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ミステリの祭典

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猫サーカスさんの登録情報
平均点:6.19点 書評数:405件

プロフィール| 書評

No.385 6点 消えた警官
安東能明
(2024/04/07 18:25登録)
小幡巡査部長が突然失踪してから二年が経過した。当時二十九歳、昇進し、希望する部署への異動が叶ったにもかかわらず、ほどなく行方をくらましてしまったのだ。一体何が彼に起きたのか。その彼が三年前にパトロール先に残していた多数のメモが今になって発見された。柴崎警務課長代理は二人の仲間と共に小幡失踪の真相を追いつつ、ひき逃げや老人ホームでの不審死、交通事故、女子高生殺人事件などを解決していく。そうした彼らの活動を、四つの短編で描いている。単純そうな事件の奥に潜む、如何にも人間的でなお且つ病んだ心理をきっちりと炙りだす。その上で、最終話で小幡の物語を決着させ、締めくくる。全体で一つの物語としてもよく出来ている。


No.384 5点 石を放つとき
ローレンス・ブロック
(2024/04/07 18:25登録)
収録作にはいずれも、私立探偵マット・スカダーが登場する。かつてはニューヨーク市警の優秀な警官だったが、強盗に向けて放った銃弾が跳ね、少女の命を奪ってしまったことから職を辞し、罪の意識を拭えない酒浸りの日々を送る哀しき探偵だ。八十代のスカダーが手掛けるのは、大きな事件でも命を危険にさらすような案件でもない。元コールガールである妻のエレインが、売春経験者の女性のための匿名プログラムで知り合ったエレン・リップスコームの悩み、客だった名前もわからない男からの脅迫を解決するために乗り出す内容は、極めてシンプルだ。ところが、とりとめのない会話は心地良いリズムを刻み、長年大都会で生きてきた人間の経験と振る舞いそのものが物語となって味わいを醸し出している。


No.383 7点 透明人間は密室に潜む
阿津川辰海
(2024/03/15 18:54登録)
いずれも能力や立場の面で有利さを持った人が、物語の中心になっている。だが、彼らは有利なだけでなく不利も抱えている。透明人間の体は透き通っているが、表面に汚れが付けば浮いて見えるし、武器を持てば存在を知られてしまう。裁判員は他の一般人とは異なり、事件関係者の今後を左右しうる立場にあるが、結論以外の議論の過程を公開してはならないという制約を負う。探偵事務所に勤める耳が異常に良い探偵は、残念ながら頭の回転まで良いわけではなかった。このため、彼女が聴覚から得た手掛かりを元に、所長が推理力を発揮するという段取りを必要とする。船上で進む脱出ゲームでは次々に問題が出され、主人公の招待プレイヤーはそれらを解く能力を持っているはず。だが、彼は子供とともに船内の一室に閉じ込められ、そこからの脱出に力を注がなければならない。各作品のキモは、それらの有利と不利のバランスが、どのように移り変わっていくかにある。物語の進行によって有利だったことが不利になり、不利が有利になるといった皮肉な逆転も生まれるのが面白い。一作ごとに設定に工夫を凝らして描いていることは評価されるべきでしょう。


No.382 5点 馬鹿みたいな話! 昭和36年のミステリ
辻真先
(2024/03/15 18:54登録)
駆け出しのミステリ作家・風早勝利は、国営放送局に入社した旧友の大杉日出夫から仕事を依頼された。若手ディレクター四人によるオリジナルミステリドラマの競作が企画され、大杉が演出を担当する回の脚本を書くことになったのだ。脚本は完成し放映当日の夜を迎え、撮影は順調に進んでいたが、なぜかヒロイン役の歌手が再登場しないまま、ラストシーンを迎えようとしていた。テレビの本放送から八年経った昭和三十六年。ビデオテープは登場したが、ドラマのほとんどが生収録・生放送という綱渡り的な作業で製作されていた。そのような状況下、スタジオの中で殺人が起きた。人の出入りのない本番中のスタジオは完璧なクローズドサークルだ。そしてスタジオ内にいた関係者全員の疑いが晴れれば、難攻不落の密室になると風早は語る。主演不在の中、知恵を絞ってドラマを完成させようと奮闘する関係者の行動をスリル満点に活写する。同時にこのシーンは、容疑者を排除し密室の謎を際立たせる効果的かつテクニカルな描写にもなっていることに驚かされる。当時の人気番組、実在の俳優、歌手などへの言及も楽しい。


