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ミステリの祭典

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人並由真さんの登録情報
平均点:6.33点 書評数:2109件

プロフィール| 書評

No.1029 6点 殺戮にいたる病
我孫子武丸
(2020/11/27 05:38登録)
(ネタバレなし)
 旧版の(初版が96年の)講談社文庫版、その状態が良い古書(帯付き)を購入して読了。
 あろうことか(?)これが初読で(汗)、しかも幸いネタは最後まで知らないで読めた。これは本当にラッキーであった。
(というか、最近になって「ああ、そろそろこの作品はネタバレされないうちにさっさと読んでしまおう」と思いたち、web経由で安く古書を購入したのだが。)

 でもって、その旧・文庫版の帯にも「衝撃のラストシーンが語り継がれる傑作ミステリー」とかある。だから、やはりこれは(中略)なのだろうと予見。
 最初の3分の1くらいまではスナオに読んでいたが、途中で、ならばこれしかないだろう、と大ネタを予想。結果、完全に正解でした。

 そもそもこの作品での残虐&変態描写、グロ趣味の<用法>は、70年代後半に翻訳紹介された某・海外ミステリでの猥雑な小説のまとめかたと、まんま同様だよね?

 まあもう30年近くも前の作品なのだから、(中略)がアタリマエに氾濫した国産ミステリの現状のなかでは、さほど価値がなくなってしまった大技……というのが、現時点での妥当な評価じゃないでしょうか。
 最後のページを閉じて気がつけば、評者自身も、この仕掛けのバリエーションみたいなものをすでにいくつか読んでしまっているような思いも生じる。

 ただし、あえて正直に、あからさまな伏線を随所に張っておいたフェアプレイぶりには好感は抱いた。
 とはいえそれだけ正々堂々と勝負した分、くだんのキモとなる仕掛けが、途中で見え見えになったんだけれど(汗)。


No.1028 6点 七人の中にいる
今邑彩
(2020/11/26 05:23登録)
(ネタバレなし)
 1972年のクリスマスイヴの夜。田園調布の医者・葛西家で凄惨な凶行が生じた。それから21年。当時の事件に関わった女性で39歳の村上晶子(しょうこ)は、6年前に病死した夫と始めた軽井沢のペンション「春風」を守り抜き、いまやシェフの中条郁夫と再婚しようとしていた。大学生の娘あずさや、ペンションの常連客たちから祝福をうけながら、クリスマスイヴの結婚パーティのための準備を進める晶子だが、そこに過去の惨劇にからむ忌まわしい影が。

 うーん、サクサクとテンポよく読めたが、一方でここまで登場人物の頭数が増えていくとは思わなかった。題名からせいぜい10人ちょっとかと予期したら、総勢40人以上だよ。

 当初は「正体のわかっているキーパーソン」? どう切り返すのだろう? と一瞬だけゾクゾクしたものの、じきに(中略)。
 作者がテクニックで読み手をひっかけようとしている箇所も早くからバレバレで、評者程度のいい加減な読者でも、仕込んであるネタの見当がついてしまう。それと後半~終盤の流れで、もろもろの事態が明らかになっていくと……(中略)。

 仕掛けも犯人も早めに見え見え。作中のリアリティとしても……と、とうてい出来がイイとも言えない作品。……なんだけど、なぜかそれなり以上に楽しくは読めた。
 たぶん全体的にこなれた語り口と、とにもかくにも筋立てに大小のイベントをもりこみ続けた作者のサービス精神のたまものであろう。
 2~3時間ぐらい電車か飛行機で遠出する際には、退屈をふきとばす一冊になるとは思う。読者への娯楽要素としてフリカケた、ヒューマニズムの粉末もよろしい。エンターテインメント本として、佳作。


No.1027 7点 誕生パーティの17人
ヤーン・エクストレム
(2020/11/25 05:40登録)
(ネタバレなし)
 スウェーデンのヴォートフルト。そこのとあるお屋敷で、大地主で資産家の未亡人エバ・レタンデルの90歳の誕生日が開かれる。エバの亡き兄エリックの娘である三姉妹(つまりエバの姪たち)の家族が一堂に集結し、その総勢は20人近くにも及ぶ。が、彼らの一部では、秘めた思惑や愛憎の念が渦巻いていた。その夜、屋敷内で二人の人物が変死。状況から片方が片方を殺害し、施錠した室内で自害したと見られた。しかし捜査にあたったベルティル・ドゥレル警部は、さることから不審を抱いた。

 1975年のスウェーデン作品。作者の長編第8作目にして、レギュラー探偵であるドゥレル警部ものの第7弾。
 
 思い起こせば評者が初めて、作者エクストレムの名前を知ったのは、1970年代初頭のミステリマガジン誌上(たしかさすがにこれはバックナンバーで購読した)。
 そこで「スウェーデンにも興味深いトリック派、不可能犯罪ミステリの大物がいる」とかなんとかの触れ込みで紹介されたのが、このドゥレル警部シリーズの第6作「うなぎわな(仮題・現在もまだ未訳)」だった。河川に仕掛けられた鰻捕獲用の水門のなかが、密室不可能殺人の事件現場になっている。そんな設定が当時のミステリマガジンの未訳作品紹介記事のなかで2ページにわたって面々と興趣ゆたかに語られ、これはなんか面白そうだ、と思ったものだった。
(なお当時のHMMでは作者の和名、カタカナ表記は微妙に違っていたかもしれない。)

 そしてそのミステリマガジンの紹介記事から十数年後、ようやく初めて本邦に翻訳された「ドゥレル警部」シリーズが、この作品『誕生パーティの17人』である。だがら最初に本書の邦訳刊行を知ったとき、正直「なんだ最初の翻訳紹介作品は、あの「うなぎわな」じゃないのか……」とも思ったのであった。

 とはいえこの作品(『17人』)にしても「スウェーデンのカー」だの「密室」の謎だの、一応は面白そうに文庫の帯や表紙周りに書いてある。だからまずはこれを楽しんで、続くシリーズで待望の「うなぎわな」を待てばよかったのだが、実際、結局のところ、評者もついに今回までずっとこの作品を読まないでいたし(汗)、日本でもほぼ評判にならなかった(と思う)。邦訳もこれ一冊で終わったし。
(だから本サイトでちゃんと一人だけ、10年以上も前にこの作品を読んでいるnukkamさんは流石だ!)

 自分がなんとなく積ん読にしていた理由、また世の中にあまり読まれなかった理由は、たぶん<スウェーデンのパズラー>という、結局は海のものとも山のものともよくわからないもの(笑)に、つい二の足を踏んだこと、さらに、題名のままの多すぎる登場人物に恐れをなしたこと(この文庫の巻頭にはマガーの『七人のおば』みたいな家系図の形で、密度感たっぷりな人物の相関図が用意されている)、くわえてパラパラ本文をめくると、なんかP・D・ジェイムズかレンデルなどの英国文芸派みたいに文章が<じっくり系>なこと……。あと400ページを超える本文もやや長め。
 まあ、そういったもろもろ要素の累乗のためなんかじゃないか、と思う。
 
 とはいえ個人的にもせっかく入手した本(かなり前にどっかの古本屋で、古書を250円で買っておいた)をこのままずっと読まないでいるのもなんかクヤシイ。そこで今回もまた一念発起して、巻頭の家系図をコンビニでコピーし、その複写の白身の部分に、各キャラクターの情報をメモリつつ読み進めていく。

 ちなみに翻訳はおなじみ、仁木悦子のご主人だった後藤安彦。超A級の名訳者(私見)で、英語からの重訳ながら、最後には編集部や関係者の協力のもとで原作者とも連絡をとって情報のすり合わせや確認をしたようだから、手堅い。そういう意味でも日本語への翻訳には一定の信頼がおける。

 それで作品の現物を一読しての感想だが……いや、結構、面白い。
 スウェーデンのカーを謳うほどには密室の謎も不可能犯罪もウリにしてこない作りで、創元の宣伝はちょっとあさっての方向を向いていた感じもあるが(そんなこともまた、日本での反響が鈍かった一因かもしれない)、登場人物メモを作りながら読むかぎり、多すぎる劇中キャラは必要十分程度にはかき分けられており、かなり良いテンポでページをめくっていくことができる。
 まあそれでも物語の舞台を出入りする登場人物の絶対数が多すぎるのは事実だが、それはそれとして、小説として各シーンを読ませる。群像ドラマとミステリ要素との兼ね合いのバランスなども、まあオッケーであろう。

 特にぶっとんだのは(ここでは詳述はできないが)、後半最後の3分の1あたりからの探偵役ドゥレル警部の運用。ちょっとこれは英米の作者なら考えられないだろう、……いや、あえて名探偵キャラを<こういうポジション>に据えるにせよ、もうもっと当人の内面描写などでその行動や事情をイクスキューズするだろう! というものであった(繰り返すが、くわしくは書けないよ・笑)。
 このへんが1970年代当時のスウェーデンのお国柄、往年の北欧パズラー気質というものか?

