっている。この心理こそが殺し屋の殺し屋たる仁義とも云えよう。個人的ベストに迷わず挙げよう。

男臭さの宿る装丁で手に取ることを敢えて躊躇っているならばそれは実に勿体ない話だ。この物語世界の豊かさは寧ろ男性よりも女性に手に取ってほしい色合いを持っている。ケラーの、どことなく思弁性を感じさせる彼独特の人生哲学と、仕事斡旋人のドットとの掛け合いの妙を存分に堪能してほしい。殺しを扱いながらこんなにも明るい物語に出遭えるのだから。この二律背反を見事に調和させたブロックの職人芸、ぜひとも堪能していただきたい。


No.1202 6点 歪んだサーキット
アリステア・マクリーン
(2015/08/03 23:19登録)
戦争小説でデビューし、その後も冒険小説、スパイ小説と様々なテーマを題材にしてきたマクリーンが今回選んだ題材はF1レースの世界。ある日突然トラブルに見舞われるようになったトップ・レーサーを取り巻く不審な事故を巡る物語だ。

本書はマクリーン作品では実に読みやすい作品で、つっかえるところなく、クイクイ読めるところがいいのだが、その反面、マクリーン特有のメカに対する詳細な描写がほとんどないのが気になった。ヨーロッパでは有名なモータースポーツに詳細な専門用語を並べることはもはや意味がないとまで思ったのか。いやそれとも晩年の作品は取材する時間をほとんど取らずにテクニックで小説を著していたのか、今となっては解らないが、マクリーンらしい熱が足らない作品だった。題材がそれまでのマクリーン作品の中でも異色だっただけにこれは実に惜しい。

真相も今にして思えばどちらかと云えばありきたりの内容だ。マクリーンの衰えを如実に感じさせる作品だったことが非常に残念だ。


No.1201 7点 十一月の男
ブライアン・フリーマントル
(2015/07/29 23:52登録)
フリーマントル4作目の本書ではアメリカ次期大統領の有力候補と目されるアメリカ大使が大統領選を優位に運ぶためにソ連に対して行った駆引きに巻き込まれる老スパイとイギリス人大富豪の姿を描いた作品だ。

凄腕の、国に貢献をしたピークを超えた一介のスパイが、その仕事ゆえにそれぞれの国の暗部を抱えていることを危惧した政府によって抹殺されることを余儀なくされ、どうにか自分の運命に抗う姿を描くのはフリーマントル作品には多々ある構成だ。そしてそのどれもが悲劇的な結末を迎え、読者を暗鬱な気持ちにさせる。
それは本書でも例外ではなく、熟練の老練さでロシア外相の指令に従い、行動し、自らのアメリカへの亡命をも成功させようと企むアルトマンの末路は想像以上に悲惨だった。

こう考えると用無しとみなされたスパイの悲劇的な末路を描くフリーマントル流常套手段を打ち破ったのが今なお新作が書かれている窓際スパイ、チャーリー・マフィンシリーズだろう。そして同シリーズは第1作目が本書の後に書かれるのだ。

さて題名『十一月の男』は原題“The November Man”そのままである。登場人物それぞれがそれぞれの11月を待つ人間ドラマにも注目されたい。


No.1200 7点 背の眼
道尾秀介
(2015/07/26 00:24登録)
<若干ネタバレを含みます>


物語は怪奇現象としか思えない土俗的な伝奇色を濃厚にしていく。私はこの後の作品が続々と『このミス』でランクインされる道尾作品の本作は当時京極夏彦の百鬼夜行シリーズを髣髴させるという世評もあって、本作をホラーと見せかけて合理的な解決が成されるミステリだと思い込んで読んでいた。
しかし物語はすっきりと解決されない。合理的な解決でありながらもどこか割り切れなさの残る、中途半端な読後感が残ってしまった。

