home

ミステリの祭典

login
人並由真さんの登録情報
平均点:6.35点 書評数:2257件

プロフィール| 書評

No.1097 5点 ちか目の人魚
カーター・ブラウン
(2021/02/16 05:00登録)
(ネタバレなし)
「わたし」ことマックス・ロイヤルは、6フィート以上の体躯を誇るハンサムな私立探偵。ゴルフマニアで権威に弱い探偵事務所の所長ポール・クレイマーの下で、働いている。現在のロイヤルの仕事は、若妻ノーリーン・バクスターの依頼で、4日前から行方をくらました彼女の夫ジョーを捜すこと。そんななか、もしやジョーかと思われた殺害された死体が川の中から見つかるが、それはすぐに別人と判明。しかしその死体の素性は、ジョーと同じテレビ局に勤務する技術者ヘンリー(ハンク)・フィッシャーだった。心労のノーリーンのことを案じたロイヤルはバクスター夫妻の自宅に足を向けるが、そこで彼を出迎えたのは、何者が発射した銃弾だった。

 原作は、1961年のコピーライト。
 アル・ウィラー(ウィーラー)、リック・ホルマン、ダニー・ボイド、メイヴィス・セドリッツの<ビッグ4>を筆頭に、日本に紹介されなかったものも含めて、14人ものシリーズキャラクターをかかえていたカーター・ブラウン(英語Wikipedia調べ)。
 だがこのマックス・ロイヤルは本作以外の登場作品が未訳のものの中にもないようで、ついにシリーズキャラクターには昇格しなかったらしい。

 主人公マックス・ロイヤルのキャラクターをおおざっぱに分析すると、目につくポイントは、
①ハンサムで若手の私立探偵である
②口うるさい上司がいる
③その上司の秘書にカワイコちゃんがいて(本書ではクレイマーの秘書で、パットという名の、ボーイフレンドが多い娘が登場)、主人公が絶えずモーションをかけるが、なかなか振り向かない
……などなどだが、①は言うまでもなく先輩キャラのボイドとホルマンがすでにいるし、②と③に関してはアル・ウィラーのおなじみの設定そのまま。
 なおロイヤルには同年代の同僚の調査員トム・ファーリーというのがいて、後半で多少活躍する。こういうポジションのキャラが用意された点は、カーター・ブラウン作品としては新鮮な感じもしたが、これだけではウリにならなかったのだろう。
 要するにテストケース(パイロット編)の本作のみで、お役御免にされてしまった可能性が大きい?
(もし、どなたか「いや、マックス・ロイヤルものはまだあるよ」とご存じの方がいたら、教えてください。)

 お話の方は、物語の前半で登場してくる<とある事物>をめぐって小気味よく進展。マックス・ロイヤルが関わり合うヒロインは多めな気もするが、カーター・ブラウン作品ならこんなものかもしれない。
 後半の方で明らかになる、殺人とは別のとある悪事の実態は、1960年代の初頭にこんなものがネタになったか? まあなったのかもしれないな、という感じであった。
 総体的に、出来は悪くはないが、良くも悪くも地味で手堅い軽ハードボイルド私立探偵小説。
 井上一夫の翻訳が全体的にはマジメな感触なのも、そういう印象を加速させているような気もした。
(マックス・ロイヤルの話し言葉で、自分のことを「あたし」と言わせる演出は良し悪しであった。まあこれは、先輩のボイドやホルマン、あるいはウィラーなどと差別化させたかったのかもしれないが。)

 ちなみにタイトルの意味は、マックス・ロイヤルを自宅の浴室で入浴姿で出迎え、その際に実は<隠れ眼鏡っ娘>だったとバレてしまう作中の某ヒロインのこと。ただしあまりメガネ属性を前に出したヒロイン描写というわけでもないので、よほどの眼鏡っ娘好きでもない限り、そっちの興味で読む必要もないだろう。

 まあまあフツーには楽しめたけれど、カーター・ブラウン諸作の平均値なら、もうちょっとオモシロイよね、ということで評点はこのくらいで。


No.1096 7点 カリブの監視
エド・マクベイン
(2021/02/15 21:16登録)
(ネタバレなし)
 1960年代。ある朝、フロリダ州の珊瑚礁列島の一角、キーラーゴ島からそう遠くない海辺の町「オイチョ・プエルトス」が、武装した一団に占拠される。元海軍軍人ジェイスン(ジェイス)・トレンチをリーダーとする数十人の集団は狂信的な過激派の愛国者集団らしく、町にある8軒の家の住人を脅迫して制圧。何事かの計画を進めるが。

 1965年のアメリカ作品。
 大別してエヴァン・ハンターとエド・マクベインの二つの筆名を主に使い、ほかにいくつかのペンネームで著作していた作者。そんな当人が、この時点まででほぼ「87分署シリーズ」専用だったマクベイン名義で書いた、ほとんど唯一の(ごく初期にもう一冊あるという説もアリ?)ノンシリーズ長編。その意味で稀有な作品である(70年代半ばからマクベインは、当のペンネームを割と出し惜しみなく、87分署以外にも用いるようになるが)。

 評者は、87分署シリーズにハマった少年時代(嫌な子供だね)に、唯一のマクベイン名義のノンシリーズものというこの作品の素性を知り、都内の古書店を歩き回って、絶版・品切れだった本書を入手した記憶がある(ますますイヤな子だね)。
 とはいえ例によって、釣った魚に餌もやらないアレなミステリファンなのでその後、何十年も家の中に放ったらかしにしていた。
 そんな長い歳月のなかで、さほど世評で、これが隠れた幻の名作とか、知られざる佳作、とか、格段、聞こえてこなかったのも、放置する一因だったような気もする(ヒトのせいにするなって? いや、ごもっとも~汗~)。

 そこでまた今回、気が向いてようやくページをめくってみたが……いや、予想以上に面白いじゃないの!
 物語は、何やら不穏な計画を進めるトレンチたち愛国者集団の視点、それに一方的に巻き込まれたオイチョ・プエルトス住人たちの視点、その二つを主体に語られていくが、さらに映画のカットを細かく割るように、ほかの離れた場所での描写も、いくつかの流れで織り込まれる群像ドラマ。当然、トータルの登場人物の総数もかなり多い。

 全体像が見えてこない読者は焦らされるし、ミステリとしては種々の局面のサスペンスに加えて、大きなホワットダニットの興味が湧くのだが、その辺りでの並行するストーリーの捌きぶりは、さすが巨匠マクベイン、ため息が出るほど上手い。特にページ数が残り少なくなるなかで……おっと、ここはナイショにしておこう。
(なんというか、全体的には、のちの80年代に隆盛するジャンル越境ミステリ=ニュー・エンターテインメント分野の、かなり早い先駆という感じもある。)

 特に唖然としたのは、過激派愛国者集団の本当の狙いが明らかになるのと前後して、ようやく読者の前に明かされる<ある人物の過去のとある経緯>で、実はここらへんの筆致が、思ってもいなかったほどに熱いし、重い。
 昭和の国産社会派ミステリ、そのさる系譜に通じる部分があるね(こう書いてもたぶんネタバレにはなってないと思うが……)。
 評者などは、くだんの部分をたぶんかなりの力を込めて書き込んだのであろうマクベインの心境を想像し、それと同時に、物語の前半で読みながらなんとなく感じていたある種の摩擦感というザラザラした気分も引いていった。
 ミステリというか、小説として作品の相貌が、最後の最後で滑らかに変わっていくような、そんな趣が快い。

 21世紀のいま読むと、全体的に力みすぎて、細部の詰め込みすぎな印象もないではないが、60年代当時のアメリカはこういう作品が必要とされて、呼び込まれた時代だったのだとも思う。

 半世紀前の時代と寝たミステリノヴェルという形質も含めて、今後はさらにマイナーな作品として忘れられていくかもしれない一冊だが、力作なのは確か。
 マクベイン=ハンターの代表作のひとつにあげてもいいと思うよ。
(それでも8点でなく7点なのは、まあ……なんか……あったんだろうな……と、察していただければ幸い~笑・汗~)


