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ミステリの祭典

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麝香福郎さんの登録情報
平均点:6.68点 書評数:82件

プロフィール| 書評

No.22 5点 八日目の蝉
角田光代
(2022/07/21 21:30登録)
「親であること」「家族であること」のつまづきを徹底的に描きながら、しかしこの小説が向かうのはそこではない。希和子は人の子を奪い、自分の子を持ったことで、それを奪われる恐怖と苦しみを知り、その時「母」になった。子供をさまざまな形で失う作中の人々を「親になる資格がなかった」という自業自得論で片づけることは容易いが、この作品は何かを糾弾することはしない。誘拐犯も、ダメ母、ダメ父も、意気地のない子供たちも、狂信的集団も。
小説が人間の内面に寄り添う瞬間というのはこういうものを言うのだろうか。本書はそんな瞬間を次々と出現させて、生身の人の理不尽さを堂々と描き切っている。


No.21 7点 聖者のかけら
川添愛
(2022/07/17 19:31登録)
本書は史実を下敷きに、ベネディクトが聖遺物をめぐる大いなる謎と複雑な宗教社会のうねりに巻き込まれていく歴史ミステリだ。
とにかく胸がときめく設定が満載の小説だが、当然ながら道理に疎い素直なお坊ちゃんだけでは話は転がってこない。そこで本書にはもう一人、彼の協力者となる探偵役が登場する。それがピエトロだ。
この男のキャラクターがなかなか強烈。まず、教会の司祭でありながら、裏では聖遺物を見つけては、こっそり売りさばいている。頭の回転が速く口が達者で、自分の利益優先で最大限効率的に行動し、神の働きかけは基本ありえないと考えている。そうベネディクトとは正反対の世間擦れしたリアリストなのである。
真実に一歩一歩迫る一方で、ベネディクトはこの変わり者ピエトロや、他のさまざまな修道士・会子と信仰にまつわる対話を重ねていく。聖フランチェスコが実践した清貧とは何か。神が願いを聞き届けてくれないときは、自分ひとりで抱え込むか、周囲に相談するか。思い焦がれるほどに神や聖者を、そして友人を信じ敬うとはどういうことか。
こうした真摯な問答には、時代も舞台も現代とはまるで違うけれど、人間社会を生きていく上での普遍的な知恵が秘められているようで、読んでいて非常に快い。成長譚であり、バディ小説としても啓発書としても存分に楽しめる。


No.20 7点 シューマンの指
奥泉光
(2022/07/13 19:23登録)
かつて音大を目指す自分の前に現れた年下の天才少年ピアニスト修人に、憧れを募らせながらも、彼が指を失った事件をきっかけに、音楽の世界とは縁を切った「私」が、三十年前を振り返る手記という形で展開される。
「私」の卒業式の夜、音楽室のピアノで修人が奏でたシューマンの「幻想曲ハ長調」。その類まれな演奏に聞きほれているさなかに起きた殺人事件。
シューマンの生涯と楽曲をモチーフに、若き芸術家の苦悩という古くからある文学テーマを奏で上げた、美しい音楽本格ミステリ。音楽は「イデアの中に在る」という意見を中心に展開される音楽論も、知的好奇心をそそって魅力的。


No.19 4点 Fの記憶
吉永南央
(2022/07/13 19:11登録)
嶽澤は解体作業を請け負う会社の社長。ライバル会社に仕事をさらわれるようになり、少しずつ苛立ちと怒りを内に溜め込むようになった嶽澤が思い出すのが、高校時代に痛めつけてやったFのこと、Fの言い放った呪いの言葉。
嶽澤というヤクザまがいの男が視点人物ゆえに、黒々とした筆致で描かれているこの物語の影の主人公がF.
多視点かつ、様々なトーンの物語を併せて一つの物語にする手法は悪くはない。だが、それがうまく活きていない。原因としては、Fという人間へのこだわりが、第一話の嶽澤以外の登場人物から必然として伝わってこない点にある。また、三つの物語から読者が脳内で作り上げたF像と、最終話に登場する実際のFの雰囲気がかけ離れすぎなのはどうなのか。


No.18 10点 虚無への供物
中井英夫
(2022/07/07 23:49登録)
普通の推理小説から逸脱している。展開される推理ゲームは劇中劇のように複雑に交叉しながら、果てしない空想と妄念のアラベスクを形作っていく。
作中には、アイヌの奇譚、ポーの小説やルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」、あるいはタイトルにもなっているポール・ヴァレリーの詩、色彩学、薔薇と宝石のコレクション、戦後の下町の雑多な空気や様々な事件、風俗談義など、実に多彩な材料が詰め込まれている。
作者はこの大作を十年近い歳月を費やして完成させた。四つの密室殺人の謎に彩られた巨編は、もちろん本格的な推理小説として楽しむことができる。そのディテールのひとつひとつには息もつかせぬ勢いで、物語の革新へと引っ張っていく。しかしまた、作者はこれをアンチミステリとして構成していたことを忘れてはならない。