一見合理的でありながらも心霊現象と云う不確かな物に解決を求める真相に今の私は正直戸惑っている。齢四十を過ぎると人間の心の不思議さや状況が人の心に及ぼす思いがけない効果などに対しても頑なに否定せず、納得できるようになったと思っていたが、それでもなお腑に落ちなさが残る真相、物語の閉じ方である。そして今さらだが本書がホラーサスペンス大賞の特別賞受賞作であることに気付かされた。つまり本書はやはりホラー小説だったのだ、と。
物語にふんだんに盛り込まれる地方の因習や伝承に加え、実在する童話に少年殺しの意外な真相を絡め、更には東海道五十三次の一幅の絵を福島の山奥に残る天狗の忌まわしい殺戮の歴史に重ねて殺人者の狂気へと導くプロットはとてもデビュー作とは思えないほどの完成度だ。しかしやはりもやもやとした割り切れなさが残るのは正直否めない。霊が視える少年、写真に写る霊とそれらは半ば肯定的に受け入れられて物語は閉じられる。先入観と云う物は全く恐ろしいものだ。次こそはまっさらな心で物語に臨みたいものだ。


No.1199 8点 幻惑の死と使途
森博嗣
(2015/07/18 23:59登録)
本書ではまたもや密室殺人が扱われているが、それまでのシリーズ作品と違い、鍵の掛けられた状態での密室ではなく、衆人環視の中でマジシャンが殺される、いわば開かれた密室である。

みなさん書かれているように私も真犯人には驚きました。そしてその動機もいつものように抽象的且つ観念的ですが、今回は腑に落ちました。
ただそれだけにあるシーンが納得できません。それが今回マイナスでした(その内容は後述いたします)。

そしていつも思うのはこのシリーズの事件解決に至るまでの時間が実に長いことだ。今回のマジシャン有本匠幻が衆人環視の中で殺害される事件が起きるのが8月の第1日曜であり、事件解決は9月の第2土曜日以降である。つまり最低1か月半は経っているのだ。これは本書の探偵役である犀川創平は事件解決に積極的でないことに起因するだろう。彼の関心は自分の研究題材であり、そして西之園萌絵であり、決して事件の謎ではない。彼が事件に向き合うのは事件に積極的に関わる萌絵に危機が訪れた時だ。彼は望まざる形で事件に関わり、そして誰よりもその真実をいち早く見抜くのだ。しかし彼の関心が事件にないために事件解決まで、いや西之園萌絵が事件の真相に肉迫するまで解決されないのだ。

さて前作『封印再度』に続いてまたもやタイトルで唸らされてしまった。ストーリーとタイトルがマッチするとこれほどまでにカタルシスを感じるのかと再認識した。後は本書で感じた違和感を次作で払拭されることを期待しよう。

<ここからネタバレ>

名前を葬るという感覚は抽象的であり、また観念的であるのだが、私にとって理解できる動機だった。「自分」という存在は他人にはどうやって認識される?それは名前だ。そしてその名前を知られ、その名に価値を与える事が「自分」の認知度を、自分の価値を公的に高らしめることなのだ。そして名は存在が消え去っても残る。その名が高ければ高いほど。ワン&オンリーであればあるほど。後世にその名を遺すために彼は名に殉じたのだ。
そしてそのために彼は生涯を投じたマジックを、イリュージョンを手法として使った。まさに「幻惑の死」とその「使途」が最後に明かされる。単なる言葉遊びではないのだ、森氏のタイトルは。
だがどうしても納得のできないことがある。それは第5章187ページの原沼利裕の家庭でのシーンだ。そこでの原沼は有里匠幻の死体消失事件の渦中にいたことを誇らしく思い、妻にその模様が写されているTVのニュースを妻に見せて驚くシーンがあるのだが、後で出てくる彼の妻は目が見えないのだ。しかもそれは10年も前からのことだと原沼は述懐する。この矛盾はいかなるものか?これは単なる作者の書き間違いなのか?講談社の校正ミスなのか?その真実は次作で明かされるのか?今の時点ではこの矛盾が本書の評価に強く影響してしまった。


No.1198 8点 処刑宣告
ローレンス・ブロック
(2015/07/12 00:44登録)
マット・スカダーシリーズ13作目の本書は前作に引き続いて連続殺人事件を扱っている。しかも不可能趣味に溢れた本格ミステリのテイストも同じく引き継がれているのが最大の特徴だろう。

人の心とはなんと弱いものだろう。
今回の事件の動機はいわゆる「魔がさす」という類のものだろう。そして数秒間に1人が死ぬと云われているニューヨークでは1つ1つの事件が必ずしも解決されるとは限らず、恐らく彼らの殺人も次々と起こる事件の荒波に埋没する運命だったのかもしれないが、魔がさして成された殺人を抱えたまま生きるのはやはり苦しく、ある者は自らの命を絶ち、ある者は積極的に自白をし、ある者は観念して罪を告白する。

