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ミステリの祭典

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殺しの前に口笛を

作家 生島治郎
出版日1971年01月
平均点8.00点
書評数1人

No.1 8点 人並由真
(2021/12/17 07:38登録)
(ネタバレなし)
 1970年代の初め。「私」こと32歳の世界ウェルター級チャンピオンボクサーの伊吹礼一は9回目の防衛戦に辛勝するが、同時に拳闘選手としての限界を感じて引退を表明した。だがその直後、伊吹は何者かの手で身に覚えのない殺人の犯人に仕立てられてしまう。伊吹を逆境に追いやった謎の男「ウィリアム・フォークナー」は、彼の窮地からの救済、さらには多額の報酬と引き換えに、あるミッションへの参加を願い出た。

「週刊大衆」に連載された長編で、評者は大昔に購入した1976年のスリーセブン社版の新書で読了。
(本文だけで、作者のあとがきも他者の巻末解説もない、簡素な版だ。)

 主人公の伊吹、そして彼の仲間となるアジア系のセミプロ工作員(本業のスパイではないが、その資質を認められた連中)3人とともに中国内に潜入し、とある目的を果たそうとするストーリー。
 忍者潜入ものというか、山田正紀の傑作『火神を盗め』みたいなプロットと同種のものだと思えば、まあよい。

 伊吹がいきなり思わぬ逆境の中に引きずり込まれていく序盤~前半の物語は、アンブラー風の巻き込まれ型サスペンス・スパイスリラーの趣。
 そのあとは、ヒギンズが丁寧に書いたときみたいな歯応えの、潜入工作ものの冒険小説に転調する。

 活劇スパイスリラー的なB級感がある一方で、場面場面の叙述はかなり細部まで丁寧で、独特の格調を感じさせる仕上がり。つまり当初の予想以上に骨太な感触で、同時にぐいぐい読者を引き込む勢いがある。
 かたや伊吹の一人称による内面描写、心情吐露も、進展するストーリーの局面ごとにマメに語られるので、この辺に生島作品らしい和製ハードボイルド的な詩情とそれっぽい美学(メロウさとドライさ)が満ち満ちている。
 
 伊吹をリーダー格とする4人の主人公チーム(みなアジア系)、そして彼らに関わり合うサブキャラたちの描写もしっかり書き込まれており、その辺の「苦い男の美学」は昭和的な、悪く言えば自分に酔ったような感触もまったくない訳ではない。
 が、一方で過酷な状況の中でご都合主義を許さず、細部をツメていく筋立ては、ほぼ全編通してかなりの緊張感があり、生島作品の中では出来がいい方だと思う。
 あえて言えばヒロインであるフィリピン歌手のマヌエラの作中でのポジションと、彼女と主人公・伊吹との関係性などは、ちょっと緩めの感じがしたが(当のマヌエラのキャラクター造形そのものは、しっかりした過去設定で、決して悪くはないんだけれどね)。

 終盤の(中略)なども作品全体のテーマを引き締めて、本作の連載中にどんどんヒートしていった当時の作者の入れ込みがうかがえるような気もする。
 ラストはちょっと思うところもあるが、これはこれで話の主題を完結させたものではあろう。いずれにしろ、作者の著作の中では力作の部類に入るものだとは思う。
 評点は0.5点くらいオマケして。

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