No.381 6点 オレだけが名探偵を知っている
林泰広
(2024/02/27 19:17登録)
秋山の義理の姉が事故で入院した。義姉の夫である新川昭男は、出張中のことで連絡がつかない。出張先を知ろうと秋山は新川の勤務先を訪問するが、一切の情報提供は拒否された。なぜそこまで頑ななのか。その日はたまたま非番だったが、警視庁捜査一課の刑事である秋山は、新川の勤務先について調べ始めた。すると会社の創設者がかつて山賊であったことなど、怪しい情報がいくつも出てきた。という具合に、秋山が新川の行方についてあれこれ推理するのだが、それは本書で繰り広げられる推理のほんの一部に過ぎない。例えば、名探偵って一体何なんだ、という思考もあれば地下の巨大密閉空間の有無や、そこを訪れたとする胡散臭い手記の真贋も推理される。五人の社長候補と一人の名探偵による心理戦が火花を散らしたりもする。そのすべての局面において、登場人物たちは知恵を絞り続けるのである。目的を達成するために、生き延びるために、殺すために。それによって日本のオフィスから地下迷宮、さらにアメリカあるいはカナダ、そして政情不安な南の国へと引きずり回される。読書中は着地点が全く見えないのだが、作者は鮮やかに着地させた。脳が痺れるほどの濃密な刺激を満喫できた。


No.380 7点 TOKYO REDUX 下山迷宮
デイヴィッド・ピース
(2024/02/27 19:17登録)
上層部の命を受けたGHQの捜査官スウィーニーが、揺れ動く下山事件を担当する中で、見え隠れする謀略機関の影とともに深い闇に呑み込まれていく第一部「骨の山」。東京オリンピックを目前に控えた一九六四年六月、元刑事である私立探偵の室岡が、行方不明となっている探偵小説家の捜索を依頼され、あの下山事件へと引き寄せられていく第二部「涙の橋」。昭和の終わりも近い一九八八年秋から冬にかけて、かつてCIA工作員として日本に派遣された翻訳家ライケンバックに、下山事件によって運命を狂わされた過去が築づく第三部「肉の門」。物語は、東京を舞台にした三つの時代のエピソードで構成されている。東京在住の英国人である著者が虚実取り混ぜた暗黒小説としてものした本作は、日本人によるこれまでの実録・小説にはなかった妖しく深遠な異形の「下山事件」を映していて斬新。資料や記録だけでは掬い切れなかったもの、日本人の視点では目が届かなかった領域が文学によって現出する様に終始圧倒され、心奪わえれるような興奮を覚えた。


No.379 7点 インタヴュー・ウィズ・ザ・プリズナー
皆川博子
(2024/02/04 18:26登録)
十八世紀の英国を舞台に解剖教室のメンバーたちの活躍を描いた「開かせていただき光栄です」、「アルモニカ・ディアボリカ」の続編。新大陸の入植者たちは、イギリスからの独立を目指す愛国派と、植民地維持を支持する国王派に分かれ、激しい戦いが繰り広げられていた。弱小新聞記者のロディはある有力者に頼まれ、収監中の囚人のもとを訪れる。なぜ彼が大地主の息子アシュリー・アーデンを殺したのかを訊くために。ロディの手元にはアシュリーが残した手記があった。だがそれを読んだ英国補給隊隊員のエドワード・ターナーは、手記におかしな点があることに気付くのだ。対立する両派だが、頭にあるのは自分たちの利益のみで、先住民の存在など歯牙にもかけようとしない。有力者の息子ということで、あからさまな差別は受けないが常に侮られ、モホークの文化を愛しながら白人社会の文明からも逃れられないアシュリー。何が真実で何が虚偽なのか、複雑な心情を抱いているアシュリーの信頼できない手記を介して、アメリカ独立という美名に隠されたおぞましい一面を、謎解きと共に浮かび上がらせる。繊細にしてダイナミックな物語である。


