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ミステリの祭典

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平均点:6.32点 書評数:2002件

プロフィール| 書評

No.2002 8点 ウルトラマンF
小林泰三
(2024/03/29 01:33登録)
(ネタバレなし……あ、もしノリで口が滑っていたら、お許しを・汗
  ~なるべく気をつけているつもりだけど)

 多くの凶悪怪獣や侵略者の宇宙人から人類を守ってくれた光の巨人ウルトラマンが地球を去って、およそ一年。国連の科学機関は各事件時の状況データから、科学特捜隊日本支部の早田進(はやた しん)隊員の肉体にウルトラマンが憑依していた可能性が高いと推定。その秘密を解明しようとしていた。同時に、人工の地球版ウルトラマンを生み出そうとする軍事科学プロジェクトチームの天才科学者インペイシャット博士、そして科特隊の隊員・井出(いで)光弘は、それぞれ人間を巨人化させるテクノロジーを研究。前者は日本の東北に棲息する昆虫モルフォ蝶の特殊な生態因子に、後者は同僚の女性隊員・富士明子(ふじあきこ)を一時的に巨人化させたメフィラス星人の科学技術に可能性を探ろうとするが。

 単行本の書籍版で読了。
 わははははははははは。どう受け止めるべきか。コレは。

 <ウルトラシリーズヲタクの作者の書いた1000%厨二病作品>なのは間違いないものの、それでも今は亡き作者のとめどもなく深いウルトラ愛に、まずはウハウハ喜ぶばかり。
 そっちの前提を了解して、一度作品の方向性に身を預けてしまえば、これ以上ない心地よい快感に痺れきることのできる<ファン・トゥー・ファン>の公式ウルトラノベル、である。

 テレビシリーズ『ウルトラマン(初代)』正編の最終回の後を起点とする世界線をひとつ設定し、そこから映像上の光の国路線(いわゆる『ウルトラマンメビウス』史観)とはまた違う未来図を覗かせていく(しかし、パラレルワールド的に、後続のウルトラ作品の要素もあれこれふんだんに取り込む)、というのはまんま清水栄一×下口智裕のコミック『ULTRAMAN』と同様だが、こっち(本作)の方の豪快さはそっちに輪をかけて面白かった。
(特に<あの連中>との対決の場で某メインキャラが叫ぶ
「ウルトラマン(××←あえて中略……)は、アルファにしてオメガ」
(書籍版P209)の一言には、興奮と感動で脳みそが沸騰してぶっとんだ!)

 とはいえ、まあ、アラシとフルハシ、アキコと由利子それぞれの双子ネタなんかとか、何を今さら、昭和の第一次アニメブームのころの、おぼこの中高生特撮ファンかい! と思わずぼやきたくなるような箇所もなきにしもあらず。
 この辺を含めて、たとえ21世紀のウルトラファンであっても、受け入れられないオトナな読者が全国に山のようにいるのはよくわかる。
 ただまあ、それでもその双子ネタの後者なんか、このお約束設定をなかなかうまく活かした描写へとつなげてあって(単行本P129)、そーゆーのを読まされると、あー、やっぱヨワいのだな、こっちは(汗・笑)。

 合わない人が、悪い意味で敷居の低い厨ニ的二次創作! とかいってとことん拒否するのも、一定数の新旧世代のウルトラファンが、最高だ! とウハウハ喜んでいるのも、どっちもよ~くわかる一冊。
 つーわけでこっちは条件付きで、この評点じゃ(笑)。

 まあ、まだまだあのネタもこのネタも放り込んで取り込んでほしかったというのは、冗談抜きに何十何百とあるけれど、それでも得点的に見れば、たぶんこれまで日本語で書かれたウルトラシリーズの小説作品の中では最高級のファンサービスぶりだよ、これ。

 オリジナル作品を著したミステリ作家・SF作家・ホラー作家としての小林先生に関しては、とてもしっかりした物事を語れるほど著作を読んでない評者(たぶんまだ3~5冊くらいだと思う)だけど、同じウルトラファンとしてはその愛情の深さに素直に脱帽。
 改めてご冥福をお祈りいたします。


No.2001 6点 自殺じゃない!
シリル・ヘアー
(2024/03/28 06:14登録)
(ネタバレなし)
 スコットランドヤードの名警部J・マレットは、ロンドンから40数マイル離れた二流ホテル「ペンデルリー・オールド・ホール・ホテル」で休暇を過ごしていたが、そこで60歳前後のレナード・ディキンスンと知り合う。だがその翌日、レナードは急死。検死審問でその死は自殺と判定された。実はレナードは家族のために高額の保険をかけていたが、契約の初期満了がまだで、自殺では大金がもらえなかった。家族のために保険をかけた家長レナードが、それを無為にするような自殺をするわけがない。そう主張した息子のスティーヴンと娘のアン、そしてアンの婚約者のマーティン・ジョンソンは弁護士を通じて探偵と契約。私立探偵ジャズ・エルダスンが調査した、父の死亡時にホテルにいた宿泊客のリストをもとに独自のアマチュア探偵活動を開始した。

 1939年の英国作品。
 作者のレギュラー探偵マレット警部ものの第3作。
 シリーズのうち邦訳があるもののなかではこれが一番若いので、どうせ読むなら本書からと思い、手に取った。(これで噂に高い『法の悲劇』も読める。)

 地味といえば地味な筋立てだが、お金欲しさのために、目指す集合体(ホテルの宿泊客)のなかから、警察に突きだせる&保険会社に殺人の事実があったと立証できる真犯人をなんとか探し出そうというメインプロットが明快。
 しかも半ばオムニバス短編風に順々に語られる<宿泊客と探偵団の接触エピソード>群がメリハリを利かせて並べられ、ちっとも退屈はしない。

 とはいえ実は犯人は途中で大方、これはたぶん……と気づいて、トリック込みで、正解だった。
 まあ、一応以上のサプライズにはなっていると思うが。

 それでも、中途ではやや曖昧に書かれ、終盤で真犯人判明ののちに明らかになる人間関係の綾など、最後まで気が付かなかったものも細部ではいくつかあった。そういう意味では、やはりよく出来てると思う。

 意見を違えた兄妹が、互いに子供時代の思い出を引っ張り出して小学生みたいに悪口を言い合う敷居の低い場面とか、どこかうっすら味? の英国風ユーモアが全編の各所にみなぎり、その辺はステキ。
 かたや、世界(人間関係の裾野)が狭すぎるだろ、アマチュア探偵たちの捜査がうまくいきすぎるだろ、との思いも感じないでもなかったが、その辺に関しては読後に目を通した巻末の解説で、要は<これはソウイウものなんです>とのフォローが入れられていた。……まあ、ね。

 先に読んだ同じ作者のノンシリーズ編のパズラー『英国風の殺人』と同様に、結構面白かった。邦訳されている分はおいおい読んでいくとして、ヘアーの未訳の長編はいまからでも、翻訳紹介しておいてほしいと思う。

 評点は7点に近い、この数字ということで。


No.2000 6点 墓場への闖入者
ウィリアム・フォークナー
(2024/03/27 09:23登録)
(ネタバレなし)
 1945年ごろのアメリカ南部。ミシシッピイ州北部にある、一万五千人ほどの住人が暮らすヨクナパウワ郡。そこで28歳の白人ヴィンスン・ガウリイを背後から射殺した嫌疑で、黒人の老人ルーカス・ビーチャムが逮捕された。ヴィンスンの死亡直後、そばには銃を持ったルーカスがいて、容疑は濃厚だったが、4年前のさる事情からルーカスに対してある種の心の執着を持つ16歳の白人少年チャールズ・モリソン二世は、この事件を気にかけ、拘留中のルーカスに接触する。そこでルーカスはチャールズの伯父である50歳の白人の弁護士ギャビン・スティヴンスへの伝言を願い出た。そしてチャールズ自身もおのれの考えで周囲の者の手を借り、さる行動を起こすが、そこで明らかになったのは、予期しえない意外な現実だった。