No.1095 7点 ガラスの檻
コリン・ウィルソン
(2021/02/14 06:40登録)
(ネタバレなし)
 1964年のロンドン。死体を無残に損壊する9件の連続殺人が生じ、そのうち数件の事件関連現場に、18~19世紀の詩人ウィリアム・ブレイクの詩句が書き残されていた。これに着目した部長刑事ランドは、田舎に在住の青年学者で、英国随一のブレイク研究家デイモン・リードを訪問。異常なブレイク愛好家の情報などを求めるが、成果はなかった。そのあと、年上の友人ユリアン・ルイスと、その姪で自分の恋人である美少女サラと会ったリードは、彼自身がロンドンに赴き、学識を活かして事件の捜査をしようと考えを固めた。リードはその事前準備として、村に住む「魔法使い」こと超能力者の老人ジョージ・ビッキンギルに、以前に自分のもとに送られてきたブレイク愛好家の私信を手渡し、この差出人の中に殺人者がいるかと尋ねた。そして老人は、一通の手紙を指し示す。

 1967年の英国作品。
 ……なに、このオカルト要素(超能力者の老人の託宣)をスパイス程度に効かせながら、じわりじわりとテンションを高めていくスターティングの作劇。
 これはもうキングかクーンツか、F・P・ウィルソンじゃないの! という感じで、予期していなかった序盤の面白さに顎が外れた(笑)。

 いやまあ、掴み所のない才人コリン・ウィルソンの浮き名はこれまでいろんなところで聞き及んではいたが、短編はともかく長編を読むのはコレが初めて。
 例によって積ん読の蔵書の山の中から、大昔にどっかで買った本書(帯付きで500円の古書)が出てきたので、どんなだろ~と紐解いてみたら、これが実にオモシロイ。
 インテリの作品だから晦渋な文体かと思いきや、ダイアローグは多用されてるわ、下世話だけど微笑ましいセックスネタは豊富だわ、リーダビリティは最強クラス(中村保男の翻訳も読みやすい)。何よりストーリーをサクサク進めることを惜しまない攻めの作劇が強烈で、これはとんでもない掘り出し物に出会えたか!? とさえ思った(なにしろ本サイトでもAmazonでも、現時点でこの作品のレビューなんか皆無だし)。

 ただまあ、中盤から、通例のミステリの組み立てとしては明らかにオフビートなことをしてくるので、その辺でスナオには褒めにくくなってくる(もちろん詳しくも、具体的にも言えないが)。
 いや、たとえるなら、ナイター観戦していたら、打者がいきなりバッターボックスでアイスホッケーのクラブを構えて、ポカーンとする観客をヨソに、なぜかそのまま真顔でヒット。平然と、三塁まで進んでしまうような展開なので。
 ここで怒る人はかなり多そうだけど、まあ評者は割となんでもありな方なのでOK(笑)。前半の勢いは堅守したまま、ややあらぬ方向に突っ走るマイペースな後半も、これはこれで楽しんだりする。
 ただし評点はさすがに下げるよ。序盤からの面白さに見合った<ミステリとしての後半~全体の完成度>だったら9点は間違いなし、だったけど。8点にかなり近い、でもやっぱ8点まんまはあげられない、ということで7点。
(しかし、これ一作でものを言うのはナンだが、結局、ウィルソンってミステリが好きな割に、実はミステリがわかってないんじゃないか、とも思ったりした。)

 それでも全体としては十分に、読んで良かった、オモシロかった一冊(嬉)。
 そのうちまた、楽しめそうなウィルソン作品をなんか手にとってみよう。


No.1094 6点 怪龍島
香山滋
(2021/02/12 18:55登録)
(ネタバレなし)
 その年の5月。地球上の未知の神秘に憧れる16歳の少年・山田眞理夫は、東京の自然科学博物館で、高名な探検家で学者の川島勇作と出会う。とある根拠をもとに、20世紀の現在も地球のどこかに古生代の恐竜は生きているはずだと自説を語る眞理夫。そんな眞理夫の学識と若い洞察力を評価した川島は、帆船アルバットロス號での洋行に彼を誘った。川島そして17歳のハーフの美少女グリたちとともに、眞理夫はなぜか行く先も教えられぬまま航海を続けるが。

 昭和28年8月に東京の愛文社という版元から刊行された、ジュブナイル秘境恐竜冒険小説。
 1985年の国書刊行会の復刻版で読んだが、実は人見十吉の長編ものと勘違いして以前に購入した(人見ものの該当作品は『恐怖島』だった)。

 本文290ページ弱を70前後の章(章見出し)で分割。それぞれに一応以上の見せ場やお話のポイントが設けられているわけで、さすがにハイテンポな展開で飽きさせない(一部、いろいろとツッコミどころはあるが)。

 評者みたいな怪獣ファンが恐竜小説として楽しもうとすると、肝心の恐竜の出番は、中盤以降はそれなりに多いが、劇中の扱いは微温的でやや拍子抜け。
 こないだ読んだ某英国作家の短編奇譚みたいなゾクゾクする感じで<秘境の中の巨大恐竜>が描かれるのなら良かったが。
 
 中盤以降、主舞台の「怪龍島」に上陸してからは、自然の苦難や悪のピグミー族に襲われるなどの試練が眞理夫たちを襲う。その辺はまあ、秘境冒険ジュブナイルの旧作としてはそれなりに面白いのでは。

 ヒロインのグリが黒髪で小麦色の肌のハーフ、眞理夫よりひとつ年上で、当初はツン系の一面を見せるがすぐに(中略)あたりは、1990年代から現在までの深夜美少女アニメという感じであった。
 さすが香山御大、時代の先読みぶりがお見事(笑)。
 
 某・恐竜小説ファンの研究サイトなどでは、後半の展開など「平凡」と低評価だったけれど、見せ場の多いクラシックジュブナイルとしては、個人的には及第点。決着は部分的にいろんな意味で、この時代だなあ、という雰囲気のところもあるが、まあいいや。
 もちろん差別用語などは全編にあふれているが、旧作なのでそのあたりはどうぞご寛容。
 ところどころで、半ば擬人化的に描かれる、動物キャラたちの活躍は微笑ましい。


No.1093 5点 ブリリアント・アイ
ローレン・D・エスルマン
(2021/02/12 07:20登録)
(ネタバレなし)
 1980年代半ばのデトロイト。「私」こと私立探偵エイモス・ウォーカーは、かつて因縁のあった弁護士アーサー・ルーニーから依頼を受ける。依頼内容は、ルーニーが顧問を務める新聞社「デトロイト・ニュース」のコラムニストで作家のバリー・スタックポールが行方をくらましたため、さる事情から彼を捜索してほしいというものだった。実はバリーはウォーカー当人の戦友であり、ウォーカー自身も友人の身を案じながらその行方を追う。ウォーカーはバリーの住居に残されたメモから、訳ありっぽい3人の名前を認め、一つ一つ調査を進めるが。

 1984年のアメリカ作品。日本ではのべ4冊の長編作品が翻訳された私立探偵エイモス・ウォーカーもののシリーズ第6作で、邦訳としては2冊目。先行して初めて日本に紹介されたウォーカーもので、シリーズ第5作『シュガー・タウン』の姉妹編的な内容になっている。
 
 評者は大昔に『シュガー・タウン』は確か読んでいるハズだが、内容はまったくもって忘却の彼方。しかしその『シュガー・タウン』の主要ゲストキャラが、作家のバリーをはじめとして何人か本作に続投するので(だから姉妹編と書いた)、本当なら前作から読んだ方がいいだろう。
(評者もそっちを再読してから、こっちを読んだ方がヨカッタかもね。)

 それで一読しての感想。
 いわゆるネオ・ハードボイルド世代の作家群のなかで、ジョナサン・ヴェイリンと並んで、最もチャンドラーとマーロウのDNAを受け継いでいるのが、このエスルマン……と、今までは思っていたが、う~ん、残念ながら、本書を読んで個人的には、こちらさんはライバル(?)のヴェイリンに、ココで一馬身、引き離されてしまった感じ。
 
 主題(?)が、主人公の私立探偵とやさぐれた友人との友情の絆、というのはもろチャンドラーぽくていいし、主人公の捜査の道筋にも違和感はないのだが、一方で肝心のエイモス・ウォーカー、今回はいまひとつ、精彩も魅力も感じられない。
 ストーリーは完全に失念しながらも、前作『シュガー・タウン』を読んだ際の<たしかに良い意味で、マーロウの亜硫>的な感触は覚えていたので、今回もそういう意味では期待していたのだが。
 なんというかヴェイリンのハリイ・ストウナーが30代後半のヴィビッドなマーロウ、その80年代版なら、今回のウォーカーは40代後半の枯れてきたソレ、しかして年相応の渋さの方はそれほど感じさせもせず……という印象。

 それに加えてウォーカーの真面目でまっすぐなキャラクター、たとえばポケミス218ページめの関係者とのやりとり(後の方がウォーカー)、こういうのをどう受け止めるべきか。

