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ミステリの祭典

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小原庄助さんの登録情報
平均点:6.64点 書評数:267件

プロフィール| 書評

No.147 6点 悪玉伝
朝井まかて
(2018/11/12 13:55登録)
大阪の豪商辰巳屋の相続争いを寺社奉行時代の大岡越前が裁いたといわれる「辰巳屋一件」。
このような民間の騒動が、なぜ幕閣を揺るがす大疑獄事件へと発展したのか。作者は辰巳屋乗っ取りの犯人とされた人物を主人公にして、権力の欺瞞を鋭く突いた、権力に抗する男の物語である。
風流と学問が好きで、商売には興味が無い木津屋吉兵衛。だが辰巳屋の主人である兄が死ぬと、成り行きで店を引き受けることになる。ところが辰巳屋の裏には、徳川8代将軍吉宗までつながる、思惑がうごめいていた。
それに巻き込まれ、いわれなき罪を押しつけられようとした吉兵衛の見せる反骨心が痛快だ。庶民の意地を貫き通した主人公に、胸が熱くなるのである。


No.146 6点 ヤミの乱破
細野不二彦
(2018/11/12 13:55登録)
漫画でもミステリ要素が強ければOKみたいなので・・・。

私たちが普段「確かなもの」だとして見聞きする情報の中で、本当に100%確かなものは、どのくらい存在するのだろう。情報が捏造、隠蔽されていた場合、どう真実を見極めればいいのか。この作品は「隠された真実」を題材にしている。
戦後の連合国軍総司令部(GHQ)占領下の日本を舞台にしたスパイものである。表向きはカストリ雑誌の編集者だが、吉田茂のスパイという裏の顔を持つ猿田はある日偶然、大陸から引き揚げてきた一人の男と再会を果たす。彼の名は桐三五。スパイ養成機関、陸軍中野学校の後輩だった。
敗戦で茫然自失としていた三五は猿田の家に居候生活を始めるが、ある出来事を機にスパイ活動を再開し、やがて国家間の壮大な”見えざる戦争”や機密文書の争奪戦に巻き込まれていく。
実在した政治家の名が飛び交い闇市、売春宿といった戦後日本の暗部が生々しく描かれるのがこの作品の魅力だ。
坂口安吾の「堕落論」の一節も作中で効果的に使われ、戦後の混乱期を生き抜く力強さと、生きていく上での悲しみの両面が伝わってくる。

※漫画ですのでご注意を


No.145 7点 リンカーンとさまよえる霊魂たち
ジョージ・ソーンダーズ
(2018/11/07 14:26登録)
待ち望んだ”初夜”当日に命を落としたハンス・ヴォルマン。ゲイの恋人にふられて自殺したロジャー・ベヴィンズ3世。2人がいるのは、この世に執着を抱く死者たちがとどまっている、あの世との中間地帯だ。そこに、リンカーン大統領の幼い息子ウィリーの遺体が運ばれてきて・・・。そんなシチュエーションから物語の幕を開ける。
深夜、遺体が安置されている納骨所を訪れ、愛息の亡骸を抱きしめるリンカーン。その感動的な出来事を目の当たりにしてざわつく大勢の死者たち。ヴォルマンとベヴィンズもまた衝撃を受け、父子の関係に介入しようと試みる。
ポリフォニック(多声的)に響き渡る、死者たちの声。虚実取り混ぜた文献の抜粋を挿入しながら、人間リンカーンに迫っていく構成。そうした文献や黒人の死者の声を通して提示される、南北戦争という内戦がアメリカにもたらした功罪。
死者の物語なのに笑ってしまう箇所が多く、ラスト間際では、ウィリーを彼岸に旅立たせるために奔走する、霊魂たちの奮闘に胸が熱くなること必定だ。死者一人一人の面影が心に残る、異色にして出色のゴーストストーリーなのである。