 1948年のアメリカ作品。
 フォークナーのライフワーク? ともいえる、南部の架空の地方都市ヨクナパウワ郡を舞台にした連作「ヨクナパウワ・サーガ」の一編。サーガの連作には共通する登場人物が再登場するし、本作でも数名の他作品のキャラクターが姿を見せたり、名前が出たりする。

 特に、主人公(同時にナビゲーターキャラ)の少年チャールズの伯父で、初老の弁護士ギャビン・スティヴンスは、本サイトですでにnukkamさんが書評されているミステリ連作短編集『駒さばき』の主人公探偵・ギャヴィン・スティーヴンス検事の、この時点での姿である(評者は同書は未読だが、本作の主人公の少年チャールズも、そちらでワトスン役を務めているらしい)。
 さらに同じく本サイトでクリスティ再読さんが語っている長編『サンクチュアリ』も、物語の構造上での本作との接点を持つという。
 この辺はみんな、本書(1951年のハヤカワ版)の巻末の訳者・加島祥造による懇切丁寧かつ詳細な解説で知った。
 とはいえ、本作は単品の長編として読んでも特に問題はない(関連作品を先に読んでいた方が、深みのある読書をできる可能性はあるだろうが)。

 それで本作は、人種差別問題への踏み込み、肌の色が違う者を見下しかけてしまう人間の弱さと、そしてそういう己の意識を恥じる内省の念……そのほかの文芸を言葉を紡いで語り、まちがいなく文学作品だとは思うが、同時に殺人事件の設定、提示される謎めいた興味、さらに中盤の意外なサプライズ……と十分にミステリの枠組みにも入る作品。実際に<ヘイクラフトの名作リスト>にもセレクトされている(つーか、だからオレも読んだんだが・汗&笑)。

 前述のように、評者は今回、1951年に早川書房から出た加島祥造訳で読了(現状、Amazonに本書のデータはない。また同じ訳文がのちに新潮文庫に入ったようだが、そちらも現状のAmazonデータにない)。
 訳文が古いので読み進めるのがその意味ではシンドかったが、お話そのものにはミステリらしい引きもあればストーリー面での物語性もそれなり豊富で、そういった面ではスラスラと読める。
(なおタイトルの意味は何かの観念的な暗喩かと思ったら、まんまのモノだった。詳しくは実作を。)

 で、特に重要なファクターとなる4年前のチャールズとルーカスの出会いのエピソード。その場でつい、人間として恥ずかしいことをしてしまい、その後、ルーカスへの罪悪感と自己嫌悪の念が心の一角に巣くったまま、青春時代の歳月を重ねていった少年の叙述が実に哀切だ。そんな情感めいたものに心をチクチクされながら読み進んでいったら、途中で出て来る「え?」という、良い意味での敷居の低いエンターテインメント的なサプライズ。いや、面白いじゃないの、ご機嫌じゃないの、イケるじゃないの、とそこでまたテンションがあがった。
(中盤以降、劇中でそれなりの活躍を見せるサブヒロインの老嬢、ミス・ハバシャムのキャラもなかなかいい。ちなみにこの作品、もしかしたらあの名作ミステリ映画と、その原作に影響……ムニャムニャ。)
 さらに後半の、あの『寒い国から帰ってきたスパイ』のアレックス・リーマスのかの心情吐露のくだりさえ想起させる、チャールズに向けてのギャヴィン伯父さんの述懐なんかも相応に心に響く。

 ……とまあ、あれこれホメることが可能な作品ではあるのだが、とにもかくにもジャンル小説のミステリとしては、あまりキッチリしたものを作れなかった面もあり(この、真犯人が明らかになる際のプロセスとか、なんなんだろね……)、さらにギミックとして用意された種々のオモシロそうな趣向がイマイチ実を結んでない……。
 いやまあ、作者がミステリを書こうとした、少なくとも<ミステリっぽいもの>を書こうとしていた、そんな気概めいたものだけは十分に感じるけれど。
 
 小説としては、読んでそこそこ良かったとは思う(ただしさっきも言ったけれど、旧訳なんでとにかく読みにくい)。
 で、ミステリとしても中盤までは、たしかに面白い。でもそっちの意味でトータルとしては……というところ。う~ん。

 またいつかこの「ヨクナパウワ・サーガ」ものは何か読んでみたい(それこそ『駒さばき』でも『サンクチュアリ』でもその他でも)とは思うものの、翻訳の良しあしだけはしっかり見極めて選んだ方が吉! だろーな。

 あ、加島さんの訳そのものは、デイモン・ラニアンそのほか、大好きである。本書も本文中のホントーに親切な割註とか、最後の懇切丁寧な巻末の訳者による解説とかも含めて、全体的に丁寧なお仕事だったことは認めたいんだけどね。まあ、時代の限界で訳文がどうしても古くなってる、ということで。


No.1999 7点 天使が消えた
三好徹
(2024/03/25 15:09登録)
(ネタバレなし)
 全国紙の横浜支局に勤務する30歳代半ばの新聞記者「私」は、その年の歳末、横浜市内で起きた「藤塚病院」の火災の事情を調べていた。火事の状況を知る者として、コールガールか街娼らしい若い娘「チーコ」の存在が浮かび上がる。出くわしたヤクザ者らしい相手の妨害を受けながら調査を続ける「私」だが、やがて殺人事件が発生。その事件は「私」の周囲の者にも、深く関わってきた。

 読者視点で名前の未詳な新聞記者「私」を主人公とする、基本は短編形式のハードボイルド連作「天使シリーズ」の長編第二弾(いうまでもないが、「天使」とは、主人公の「私」がそれぞれの事件簿の中で出会う、正邪のさまざまな、キーパーソン的なゲストヒロインたちを意味している)。
 本長編は「赤旗」に1972年1月5日から35回にわたって連載されたのち、カッパノベルズで書籍化(現状、元版はAmazonに登録なし)。その後で、角川文庫に入った。評者は、例によって少年時代に買ったカッパノベルズが見つからず、ブックオフの100円棚でしばらく前に購入した角川文庫版でこのたび読了。

 これも1970年代前半のミステリマガジンの国産ミステリ新刊評ページ「警戒信号」で、当時の瀬戸川猛資がその<和製チャンドラーティストぶり>をかなりホメていた一冊で、ちょうどそのころ、本家チャンドラーとマーロウに少しずつ惹かれていった少年時代の自分は、そのままカッパノベルズ版も購入した。
 しかし瀬戸川氏の作品を語る筆は例によって実作以上に? 蠱惑的で、さらに自分自身、短編の方の「天使シリーズ」の実作を読んでかなりスキになったため、この長編『天使が消えた』はなかなか封を切るのがもったいない、秘蔵品のような扱いになった(で、そのうち、蔵書が見つからなくなるいつものパターン~汗~)。
 
 そういう形で、半世紀も読むのをとっておいた作品だが、今回はもういいかな、と思って二日で読了。日を分けたが読みにくいなどということはカケラもない。話のテンポが良い上に会話もべらぼうに多く、たぶん三好徹のほかの長編をあわせても上位のリーダビリティでスラスラ読めた。
 
 で、感想だけど、う~む、確かに、気の利いた言い回し、ウィットのあるレトリック、そして主人公の気骨と等身大ぶりのバランス……などなど、和製チャンドラーには十分になっているとは思う。その辺は半世紀前の瀬戸川評にまったく異論はない。

 ただし、ミステリとしては<被害者の死体に残されたある状況の謎>というなかなか興味深い引き(「私」の胸中の疑念として語られる)で盛り上げておきながら、え、真相はそれなの? という軽い当惑。さらに後半のサプライズが早めに透けて見える事、そして真犯人の設定……など、いささかブロークンな作り、という印象も生じた。瀬戸川氏、その辺については全くノーコメントで、これはこれで良質の和製スリラー、という主旨でホメている。