No.378 4点 サファイアの春
ジルベール・シヌエ
(2024/02/04 18:26登録)
一四八七年のトレド。キリスト教異端審問所の最高議会で、隠れユダヤ教徒アベンが有罪の判決を受け火刑になった。数日後、ユダヤ教徒サムエル、イスラム教徒イブン、キリスト教徒バルガスの三人に、アベンからの暗号が届く。「神のメッセージ」が隠された秘宝の隠し場所を示していた。暗号を解読しつつ、動乱のイベリヤ半島を旅する三人を、異端審問長官の執拗な追跡が続く。現代でも中世そのままのトレド、イスラムの砦としてキリスト教とせめぎ合うグラナダ等、スペイン独特の風土を背景に、世界三大宗教の聖典、史実が溢れた謎解きは楽しい。だが、神の遺した究極のものを探すという話の結末は、どうしても尻つぼみになりがち。さらに歴史ものには欲しい重層した人物描写の重みや葛藤が希薄で物足りず、懐かしい宝探し冒険譚に終わっている。


No.377 8点 この本を盗む者は
深緑野分
(2024/01/15 17:21登録)
舞台は「書物の街」として全国的に知られる街。そのアイコンとして位置づけられているのが、地下二階から地上二階まで厖大な稀覯本がぎっしりと詰まった書庫・御倉館だ。ある日、管理人一家の娘・深冬が御倉館に足を踏み入れると、眠っている叔母の手に紙の御札らしきものが握られていることに気付く。「この本を盗む者は、魔術的現実主義の旗に追われる」。実は御倉館の全ての本には呪いがかけられており、どれか一冊でも盗まれると、街全体がそれぞれの物語の世界に変貌してしまうのだという。盗まれた本を取り戻さない限り、街は元に戻らない。かくして深冬は、呪いの発動と同時に現れた不思議な犬少女・真白をバディに、様々な物語世界を冒険しつつ、事件解決へ奔走することになるのだ。真珠の雨が降る冒頭のマジックリアリズム的な世界に始まり、ハードボイルドからスチームパンク、そして「奇妙な味」と呼ばれる世界へ。発動した物語のジャンルごとに目まぐるしく鮮やかに変わっていく街の景色は、そのまま読者の悦びに満ち満ちている。加えて、やさぐれた探偵と素直でもふもふの相棒というコンビの妙にもニヤニヤが止まらない。深冬は曾祖父の代から蒐集家として名を馳せる御倉の家に生まれついたものの当人は本が嫌い。彼女が血の呪いによるトラウマから解き放たれ、自分自身の内側の感情と向き合っていく過程も、この物語の核となっている。他にも、盗難被害に頭を抱える書店のシビアな現状など、本と人との生活をめぐる現実的な問題もあちこちに織り込まれている。その複雑な陰影が、荒唐無稽なファンタジー世界に確かなリアリティーを与えている。


No.376 5点 氷の致死量
櫛木理宇
(2024/01/15 17:21登録)
聖ヨアキム学院中等部に赴任した英語教師の鹿原十和子。彼女は着任早々、十四年前に学内で殺された戸川更紗という教師との類似を指摘される。十和子はその後、更紗とのもう一つの共通点の存在を疑う。彼女も自分と同じくアセクシャル、つまり無性愛者だったのではないかと。十和子は、学校でも家庭内でも問題を抱えつつ、未解決の更紗の死に関心を深める。本書は、そんな十和子の描写に並行させて、殺人鬼の八木沼の行動を読者に克明に示していく。十和子にのしかかる心理的圧迫と、八木沼による醜怪な猟奇殺人の連続が合流する刺激は強制無比。様々な家族像を示し、さらに終盤で十和子に対する犯人の意外な言動を示すことで、善悪や正常異常の判断基準を読者に問う。


No.375 7点 あやかし草紙 三島屋変調百物語伍之続
宮部みゆき
(2023/12/24 14:02登録)
忌まわしい神を呼び込んでしまい家族が不幸に見舞われる「開けずの間」、亡者を起こす声を持つ女性が姫君に仕える「だんまり姫」、面を監視するという奇妙なお役目の「面の家」、百両で写本を請け負った浪人の数奇な運命が語られる表題作、三島屋の長男が子供の頃に出会った不思議な猫の話「金目の猫」の5編。宮部みゆきの怪談の真骨頂は、恐怖より悲しみが前面に出てくるという点にある。なぜ途中で引き返さなかったのか。なぜ間違いに気付けなかったのか。彼らの弱さや狡さ。誰でも心の持って行き場を間違えることはある。怪異そのものより、人の後悔を描き出すので宮部みゆきの怪談は、悲しく優しいのである。だがそれだけではない。自分の弱さや狡さが起こした出来事ならなおさら、人には話せない。けれど三島屋の百物語は聞いたら聞き捨て、その場限りで外に漏らすことはない。誰にも言えず心にわだかまっていた出来事を、おちかに聞いてもらうことで、客はその重石を下す。つまりカウンセリングなのだ。