No.144 7点 ダスト18
手塚治虫
(2018/10/26 09:47登録)
漫画でもミステリ要素が強ければOKみたいなので・・・。

「この作品がこんな形で本になるとは」と出版されること自体が驚きになってしまう”怪作”というものがある。中でも、この作品は極め付きの1作といえるだろう。なにしろこれまでこのタイトルでは一度も単行本化されていなかったのだ。
連載作品を単行本化する際に、自作にしばしば大きく手を入れることで知られる手塚。当初の構想を果たせないまま不本意に終了となった本作は、設定やストーリーの骨子までも大きく改変、再編成され、さらには新しいエピソードが描き下ろされ、なんと「ダスト8」という別タイトルで単行本化された。
今回出版されたのは、オリジナル原稿と掲載誌「週刊少年サンデー」からのスキャン画像などとを組み合わせ、初出時のままの構成に戻してある。
飛行機事故で本来は死んでしまうはずだったが、「生命の石」の不思議な力で生き延びた18人の男女を、同じ飛行機事故に巻き込まれた少女と少年の体を借りた「キキモラ」なる存在が行方を追う。一方は彼らから石を奪い死なせるため、一方は彼らの命を守るために。
生命の意味を問うという手塚お得意のテーマを、不可思議な設定のもとで描いたストーリーは魅力的で、どうして大幅に手を入れ「ダスト8」としたのか疑問に思えてしまう。「ダスト18」とはメインキャラクターの関係性がガラリと変えられており、どちらが好みか読み比べてみるのも楽しいだろう。

※漫画ですのでご注意を


No.143 7点 黄金時代
ミハル・アイヴァス
(2018/10/26 09:47登録)
とある小さな島に滞在したことがある「私」が、友人に促されて島で見聞したことを書き記すことになる。流れ落ちる滝の中に作られ、水の壁によって仕切られた部屋で生活する人々。際限なく変容し続ける名前。匂い時計によって知らされる時間。島に1冊しか存在せず、島民たちの手によって加筆変更されながら回覧される書物。
深い知性と博覧強記と詩心に支えられた、全58章からなるこの小説の魅力は底知れない。マルコ・ポーロ「東方見聞録」に材をとったカルヴィーノの「見えない都市」に並び称されるべき異文明遭遇小説の逸品。


No.142 8点 七人のイヴⅠ
ニール・スティーヴンスン
(2018/10/08 09:34登録)
地球滅亡の危機が迫っていると知ったら、人類はどんな行動をとるのか。
この作品では、突然、月が七つに分裂したところから物語が始まる。科学者たちは、衝突を繰り返したかけら同士が、無数の隕石となって2年後に降り注ぎ、地球全体が灼熱地獄になると予測。「ハード・レイン」と名付けられたその現象は、数千年も続くという。
各国の政治・宗教指導者は、ごく少数の人間を選んで宇宙に送り出し、国際宇宙ステーションを拠点に人類の種を保つ「クラウド・アーク」計画を立案。取り残される人々が自暴自棄にならないよう、彼らの精子や卵子を凍結保存し、デジタルデータ化した写真や記録とともに送り出すことと併せて全世界に発表する。
地球滅亡に際して、「宇宙の箱舟」を送り出すという物語は繰り返し描かれてきた。本書の特徴は、宇宙船の建設化学など技術面の緻密な描写はもちろん、「公平」を装いながら進む選抜を巡る各国の駆け引きや、破滅が迫る中でのメディア戦略など政治、経済から文化や宗教を巡る問題まで多角的な視点を盛り込んでいることだろう。
本書は3分冊の1冊目。まだ「ハード・レイン」は始まっておらず、破滅が迫る中でも、社会の秩序は保たれている。そこには、科学者には無意味としか思えない宗教儀礼や、宇宙で生まれるはずの「子孫」への情緒的期待がはたらいていた。
知識や資産を惜しみなく提供する者がいる一方、この期に及んでも既得権や国家意識に固執する人々も多く、計画は一筋縄ではいかない。
現代の政治や社会を考える上で示唆に富む描写も多く、前米大統領のオバマや、マイクロソフト創業者のビル・ゲイツが絶賛したのもうなずける。


No.141 6点 退魔士
矢野隆
(2018/10/08 09:34登録)
人間を苦しめる魔性のものを封じる退魔士が活躍する痛快アクション小説。
退魔士の葛城は、組織をたばねる法蓮から、父とも慕うすご腕の不動が寺宝を盗んで失踪したと聞かされ、探索のため奈良へ向かう。
動き出して襲いかかる奈良の大仏に、葛城がすさまじい身体能力で対抗するなど、奇想天外な活劇が連続するので息つくひまもないはずだ。ハリウッド大作へのオマージュも多いので、映画ファンなら元ネタを探しながら読むのも一興である。
不動は弟子の葛城に、同族を平然と殺す人間に魔性のものから守る価値があるのかと問い、仲間にしようとする。だが不動がつくろうとする理想の社会に、強者の傲慢さを感じた葛城は申し出を拒否する。強者が正義という戦国のルールが、現代の風潮と重なるだけに葛城が弱者のために戦う姿が、より痛快に思えるのではないだろうか。