 興を高めつつそのまま最後まで読んでいくと、さらに終盤の筋運びは二転三転。残りページが少なくなっていくなかで、正に「え!?」というサプライズに出くわし、そしてそれから……(以下略)。
 いや、かなり面白い一冊だった。終盤で明らかにされる、妙にテクニカルな密室殺人トリックも印象深い。でもやっぱり、この作品の真価は最後の(中略)。うーん、たぶんちょっとした70~80年代の我が国の翻訳ミステリファンなら、いろいろ思うことはあるんじゃないかと。

 なお本作のあとに続くドゥレル警部ものの第8作目が、正にこの作品の後日談だそうで(巻末の解説より)「ああたぶん、そういうことね」とちょっと興味が湧いてしまう。今からでも本シリーズ第6弾(うなぎわな)と、くだんのその第8弾だけでも発掘してくれないものか。

 昨今の我が国での北欧ミステリブームには、現状、ほとんど興味のない評者(ファンの方スマン・汗)なんだけど、そういった気運のなかでこの作者とシリーズがいまいちど顧みられれば、とてもウレシイのだが。


No.1026 6点 サーカス殺人事件
リチャード・レビンソン&ウィリアム・リンク
(2020/11/24 15:08登録)
(ネタバレなし)
 経営不振の大手サーカス団「ガーニィ・サーカス」。70歳過ぎの団長ネッド・ガーニィは、興業エージェント、ジョン・ハウスマンの提案を受けて、別の組織との合理化合併を考えた。だがサーカスの花形で、ネッドに養育された綱渡り師の青年リック・バナーは、組織が改組されると自分のスター性が希薄化すると不満だった。リックは女実業家のダイアナ・ゲイツと連携してサーカスの掌握を狙い、同時にネッドの娘の美女アリシアとの関係も深める。そしてリックは、とある特殊な技術で、ネッドを心臓麻痺に見せかけて殺害した。計画はうまく行ったかに見えたが、たまたま甥たちを連れてサーカスに来ていたコロンボが……。

 文庫オリジナルで、小鷹信光が英語のシナリオをもとに執筆した和製ノベライズ。
 もともとは、旧作「コロンボ」シリーズでもファンの評価が高いといわれる二本「祝砲の挽歌」「策謀の結末」を書いた脚本家ハワード・パークが1975年ごろに執筆したシナリオだが、なぜか映像化されずにオクラ入りになっていた話だそうである。
(その辺の事情について、ごく勝手な仮説を考えるなら、どこかの実在のサーカスから撮影協力を受ける話で、番組制作陣が構想を進めていたが、何かの理由でそれが中座。そのまま幻の作品になったとか?)

 とある機械技術を用いて遠隔殺人を行い、アリバイを作る主人公リックの犯行トリックは、半世紀近く前の70年代半ばならそれなりに目新しいものだったろうが、さすがに今となっては素人作家でも書かないだろうもの。
 コロンボがネッドの死因に不審を抱く流れなども良くも悪くも王道だが、最後にリックへの嫌疑を高めていく決め手はちょっと面白かったかも。まあそれもシリーズの平均点レベルといえばそれまでだが。

 コロンボの相棒として「悪の温室」「魔術師の幻想」に登場するウィルソン刑事(本書での名前表記はケイシー・ウィルスン)が顔を見せる。見当違いな推理を語って、別の人物を容疑者と誤認。それで得意がるなどちょっと愉快な存在感を示した。

 あと、団長ネッドが可愛がっていた土地の野良犬をコロンボが面倒を見て、途中からその世話を独身のウィルスンに押し付ける。
 あ? この犬が「黒のエチュード」で初登場のコロンボの愛犬、またはその原型か? と一瞬思ったが、調べたら「黒の~」はすでに72年にオンエアされていたので、これは別のイヌだろう。実際、この物語の最後でも(中略)。
 
 特化した長所はないが、まだ出会っていなかった「コロンボ」の正編(のようなもの)を、まるまる一本楽しめた。そんなお得な気分は味わえる。「コロンボ」シリーズとして佳作。


No.1025 6点 人狼の四季
スティーヴン・キング
(2020/11/23 13:33登録)
(ネタバレなし)
 米国のニューイングランドは、小さな田舎町ターカーズ・ミルズ。その年の1月、鉄道信号手のアーニー・ウェストラムが、異形の怪物=狼男に惨殺された。以降、毎月の満月の夜、被害者が続出。街は謎の怪物の実態も見定められぬまま、恐怖の影に包まれる。やがて季節は移り、車椅子にすわった10歳の少年マーティ・コスロウは、月下の庭でただひとり、狼男と対峙するが。

 1983年のアメリカ作品(邦訳は85年の改定版の原書がベース)。
 日本での初訳は文庫版『人狼の四季』と同じ版元の学研から、『マーティ』の邦題でハードカバーで刊行(1996年3月10日・初版)。評者は今回、この『マーティ』の方で読了した。
 文庫版は手元にないので仕様の比較はできないが『マーティ』には、先行レビューのTetchyさんがおっしゃったバーニ・ライトスンのイラストが、カラーと白黒でふんだんに掲載。巻末には本作のメイキング事情、映画版との比較、狼男もののフィクションの大系への言及など、驚異的な質量の、そして作品やジャンルへの愛情に富んだ評論家・風間賢二の重厚な解説記事が添えられている。特に少年マーティと狼男、二人の主人公の相似点に着目した見識は絶妙で、これはぜひとも本編を読まれたあとに参照されたい。

 それで、ヒトのレビューばかりホメて終わるのもナンなので(笑)、評者自身の拙いレビュー&感想そのほかを綴ると、もともとこの作品と当方の接点は映画版『死霊の牙』を日本でのビデオリリース時にレンタルで観たのが最初(たしか90年代の初頭)。キング自身が自作を脚色した3本目の作品で、キングにとってそういう経緯での初の長編映画であった。
 そんな映画版はキングが自作のプロットをさらに練り込み、主人公マーティを掘り下げて造形したようである。そんな流れもあって、当方の今回の感想もいきおい映画版『死霊の牙』との比較になってしまうのだが、映画で、この手のモンスターものとしてはかなり印象的であった狼男のキャラクターについての文芸が、この原作小説ではまた違うアプローチになっているのが興味深かった。

 ネタバレになるのでここでは詳述できないが『死霊の牙』での狼男の立ち位置は、彼が凄惨な凶行を繰り返す憎むべき怪物なのは事実だが、さらに原作とは違う<そのアレンジ>により(中略)という立体的なキャラクター造形がなされ、そこが当時の自分にはとても印象深かった。今でもあの文芸ひとつゆえに(この映画版の長所はそれだけではないが)映画『死霊の牙』は、原作『マーティ(人狼の四季)』とはまた一味違った秀作になったと今でも信じている。
 もちろん多岐にわたるキング作品の映像化などとてもすべてカバーしているわけはないが、少なくとも自分が観たキング映画のなかではもしかしたらこの『死霊の牙』が、筆頭クラスにスキかもしれない。
 
 それで改めて原作小説の方の感想に話を戻すと、これはこれで原石的なモンスターモダンホラー(ジュブナイル・ホラーアクション)として十分に楽しめる。
 物語前半、オムニバス風の挿話の積み重ねは一本一本をキングが良い意味でのローコスト的な文字量で、効果的に書いている感じで悪くない。まあ(中略)ケ月分でひとくぎりついたから分量的にもちょうどよく、これ以上同じパターンが続いていたら飽きたかもしれないけれど。前述の映画版との比較の話にもなるが、狼男の誕生の事情を暗喩する短めの描写も悪くない。
 最後のクライマックスは(やはりどうしても映画との比較が頭に浮かんで)やや物足りないが、先述の風間評論のとおり、この作品が抱える<ひとつの主題>を語りきった強みはあるので、これはこれでよし。

 そんなわけでこれからこの作品に触れる人は、できれば小説と映画とセットで楽しんでください。自分は先に映画を観てしまったけれど、可能ならば、発表順に小説から入った方がたぶんいいかもしれない。
 
 評点は一応、原作版のみのものとして。
 映画とセットならもう1~2点プラス。


No.1024 7点 消えた街燈
ビヴァリイ・ニコルズ
(2020/11/23 05:23登録)
(ネタバレなし)
 1952年の大晦日。64歳になる音楽評論家で准男爵のエドワード・カーステアズが、何者かに刺殺される。ロンドン警視庁のベテラン刑事、ジョージ・ウォラー警視が捜査を担当するが、一方で休業中の大物オペラ歌手、ソニア・ルービンスタインも天才的な老名探偵ホレイショ・グリーンに事件の調査を依頼。現在は引退状態だったグリーンだが、事件に関心を抱いて活動を始めた。やがて事件の鍵となるらしい未公表の交響曲の存在が明らかになり、かたや被害者エドワードの秘めた顔と彼の周囲の人間関係が暴かれていくが……。

 1954年の英国作品。60歳の名探偵ホレイショ・グリーンのデビュー編。
 たしか一年くらい前、評者がミステリ界の某ビッグネームファンとメールでやりとりをして、その際に「論創社の海外ミステリシリーズで今後、未訳作品を発掘してほしい作家」を話題にしあったところ(笑)、先方が推してきたのが、このビヴァリイ・ニコルズであった。
 本作『消えた街頭』などポケミスで翻訳された二冊は、ちょうどその少し前に、そんなに高い値段ではなく古書で入手していたので「へえ……(そんなに期待できそうな作家なのか)」と、改めてこの作者を意識した。
 そんな流れで、すぐ楽しんでしまうのがちょっともったいなくなってページを開くタイミングをうかがっていたが、昨日~今日になって、まずはこのシリーズ第一作を読んだ。

 作者ニコルズの<若い頃から非常に幅広い分野の著作をものにしながら、ミステリ作家としては55歳で遅咲きデビュー>という経歴はちょっと異色だと思うが、そもそも英国のパズラー系で50年代の半ばにデビューという作家が、あまり想起できない。たとえばゴーテ警部もののキーティングなんか、59年にノンシリーズもので長編デビューみたいだが。
(まあうっかりものの評者のことだから、結構な大物を忘れてたりするんだろうけど・汗)。
 
 それでとりあえず本作の内容だが、おや、こういう話、という印象。音楽界が舞台ということも読んで初めて知ったし、そもそも邦題から、第二次大戦の爆撃であちこちの街灯が壊れたロンドンの街(カーの『囁く影』みたいな)40年代後半の雰囲気を勝手にイメージしていた。ところが現物はそれなりに復興の進んだ、しかしまだ大戦の影がうっすら宿る時節のイギリスでの話であった。