No.17 8点 ドグラ・マグラ
夢野久作
(2022/07/07 23:37登録)
主人公の「わたし」は七号室の患者として、正木博士の実験材料として、この現実の時空間をこえた、脳の宇宙の中を漂い、彷徨する。そこでは一瞬が千年の単位の時間と重なり、地理的な空間も、瞬時に飛び越えてしまう。
幻覚なのか、現実なのか、主人公自身もわからぬまま、物語は複雑に絡み合い進行する。狂気と笑い、グロテスクな冗談と奇怪な学術語が交錯し、スカラカ、チャカポカというふざけた口調によって、精神医療の現実が強烈に風刺される。
「ドグラ・マグラ」というタイトルは、「心理的迷宮遊び」といったニュアンスをあらわす、作家による造語であり、その天衣無縫な語り口と、自由自在なプロットの組み合わせによって、狂気と正気の狭間に読者をいざなう。


No.16 8点 メインテーマは殺人
アンソニー・ホロヴィッツ
(2022/06/24 21:21登録)
本書は、まさしく犯人当てミステリのルールに則った、しかも極めてフェアな謎解きの魅力が全開の一作となっている。
物語は、資産家の老婦人が自分の葬儀の一切合切を手配したその夜、何者かによって絞殺されるという事件から始まる。もしかして彼女は、自分が殺されることを知っていたのか?それとも。
派手さには欠けるかもしれないが、何とも奇妙で強烈な謎である。加えて物語の語り手でもある「わたし」は、作者自身という趣向が凝らされている。現実社会での作者の仕事ぶりや生活が、ほとんどそのまま描かれているのだ。
そこへある日、刑事ドラマの脚本を書いている時に知り合った元刑事(架空の存在)で、現実はロンドン警視庁の顧問をしている人物が訪れる。彼曰く、実はいま不思議な事件を捜査している。ついてはその事件を担当している自分を取材して、本にしないかというのである。要するに自分はホームズ役をやるから、お前はワトソン役になれとの提案だった。
かくして二人は事件の謎に迫っていくのだが、事の真相と犯人が明らかになった瞬間の驚きというか、見事にしてやられた悔しさと爽やかさは半端ではなかった。


No.15 7点 死亡通知書 暗黒者
周浩暉
(2022/05/23 18:51登録)
復讐の女神(エウメニデス)の名による死亡通知書と、その予告によって起こる連続殺人。省都警察に集まった専従班の面々を嘲笑うかのように殺されていく被害者たちには、過去に罪を犯すも裁かれていない共通点があった。龍州市の刑事・羅飛はエウメニデスが十八年前に起こした事件と個人的な因縁があったために専従班に参加するが。
犯人側が全知全能の超人過ぎて、結局どうやってそんなことを知ったんだとツッコミたくなる部分は多いが、それが気にならないほどに展開の目まぐるしさと事件の外連味に振り回される。
予告殺人という派手さから大味な作品かと思いきや、十八年前の事件の謎が現在の事件に通じている様など伏線も実に丁寧。



No.14 9点 虐殺器官
伊藤計劃
(2022/02/08 20:19登録)
舞台は「9・11」以降の「もうひとつの近未来」。テロとの戦いの末、先進諸国からは危険が一掃されたが、その一方で、地球上のそれ以外の地域では、必ずしも原因が定かではない虐殺や内戦が急増していた。米軍情報部に所属するシェパード大尉は、その謎の背後に見え隠れするジョン・ポールと呼ばれる男の存在を知り、彼の追跡を開始するのだが。
現実の国際情勢から論理的な推論を組み立てた、極めてリアルなSFであり、強烈な謎を焦点に置いた独創的なミステリであり、冒険小説や戦争小説、ポリティカル・フィクション等の要素もあり、そして暗殺のプロでありながらナイーブな内面を抱え持つシェパード大尉の瑞々しくも哀切な青春小説でもある。
世界中を飛び回るスケールの大きさと、内省的なテーマを深く掘り下げていく筆致が、作者らしい独特なバランスで結び付けられている。骨太でありながら繊細、大胆にして精妙。「小説」というものには、何が可能なのか、ということを徹底的に問い詰めた傑作。