No.374 5点 償いは、今
アラフェア・バーク
(2023/12/24 14:02登録)
ニューヨークで三人の男女が射殺され、事件現場近くにいたジャックという男が逮捕された。被害者のうち一人は、三年前にジャックの妻を殺した犯人の父親であり、動機は濃厚だ。そのジャックの弁護を、彼の元婚約者だったオリヴィアが引き受ける。オリヴィアはジャックのことを知っているという自信から、彼の無実を信じて事件の調査を進めてゆくが、ジャックの亡き兄の相棒だった刑事からは、ジャックにはダークな一面があったと忠告される。後半は、ジャックに有利な状況になったかと思うと、いきなり形勢が逆転するというシーソーゲームが繰り返される。同時にジャックは無実なのか、それともやはり真犯人なのかと同情と不信の両極端に振り回される。いくつものどんでん返しの果てに着地する真相は納得度が高い。


No.373 7点 邪魔
奥田英朗
(2023/12/08 18:14登録)
高校生の渡辺裕輔、主婦の及川恭子、刑事の九野薫の三人が主人公。高校生は親父狩りがきっかけで暴力団に目を付けられ、足を洗いたくても身動きが取れなくなっている。主婦は夫が火事で火傷を負ってから、今の生活が不確かなものに思え、スーパーで働くものの、周囲とうまく溶け込めないでいる。刑事は、同僚刑事の身辺調査に駆り出され、意に沿わない捜査を強いられている。未来を失った彼らのヒリヒリする日々を、これでもかと追い詰め圧倒的な迫力で迫ってくる。高校生の渡辺が、なぜそんな無軌道なことをしているのか。主婦の及川が、スーパーの労働条件の改善に取り組む運動に最初は距離を置きながら徐々に接近していくのはなぜか。刑事の九野が同僚との間に確執が生じるのはなぜか。そういう一つずつのドラマを、それぞれの性格設定を掘り下げることで、緊密に描いている。作者がこの緊迫感あふれるサスペンスで語りかけてくるのは、私たちの生活は不変なものではなく、いつでも変わり得る、ほんの小さなことをきっかけにして、思いもかけない窮地に立たされることがあるということだ。日常生活のその落とし穴と、そういう局面に立たされた時の人間の強さ弱さを、鮮やかな筆致で描いている。


No.372 6点 逆ソクラテス
伊坂幸太郎
(2023/12/08 18:14登録)
表題作は、小学六年生の「僕」が転校性の安斎君の呼びかけに応え、担任の久留米先生をやっつける作戦を繰り広げる。草壁君本人を含む即席チームに共有されているのは、この計画は久留米先生が自身の先入観を疑うことなく教職を続けていった場合、害されることになる未来の後輩たちを救うために立案されている。ここで繰り出すロジックをまとめると、加害者の心の杭を打つことで未来の被害者を減らす。第二編以降も小学生を主人公に据え、先入観をひっくり返す物語が、ミステリの律動に乗せて語られていく。誰しもが加害者に成り得るならば、排除の論理を振りかざせば自分もいつか排除されてしまう。最終話では更なるロジックを展開し、自分が加害側へと傾かないよう、他者の監視を受け入れることが重要なのだと。加害の可能性を意識しながら日常を過ごすことは、萎縮であり不自由だと感じるかもしれない。だがそれは熟慮であり優しさなのだと本書は教えてくれる。名探偵ならざる市井の人々が、学校絡みの事件に立ち向かう過程で見出す、未来をよりよくするための冴えたロジックの数々を堪能できる。