 そんな実際の小説&ミステリの出来としては、さすがに書き慣れた作家だけあって、登場人物の書き分けもストーリーテリングも期待以上にうまい。ポケミスの裏表紙では(たぶん都筑道夫が)「文学的香気高い筆致、純文学作家ならではの見事な着想」と賞賛しているが、ブンガクとしてのレベル云々はよくわからない評者でも、端々に効かせた英国流ドライユーモアの感覚はなんとなく感じ取れる。
 特に中流階級と上流階級の格差意識を揶揄する要所の人物描写は辛辣で、それが(中略)。
 
 最後の犯人の意外性と、こんな大技を用意していたのか! と嬉しくなるようなメイントリックにも個人的には大いに沸いた。
(まあnukkamさんのおっしゃることもよく理解できますが、私的には、作中の当該者の思考としてはギリギリ、アリだとは思う。なによりこの外連味いっぱいの大技が、ミステリとして本当に楽しかった)。

 心やさしい、そして人間臭い、初老の紳士探偵ホレイショ・グリーンも名探偵キャラクターとして魅力的。
 そのうち『ムーンフラワー』を読むのが、改めて楽しみになった。
 しかし「世界ミステリ作家事典」の作者ニコルズの項目を探ると、残りの未訳のシリーズ3~5作のどれもこれも面白そうだね。これこそ発掘・再紹介すべき海外作家のダークホース筆頭かもしれない。

 評価はかなり8点に近いという意味で、この点数。


No.1023 7点 ねじれた奴
ミッキー・スピレイン
(2020/11/21 10:49登録)
(ネタバレなし)
「おれ」こと私立探偵マイク・ハマーは、ニューヨークから少し離れた地方の町サイドンに向かう。そこではハマーと旧知の仲で、今は真面目に働く前科者の男ビリー・パークが、身に覚えがない誘拐犯の嫌疑をかけられていた。ハマーは、面識のある凶暴な暴力刑事グレート・ディルウィックのもとからビリーの身柄を力づくで受け出し、そのままくだんの誘拐事件に介入した。依頼人は高名な科学者で資産家のルドルフ・ヨーク。ビリーはヨークのもとで運転手として堅実に勤務していた。ヨークの話では、彼の息子で14歳の天才児ラストンが何者かによってさらわれ、地元の警察はろくな捜査もしないでビリーを逮捕したという。ハマーはヨーク家の周辺を入念に調べ、わずかな情報から少年の行方の手がかりを見つけるが。

 1966年のアメリカ作品。マイク・ハマーシリーズの第9作。
 『ガールハンター』『蛇』の秘書ヴェルダとの復縁二部作で完全復活したハマー、そのシリーズ第二期の三冊目。
 例によって本(ポケミス)は何十年も前に購入していたが、どっかのいらん、無駄におせっかいな書評で大ネタをバラされてしまい、興が失せてしまった。それで今回はじめて、ようやっと読んだ。
 ちなみに本サイトの先行レビューの二つのうち、kanamoriさんの方は曖昧に書かれたようで、実際にはミステリとしてのネタバレ全開なので、誠に恐縮ながら、これからもしご覧になる方は、そのつもりでお読みください(空さんのレビューの方は、大丈夫だと思います。)。

 本作のキーパーソンとなるのが14歳の天才少年ラストンで、彼に対して過剰な保護願望を抱く前半からのハマーの姿がすごく鮮烈。ハマーって、悪党や共産主義者(の過激派)には無慈悲、プチブルにもけっこう時として意外に冷たい一方、『大いなる殺人』の頃から赤ん坊や子供にはやさしいキャラクターだったから。まあ旧世代の「アメリカ・マッチョ・良識派」(?)だよね。

 なお本書はポケミスの通巻1078。これとほぼ同時の1080でロスマクの『ドルの向こう側』(原書は1964年)が刊行されていて、どちらも私立探偵主人公と事件の渦中にある少年との距離感が大きな主題になっている
(このことは、本書の読了後に小林信彦の「地獄の読書録」をよみかえしたら、同様の指摘があって思わずにやりとした。)

 この辺の時代的な背景としては、50~60年代にアメリカミステリ界で一流派となった「非行少年もの」の隆盛(メジャーなエヴァン・ハンターから、懐かしのハル・エリスンなど、ほかいろいろ)があり、ハマーもアーチャーもそういった<ティーンエイジャーを題材とするミステリ>の波に乗ったのだと思う。
 なお、この時流がさらにあと数年進むと日本でも、仁木悦子の『冷えきった街』や結城昌治の『不良少年』とかが70年代の頭に書かれたりするのだけれど、まあそのへんはまた次の機会に語りましょう。
 そもそも評者は『ドルの向こう側』も『不良少年』もまだ読んでないし(笑・汗)。

 本作はポケミスで280ページ弱。客観的にはそんなに厚くないのだけれど、それでもハマーシリーズのなかでは一番長いような気がする。まだシリーズを全部読んでないから、うかつなことは言えないけれど、翻訳された分は全部、所有はしているので、たぶんそうじゃないか? と。
 しかし会話も多い上に、一人称のハマーの行動は思考の流れが明快でわかりやすい。さらになにより主人公のハマーが第二期のこの三冊目で完全復調しているので、ハイテンポなことこの上ない。二日間かかったけれど、実質的には4~5時間もかからず(二回にわけたが)ほぼいっきに読めた。
 登場キャラは、暴力刑事のディルウィックが出色。しつこく、かなりとんでもないレベルのダーティプレイでハマーにいやがらせ(それから……)してくる。初期の平井和正の描く白人の悪役みたいな感じで、油くさいいやらしさがなかなか強烈なキャラだった。
 それで最後の真相は、大ネタをあらかじめわかっていながら、それでもかなりショッキング。明かされる真相にはちょっとだけ無理筋も感じないではないけれど、かなり練り込んではある。
 たしかにここがキモの作品だけれど、もし万が一ネタバレで犯人をしってしまっている人がいても、たぶんかなり楽しめるとは思います。

 最後に大声で言いたいこと。
 
 なんでヴェルダがまったく、ただの一行も出ない?

 地方に出張のハマーが彼女を同道させないのはとりあえずいいとして、ヴェルダにひそかに惚れているパット・チャンバースまで登場しながら、二人とも噂さえしないってのはどういうわけか?!
 ちなみに次のハマーシリーズ『女体愛好クラブ』はまだ未読だけど、そっちではちゃんとヴェルダは出て来るみたいね。あわてて人物一覧だけ先に見てしまったぜ(まあ『皆殺しの時』でちゃんと活躍していることは知ってるんだけれど)。
 彼女についてアレコレ思うことはあるっけれど、それはいずれまた『女体~』を読んだら書きましょう。


No.1022 5点 トリックスターズ
久住四季
(2020/11/19 04:20登録)
(ネタバレなし)
 魔術研究が「魔学」として、一般にも公認された世界。現在の地上には、世界の文明や力学に影響を与えうるレベルの魔術の才能の主「魔術師」が、わずか6人のみ確認されていた。魔学研究機関として世界でも有数の学舎「城翠大学」の新入生である「ぼく」こと天乃原周(あまのはらあまね)は、大学に客員教授として招かれた美青年魔術師・佐杏冴奈(さきょうしいな)と運命的に出会い、彼の思惑のまま、強引にそのゼミ生となる。だが周、そしてゼミ仲間の5人の新入生の美少女の前に鳴り響いたのは、恐怖の殺人予告アナウンスであった。

 メディアワークス文庫の改定版で読了。かなり細かい制約付きで魔術が存在する世界での謎解き、フーダニット、ホワットダニットという大枠はよろしい。ちょっと面白い趣向での「密室」の謎も用意されており、そういった意味での数々の外連味は評価したい。

 しかし肝心の<この作品世界では魔術でここまでが可能で、ここからはアウト>という線引きがいまひとつ不明瞭で、最後の謎解きにあまりカタルシスを感じない(説明のための言葉を費やしている魔術ルールも、いくつかはあるのだが)。
 たぶんその辺りの伏線は張ってはあった? のだろうが、ネタを明かされると「ああ、それはアリなんだっけ?」という気の抜けた感じで……。

 それと(中略)の大仕掛けの方は、いくらジュブナイルに毛の生えたようなラノベミステリとはいえ、あまりに見え見えで。
 まさか21世紀にあのネタをダイレクトにやって商売するんじゃないだろうな? とおそるおそる読み進めたら……(中略)。というか、ところどころ正直に、不自然にならないように叙述しすぎて、早い内からあからさまだよね(汗・笑)。

 小規模な部分では光るものもあったんだけれど、本編のちょっと長めのボリューム(本文、約390ページ)に見合う甲斐は、あまりなかったなあ、という印象。
 まあシリーズの二冊めももう購入しているので、そっちもそのうちいつか読むでしょう。今度はもうちょっと、持ち直してくれているとよいなあ。


No.1021 7点 ちがった空
ギャビン・ライアル
(2020/11/18 04:17登録)
(ネタバレなし)
 ライアルの初期5冊、60年代の作品中、評者が唯一、未読だったのがコレ。
 たぶんその理由は、ライアルの名作=菊地光の翻訳という固定観念があり、松谷健二じゃどうなんだろう? という疑念を抱えていたからだと思う。
 いやほかの松谷訳のミステリで楽しんだものなんていくつもあるし、実際、今回、読んでみて、オレはずいぶんと長らくつまらない予断を持っていたものだと、大いに反省した(汗・そのくらい普通にこなれた、味のある訳文であった)。

 でもって物語の前半は、ややとっちらかった印象を受けたが、主要人物のひとりが(中略)してからは話が弾み、ストーリー最後の4分の1は、加速度的な勢いでページをめくらされた。
 嵐の中での飛行描写の克明さと迫力には、空のハモンド・イネスの称号を、作者に今さらながらに送りたい(そういや先輩のイネス作品って、航空ものをあまり読んだ覚えがないな)。

