人並由真さんの登録情報 | |
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平均点:6.33点 | 書評数:2194件 |
No.1294 | 7点 | 殺人株式会社 ジャック・ロンドン |
(2021/09/16 04:54登録) (ネタバレなし) 1911年のニューヨーク。富裕な名家の出身ながら、労働階級に与する33歳の社会主義者ウインター・ホールは、この20世紀初頭、全米でひそかに法で裁けない悪党どもを抹殺している秘密の「殺人株式会社」の存在を気取る。その組織の社長イワン・ドラゴミロフは、奇しくもホール青年の恋人グルーニャ・コンスタンティンの伯父(実は実父)セルギウス・コンスタンティンの別名でもあった。ドラゴミロフと対峙したホールは、殺人株式会社がある意味では<闇の正義の活動>をしていることは認めつつ、やはりこのまま放っておけないものとして「殺人の依頼にきた、標的はあなた=ドラゴミロフ社長自身です」と言い放つ。それはホールからしてみれば、ドラゴミロフに現在の殺し屋稼業を止めてほしいという婉曲な請願だった。だがドラゴミロフはその言葉に刺激されて、全米に潜む各支部の数十人の「社員」に向けて「自分=ドラゴミロフを殺せ、ただしこちらも生きるために応戦する」との指令を放つ。かくして一年間の期限内に仕事を果たすことを条件に、全米を股にかけた「殺人株式会社」社員同士の殺人ゲームが始まった。 1963年のアメリカ作品。 もともとは「あの」ジャック・ロンドンが1916年11月に自殺するまで、全体の3分の2ほどの部分を執筆していた未完の長編。その後の展開は構想メモが残されていたが、それをもとにおよそ半世紀が過ぎてから別のアメリカ作家によって補作がなされ、63年に刊行された。 で、その補遺部分を担当した当時の新世代作家が「あの」シュロック・ホームズ、『ブリット』のロバート・L・フィッシュ(!)。 この作品がアメリカで63年に刊行されたことは、今からウン十年前に少年時代に古本屋で入手した「日本語版EQMM」のバックナンバーかどっかの海外ニュース記事コラムで、見知った覚えがある。そんな大昔に「こんなものがあるの! 読みてええ~~!」と瞬間的に思ったことを、ごくうっすらと記憶している。 と言いながら歳月が経ち、そんなイロモノ作品(?)のことはすっかり念頭から欠落していた(笑・汗)が、少し前に何らかの考えでジャック・ロンドンの書誌を探る機会があり、実はこの長編、一回だけ日本で翻訳が出ていたことを初めて知って、ぶっとんだ(それがこの叢書「全集・現代世界文学の発見」の2巻、その巻頭に収録の長編だ)。 しかもAmazonで古書で買えば、そんなに高くない。 そーゆーことでウハウハと購入し、ちょっと間を置いた本日になって読んでみた。 (現状でAmazonの該当ページにリンクしにくいが 学芸書林の「全集・現代世界文学の発見〈第2〉危機に立つ人間」 (1970年)ね。 ) あらすじの通り内容はよく言えば前衛的、敷居の低い言い方で言えばかなりクレイジーな筋運び。 ぶっちゃけて言えば「必殺シリーズ」(特に裏稼業の集団・寅の会の登場する『新・必殺仕置人』)プラス『飢えた遺産(なめくじに聞いてみろ)』プラス『殺人よさらば』それに加えて『ホップスコッチ』だ。 物語の骨格だけ言えば、ある種の裏ブラックコメディのノワールクライムスリラーなのだが、本人自身が社会主義者でジャーナリストだったロンドンのこと、社会改革を願いながら自分の手は汚そうとしないアナーキストへの揶揄、そして何より正義のタテマエのもとの殺人稼業についての思弁などにもたっぷりと筆が割かれている。 作中の殺人株式会社は殺しの依頼を受けてもすぐそのまま実行に移すようなただの殺し屋ではなく、事前に十全な調査をしてから相手が法で罰せられない外道の時のみ実行。標的候補がそこまでの悪人でないと判断した場合は、調査手数料として事前に預かった依頼金の10%のみをいただいて後は返金するという律儀なシステムを守る。この辺もブラックなユーモア。 さらに青年主人公のホールは、実質的な主人公のドラゴミロフ社長によって組織の臨時書記に半ば強引に迎えられ、事態の見届け役を任されるが、そこで出会う殺人株式会社社内の殺し屋たちはどいつもこいつも第一級のインテリや知識人、紳士ばかりで、それぞれの思想や理想に立脚して殺人を行っている。この辺も小説がはらむ深い思弁を実感させる一方で、あまりにもパワフルに愉快すぎる。 当初はドヤ顔で裏社会の暗部の首根っこを抑えたつもりのホール青年が、予想のはるか斜め上を行きまくる事態の推移に翻弄され、しかし殺人株式会社の面々とひとりひとり、インテリ同士として妙に気ごころを通じてゆくあたりも笑わせる。 ドラゴミロフVSほかの社員たち、一対多数の殺人ゲームの進展と行く末はかなりスリリングで、ビジュアル的な見せ場も豊富。さすがに半世紀も経ってから後出しじゃんけんで執筆したフィッシュの担当パートも面白い。 ちなみに日本で知られているフィッシュのシリーズものといえばシュロック・ホームズ以外では、「殺人同盟」三部作だが、こちらは本国では1968年に第一作『懐かしい殺人』が刊行。当然、フィッシュの念頭には数年前に書き上げた本作『殺人株式会社』のことがあったんだろうなあ、と思わせる。 全体の評価としては、母体が20世紀初頭の旧作としてはかなりのリーダビリティで、そこはもちろん評価。ただ一方で、登場人物の言いたいことはなんとなくわかるけれど、もうちょっと平易な物言いに、という部分もなきにしもあらず(これは翻訳のせいもあるかもしれないが)。 ある意味じゃ大人向けの黒いおとぎ話みたいな側面もある作品なので、登場人物の言動のリアリティとアクチュアリティはおかしな形で受け取らないようにしたい。 人(外道の悪人)を殺すことも、他者のヒューマニズムに涙することも等価に考えるような人間をきちんと書けているということは、それはそれで小説の狙いとして、とてもまっとうで結構なことだと思う。 |
No.1293 | 6点 | 傷のある女 リチャード・S・プラザー |
(2021/09/15 07:42登録) (ネタバレなし) 1951年5月上旬。「おれ」ことロサンジェルスの30歳の私立探偵シェル・スコットは、近隣の町ガーディナのナイトクラブに来ていた。用向きは、先日、初老の依頼人から、実の娘が数か月前から失踪しているので探してほしい、という頼みに応えたからだ。いなくなった女性イザベルは、29歳の美人。実はスコットの前に別の私立探偵ウィリアム・カーターがイザベル捜索のために動いていたが、ナイトクラブのダンザー、ローレン・マンデルが何かイザベルの情報を知っていると情報を掴んだのち、探偵のカーター自身も音信不通になっていた。スコットはローレン、またはカーターとの接触を求めてナイトクラブ「ペリカンクラブ」に乗り込むが。 1951年のアメリカ作品。 シェル・スコットシリーズの第四長編。 今回の物語の舞台は序盤のガーディナを経てラスヴェガスに飛ぶが、そこで事件に巻き込まれる形で、スコットの周囲に犠牲が出てしまう。 スコットはマイク・ハマーばりの復讐の激情に駆られ、何かの目的から彼に妨害や攻撃をしかけてくる荒事師たちに反撃。 理性では殺す必要がないと分かっている状況でも、怒りと戦闘の本能のままに暴れまくる。 シリーズ前作『人みな銃をもつ』も、後年のR・B・パーカーのスペンサーの先駆のような趣があったが、今回はさらにそれっぽい。 ラスヴェガスの市街が五月の祭事「ヘルドラド」の人出で賑わうなか、往来で悪党に自由を奪われ、殺されるばかりの窮地に陥ったスコット。そのピンチの描写はなかなかのテンションで、さらにメインゲストヒロインのうちのひとりをからめてのその逆境からの脱出ぶりも、印象的だ。 