No.13 8点 ザ・カルテル
ドン・ウィンズロウ
(2022/01/06 18:40登録)
麻薬戦争は2006年以降、メキシコ政権が軍を投入し、麻薬密売組織(カルテル)の徹底的発を図って激化。組織同士の抗争も加わり、死者は推定10万人とされる。本書はこの血みどろの現実を反映させ、緊張感に満ちている。
麻薬組織が警官を追い出した無法地帯で町長となり、秩序回復を図る女性医師、麻薬組織同士が争う国境の町で、組織の脅迫を受けながら報道の砦を守ろうとする地元紙記者たち。医師や記者は郷土への尽きせぬ愛着を持ち行動するが、麻薬組織から命を狙われる中での不安、諦めまで書き込まれ彼らの苦悩が強く伝わってくる。
物語の底流には、戦争の原因をつくった麻薬消費国・米国への著者の怒りが満ちている。主人公の米捜査官ケラーは単純な正義のヒーローではなく、自国の矛盾に引き裂かれた悲劇的人物の色彩が濃い。 
善と悪の区別がはっきりとせず、解決策が見いだせない現実は今も続くが、本書が描いたような一般市民の勇気をもって光明はあると信じたい。


No.12 7点 空飛ぶタイヤ
池井戸潤
(2021/11/25 20:23登録)
大型トレーラーのタイヤが突如外れ、歩道を歩いていた子連れの主婦を直撃した。男の子は軽傷ですんだものの、主婦は死亡。大型トレーラーを所有していた運送会社に、業務上過失致死容疑の捜査が入る。トレーラーの製造元であるホープ自動車にはなんの過失もなかったのか。そのことを究明するために、運送会社社長の赤松は全国を走り回り、やがてホープ自動車の欠陥隠しを確信する。
なるほど、このようにして人はたやすく物事の本質を見誤るのか。ひとりの命より、社名や肩書や世間体が重要だと、このようにして思い込んでしまうわけか。「結局のところ人は皆、歯車である」というのは、赤松がつぶやく言葉である。企業や社会において歯車でしかない私たちが、どのように自分自身を獲得するか、その過程を書いている。実に牽引力のあるエンターテインメント小説であり、同時に人間性を疑うような事件の多い現在への痛烈な批判でもある。


No.11 6点 鉄の骨
池井戸潤
(2021/11/01 18:39登録)
中堅ゼネコン一松組の若手社員・富松平太は、建設現場から"花の談合課"こと業務課に異動となった。慣れない仕事に戸惑う彼は、常務の命により、談合を仕切るフィクサーの三橋萬造の家に出入りするようになる。二千億円規模の地下鉄工事の受注を担う一松組だが、入札をめぐる各ゼネコンの談合の動きを見て、平太の心は激しく揺れる。また、私生活でも銀行員の恋人との間がぎくしゃくしてきた。公私ともに波乱に満ちた平太の人生はどこに向かうのだろう。
平太の見た談合の実態。それはゼネコンの生き残りと、深くかかわっていた。ならば談合は必要悪なのか。しかし一方で、フィクサー三橋に談合を否定させるなど、作者は談合を単純な善悪で割り切らない。だから平太の心の揺らぎが、そのまま読者の揺らぎとなり、談合について深く考えるようになるのだ。ここが本書の読みどころといえよう。
さらにラストに控えた、ミステリの仕掛けも見逃せない。談合と密接に関係したサプライズが、テーマをより際立たせるのだ。あくまでもエンターテインメントとして読者を楽しませながら、現代の問題に鋭く切り込んでいる。


No.10 7点 銀行狐
池井戸潤
(2021/04/06 20:15登録)
銀行業務は高度化、洗練化されてきたが金の貸し借りを仲介する場という基本は変わらない。そこには欲望、誘惑や恨みといった人間の性が渦巻いている。
本書は内幕を暴露した実録物ではない。だが収められた五本の短編は読む者をカウンターの内側に迷い込んだ気分にさせるリアリティーを備えている。銀行での実務経験に裏打ちされた緻密な描写が強み。
破綻した銀行の支店金庫室で発見された死体の謎をめぐる「金庫室の死体」、顧客にサービスする粗品の中身を入れ替える現金詐欺トリックを描いた「現金その場限り」、狐を名乗る脅迫犯が銀行の危機管理の穴を突く表題作の「銀行狐」。どれも多彩な犯行手口と意外な展開が待っており、まずは良質のミステリといえる。