 それで、始終こまかく抜け目なく、今後の状況を勘案している主人公ジャック・クレイの駆け引きぶりとか、物語全体の主題や結末に至る流れとか、たぶん多くの読者が、この長編のさらに数十年前に別の欧米作家が書いた<かの作品>を想起するんじゃないか? と思う。
 しかし意図的なリスペクトにせよ、着地点が同じになったにせよ、くだんの先駆作品に近しい手応えを与えてくれた実感はホンモノで、その意味でたしかにA級作品と呼ぶにふさわしいと私見。

 そんな熱気と勢いに意味がある作品だと思うから、あまり細かいことを言ってもナンなんだけれど、気にかかることがちょっと。
 最後には主人公たちや作者の念頭から、何人か主要(準主要?)キャラの存在が抜け落ちちゃっているよね? 半ば「まあいいか」とも思いながら、やはり微妙にその辺が気にならないでもない。
 評点は私も、実質7,5点というところで。


No.1020 6点 北極星号の船長
アーサー・コナン・ドイル
(2020/11/17 14:51登録)
(ネタバレなし)
 2004年12月に刊行の、創元推理文庫版『北極星号の船長』で読了。
 幅広い<モンスター譚>を主軸にまとめた、ドイルのホラー短編集。本書収録の短編のいくつかには、初出誌か原書が出典らしい挿し絵が添えられている。それで、とある評者の行きつけのサイトで、巻頭の『大空の恐怖』の印象的な挿し絵=ビジュアルを紹介され、この作品と本の存在を意識した。そうしたら、この本は古書でしばらく前に購入して積ん読になっていたことに気づき(汗・笑)、さっそく少し前から読み始める。
 創元文庫版の収録作は以下の12編。各編の「……」以下は、評者の感想&寸評&作品メモのコメント。各エピソードのモンスターの実態(正体)、その詳細については、なるべくネタバレしないようにする。

1 大空の恐怖 (The Horror of the Heights)
……いきなり怪獣大盤振る舞いで、雲の上の成層圏周辺に異形の(中略)の棲息域があったという話。破損した手記ノートから事態の様相が紐解かれていくという王道の構成も良い。

2 北極星号の船長 (The Captain of the Polestar)
……正統的な海洋奇談で(中略)ストーリーだが、荒涼とした極寒の氷地の彼方に見える(中略)の姿がじわじわと読み手を攻めてくる。

3 樽工場の怪 (The Fiend of the Cooperage)
……密林の大河周辺の樽工場。そこからいなくなる人員。窓の向こうの何か。これこそ大物の登場で、クラシックならではのモンスター譚の味わい。終盤のビジュアル的なインパクトは、童心に帰って実に満足。

4 青の洞窟の恐怖 (The Terror of Blue John Gap)
……『バスカーヴィル』に通じるような、英国の辺境地方のモンスター編。主人公が足を踏み入れていく後半の舞台と設定と、そこで出くわす怪物の図は、挿し絵の効果もあってなかなか楽しい。怪物とストーリーのロケーションの設定は、石森(石ノ森)章太郎の某・初期人気シリーズの一本に影響を与えているかも?

5 革の漏斗 (The Leather Funnel)
……主人公が好事家のコレクターである貴族から見せられた中世のアイテムの正体は? モンスター要素の希薄なホラー。まあ(中略)も広義のモンスターかもしれないが。ちなみにこの話は昔、30分枠のアンソロジー形式のホラー洋画番組『オーソン・ウェルズ劇場』の一本で映像化されている。そこではあのクリストファ-・リーが、キーパーソンの変人貴族を演じている。

6 銀の斧 (The Silver Hatchet)
……5の流れを受けた、古のアイテムにからむ怪異ストーリー。真相の処理の仕方が、この本の中ではちょっと異質かもしれない。

7 ヴェールの向こう (Through the Veil)
……愛し合う若夫婦の体験した奇妙な、そして彼らの人生に影を落とす体験とは? モンスター要素はまったくない(中略)を主題にした話。民話風のぞわぞわ感は与えられるが、本書の中ではちょっと印象の薄い一編。


8 深き淵より(デ・プロフンデイス)(De Profundis)
……2とは別の切り口の海洋奇談。モンスターは小物? なんだけれど、日常世界と異界の接点が垣間見えてしまったという感覚の小説の作りは、結構悪くない。肝心の(中略)の挿し絵が載ってないのが残念。

9 いかにしてそれは起こったか (How It Happened )
……これが本書の中では一番の異色というか、異質な作品かなあ。ホラーというよりは、オチで勝負した古典的ショート・ショートという色合いが強い。その意味では、ちょっと印象に残った。

10 火あそび (Playing with Fire)
……降霊術(のようなもの、かな)で召喚されたその正体は? ああ、こういうものもモンスターの演出で描くのか、という割と当たり前のことを、心のスキをつかれたように読まされて、なかなか良かった。これも挿し絵(あのシドニー・パジェットだよ)の妙味もあって、閉じた扉の向こうの闇の中から迫る(中略)のイメージにゾクゾク。

11 ジョン・バリントン・カウルズ (John Barrington Cowles)
……語り役をつとめる主人公の視界で相次ぐ(中略)に関わる事態の真相は? ドイルのひとりモンスター劇場という気分で読んでいたので、こういう存在もモンスターとして扱ってるのか? という驚き。まるで『事件記者コルチャック』みたいな怪物のバラエティ感だ。まあ作者ドイルはこれをあくまで独立した一編の幻想ホラー奇談として書いたのであって、自分のモンスター作品の系譜を意識したのでもないのかもしれないが。

12 寄生体 (The Parasite)
……長めの紙幅の中で、サスペンス効果を意識した書き方をしているのはよくわかるのだが、これまでの各編でバラエティ感ゆたかなモンスター作品をたっぷり読まされているので、魔性のもののインパクトもあまり感じない。地味な怪物キャラクターで短編小説として興趣あるものをまとめてみたいと狙ったドイルの気分はわかるような気がするが、できたものはその設定の主題に比例して地味だった、という感想。

 以上、全12編。イマイチなものもいくつかあるが、何度も言っているように、バラエティ感いっぱいのモンスターもののホラー短編集としてはなかなか楽しかった。正に、半分子供で、半分オトナの読者のための一冊(笑)。


No.1019 7点 臨海荘事件
多々羅四郎
(2020/11/16 19:03登録)
(ネタバレなし)
 昭和の初め。その年の10月12日。東京は大井町の高級アパート「臨海荘」の13号室で、元鉱山技師の資産家でひとりぐらしの62歳の男・本野義高が何者かに殺害された。状況は鍵のかかった密室。当日の午前中、義高のもとに甥の義夫、その義夫の友人の大枝登、さらに遠縁の娘・秋川澄江が順々に訪問していたことが判明。捜査主任である警視庁の市川警部と、その部下のベテラン刑事・長瀬幸太郎たちは関係者それぞれの証言を洗うが、やがて事件は思わぬ方向へと。

 昭和11年に春秋社から書き下ろしの形で刊行された、フーダニットのパズラー長編。
 もともとは昭和10~11年にかけて春秋社が実施した「長編探偵小説懸賞募集」企画に応募された作品(原稿用紙で約500枚)で、本作は北町一郎の作品『白昼夢』と並んで、準優勝といえる第二席の栄誉を獲得した。ちなみにこの時の第一席が、あの蒼井雄の『船富家の惨劇』。
 同企画の審査にあたったプロ作家たち(乱歩、雨村、甲賀、大下)の高評は完成度の高い『船富家』と、印象的な異色作『白日夢』におおむね傾むいたようで、本作を語るコメントの類は少ない。そのせいか、元版の刊行から80年以上経った今でも、マトモな形ではいまだに復刻されていない長編。

 今回、評者は興味がふと湧いて、前後編の分割で完全再録した雑誌「幻影城」の本誌1977年7~8月号にて一読した。
(しかし山本禾太郎の『小笛事件』の一挙再録とかも快挙だったけれど「幻影城」本誌って、改めてスゴイ雑誌だったと今になってようやっとわかる。なにしろ当時の評者なんか、この1977年後半の時期の同誌なら、初出連載の亜愛一郎ものばっか、とびついて読んでいた~汗・笑~。)
 
 それで本作『臨海荘事件』だが、作者の多々羅四郎は結局これ一本を残してミステリ界を去ってしまった作家のよう(再録の後半に寄せた解説記事で、中島河太郎がもしかしたら、と同一人物のものらしい短編の名をあげているが、グレイゾーンのようである)。
 したがって今回のレビュー(感想)も、あくまでこの作品単独のもの、せいぜい『船富家』との比較くらいしかできないんだけれど、個人的には予想以上に面白かった。

 作品の形質に関しては、当時の数少ない講評を乱歩がしており、その乱歩のコメント「真犯人の(ここは評者の判断で省略)、それについての作者のトリック、クロフツ流にリアルに描かれた探偵経路、幕切れの小道具としての(ここも中略)など、仲々よく出来ていると思う。古めかしい文体に力がそがれているが、トリックは相当廻りくどく考えてもあるし、一方またズバっとした所もある」という賞賛に実に同意。今の目で見ても、かなり的確な乱歩の評価だと思う。
 つけくわえるなら、容疑者が循環してゆく物語前半の流れ(あまり書かない方がいいか)を受けた、後半の探偵役たちのポジションがストーリーテリング的にかなり小気味よい。特にその軸となる、根は善人で正義漢ながら、酒に弱くて失敗を重ねてしまう初老刑事・長瀬のキャラクターが絶妙だ。
 あれやこれやのミステリギミックの結晶度では、たしかに『船富家』には及ばなかった本作だけれど、こういう人間臭い造形の登場人物は向こうにはいなかったよ(笑)。
 乱歩が賞賛のトリックについても、手数の多さをきれいにまとめている(一部、情報の後出し的な部分もあるが)。
 特に密室の真相は、ヒトによってはいろいろ言われるかもしれないけれど、昭和30年代の笹沢や佐野が使いそうなアイデアで、自分的にはニヤリ! であった。

 地味な戦前の謎解きフーダニットパズラーといってしまえばそれだけだし、作者の作品が事実上コレだけしかない無名作家ゆえ、セールスも難しいだろうけれど、それでも2020年代のこれから「あの『船富家の惨劇』と賞を競った幻の本格謎解き長編、初版以来、85年ぶりに発掘!」とかなんとか帯に謳って、新刊の文庫化してもいいかと思うよ。それでくいつく好事家の国産クラシックミステリマニアなら、そこそこいるんじゃないかしらん?