No.140 7点 偽弾の墓 警視庁53教場
吉川英梨
(2018/09/27 09:45登録)
警察学校を舞台にした「警視庁53教場」に続くシリーズ第2弾である。
教官の五味京介が受け持つクラス「53教場」にはそれぞれの事情を抱えた個性豊かな学生が集まってくる。「53教場40名、全員卒業」を目標に掲げるが、ある殺人事件の容疑者として学生が浮上し、五味は学生を守るべく真相に迫る。
警察学校を舞台にした作品というと長岡弘樹の「教場」を思い出す人も多いだろう。長岡はアイデアに富む巧緻なプロットに重きを置くが、吉川はそれ以上に人間ドラマに焦点をあてる。ネタがぎっしりつまっているし、ドラマも多彩。
五味は妻に死なれ、その連れ子結衣と暮らしているが、結衣の父親が五味の同期の高杉哲也あり、その事実を高杉も結衣も知らない。いくら何でも作りすぎだろうと思うが、事件の進展と並行させていて、ラストは号泣ものの劇的場面を迎える。
伏線の回収も見事で謎解きもいいし、性格造形も優れていてドラマ構築も秀逸。実にエモーショナルな出色の警察小説のシリーズである。


No.139 7点 どぜう屋助七
河治和香
(2018/09/27 09:45登録)
幕末の駒形どぜうを舞台に、江戸っ子の心意気を描いている。作中においしそうな料理が満載で、それも読みどころになっている。
剣は桃井道場で目録を授かった腕前、趣味は粋な新内流しだが、店は妹のヒナにまかせっきりの元七(三代目助七)を狂言回しにして、物語は進んでいく。
元七の周囲では、火薬の爆発で家をなくした農家の娘の伊代が、駒形どぜうで慣れない仕事を始めたり、自殺した女性従業員の幽霊が店に現れたりと次々と事件が起こるので、市井もののあらゆる要素が楽しめるだろう。黒船来航、安政大地震、コレラの大流行などが相次ぐ激動の時代を、元七たちが持ち前の明るさで乗り切る展開も痛快だ。特に、大地震で店を失いながら被災者のために立ち上がる元七の活躍は、東日本大震災の支援の輪を思わせるものあがあり、日本人の人情がいつの時代も変わらないことがよく分かり胸が熱くなる。
開いたドジョウを卵でとじる柳川鍋が流行すると、元七も興味を持つが、店の伝統を理由に先代が反対する。この矛盾を克服し元七が新メニューを考案する場面は、伝統と革新はどんな関係にあるべきかを問いかけているので考えさせられる。


No.138 7点 十三の物語
スティーヴン・ミルハウザー
(2018/09/17 09:13登録)
アニメ「トムとジェリー」を、思索的な写実小説に仕立て直した「猫と鼠」。この、追う者追われる者の愛憎こもごもの関係を緻密なタッチで描いた1編から幕を開ける短編集。
ミルハウザーの愛読者ならご存知のとおり、儚い存在への愛着、異端の天才の狂おしい情熱、過剰な想像力が生み出す奇想が、この作家の十八番。本書はその粋が堪能できる一冊になっている。
密室状態の自宅から忽然と姿を消した女性の一件から、”黙殺”という暴力へと思いを至らせる「イレーン・コールマンの失踪」。闇の中から出てこない少女と、彼女によって昏い夢をかき立てられる少年の物語「屋根裏部屋」。不可視のミニチュアを完成させる細密細工師の話「ハラド四世の治世に」。<天の床を貫いた>塔の来歴と、今度は地下へと向かうことになる人類の飽くなき欲望を描いた「塔」。女性のファッションの究極の変遷をつづった「流行の変化」。動く絵を発明した不遇の天才の生涯「映画の先駆者」。
など、「オープニング漫画」「消滅芸」「ありえない建築」「異端の歴史」と、四つのパートに分けて収録されている13編は、「マーティン・ドレスラーの夢」「ある夢想者の肖像」といった長編群と共通するテーマを備え、それらの長さにひけを取らない読みごたえを備えている。ミルハウザー入門書としても熱烈推薦できる短編集だ。