そういうわけで今回も活劇&バイオレンス展開主体かな、と思っていたら、残りの数十ページで意表をついて、マトモなミステリ(ハードボイルド推理小説)の方向に転調。 しかも(中略)トリックがかなり意識的に設けられており、なかなかイカす長編ミステリの正体をここで現した。 劇中には3人のメインゲストヒロインが登場するが、その中でいちばんもうけ訳をもらった22歳の離婚美女コリーン・ショーンとスコットのからみがなかなか。クライマックス、謎解きに向かうスコットに追いすがる「行かないで」パターンの挙動なんか、照れ笑いしつつもなんかイイ。 仕掛けられたミステリのギミックが効果を上げた作品なんだけど、一方でもうちょっとオモシロクできるよなあ、という軽い不満もある。 それにポケミス164ページ、スコットが内心で「事件の全貌が見えた!」的に直感するシーンもそこで盛り上げるだけ盛り上げておいて、あとから見るとややチョンボ。そういうわけで、この評点で。 いや、完成度というか練りの足りなさに妥協すれば、十分に面白かったけどね。真相を小出しにする演出は、ああ、そういうことかと、ワクワクの気分ではあった。 ちなみに「傷のある女」とは、捜査対象のイザベルの(中略)に、子供の頃のヤケドで4インチほどの傷があるということ。 まあ、あなたが大体お察しの方向のネタの設定だ。 |
No.1292 | 7点 | 真夏の日の夢 静月遠火 |
(2021/09/14 18:34登録) (ネタバレなし) 「僕」こと大学二年生の旭修太郎は、同じサークル「劇研」こと演劇研究会の代表・龍太郎先輩(大学7年生)、同学年の「メガネ」の3人で、小さなボロアパート「GS屋敷」で細々と生活していた。だがサークルは秋からの演劇公演のために、相当の予算が必要である。そんなとき、大学の心理学の教授で変人と名高い寒川真一が<火星行きロケットでの航行生活を模した、閉鎖空間で7人の男女がひと月まったく外に出ず、同居生活する実験>を提案し、相応のバイト代を提示した。かくして当初からGS屋敷に暮らす修太郎たち3人をふくめて劇研の仲間7人が同所に集結。ため込んだ水や食料を頼りに、ネットやテレビ、携帯電話とも遮断された生活を始めるが、やがてその仲間のひとりが忽然と密室空間から消失する。 ミステリファンの古参サークル「SRの会」が会誌「SRマンスリー」誌上で数年前に行った特集企画「新本格ジャンルが誕生してから30年の間に書かれた、あまり語られざる佳作・秀作」のなかで、そのひとつに選ばれた作品。 メディアワークス文庫で刊行された「第15回電撃小説大賞<金賞>」受賞作品で、当然ながらスラスラ軽快に読める。 内容は、間違いなく、あまり多くを語らない方がいい種類の青春ミステリ&パズルストーリーだが、個人的には何より220ページを過ぎてから明かされるサプライズと、そのために仕掛けられた(中略)に大受けした(爆笑)。 こういうものを伏線というか(中略)に使うとは! 評者のようなタイプの読者は当然、夜中に読んでいて、一人で大はしゃぎであったが、さてほかの人はどうであろう? 大技中技の組み合わせも小気味よく、ボロアパート「GS屋敷」という舞台装置もとてもよい。 で、うん、たしかにこれは、まず何よりも青春ミステリ、だね。 |
No.1291 | 6点 | 私の愛した悪党 多岐川恭 |
(2021/09/13 07:31登録) (ネタバレなし) 創元文庫でカップリングの『変人島』をすでに読了しているため、こちらもそろそろ片付けようという気分で読みだした。 作風は、CSの衛星劇場か日本映画専門チャンネルで、旧作・白黒の庶民派コメディ映画(雑居アパートもの)を観ているような味わい。雪さんのおっしゃる天藤真っぽいというのは、自分もまったく同感だった。 良くも悪くもミステリとして、どのくらいまで深い浅い程度のものを提示してくれるのか、終盤までまったく読めない。 だから基調のコメディ小説という感触の方に寄り添って読んだが、そういう尺度で測ると好感は持てるしつまらなくはないが、一方でどこをどう褒めるほど面白くもない、という印象であった。小林信彦くらいの戯作っぽさがあったなら、もっと話が弾んだだろうなあ。 誘拐された娘が現在は結局は誰かは、評者のような(中略)読み方をしている人間には伏線というか手がかりが明白で、すぐにわかってしまう。だからソコは表向きのミスディレクションで、もうひとひねりあるのではと期待したが。 一方で明らかに浮いた感じの殺人劇とフーダニットの方に関しては、とにもかくにも印象的ではあった。トリックの描写が段階的な部分で読み手のビジュアル志向を刺激するのは『変人島』によく似ている。 それでも読み終えてみれば、メインの若い恋人たちにはちゃんと好感とそれなりの思い入れは育まれていた。 なんか掴みどころのないというか、こちらの指の間をすり抜けていく種類の魅力が全開の一冊という感触もあるが、それこそこの作品の個性でもあろう。 |
No.1290 | 6点 | 白いパスポート 生島治郎 |
(2021/09/12 15:32登録) (ネタバレなし) 1970年代の半ば。大手商社「三友商事」の本社内に爆弾が持ち込まれ、27歳のOL・横堀伊都子が爆死する。「私」こと同社の第二営業課係長で、伊都子の婚約者でもあった35歳の日疋(ひびき)守は、くだんの爆弾が伊都子の弟で過激派である真人によって社内にもたらされたらしい、そして伊都子は弟の行為を知って爆弾の被害を軽減しようとして死んだ可能性を認めた。こんな事件と前後して、日疋は上司・草刈志津雄部長から、ベイルートへ長期出張の相談を受けていた。現在のベイルート支部長は伊都子と真人の叔父である横堀正人である。正人も伊都子も真人の過激派活動に必ずしも協力的ではないが、一方で真人が叔父との縁も踏まえて政治的に不穏なレバノンに逃亡した形跡もあった。恋人の死の真実の調査と彼女の復讐を願う日疋はベイルートに向かうが。 「週刊小説」の昭和50年9月26日号から翌年の1月2日・9日合併号まで連載された生島のノンシリーズ長編。 評者は今回、大昔に買ったままだった集英社文庫版で読了。同文庫の巻末には尾崎秀樹による詳細な解説がついている(ただし何故か、元版の実業之日本社版についての書誌的な言及はまったく無い。集英社と実業之日本社の仲が悪いのか? あるいは生島と実業之日本社の間でなんかあったか?)。 主人公・日疋は、渡航中の機内で知り合った「中央日報」社会部の記者で巨漢の晴野伸之の協力を得ながら、ベイルートで現地の活動家たち(通称「コマンドス」)に接触。かたや上司の草刈からも何やら裏の事情を含む業務の指示、そしてそれに見合ったある程度の自由度と予算を与えられており、中盤の物語は欧州に向かうオリエント急行での電車旅にもからむ。 現実の1970年代前半のオリエント急行は、71年に国際寝台車会社が寝台車の営業事業から撤退し、やがて77年にはダイレクト・オリエント急行が廃止されるなど衰退。かつての栄華が薄れた不衛生でサービスも悪いローカル線になっていたようだが、作者の生島はこの70年代初頭に実際に当時のオリエント急行に取材旅行に赴いたそうで、本作での同列車内の臨場感はかなり生々しい。日疋と、考え合って彼のバディ格となった晴野が体験する車内の喧騒の数々の大半は、たぶん作者の実体験か周辺での見聞に基づくものだろう。 ミステリとしてはいくつかの物語上の二転三転はあるが、強烈なサプライズや意外性を主体にした作品ではない。むしろ主人公・日疋の基本は能動的な調査&復讐行、さらに半ば巻き込まれた状況のなかでの立場や精神的な姿勢を追うことが主軸。集英社文庫の解説で尾崎は「巻き込まれ型冒険小説」といった修辞よりは、あくまで生島流ハードボイルドの系列で本作を語っているが、それも頷けるものだ。 ちなみに題名の「白い」とは、中盤から物語の表面に大きく出てくるヘロインのこと。禁断の麻薬だが、この扱いに向かい合う日疋の姿勢は現実的ながらあくまでまっとうで、そこも本作の読みどころのひとつとなる。 全体の読み応え、相棒の晴野のいかにも生島サブヒーロー的な魅力、そして何より最後まで貫徹される主人公の気骨などから評価して7点でもいいかとも思ったが、作者がオリエント急行の思い出をくっちゃべる部分がちょっと多すぎる気もするので、この評点。 まあベテラン作家がいい感じに肩の力を抜きながら、一方で情感を盛り込んだ好編だとは思う。 ちなみに実にどうでもいいことだけれど、一時期、この作品は発表時期と何よりこのタイトルから、田宮二郎の連作テレビドラマ「白い」シリーズの関係作品(原作か原案か)とか勘違いしていた。実際にはまったく関係はなかったのだが。 そもそもヘロインという主題が前面に出てくる内容は、毎回ストーリーがひと区切りする事件ものの各話ごとのネタならともかく、連続ドラマ向けではないな。 |