 評価は0.5点オマケして、この点数。
 ちなみに『船富家』の方は、名作の定評ゆえにややきびしくして7点なので、その辺りのニュアンスはよろしく読み取ってくださると有難い(笑)。


No.1018 6点 ハニー貸します
G・G・フィックリング
(2020/11/16 04:26登録)
(ネタバレなし)
 ロスアンジェルス。何者かに殺された父親ハンクが遺した探偵事務所を受け継ぎ、私立探偵として活躍する「わたし」こと28歳の美女ハニー・ウェスト。ハニーは、彼女自身がかつて少女時代にファンだった映画スター、ハーブ・ネルソンと懇意だった。だが現在のネルソンは尾羽打ち枯らした孤独な老人。そんなネルソンの訃報に接したハニーは、自分から彼の最期の事情を探る。ハニーは、少し前にネルソンを脇役として出演させる話がありながら、結局はお流れになった人気テレビ番組「ボップ・スワンソン・ショウ」周辺の面々に接触。番組の主演スター、ボップ・スワンソンやプロデューサーのサム・エイセズたちと対面するが、やがて関係者一同が集う大型ヨット<ヘルズ・ライト号>の周囲で連続殺人が……。

 1957年のアメリカ作品。女私立探偵ハニー・ウェストシリーズの第一弾。
 先日、シリーズ第4作『ハニーと連続殺人』を先に読んでしまったばかりの評者だが、シリーズ初弾の本作がそのあと家の中で見つかったので、改めてこっちを一読する。彼女お借り……ではなく、女探偵ハニーお貸しします、だな(原題は「This Girl for Hire」。この娘を雇えます、というくらいの意味か?)。

 まだシリーズ第一作目のためか、劇中キャラクターの書き分けは後発の『~連続殺人』の方がこなれが良い気がした。とはいえ、例によって自分で登場人物一覧リストを作りながら読むので、そんなに煩わしさとかは感じない。
 ストーリーそのものは、ウン十ページにつき一人のペースで飛び出してくる死体という感じで、実に小気味よく進む。行方をくらました重要人物らしいキャラクターの予期せぬ(中略)、生きているのか死んでいるのかわからない去就不明のキャラクターの謎……など、読み手に与える刺激もバラエティに富んでいて飽きさせない。
 さらに物語の流れの上の一部では、ハニーのボーイフレンド兼ライバルのマーク・ストーム警部の推理の方が、主人公のハニーの一手先を読んでしまうなどの軽い意外性もなかなか楽しい。
 まあ物語をスムーズに転がすために、ハニーがたまたま遭遇した事態のなかでごくラッキーに手がかりやのちのちの展開に続く伏線を獲得するといった都合のよい部分もないではないが、全体の割合からすればそれは抑えめ。
 しかもいやらしいというより陽性のお色気シーンや、女探偵としてのアクション描写も混ぜ込みながら、それらの節目の展開は起伏感豊かに見せてくれている。美人探偵を主人公にしたB級私立探偵ミステリとしては、これはこれで結構なレベルではあろう。

 それでシリーズ全体の風評や、先に読んだ『連続殺人』の印象から、どうせまた今回も最後には何かミステリ的にヘンなことを仕掛けてあるんだろうと予期したが、例によってページ数が少なくなっていくなかで事件の真相はなかなかまだまだ底を割らない。それで最後には……(中略)!
 いや個人的には、すごくウケました。色んな意味で(中略)な真相で真犯人だが、この意外性は実のところ、けっこう好みだったりする(笑)。なんかね、1990年以降の日本の新本格ジャンルでの、中規模のしかし妙に打球の切れがいいファール作品を読まされた感じで(笑)。
 ヒトに胸を張って勧められるかというと微妙だけど、ひそかにこっそりと、これを楽しんだ記憶を心の片隅に留めたい一作。そのうちまたこのシリーズを読むのが楽しみじゃ。

 最後に、前述のとおり主人公ハニーの年齢設定は、このデビュー編で28歳。6年前に父親ハンクを殺されて以来、数年間、自分自身の探偵稼業のキャリアを積んだとして、ごく自然な年齢である。
 そして、かなり後輩の世代のウォーショースキーや、我が国の現役・葉村晶なんかがもっとずっと年上で活躍している現在の視点からすれば、女性探偵としては全然若いんだけれど、日本にハニーシリーズが紹介された当初は、どっかの翻訳ミステリ時評で「ババア」呼ばわりされていた(汗)。要はお色気を売りにする肉体派女探偵なら、若い方がいい、せいぜい20代の前半までとかいう、そういう意味合いだろう。まあ日本に紹介された1960年代っていったら、25歳でまだ嫁にいかなきゃ売れ残りのクリスマスケーキとか言われていた世相だったしな(そういう空気は70~80年代にもまだ残っていたが)。
 そういう意味で、1950年代の後半に、デビュー時のハニーの年齢をあえて「高め」に設定したフィックリングは、けっこう早い時代から、自立するキャリアウーマン探偵の造形を実践していたのだと思うよ。
 60年代当時の薄っぺらいお色気探偵という見識で付き合うより、のちに隆盛してくるキャリアウーマン探偵たちの原石的な先駆という文脈でハニーの名探偵史上のポジションを捉える方がいいんじゃないかと考える。

【メモ】
・ポケミス16ページに、老俳優ネルソンの死は「ブラック・ダリア事件」なみの衝撃だという主旨の発言あり。
・同127ページで、ハニーが、窮地になったらペリイ・メイスンに連絡をとる云々のことを言う(笑)が、これはタイムリーに本作と同年に始まったテレビシリーズを視野に入れたジョークだろう? まさかフィックリング夫妻の脳内設定、あるいはガードナーの了解のもとに、ハニーとメイスンチームが同じ作品世界にいるわけではないだろうし。
(いや、それならそれで、本気で嬉しくて楽しいけれど。つまり、あの『大統領のミステリ』とかを介して、ハニーはファイロ・ヴァンスなどとも同じアメリカの空気を吸っていることになるわけだし・笑。)


No.1017 5点 殺人投影図
結城恭介
(2020/11/15 04:54登録)
(ネタバレなし)
 1992年6月の吉日。東京ベイエリアのホテルで、大手電子機器会社「三響ダイナシック」の社長令嬢・原田萌子と、同社社員・高城遼の華燭の典が開かれる。そこに萌子の元彼氏の菊地トオルが乱入。菊地は列席者に取り押さえられ、一時的に監視付きの場に拘禁された。だがその菊地は密室的な状況の他殺死体で見つかり、殺人の容疑が萌子にかけられた。萌子の父で「三響」社長の信雄は、名探偵として高名な青年・雷門京一郎に捜査を依頼。しかしその京一郎はひそかに「<依頼人の望む犯人>を<見つけ出す>」ことで知られる人物だった。かねてより京一郎の素性を認めていた信雄は「自分が犯人として暴いてほしい人物」として、ひとりの名をあげる。
 
 結城恭介作品は、大昔に『ガンダム0080・ポケットの中の戦争』の公式ノベライズを読んだきり(当然ながら、知る人ぞ知るその仕上げぶりには、ぶっとんだ)。
 従って作者のミステリ分野の著作も、この雷門京一郎シリーズも初めて手にした。
<依頼人が提供する高額の報酬と引き換えに、お好みの犯人をあつらえる>という京一郎のキャラクター設定は、そのまま文字通りに受け取るのなら、正に悪漢探偵としか言いようがない。
 しかし本作はあくまでフーダニットのパズラーのようであり、さらに本文を読み進んでも、京一郎からはちっとも悪人の香りがしない、そんな気配も感じられない。
 それゆえ、この作品は謎解きミステリとして、あるいはミステリキャラクタードラマとして、どこにどう着地するのだろうかと、相応の求心力で読み手の興味をソソることにはなる。
(名探偵の噂を聞いて取材にやってきた、フリーの美人ライター兼編集者・日野さやかと京一郎とのラブコメ模様も、大筋の物語にフリカケるトッピングみたいな意味で、リーダビリティを促進させる。)

 結果、密室の謎の真相はそんなに大したことはないし、事件の奥に潜む錯綜した人間関係の綾も、ややこしいようでそうでもなく、ややこしくはないようでそうでもない……という印象。すんごい昭和臭の漂う1994年当時の新刊ミステリであった。
(なんというか、キャラクターの意外な配置がまず作者の頭にあること自体は、もちろん結構なのだが、それぞれの関係性の成立、あるいは暴かれるなりゆきが、かなり強引なものが多い感じで……。)

 しかしこの時代って、主人公のプロ探偵が携帯やポケベルが苦手、電子メールのことさえ知らないといってもまだ許されたのね(笑)。このあとの数年間で、いっきに世の中の電子化は進んだのだろうけれど。

 作者がブラック・ジャック(医者の方)のイメージを投影したとかいう主人公・京一郎、そしてその周辺のキャラ連中は、それなりに親しめる感じであった。ただし肝心の「お好みの犯人をあつらえる名探偵」という文芸は、この一作を読むかぎり、ちっとも効果的ではないねえ。