 ちなみに角川文庫版の解説は郷原宏氏。個人的に郷原氏の旧世紀の仕事や評論はいまひとつ買っていない評者(21世紀になってからは、だいぶ見直したが)だが、そこではあえてミステリとしての本作の構造に苦言を呈してもおり、とても共感できる(ということで、もし角川文庫版でこれから本作を読む人は、解説に先に目を通しちゃダメだよ)。
 しかしまさか自分の中で、昭和の郷原>瀬戸川 という、共感度の優劣の図式が成立するとは思わなかった(苦笑)。

 ただし、我ながらちょっと奇妙な感覚だが、先にブロークンと書いたとおりの本作の印象ではあり、ミステリとしてのお約束定型コードをいくつか外したり、ゆるかったりする面はあるものの、一方でトータルで見るとやはりそんなに悪くない、「私」の視点で追う事件の様相が推移し、変遷してゆく成り行きにはちゃんとまとまった結晶感がある、という思いも抱ける。
 ごくたまにではあるが、そういう、パーツのこなれの悪さが気になる一方、全体としては、ちゃんとひとつの物語世界をぎりぎり築いてはいる長編……そんなのに出会うことはあるものだが、正にこれなんかソレかもしれない。
 その辺の作品全体のある種の貫録が、先の和製チャンドラー節で語られる、物語の文芸感とどこか詩情めいた要素との掛け合いで本作の魅力となっており、結局、そんなに悪い点はつけられない。

 大事にとっておいた作品がそのまま傑作・優秀作というわけでは決してなかったが、これはこれで読んでよかった一冊。そして「天使シリーズ」のファンの末席にいる者としては、またちょっと「私」というキャラクターに近づけた作品であった。 


No.1998 6点 悪魔がねらっている
山崎忠昭
(2024/03/21 18:21登録)
(ネタバレなし)
「大和学園」高等部の二年生、剣道部員の成宮洋次は、路上で不良にまとわりつかれる「ロザリオ女学院」一年生の美少女、境まゆみを救う。その縁で親しくなる若者たちだが、かねてより生来の霊感に優れ、幼少時から周辺の凶事などを予知してきた洋次は、悪夢でまゆみの危機を察知した。やがて堺家のまゆみに異変が生じ、洋次を応援する祖母は成宮家の血筋に秘められた陰陽師と剣士の資質を語り、同時に孫とともに怪事に立ち向かう。洋次はいとこの、城北大学で超心理学を研究する助教授、見上英樹の応援を願うが、当人は現代科学の理屈で安易なオカルトの存在を否定した。だがそんな間にも、まゆみを狙う黒幕の正体=国際的サタニスト集団「地獄の火クラブ」は暗躍を進行させていた。

 ソノラマ文庫版で読了。元版は同じ朝日ソノラマのサンヤング叢書から、文庫の数年前に出たジュブナイル怪奇小説だが、そっちはAmazonには現状で登録がない(そもそもサンヤングって、めったにAmazonに登録がナイね)。
 少年時代から、ヌードらしい肩が見える表紙の美少女イラスト(元版も文庫版も共通)に妖しいエロさをなんとなく感じていてうっすら興味を持ち続けていた(笑・汗)が、中味の小説の方は、オヤジ~ジジイの今になってからようやく読んだ。
 
 作者、山崎忠昭は1960年代から90年代にかけて、テレビアニメ『(旧)ルパン三世』やら『デビルマン』やら『聖闘士星矢』やらで活躍、ほかに『ゲバゲバ90分』や特撮番組『光速エスパー』『恐怖劇場アンバランス』などを執筆したベテランシナリオ作家。 しかしこのサイトの人々には、何をおいても、あの『殺人狂時代』や同じく都筑の作品を原作にした『危いことなら銭になる』などの広義のミステリ映画のシナリオ(いずれも合作)で、接点があるハズ。
 ちなみにWikipediaを確認すると『あなたはタバコがやめられる』という内容未詳の番組を1964年に担当しているようで、同番組の中身はよく知らないが、もしかしたらあのハーバート・ブリーンとも縁があるのかネ(笑)?
 さらにもともと山崎は生粋のミステリ・SFファンで、小鷹や仁賀などとともにワセダ・ミステリクラブの創設にも参加。そのくらいマニアな人であり、まあ御当人の詳しい事はWikipediaとかを見てくれ、という感じである。

 で、本作『悪魔がねらっている』だが、執筆当時にあの澁澤龍彦(実は評者はそんなによく知らないが)の著作を参照、しかも澁澤御当人に参考にさせていただいて創作する旨の了解をとった上で著述するという、かなりマジメなポジションで書かれている。

 逆に言えば専門書からの引き写しで、主題となるサタニズムやそれに対抗する聖なる勢力(バラ十字団など)の叙述に関しては、作者独自の見識は薄いんだろうな? という雰囲気もなんとなく感じないでもないが、その辺の厳密なことはそっちのオカルト学術についてほとんどシロートのこっちがどーこー言うべきではない。識者の判断をいずれこのサイトなどで待つばかりである。

 遠隔魔術攻撃の魔手が迫り、主人公の洋次側の応援者であるばあちゃん(血筋的にそれなりの霊能力者)が前に出て来る一方、本来は頼りになる兄貴分ポジションであろういとこの英樹が、意外にツッコミしまくるジョーカーキャラなのは意表をついてちょっと面白い。
(そのあと、洋次の応援役としてさらに大物キャラが出てくるのは、主人公側の緊張感を削いでしまうという意味で、やや悪手だった気もしないでもないが。)

 昭和ジュブナイル的な大雑把さと雑さも感じないでもないが、クライマックスの某メインキャラの<反撃>の描写など、ちょっと読み手のスキをつく感じでその辺はソコソコよろしい。とはいえ、終盤の方はややあっけない(ある種の演出効果かともとれるが)。

 21世紀に改めて掘り起こして、眠っていた秀作とか騒ぐような種類の作品じゃ絶対にないけれど、こういうオカルトアクションジュブナイル小説の系譜を探るうえでは、ちょっと目を通しておいた方がいい一冊かもしれない。

 しかし<木刀を持った少年剣士の主人公と、支援する超人キャラ「ドクター~」>って、後年のソノラマ文庫の超ドA級重要作品を想起させる記号だな(笑)。まさかあっちは、この作品の本家取り、だったのか?

 最後に、一応ジャンルは「ホラー」に登録したが、正確には純然たるアクションホラー。ある意味で、近しいけれど別もの。豆腐と油揚げくらい違う。


No.1997 6点 殺人は西へ
井口泰子
(2024/03/21 17:02登録)
(ネタバレなし)
 時代は、山陽新幹線の開通工事が進行する1970年。その11月の末、大阪府警警察学校の教官である浅川浩二郎が、いきなり姿を消した。有能ながら独走も多く「やさぐれ刑事」の異名をとった浅川の失踪は周辺で反響を招き、彼の弟分である28歳のカーマニア「パト吉(パトカーキチガイが転じた仇名)」こと大野一夫の連絡を受けて、都内に在住の26歳の編集者・木庭修子は大阪に向かう。浅川は「淀川浩二郎」の筆名で修子の出版社「日本文化社」に原稿を書いており、その縁で知り合った修子と浅川はいつの間にか互いにひそかに好意を抱き合っていた。やがて浅川当人からの連絡で、彼がさる事情から兵庫県加古川の稲家村にいるとわかるが、そこは山陽新幹線の建設ルートの一環であった。稲家村にはさらに一人の男が現れ、そして同地の工事現場周辺で殺人事件が起きる。
 