No.1289 | 9点 | ギャルトン事件 ロス・マクドナルド |
(2021/09/11 06:00登録) (ネタバレなし) アーチャーが見つけた「大富豪の未亡人の孫」は本物か? 偽物か? メインプロットはきわめてシンプル。 しかし、序盤からのサイドストーリー的な殺人事件という大きなパーツの組み込ませ方があまりに見事。 (いや正直、前半では、たまたまほぼ同時に起きたのかもしれない二つの案件をむりやり結びつけようとするかに見えたアーチャーの強引さに、いささか呆れたりもしたのだが。) 真犯人のものの考え方には、かなり新本格パズラー的な側面を見やったりもする。 そして終盤の二転三転の展開の果てに、こういうテーマというかメッセージ性が浮き彫りになってくるとは、予想だにしなかった! まだまだロス・マク読みとして、自分は修行が足りない。 (と言いつつ、実はすでに大昔に、大半の作品は一度は読んでいるのだが、まるで心の肥やしになってないね・汗。それぞれの再読が楽しみだ。) しかしこの作品では、第24章でアーチャーのやさしさ、第30章で同じく厳しさ、その双方の極北を見せてもらった思いもある。 『さむけ』『ウィチャリー』はいずれいつかまた読み返す(かな)として現状で(この数年に読んだ&再読した)アーチャーシリーズのベストは『縞模様の霊柩車』だが(次点は『犠牲者は誰だ』)、これは全体の密度感では『縞模様』に一歩二歩ゆずるものの、その分、小説としての味わいで得点。同じくらいにスキかもしれない。 (アーチャーが出会った浮浪者のおじいさんのエピソードなんか全くの点描なんだけど、ああいうのが実にいいなあ。) そして評点は、自分にとってこの作品のどこがスキかが『縞模様』よりもはっきりしている分、さらに高くなる。 傑作ということなら『縞模様』、お好みということなら、本作だ。 |
No.1288 | 5点 | 三幕殺人事件 草野唯雄 |
(2021/09/10 06:36登録) (ネタバレなし) その年の12月。群馬県の温泉町・下津の温泉源がいきなり枯渇した。窮地に陥った現地の人々は、土地の顔役・松井正雄の口ききで、大手のゴルフ会社「逸見ゴルフ」を誘致し、大規模なゴルフ場の開設で町おこしを図る。だがこれに地元の「友愛老人ホーム」の所長・由利勝と入居者の老人たちが反対。大量に農薬を使って整地するゴルフ場の建設は環境的に有害と主張し、弊害の少ないスキー場の施設を代案として提出した。だがそんなゴルフ場開設の反対運動に、松井の息のかかった暴力団・星野組が嫌がらせを始めた。そんな中で由利所長が突然の死を遂げ、さらにまた周囲に死者が出る。由利所長の美人の娘・美香と、老人ホーム入居者の有志の老人4人は消極的な態度の所轄の警察をよそに、事件の真相に分け入っていくが。 光文社文庫版で読了。 文庫版の解説で郷原宏が書いている通り、草野の衝撃作(?)『七人の軍隊』の姉妹編みたいな内容で、中身はもうちょっと明朗なユーモアミステリ寄り(正確には郷原は解説のなかで、『七人の~』の「続編」のような作品、といっているが、設定も登場人物も関係なく、単に老人が主人公という点が共通しているだけなので、こ場合は「姉妹編」の方が呼称としては適当じゃないかと)。 ぶっちゃけその全編のユルさもふくめて、赤川次郎の平均作とほとんど変わらない出来。 特に暴力団に嫌がらせされた老人たちの仲間の一人に元刑事がいて、うーん、拳銃でもあればなあ、とぼやいていると、本当に天から降ってきたように拳銃が目の前に転がってくるアホな展開には、大爆笑した。 さすが草野唯雄、この天然ぶりに敵う作家はオールタイムの日本ミステリ史上にもそうはいない。 後半に一応はアリバイトリックらしいものも用意されているが、子供向け推理クイズのネタみたいなものである。 ただしごく軽い、ユーモア(&ちょっとだけペーソス味の)ライトパズラーとしては、登場人物(特に老人たち)に一応の愛嬌があるので、楽しくは読め……ないこともない。まあ昭和最後の時期のC級ミステリとしては、それなりに愛せる一冊だ。 万が一、こんなものばっかり読まされたらそりゃタマらんが、タマにはこんなのもイイでしょう? |
No.1287 | 6点 | 白と黒 横溝正史 |
(2021/09/09 15:02登録) (ネタバレなし) 昭和35年10月の東京。金田一耕助は、かつてバー「スリーX」のホステスだった「ハルミ」こと緒方順子と再会する。耕助が聞くところによると、順子は今は保険外交員の須藤達雄と結婚して、大型ニュータウンの「日の出団地」に入居したばかりだった。だが新造の団地に、最近、匿名の卑猥かつ悪質な怪文書が続発し、その流れで達雄が家出してしまった、さらには団地内で自殺未遂事件まで起きているという。そして順子の話を聞いている耕助の脇で、いきなり怪異な殺人事件が発生した。 昭和35年11月から翌年12月まで共同通信系の新聞に連載された、原稿用紙で1000枚を超える大長編。 たしか持っているはずの角川文庫が見つからないので、先日、古書市で250円で買いなおした同じ角川文庫版(昭和56年の28版)を読む。 怪文書の断片らしきものに書かれたキーワード「白と黒」の意味が最後まで謎になるが、評者は少年時代に大井広介の「紙上殺人現場」の本作のレビューでネタバレをくらっていた。当時の大井いわく「こんなの誰でも知っているだろ(大意)」であった。 (ただし大井の物言いは実際には若干の幅があったと記憶しているし、このネタバレを受けても、犯人もまるでわからないが。) そういう意味ではやや緊張感を欠いた読書で、角川文庫で530ページ近い長大な本文を「長い、長いよ」と言いながら読み進める。 それでもさすがに円熟期のヨコセイのこと、リーダビリティは最高で、結局はほぼ徹夜で一晩で読了した(笑・汗)。 冒頭から『黒猫亭事件』のY・S先生が再登場。イニシャルとかプロ野球観戦好きというキャラクターからしてもちろん作者の分身ではあろうが、小説家ではなく詩人という設定は(たぶんこちらが忘れていたのだろうが)軽く驚いた。ちゃんと(タイトルは書かないものの)『黒猫亭』の話題に触れる(ネタバレではなく)のも楽しい。ただしこの辺のことがミステリ的にあまり意味がないのは、作者が何かの仕掛けを狙いながらも、力及ばずだったのか? という感じだが。 今回の評者は前述のように、良くも悪くもキーワードの意味はある程度教えられていた、しかし犯人はわからない、という、ある意味ではややイージーモードで、フーダニットの謎解きを楽しめる立場。それゆえ多数登場する容疑者(みな日の出団地周辺の人間)のバラバラの動きが、それぞれ興味深く読める。 なんか連載期間を延ばすため、エピソードを増やしたんじゃない? とつまらぬ勘繰りをしたくなったところもあるが、怪文書の主の捜索や、素性不明のキーパーソンの正体の探究など、話の軸は当初からぶれないで終わるので、実のところ妙な継ぎ足し感はあまり無かった。作者の構想はかなりしっかりしており、話術や細部の膨らませ方で大長編を築いたのだと思える。 それでもさすがに後半には、長い、長い、と、またぼやきたくなるが、あとの方になると戦後の時代色を感じさせる小説的な面白さ、さらにはダメ押し的な新たな事件まで起きてサービスはなかなか。犯人も結構、スキをつかれた感じで意外性はあった。 あとあまり書けないが、耕助シリーズというか、名探偵の連作ものとして、ちょっとオモシロイギミックが細部に用意されている。この辺も評価の対象か。 長い、長い、の不満だけで終わるなら評点は5点(一番テンションが低い時の気分では「つまらなくはないが面白くもない」という感触)。でも最終的には、もうちょっと評価がアップ。しかしまあ7点はあげられないなあ、というところで、6点の上の方。 耕助ファンでほかの主要な長編を読んじゃったなら、ヒマな時に手にとってみるのもいいんじゃないかとは思う。 |