 とりあえずシリーズの二冊目もすでに購入してあるので、そのうち読むでしょう。


No.1016 7点 暗い国境
エリック・アンブラー
(2020/11/14 05:10登録)
(ネタバレなし)
 193×年4月。英国はコーンウォール地方のロールストン。休養旅行に来ていた40歳の物理学者ヘンリイ・バーストウ教授は、そこで一人の男から接触を受ける。男は死の商人「ゲイター・アンド・プリス社」の一員ゲイター・グルームだった。グルームは欧州の小国イクサニア(仮名)が新型原子爆弾を開発中、同国がいずれそれを盾に国際関係の均衡を崩すという予見を語った。世界平和の大義と武器商人としての利益追求から、くだんの研究を自社の管理下に置きたいと主張するグルームは、技術顧問の協力をバーストウに要請する。この提案を辞退するバーストウだが、彼はその直後、自動車事故で精神の平衡を失い、自分が先に手にした娯楽スパイ小説『Y機関員 コンウェイ・カラザス』の主人公「コンウェイ・カラザス」だと思い込む。いまの自分が任務で物理学者バーストウに変装しているのだと認識した「カラザス」は、状況の導くままにイクサニアに乗り込むが……。

 1936年のイギリス作品。
 今回が初読であるが、例によって創元文庫版は何十年も前に初版を買って積ん読。その前後に本作を一挙掲載した「別冊宝石」(そちらの邦訳題名『夜の明ける前に』)の方も古書で買っていた。

 でもって、今回はじめて、そして改めて<これがアンブラーの処女長編>という意識のもとにじっくり読むが、なんというか……限りなくいろんな複雑な思いに駆られた作品(ただし悪い意味で、ではあまりない)。

 そもそも諜報戦にはまったく素人の物理学者が頭を打ち、自分がフィクション上のスーパースパイ(地の文でカラザスは、前もってホームズやリュパンやラッフルズやブルドッグ・ドラモントやニック・カーターみたいだ、と称される)だと思い込む設定からして「あのアンブラーが第一作目から、こんな破格なお話を作るか!?」という感じ。ほぼ半世紀早く、スパイスリラー界に登場した『俺はレッド・ダイアモンド』だ(笑)。
 
 とはいえ物語の舞台となるイクサニアにひとたび「カラザス」が赴くと、以降の彼は実に優秀なプロスパイ&工作員として行動。本来の身の丈に合わない失敗などを重ねる、お約束の展開などにもならない(序章的なパリの場面でのみ、おかしな奴? 的に、あしらわれる描写はあるが)。
 ……いや、事故による思い込みだけで、それまでまっとうな体術のトレーニングもスパイとしての訓練も受けてなかった人間がそのままスーパースパイになっちまうのはヘンだろ、とも思う。
 だがまあその辺は、そもそもこの作品自体が、今後、二作目以降は地に足をつけたエスピオナージュを書いていきたいと思ったアンブラーが、この一回だけのつもりで、筆のすさびに綴ってみたおとぎ話のようなものだと思えば、いろいろと腑に落ちてくる。

 先に名前が挙がった先輩ヒーローたち(ホームズやリュパンほか)の事件簿みたいな冒険スリラーを書いてみたい、さらにバカンのリチャード・ハネイみたいな巻き込まれ型のヒーローも創造してみたいと、当時のアンブラーは一度は希求したのだろう。
 しかし二つの大戦の狭間で、でももうそういう時代じゃないんだな、と現実を見つめ直した同人が「一回だけ」と自分へのお許しの枠内で「頭を打って登場した幻のヒーロー」として生み出したのが、この「コンウェイ・カラザス」だったんじゃないか。
 
 そういう小説の構造の証左として、主人公「コンウェイ・カラザス」のスーパースパイぶりが常にずっと浮き世離れしている一方、そんな描写としっかり対比するように、物語の場となる小国イクサニアの叙述は徹頭徹尾リアリスティックだ。
 イクサニアのリーダーシップをとる伯爵夫人マグダが、異端の天才学者カッセンを抱え込んで(良くないことだとは知りながら)新型原子爆弾の開発に躍起になるのも、観光も特産物での利益もそうそう見込めない貧しい自国の経済論理を考えてのことだし(それはそれでのちに、また別の登場人物に思考の隙を問われるのだが、少なくとも経済的な富国を意識した必要悪という一定の説得力はある)。
 かたや第二勢力として事態に介入してくる死の商人「ゲイター・アンド・プリス」側も清濁あわせた原動から新型爆弾の機密を狙う。
 さらにイクサニア国内では旧弊な貴族階級を駆逐したいと思う革命派が活動、しかし一方でそんなリベラル派もまた、ある程度は貴族たちに政府内にいてもらわないと国際関係で不都合が生じると、結構、都合のいいことを考えたりもしている。
 主人公の設定と事件の主題はおとぎ話っぽいけれど、それを取り巻く世界像はあくまでリアル。

 これは評者の勝手な思い込みかもしれないけれど<かねてより王道スパイスリラーのファンであった><でも今の時代のなかで実作者として今後「リアル」なものを書いていきたい>と思った若きアンブラーが処女作のなかで折り合いをつけた作品。それがこの『暗い国境』だと思うよ。それゆえアンブラーの第一作目は、先行するロマン派スパイスリラーへのレクイエムという形をとったんだろうね。
 言い方を変えれば、アンブラーはここでかねてから英国スパイスリラーの系譜に対してかかえていた想いを吐き出し、自分がこれから没入していく分野への禊ぎを済ませたのだろう。
 
 とはいえ、創元文庫版が新刊で出たとき、当時のミステリマガジンに「この作品の主題は、経済という「暗い国境」なのだ」とかなんとかでまとめたレビューが載った記憶があるのだが、それは真理を突いていると同時に、あくまで真部分的な見識だとも思う。
 というのも、この作品の主題のひとつはたしかにそういった「リアル」ではあるんだけれど、もうひとつの核となった要素は、物理学者バーストウからスーパースパイのカラザスへの変身という<手続き>のなかで語られた、冒険への憧れとときめきだとも信じるので。
 ただそれが常態化してはいけないという創作者の意識が、この作品にこんなややこしい? スタイルを取らせたのだと見る。
 
 まあ話をアンブラー個人に留めず、大局的に英国ミステリ界を俯瞰するなら、濃淡の程度を変えつつ、いつも英国エスピオナージュと英国冒険小説の底流には、一般市民たちの心にくすぶる<スリルと冒険への憧憬>が絶えることなく潜みつづけるのかも。その辺りの真情はフランシスの『興奮』の終盤で、ダニエル・ロークの<あの一言>が思い切り語っているし。

 最後に、邦題は原題から考えて創元版のものでいいと思うが、「別冊宝石」版のタイトル『夜の明ける前に』もすんごく味はある。なんというか、大事が終焉して、また元の本名と意識に戻るカラザスのことを暗喩した、ダブルミーニングみたいで。


No.1015 5点 踊り子殺人事件
嵯峨島昭
(2020/11/12 19:43登録)
(ネタバレなし)
 妻子持ちの若手サラリーマンで、都内の土地会社の販売第一主任・久里村。彼は出張先の鳥取県で、レズビアン同士である美人ダンサーのコンビ、白川緋沙子と鳳芙蓉(おおとり ふよう)と知り合う。やがて彼女たちが出演する京都のクラブの楽屋に足を踏み入れた久里村だが、その周辺で殺人事件が発生。久里村は事件との関わり合いを避けるが、東京に帰ったあとも緋沙子と芙蓉との奇妙な交際は続いた。一方、京都府警の酒島警部は、この殺人事件を追い続けるが。

 最初の元版は1972年9月のカッパノベルス(光文社)。評者は今回、徳間文庫版で初めて読了。

 元版刊行当時、ミステリマガジンの新刊国産ミステリ時評で、この作品が取り上げられていた。そこでは最後に明かされる本作品の大ネタをぎりぎりまでぼやかしたまま「こういう事実は本当にあるのだろうが、一般常識を越えている。困った謎解き作品」という主旨の記述がなされていた。
 最初にその時評を目にしたときは「はて、どういうことだろうか」とコドモ心に首をかしげたが、その後、数年してSRの会の例会などに参加すると、やはりたまたまこの作品のことが話題になり、とある先輩メンバーがそこでもまた核心の部分は隠したまま「いや、ああいうことは確かに本当にあるんだ」とニヤニヤしながらのたまう。

 そして時が経って元版の刊行からほぼ半世紀が過ぎた2020年の現在、ようやっと評者は実作を読むに至ったが、すでに新本格の書き手も世代を重ね、もうこんなネタなどは……(中略)。
 まあ、時代のなかで書かれた一冊なのは間違いないだろうな。

 しかしほぼ全編を通じて、もともとは平凡なサラリーマンだった久里村がアンダーなドサ回り世界の水になじんでいく描写は予想以上の粘着質。途中で何度も何度も「なんでオレはこんなものを読んでいるんだ?」という自問の念に駆られてしまった(汗・笑)。
 とはいえ最後まで読み終えると、たしかに随所にミステリとしての仕掛けも忍ばせてあったのだから、なかなか隅に置けない? 作品ではある。

 さらに名探偵役の酒島警部のマイペースぶり(捜査の合間の、実業家の人妻になった元カノの令嬢とのゴルフ三昧)は、謎解きミステリ的には実にどうでもいいんだけれど、まあヘンなキャラ立ちとして印象には残る……かも。
(ちなみに警部の名前の公式設定は「章」と、徳間文庫版の解説(武蔵野次郎)にあるけれど、本作の徳間文庫版167ページでは地の文で「彰」表記。これはどちらが正しいのか?)
 