本書は現代に甦った仕置人の正体を探る本格ミステリ的な設定を持ちながら、最後に行き着くところは名探偵の神懸かった推理や驚愕のトリックが登場するわけでもない。マットが素直に人間を見つめてきたことによって出た答えによって導かれた犯人であり、そのどれもが人間臭く、決して他人事とは思えないほど、その心の在り様がリアルに思えるのだ。

そしてまたもや事件に遭遇することでマットの身辺に変化が訪れる。今回は事件自体が派手なこともあって、今回はマットがなんとマスコミたちの注目の的になる。マットがウィルの正体を突き止めたことがマスコミにリークされたからだ。これが今後彼の事件の関わり方にどんな変化が訪れるのか、ちょっと想像がつかない。

そして『処刑宣告』という物々しいタイトルとは裏腹に結末は実に暖かい。これは読者としても何とも嬉しいサプライズだった。
マットを取り巻く人々とマット本人の世界はますます彩りを豊かにしていく。アル中で子供を誤って銃で撃ち殺した元警官という忌まわしい過去を背負った中年男の姿はもはやないと云ってもいいだろう。しかし本書はどれだけ歳月を重ねても人の抱えた心の疵はなかなか消えないことを謳っている。あまりに順調なマットの人生に今後途轍もない暗雲が訪れそうである意味怖い気がする。この平穏はしばしの休息なのか。まあ、そんなことは考えずにまずはこのハッピーエンドがもたらす幸福感に浸ることにしよう。


No.1197 8点 聖女の救済
東野圭吾
(2015/07/05 00:32登録)
トリックは湯川をして「理論的に考えられるが、現実的にはありえない。まさに完全犯罪だ」と云わしめるほどの難問。

元来ミステリでは毒殺物は古今東西に亘って多数書かれている。やはりこの毒殺トリックというのは本格ミステリの書き手ならば一度は手掛けたいものなのだろう。毒をいかにして標的に飲ませるか?そしてどんな毒を使うのか?殺害方法は単純ながら、そのヴァリエーションは多岐に亘っている。そして本書はまた毒殺トリック物に新たな1ページを刻むことになった。

しかし本書で最もミステリアスなのはこのトリックよりも実は容疑者である被害者の妻真柴綾音だ。彼女は自らを容疑の外に置きながらも、第一容疑者で夫の不倫相手兼自分の会社の従業員である若山宏美を擁護し、あまつさえ自らも場合によっては犯行が可能であったとさえ、内海・草薙らに仄めかす。

慈愛に満ちた表情を湛えながらも、自分の教え子を護る時には毅然とした厳しい眼差しを向け、自分も容疑圏内に置こうとする。その姿は題名にもあるようにまさに聖女のようだ。この常人の理解を超えた綾音の心理は慈しみを超えて、時に読者に判じ得ない恐怖を覚えさす。

捜査に当る警察官が容疑者に惚れる。このハーレクイン・ロマンスのような設定をまさかこのガリレオシリーズで読むことになろうとは思わなかった。しかもその刑事が草薙。ガリレオシリーズでは科学に疎い読者の代弁者として名探偵湯川学に事件の解決を依頼するパートナー的存在だった彼も本作で恋する人間臭さを備える。

草薙を翻弄し、内海も歯噛みし、そして湯川をも唸らせる完全犯罪のトリックは実に驚くべきものであった。

それは子供がほしいがゆえに独善的な約束事を押し付ける夫に対して、その支配に対する綾音にとっての“銃”だったのだ。いつでも引鉄が引けるように常に装填された銃を彼女は心に持っていたのだ。
正直このトリックは現実的に考えるとどう考えても無理があるだろう。恐らく読んだ人全てが納得するトリックでは決してないだろう。しかし私はそんなありえない殺害方法を肯定的に受け止める側だ。このトリックはやはり真柴綾音という存在あってのものだと思うからだ。これが他のキャラクターならば到底納得できなかっただろう。そしてこれこそが東野マジックなのだ。


No.1196 7点 ナヴァロンの嵐
アリステア・マクリーン
(2015/06/29 23:56登録)
ナヴァロンの巨砲壊滅はただの前哨戦に過ぎなかった!満身創痍で瀕死の状態で任務を成し遂げたマロリー大尉とミラー伍長たちのまさに任務達成直後から物語は始まる。