No.1286 | 8点 | 不思議な国の殺人 フレドリック・ブラウン |
(2021/09/08 05:44登録) (ネタバレなし) アメリカの一地方にあるカーメル市。そこで「わたし」こと52歳のドック・ストージャーは、地方新聞「クラリオン週刊紙」の発行人兼主筆を23年間にわたって務めてきた。そんな晩春~初夏のある夜、ドックは新聞紙面の差し替えの可能性を気に留めながら、帰宅するが、そこに一人の小柄な訪問客がある。「エフーティ・スミス(スミティ)」と名乗った客は、かつてルイス・キャロルの研究家だったドックの前身を知っており、市内の無人の幽霊屋敷で行われるというキャロル愛好家の同好の士の集いに彼を誘う。だが、そんなドックのもとに突然の事件の知らせがあり、彼は来客を自宅に待たせたまま飛び出すが————。 1950年のアメリカ作品。 地方新聞の発行人で、土地の人々ほとんどと面識がある初老の主人公ドック。その彼のもとに、一晩のうちにニュース種になりそうな事件の情報が続々と持ち込まれたり、あるいは彼自身がなりゆきから関わっていく。そのうちに物語の主軸となる奇妙な変死事件、さらなる……が勃発する。 なんかまるで、若竹七海の葉村晶シリーズの長編みたいな大小の事件のミキシングぶりだ。これだけでもエンターテインメントミステリとしてはなかなかイケてるが、評者などがブラウンのミステリに期待する独特な洒落っ気とペーソス感の方もさらに豊潤で、実にたまらない。 あと主人公のドックは、本当にわずかな描写でその素性が語られるが、若い時に何らかの事情で婚約者と死別しており、その後もずっと独身を貫き、仕事一筋に生きてきた男。しかし市内の銀行の頭取から話があり、その頭取の弟が新聞社を経営したいというので、権利を譲ってこの仕事から身を引こうかとも考えている。青春の残滓と中年の重みが絶妙にまじりあったキャラクターで、いいねえ、なんかウールリッチ以上にアイリッシュだ(アイリッシュ以上にウールリッチだ、でもいいのだが)。 物語の大枠は当初から推察がつくとおり、一晩のうちに始まり、同じ夜のうちに決着する<ワン・ナイト・ストーリー>(評者がいま作った造語)。 その趣向の中で、とにもかくにもベテランのジャーナリストとして、目の前に次々と現れる記事ネタに食いつき、対処し、そして振り回されるドックの姿がテンション豊かかつユーモラスに語られる(中にはとても悠長に構えてられないサスペンスフルな状況もあるが)。 そしてその上でメインの怪死事件の舞台が、J・D・カーかブリーン、ロースンみたいな幽霊屋敷なのだからたまらない。ニヤニヤ、ゾクゾクしながらこの筋運びを楽しんだ。 終盤はさまざまな事態の絡み合いの結果、窮地に陥ったドックのサスペンス劇に、フーダニットの興味が融合する。 ドックが思いついた仮説がそのまま真相を言い当ててしまうのはちょっとアレだが、ちゃんと一応の伏線というか解決に至る布石は張ってあり、まあいいんでないかと。良くも悪くもブラウンのミステリらしいし。 (ただまあ、中盤で語られた謎の怪事件の方は……。) 今まで読んだブラウンのノンシリーズものの中では、間違いなくコレが一番面白かった。 こういうものを半年に一冊くらい読めたら私のミステリライフは、かなり満足度&充実度がさらに上がるんだけどな。 |
No.1285 | 8点 | 黒の試走車 梶山季之 |
(2021/09/07 14:55登録) (ネタバレなし) 昭和30年代半ばの国産自動車業界は「タイガー」「ナゴヤ」「不二」の三大メーカーが熾烈な競争を続けていた。そんな1960年の10月上旬「タイガー自動車」の最新型モデルでユーザーの支持を得ていた「パイオニア・デラックス」が東海道本線の掛川駅周辺の無人踏切で停止し、列車事故を起こす。死者は出なかったが、パイオニアの運転手・芳野貫一はタイガー自動車が欠陥車を売ったと主張し、賠償金と鉄道会社からの請求の支払い代行を求めてきた。タイガーの企画一課長で、タイガー創業から生え抜きの35歳の柴山美雄はこの「掛川事故」を調べるが、その最中で不慮の事故死? を遂げた。それと前後して、柴山の大学時代からの親友で同期入社だった朝比奈豊は、タイガー内に新設された「企画PR課」のトップを拝命する。だが同課の実態は他社を相手にした産業スパイとしての間諜・防諜が主任務だった。朝比奈は上司の小野田部長の認可のもと、親友、柴山が何を追いかけていたのか、そして掛川事故の真相にも肉薄するが、やがて予想外の事実が次々と浮かび上がってくる。 カッパ・ノベルス(1959年12月からスタート)黎明期の1962年に書き下ろしで刊行。元版は題名の「試走車」の部分に「テストカー」とのルビがふられていた。 評者は今回、角川文庫版の重版(1980年の第10版)で読了。 作者の商業作品としての処女長編小説で出世作だそうであり、こういうジャンルや時代色に特に抵抗がないのなら、たぶん最高級に面白い。 評者も若い頃なら絶対に読む気にはならなかったとは思うが、これはこれで、この分野(昭和の企業経済ものミステリ)における名作なのであろうという構えでいたら、わははははは、一晩でいっき読み。たしかにメチャクチャにオモシロかった。 主人公は全編を通して朝比奈だが、序盤のフックとなる「掛川事故」の真相は割と早めに明かされ、一方で、親友の柴山の死への疑念はその後も潜在し続ける。 しかしこの作品、Wikipediaなどでは「経済小説」などとカテゴライズされているように、中盤からは、その柴山の案件はとりあえず保留。タイガーとライバル企業二社との次期新車計画を見据えた間諜&防諜戦の方が主題になる。この方面での物量感、あの手この手のせめぎ合いが、実に面白い。 もちろんペーパレスの概念はおろか、シュレッダーの技術もまだ無かった(コピーは大企業には普及していたらしい)時代だが、その辺の昭和文化や風俗を探求できるというちょっと変わった余禄も楽しめる。 産業スパイ戦争において、朝比奈が、企画PR課が、そしてタイガーそのものが最終的に勝利を納めるかどうかはもちろんここでは書かないが、その決め手となる逆転の方法もなかなか鮮烈(もちろん昭和30年代の作品という視座ではあるが、それでも作劇と演出がうまいので普通に乗せられてしまう)。 その辺もふくめてこの作品は「誰が最後に笑うか」パターンの優秀作でもあり、ラストまで気が許せない。 あー、面白かった。 もろもろの昭和文化に関心があり、ミステリを楽しむストライクゾーンにある程度の余裕がある人なら、いつか読んでおいてソンはない名作だとは思う。 |
No.1284 | 9点 | ファイアフォックス クレイグ・トーマス |