 最後に本作品のミステリとしての総評をまとめると、大技・小技は反則技? をふくめてそれなりにあるんだけど、一冊の読了に費やすカロリーがそれらの謎解きの部分に対して、ではないのが、なんというか……。
 まあ昭和ミステリの裾野の広がりを探求したいファンなら、コワイモノに付き合う覚悟で一回ぐらいは読んでおいてもいいかも? とは思う。

【付記】
 まったくネタバレにはならないと思うからここに書いておくけれど、本作のプロローグ部分は映画、小林旭版「多羅尾伴内」シリーズ第1作の序盤シーンの元ネタだよね? あまりにも、まんまのビジュアル過ぎるので。


No.1014 7点 ボンベイの毒薬
H・R・F・キーティング
(2020/11/12 04:15登録)
(ネタバレなし)
 インドのボンベイ。アメリカ人の大富豪フランク・マスターズが、砒素を飲んで死亡した。マスターズはボンベイで、私財を投じて慈善組織「浮浪児救済団体」を創設。孤児や実家に帰れない子供たちを引き取って後見し、自分自身も日々、粗食の生活を送る気高さで知られる人物だった。マスターズは他殺の可能性が取りざたされ、ボンベイ警察のガネシ・ゴーテ警部が捜査の任につく。だがゴーテは、インド社会に貢献する大物外国人の殺人事件を担当する重責を痛感。さらに被害者の周囲に、ボンベイの暗黒街の大物アムリット・シンの影が見え始めたことから、ゴーテの上司ナイク警視補は、そのシンに半ば強引に殺人の嫌疑をかけるように匂わせた。本当にシンが犯人なら彼を逮捕するが、ほかに真犯人がいるならそちらを検挙すべき。組織内の圧力と内なる正義の間で苦悩するゴーテの捜査の行く末は。

 1966年の英国作品。ゴーテ警部シリーズ第二作目。
 まぎれもないフーダニットの作品ではあるが、パズラーというよりは主人公のゴーテひとりに焦点を絞った警察捜査ミステリの趣が強い。その意味ではシリーズ前作『パーフェクト殺人』と同様である。

 登場人物は全部で20人ほど。メイン&準メインキャラはその中の半分ほどと、そんなに多くないが、その分、主要人物それぞれのキャラクター描写は、ため息が出るほどくっきりしている。
 特に児童集団のリーダー格で、皮膚病のために60歳の老人のような顔になっている不良少年「エドワード・G・ロビンソン」(旧作のアメリカ犯罪映画が好きでこう名乗る)とゴーテとの全編のやりとりは、一定の緊張感と奇妙なユーモラスさの振幅のなかで最後まで語られ、この作品のメインイメージを固めている。
 さらにリアルタイムでは生前の描写がまったく語られない被害者のマスターズもある種のキーパーソンであり、次第に明かされていく彼の内面もまたなんというか……(中略)。
 何より、いつものシリーズのように、事件とプライベートな立場の狭間であれやこれやと足掻き回る主人公ゴーテの姿が今回も鮮烈で、特に後半、その純朴とも誠実とも愚直ともえる人間味ゆえにはまりかける苦境は、ひたすら魂を震わされる。やっぱりこのゴーテの無器用さこそが、本シリーズの味わいどころだろうね。
(奥さんのプロチマは今回も苦労してるよ。旦那を支えるいい女房だ。)

 こってりとキャラクタードラマを綴ったのち、終盤での謎解きミステリへの切り返しはかなり小気味よい。作者のサプライズ狙いを勘案すると、犯人は予見できてしまう部分もないではないが、それでも(中略)な真相とそのあとに続くクロージングの余韻には痺れた。
 評者は今回でこのシリーズが3冊目だが、どれも小説として十分に面白い(ミステリとしても楽しめる。まあ『雨に濡れた~』は別格だけれど)。
 今さらながらにして、未訳があまりにも多すぎるのが残念だよな。まあそういう自分も、本は大昔から買っておきながら何十年も積ん読だったんだから、文句なんかいえた立場じゃないんだけれど(汗)。

 なお本作の翻訳は、このポケミス刊行の時点で還暦だった(1906年生まれ)ネコ好きのおじさん・乾信一郎。このあともまだまだ活躍されましたが、すでにベテランの風格で、全体的によみやすかった。


No.1013 7点 ディーン牧師の事件簿
ハル・ホワイト
(2020/11/11 14:24登録)
(ネタバレなし)
 2008年のアメリカ作品。
 本はかなり前に入手。全6編のうち3話まで読んだところで、家の中で本がどこかに行ってしまっていた。それが数年ぶりに少し前に見つかったので、最初から改めて読み直す。内容に関しては、とにかく楽しいトリッキィな連作パズラー。
 全体の完成度については、万が一ほかの先行レビュアーの方々が絶賛していたら、こちらはあえてアラを探して苦言を言いたくなるかもしれない。しかしみなさまの評は全般的に厳しめなので、評者としては気楽にホメたい。そんな感じの仕上がりです(笑)。

 以下、各編の寸評&感想コメント。 
①「足跡のない連続殺人」
……あー、いきなりホックだな、サム・ホーソーンだなと思わせる王道ぶり。しかも事件や犯人、トリックへのフォーカスの仕方など、ある意味で本家よりもソレっぽい感じさえする。哀しくなるような切ない動機が身にしみる。

②「四階から消えた狙撃者」
……本シリーズは全体的に各編の登場人物が少なめで、それがそのままフーダニットの興味の減退に直結するのだが、これなんか正にそういう話。後半の真相の決め手を求めるストーリーの見せ方は、主人公ディーン牧師とゲストキャラのからみも含めて印象に残る。

③「不吉なカリブ海クルーズ」
……(中略)での事件かと思ったら(中略)でのソレだった。(中略)を利用しまくるトリックとか結構好みなのだが、犯人の犯行までの仕込みがスゴいよね。実行に至るまでの経緯でのIF状況を、あれこれと考えてしまった。

④「聖餐式の予告殺人」
……こじんまりと無難にまとめた印象の一編。冒頭のかなり強烈な掴みからの面白さは、最後までもっと活かせたような思いもある。

⑤「血の気の多い密室」
……本書中でもかなりぶっとんだ犯行の実情で、犯人がそこまで計算するか? というリアリティにはちと疑問。ただまあその手のクエスチョンは、突き詰めていけばほかのエピソードにも湧いてくるかもしれない。最後のオチは、ちょっとチョンボでは? 単に(中略)が甘かっただけだよね?

⑥「ガレージ密室の謎」
……実質(中略)ダニットの話。先行レビュアーの方々が大騒ぎされるネタは……なるほど、国産のお笑い系の新本格とかにありそうだ。個人的にはもうひとつのトリックの方がお好み。ただまあ、もしもこの話は映像化したら、直観的にネタを見破られそうな感じではある。

 何はともあれ、前述の通り、個人的には十分に楽しかった。
 亡き愛妻を常に偲び、心やさしく、お金の無さにピーピーしている、さらに幅広いジャンルの読書が好き(カーやドイルはそれぞれ本棚のワンコーナーを占有、R・B・パーカーなども読む)というサディアス・ディーン牧師のキャラもとてもいい。ブルテンのストラング先生みたいな、温かい人柄の名探偵キャラだ。

 ホックの衣鉢を継ぐ連作パズラーとして続刊を楽しみにしたかった内容だが、どうもシリーズはこれ一冊で終わってしまったよう。
 読後すぐ、作者の名前を英語表記で入力して本国の情報を得ようとWEB検索したら、どうやら著者本人の公式サイトらしいところにいきついた(ご親切に日本語表記の対応までしてある~いわゆる機械訳らしく、日本語としてはヘンなところもあるが)。
 それを読むとやはりシリーズはこれ一冊で終わったらしい。何か事情はあったのかもしれないが、とにもかくにも残念。


No.1012 7点 シャーロキアン殺人事件
アントニー・バウチャー
(2020/11/11 03:00登録)
(ネタバレなし)
 1939年6月のロサンゼルス。映画会社「メトロポリタン・ピクチャーズ」はシャーロック・ホームズものの新作映画『まだらの紐』の製作企画を進めていた。だが映画の脚本家に、かねてよりホームズの名探偵ぶりを揶揄しているハードボイルドミステリ作家スティーヴン・ワースを起用したことから、国際規模のシャーロッキアン集団「ベイカーズ・ストリート・イレギュラーズ」の苛烈な攻撃が始まる。この非難に恐れをなした「メトロボリタン~」のプロデューサー、F・X・ワインバーグはイレギュラーズの懐柔策を敢行。自社の宣伝スタッフの美女モーリーン・オブリーンに命じて、アメリカ国内の主なイレギュラーズ会員たちを映画の監修役として呼び寄せるという大技に出た。だがそんな参集したイレギュラーズ会員の周辺で、思わぬ殺人事件が?

 1940年のアメリカ作品。
 創作者というよりはミステリ批評家(&ビッグネームファン)として名高いバウチャーが著した7本の長編(別名義を含む)のうちの一本。
 本作は、短編作品『ピンクの芋虫』そのほかや未訳の長編作品で活躍するバウチャーのレギュラー探偵ファーガス・オブリーンものの番外編的な設定で、ファーガス当人は欠場だが、その姉の美人OL、モーリーンがメインヒロインを務める。
(評者はまだ読んでいないけれど、ブランドの『ゆがんだ光輪』がコックリル警部の妹のみ登場ということで、似たような趣向かもね。)

<偉大な名探偵ホームズの映画化、そのシナリオライターに、お門違いのハードボイルド作家を使うな>という、いかにもミステリファンダムにありそうな悶着(しかも実在のシャーロッキアン団体が実名で登場・笑)から開幕する序盤からしてケッサクだが、中身のミステリギミックも、消えた死体の謎、アリバイの検証、暗号、大戦の緊張の影響下でのスパイ探し……とふんだんな趣向に満ちていて、実に楽しい。
(あと、ネタバレになるのであまり詳しくは言えないが、この作品がレギュラー名探偵不在の番外編というスタイルをとったのも、最後の最後でなんとなく作者の意図が窺える。)
 
 お話の組み立ても中盤、ロサンゼルスに招かれたイレギュラーズ会員のひとりひとりが個別に奇妙なエピソードに遭遇。しかもそのエピソードの大半がホームズ譚に見立てた? 内容。そんないわくありげなが複数の挿話が、物語の半ばで並び立てられるところで、おお、これは泡坂の『11枚のとらんぷ』の先駆か!? と小躍りしてしまう(とはいえ本作の場合は、後発の『11枚』ほど、この構成が(中略)なのだが、そこは愛嬌?)