今回もマロリーたち一行は困難な任務に赴くわけだが、1作目に比べると切迫感がないように感じる。疲労困憊なはずなのに1作目で感じた死線を彷徨うようなスリルに欠けるのだ。物語のスケールとしては前作が1,800人のイギリス兵の救出に対し、今回は7,000人のパルチザンの救済と3倍以上になっているにもかかわらず、常に余裕綽々で全知全能の存在の如く、事に当たっているように感じる。寧ろ部下のレナルズのように眼前に起きている事態が解らなくて戸惑っていながら、マロリーに反発している姿こそが読者そのものを写しているかのように感じた。

前作が作者2作目の意欲作であり、所謂「2作目のジンクス」を打ち破らんがために渾身の筆致で描いた苦難に挑む男達の物語だったが、それはデビュー間もない作家が持つ初々しさと粗削りさがいい方向に出た稀有の傑作だったと云えよう。翻って本書はキース・マロリーと彼の仲間ミラーとアンドレア達ヒーローの物語であり、冒険小説ではなく映画化を意識したエンタテインメント小説となってしまっているのだ。特に原作しか読んでいない読者にはピンと来ないアンドレアの婚約者マリアはなんと映画でのオリジナルキャラクターとのこと。映画会社のいいなりになって自身のオリジナルをも捻じ曲げるとは、何とも情けない限りだ。


No.1195 7点 泡坂妻夫 からくりを愛した男
事典・ガイド
(2015/06/28 00:04登録)
最近電子書籍では再現できない紙書籍だからこそ成し得る仕掛け本『しあわせの書 迷探偵ヨギ ガンジーの心霊術』が話題になり、さらには造本する製本会社が倒産したために長らく復刊を切望されながらも実現されなかった幻の仕掛け本『生者と死者 酩探偵ヨギ ガンジーの透視術』をも復刊されることになり、泡坂再評価の気運が高まっている背景がこのようなムックの発行を後押ししたことは確かだろうが、それでも作者没後6年目にしてこのようなムックが作られたことはこの作家がいかに特異でミステリファンにとって忘れられない作家であったことかを物語っている。

泡坂妻夫が他のミステリ作家と一線を画すのはやはりその特異な経歴であることは論を俟たないだろう。
紋章上絵師という職人でありながら、マジシャン厚川昌男としても活躍し、マジック関係の書物も刊行しており、さらに今なお高い評価を維持し続けている亜愛一郎シリーズを代表とする本格ミステリの書き手でありながら、幻想的な男女の機微を扱ったミステリに江戸情緒溢れる時代物も書き、そして直木賞作家でもあるというまさに天は二物だけでなく三物も四物も与えた才能に溢れた人物であった。

とにかく泡坂愛に溢れたムックである。冒頭の北村薫氏×法月綸太郎氏の対談から一気に泡坂妻夫作品についてどっぷりつかって回想に耽ることができ、そこから各作家のエッセイに、著名人たちの泡坂作品ベスト3の選出と、恐らく一ファンなら誰もが理想とする読み物が目白押しだ。ダメ押しなのは幻影城に掲載されていた権田氏をインタビュワーにした赤川次郎氏と故栗本薫氏との座談会が掲載されていることだ。当時新人作家だったお三方が斯界の権威としてしゃちほこばってなく、初々しい素の姿で思う存分それぞれのミステリに対する思考や嗜好について語っているのだ。これを読めるだけでこのムックの価値はあるほどの充実した、そして貴重な内容だった。

ミステリファン、特にミステリ通に好まれた作家であった。従って決して万人に受けた作家ではなかったが、その作品群には珠玉の物や実験的な物や挑戦的な物が多かった。個人的には氏の古き日本文化への愛着と日本人の持つ粋という気質が色濃く反映されて日本情緒溢れる『ゆきなだれ』や『蔭桔梗』といった短編集が多くの人に読まれて欲しいと思う。今なお絶版であるのが悔しまれる。


No.1194 7点 明日を望んだ男
ブライアン・フリーマントル
(2015/06/24 23:27登録)
フリーマントル3作目の本書ではエスピオナージュを扱う作家ならば一度は扱う題材、ナチスだ。ナチスの残党を追うモサドとそこから逃れようと身分を変え、潜伏している元ナチスの党員や人体実験を行った科学者たちの息詰まる情報戦を描いている。