「きみはまだ青い」彼はいった。「きみの目に映っている世界には白と黒、善と悪があるだけで、そのあいだのものはなにもない」
「そのあいだにはなにもないんですよ、(中略)。それでもあるという者は、すでに何割か黒に染まってるんです。灰色の部分はおとぎ話にすぎない。人がその存在を信じはじめたとき、そのとき、世の中が狂ってしまった」

 こういった種類の物言いを、剛球でカッコイイととるべきか、愚直で青臭いと思うべきか。
(まあこっちはいずれにしろ、そんなセリフに心を揺さぶられて、こういうダイアローグが印象に残ったりするんだけれど。)

 あとこれは、正に読み手のこちらのせいだろうが、前述のとおり、本作では主要人物が何人か前作から続投、特にそのうち2人とウォーカーとの関係性の変遷がたぶんキモになっている。だが前作を忘れて、事実上単品で読んでしまっているので、どうも作者の狙いが見えにくい。そういう意味で、デリケートな長編作品ではある。

 さらにもうひとつ、肝心なこと、この作品のミステリ要素の話題。
 なるべくネタバレにならないように書くけれど、ポケミスの帯には「~私立探偵ウォーカーが発見した恐るべき事実とは?」とある。
 実際、その煽り文句に見合った、いささかショッキングなサプライスが終盤に用意されている……のだが、そんな事件の深層が、そこにいくまでの大筋だったウォーカーの捜査ドラマと、あまり密着感がない。
 悪く言えばとってつけたようなショックかつサプライズで、ちょっとよろしくない。
 
 そんなこんなでトータルとしては、読む前はそれなりに期待を込めたものの、残念ながら……の一冊。
 まあウォーカーものはあと2冊別途に翻訳されているし、そっちはそれぞれ単品でシリーズの流れを気にしないで、読んでもいいハズである(?)。
 それならば、いつかまたそのうち、手にとってみよう。

 最後にもうひとつ、作中で心に残った談話。ウォーカーが調査の最中で出会ったユダヤ人の老婦人グレーテ・カインドナーゲルが、戦時中にナチスの犠牲になった実弟を回顧しながら語る一言。
「いまでは〝ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)〟と呼ばれてるのね。三十年のあいだ名前がなかったのに、いまになってつけられた。そのほうが都合がいいんでしょうけど、でも、それはまちがってる。あんなものに名前をつけてはいけない。芸を教えこむペットと一緒にしちゃいけないのよ。形のない恐怖なんだから。振り返ってよく見てみれば、その正体がわかるわ。でも、世界にはそれだけの余裕がない。大虐殺と呼ぶにはあまりにも大きすぎるものだわ」


No.1092 7点 鉄血作戦を阻止せよ
スティーヴン・L・トンプスン
(2021/02/11 16:37登録)
(ネタバレなし)
 1980年代の半ば。西ドイツ空軍准将で名門出身のフリードリッヒ(フレディ)・フォン・グラバウは、第三帝国の悪行の禊ぎは終わった、もはや東西両陣営の思惑で愛する母国がこれ以上、分断されるのはまっぴらだと思う。フォン・グラバウは、労働階級出身の同士ヘルムート・シェーナー大佐を相棒に、西ドイツ在留のソ連のミサイル基地を占拠。総計7メガトンの核ミサイルを東西両陣営の主要都市に向け、米露英仏の在留軍の24時間以内の撤退を命じる。折しもポツダムの軍事連絡部(奪還チーム)に復帰していたマックス・モス少尉は、露英仏の選抜軍人とともに、クーデター側の布告の真偽を確認に向かうが。

 1986年のアメリカ作品。ただし本作からのマックス・モスもの第三~四弾は、日本の読者向けに新規に執筆。刊行も日本先行なので、ある意味、日本作品といえるかもしれない。
 要はそれだけ当時の日本で大人気だったし、作者も主人公マックス・モスも「奪還チーム」も親しまれていたわけだが、2020年代の現在では本サイトに作家名すら登録されていない。まさに諸行無常はなんとやら。
 
 まあその辺のシリーズの盛衰に関しては、当然ながら本シリーズの大設定を一瞬で破壊した、1989年のベルリンの壁崩壊という現実が背景にある。

 知らない人のために簡単に説明すると「奪還チーム」の大設定は、40年にわたって東ドイツの一角にさる事情から治外法権的な西側陣営の自由な拠点があり、そこを基地にして高速で移動できる車輌チームが、東ドイツの領土内に不時着したパイロットや機密物件を迅速に回収してくるもの。それでその任務をになう主人公が、スーパー・ドライビングテクニックを持つ青年マックス・モスというわけだ。

 時と場合、物語の流れにおいては、当然のごとく、敵陣営などの高速車輛や航空機との追っかけっこ、になり、これに応じて細部にリアリティを宿すためメカニック描写も当時ながらに濃密になる。この辺は要は、大人向けのITC作品(『サンダーバード』や『謎の円盤UFO』ほか)の興趣ともいえる(※)。

 それで評者は、20代の大昔にシリーズ第二作『サムソン奪還指令』まで読了。フツーに面白いと思っていたが、その後、ちょいと油断して三冊目を未読のうちに、現実のドイツがそんな状況になり、さらにミステリも全体的に読む数が減ったため、この3冊めを手にしたのは実にウン十年ぶりとなった。
(少し前に近所のブックオフの100円棚で見つけ、懐かしくなって買ったのだ。)

 今から見れば、現実のベルリンの壁崩壊が実はほんの少し先に迫っていながら、作中のリアルのなかで母国併合の理想に必死になったフォン・グラバウ一派の行動はなんとも切ない。もちろんやっていることは流血クーデターであり、脅迫テロではあるが。

 お話としては、謀略クーデターの対象がほぼ全世界規模。なのでこれをどうやってマックス・モス(と前線の仲間たち)に焦点をあわせて「ポリティカルフィクション・スリラー」<「カーチェイス活劇」に変換するのかと思いきや、中盤で予想以上にわかりやすくストーリーの流れが整理されて、その意味ではやや拍子抜け。

 一方で、大きなプロット上のどんでん返しではなく、細部を書きこんで、シーソーゲーム的な逆転劇の連続で読み手を楽しませようという作者の狙いも明確になるので、これはこれでよろしい。
 最後まで読み終えての感想は……まあ、マックス・モス側はある種のハードボイルドだよね。一方で、本作のもう一方の主人公フォン・グラバウ側は妙にリリカルに描写がまとめられていて、書き手がこの悪役一味にある種の感情移入をしたことがうかがえる。
 実際、訳者・高見浩の解説を読むと、作者は本書の執筆後に、フォン・グラバウ視点での、この事件の顛末を語ったアナザーストーリーを書いたらしい。
(悪党パーカーとアラン・グロフィールドシリーズの分岐&接点みたいだ。)

 全体としては期待通りに楽しめた80年代のエンターテインメント。ただし、今の世代の読者がもし興味をもったら、できればシリーズ第一弾から読んでほしい。
 このシリーズの前二冊が好きなファンなら、たぶん楽しめるでしょう。

 ちなみにシリーズ第四弾は、そんなベルリンの壁崩壊以降の設定で、マックス・モスの立ち位置も大幅に変わるらしい。大設定を喪失してなおも続くシリーズって、マック・ボランみたいだね。
(まあその第四作めもブックオフの半額セールの日に50円で買ったので、そのうち読むと思う。)

【追記】
 マックス・モスが窮地からの脱出に使う道具が、日本の雑貨。さらにまた別の彼のピンチで役立つのが、日本人の教官にならった体術。日本読者向けのサービスなんだろうけれど、作者の妙な律義さが愉快であった。

【追記その2:2021/2/11/22時25分】
※……『謎の円盤UFO』は大人向け、一般向けの番組でしたね。すみません。


No.1091 6点 ガラスの墓標
F・S・ジルベール
(2021/02/10 04:31登録)
(ネタバレなし)
 アメリカ裏社会の「組織(コーザ・ノストラ)」の実戦要員で、デトロイトで成果を上げた青年クリフ・モーガン。彼は組織の上層部に呼ばれ、フランスへの出張を命じられる。表向きの目的は、組織と縁があるパリ暗黒街の要人トニー・カルボナを支援してカルボナ麾下の殺人請負組織を作ること。だが組織の真の狙いは、カルボナが抱える麻薬売買シンジケートをクリフに乗っ取らせることだった。密命を受け、カルボナとともにパリに向かうクリフ。しかしオルリー空港を出た彼は、何者かの待ち伏せを受けて重傷を負う。頼る相手もないクリフは、たまたま旅客機の中で知り合った美人のパリジャンヌ、カトリーヌに、電話で救いを求めるが。