 改題・改稿されたケイブンシャ文庫版で読了。
 先日、仕事で出向いた都内の古書街の店頭、均一コーナーで本作の文庫版を見かけ、『殺人は西へ』の副題(元版の正式タイトルでもある)に懐かしさを感じて購入した。現状でAmazonにデータはないが、元版『殺人は西へ』は昭和47年8月に毎日新聞社から(たしかソフトカバーで)刊行。当時のミステリマガジンで瀬戸川氏が月評「警戒信号」でとりあげ、かなり熱のこもった(必ずしもホメてはないが)レビューを書いていたのを、なんとなく覚えていた。
 ともあれ、評者は今回、元版の刊行から半世紀後に、初めて本作を読む。

 作者・井口泰子は1937年生まれ。もともと、テレビ&ラジオ界のライターを経て「推理界」の編集者に一時期、就任。在任中に、小林久三なんかの小説家デビューも世話したようである。その後、長編『怒りの道』で乱歩賞に応募するが、和久峻三の『仮面法廷』に敗れて落選。その直後に、本作でデビューした(なお前述の『怒りの道』も73年に長編二作目として刊行)。以降は地味に長く活躍したが、2001年に他界。
  評者自身、実は長いミステリファン歴のなかで井口の長編を読むのは、少年時代に新刊で手に取った『抱き人形殺人事件』だったか『東京シャンゼリゼ殺人事件』だったかに続いて、これでまだ二冊目のハズ。ほとんど初読みのようなモンだ。

 それで中身の方だが、元版の『殺人は西へ』の新刊評で瀬戸川氏は、従来(当時)の木々高太郎の系譜に連なる人間ドラマ派推理小説、といった主旨で評価。キャラクターが当時のミステリシーンでは類がないほど生き生きと描かれ、キャラが立っている……という大意でホメている。ただし一方では謎解き部分に無理があり、犯人を隠そうともしないため、大半のミステリファンには受けないだろうとも語っていた。

 で、今回評者が読んだのは、12年後に作者が加筆修正したバージョンだから相応の異同がもしかしたらあるのかもしれないが、正直、一部うなずけるし、一部、ちょっと違う感想だな、というところも。
 
 登場人物、個々の書き込みは確かに豊潤でそれぞれのキャラ立ちも申し分ないが、一方で21世紀のこなれた商業作品を読みなれてしまった今の目からすると、ここまで脇役ひとりひとり造形しなくても……無駄な冗長感につながる……といった思いも湧くし(ケチな言い方をするなら、3分の1くらい、キャラ描写のパワーを別の作品にとっておいた方がいいんじゃないか、と思った)。

 肝心のミステリ部分に関しても、犯行現場のロケーションの面白さとそれにからむトリックめいたものとか、語られる動機と事情の妙な強烈さとか、終盤のどんでん返しとか、いろいろ仕込みと手数は感じさせるものの、その辺の興味を、比重の多い小説部分が食い合って相殺してしまった感もある。
 特に最後の方のクロージングへの流れは、良くも悪くも(どちらかというとやや悪い方に)ああ……昭和のミステリだ、小説だ、という思い。

 とはいえ作者はジャーナリストとしての経歴もあるらしく、取材の成果を感じさせる山陽新幹線の建設工事のリアリティ、土地買収の話題、さらには兵庫県の備前焼(山陽新幹線の予定地の土が、材料になる流れでメインプロットにもからんでくる)ななどの小説としての肉の厚さは、たしかにこれはこれで、ほかの作品では読めない種類の、独特の情報感と新鮮な興味を湧き起こさせる。

 全体として力作……なのは間違いないが、エンタテインメントを期待する読者が若干不在のまま、作者の方の熱量が優先してしまった一冊という感じ。
 基本的には筆力の底力も感じてつまらない、とか、飽きる、とかはあまりなかったが、いっき読みを加速させるようなベクトル感を詰め込み過ぎた内容が減じている感じ。
 清水一行(実作・宗田理)の『動脈列島』とあわせて、1970年代前半の全国に新幹線の鉄路が拡張して行く時代に興味のあるヒトなら間違いなく必読の作品ではあるけど。
 評点は0.3点ほどオマケ。


No.1996 6点 犯罪は王侯の楽しみ
カトリーヌ・アルレー
(2024/03/19 08:22登録)
(ネタバレなし)
 近く定年を迎えるスコットランドヤード犯罪捜査局の局長フィッツジェラルド・スコット。その自宅を夜半に訪問したダンディな紳士「ダブル=ダブル」ことウィリアム・ウィスランドは、スコットの21歳になる娘サマンサを誘拐した、これから近日中に起こる強盗事件の捜査に便宜をはかれと言い渡す。それは、資産も社会的地位も、そして貴族の血をひく美貌の妻も、すべてを持つ大富豪ウィスランドが企む、人生の有閑をまぎらわすための、犯罪計画ゲームの幕開けだった。

 1973年のフランス作品。

 設定だけネットで読んで、あれ、この時期(70年代半ば)のアルレーの翻訳は、ほとんど全部新刊で読んでたハズだが、中味に記憶がない? もしかして、これだけ読み漏らしていたかな? と思ってネットで少し前に、古書を入手。
 で、今夜読んだが、最後までつきあって、ああ、やっぱり読んでた! と思い出す(大汗・笑)。

 大筋のプロットは、まったくもってカケラレベルで失念していたが、ラストの悪夢のようなイメージ(あんまり書いちゃいかんか)だけは、さすがに忘れられなかった。ただその描写だけが心象の中できわどく浮いていて、別の長編の最後がそっちかと、半ば勘違いしていた。

 クライムストーリーとしての一本調子に不満を覚える人は多いかもしれないけど、その辺は作者の確信行為であろう。
 シンプルなプロットだからこそ、主流のドラマの脇の某キーパーソンの運用と、そして前述のラストのナイトメアぶりが際立つ。

 同じアルレーなら、同等の時間(2時間ちょっと)使って、別の未読の長編読んだ方が良かったかもしれんけど、この再読は再読で、まあ、意味はあったと思う。アルレーとしては、佳作の上、くらいかね。


No.1995 7点 殺した夫が帰ってきました
桜井美奈
(2024/03/19 05:25登録)
(ネタバレなし)
 都内のアパレルメーカーに勤務する、一人暮らしの28歳のOL・鈴倉茉菜(まな)。彼女は取引先の妻帯者の中年・穂高からストーカー的な恋慕を寄せられていた。自宅にまで押しかけて来た穂高を押さえて追い返し、茉菜を救った青年は、鈴倉和希。茉菜が5年前に仙台で殺したはずの、夫だった!?

 Amazonでの評判が良いのを、今年になってからたまたま見かけ、フーン、と思っていたら、近所のブックオフの100円棚で一週間ほど前に見つけて購入。今夜、数時間で読み終えた。

 <死者の帰還>という、1950年代以前の海外ミステリなどでしばし見かけられた主題の物語は、はたしてホラーに流れるか、はたまた非スーパーナチュラルの純然たるミステリの枠内に収まるか、なかなか緊張を誘う。
 
 とはいえ正直、伏線が丁寧な(または、丁寧すぎた)こともあり、中盤で大方の真相の枠組みは予想がついたが、その上で改めて読み直すと、結構良くも悪くもグレイゾーンというか、ピーキーな作りをした作品だとわかる。ただし、それはそれで、この作品の場合、ありということで。

 物語の実像が見え始めたのち、お話の奥行きがさらに広がっていく感覚がかなり心地よく、真相のどんでん返しどーのこーののサプライズよりも、さらにそのあとで語られた小説としての賞味部分で得点してるタイプの作品じゃないか、と思う。
 逆にいうと、その辺が心に響かないで最後まで読んじゃったヒトは、けっこう厳し気な評価しちゃうんじゃないか、と危ぶむが。ふーん、ひねったつもりで、よくある大技じゃんとか、うそぶいて。
 