No.137 5点 にゃん!鈴江藩江戸屋敷見聞帳
あさのあつこ
(2018/09/17 09:13登録)
不思議なものを見る力を持った、呉服屋の娘のお糸は、鈴江藩3万石の江戸屋敷に奉公した。しかし正室の珠子は、人間に化けた猫である。このことに気づいたお糸だが、珠子とその娘を愛らしく思い、楽しく働くようになった。だが藩には、お家騒動が起ころうとしている。その裏には、鈴江の地を狙う、妖狐の姿が見え隠れする。かくしてお糸は、珠子たちのために奮闘するのだった。
猫の化身や妖狐が出てくるが、怖いところはどこにもない。元気いっぱいな女性陣が、藩の危機に立ち向かう様が、愉快痛快なのだ。そしてお糸は、珠子たちに囲まれ、とらわれていた時代のかせから解放される。
また、海外から戻ってきた珠子の父親と話しているうちに、お糸が覚えた英語をきれいに発音する場面など、大いに笑った。時代小説としては、かなり羽目を外しているが、突っ込むのはやぼだろう。ただただ、楽しめばいいのである。


No.136 7点 いま見てはいけない
ダフネ・デュ・モーリア
(2018/09/07 09:06登録)
「レベッカ」「鳥」などのサスペンス映画の原作でも有名な作者で本書は長めの短編集。
幼い娘を亡くした夫婦がベネチアで、霊感の強い女性とその双子の妹に出会い、奇妙な出来事に遭遇する「いま見てはいけない」。クレタ島の海辺に絵を描きにやってきた男が、2週間前に溺死した男をめぐる事故の真相を推理していく「真夜中になる前に」。どちらも不穏な雰囲気の中で、主人公が悪夢のような体験をし、じわじわと身にしみるような恐怖が特徴。恐れと驚きの色を浮かべ、娘を凝視して死んでいった父親のやり残したことを、やり遂げようとする娘の体験をつづった「ボーダーライン」。エルサレムを訪れた英国人観光客のドタバタを描いた「十字架の道」。これら2編は作者らしい皮肉とユーモアを交えた視点で描かれている。その他、1編。
映画とは違う、デュ・モーリアの魅力がたっぷり詰まっている。


No.135 7点 星を創る者たち
谷甲州
(2018/09/07 09:06登録)
人類が太陽系諸惑星に進出した未来を舞台にした連作短編集で、第1作から25年を経ての完結となった。
人類の異惑星進出後には、当然ながら環境条件の異なる星での施設建設や保守点検といったメンテナンス業務が、日常的に発生することになる。またそれが事業であり業務である以上、そこにはコスト面の課題や書類の手続き、施主のわがままや、現場と設計者の意見対立などの諸問題も発生する。場合によっては官僚や研究者の関与も。
月の地下交通トンネルの落盤事故、火星の与圧ドームでの火災、あるいは水星の射出軌条や木星の工事で発生する”事件”。
それらに挑む宇宙土木技術者たちの、壮大にしてほほ笑ましく、荒唐無稽でありながら、とてもリアルで煩雑な挑戦の日々。特に「太陽」に取り組む最終話は、これまで登場した技術者たちが一堂に会して、太陽系の創造に関わるような難題に挑んで圧巻だ。


No.134 7点 インターンズ・ハンドブック
シェイン・クーン
(2018/08/28 09:47登録)
ミステリというジャンルを好む方なら、ストレートな直球勝負だけでなく、変化球のような癖の強い物語にも心引かれるのではないだろうか。そんな小説だ。
ジョン・ラーゴは派遣会社のインターン。その正体は、暗殺を請け負う同社の命令のもと、標的のオフィスに潜入する暗殺者だ。だが、25歳のラーゴはインターンを装うにはもう年だ。いよいよ最後の任務として、大手の法律事務所に潜入する。だが、この任務はこれまでとは様子が違っていた・・・。
本書は、ラーゴが後輩の暗殺者たちに向けてつづった文書という体裁を取っている。その語りのスタイルが大きな魅力だ。シニカルなものの見方に支えられた、ブラックユーモアに満ちた文体が印象に残る。ラーゴが映画マニアという味付けも効いていて、随所に出てくる映画ネタが、語りの魅力を膨らませている。
そんな文章で語られるストーリーも強烈だ。裏切りと驚きに満ちた展開の末、予測不能な結末に着地する。個性は強いがカルト的な怪作に振り切っているわけではなく、多くの人が楽しめる物語に仕上がっている。