 1965年のフランス作品。1969年に映画化され、71年の日本での映画封切りに合わせて邦訳が出た原作小説だが、評者はくだんの映画はまだ未見。

 あらすじの通り、やさぐれた青年ギャングと運命的に出会った美女のラブロマンスを交えたコテコテのノワール・ハードボイルドで、55年前の旧作ということを踏まえてもまだ古い。1930年代あたりのクラシック・ノワールといわれて読んだとしても、ほとんど違和感は生じない主題の物語だ。

 中盤からはクリフの反撃、彼のもとに召喚される組織の応援、さらにフランス暗黒街側の応戦と策謀と、絶えずストーリーは動的に進む。ただし筋立てそのものは全編にわたって実にシンプルというか、素朴。
 とはいえ「これはあくまで旧作」という認識が強くなって、同時に期待値が下がってくると、ストーリーの組立には王道の物語を語ることにおじない、そんな力強さも感じられてきた。結果、これはこれで悪くない、という気分になってしまう。
 フランスミステリのノワールものの系譜、その一冊を探究するつもりで読むならば、佳作として楽しめる、というところか。

(とはいえ、あのジョセ・ジョバンニのデビューは1958年で、本書『ガラス~』が書かれた1965年には、もうジョバンニの方は7冊も長編を上梓してるんだよな。
 そういう事実を勘案すると、この作品って本国フランスのミステリファン&読書人全般の間で、どういう評価で読まれたのかとちょっと気になってくる。
 そのうちマジメに、わかる限りの<フランスミステリのお勉強>を、改めてしてみようかしらん。)


No.1090 8点 狙撃者
谷克二
(2021/02/09 06:13登録)
(ネタバレなし)
 1974年12月20日。スペインの首相カルロ・ブランコが暗殺される。ブランコは、30年以上にわたってスペイン国内に圧政を敷いた独裁者フランシス・フランコ総統の派閥であり、この暗殺を機に同国の改革が内外から期待されるが、結局は、いったんは一線を退いていたフランコ総統の現役復帰という結果につながった。一方で元過激派戦士の日本人青年・龍村敏は、前身を隠してパリに在住。亡命スペイン人・アントニオの一人娘マリアを妻にして幸福で平穏な日々を営んでいたが、ある日彼はその愛する家族を奪われる。マリアとアントニオの仇が、現状のスペインの独裁体制だと見定めた龍村は、コードネーム「ファルカン(隼)」を名乗る暗殺者として、標的=フランコ総統に接近するが。

 1970年代半ばから20世紀の末まで小説家として活躍しながら、21世紀は事実上絶筆。2010年代の前半までは地方テレビの出演者として活動したらしい谷克二。
 2020年代の現在ではほとんど忘れられた作家であり、本サイトにも今日まで作家名の登録すら無かったが、主に海外を舞台にした謀略小説、狩猟冒険小説などをふくめて著作の総数は20冊以上に及ぶ。
 本作はそんな谷の処女長編で、先行する短編作品で当時の読書人の反響を呼んだ作者が「野性時代」1978年4月号に、これを一挙掲載。のちに加筆修正して書籍化した(評者は今回、文庫版の方で読了)。

 1980年代の国産冒険小説ルネッサンスのなかで、本ジャンルのファンの目にはそれなりの評価を得ていたはず(?)の谷の諸作だが、特にシリーズキャラクターもなく(と思うが?)、また映画化なども皆無なため、志水や船戸、北方、谷恒生など同世代~やや後輩の人気の前にその存在感が霞んでいった印象がある(とはいえ船戸なんかも、実は映像化作品は少ないんだよな)。

 いずれにしろ、本作は作家生活が四半世紀にわたった谷の、初期の代表作。
 あらすじを読んでいただければわかる通り、ズバリ、フォーサイスの『ジャッカルの日』を意識した和製作品である。

 文庫で本文300ページ弱の紙幅だから原稿用紙にすれば400枚くらい? ワープロやパソコンが普及する80年代の後半以降なら、さらにあと数割はボリュームアップできたのではと思える設定で筋立てだが、その分、内容はシェイプアップ。物語のコンデンス感が読み手の緊張を快く刺激して、作品は期待以上にかなり面白い。

 ネタバレになるので詳細は避けるが、主人公・龍村の過激派戦士時代の過去にからむ挿話が中盤のひとつの山場になり、さらにそんな事態の顛末が大筋のクライマックスへと繋がっていく構成など、なかなかよく出来ている。
 さらにスペイン体制側の捜査陣にも『ジャッカル』のクロード・ルベルに相応するライバルキャラクターが設定されており、この人物が暗殺計画の実態に迫る手がかりの暴き方も、まるでクロフツの倒叙もののような段取りで、ニヤリとさせられる。

 まあ意地悪くイヤミを言えば「しょせんは『ジャッカル』の和製エピゴーネン」と切って捨てることも可能かもしれないが、<愛する者のための復讐心の昇華>という文芸を背負うことで原典のジャッカルと差別化された主人公・龍村の造形、そして本作独自の細部の趣向の豊富さなども踏まえて、読み終えた際の満足感はかなり高い。
(一部、先が読めてしまう部分がまったくないわけでもないが。)

 物語の大設定もふくめて、どうしても旧世紀の旧作という感覚もついて回るが、国産冒険小説史のなかで記憶の一端にとどめておきたい秀作だと評価。
 機会を見て、この作者の作品は、良さそうなものをまた手に取ってみようと思う。

 末筆ながら、本作は角川春樹が「野性時代」を主舞台に設けた小説賞「角川小説賞」の第五回受賞作品作品。そういえば昔、そんな賞があったな、と思ってWikipediaで調べてみると1974~85年と(文学賞としては比較的)短期間、開催された企画だったみたいで、受賞作は以下の通り。

第1回 (1974年) 赤江瀑 「オイディプスの刃」
第2回 (1975年) 河野典生 「明日こそ鳥は羽ばたく」
第3回 (1976年) 森村誠一 「人間の証明」
第4回 (1977年) 山田正紀 「神々の埋葬」
第5回 (1978年) 谷克二 「狙撃者」(※本作)
第6回 (1979年) 田中光二 「血と黄金」
         笠井潔 「バイバイ、エンジェル」
第7回 (1980年) 赤川次郎 「悪妻に捧げるレクイエム」
         山村正夫 「湯殿山麓呪い村」
第8回 (1981年) 小林久三 「父と子の炎」
         谷恒生 「フンボルト海流」
第9回 (1982年) 泡坂妻夫 「喜劇悲奇劇」
第10回 (1983年) 矢作俊彦&司城志朗 「暗闇にノーサイド」
第11回 (1984年) 北方謙三 「過去・リメンバー」
第12回 (1985年) 中津文彦 「七人の共犯者」

 ……いやはや、今から見ると、その天晴れなまでの玉石混交ぶりに腹を抱えて笑いたくなるラインナップであった。これもまた時代の息吹、だよね。


No.1089 5点 破産寸前の男
ピーター・バーセルミ
(2021/02/08 06:46登録)
(ネタバレなし)
 ヒューストンで広告代理店を営む「ぼく」ことボーモントは、ハンサムな中年男。だが頭がハゲかけていて、複数の成人した子供がいる。何より現在は契約が少なくて、美人の秘書のエイミーが借金の督促の対応に苦労している。そんな時、大手石油サービス業「ウェラメーション社」の代表であるクレイ・トマスから大口の仕事を取るが、実はその契約は先方の会社の公式な窓口を通してないものだった。報酬を払ってほしければと、トマスは、とある秘密裏の行為を指示してきた。

 1987年のアメリカ作品。
 中堅広告代理店(ただし社員は少ない)社長ボーモントシリーズの第一弾で、翻訳が出た時点で本国ではすでに第三作目までが刊行されていたらしいが、日本への紹介はこれ一冊で終わった。

 本作では、いわくありげな依頼人トマスとの接触を経て、どうも何かきな臭い案件に巻き込まれたらしいボーモントが、事態の把握と窮地からの反撃を画策。途中で周囲の思いもよらぬ事実なども見えてくる。

 一番近いイメージでいうなら、我が国の生島治郎や北方謙三が書きそうな、中小企業の中年社主を主人公にした巻き込まれ型の(それほどコワモテではない)ハードボイルドか、あるいはノワールサスペンスという感じ。