 評点は、0.4点くらい(0.5点ではなく)オマケしてこの数字で。


No.1994 8点 鍵のない家
E・D・ビガーズ
(2024/03/18 13:05登録)
(ネタバレなし)
 1920年代のアメリカ。ボストンの名門ウィンタスリップ一族の御曹司である、29歳の証券会社社員ジョン・クィンシーは、サンフランシスコのおじロジャーのもとを経て、ハワイのホノルルに向かう。ホノルルではウィンタスリップ一族の一員で、先代が没落させかけた捕鯨業を見事に立ち直らせた63歳の富豪ダニエル(ダン)・ウィンタスリップが名士として幅をきかしており、ジョン・クィンシーのおばでもともとはボストン在住の老婦人ミネルバも半年前からダンのもとに逗留していた。そんな道中のさなか、ジョン・クィンシーはサンフランシスコの地でホノルルのダンからロジャー経由で電報を受け、ロジャーおじとともに、ダンからある奇妙な依頼を頼まれた。やがてホノルルに着いたジョン・クィンシーだが、彼はそこで予想外の殺人事件に遭遇することになる。
 
 1925年のアメリカ作品。チャーリー(チャールズ)・張シリーズの第一弾。

 いやまあ少年時代から創元の『活躍』も『追跡』も購入はしてあったものの、ものの見事に何十年もツンドク。そのうちに本がどっかいってしまい、二冊とも数年前に古書で買い直したりしている(笑・汗)。
 しかし、そんなこんなで21世紀の現在、とにもかくにもビガーズの著作の長編のシリーズ正編は全部完訳で読めるんだから、だったらこの第一作から読もうと今さらながらに一念発起した。

 つーわけで、これがビガーズの初読み。チャーリー張との初対面です。
 あ、ちなみにこれで藤原宰太郎の名著(メイ著)「世界の名探偵50人」のメンツのうち、自分が登場作品の原典を一作も読んでない探偵は、野村胡堂の銭形平次ただひとりになった。ひかひ、こーゆーことをタスクにしているミステリファンもたぶん珍しかろう。そーいえばアニメ『瀬戸の花嫁』の再放送が楽しいですな。いや、銭形巡(まわり)の大ファンなので(←二重三重に、ぢつにどうでもいい)。

 で、内容の感想だけど、いや、非常に面白かった!

 犯人に関しては、欧米の某大作家のほとんど手癖パターンをそのまま踏襲してるので、途中で大方の予想がついてズバリ正解だったけど、それはそれとしてお話の転がし具合がとてもうまく、ハードカバー400ページとやや厚めの一冊をひと晩で一気読み。

 バランスの良い感じでハワイ観光もののエキゾチシズムも小説の叙述に溶け合ってるが、なにより登場人物の絡み合いの面白さでページをめくらせる。大体、3人のメインヒロインに目移りする気の多い青年主人公ジョン・クィンシーが、そんな不届きさにも関わらず、一件一件の恋愛事情には妙にマジメでキライになれないあたりがすんごくいい。
 愉快なキャラといえば、チャーリー張の上司の白人で、一度かけた嫌疑を片っ端から無効化してゆくハレット警部の描写も笑わせられた。
 で、情景描写、キャラクター描写のなかに、ミステリとしての伏線も随所にまぎれこませてあり、さらに読者への求心力として<犯行時に? チラリと見えた腕時計の謎>で引っ張る。
 いや、まだ、たった一冊読んだだけなんだけど、この張シリーズの評判の良さに、早くも納得しました。

 ちょうどほぼ100年前の作品なんだけど、意外に古めかしいところがなく(一部……あるか? 中盤で話が広がるところ)、心地よいテンポで楽しめるエンターテインメント感の豊富な庶民派パズラー。うん、まあ、大御所で誰かに似てるかとあえて言うなら、やっぱりクリスティーの雰囲気に近しい。

 とりあえずキチンと読んでおいて、今さらながらに良かった。
 クロージングのまとめ方も、良い意味の田舎芝居といった趣でほっこり。
 二作目を読むのが楽しみです。
(しかし「奇想天外の本棚」が順調に続いてくれていればな~『シナの鸚鵡』も新訳が出たはずだったらしいんだけどな~もう現状じゃ、望み薄だよな~涙。)


No.1993 7点 白い家の少女
レアード・コーニグ
(2024/03/17 06:03登録)
(ネタバレなし)
 ニューヨークに近い、ロングアイランドの田舎町。「島」と呼ばれるその地域にある白い家、かつてウィルスン家の住居で、町から離れた屋敷に、英国から詩人のレスリー・A・ジェイコブス、そしてその娘で今は13歳になる少女リンが越してきた。親子に借家の世話をしたのは、土地の不動産屋の老女コーラ・ハレットだったが、その年のハロウィンの夜、ジェイコブス家を、コーラの息子で妻子持ちの男性フランクが訪問した。物語はそこから始まる。

 1974年のアメリカ作品。
 巻末の訳者(加島祥造)の解説によると、作者コーニグはもともと演劇・映画畑の劇作家で、単独の小説は本書が初とのこと(合作の長編がこれ以前に一冊あるが、未訳)。
 
 本サイトに数年前まで参加していたミステリファン仲間の「雪」さんが登録だけしてそのまま来なくなってしまった(とても残念)ため、何年も宙ぶらりん状態になっていた一冊で、当人がしばらく参加されないのを惜しみつつ、先にレビュー(感想)を書かせてもらうことにした。
 
 ちなみにジョディ・フォスター(映画『羊たちの沈黙』やら『ペーパー・ムーン(TVシリーズ版)』やら)の少女時代の主演映画の原作ということはもちろん知っているし、そもそもこの原作小説も日本での封切(77年7月)に合わせてその少し前に翻訳刊行されたものだが、評者は映画の方はまだ観たことはない。
 それでなんとなく、映画の宣伝物(ポスターやら映画誌のグラビアやら)を目にして、美少女ジョディ・フォスターの演じる主人公のビジュアルの雰囲気から魔性的なキャラクターを連想し、映画も小説もその手のダーク系ミステリロマン、今で言うイヤミスに近い? かと予想していた。
 
 結果として小説の内容は当たらずとも遠からず、いや遠からずなれど、そういうものとも言い切れない……であったが、いずれにしろ、重い・暗い・シンドいとかその手のストレスは存外に少なく、数時間でいっきに読了できるサスペンス作品であった。まあ物理的にも、本文は二段組ながら、紙幅はハードカバーで200ページにも満たない、短めの作品だったのだが。
(割り切った見方をするなら、アルレーの諸作あたりに結構近い量感と質感であった。)

 前述の通りに作者が劇作家のせいか、ストーリーを淀みなく進ませる勢いはかなり重視され、作中のイベントは続発。登場人物の頭数も少なく、その意味でもストレスを感じさせないまま、グイグイと読者を引っ張っていく。
 ただし一方でその少な目の登場人物にはそれぞれ相応の陰影があるキャラクター描写がなされており、印象に残る場面やセリフも少なくはない。特に……(中略)。
 
 最後まで一息に読んで、なんだあんまり構えて読むこともなかったな、と良くも悪くも実感。トータルとしては、佳作~秀作……よりはもうちょっとだけ、気持ち評価したい、といったところ。
 2020年代のいま、文庫で復刊してもいいんじゃないか、とも思うけどね。映画が高画質の映像で新規ソフト化とかされるような機会に、新潮文庫に入れてくれれば、とも思う。関係者の方は、ちょっと一考を願いたい。 


No.1992 7点 ノウイットオール  あなただけが知っている
森バジル
(2024/03/16 16:47登録)
(ネタバレなし)
 2023年。どこかの地方都市・切縞市。そこでは暴力団関連の殺人事件が生じ、M―1を目指して男女の高校生の漫才コンビが闘志を燃やし、未来人が来訪し、魔法のある異世界とリンクし、そして30歳の独身女性が秘めたる思いを抱きながら恋に悩んでいた。

 第30回松本清張賞受賞作品。
 切縞市というひとつの空間を舞台に、世界観を共有した、しかしまったく方向性の異なる、でもところどころ登場人物や文芸設定や描写がリンクする、5つの物語が順々に語られる。
 なおタイトルの「ノウイットオール(know-it-all)」はそのまま訳せば「しったかぶり」の意味。