(2021/09/06 07:28登録) (ネタバレなし) ソ連のベレンコ中尉がミグ25で函館に亡命した1976年9月。だが英国情報部SISの特殊工作部長ケネス・オーブリーたちは、すでにそれ以前から、ソ連内ではさらなる新型戦闘機ミグ31が試作されているという情報を掴んでいた。ミグ31の最大の特徴は、操縦者の脳波によるダイレクト操縦システムで、これが量産されれば全世界の制空権は一挙にソ連に掌握される。オーブリーたちSISはCIAと連携して、軍人パイロットをソ連に潜入させて、ミグ31=コードネーム「ファイアフォックス」を脱出する作戦を計画。だが英国空軍は軍事予算縮小でろくなパイロットが育成されておらず、CIAはかつてベトナム戦争で「空飛ぶ死人」と呼ばれた凄腕のパイロット、ミッチェル・ガントを選抜。彼をオーブリーのもとに潜入工作員として預ける。かくしてソ連駐在のSISエージェントとソ連の反体制派有志たち、彼らの決死の支援を受けながら、ガントのミグ31奪取作戦は開始された。 1977年の英国作品。 作品の大枠は、作者のレギュラーキャラである、SISの大物スパイ、ケネス・オーブリーサーガの一編だが、主人公は完全にガントひとり。 シリーズのポジションから言えば、ル・カレのスマイリーサーガにおける『寒い国から帰ってきたスパイ』みたいな立ち位置にある作品。 すでに殿堂入りしているイーストウッド主演の映画はまだ観てないのだが、たぶんこの作品、少なくともストーリーに関しては<絶対に>原作小説の方が面白いだろうと勝手に予見。広瀬訳のHN文庫版の方で読んだが、期待通りに、いやそれ以上に、十二分に楽しめた。 日本で最初に翻訳された元版(パシフィカ)が刊行されたときに「小説推理」で北上次郎が絶賛していたのを記憶しているが、そのレビューの中で<忍者が敵陣に迫る隠密小説みたいな面白さ>という主旨のことを語っていたように思う(記憶違いなら、すみません)。 で、小説の中身は、ガントがミグ31に接近するまでの第一部「奪取」と、それ以降の第二部「脱出」の二部構成だが、双方の内容が、本当に骨がびびるくらいに面白い。早川文庫で400ページちょっとの厚さを、5時間かけずに一息で読んでしまった。 なにしろ前半から重厚なA級娯楽冒険小説(&スパイ小説)のオーラが全開で、前述の北上次郎の物言い通り、とにかく、主人公ガントをミグ31にまず接近させるためのSISとソ連反体制派側の滅私の苦闘、そして一方でその動きを探るKGB&モスクワ警察側、双方のシーゾーゲームが並ではない。 これで快い疲労感を感じながら中盤までいって、さあまだまだクライマックスはこれからだとばかりに、後半は後半で最高潮にハイテンションの展開となる。キーワードは「(中略・四文字)」だ。 おのおのの使命に殉じ、理想を夢見て(中略)仲間たちは多かれ少なかれこの作戦の中で達観している。一方で、もともとベトナム戦争の心の傷を引きずりながらこの作戦に応じたガントは後半にいたってもパッショネイト。 が、ガントのエモーショナルな描写はすべて、最後の最後、HN文庫版でいえば399ページのラストからの叙述のためであった。この場面で逆説的に大泣きしたわ(もちろんここでは、ソレがどんなのかは、具体的には書かないが)。 傑作という評判を心得ながら読んで、やはり、いやその思いすら飛び越えたさらなる傑作。 続編『ファイアフォックスダウン』もこのテンションを維持ということらしいので、そちらもまた期待しながら読みましょう。 【9月6日18時追記】 そういえば、今日9月6日はくだんの「ベレンコ中尉亡命事件」の当日だった。読了後に家人と本作の話題をして、言われて気がついた。このタイミングで読んだのはまったくの偶然。潜在意識とかアクト・オブ・ゴッドとかの話題までは何とも言えないが。 |
No.1283 | 7点 | ラガド 煉獄の教室 両角長彦 |
(2021/09/05 06:15登録) (ネタバレなし) 文庫版で読了。 400ページ近い、やや厚めの長編かと思いきや、そのうちかなりのページが教室内の図版で占められている(上下分割込みで、のべ90枚以上)。 ポストゲートの『十二人の評決』とかキッチンの『伯母の死』みたいなビジュアル要素に依存するギミックをはるかに拡大したような趣向で、コレだけでもミステリ史に残るであろう。 後半まで仮説の提示を繰り返す展開はなかなかハイテンションだったが、一方で登場人物の造形はそろって大雑把。主人公格の一人・甲田の内弁慶ならぬマスコミ弁慶ぶりなど、面白そうなのにもっと掘り下げてほしかった。伸彦のダメ男ぶりとかもあまりにマンガチックで、いくらイクスキューズされていても、どうにも了解しがたい。 あと、本当の黒幕の正体についてはリアリティがないとかどうとか言っても意味がない種類のものだけど、もうちょっと読者の説得のしようはあったよね? とも思う。 でもって肝心のラストが舌っ足らずで中途半端という皆様の見解はまったくもってごもっともですが、個人的にはたぶんこの作品、元版の数年前に完結したばかりの某オリジナルテレビアニメに、インスパイアされているような気がします(その作品の名前は、文庫版巻末に掲載の作者と綾辻先生の対談にはまったく出てきませんが)。 まあ当方の妄想かもしれんけれど、黒幕の「(中略)」の正体が<その手のもの>だとしたら、個人的には結構いろいろと腑に落ちる。 いびつな作品だとは思うけれど、このパワフルなダイナミズムは買います。 2年4組の生徒にひとりひとり固有名詞をつけるといった、ムダなことはしないで、大半の男子女子をナンバリング分類するだけという割り切った叙述も読み手のストレスをかなり軽くしてくれた配慮だと思う(作者がネーミングが面倒だっただけかもしれんが)。 作者がアダルトウルフガイの中で『人狼戦線』が一番好きみたいなことにも気をよくして、0.5点オマケ。 |
No.1282 | 7点 | 花言葉は死 勝目梓 |
(2021/09/04 15:09登録) (ネタバレなし) 「私」こと秋津慎平は、元刑事で43歳の私立探偵。東京は新井薬師周辺に自宅兼事務所を設けるが、もう三か月も仕事がない貧乏暮らしだ。そんななか、渋谷で花屋を営む川村文子という30歳前後の美人が、失踪した友人で共同経営者の宮本槙子(まきこ)を探してくれと依頼に来た。秋津は文子が帰ったのち、彼女が自殺した最初の妻・佳津子に似ていることに気がつく。しかし依頼を受けた翌日、槙子が山中の車内でガス自殺してると報道されて、依頼内容はそのまま槙子の変死の確認とその状況の確認に切り替わる。秋津は、槙子が人気若手タレントの滝沢克也の恋人であり、しかも最近世間を騒がした事件の渦中の人物だったと知るが。 元版は、1985年7月15日発行の奥付で講談社文庫での書き下ろし。 作者の勝目梓は、無数の著作の表紙を飾る煽情的なジャケットアートから広義のミステリではあってもエロとバイオレンスの作家という予断というか印象があり(勝手な観測ながら、本サイトに来られるような大方の方も近いものかと思う)、そういうのが必ずしもキライでもない(笑)評者もやや敬遠していた。だからたしかまともには、まだ一冊も読んでない。 まあこの作者の作品をいつか読むのなら、それは評判のいい比較的マトモそうな初期作品あたりからだろうな、とも思っていたが、先日、ブックオフの棚で本作の講談社文庫版をたまたま発見。地味に洒落た感じの題名に気を惹かれて裏表紙のあらすじ&紹介、巻末の結城信孝による解説を読むと、あくまで正統派の和製ハードボイルドミステリ&私立探偵小説だと書かれている。それで興味が湧いて読んでみた。 結論から言うと、かなり骨っぽい上質な国産ハードボイルドの秀作。本文は文庫版で240ページ弱なのですぐ読めるが、筆力を感じさせる文体、軽いようで存在感のあるそれぞれの登場人物の造形、適度に入り組んだ事件の構造と、それを主人公(と若干の同業の協力者)の調査でほぐしてゆく段取りなど、いずれの面からも読みごたえがある(エロ要素はいくらかあるが、これはたぶん作者の常連の読者を意識した職業作家的なサービスであろう。少なくとも不愉快な描写ではない)。 特に良かったのは、やはり主人公の探偵・秋津慎平の造形。 