 ただし物語の半ばで事件の深層が(中略)に及ぶと明かされる。物語自体はそんなにややこしいものでもないが、その事件の題材そのものがちょっと日本人には実感しにくい? ものなので、そこらへんでソンした感じ。
 本国アメリカの読者なら、もうちょっと身近な物語として楽しめたんだろうな? という印象だ。

 おかげで、キャラクターたちの配置やストーリーのテンポそのものはそんなに悪くないんだけど、なんか風邪をひいたときのボケた頭で、楽しめないままお話を追っているような感覚であった。

 第二作目以降のシリーズの邦訳が続かなかったのも仕方ないと思う。
 初弾がこういう作品・事件だから損をした? と見るならば、もったいないような、そうでもないような。


No.1088 7点 上海から来た女
シャーウッド・キング
(2021/02/07 20:13登録)
(ネタバレなし)
「俺」こと26歳の二枚目、ローレンス・プランターは長い船員生活を経て陸に上がり、今は43歳の辣腕弁護士マルコ(マーク)・バニスターの運転手を務めていた。そんなある日、バニスターのパートナーの弁護士リー・グリズビイが、ローレンスに奇妙な提案を持ち掛けてくる。それは5千ドルの謝礼と引き換えに、グリスビイ自身の偽装殺人計画を請負、じきに確実に無罪で釈放されるからいっときの容疑者役を引き受けてほしい、というものだった。ローレンスは依頼の裏の事情をあれこれと読みつつ、相手の申し出を検討するが。

 1936年のアメリカ作品。
 00年代に「ポケミス名画座」の一冊として初めて日本に翻訳された、名作ミステリ映画の原作作品である。
 映画版の主演・監督はオーソン・ウェルズ。

 評者は、映画が日本で初めて公開された当時、たしかミステリマガジンなどで、都内で限定上映の情報を聞いて興味を覚えたものの、いかに当時からさすがにオーソン・ウェルズの実績は知悉(というのもおこがましいか~笑~)とはいえ、未知の原作者のこの映画を観にいくまでには意欲が湧かず、そのままスルーした。
 21世紀の今では低価格DVDやレンタルソフトなどで容易に鑑賞可能な一本のようだが、結局のところ、いまだ観ていない(汗)。
(といいながら、映画の企画制作にあの『第三の犯罪』『間抜けなマフィア』のW・キャッスルが大きく関わっていたことを、このポケミス巻末の解説で改めて意識した。じゃあそのうち、機会を見て観賞するか。)

 とはいえこの原作小説は大枠の文芸設定は同様だが、総体としてはかなり映画とは別物だそうで、その辺は今回、ポケミスの解説を読むまでもなく聞き及んでおり、そもそも「上海から来た女」なる設定のキャラクターはおろか、作中に「上海」という単語すら出てこないことも前もって知っていた。
(となるとこの小説の邦題、すんごくアレだよなあ。
なお小説の題名(原題)は「If I Die Before I Wake」で「眠ったまま死ねたなら」ぐらいの意味か。出典は作中で引用される詩からのようで、ポケミスの解説ではけっこう広い含意を示唆している。)

 ストーリーは無駄のない話法、短めの章立て、さらには大別された本文のブロックパート(「~部」)で構成され、加速感のあるサスペンスミステリとしては、この上ない丁寧な作法。
 中盤以降から、サプライズとどんでん返しにあふれて、2~3時間で読者の目を釘付けにしたまま一気に読ませてしまう、パワフルな長編である。
 一方で、1930年代のクラシックともいえる一冊なので、フォーマルな作劇ゆえに、どうしても先読みできてしまう箇所がなくもない。それでもトータルとしては、十分に作りこんだノワール・サスペンスの秀作だろう。
(主人公が偽装殺人計画に引きずり込まれるという大設定=物語の発端は、後年のグレゴリー・マクドナルドの長編『殺人方程式』の先駆だね。なおそちらとは導入部の序盤のみの合致だから、こう書いてもまったくネタバレにはなっていないハズだが。)
 はたして山場のテンションは、着地点がどこにいくにせよ、かなりの迫力がある。
 クロージングの余韻も、しみじみと染みてくる。 

 なお作者のシャーウッド・キングは、このほかにもう一冊だけ相応に反響を呼んだ作品を書き、実質その2冊だけで消えてしまった女流作家らしい。
 その、未訳の方のもう一冊も、このレベルなら、ちょっと読んでみたいとは思う。


No.1087 7点 アッシャー家の弔鐘
ロバート・R・マキャモン
(2021/02/07 07:30登録)
(ネタバレなし)
 1847年3月。愛妻ヴァージニアと死別して悲嘆にくれるE・A・ポーの前に、一人の紳士が現れた。紳士は自分が、ポーが著した短編『アッシャー家の崩壊』の主要人物ロデリックの弟、そしてマデランの兄であるハドスン・アッシャーだと名乗った。当惑するポーにさる事を確認してすぐ、その場から去るハドスン。そして時は流れて、1980年代初頭の現代。今日のアッシャー家は、米国はおろか世界各地の戦局にさえ常に影響する一大軍需工場の当主となっていた。そのアッシャー家の末裔=現当主ウォルターの次男である33歳のリックスは、死の商人の家業を嫌悪し、売れない作家として苦闘していたが、そんな彼に実家に戻るようにとの指示がある。

 1984年のアメリカ作品。
 マキャモンといえば、評者はこれまでウン十年前に『奴らは渇いている』ひとつしか読んでなかった(本の購読だけはちょっと、してある)。本サイトで好評の『少年時代』なんかもまだ未読。
 今回、タマにはこんなのも……と思い、蔵書の中の積ン読本を手にして読み始めてみたが、さすがふた昔前の、ながらも、かなりの人気作家。全編の筆に勢いがあり、上下巻で合計700ページの紙幅を一日かけずに読ませてしまった。 

 なるべくお話のネタバレにならないよう、序盤からの大設定のみを主軸に語るけど、古典ホラー(原典の短編小説『アッシャー家~』は広義のそれだよね?)の有名どころキャラクター(その当人のあるいは係累)が現代では大企業のトップになっているというのは、ハマー・フィルムのクリストファー・リー主演映画『ドラキュラ72』とかを連想させて実に楽しい。
 しかもアメリカのみならず全世界を市場とする国際的な死の商人で、主人公はそんな実家の仕事に反発して作家をやってるけれど、なかなかうまくいかず……のくだりには、たぶん作者マキャモン自身の文筆家としての心情吐露も入っている感じでこの辺もまた興味深い。
(一方で、ポーが、どういう事情や接点から<実は作中世界での現実であった? アッシャー家の内部事情>を書いたのか、というポイントについては……まあ、ムニャムニャ……。)

 さらに主人公リックスの里帰りとそれに連なるストーリーラインと並行して、何か訳ありな15歳の少年ニューラン(ニュー)・タープのお話が綿々と語られていき、どのタイミングでこの二つの話がどう交差するのかも、当然のごとく作品の大きな興味となる(もちろんここでは具体的には書かないが)。

 とはいえある意味で、この作品の本当の主役なのは、作家リックスでもニュー少年でもなく<現在のアッシャー家>といえる<ある建造物>であり、そのコワさは読んでからのお楽しみ、ということで。
(これはネタバレにはならないと思うが)ちょっとマシスンの『地獄の家』的な幽霊屋敷ものモダンホラーの趣もある。

 前述のように正にイッキ読みのハイテンションだし、終盤の(中略)も個人的にはなかなか刺激があった。
 ただし、最後まで読むと、それなりに存在感も重要度もあったはずの某・登場人物のひとりが、結局、この人は(中略)だったの? それで(中略)なの? という感じで、なんか作者からもすっかり忘れられてしまったのが気にはなったり(笑)。
 あと細かいところでは「この辺の説明、うっちゃったままでしょ?」というところがいくつか目についちゃうのもアレな感じで(特に一部のキャラの内面描写がかなり言葉足らずなところとか)。

 それと、終盤まで読んでわかるタイトルの意味は結構いいかも。スゴイスゴイの描写が軽すぎて、悪い意味でマンガになってしまった部分がなきにしもあらず、ではあったが。


No.1086 6点 忘霊ラジオ殺人事件!?
戸梶圭太
(2021/02/06 07:41登録)
(ネタバレなし)
2016年の夏。不倫した妻と別れた、ラジオ局の元ディレクター・藤本道雄。局を退社した彼は再就職がうまくいかないまま、自分の娘で12歳の美少女・ちさとを連れ、道雄の祖母(ちさとのひい祖母)よねが住んでいた離島・八途島にやってきた。島は十数人の老人だけがひっそり暮らす、21世紀の文明ともほど遠い世界。他界したよねが遺した家屋で暮らし始める親子だが、道雄は思い付きで、視聴者すらいるかどうかすらわからない海賊ラジオ放送を始める。だがその放送に混線して、怪異な声が聞こえてきた。

