(2024/07/22 18:15登録)
「伊藤が消えた」は、将来に希望を見出すことが出来ずにいる若者たちの姿を描いた物語で、家賃を分担していた家から引っ越した青年が行方不明になることから話が始まる。退廃的な空気が張り詰めたものへと変化していく展開が読みどころで、描写によって細部の質感を際立たせる技巧が功を奏している。どことなくアジア風でありながら完全に無国籍な舞台の物語「饑奇譚」は最も作者らしい一編で、現実には存在しないはずだが確かな感触を備えた世界が見事に描き出される。決断の物語であり、作者は登場人物たちに実人生と同じような試練を与え、この物語の主人公にも重要な選択を迫られる。日本推理作家協会の二〇一九年刊アンソロジーに収録された「見張り塔」も同じ構造で、崇高な任務に就いている信じて疑わなかった主人公は、ある時自分がしてきたことの意味を問い直さなければならなくなる。彼らの置かれた状況は、正しさの根拠がどこにも見つけられない現代の暗喩だ。「新しい音楽、海賊ラジオ」の舞台は陸地の多くが水没した近未来であり、ここではないどこかで奏でられている未知の音楽を求め、少年が旅をする物語である。世界の広大さが印象的な一編で、開放された場所に読者を連れ出して物語は終わる。人生のほろ苦さが読後に残る七編からなる短編集。
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