 構成&趣向はさほど珍しいものではないと思うが(と言いながら、具体的に類作をぱっとあげろと言われると、答えにくいけれど)、こういう構造の連作短編集ゆえ、全体のバラエティ感はとても楽しいし、あとの方の話まで読み進むにつれて「ああ、あの場面のあの登場人物は、このキャラ(たち)だったのね」的な軽いサプライズもふんだんに盛り込まれている。個人的には特に第4章「幻想小説」編の某キャラの正体に、ちょっとぐっと来た。

 純粋にミステリといえるのは第1章「推理小説」編だけで、謎解き作品としてはそれ自体ならまあ佳作という感じだけれど、ほかのエピソードも随所にミステリっぽい手法は使われてはいる。
 
 一番良かったのは第2章の「青春小説」編。これで評点は1点プラス。
 第3章の「SF」編は本筋も悪くはないが、むしろその第2章の後日譚的な読み方をして心に感じるものがあった。
 
 良い意味で外連味を抑えた良質の連作短編集だったと思うが、最後の第5章「恋愛小説」編は、ストーリーの中味そのものは良しとして、クロージングがややあっけない。その辺はあえて作者が狙った効果か?
 
 これが、評者が、SRの昨年度ベスト投票用に読んだ最後の一冊になったな。規定リストには入ってない、投票者の推し作品枠だけど。

 作者に関しては、まだ32歳の新鋭(これ以前に、ラノベの著作が一本だけあるらしい)ということで、今後を楽しみにさせてもらいます。


No.1991 6点 ねじれた蝋燭の手がかり
エドガー・ウォーレス
(2024/03/16 15:25登録)
(ネタバレなし~作品全体の構造については、多少触れるかも)
 やさしい美貌の若妻グレースを持つ探偵小説作家の青年ジョン・レックスマンは、投資に失敗。高利貸しヴァッサーロからの返済の取り立てで苦しめられていた。そんなレックスマンに友人である美青年のギリシャ人レミントン・カラは、交渉の上でのあるアドバイスを授けるが、やがてその事実はレックスマンの運命を大きく変えていく。レックスマンのもう一人の友人で、ロンドン警視庁総監補のT・X・メレディスは、苦境に陥った友のために尽力するが、事態はさらなるステージへと推移していく。

 1918年の英国作品。
 個人企画? で未訳の海外旧作の発掘に尽力する希望の星・白石肇が翻訳刊行した一冊。
 解説によるとヴァン・ダインの『ケンネル殺人事件』の作中で話題になる一冊で、そういう意味でかねてより日本のミステリファンにも、ごくうっすらとではあるが、知られているはずの一冊であったということである。そういう日本の翻訳ミステリ史において、なんらかのフックがある作品を発掘翻訳し、ある意味で隙間を埋めようという企画が実に素晴らしい。どんどん、あれもこれも出してほしいものである。

 前半の物語は、レックスマン、カラ、メレディスという三人のキーパーソン的な主要人物の行動の交錯を軸に展開。良い意味で大時代なエンターテインメントというか英国の古典スリラーの趣を見せるが、中盤~後半で思わぬ殺人事件が発生。フーダニットの謎解きパズラーっぽい方向に、変調する(あまり書かない方がいいけど)。
 なんだこれは、とワクワクしながら読んでいるうちに、タイトルの意味も回収。まあ最終的にはトリックはあっても、謎解きパズラーとはとうてい言えない作品として終わるけどね。そういう意味でのジャンル越境のハイブリッド感はなかなか面白かった。
 
 訳者の解説にもあるように、もともとは中年風に描かれていたメレディスが、後半いかにも恋する若者に変貌して、作者、おまえ設定忘れただろ、とツッコミたくなるようなラブコメ模様とかもなかなかユカイ。
 読み手をリアルタイムで楽しませるんなら、当初からの作品の整合などさほど気にせん、と言わんばかりのザルぶり……いや、書き手の豪気さに笑わされる。
 
 秀作でも、もちろん優秀作でも傑作でもないけれど、読んでとても楽しかったクラシックミステリ。ウォーレスという大衆向け職人作家の実質がよく出た一作だと思う。
 7点は……さすがにあげられないか。まあ気分的にはソレに近いこの評点で(笑)。


No.1990 7点 ドールハウスの惨劇
遠坂八重
(2024/03/13 19:52登録)
(ネタバレなし)
 鎌倉の名門進学校・冬汪(とうおう)高校。同校の2年A組の男子・滝蓮司は、同じサークル「たこ糸研究会」に所属する2年F組の美少年・卯月麗一とともに、学校周辺でのトラブルコンサルタント「便利屋」として活動していた。そんな二人のもとに、「姫」と呼ばれる学年随一の美少女(だが成績はよくない)・藤宮美耶と、その双子の妹の優等生(だが見た目はあまりに地味)・沙耶が接触。姉妹はいささか特殊な家庭環境のなか、ともにかなり特異な悩みを抱えていた。

 このサイトで初めて知った作品。
 なんか新本格パズラーっぽい雰囲気の学園青春ミステリ? かと思って手にとったが、どっちかというとイヤミス成分の多い一冊であった。
 
 微温的なエンターテインメントを基準にするなら、なかなか~かなり強烈などぎつい描写が続発するが、大枠として主人公コンビふたりの存在が、作品全体がイカれすぎないようにとのリミッターになっている。相応にスパイシーな読書体験であった。特にあの母親のキャラ描写。

 読み手が感情移入しないで読めるタイプの、青年誌の人気マンガといった感じの食感だったが、終盤に出て来る精神的に(中略)真相は、実はけっこう気に入ってしまった。
 昨年度分のSRのベスト投票の追い込み読書で手にとった一冊だが、投票まであと数日なのでシリーズ第二弾はそれまでに読めんな、ちょっと残念。
(本サイトのレビュ―を覗くと、なんかまた面白そうなので、それなりに期待を込めている。)
 まあゆっくり、楽しませていただきましょう。


No.1989 6点 善意の代償
ベルトン・コッブ
(2024/03/12 15:50登録)
(ネタバレなし)
「わたし」こと、スコットランドヤードの女性刑事キティー・パルグレーヴは同僚の刑事ブライアン・アーミテージと婚約中だ。我々はともに、多くの難事件を解決した名警部チェビオット・バーマンの部下でもある。そんななか、バーマン警部のもとに、彼の旧知の元(?)金庫破りジョゼフ(ジョー)・ウィッキーから密告があった。内容は、奇特な資産家の老婦人ミセス・マンローが営む、入居者は家賃も食費も払わなくていい無償の下宿屋「ストレトフィールド・ロッジ」で殺人が起きそう、というものだった。だがやがてその情報には疑義があるとわかり、スコットランドヤードは気を緩めるが、やはり何かあるそうだと考えたキティーは独断で、当該の下宿屋に女中志願の娘を装って潜入捜査を始めるが。

 1962年の英国作品。
 バーマン警部シリーズのなかでも女性刑事キティーが主人公を務める、後期のシリーズインシリーズの路線のなかの一作、ということらしい。
(種々の事情はどうあれ、本シリーズは日本への紹介の順番が見た目、実にランダムなので、その辺はいささか困りものだ。)

 奇特なお人好し大家の老婆……というにはいささかぶっとびすぎた婆さん、妙な生活態度のその息子夫婦、変人揃いの入居者のなかに飛び込む、変装潜入女性捜査官の若手主人公……と、なんか連続テレビドラマのシチュエーションコメディみたいな設定で、なかなか楽しい。
 すでに読んだ海外ミステリなら、アン・オースチンの『おうむの復讐』が、若手捜査官のアパートへの潜入捜査とそこで起きる殺人事件、という趣向で、本作とよく似ている。『おうむの復讐』が好きな評者としては、この作品も結構楽しかった。