 人は良いがダメ父の道雄は副主人公で、実質的な主人公はちさとの方が担当する、そんな父と娘の絆を軸にした、オカルトジュブナイル風冒険ミステリ。ラジオ放送に混じる怪しい声、そして、同一人物か? 別人か? 十数年前から島の山地に出没する怪人の謎、……など怪事の要素を小出しにしながら、島に潜むとある大きな秘密に次第に迫っていく。

 実態は、妙な感覚のリアルさがある真相で、そのアイデアというか文芸設定はちょっと面白かった。
 物語の舞台として設定された、島全体のいかにもミニスケールな感じも、小学生の頃に近所の寺社の裏側のうっそうとした木陰にはじめて足を踏み入れたときの気分みたいなのを蘇らせて、どこか懐かしいワクワク感を呼び起こしたりした。

 ストーリー面ではメインストリームの冒険部分とは別に、さらにまた別のショッキングなサプライズも読者の隙をついて複合的に語られる。大技と小技を組み合わせたヤングアダルト向け作品、あるいはミステリ調ラノベとして、そこそこ楽しめる。
 
 ライトな文体をふくめて、全体的に中学生あたりに向けてリリースされたヤングミステリーという感じだが、甘菓子のなかにゴツゴツしたナッツが入って、それでバランスがとれているような食感の一冊。そう思って読んで、なかなか悪くないかな、というところ。


No.1085 5点 華やかな迷路
笹沢左保
(2021/02/04 05:25登録)
(ネタバレなし)
 広告代理店「大報」の美人プランナーで27歳の正見亜衣子は、業務で知り合った超大手デパート「丸越」の常務で社長の次男でもある青年・船尾昭彦に見初められて婚約した。だがそんな玉の輿に乗った亜衣子のもとに「お前の過去を知っている。結婚はやめろ」という主意の匿名の脅迫状が送られてくる。文書の主は、過去から現在までに肉体関係のあった3人の男のうちの誰かか? あるいはプラトニックラブな関係のまま、唯一、本気で愛し合ったかつての恋人か? 亜衣子は、手紙の主を調べようとするが。

 あー。限りなくフツー小説に近い、いつもの笹沢風・叙情エロチックサスペンスであった(とはいっても全然ハラハラもゾクゾクもせず<サスペンス>じゃないが)。
 80年代の中間小説っぽい路線だから、もともと謎の部分の興味ではあんまし期待してなかったけれど、脅迫状の差出人も前半で正体をヨメない人はいないはずで、ヤワすぎるよね。
 それでも一応は人死に事件はあり、終盤にまた別の意外性も用意はされていて、ミステリとしての最低限の体裁だけはとられてはいるか。

 とはいえ、この女性主人公のキャラクターで、23~24歳まで(中略)だったというところに、いくら性愛描写に紙幅を費やそうとも、実はどこまでも根がジュンジョーな笹沢の女性観の一端がうかがえる。
 作者のひとつの顔を再確認するという意味では、ファンには興味深……くもないか。
 たぶんこの手の傾向のこのレベルの作品なら、まだまだ他にもいっぱいあるだろうし。
 
 しかし「丸越デパート」というネーミングには笑ったね。この世界では、10年くらい前にハレンチ大戦争が勃発していたのだろうか。
(ラストで教育軍団長にトドメを差したマルゴシ先生は、カッコイイ男であった。)


No.1084 7点 人狼を追え
ジョン・ガードナー
(2021/02/03 07:16登録)
(ネタバレなし)
 1970年代半ば。ベルリン駐在の英国情報部員で、獲得した情報の精査や分析を担当する33歳のビンセント・クーリングは突然、本国に呼び戻された。クーリングを待っていたのは、1945年5月、落日の第三帝国から脱出した少年で、今は前身を隠して英国に生きる男「人狼」の内実を探る極秘調査の任務だった。ゲッペルスの息子ヘルムートの可能性すらある、くだんの「人狼」。現在の彼は英国にとって、本当に脅威になりうるのか? 複雑な思いに駆られながら任務を続行するクーリング。一方で英国在住のデンマーク人実業家ジョセフ・ゴッターソンが購入した古い屋敷では、怪異な子供の幽霊が出没していた……?

 1977年の英国作品。たぶんノンシリーズものの、単発作品。
 旧ナチスの潜伏エージェントが、ヒットラーに認められたというそのカリスマをふりかざし、ネオナチや極右組織の旗頭になるかもしれない……という、英国内閣の危惧に振り回される情報部。
 一方で、旧家に起こる恐怖の幽霊騒動。この二つの事象がどう結びつくのかと思っていたら……。

 いや、途中3分の2まで読んで物語の骨子が明かされた時点でボーゼンとした。スパイ小説にもバカミスはいくつかあるが、これほどのものはそうはないだろう?
 とはいえ一方で(中略)ではあるし……。
 うん、いかにも、あのポイジー・オークスものやハービー・クルーガーもの(特に後者の初期三部作)を著したジョン・ガードナーらしい作品。

 コレは、60年代の隆盛(というか質的&量的氾濫)を経て70年代の新世代に移行していく英国エスピオナージュ分野へのサタイアでもあるし、同時にたぶんこの頃に世界的に熱気をおびてきたオカルトブームへのウィットでもあった。
 ネタバレになるから詳しいことはあまり書けないし、ひとによっては色んな面でバカバカしいと怒るかもしれないけれど、こういうものこそ<スパイミステリの醍醐味>といえる面もある。
 あまり堂々と……というのはムズカシイけれど、すっとぼけた顔で支持したい一作(笑)。
 
 なおまったくの余談だが、作中で主人公ビンセントの恋人のOLステフ(ステファニー・ビショップ)が、彼氏の秘密の職業を半ば察しながらレン・デイトンの新作を話題にしたり、ル・カレの『鏡の国の戦争』を購読する場面があって愉快。まあこれは、そういう英国の当時の主流派? エスピオナージュ群から一歩引いたところで語られたストーリーであり、作品だよね。 


No.1083 6点 黒揚羽の夏
倉数茂
(2021/01/31 05:47登録)
(ネタバレなし)
 2010年前後、その年の夏。中二の長男・千秋、小五の長女・美和、小二の次男・颯太たち滴原(しずはら)家の三兄弟は、両親が離婚相談中のため、母・雪子の実家である遠方の田舎の上条家に預けられた。だがそこで千秋は、惨殺されて車のトランクに入れられた少女の死体に遭遇。さらに美和は、不可思議な怪異? を体験する。それと前後して兄妹は、土地の医者・唯島家の娘である同世代の美少女姉妹と対面。猟奇的で不条理な少女失踪事件に揺れる田舎町だが、まもなく一同は、実はほぼ60年前の1950年代初頭にも同様の少女失踪事件、そして惨殺事件が起きていたことを知る。

 ポプラ社が主催する、一般向けの小説新人賞「ピュアフル小説賞」の第一回「大賞」受賞作品。文庫オリジナルで刊行。
 評者は特になんの予備知識もなくブックオフの書棚でたまたま手に取り、巻末の解説(金原瑞人なる方が担当)での<ミステリとも幻想小説ともファンタジーとも……(以下略)>という文言に接して、面白そうだと購入した。

 全体的にはジュブナイルっぽい仕様の作品だが、作者は少年主人公、千秋の秘められた過去に仕込む形で、なかなか際どい描写やけっこうキツイ文芸も導入。その辺も踏まえて、硬質なヤングアダルト向けの作風になっている。

 ホラーミステリとしては、地方の町で数十年前から起きている怪事件の実態が最終的にどこに着地するか、そうそう底を割らない。
 途中~物語の後半~で、真相に迫る<ある情報>が開示されるが、異様な迫力で読者に語られるその部分は、なかなかのインパクトだ。
 はたして最後に迎える決着は賛否が割れそうな気もしないでもないが、真相そのものも、また小説前半からのもろもろの伏線の処理も、こういう小説の作り方ならアリではあろう。
(ただし細かいところに引っかかる人は、いくつかのポイントゆえに、減点評価を優先しそうな感じもある。)
 