 ……まあ最後まで読むと、伏線の張り方ヘタだよね、思わせぶりな描写に意味がなかったよね、日本人にはわからないよね……とか、あれやこれやの不満は続々と湧いてくる(汗)。
 だけどそれでも、とにかくいろんな仕掛けを興じようとしたバウチャーの心意気はビンビン伝わってくるようで、個人的には結構なレベルで楽しめた長編なのだった。

 しかしバウチャーの実作といえば、クレイトン・ロースンと並んで小説がヘタで読みにくいという前評判であった(おかげで『ゴルゴダの七』を読むのに二の足を踏んでいるうちに、家の中で本がどっかに行ってしまった~汗・涙~)。
 しかも本作の翻訳は、近年さらに悪評が高まる仁賀克雄。こりゃ相当キツイかなあと予期したが、先にちらりと訳者あとがきを読むと駒月雅子に手伝ってもらったそうで、ほっとする。そういうことをあえて書いているなら、実質的な翻訳は駒月さんなんだろうしね。実際、日本語として、地の文も会話も特に不順なところもなくスムーズに楽しめた。
 そんなアレコレも含めて、個人的にはそれなりに愛せる一冊(出来がよいかというと微妙だが)。

 ちなみに最初の方に書いた、この作品世界にいながら最後まで顔を見せなかったバウチャーの名探偵ファーガス・オブリーン。大昔に『ピンクの芋虫』を読んで狐につままれたような印象だけは覚えているが、webで検索すると、かの渕上痩平氏のブログやTwitterなどで、改めてかなりとんでもない名探偵キャラクターだということが分かる。未訳の長編二本も読んでみたいなあ。
 来年2021年以降は、また未訳のクラシックミステリの発掘が活性化しますようにと、切に願う。


No.1011 8点 脱獄九時間目
ベン・ベンスン
(2020/11/09 15:17登録)
(ネタバレなし)
 1956年1月9日。未明のマサチューセッツ州の州立中央刑務所。服役中の大物ギャング、ダン・オークレーと、殺人罪で終身懲役のスティーヴ・ランステッドが、かねてよりひそかに入手していた拳銃で脱獄を図る。両者は脱獄に消極的な仲間ピーター・ゾルバを半ば強引に同道。脱獄する3人の囚人は、退職間際の老看守ボブ・バーネーと、社会勉強で看守仕事についていた大学生ケン・グリントリー、そしてランステッドが遺恨を抱く囚人の青年レッド・フォーリーを人質とした。だが逃走の算段は失敗し、バーネー老人が足を骨折したまま、囚人たちは刑務所の敷地内に立て籠もる。突然の事態に苦慮する刑務所所長カースン・クレイのもとに、応援に駆けつける州警察の刑事部長ウェイド・パリス警視。だが凶暴さで鳴らすランステッドは、かつて自分を逮捕したそのパリスへの復讐の機会をうかがっていた。

 1956年のアメリカ作品。
 おなじみウェイド・パリス警視シリーズの一本で、日本では最初に邦訳されたシリーズ内の作品。

 本来、脱獄ものの警察小説ならモーリス・プロクターの『この街のどこかに』みたいに、脱獄あるいは護送中からの逃走後、市内に潜んだ犯罪者と捜査陣のサバイバルラン&マンハントという緊迫戦となるのがセオリーだろう。だが本作は、前半の発端部でその定石をあえて外し、重傷者を人質にとった大物犯罪者と司法側の対峙という構図のみを明確に際立させる。この辺は、作者ベンスンのあざやかな構想の妙だ。
 
 オークレーとランステッドが立て籠もった刑務所敷地内の一角でのサスペンスドラマを軸としながら、物語を映すカメラアイは、刑務所の外へも自在に移動。主人公パリスと彼が率いる、または連携する州警察の機動力を、読み手に叩きつけるように活写。脱獄計画に関わった協力者や、今回の事件で立場を揺さぶられる関係者たちの境遇を並べ立てていく。このあたりの話の広がりぶりも、実に小気味よい。

 二転三転する刑務所内のメインストーリーも絶妙だが、小説としての主題(文芸的なテーマ)として「人間は他人の一面しか見ないもの」を描き抜こうとしたフシもうかがえる。
 たとえば刑務所所属の老医師アーネスト・マールボローなどはまぎれもなく善人ではあるのだが、息子を若死にさせてしまった辛い過去ゆえ、つい人にやさしくしよう、人間の善性だけを見よう、という切なくもいびつな一面があり、そういう対人面でのゆがみを、かねてより気安く言葉をかわしていた元ギャングの大物ランステッドによって、狡猾に利用されてしまう。
 そもそも錯覚の目で見られるのは、主人公のパリス自身からしてそうである。彼が今回の事件のなかでとる対応は、時に英雄的だとも、時に冷血非情だとも周囲からみなされるが、本当のところはそのどちらでもない。彼は最初から最後までごく普通の一人の人間であり、そして職務と司法の精神に忠実であろうとする一介の警察官、ただそれだけなのである。
 本作が本当に面白く見えてくるのは、この辺の文芸が身に染みてくるそんな瞬間だ。

 登場人物の素描の積み重ね、起伏に富んだ展開と、実によくできた作品だと思うが、あえて弱点をあげるなら目次が一種のネタバレになってしまっていること。

 あと、評者は今回、創元文庫版が見つからず、世界名作推理小説大系版で読んだけれど、邦題も一部のトンチンカンな読者に「脱獄してないじゃん」と言われそうな『脱獄九時間目』よりも最初の邦訳タイトル『九時間目』の方を文庫でも通した方が良かったかも(原題はシンプルに「The Ninth Hour」だ。)
 
 あと、評者はまったくの偶然というか成り行きで、このシリーズは邦訳された作品のなかでの原書刊行順通り『あでやかな標的』『燃える導火線』を先に読んでから、これを手にしたのだが、これは本当にラッキーだった。
 この作品(『九時間目(脱獄九時間目)』は十分に秀作~優秀作だと思うけれど、パリスシリーズの中で最初に読んでいい作品じゃないよね。パリスの通常の職務からいえば明らかに変化球の事態であり事件だろうし。87分署ものでいえば(いかにサスペンスフルで面白いからといって)ビギナーにいきなり『殺意の楔』から読ませるようなアレだ。

 世界名作推理小説大系版の巻末解説で厚木淳は、本作をアメリカ本国での高評も引用しながら激賞しており、たぶん当時はそのノリでこれから出しちゃったんだろうけれど、もうちょっとシリーズ展開の戦略は考えてほしかった(涙)。ああパリスシリーズが「87分署」や「マルティン・ベック」シリーズみたいに全部邦訳されている並行世界があるというのなら、ぜひとも数か月だけ行ってみたい!
(なお本作で、ゲストヒロインの娘ローリー・バーデットがパリスに接し、35歳の魅力的なエリートなのに、なぜ独身なのかと思った、しかし当人は何も語らなかった、というくだりなど読むと、評者なんか胸が張り裂けそうに切なくなるよ。作者ベンスンは、ちゃんとパリスの内面に(中略)……と。)

 未読のシリーズ邦訳が二冊。ゆっくり大事に、味わっていこうと思います(笑)。


No.1010 7点 五月はピンクと水色の恋のアリバイ崩し
霧舎巧
(2020/11/08 04:09登録)
(ネタバレなし)
 私立霧舎学園に転校してきた美少女・羽月琴葉とその級友・小日向棚彦が、学園を現場とする「密室殺人」を解決してからひと月経った五月。二人と、そして自称・名探偵の先輩、頭木保は、また新たな事件に遭遇した。それは学内のコンピューター室で発見された、半ば密室の中の若い女の変死死体で、しかもその全裸の体にはなぜかピンクのペンキが塗りたくられていた。事件は警察の捜査が進む中でその様相を変えて、やがて現場の状況から容疑者のアリバイが取りざたされるが……。

 中盤までは派手なようで小粒な謎という印象で、二作目で早くもトーンダウンかと思ったが……。後半~終盤の謎解きでの、仕込まれていたミステリギミックの連続技には、嬉しい方向に裏切られた。ひとつひとつのネタの中には推理クイズ的にシンプルなものも若干あるが、総体的な手数の多さでは、前作以上であろう(半ばメタ的……とまではいかないにせよ、妙なトコロに仕込まれた手がかりの面白さも、このシリーズならでは)。

 特に<容疑者を絞り込んだアリバイ崩しでは、フーダニットの面白さが殺される。自分はあくまで犯人探しパズラーの醍醐味にこだわりたい>という作者の気概にも好感は大。
 さらに本サイトのレビューでもまだ誰も言ってないと思うが、本作の「意外な犯人」のポジショニングは(中略)。(中略)っぽいと言うなかれ。ミステリというのは古来より、<こういう部分>に執着し、そしてうっちゃりかえすことで成熟してきた文化なのだと信じる。
(まあ本書の場合、その仕掛けがミステリの幹の部分に食い込んではいない、とも思うけれど。この趣向の深化は、本シリーズのこのあとの続巻にさらに期待することにする。)

 あとかねてから予期していたことながら、作品世界が<向こうのシリーズ>とさりげなく、しかししっかりとリンク。この辺の世界観も楽しい。
 数時間でぱぱっと読めるが、ライト級の上質なパズラーではあろう。

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