No.371 6点 刑事の血筋
三羽省吾
(2023/11/22 18:17登録)
舞台となるのは瀬戸内海にほど近い、人口三十数万の地方都市・津之神市。この街の所轄署で強行盗犯係の刑事として働く高岡守は、清廉潔白とは言い難いタイプの警官だが、同業だった父の背中を見て育ったが故に、熱い信念も抱いていた。そんな守が何よりも忌避しているのは、親方日の丸で安穏としている警察官で、他でもない兄・剣をその典型だと見ていた。守と異なり、幼い頃から成績優秀だった剣は、弁護士化検察官を目指していたが、卒業半年前に方向転換し国家公務員Ⅰ種を受け見事合格。現在は警察庁刑事局刑事企画課に所属していたが、異例ともいえる異動で地元へ戻ってきたことから物語は動き出していく。公務執行妨害で逮捕したものの不起訴となり釈放した男が、死体となって発見された殺人事件の捜査に奔走する守。銃火器や薬物の検挙率と押収量が異常に優秀で経理面も「真っ白すぎる」県警を内偵する表の任務のほかに、秘密裏に抱く目的を果たすべく調査を始める剣。直情的なノンキャリア巡査部長の弟と冷静沈着なキャリア警視の兄は、同じ街に暮らしながらも、ぎこちない関係が続く。嫌いというほど幼くはないし、憎み合っているわけでもない。干渉しあうこともなく育った兄弟に距離が出来た理由な何なのか。その鍵となるのは、十五年前に殉職した父・敬一郎にまつわる黒い噂と、守と剣それぞれに異なる「刑事の父」への思いだった。県内全域を牛耳る指定暴力団との癒着、捜査の過程で浮かび上がった彼らの新しい資金源などを絡ませ、事件発生から解決までを一気呵成に読ませる。守と剣か十段な同僚・久隅との「迷相棒」ぶり、剣の部下で男勝りなバイリンガル小野谷の屈託。「面倒臭い」兄弟を見守る二人の母親・春江や、それぞれの妻や子供たちとの何気ない会話。守や剣と同じく刑事の息子として生まれた作者の覚悟を感じる一作。


No.370 5点 砂漠の薔薇
新堂冬樹
(2023/11/22 18:17登録)
本書は東京文京区で起こった実在の女児殺害事件を彷彿させる内容が盛り込まれている。といってもノンフィクション手法を使っているわけではない。事件はあくまでもモチーフであり、人物造形や舞台設定、ストーリー運びなどは純然たる創造の産物だ。でありながら、現実に事件を引き起こした女性の内面、心の闇に触れたような気にさせる。ひいては、人なら誰しも抱えているであろう犯罪者になる可能性、マイナス性向まで抉り出している。主人公のぶ子は娘を名門幼稚園にどうしても入れたい。いわゆるお受験戦争真っ只中にいるのだ。夫はごく平凡なサラリーマンだが、受験情報を得るため裕福な主婦グループと付き合っている。地味ゆえに場違いな雰囲気を醸し出すのぶ子はグループ内で蔑まれる。それでも戦争から撤退しないのは、弁護士を夫に持つ幼馴染の十和子を見返したいからだ。彼女はのぶ子と対照的に子供のころから華やかで、今もグループのリーダーとして輝いている。のぶ子が十和子の娘を殺害するまでの道のりが物語の基本ラインである。途中、グループの一員である別の主婦を陥れるため策を練ったり、幼女殺害後に老練な刑事と心理戦を繰り広げたりと、ストーリー展開はエンタメ色が強い。同時にドストエフスキー的な香りともいえる深みが感じられる。作者は犯罪を通し、なぜ人は人を差別し蔑んでしまうのかという永遠の問いに答えようとしている。


No.369 7点 スワロウテイルの消失点
川瀬七緒
(2023/11/01 18:10登録)
東京都杉並区の住宅地の一軒家から、独居老人の腐乱死体が発見された。解剖の結果、他殺であることが判明。事件現場の様子から、侵入盗が帰宅した老人と出くわした末に起きた単純な事件と思われた。だが解剖室では異様な事態が起きていた。解剖が進むうち、立ち会った者たちに発疹が起こり、やがてそれは猛烈な痒みへと移行していった。一体原因は。やがて空き巣の常習犯が逮捕された。被害者宅に盗みに入ったことは自供したが、殺害には頑強に否定する。事件現場にはもう一人の人物がいた証拠が残されていた。共犯か、空き巣と関係のない人物なのか。警察庁捜査一課の岩楯は謎の人物を追い、法医昆虫学者の赤堀涼子は、発疹の原因となった、ある昆虫の痕跡をたどっていく。法医昆虫学とは、遺体にたかる昆虫の成育状況などから死因や死亡時期を割り出す学問である。そのため蛆が湧いた腐乱死体が毎回のように登場する。虫嫌いやグロテスクな描写が苦手な人には、本書の魅力が十分に伝わらないかもしれない。無茶な行動も厭わない赤堀。そんな彼女の行動にハラハラしながらも、地道な方法で捜査を進めていく岩楯。衝突しつつも、互いに最大の理解者である二人の事件への異なったアプローチがある一点で結びつく。その意外性が最大の魅力。さらに岩楯とコンビを組む個性的な若手刑事の成長や、赤堀とある少年との交流など、主筋と巧みに絡み合う脇筋の物語も読みどころ。猪突猛進に見えて深謀遠慮、単なる学者バカではない複雑な赤堀のキャラクターが魅力的。


