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ミステリの祭典

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だいじょうぶマイ・フレンド

作家 村上龍
出版日1983年02月
平均点6.00点
書評数1人

No.1 6点 人並由真
(2021/12/20 04:02登録)
(ネタバレなし)
 副都心のプールで、二人のボーイフレンド、ハチとモニカと戯れていた若い娘ミミミは、いきなり空から落ちてきた、ハンサムな初老の外国人と出会う。どう考えても普通の人間ではない外国人はゴンジー・トロイメライと名乗り、かつての自分は19世紀の初めに地球に飛来した宇宙の不定形生物だったと、とんでもない素性を語った。常人とは異なる生態や思考、そして超パワーの主ながら、心根は善良なゴンジーは望郷の念に駆られて、宇宙への帰還を願う。だがそんなゴンジーと彼と友人になった若者たちに、謎の機関「ドアーズ」が接近してくる。

 大昔にテレビCMやら歌謡番組やらで、いやというほど劇場版の主題歌はしつこく耳にしていた。だから今でもサビの部分は、すぐ耳朶に甦る。

 しかし気が付いてみたら、何十年も経った現在でも、映画も小説もまだまったく縁がなかった。ということで、小説の方のハードカバーの元版を古書で購入し、このたび読んでみる。

 80年代のアンニュイな日常の中で、たまたま<スーパーマン>と出会ってしまった若者たち、その構図を主題にしたヤングアダルト向けの御伽噺ブンガクという予見でいたら、それは部分的には当たっていた。ただしさすがに、こちらの想定の枠組みの内側にきっちり収まる訳もなく、終盤は別のジャンルの観念小説のような方向に向かう。
(そのことについて、ここでどのくらいまで書いていいんだろ……。本サイトでもレビューが寄せられている先駆の名作なんかの影響も感じられるし。特に後半の数章は。)

 グロテスクでグルーミー、陰惨な事象が続出する一方、それらをカラっとした筆致で語るあたりには、確かに小説としてのある種の風格は感じた。
(ただし偽悪的な、かなり下品で悪趣味な要素も多い。切ない詩情を感じさせる部分も、少なくないけれど。)
 
 ネタとしてはクトゥルフ神話も取り込まれ、さらにラリイ・ニーヴンの名作「スーパーマンの子孫存続に関する考察」にまで材を求めている。
 フマジメな評者はほかの村上龍作品にはまったく無縁だが、いろいろとスキなのね。やっぱり80年代初頭のSFブームの渦中にあった世代人だ。

 タイトルのフレーズは後半になってようやく登場するが、その意味がゴンジーと主人公の若者トリオの絆の修辞(良きにせよ悪しきにせよ)ではなく、まったく違う用法の、一種の反語的なものだったのにはビックリした。ネタバレになるので、ここではあまり詳しくは書かないが。
 
 映画の脚本も、そして監督も村上自身がやってるんだよなあ。元版の作者あとがきによると、同時並行で脚本と小説は進行したらしいから、小説は原作ではなく、あくまでメディアミックスの「小説版」だね。
 絶対にこの小説そのままは映像化されてないだろうし(特に後半)、その内、機会があって気が向いたら、映画も一回くらいは観てみよう。

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