貧乏で酒好き、趣味はモデルガンいじりというキャラ立てした属性をあてがわれながら、本質は20代の前半の警察官時代に愛妻にさる事情から自殺された過去を持ち、その後も再婚するがうまくいってない。表向きのフットワークの軽さと臨機の荒事への対応能力、苦い人生の傷などが、これは良い感じで明確なキャラクターを築いている。 (ところで現在のネットでの紹介記事などを読むと、秋津は離婚歴8回(!)とか、とんでもない記述も見られるが、講談社文庫版では2回しか結婚していないはず。何かの勘違いか、のちの版では恣意的に改訂されたか?) ちなみにいつもの「ハードボイルド」のひとつの測定基準として、一人称の主人公が当人の内面を明け透けに語る件についてでは、秋津はそれなりに心の声が饒舌だが、しかし一方で秘められた内面の痛みなどをあくまで小出しにしてゆく。その意味でも、かなりまっとうなハードボイルド私立探偵小説らしい手ごたえではあった。 ミステリとしてはよくできている、と思う一方で、事件のすそ野がそれほど広がらない感じもあるが、そこが貧乏な中年私立探偵がかじりついた事件簿のひとつとしては、妙なリアリティを感じさせる面もある。この辺も含めて本作の味という感じだ。 ただし犯人の情念はかなり強烈で、そしてある種の切なさを感じさせるもの。この辺も国産ハードボイルドの趣旨に似合う。 いずれにしろ、この作者が実はかなりまともにハードボイルド私立探偵小説の素養があり、意欲もあったのはよくわかった。この系列の作品は、あとどのくらいあるのだろう。そもそも秋津の再登場などは……あまり聞いたこともないから、望みは少なそうだな。まあレギュラーキャラ化しないで、一本で燃焼する方がいいタイプに思えないこともないが。 |
No.1281 | 7点 | 殺人狂想曲 ハドリー・チェイス |
(2021/09/03 18:04登録) (ネタバレなし) 1950年代のカリフォルニアのフリント市。当地の「イースタン・ナショナル銀行」の出納主任で、30歳前後のケンウッド(ケン)・ハランドは、愛妻アンが実母の看病のために実家に5週間も帰っているので、若い体を持て余していた。そんなケンに、銀行の同僚で45歳のパーカーが、市の一角「レッシングトン・アヴニュー」に可愛い夜の女がいると名前と電話番号を教える。ケンは迷った末にその女「フェイ・カールソン」に電話して彼女のもとを訪ねて、映画と食事にのみ誘った。フェイは真面目で妻を大事にするケンに好感を持ち、ケンもフェイの明るくしかし気遣いのできる人柄を好ましく思う。フェイがかつてダンサーをしていたナイトクラブ「ブルー・ローズ」で軽く楽しんだ二人は、一度はフェイの自宅に戻るが、ほんのわずかケンが目を離したすきに何者かがフェイを刺殺した! 1954年の英国作品。 翻訳は、345番と早い通しナンバーのポケミスで刊行。 大昔に古書で買った初版で読んだので、裏表紙に「江戸川乱歩監修 世界探偵小説全集」と書かれており、しかも奥付が表3(裏表紙の裏)にある珍しい? 時期のもの。 実際に叢書に入れたのは解説を担当の都筑道夫かほかの若いスタッフだろうが、乱歩とチェイスの名前の組み合わせにちょっと笑う(まあ、晩年まで柔軟に、海外ミステリの最新情報を追いかけていた乱歩だから、チェイスの存在も視野にあったかも知れないが)。 本作の内容は、平凡な小市民で身に覚えのない殺人容疑をかけられる青年ケンを主人公にした典型的な<巻き込まれ型サスペンススリラー>。 が、探偵役である市警の警部ハリイ・アダムスが有能な捜査官の一方で嫌われ者の食わせ者として語られ、最終的にケンに味方してくれる法の番人になるか、あれこれ自分の野心を優先する悪役になるか見えないところなど、いかにもチェイスらしい。 さらに被害者フェイの住居レッシングトン・アヴニューは、いわゆる小規模な娼婦街であり「地元フリント市は健全で公序良俗に反しない町です」とタテマエを謳っていた公安委員会の、なるべく事件を表沙汰にしたくない方針や、さる事情から荒事で事態を鎮めたい市井の黒幕セアン・オブライアンの思惑などもからんでくる。 これにケンの周囲の一般人の言動や、大小の悪党の欲目や暴力沙汰なども絡み合い、まさに邦題『殺人狂想曲』にふさわしい内容になる。 終盤の二転三転の展開と意外な真犯人は、かなりのサプライズ。エンターテインメント作家としてのチェイスの第一弾としてコレを選んだ当時の早川書房スタッフの選球眼はなかなか確かだったといえる(映画化もされていたので、その関係かもしれないが)。でもチェイスの邦訳が波に乗るのは、もう少しあとに創元文庫でバンバン出るようになってからなんだよな。 いずれにしろ、先発で一作だけポケミスで翻訳されていたチェイス、さてどんなものだったのだろ、と思って今更ながらに手にとってみて、予想以上に楽しめた。 サスペンス要素の比重ぶりが、のちの創元文庫での諸作とよかれあしかれ少し異なるような感触もあるが、チェイスの邦訳作品全般をあらためて読んで&読み直してみれば、そんなに違和感はないかも知れない。 |
No.1280 | 5点 | 血の砂丘 笹沢左保 |
(2021/09/02 15:27登録) (ネタバレなし) かつて大企業「船津屋」の現社長・船津久彦の妻だった30歳の美女・能代三香子は、2年半前に飲酒運転で人を死なせたことから実刑を受けて妻の座を追われた。だがその事故の裏には、愛人・芙美代を正妻に迎えるため、夫の久彦が仕組んだからくりがあったことを出所後に知る。真実の立証も困難な三香子は、久彦への復讐を考えた。三香子は久彦を狂乱させようと、彼が溺愛する当年4歳の実の娘で、三香子自身の実子でもある千秋を誘拐。もちろん大切に保護した上で、久彦をさんざん苦しめたのちに返すつもりでいた。だがその千秋が何者かにさらに誘拐された! 三香子は、現在の彼女の愛人で復讐計画にはまったく無縁の大企業の常務取締役、そしてミステリマニアの別所功次郎にすべてを告白して、千秋救出の協力を願う。だが三香子と彼女の要請に答えた功次郎の前に、この事態に関連するらしいある殺人事件が? 昭和61年に「小説宝石」に連載された作品に、加筆して書籍化。 カッパ・ノベルス版の著者の言葉で作者が自負する通り、二重誘拐という物語の着想そのものは、(ちょっと)面白い。 ただし鳥取市周辺での殺人事件(これが題名に通じる文芸)との連携がいささか強引だし、肝心の幼女・千秋の隠し場所などもいろいろと無理はあるような……。あと、犯人の意外性もあまりない。 三香子がハメられた経緯、ある種の漢気からその真実を告白する某・登場人物の描写、そして窮地の中で本気で男と女の絆を固める三香子と功次郎の関係性の進展などは、ああ、いかにも笹沢作品という感じ。特に三香子に深く詫びながら、久彦の姦計を暴露する該当キャラなんかは、自作の渡世人ものの方の影響が感じられるような(評者はそっちの方はまったく読んでないので、あくまで勝手なイメージだが)。 男性主人公といえる41歳の別所功次郎は割といいキャラだが、そのネーミングが昭和~平成において現実のフジテレビの名物プロデューサーだった別所孝治(べっしょたかはる)を想起させる(第一作アニメ版『アトム』や東映動画の『マジンガーZ』『ゲッターロボ』ほかを担当した人)。 そういえば笹沢は『木枯し紋次郎』でフジテレビと縁があった。東映動画版『ゲッター』(74年)に「大枯文次」というアニメオリジナルのレギュラーキャラクターが出てくるので、それを知った笹沢がほとぼりが冷めた頃にやり返したのか? と馬鹿馬鹿しい妄想をしたりしてみる。 (「紋次郎」から「郎」を外して「紋次(文次)」にされたから、逆にこっちは「郎」をつけたとか?) 評点はそれなりに楽しんだけど、6点も微妙だなあということで、この点数で。 |
No.1279 | 6点 | ストリッパー カーター・ブラウン |