No.368 6点 殺人鬼がもう一人
若竹七海
(2023/11/01 18:10登録)
辛夷ヶ丘は都心から遠く離れたベッドタウン。ゴーストタウンのような住宅街、荒れ放題の市民公園といった寂れ切った光景の、まるで良いところのない見捨てられた土地として眼前に現れる。第一話「ゴブリンシャークの目」は、二十年間平穏だった町で突如、放火、空き巣、盗難に痴漢と事件が立て続けて発生する最中、金持の老女が路上強盗に遭うことから始まる。多忙な刑事課の割を食ってかり出された生活安全課の砂井三琴が捜査を進めるうちに連れ、住民の鬱屈した心理が次々と露になっていく。真相が明らかになった後に残る黒々とした余韻を味わえる。第二話以降、町を二分する泥沼の選挙戦、警官同士の結婚式で起こる騒ぎ、町の裏側を知る清掃業者の異常な日常、遺産相続でもめる葬儀会場、二十年前の悪夢が甦る最終話と進む中で描かれる人間模様が読みどころである。機能不全を起こした地方都市にあって、そこで暮らす人々も町の呪いにかかったように人格を破綻させていく。そんな黒い笑いを密かに楽しみながら、ふと我が身を振り返らずにはおれない辛辣さが怖い。


No.367 7点 罪の轍
奥田英朗
(2023/10/15 18:11登録)
物覚えが悪く、仲間から馬鹿にされていた漁師手伝いの宇野寛治。ある犯罪に手を染めた彼は、警察から逃れるべく、東京へと向かった。その後、東京は南千住で強盗殺人事件が発生。大学出の若手刑事の落合昌夫も捜査に駆り出される。寛治と昌夫という若者の視点を軸にしながら、徐々に昌夫の視点にシフトし、警察小説の色が濃くなっていく。それに同期して事件も進展し、ついには全国的な大事件になる。大きく変化する時代の中で事件が深みを増す展開がまず素晴らしい。さらに、事件も捜査も報道も変化する一九六三年の刑事たちの執念を、丹念かつ圧倒的な迫力で描いている。同時に犯人の幼少期の出来事を語り、犯人と罪との関係について読者に考えさせる。誰を憎めばいいのか、誰に憎む資格があるのか。昭和を描いた小説だが、その問いはまさに現代の我々に突きつけられている。問いは重い。だが、清濁併せ吞むように成長する昌夫や所轄の名刑事をはじめとする存在感たっぷりの人物たちが活躍し、一気に結末まで読ませてくれる。


No.366 7点 星詠師の記憶
阿津川辰海
(2023/10/15 18:11登録)
星詠師と呼ばれる特殊能力者が紫水晶を持って寝ると、そこに未来の映像が記録されるという超自然現象を前提としている。最も強い能力を持つ星詠師の石神赤司が怪死し、紫水晶には赤司が息子の真維那に殺害される一部始終の映像が残されていた。真維那の無実を信じる弟子の依頼により、休職中の警視庁刑事・獅堂が調査に乗り出した。予知映像という形ではっきり証拠が残されている事件で、容疑者の無実をいかに証明するかという難題を軸に展開される物語。数多い特殊ルール本格の中で本書が際立っているのは、超自然的な要素を現実社会と接続させて見せる手続きの部分だ。紫水晶に映った未来予測をデジタルデータとして読み取る技術が開発されたり、映像の特定に顔認証や虹彩認証が用いられるなど、戦国時代の伝説にまで遡る超自然現象が現代のテクノロジーによって検証される記述には不思議なリアリティが感じられる。またそうした手続き自体が、事件の手掛かりが本物か偽物かを検討する上で重要なプロセスとなっている。

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