 個人的にはこういう形質の作品として、十分以上に歯ごたえのある一冊であった。
 妙に読み手を煽っておいて……の部分も、なきにしもあらずだが。
 
 なお本書はちょうど10年前の作品だが、その後も作者はポプラ社や早川書房などで(冊数はそう多くないが)着々と著作を上梓。順当に実績を築いているようである。そのうちまた何か縁があったら読んでみよう。


No.1082 8点 妻を殺したかった男
パトリシア・ハイスミス
(2021/01/30 07:24登録)
(ネタバレなし)
 1950年代初めのニューヨーク。40歳の書店主メルキオール・J・キンメルは、不倫妻のヘレンを謀殺。用意しておいたアリバイで嫌疑を逃れた。やがて離れた場で、30歳の弁護士ウォルター・スタックハウスが、4年間の結婚生活の果てに、協調性のないメンヘラ気味の共働きの妻クララに愛想をつかす。クララは離婚を求めるウォルターを牽制するように自殺未遂を繰り返し、さらには夫と周囲の女性エルスペス(エリー)・プライエスとの関係まで不当に勘ぐった。そんななか、キンメル事件の報道記事に接して、夫が妻を殺したと半ば確信したウォルターは、自分自身も同様にクララを殺す妄想にふけった。そして……。

 1954年のアメリカ作品。
『見知らぬ乗客』『キャロル』に続く、ハイスミスの第三長編。
 裏表紙の謳い文句「初期の傑作長編」に、偽りのない完成度。3~4時間でイッキ読み必至、正に巻を措く能わずのハイテンションストーリーだが、同時に人間の愚かさ、弱さ、怖さ、奇妙なゆかしさ、そういったもろもろの情感もてんこ盛り……なんだ、いつもの(フツーに出来のいい時の)ハイスミスだね。やっぱりこの人は、凡百の作家とはケタが違う。

 特に今回は、この作品の数年後に(中略)で書かれる、ミステリ史に残るあの大名作に大きな影響を与えていたんじゃないか? とも思える(あまり詳しくは言えないが)。

 さらには本作以降のハイスミス自身の諸作の原型となったような、そんな趣の文芸ポイントもいくつも覗く。これもあまり詳しくは言えないな。

 実を言うと、後半~終盤の展開で、いささかストーリー先行、登場人物が<物語の定型の駒のように>動いちゃってる印象の部分もあった。だけど一方で、そういうキャラクターたちの行動の道筋には、やはり真っ当なリアリティも感じさせられるので、この作品の弱点ともいえない。
 巻末で、解説担当の宮脇孝雄が<本作は1954年の作品ながら、内容的には(翻訳刊行されたリアルタイム当時1991年の)現在の作品と思って読んでもまったく違和感はない>という主旨の文言を述べているが、これにまったく同感。
 いや2021年現在の作品としても(作中の風俗や技術的な叙述を別にすれば)その普遍性ゆえにちっとも古びてない、とも思う。たぶん、この作品のポイントとなる人の心の微妙な綾って、時代の推移で変化していくものでもないだろうから。

 あー、夜中に読み始めて、もう朝である。
 正に<夜明けの睡魔>の一冊であった(汗・眠)。


No.1081 5点 ハラハラ刑事一発逆転―核ジャックされた大東京
草野唯雄
(2021/01/29 06:43登録)
(ネタバレなし)
 荒事を嫌う詐欺師のトリオ、神保太・実渕友子・青梅浩二郎は、カモのはずの金持ちの老婆・依田しげとその孫で天才児の洋一に、悪事の尻尾を掴まれた。三人組は使い込んだしげの財産300万前後の返金を要求され、数日内にそれが不可能なら警察に証拠付きで訴えると通告される。金策に躍起になる三人組は、やがて一人の中年男と接触。その中年男=野水の犯罪計画、すなわち小型原爆による日本政府脅迫、の片棒を担ぐ羽目になる。そしてそんな事態は、都内の所轄・坂下署の問題児コンビ「ハラハラ刑事」こと柴田と高見まで巻き込んで……。

 草野唯雄のユーモアコメディ警察小説「ハラハラ刑事」シリーズの第五弾。

 このシリーズは大昔、少年時代に第二作『警視泥棒』(1976年)を読んだような記憶があるが、内容はまったく失念。その後のシリーズ展開を追いかけて読みたくなるような欲求も事実上ほとんどなかったわけだから、あまり面白くなかったのだろう(草野作品のノンシリーズものは、それなりに読んでいるが)。
 今回は、数か月前にぶらりと入った都内の古本屋で本作の文庫版を見かけ、懐かしいシリーズ名が記憶に甦ってきて購入(150円だった)。そんな流れで、今日になって読んでみる。

 しかし、そういう経緯での付き合いだったので、これまでのシリーズ展開がどういう感じだったのかほとんど覚えていない、というか知らないんだけど(なんとなく和製ドーヴァー警部のバディものだったような印象だけはあった)、少なくとも今回のハラハラコンビは主人公ポジションというには語弊があり、むしろ物語の主役は<小型核爆弾を製造して政府を脅迫する>事件そのもの。
 次第に現実化してくる危機的な事態に際して、警視庁やら所轄やら公安やら無数の捜査員が動員され、そんな群像劇がそのままストーリーの中身になる。
 ハラハラコンビも、さらには犯人チームも、また物語序盤のばあちゃんと孫も、みんなあくまで多勢の登場人物のなかの一部、という感じであった。
 
 筋立てのテンポはいいが、核物質入手の捜査範囲などその枠組みでひと区切りしていいの? という違和感があるし(1980年代半ばの科学知識にしても、なんかおかしいような……)、犯人の思惑を超えた突発的事態に対してのキャラ描写とかも、随分とスーダラだったり。

 脅迫状の手掛かりを解析していく当時の鑑識技術の描写はちょっと興味深かったけど、逆に言えば作者が取材で得たソコらへんの知見と、核爆弾製作のそれっぽさ? だけを創作の芯にして、捜査ものの長編ミステリを一本でっちあげてしまったような印象もある。
 それでも期待値を高くしなければ、そこそこ面白い……かな?(汗)
 まあタマには、こんなのもいいや(笑)。


No.1080 5点 死の輪舞
石沢英太郎
(2021/01/28 06:58登録)
(ネタバレなし)
 その年の2月6日の夜。福岡県のドライブイン「暁」の駐車場で、初老の男が刺殺された。被害者の素性は、住宅詐欺で指名手配中の土建ブローカー・井上博一だとやがて判明する。かたや殺人が起きた時、その現場にいたと思われるナンバーの車が捜索されるが、同じ夜、長崎県西海橋の上にその車は放置されていた。置き去りにされた車の状況から、ドライバーは海中に投身自殺を図ったと推されるが、間もなくその車の主は、土建会社「協和建設」の総務課長・宮坂真佐夫と判明。宮坂には県の開発公社への不正な贈賄の嫌疑がかけられており、彼はその引責で自殺したのかとも思われた。微妙な接点で結ばれる二つの死だが、さらに事態は周囲の関係者の怪異な連続殺人事件へと発展してゆく。

 元版の新書「Futaba novels」版で読了。
 同書のジャケットには「本格推理ジェノサイド/キーワード―最後に笑う者は誰か。」との煽り文句が掲げられていて、外連味あるフレーズが読み手をソソる。

 先行する石沢作品『21人の視点』でも実行された、過剰なまでに叙述の視点を切り替えて物語を細かく細かく語っていくスタイルが、今回も再現される。とはいえことさら煩雑になることもなく、全体のストーリーをほぼスムーズに読ませてしまうのは、ベテランの職人作家の芸。

 ただし後半から堰を切ったように展開される連続殺人劇、その真相はギリギリまで解明を引っ張った割に、実は大したことはない。<犯人>も見え見え。
 何よりウリにしているハズの二つの事件の関連性については、作者自らが自分に難しめの課題を呈しておきながら、結局はそれに見合う面白い回答を用意できず、つまらないありきたりの説明をつけて矛を収めてしまった感じ。

 物語全体の真相そのものは、まあ意外……ともいえるが、肝要に関わる人間関係の書き込みが薄いので、あんまりトキメキも覚えない。
 というか(中略)の(中略)って、わざわざムダなことしてないか?

 けっこう面白いんじゃないかな? と、楽しみにしながらとっておいた未読の作品を読み始めたが、残念ながらショートゴロぐらいの出来か。
 まあ途中4分の3か5分の4くらいまでは、そこそこ(ラストまでにはなんかあるんじゃないかとの期待が持続して)それなりに楽しめたかも。
 ただ最後まで読んでアレコレ考えると、やっぱりこの<犯人>の行動はヘンだったりする。狙いが成立しないでしょう?
 