本当に救いのない話だ。
これこそ皮肉屋フリーマントルの真骨頂と云えるだろう。第3作目にして世界におけるナチスの存在の忌まわしさとモサドのナチスに対する復讐心の奥深さと執念深さを何の救いもなく描くとは、とても新人作家のする事とは思えないのだが。

また本書が発表された1975年はイスラエル問題の最中でもあり、また解説によれば実際に翌年の1976年に国際指名手配されていた元ナチスの党員が世界各国で自殺を遂げており、まだ第2次大戦から地続きであった時代だったのだ。

このユダヤ人大量虐殺を行ったナチスに対して異常なまでに復讐心を燃やすイスラエル政府の執念深さはマイケル・バー=ゾウハーの諸作で既に知っており、最近読んだノンフィクション『モサド・ファイル』は本作をより理解する上で非常によい参考書となった。特に本書にも出てくるゴルダ・メイヤやモシェ・ダヤンといった実在の政治家は同書に写真まで掲載されているのでイメージも喚起しやすかった。書物が書物を奇妙な縁で結ぶことをまた体験したのだが、逆に云えばこのようなエスピオナージュの類を読むならば、『モサド・ファイル』ぐらいのノンフィクションは読むべきなのかもしれない。


No.1193 7点 本棚探偵の生還
評論・エッセイ
(2015/06/22 23:29登録)
喜国雅彦氏の古本に纏わる実にマニアックなエッセイもこれで3冊目。しかし古本に対する探究心と迸るマニア魂は衰えを見せない。

しかし喜国氏の古書収集ライフも晩年期を迎えているようだ。あとがきでは増殖し続ける蔵書たちを整理して処分をし始めたとのこと。流石に普通の生活と古書収集はやはり両立しないようだ。次の『本棚探偵 最後の挨拶』がどうやらこのエッセイの最終巻になるとのこと。ネタ切れというかマンネリ感が否めなかったこのシリーズにもとうとう終止符が付けられるようである。
既に刊行された最終巻でどんな終焉を迎えるのか。一漫画家が紡いだ一古書マニアの古書に纏わるの最後の挨拶に期待しようではないか。


No.1192 7点 泥棒は野球カードを集める
ローレンス・ブロック
(2015/06/20 00:49登録)
泥棒探偵バーニイ・ローデンバーシリーズ第6作。なんと前作から11年ぶりの作品だ。ブロックによれば彼の中にはいつも登場人物が住んでいるらしく、彼らが時々現れて新たな物語を教えてくれるとのことだ。近年久々にマット・スカダーシリーズの新作と殺し屋ケラーシリーズの新作を出したが、それも彼に云わせればまだ彼らが生きていたからだろう。

さてそんな久々のシリーズ作品は日本人にはほとんど馴染みがないが、アメリカでは株や絵画の売買や不動産以上の投資効果があると云われる野球カードに纏わる物語だ。
といっても物語は単純明快のようで複雑に展開する。密室殺人あり、偽装殺人ならぬ偽装窃盗ありと、案外本格ミステリど真ん中の設定と新たなヴァリエーションを加えられて物語は進む。

登場人物の相関関係が複雑に絡み合い、これらが綺麗に繙かれるのかと心配するが、ブロックは実に美しいロジックでこの込み入った事件を鮮やかに解決してくれる。

さて古書店主になってからのバーニイのシリーズでは本に纏わる薀蓄、特にミステリに関する小咄が多くて海外ミステリファンの心をくすぐるのだが、本書ではスー・グラフトンの作品に集中しているのが興味深い。特に彼女の代表作であるキンジー・ミルホーンシリーズの『アリバイのA』に代表されるアルファベットをモチーフにした題名をパロディにしたやり取りが実に面白い。これは当時アメリカミステリ作家クラブか何かでスー・グラフトンとかなり親しくなったのだろうか?とにかく出てくる、出てくるパロディのオンパレード。最初から最後までこのキンジー・ミルホーンシリーズの題名をパロッたやり取りが繰り返される。

しかしこの作品も絶版なのである。最近電子書籍で何作かが復刊されているが、私は紙の本で読みたいのである。
何とかしてほしいものだ、版元には。

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