No.9 9点 半七捕物帳
岡本綺堂
(2020/02/08 19:33登録)
語り口が岡本綺堂の魅力。時代は幕末の頃で、舞台は江戸。当時の風俗習慣も町の様子もさりげなく書き込まれている。そこにまぎれもなく存在している何とも懐かしい空気は、岡本綺堂がつくり出したもの。江戸の風物詩があるから、江戸情緒があるから懐かしい、というものではない。
この捕物帳には怪談仕立てのものがいくつも出てくる。武士はともかく、人々が怪異なものを信じていた時代だから、幽霊やお化けが世間を騒がし、犯罪にも幽霊やお化けが絡む、といった事件は珍しくもなかったのだ。幽霊やお化けには必ず種も仕掛けもあり、そこには怪異と見せかけた犯罪があることを見抜いて、そのからくりを明らかにしてみせる。
考えてみれば当たり前のことで、この捕物帳は怪異小説ではなくて、シャーロック・ホームズものにひけをとらない立派な探偵小説なのだ。改めて岡本綺堂の力量に脱帽だ。


No.8 10点 アンドロイドは電気羊の夢を見るか?
フィリップ・K・ディック
(2020/01/30 20:03登録)
AIやアンドロイドなど、高度な知性を有する人間と同等の存在、あるいは人間以上の存在が登場する中で、どうやって人間がその存在に立ち向かい、戦っていくのか。それを見る時、私たちは「人間」というものを理解していくのです。
この作品は、そんな「人間とそれ以外の存在の違い」を描く多くのSF作品の先駆けであり、完成系です。AIが発達しつつあるいま、人間の能力を超える可能性についての議論が現実味を帯びて語られるようになりましたが、この作品が描かれたのは、まだそんな時代の到来が予見されていなかった時代です。そんな時代にあって、この不朽の名作と言っていいSFの金字塔は、「人間(ホンモノ)」と「ニセモノ」の姿を事細かく描いています。
表題にもなっている「アンドロイド」と「電気羊」はニセモノです。第三次世界大戦で放射能が蔓延し、生き物の数が減ってしまっているために、本物の生き物は高価な値段で取引され、本物の生き物に対して「電気羊」などのニセモノの生き物が増えています。そして人間のニセモノとして存在しているのは「アンドロイド」。ある一点を除いて、人間と全く変わりがない生き物として描かれています。その一点とは、感情移入です。
何かを慈しむ能力を持ったホンモノであるにもかかわらず、ニセモノに対して慈しむ心を失っている世界。この社会はどこか矛盾していて、その矛盾を乗り越えていく主人公の姿を見て、読者は「人間」というものを探し考え、そして人間以外の存在が出てきた時、社会がどう変化するのか、空想するのです。


No.7 8点 ノースライト
横山秀夫
(2019/12/27 19:55登録)
横山秀夫は、誇り高き「仕事人間」の奮闘を描き続けてきた作家といってよいのではないか。
「陰の季節」、「動機」、「クライマーズ・ハイ」「64」など職種や状況こそ違え、そこに一貫していたのは、職務に忠実であるがゆえに孤立せざるをえない男たちの怒りと悲しみである。彼らの圧倒的な存在感をつくり出したものが、作者自身の誇り高き職業意識だったことはいうまでもない。
「64」から六年ぶりに刊行された本書も無論例外ではない。青瀬稔は大学の建築科を中退して大手建築事務所で働いていたが、バブルの崩壊と同時に失職した。所沢で小さな設計事務所を経営する学友に拾われ、注文に合わせて図面を引く日々。久しぶりに血をたぎらせたのは信濃追分のY邸の設計だった。「平成すまい200選」にも選ばれた自信作だったが、施主一家はなぜか新居に住んでいなかった。
無人の家に一つだけ置かれていた「タウトの椅子」を手掛かりに「Y家の謎」と建築家ブルーノ・タウトの足跡を追う青瀬の前に、やがて意外な真相が明らかになる。
この物語の結末は比類なく美しい。小説の名手、横山秀夫は健在である。