 まあこの作品については、そんなところで。


No.1079 7点 魔女の館
シャーロット・アームストロング
(2021/01/27 06:31登録)
(ネタバレなし)
 1960年代初頭の南カリフォルニア。31歳になる大学の数学講師エリフ・オシー(愛称「パット」)は、同僚の生物学教授エヴェレット・アダムズの学舎内での不審な行動をみとがめた。車でアダムズを町外れまで追いかけたパット。だがパットは、逆に相手の反撃をくらって車は大破し、自身は負傷する。そんなパットを介抱したのは、郊外の邸宅にひとりで住む、近所から「魔女」と呼ばれる老婆ミセス・ブライドだった。だがさる事情から精神の平衡を欠いていた老婆は、傷痍状態のパットを自分の息子ジョニーだと頑迷に誤認(盲信)。解放も外部への連絡も許さなかった。一方でパットを殺してしまったと錯覚したアダムズは、いずこかへと出奔。そしてパットの若妻アナベルは、夫の行方を捜索するが。

 1963年のアメリカ作品。
 数年前、廃業間際のブックオフ某店で、在庫処分ということで10円で購入した創元文庫版で読了。しかしたまたま現状のAmazonを見ると、古書がとんでもないプレミア価格になってるな(嬉・驚)。なんか申し訳ない(笑・汗)。

 大設定からアームストロング版『ミザリー』みたいな内容(こっちの主人公パットは創作物の執筆の強要なんかは、されないが)かと予想していた。
 が、実際に作品を読んでみるとそういう趣向は確かに大設定の一角を形成するものの、むしろメインヒロインにして実質的な主人公のアナベル、さらにはアダムズの家族(特に女子大生の娘で、パットの教え子でもあるヴィーことヴァイオレット)の方に描写のウェイトは大きく置かれる。
 くわえてアダムズの美人の後妻(つまりヴィーの継母)セリアと、その双子の兄セシルがメインキャラクターとなり、それぞれの希求や思惑で動いて物語を転がしていく。
 正直、そちらの叙述の方にばかり力点がおかれ、サプライズやサスペンスもそっちばかりが担うので、「魔女」ことミセス・ブライトに監禁されたパットという文芸は、本当に必要だったのかなあ? もっと形をかえたシンプルな主人公の苦境シチュエーションでもよかったんじゃないの? と思わされた面もある。

 とはいえくだんのアナベル、ヴィー、それに兄妹側のドラマは、とにもかくにもストーリーの軸となるだけあってじっくりと描き込まれ、さすがに強烈なテンションを発揮。
 ストーリーの前半で覚えたある種の違和感も、中盤以降のサプライズというかショックの布石になっていった。
 結局、トータル的には、やはりアームストロングの円熟期の作品。十分に楽しめる。

 なお個人的に細部で興味深かった場面は、教授ふたりが同時にいなくなって騒ぎになりかける大学構内の描写で、うわついた学生のひとりは、理系の教授たちが東側に亡命したのだと勝手に憶測。そういう今の目で見るとぶっとんだ発想も、当時はごく日常のもの(?)だった冷戦時代ならではの空気を感じさせてくれた。

 あとは性善説作家のアームストロングらしく、人間の悪い面も弱い面もそなえながら、最後にしっかりとポジティヴな方向への切り返しを見せてくれる某サブキャラの描写がすごくいい。イヤミや皮肉でなく、真顔でこういうキャラ造形ができる筆致に作家の胆力を実感して、そっと微笑んでしまった。

 ちなみに創元文庫巻末の小森収の解説は、この時点までに翻訳されたアームストロング作品全部を読み込んで、その作家性を俯瞰した、とてもパワフルなもの。
 アームストロング作品の諸作をつまみ食いしている評者なんかとても太刀打ちできず、黙って拝読するばかりの一文ではある(汗)。アームストロング作品がサスペンスというより、ガーヴ風の<軟派の冒険小説>だ、という物言いにも実にうなずける。
 ただしそれでもあえて言うと、一部、結論から始めて書いてしまってるんじゃないの? という見識の部分もなくもないような……。
(具体的には、アームストロングが本質的に性善説作家だという見地にはまったく異論はないが、一方で、完成度の高い悪役は造形できない~『疑われざる者』が凡作、というロジックの立て方とか。)
 まあこの辺は、評者自身が、もっともっとアームストロング作品を読んでから、また改めて。
(もちろん『毒薬の小壜』の激賞とかには、まったくもって同意なんですけれどね。)


No.1078 8点 屍肉
フィリップ・カー
(2021/01/26 06:06登録)
(ネタバレなし)
 ペレストロイカを迎えた時局のロシア。モスクワ中央内務局調査部所属の「わたし」は、上司コルニロフ将軍の指示で、サンクトペテルブルク(旧レニングラード)の中央内務局刑事部に出向する。表向きは通常の出向業務だが、実はわたしの密命は、サンクトペテルブルクの捜査官たちと周辺の民族マフィアとの癒着を査察することにあった。だがそんなわたしをサンクトペテルブルクで待っていたのは、リベラル派で著名なジャーナリスト、ミハイル・ミリューキンの殺人事件。わたしは、サンクトペテルブルクの刑事部を指揮する傑物捜査官イヴゲーニー・イワノヴィッチ・グルーシコのチームに加わって事件の真相を追うが、その先にあったのは予想を超えた現実だった。

 1993年の英国作品。
 評者は、大のご贔屓であるベルンハルト・グンターもの以外のカー作品は初めて読んだ。
 ベルリン三部作も以降のシリーズも大好きなので、グンターもの以外のカー作品なんか、正直、半ばどうでもいいとも思ってもいたが(なんかグンターシリーズの品格と比較すると、安っぽいB級作品みたいなのが多そうだし?)、それでも本書はだいぶ前に、たぶん<試しに一冊>という気分で例外的に購入しており、そのことを忘れていたのだが、たまたま先日、蔵書の山の中からひょっこり出てきた。

 それで気が向いて今回、読んでみたが、……いや、舐めていてすみませんでした! 
 ノンシリーズものとはいえ、少なくともこの一冊に関しては、グンターシリーズに負けじ劣らずに面白かった!!

 ペレストロイカによって中途半端に導入された新自由主義によって揺らぐロシアの経済社会、その中で利権を求めて暗躍する無数の有象無象の民族マフィア、行政と司法の刷新が万全でないままに、そんな社会の病巣に挑む内務局(と民警)の捜査官たちの苦闘……。こういった警察小説ミステリとしての骨格に、主要登場人物たちのキャラクター群像劇の妙味も累積して、読み応えは十分。なにより話をダレずに転がしていくハイテンポな作劇と、小説細部の興趣はグンターものとほぼまったく同様であった。
(なお、主人公の本名が最後まで伏せられたままで終わるが、コレは、この時局のロシア捜査官のある種の普遍性を狙ってのものか? まさかデイトンとかコンチネンタル・オプへのオマージュということはあるまい。)

 翻訳は、グンターシリーズと同様に東江一紀が担当。作者の文体にしっかりこの時点で精通しているためか、訳文のリーダビリティーも最高で、ほぼ一日でいっき読みである。
 いや、物語そのものには重量感はあるし、登場人物も多いし(名前のあるキャラだけで80人前後)、最低でも2日はかかるかな、とも思っていたがあっという間の一冊だった。
(しかし以前に郷原宏が「北欧系やロシア系の一見長ったらしいキャラクター名って、一回それぞれの発音のテンポになれると妙に親しみがわく」とか言っていたが、その辺の感覚は、改めてよくわかる。)
 
 終盤に明かされる真相はかなりショッキングだが、一方でああ、やっぱり(中略)という感慨もあるもの。
 この作品が翻訳されてから30年近く経った、この2021年になって初めて読んだのは、良かったのか悪かったのか……。
 
 ところで、数年前にとある国産の警察小説の新作を読み、その仕掛けというか真相にかなり仰天したんだけれど、もしかしたら<その作品>って、コレ(本作)が下敷きだったのかしらね? 
 いや、単純にパクリとかイタダキとかいえない、その作品なりの<書かれた必然性>は感じるんだけれど、あえてその上で大きな類似ポイントが気になったりする。
(まあネタバレにはしたくないので、あまり細かくは語らず、この話題はこここら辺までにしておきますが。)

 最後に、グンターシリーズの最後の翻訳『死者は語らずとも』から、そろそろ5年になります。もういい加減、次のを出してください。万が一、二度目の中断の憂き目にあったら、本気で悲しい。

2257中の書評を表示しています 1161 - 1180