(2021/09/01 11:40登録) (ネタバレなし) パイン・シティのスター・ライト・ホテル。その15階から身投げを図ろうとする二十歳前後の娘を、「おれ」こと保安官事務所所属の警部アル・ウィーラーは、すんでのところで、思いとどまるよう呼びかける。説得は成功したかに見えた。だが安心しかけた次の瞬間、娘の体は妙な姿勢をとり、地面に落下した。その娘、女優志望のパティ・ケラーを救えなかったことを気に病むウィーラーだが、検死の結果、彼女の体内から平行感覚を狂わせる薬物が検出された。他殺の可能性を含む事件性を認めたウィーラーは、パティの従姉妹でストリッパーとして人気を集めているドロレス・ケラーに対面。ドロレスから、田舎から出てきてまだ友人の少ないパティが、結婚相談所「アークライト・ハッピネス・クラブ」でボーイフレンドを斡旋してもらっていた事実を知る。だがそんなウィーラーの前に、思わぬ関係者の変死事件が生じて。 1961年のクレジット作品。 ショッキングな冒頭だけに、これは、以前に一度は読んだことははっきり覚えている。それ以外のストーリーも事件の内容も、もちろん犯人もトリック(あれば)も、完全に忘却の彼方だったが。 他のミステリ感想サイトでも語っている人がいるが、若い身空で役者になる夢の途中で墜落死したゲストヒロインのパティ。この薄幸の被害者に関係者の誰もが情愛を傾けてやらないなか、自分だけでも彼女の死の真相を暴き、鎮魂してやろうとひそかに考えるウィーラー。うん、正統派のやさしいハードボイルド探偵のようで、気持ち良い。 自殺した? パティと、もともとそんなに仲良くなかったとうそぶくドロレス。彼女が従姉妹の死をたいして悲しまない反面、愛犬を猫っ可愛がり、いやイヌ可愛がりする。これに腹を立てて、犬よりも従姉妹だろ、人間だろと怒るウィーラー。すんごくマトモな主人公だ。ドロレスも、ハッと反省はしたようである。(まあ、犬には罪はないんだけどね。)でも小説として、またハードボイルド作品として、これでよろしい。 というわけで、いつにもましてウィーラーの骨っぽいところ、真面目でやさしいところは、ステキな作品。 だけど一方で、事件もゲストキャラも全体的にあんまり冴えない。ただひとり、タヒチ美人風と評された、結婚相談所の愛らしい受け付嬢、シェリー・ランドのみは、そのはっちゃけたキャラも、陽性のエロさも、ともに良かった。 しかし(中略)に(中略)の<あのもうひとりのヒロイン>はなんだろうね。笑ったよ。 シリーズもののちょっと変わった一本としては、それなりの価値はあるけれど、一本のミステリとしては、水準作~佳作くらいか。 本作は、なんかわりと、世の中の評判はいいような気配もあるのだが。 |
No.1278 | 7点 | 深夜放送のハプニング 眉村卓 |
(2021/09/01 04:46登録) (ネタバレなし) 1977年初版の秋元文庫版(の重版)で読了。 イラストレーターで深夜放送のDJを兼業する青年・島浦紀久夫を主人公とする全3本の連作短編『深夜放送のハプニング』と、単品の中編ジュブナイルで学園SFホラー(?)の『闇からのゆうわく』、その、のべ4編を収録している。 表題作は、秋元文庫に入っているから純然たるジュブナイルかと思っていたが、読了後に眉村卓作品の研究サイトを覗くと、実は一般向け作品だったらしい。 くだんの『深夜放送の~』は 「過去のないリクエスト・カード」(記憶喪失のリスナーの素性の探索) 「夜はだれのもの!?」(悪趣味な冗談企画から始まる騒動) 「呪いの面」(ミクロネシアの呪いの面の奇談?) という3つの連作エピソードだが、本の表紙周りに「SF」と銘打たれているにも関わらず、実は存外にそっちの成分は希薄である。 特に「過去のない~」は、なんと新本格の「日常の謎」系みたいなミステリで、そのぶっとんだ真相にかなり驚いた(もちろん、60~70年代半ばに、すでにこういう作品が、それもSFプロパーの作家によってという意味合いで驚愕した面も強いが)。 「夜はだれのもの!?」は、さらにもうちょっと普通のミステリっぽいが、オチのつけ方など、どことなく後年の幻影城世代の作家の諸作なども想起させる。 最後の「呪いの面」で、ようやくスーパーナチュラル要素が強くなるが、怪異の真相をわざと(中略)なラストには、独特の余韻がある。 いずれも期待しないで読んだ分、それでもうけた感じがあるのは事実だが、予想以上に楽しめた。 後半の単品中編『闇からのゆうわく』は、平凡な中学校に、魔女のような、冷たい美貌の若手女教師が転任してくるところから開幕する学園ホラー青春SF。平井和正の初期短編に通じる危なさと蠱惑さがあるジュブナイルだが、緊張感に満ちた展開、情感のあるクロージングと、なんか実に心の琴線に触れた。 21世紀のいま、新作として、そのままこの内容の作品がリリースされたら、小説、映画、コミック、どのメディアででも、古い感じは拭えないだろうが、一方で、こういう傾向の作品のときめきを忘れたくないと思わせる、そんな普遍的な魅力がある。十代の頃に読んでいたら、確実に(中略)。 半ば成り行きで入手したようなところもある一冊だが、望外なほどに予期せぬ感興に触れられた。 また何か、似たような傾向の眉村作品に出会ってみたいと願う。 【補足】 1982年に同じ出版社の「秋元ジュニア文庫」(秋元文庫ではない)から同題の短編集が出ているらしいが、そちらは元版(秋元文庫)の方に併録されている『闇からのゆうわく』を割愛しているそうなので、注意のこと。 |
No.1277 | 7点 | ある殺意 P・D・ジェイムズ |
(2021/08/31 16:05登録) (ネタバレなし) そろそろ蔵書のポケミスで読もうかと思っていたら、ブックオフの100円棚でHM文庫版を発見。改訳決定版というので、じゃあ、とそっちを購入してこっちで読了した。許せ、我が家の蔵書のポケミス版『ある殺意』。 前作『女の顔を覆え』ほどの一大サプライズはないが、こちらもこちらで十分に面白かった。 あまりにも多い、そしてひとりひとりがみっちりと描写されたキャラクターたちは確かにヘビーだが、この数年来やっている登場人物一覧をまとめながら読む作業をしながらの読書なら、そんなには苦にならない。 むしろ情報が薄いキャラクターは、もっともっと、こちらが人物メモに書き込む要素を欲しながら、ページをさらにめくるようになる。 (逆に言うと、本作はそういうある種のぜいたくさを満喫できる作品ということだ。) でもって、物語の途中で実はかなり明確に手掛かりというか伏線は張られており、そこに留意すればたぶん一瞬で事件の真相の全貌は推察できる。(ただし評者は、一度はそのポイントをはっきりと意識しながら、後半の物語のうねる波のなかで失念していた。みっともないが、よくあることである。) これまでジェイムズの諸作のなかで、いちばんなんだかな、とこれは……と思った『皮膚の下の頭蓋骨』とかも踏まえて、ジェイムズって意外に伏線の張り方がぞろっぺいかも? しかし終盤、ダルグリッシュ&マーティン部長刑事が病院内の記録を調べ(カード整理式の分類データを利用する、パソコン普及直前の作業がすごい印象的)、その流れでちょっと遠出の捜査をするあたりから、なんかヒラリー・ウォーみたいな作風になった。フーダニットの興味を軸に置きながら警察捜査小説の道筋で、真相に迫っていく感じ。ジェイムズがどのくらい意識していたかは知らないが、形質的には近いものができていたかもしれない。 そこで最後のどんでん返し いや、そのウォー風警察小説っぽい波に乗っていたから、個人的には意表を突かれました。 ……とはいいつつ、実は前述のように、いちどは想定していた&心に引っかかっていた決着へと戻ってきただけだけど(負け惜しみ)。 故・瀬戸川猛資の遺した言葉「ジェイムズを読むなら時間があるときに一息に」の鉄則を尊守している身からしても、存分に楽しめた。 実にバランスのいい正統派&技巧派ミステリだった前作に比べて、今回はさらに一定の箱庭世界(本作なら名門の精神病院)を舞台に、そこで群像劇っぽい登場人物たちの右往左往を語ろうとする作者の筆の勢いが実感できた。 次の『不自然な死体』、そして『ナイチンゲール』が楽しみだ。 |