 紙幅は論創のいつものハードカバーで200ページちょっとと短め。登場人物の頭数も少なく、巻頭の一覧表以外に出て来るキャラクターは本名不明の警官がひとりだけ、だと思う(名前だけ出て来るとかなら、もうちょっといたかも)。それゆえ、犯人は作中の探偵や読み手の視野のなかにまずおさまるハズ(?)で、意外性は演出しにくい(?)が、最後にはそれなりのサプライズと(中略)面での面白い文芸があり、なかなか良かった。

 良くも悪くも、お話の細部やストーリーの見せ方をちょっといじくれば、まんま舞台劇にもできそうだよね、というくらいに<コンパクトにまとまった物語の場>でのフーダニットパズラー。そういう意味で地味目ではあるが、物語の流れにおいてキャラクターの出し入れが手際よく、最後まで心地よく読める。
 評者が読んだ邦訳のあるコップ作品(評者は初期作の『悲しい毒』だけ読んでないので、これで三冊目)の中では、いちばんよい意味でライトだったけど、いちばん手堅く楽しめたかも。
 最後に真相がわかって、犯人のキャラクターにはちょっと思うものがあった。もちろんここでは詳しくは書かないけれど。
 ラストのオチというか、クロージングで語られる今後の下宿の展望はステキ。ぜひとも成功するといいですね。


No.1988 7点 悪なき殺人
コラン・ニエル
(2024/03/11 15:59登録)
(ネタバレなし)
 フランス中央部の高原コース地方。そのロゼール県。42歳の女性で農協のソーシャルワーカーであるアリス・ファランジュは、牧場を営む婿養子の夫ミシェルと暮らすが、子供はなく、夫婦仲は冷え切っていた。そんななか、アリスは行政の被支援側の地元住民で46歳の独身男、山間で羊の牧場を営むジョゼフ・ボヌフィーユと不倫関係になった。やがてアリスの周囲では、ある人物の失踪事件が起きる。

 2017年のフランス作品。本邦初初回の作家。
 まったくノーチェックだったが、HORNETさんのレビューと高い評点で気になって、読んでみる。

 本文は文庫本で380ページ弱。やや厚めだが、文庫の字組は大きめの級数で翻訳も特に淀みなく、スラスラ読める。
 話者が主要登場人物のひとりアリスの一人称「あたし」に始まり、数十ページ単位で交代。ひとくぎりのところでまた別の人物の一人称(「おれ」だの「あたし」だの)に推移しながら語られつつ、物語が組み上がっていく。

 いわゆる拡張型の構成というかプロットで、最初に巻頭の登場人物表を眺めると若干「?」となる面もあるが、実際に当該のキャラクターの箇所にいくころには、ああ、そういうことね、とわかるはず。

 技巧的で凝ったプロットのようだが、メインのアイデアそのものはもしかしたら、実は意外にシンプルかもしれない……? とも思う。
 ただし、それでも良い意味で、闇の霧の中を歩くような気分で読み手をぐいぐい引っ張っていく(そして途中で、ああ、ここであの伏線を回収か! とハタと膝を打つ)感覚は、なかなか心地よい。

 王道派の技巧系フランスミステリの流派に、50~60年代の英国文学派ミステリの小説としての読みごたえを足したような感触の一冊で、まるまるひと晩、かなり楽しい時間を過ごせた。昔だったら、創元の旧クライムクラブでの翻訳刊行が似合いそうな長編。

 改めてHORNETさんに、このサイトに感謝、である。

 書き手の筆力そのものが大きくモノを言った作品でもあり、本作はノンシリーズの単発長編だが、ほかに作者は警察小説の人気シリーズも手掛けているというので、そっちもいずれ読んでみたい。
 評点は8点に近いこの数字で。


No.1987 7点 黒い羊の毛をきれ
デイヴィッド・ドッジ
(2024/03/10 08:13登録)
(ネタバレなし)
 サンフランシスコの34歳の計理士ジェームズ・ホイットニー(ホイット)は、成功した羊毛業者の富豪で60歳代のジョン・J・クレイトンから相談を受ける。その内容は、ロサンゼルスで羊毛業の支店を任せているクレイトンの息子で30歳のボッブ(ロバート)・クレイトン、その周囲の金の動きに不審があるので、密な監査をしてきてほしいというものだ。LAに向かったホイットはすぐに現地でボッブに接触するが、妻子ある当人がギャンブル(賭けトランプなど)で身を持ち崩しかけているのを知った。ホイットはボッブを蟻地獄に引き込むギャンブラー集団や悪女らしい女の影を認めて手を打とうとするが、決定的な対抗策は決められない。そんなホイットの奮闘を応援するように、SFから、恋人である未亡人のキティ・マクレードが彼の後を追ってきた。だがそんな二人の周辺で、思わぬ殺人事件が発生する。

 1942年のアメリカ作品。

 ヒッチコックの映画『泥棒成金』の原作者として日本で(少しは)知られる作者ドッジの、全部で4つの長編が書かれた「税金専門の計理士ジェームズ・ホイットニー」シリーズの第二弾。
 日本ではドッジの作品は、ノンシリーズものの『泥棒成金』と、本シリーズの途中のこの長編しか紹介されてないが、ホイットものの第一作「Death and Taxes」(1941年)の作中でホイットの仕事上のパートナーだったジョージ・マクレードが殺され、その妻キティが事件の解決を経てホイットの彼女(シリーズ上のヒロイン)になるらしい。どうやら作者は第一作作中のイベント(殺人事件)を大設定に据えてその上で、ニック&ノラやジェーク&ヘレンみたいな夫婦探偵ものの、変奏的な文芸を狙っていたようである。

 評者は少年時代に、大昔のミステリマガジンのバックナンバー(古本屋で入手した)で小林信彦がユーモア・ミステリの特選5作のひとつにこれをあげていたことを認知。いつか読もうと思いつつウン十年経ってしまったが、ようやく読了。

 でまあ、読後の感想としては、こなれた翻訳の良さもあって文章そのものはめちゃくちゃ読みやすいし、登場人物もそんなに多くない割にひとりひとりがくっきりと描かれていて好ましい。そういう意味では全体的に悪くない感触。

 ただその一方で物語の中盤まで事件らしい事件が起こらず(イカサマギャンブルを探るという程度の事件性はあるが)、いささか退屈。
 かたやさすがにソコを売りにするだけあって、ホイットとキティのラブコメっぽい模様だけはそれなりに面白い(小林信彦は、ヒロインが未亡人という文芸だけでも、オトナの読み物的な風格を感じさせる、という趣旨のことを語ってたはずである)。

 物語の半ばで殺人事件が起きて、ストーリーがミステリらしい方向に転調してからはいっきに話が(それなりに)引き締まり、以降の動きのある展開も悪くはない。後半はなかなか面白くなり、最後の犯人の正体もけっこう意表を突かれた思いであった。
 あと、ここではあまりはっきり言えないし、また解説で中島河太郎がネタバレしちゃってるけど、通常の謎解きミステリとは一風変わった<ある趣向>をもうひとつ、解決部分で盛り込んであるのも好ましい(まあ本作より前にミステリ史上で、前例はあるギミックなんだけどネ)。

 評点は、前半はちょっとかったるめながら、おおむね居心地の良かったマイナー作品ということでヒイキして、0.5点オマケ。

 これも「世界推理小説全集」のなかで文庫化されていない一作。
 個人的にその手の(世界推理小説全集に入ったものの、文庫化されてないものという前提の)マイナー作品のシリーズで、もっと未訳作を発掘翻訳してほしいものを希望度の高い順番通りにあげれば

①『閉ざされぬ墓場』の 犯罪研究学者サイラス・ハッチ シリーズ
(フレデリック・デーヴィス)
②『おうむの復讐』の 青年刑事「ボニー」ジミー・ダンディー シリーズ
(アン・オースチン)
そして③番目がこの
計理士ジェームズ・ホイットニー(ホイット) シリーズ 