No.133 7点 プラネタリウムの外側
早瀬耕
(2018/08/28 09:47登録)
人は努力次第で人生を変えることができる。しかしそれでも実際に生きられるのは、たった一つの人生だけだ。
収められた五つの短編は、いずれも「有機素子コンピュータ」を用いた「別の可能性」を描いた作品だ。論理性と叙情性が見事に融合した、独特の世界が展開する。
表題作は、親しい人の死がもたらす喪失感を緩和するために開発された会話プログラムを巡る物語だ。親友を失った研究者南雲は、このプログラムを使ってインターネット上に彼の人格を再現し、話し相手にしていた。「彼」は自分の死を知らされないまま生き続け、南雲にとっても、自分が作った仮想現実であることを忘れるほど、日常的な存在になっている。
ある時、女子学生の依頼で亡くなった恋人を再現してやるが、何度試しても、恋人はほどなく「消失」してしまう。彼女が癒しを得るどころか、恋人の喪失という苦情を繰り返し体験していると知った南雲は、使用をやめさせようとするが・・・。
プログラム内に再現された人格はシュミレーションにすぎず、どんなに心を通わせても、死者がよみがえるわけではない。それでも読了後、喪失感とともに淡い温かさに包まれる。


No.132 7点 雪割草
横溝正史
(2018/08/18 10:27登録)
「我々はいま、有史以来の異常な時局に直面している。この激しい痛烈な時代の真唯中にあって、最も要求されることは女性の強さという事である」
新潟毎日新聞(現新潟日報)に掲載された連載予告に横溝はこう書き記している。「有史以来の異常な時局」とは1941年6月、日米開戦直前のことだ。この時局のせいで探偵小説などの依頼は途切れ、窮地の中で横溝はこの一般小説を書き続けた。長年幻となっていた本作が77年ぶりに世に出たのは、編者である山口直孝氏らの粘り強い探索と研究の結果である。
物語は長野県上諏訪の緒方家の娘として生まれた有為子が婚儀の前夜に突然、破断を告げられるところから始まる。父順三は一方的な婚約破棄に逆上し、脳出血で帰らぬ人に。自分がその実の娘ではないと教わった有為子は、真実の父を知る人物に会いに上京する。
連載が進む過程で、現実世界の日本は米国と開戦し、本格的な戦時へと移行した。その影響が連載時の展開にも影響する。有為子の身に起こる事件はもとより、登場人物の描き方にも修正や変更が加わったことは想像に難くない。
しかし、変わらぬもの、変えられぬものもあった。横溝は予告に「最も要求されることは女性の強さ」と書いた、と最初に引用した。それは当時「男勝り」という形で表現されるような強さだけではない。
有為子は幼なじみの木實、素直で明るい令嬢の美奈子、銀座に店を構える女性経営者の葛野京子らと、生まれや立場を超えて友情を育み、それを生きる強さに変えていく。戦争の進行とともに、軍部や官憲の目に映ずることのない女性たちの互いを励まし団結する強さが、横溝にはまぶしく見えていたのかもしれない。
戦後横溝の本格推理物には戦地から引き揚げ者がしばしば登場する。思えば、それは女性たちとは逆に、この小説に描かれた時代にのみ込まれていった男たちの行く末ではなかったか。


No.131 6点 連続殺人鬼カエル男ふたたび
中山七里
(2018/08/18 10:26登録)
凄惨な殺人手口、子供が書いたような稚拙な犯行声明文、五十音順になされる犯行など異常な「カエル男連続猟奇殺人事件」から10カ月後、事件を担当した精神科医の自宅が爆破され、前作に引き続き埼玉県警の渡瀬と古手川の2人が事件に挑む。
海外ミステリをとことん消化して書いているのが頼もしい。不快で異様な設定、残虐なゲーム性、過激なユーモア、読者の推理をあざ笑うかのような複数のどんでん返し、そして何よりも挑発的なテーマ把握。心神喪失者を罰しない、もしくは心神耗弱者の刑の減軽を規定した刑法39条の是非をめぐるテーマもしかと追及されていて社会派ミステリとしての性格ももつ。
前作はいささかグロテスクな面があったが、今回は一段とエスカレートしていくものの語りは洗練されていて、辛辣さと酷薄さが逆に心地よい。この不埒な味わいも海外ミステリの近年の傾向と通じている。