No.1276 | 7点 | 化石の城 山田正紀 |
(2021/08/30 16:35登録) (ネタバレなし~ただし途中一部、少しデンジャラス) 1968年5月上旬。ド・ゴール政権に反対する学生運動「五月革命(五月危機)」の運気が高まるパリで、日本の企業「紀伊建設」の社員で20代後半の瀬川峻は、天才青年建築家トニー・バチェラーの訪日を求める。瀬川と紀伊建設は大阪万博に向けて大きなプロジェクトを構想し、そのために先にバチェラーと契約したが、なぜか彼は態度を急変させてパリに残りたがっていた。そんななか、瀬川は訳ありの元友人・池田灘夫と6年ぶりに再会した。不穏な空気の中で思わぬ事件が続発し、やがて瀬川はパリの地下に、あのフランツ・カフカが書いた「城」のモデルが実在する!? と知る。 最初の元版(1976年1月。二見書房のサラブレッドブックス)以来、なぜか一度も再版も電子化もされない、山田正紀の初期長編。 古書価は高い時には余裕で5ケタ行ったりするが、運が良ければヤフオクで500円で買えることもある。 評者は1970~80年代にその元版しかない本作を300円の古書で購入していたが、一方で大昔の「SRマンスリー」の短評で、本作の内容がパリの五月革命に深く関連すると聞き及んでおり、現代史にあんまり強くない自分には、ちょっと敷居が高そうだということで、長らく(ウン十年も)放っておいた。 それから歳月が経過し、まあ21世紀の現代ならwebもあるし、わからないことならネット検索で大方の概要は教えてもらえるだろうと、しばらく前から、書庫の中から取り出しておいた。 で、ようやっと昨夜、読んだが、……いや、期待以上にリーダビリティは高く、予想以上に面白い。 読む前はSFかと思っていたが、「城」の伝説にからむ伝奇性の部分以外は非日常要素は希薄。 ほとんど巻き込まれ型のサスペンススリラー(冒険小説の一種)で、さらに言えば、青春のいちばん最後の時期にオトシマエをつける若者たちの情念の物語でもある。 巻末には、この時点で初めて「あとがき」を書いた、と語る作者・山田正紀自身の述懐が掲載されているが、本作の執筆の契機(のようなもの)の一つになったのは、あのフォーサイスの『ジャッカルの日』だそうである。同作を読んでトータルとしては評価する作者は、ドキュメント部分の要素に感銘はしたものの、フィクション部分は存外につまらないと豪語。そういった一種のアンチテーゼ的な立場で、本作を執筆したようである。 (だからド・ゴール政権末期の「五月革命」のパリの物語になっている。) 五月革命にカフカの『城』ネタを組み合わせ、さらに当時の国際政治情勢(特に……)までを絡ませてストーリーを紡ぎあげた、若い作者の筆の勢いは、前述のように21世紀のいま読んでも歯ごたえがあった。 キャラクターシフトにしても、大学時代からの屈託を今なお抱えあう主人公・瀬川と元友人・池田の関係性も良いが、物語にかかわりあう主要キャラたちがそれぞれ記号的な造形を逃れて、一定以上の存在感を抱かせる。 何より、状況や事態の振幅に翻弄されながらも、夢と明日の希望にしがみつく(それは実にいろいろな形だが)劇中人物ひとりひとりの素描が良い。 で…… 【以下、ちょっとネタバレ?】 これは初期山田作品のなかでも上位の方……と思いながら、終盤のヤマ場に向かったが……ああ、そうか、(この時期の)山田正紀だったんだよね……この作品。 賛否両論はあるだろうが、やってほしくなかったなあ、この作品に限ってはあのパターン。 いや、トラウマ的にショックを受けた、同じ作者のあの作品のラストがまた甦ってきたよ。 ただまあ読み終えて一晩眠って少し頭が冷えてみると、この結末はそれなりの意味はないでもない……とは思えたりもする。 非常に60~70年代の時代っぽいクロージングだし。 ただまあ一方で、このラストを書き終えた際の作者の妙な表情が頭に浮かぶようで、ソコはどうも。まあこちらの思ったこととはまるで違う、悲痛な面持ちで魂を削るようにコレを書いていたのかもしれんが。だったら何も言えないね。 【以上でネタバレ解除】 読了した直後、就寝までの数時間での評点は6点。 ひと晩、明けた現在では7点。 面白さと熱さ、ときめきの部分だけ抽出したら、8点。 |
No.1275 | 6点 | 突然、暴力で カーター・ブラウン |
(2021/08/29 05:58登録) (ネタバレなし) 「おれ」ことダニー・ボイドは、NYの私立探偵事務所「ボイド・エンタープライズ」の代表兼唯一の所員だ。ボイドは、元・麻薬ギャングの大ボス、コンラッド・レイクマンの依頼で、家出した彼の娘スージーを捜す。ボイドはスージーが借りたアパートを発見し、彼女を自宅に連れ帰ろうとしたが、そのときクロゼットの中から若者の死体が転げ出た。それはスージーとともに駆け落ちしたが、いつの間にかいなくなっていたという、コンラッドの運転手ジョイ・ヘナードの射殺死体だった。当惑するボイドの前に、見知らぬ若い男女が登場。二人組の片方である男は、ボイドを殴って失神させ、女とともに、スージーをどこかに連れ去った。 1959年の版権クレジット。ダニー・ボイドシリーズの第二作。 何が起きているのか分からないままに、物語が進行。冒頭の被害者ヘナードの遺留品から、さらに別の方向に事件のすそ野が広がっていく。 終盤に明かされる事件の全貌は、もともと、ちょっとややこしい事態だった、そこにさらに、妙な角度から切り込んでストーリーを語り始めたため、作品全体に錯綜感が生じていたのだったと判明する。 (なるべくネタバレにならないように書いているつもりだ。) この、それなりに凝った作劇の趣向は、結構面白い。 真犯人は、なんとなくこの人物がクサイなと勘では察せられるものの、殺人の生じた動機というか状況は、かなりぶっとんだものであった。 なんか類例があったような気もしないでもないが、いずれにしろずいぶんとオフビートなものなのは間違いないだろう。 しかし今回も前作同様、主人公のボイドはよく殴られる、そして殴り返す(例によって女にも)。ワイルドさを基準にすれば、カーター・ブラウンの諸作中でも、このボイドシリーズの初期編がいちばん凄かったかもしれない。 今回、ボイドシリーズのレギュラーヒロインとなる、赤毛の美人秘書フラン・ジョーダンが初登場。もともとは別の職場にいたが、転職してボイドの事務所に来る。 (マイケル・シェーンシリーズの二代目ヒロイン、ルーシイ・ハミルトンみたいなパターンである。) フランはボイドとの初対面から、自分は高級な酒と食事が好きなお金がかかる女だと自称。まだ22歳だが、けっこう男性経験も豊富なようで、ボイドとの関係の深化も予想以上に……(中略)。まあ興味のある人は実作を読んでくれ。 ちなみに本シリーズの邦訳はかなり順番が後先になったため、この第二作が日本語になる前にボイド主役編もそれなりの冊数がすでにポケミスで出ていた。 そのため本書の巻末では、白岩義賢なる御仁(webで検索すると、1934年の生まれで中央公論社の編集者だった人らしい)が、既訳分のシリーズを丁寧に読み込み、ボイドに関する、かなりしっかりしたシャーロッキアン的な論評をまとめている。 全国のボイドファン(21世紀のいま、どのくらいいるか知らないが)は、ちゃんと目を通しておいた方がイイ一文だね。 評点としては、面白いことは面白かったけれど、送り手の方が読者を一方的に引き回すような種類の感触も割とあったので、このくらいで。 カーター・ブラウンファンなら、いつかどっかのタイミングで読んでおいた方がいい一冊だとは思う。 |