 ……というところかなあ。

 いつかみんな、どこかでもういちど陽の目が当たればいいなあ、と夢想する(笑)。


No.1986 5点 やかましい遺産争族
ジョージェット・ヘイヤー
(2024/03/06 19:04登録)
(ネタバレなし)
 ネット(網)製造の大手企業「ケイン&マンセル」社の代表のひとり、サイラス・ケインが60歳の誕生日を迎えた。いまだ独身のサイラスは複数の共同経営者を押さえ込むやり手だが、会社の創業者であるケイン一族の中にはさらに上のトップがいた。サイラスの母ですでに80歳代の車椅子生活ながら、年を感じさせない活力で権勢をふるう老女エミリーである。サイラスの誕生パーティにはケイン家の親族や、ケイン&マンセルの関係者などが詰めかけていたが、やがてその周辺で、ひとりの命が失われる。

 1937年の英国作品。ハナサイド警視シリーズの第三弾。

 評者は本シリーズは、だいぶ以前に『グレイストーンズ屋敷殺人事件』のみ読了。そちらの印象は、全体的に筋運びが鈍重でイマイチ楽しめなかったが、終盤の大技でかったるさがぶっとんだ。
 つまりミステリとしては後半に光るもの? があったので、今回の新刊も、その辺の妙味がまたしっかり出てればいいなあ、と期待する。

 ただまあ多数の雑駁な登場人物をズラリと配置し、予期せぬ事件が勃発したケイン家の周辺を語るのはまずよろしい。
 ただなんというか、本作の場合、登場人物が一応はちゃんと書き分けられているものの、そんな連中の言動の積み重ねが読んでいて面白いか、ミステリとしての評価を稼いでるか、というところだが、まぁその辺が、どうも。

 二つ目の事件からさらに……の、お話のドライブ感などはなかなか良かったんだけどな。通読してみると、うーん、全体の構造として、イマひとつであった。後半、愉快なキャラを登場させて話をストーリーを賑わせようとする狙いは察せられたが、一方でその結果、正直、お話が足踏みする感じでもあり、なかなかカッタるい。

 二冊のみ読んだ時点で総体的な感慨を呈するのはまだ早いとは思うものの、その二冊とも、面白くなりそうでならない、一方でツマラナイと言い切るには賞味部分もないでもない……の印象。
 またしばらくしたら機会を見つけて、未読の邦訳二冊のどっちかを読んでみようかとも思う。


No.1985 5点 クルーザー殺人事件
草野唯雄
(2024/03/03 05:54登録)
(ネタバレなし)
 その年の五月二十四日の早朝。三浦半島は油壷のきつね浜の沖合で、豪華クルーザー「朝日号」が出火した。火元のキャビンは外から施錠されており、中からは焼死した男女の死体と、時限発火装置らしい物品の痕跡が見つかる。被害者の片方は数十億の資産を持つ元不動産業者で、捜査陣はやがて最重要容疑者と思しき人物に目星をつけるが。

 角川文庫版で読了。

 会話が多い上に活字の級数も大き目で、リーダビリティは最強。スラスラ読める。重要人物に嫌疑の目が向けられていくあたりの加速度感は申し分ないが、残りの紙幅もそれなりにあるので、これはまあ、まだ何かあるだろ、と思っていたら後半はなかなかテクニカルな方向に展開。

 ただし警察やアマチュア探偵が足で調べていく方の面白さである(一応、伏線などは張ってあるが)。それでも最後は出来が良いか悪いかはともかく、とにもかくにも謎解きフーダニットパズラーの方向に行くんだろうな~と期待していたら、とんでもない種類のサプライズが出てきてぶっとんだ。

 一瞬、これはどう受けとめるべきかとも思った&迷ったが、次の瞬間にやっぱ冷静に考えて、アレだよね……と思い直す。
 ちなみに読後にTwitter(Ⅹ)で感想を拾うと、笑う笑う。「怪作」のレッテルを貼られるのもむべなるかな、ではある。
 意外な犯人なら、驚かされればいいってモンじゃない。草野作品で某長編ミステリのまったく逆の位相の構造だよ、その辺。

 まあそーゆー意味のウラの面白さ、という意味では、けっこう楽しくはあった(笑)。読んで良かった、とは思う。評点はこんなもんだけど、価値のある? 5点か(笑)。


No.1984 7点 歩く亡者 怪民研に於ける記録と推理
三津田信三
(2024/03/02 03:54登録)
(ネタバレなし)
 怪異が基本的には合理的に解明されるが、しばし向こうの世界をちらりと覗く……基本軸は、正編世界と同じような物語の結構に思えた。
 
 メルカトルさんがおっしゃるように「真相はバカミスだったり脱力系だったり」ではあるが、こっちはそういうものを予期しているところもあるので、総じて楽しかった。無理だぁと呆れながらも笑ったのは第2話で、いちばんゾッとしたのは第1話。第3話のロケーション的なビジュアルの不気味さ、第4話の意外にマトモなミステリっぽさ、第5話のえー?! と思わず言いたくなるような動機面の真相もよい。なんだ佳作~秀作揃いではないか。

 正編シリーズと並行で、こっちの路線もまだまだ続くのかと思ったら、たぶんこれで一区切りみたいね。まあ続行しようと思えば可能だろうけど。ちなみにそんなに三津田作品の全域を読んでいる訳ではない当方は(以下略)。
 
 正編の長編が出なかった年の物足りなさを埋めてくれる一冊としては、なかなかの内容だとは思う。


No.1983 6点 ニコラス街の鍵
スタンリイ・エリン
(2024/03/01 15:10登録)
(ネタバレなし)
 1951年のアメリカ。NYから離れた位置にあるサットン市の住宅地ニコラス街。そこに暮らす「アイレス家庭用品店」経営の実業家ハリー・アイレス(46歳)の一家4人と妙齢のメイドは2年前、、隣家の新たな転居者に、独身で赤毛の美人イラストレーター、29歳のキャサリン(ケイト)・バルウを迎えた。陽性な性格のケイトと親しい近所づきあいを始めるアイレス家だが、やがてその親交の輪はケイトの仕事先のひとつである雑誌社の青年マシュー(マット)・チェイヴズにも広がる。そして現在、ケイトやマットを加えたアイレス家の状況は、2年前とかなり変化していた。そんななか、ひとりの人物が命を落とす。

 1952年のアメリカ作品。エリンの長編第二弾。
 処女長編『断崖』(や『第八の地獄』そのほかの長編)に心惹かれる身としては、少年時代から読もう読もうと思いながら今日まで来てしまった一作で、ポケミスも古書で二冊も買ってしまっている。
 
 紙幅は短いし(邦訳はポケミスで、本文190ページほど)、登場人物も主要キャラクターはひとけたと少ないが、ミステリの奥にあるヒューマンドラマ的な決着まで相応の密度感を抱かせながらぐいぐい引っ張っていく筆力は、確かに長編版エリン。結局、事件の構造はかなりシンプルなんだけど、登場人物たち個々の顔がくっきり見えるせいで、最後の手ごたえは少なくない。
 こう書いていくと、シムノンのノンシリーズ編の秀作に似通うものもある。 

 あと、これは書いてもいいと思うけど、謎解き・狭義のミステリ要素とは別の文芸の部分で、エリンののちの長編のプロトタイプ的な一面も感じさせた。詳しくは実作を読んで認めてください。

 あー、しかしこれで(評者が)半世紀かけて、邦訳されたエリンの長短編は全部読んじゃったコトになるのか? 実はまだ未訳の作品が数作残っているという日本の翻訳ミステリ界の現実と関係者の対応が、実に腹立たしい。出せばそれなり以上の反響が見込めるだろうに?

 評点は、7点に近いこの点数というところで。数字以上の満足度は高いよ。

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