No.130 6点 傍流の記者
本城雅人
(2018/08/10 07:47登録)
新聞記者たちの気高い活躍を描いている。新聞社の花形警部といわれた社会部だが、いまや政治部によって傍流に追いやられている。優秀な記者ばかりがそろった黄金世代の5人の社会部記者と、そこから外れた人事部の男の物語だ。
6話収録されているが、ミステリとして面白いのは女子大生殺害事件を追求する第1話「敗者の行進」、特命大臣の政治資金を徹底的に洗う第2話「逆転の仮説」、首相の口利き疑惑を探る第5話「人事の風」だろう。5年の支局経験をへて本社に戻ってくる記者たちの配属を決める第4話「選抜の基準」なども意外な展開ぶりで心憎い。
権力ににじりよる政治部に対抗する社会部の奮闘、手柄と出世競争、部下の教育、家族との軋轢などさまざまな事件を通して人間ドラマを深めている。短編連作でありながら長編としての骨格も堂々としており、プロローグとエピローグをはじめ、複数の脇役が丁寧に織られて本筋を支えているからたまらない。巧妙な人間ドラマの旗手、横山秀夫に通じる魅力がある。


No.129 7点 楽園炎上
ロバート・チャールズ・ウィルスン
(2018/08/10 07:47登録)
異質な生命体による静かな侵略を描いたこの作品は、奴隷の幸福か、自由に基づく混迷か・・・。そんな問いが通奏低音のように流れている。
地球を包む「電波層」を利用する通信技術が発達した社会は、平穏に見えるものの、偽装人間がひそかに侵入していた。それに気付いた少数の人々と彼らの戦いが始まる。だが偽装人間は「個」ではなく、集合知性型生物の一部であることが明らかになる。しかも彼らは人間社会を侵略する一方で、人類の好戦性やうたぐり深い性格を緩和し、破滅的な戦争が起こらないように管理もしていたのだ。
それに対して、偽装人間と戦う人々を突き動かしているのは、自説が社会に受け入れられないことへの不満や、異常な存在への嫌悪や恐怖といったものでしかない。集合知性型生物を排除するのは「正しい」選択なのか。そもそも人間は「正しい」存在といえるのか。こうした視点が、古典的な主題に新たな息吹を吹き込んでいる。
侵略というテーマに全体主義や監視社会の恐怖も重なるこの物語は、「みんながひとつ」である生命体の不気味さと共に、人間の狭量さや攻撃性の深さをも浮き彫りにもする。恐ろしいのは「外」からの侵略か、それとも疑心暗鬼に陥りやすい人類か。極上の冒険サスペンスであり、知的興奮も満たしてくれる一冊。


No.128 9点 奥のほそ道
リチャード・フラナガン
(2018/08/02 09:06登録)
この物語は第二次世界大戦中、日本軍がタイと現在のミャンマーを結ぶ泰麺鉄道の建設に際し、多くの捕虜を労働に従事させた史実が基となっている。その過酷な状況を生き延びた著者の父親の体験談を題材にしているだけに、描写はあまりに強烈だ。
しかし、これはあくまでも小説であり、戦争の悲惨さだけを描いたものではない。それは人間の愛と正義の不確かさを追求した物語だ。オーストラリア人軍医の主人公ドリゴは、戦地に赴く前の短い期間に叔父の若き妻エイミーと関係を持つが、このことが彼の生涯を大きく左右する。
こうして、残酷な捕虜体験と一人の男の愛の物語が交錯するなか、なぜタイトルが松尾芭蕉の「奥のほそ道」なのか。
それは、密林の中に建設された鉄路のイメージとつながる一方、捕虜たちを統括する日本軍の指揮官が残忍さと裏腹に俳句を詠む事とも重なる。その不可解極まる二重性は読者を混乱させるが、またこの小説を読み解く鍵ともなる。
そこから見えてくるのは、捕らえる側にも捕らわれる側と同様の苦悩があること。つまり日本軍の側も別の意味で捕虜の身なのだ。
「人は人として、雲は雲として、竹は竹として」自由に生きることを望む。しかしその努力もむなしく、すべては「水泡に帰し」、「帝国の夢と死者の跡には、丈高い草が茂るばかりだった」という描写は、芭蕉が奥州平泉で詠んだ句「夏草や兵どもが夢の跡」を思わせる。ヒーローとして復員したドリゴだが、エイミーの影を引きずるその人生は不誠実なものであった。そんな彼の姿とも重なり合う。
本書の冒頭には、ホロコーストを生き延びた詩人パウル・ツェランの「お母さん、彼らは詩を書くのです」が紹介されている。アウシュビッツ以降も、われわれは詩に救済を求めるしかないのか。それは蛮行を正当化しなければならなかった日本兵だけの問題ではない。結局、人はみな何かの捕虜として人生を歩み続けるしかないようだ。

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