No.6 7点 伏 贋作・里見八犬伝
桜庭一樹
(2019/09/16 10:50登録)
江戸市中で頻発している凄惨な殺傷事件は、人間離れした素早さと人の心を持たないような残虐な若者の仕業だった。人にして犬、江戸の民は彼らを「伏」と呼び、恐れおののいた。
幕府の懸賞金につられた食いつめ者は伏退治に明け暮れ始める。その一人、貧乏長屋に住む浪人の道節は、助っ人として祖父の下で猟師の修行を積んだ鉄砲の名手だった。二人は見物に訪れた吉原で花魁道中に遭遇する。だがその花魁・凍鶴も伏の仲間であった。滝沢冥土の筆による瓦版によって、吉原での伏との一戦の模様が記事となり、浜路は一躍名を売るが・・・。
曲亭馬琴の大長編小説「南総里見八犬伝」は後の世に多大な影響を与え、多くの芝居や文芸作品を生み出した。本書もまたその世界を下敷きにした歴史ファンタジーで、三つのパートを入れ子にした構成が特徴となっている。「現代」である江戸のパートでは、浜路たちと伏との激しい闘いが視覚的に描かれる。
父の馬琴に隠れ、息子の冥土がひそかに書き綴っている贋作・八犬伝の内容が二つ目のパートである。時代を中世にさかのぼり、伏誕生の由来である安房里見家の伏姫と妖犬・八房との因縁がゴシック風味を加えて描かれる。ここは原作以上に濃厚。さらに生を受けた森へ、伏たちが帰郷の旅をする最後のパートは、幻想風味たっぷりで味わい深い。
この三つのパートが混然となり、ロマンチシズムあふれる世界が見事に構築されている。時代小説特有の言い回しを用いず現代語を多用した文体と併せ、疎外されたマイノリティーの暴発という現代的なテーマが内包されていることも、作者の狙いでしょう。
信義や忠孝をキーワードとした勧善懲悪の物語を、新たな形で現代によみがえらせた作者の手腕は喝采ものである。


No.5 8点 とっぴんぱらりの風太郎
万城目学
(2019/07/17 21:09登録)
大阪の陣の時代を舞台に、忍者たちの青春を描いている。
訓練中のミスをとがめられ伊賀を追放された風太郎は、京都でニート生活を送っていた。そこに、かつて仲間だった黒弓が訪ねてくる。黒弓は、商人の伊賀者から渡されたひょうたんを、清水寺の近くに届けてほしいという。風太郎が配達を先延ばしにしていると、怪しい老人、因心居士が声をかけてくる。これを契機に、風太郎は豊臣と徳川が繰り広げる謀略戦に巻き込まれていく。
忍者を育てる柘植屋敷で学んだものの、武術も頭脳も人並みの風太郎は、徳川の天下が固まり、合戦が減る社会情勢の中で再就職が出来ず、忍者へ返り咲くことに淡い期待を抱いていた。
風太郎を取り巻く状況が現代の戯画になっているだけに、流されるままだった風太郎が、時に助け合い、時に敵対していた仲間と共に、自らの手で人生を切り開く決意を固める展開には、共感も大きいのではないか。
クライマックスには、風太郎たちが腕ききの忍者と戦う壮絶なアクションも用意されているが、この死闘は、風太郎たちの再生をかけた戦いでもあるので、読むと勇気をもらえるでしょう。


No.4 8点 銀翼のイカロス
池井戸潤
(2018/12/13 20:45登録)
「倍返しだ!」の流行語を生んだテレビドラマ「半沢直樹」は、テレビ史に残る大ヒットとなった。この原作シリーズの第4弾が本書。大手都銀の行員・半沢直樹は今回、国家権力を相手にした闘いに臨む。
地位とメンツ、プライドを懸けた対決シーンの数々は厳しい言葉のやり取り。敗者は顔色を失い、唇を震わせ、涙する。勝者となるには知略と人脈が必要。そして油断した方が負ける。
テレビドラマで片岡愛之助が演じた金融庁の検査官・黒崎も登場。霞が関の住人として、絶妙な役回りを担う黒崎をはじめ、強烈なキャラクターの登場人物が物語に花を添える。ここ一番で発せられる、あの決め台詞は痛快そのもの。


No.3 8点 七つの会議
池井戸潤
(2018/09/26 20:11登録)
組織で不祥事が起きたとき、正義を貫くことの困難をオムニバス調に描いている。
「東京建電」は古い体質の中堅電機メーカー。男社会で縦社会。女性社員が自由にものを言える雰囲気はない。冒頭の理論から言えば、職場環境は最悪だ。業績を追求するあまりに強度不足のネジが横行し、幹部たちは隠蔽に走る。
実際に日本の大企業でも同様の事件が後を絶たない。組織内で一人一人にプレッシャーがかかると、間違いは起こり得る。心の中では不正をただしたいと思う人も多いのだろうが、上司の圧力や自分の地位を守るため、見て見ぬふりをしてしまうのかもしれない。
物語では、一見ぐうたらと思われていた社員が不正を告発する。「虚飾の繁栄か、真実の清算か」。最終盤の一文がピリッと効いて印象的。もちろんその社員が選んだのは後者。私も白と思うことは白と言える自分でありたい。そう強く感じた。

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