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ミステリの祭典

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平均点:6.33点 書評数:2108件

プロフィール| 書評

No.1388 7点 スノウブラインド
倉野憲比古
(2022/01/09 07:05登録)
(ネタバレなし)
 不気味な伝承が残る地・狗神窪に建つ、いわくのある屋敷「蝙蝠館」。そこは現在は、R大学の教授でドイツ現代史学界の権威でもあるホーエンハイムの邸宅だった。その年の12月、心理学科の生徒・夷戸武比古(いどたけひこ)たち4人のR大学の生徒は、近く退官する教授を内々で祝うため、屋敷に招待された。だが突然の暴風雪のため、屋敷の使用人2人を含めた7人が、邸内に閉じ込められてしまう。そこで起きたのは怪異な密室殺人、そして……。

 一部の(でもないか)ミステリマニアの間で知られる、新本格(?)パズラーシリーズ「心理学探偵・夷戸武比古」ものの第一弾。これがそのまま作者の処女作である。
 
 評者はシリーズの第二長編『墓地裏の家』は未読だが、本サイトでは先に読まれた空さんには、残念ながらご不評の模様(汗)。
 とはいえ、実は同作『墓地裏』は、数年前にSRの会の会誌「SRマンスリー」で行った<新本格30年の歴史の中で、語られざる秀作>特集での当該の一冊に選ばれていたりする。
 本サイトでの空さんの御評価はごもっともなものなのであろうと思うが、人によっては高く評価される種類の作品か? とも考えて、なんとなくこの数年、本シリーズをマークしていた。
 が、なにしろこのシリーズの2冊はともに稀覯本で、なかなか入手が難しい(ハードカバーのみの発刊で、以降は文庫化なんかもされてないハズ)。
 
 で、そんなこんなしていたら、昨年の暮れに、くだんの夷戸武比古シリーズの第三弾の『弔い月の下にて』が、シリーズの新作としては10年ぶりについに&いきなり刊行。
 じゃあこの機会に、まずは第一作『スノウブラインド』から読んでみるかと、ちょっと手間をかけて本を借りて、ようやっと一読してみた。

 設定は、ベタベタのクロズドサークルもの+不可能な密室殺人ものの直球の新本格。しかし登場人物が本筋のリアルタイムで7人しかおらず、コレでどうやってサプライズを引き起こすのか、誰が犯人でも意外性はない、と思っていたら、後半、はあああああ……!? という方向に物語と真相に向かう推理の歩みが向かっていく。
 読了後にネットの諸氏の感想を窺うと「変格」作品という修辞がよく目につくが、個人的には本格~新本格のコードを破壊する「破格」作品と受け取りたい。そしてその上で、新本格作品のひとつのケーススタディとして、オモシロかったけれど(まあ人によっては怒るかもしれんな)。

 ちなみに主人公の夷戸の口から主に語られる思想やら思弁の盛り込み具合は、B~C級の笠井潔作品みたい。あんまり胃にもたれないでサクサク読めるのはよろしい。一方で登場人物のひとりにホラー映画マニアがいて、こちらが未見の映画の仕掛けや最後の真相などをくっちゃべりまくるのには閉口した。こーゆーのは編集がなんとかせいよ。
 『墓地裏』『弔い月』も近く読んでみることにしよう。 


No.1387 6点 人類最初の殺人
上田未来
(2022/01/08 21:48登録)
(ネタバレなし)
 エフエムFBSラジオの夜間番組『ディスカバリー・クライム』では、国立歴史科学博物館の「犯罪史研究グループ」のリーダー、鵜飼半次郎が独自の理論と手法から、古代の犯罪についての研究成果を披露する。そして番組内では、順々に「人類最初の殺人」「同・詐偽」「同・盗難」「同・誘拐」そして「人類最初の密室殺人」の話題が。

 手塚先生の画調コピーの表紙は田中圭一かと思ったら「つのがい」なるイラストレーターのお仕事だった。手塚プロが現在公認する公式イミテーション作家の一人だそうで、調べてみたら、評者もこれまであちこちで、何回か商業仕事も目にしているな。
 各エピソードには、このつのがい氏による手塚マンガ風のイメージイラストも添えられている。

 Amazonでは、現状でただひとつ「<なんで人類の古代文明の黎明期に、その犯罪衝動が芽生えたか、成立したか、を解き明かす話>ではなく、単に<作者が勝手に、人類最初のものと設定した、それぞれの犯罪事件>を語るだけ、のしょーもない作品集(大意)」という厳しいレビューがある。
 まあ本当にその通りであるが(笑)、評者などはもとからそういうものでしょ(後者のようなもの)、と予期して読んだので、そんなに悪い印象はない。
 シオドーマシスンの仮想史実連作ミステリ『名探偵群像』の中から「偉人が名探偵」という一番の売りの要素を取ったら、こんなのになりそう……と思いながら読んでいた。そしたら、とある一編は、実際に、まんま日本版『名探偵群像』(歴史上の有名人物が探偵)になっていた。
 まあ大きな期待を込めなければ、そこそこ楽しくっていいんでないかい? という古代もの&準・古代ものの時代ミステリの連作集。
 
 ミステリとしては他愛ないもの……というか、あまりミステリ味のない作品も中にはあるものの、まあタイトル通りに犯罪は起きて、そこを起点とした物語の起承転結は語られるので、まあ……いいかな(笑)。


No.1386 7点 卵の中の刺殺体 世界最小の密室
門前典之
(2022/01/08 14:40登録)
(ネタバレなし)
 2010年。残虐な猟奇殺人鬼「ドリルキラー」が凶行を重ね、世間を騒がせていた。そんななか、関東の一角にある龍神湖では、卵状の物体の中から刺殺された女性の白骨死体が見つかる。その龍神湖は、「私」こと宮村達也が、外遊中の友人かつ名探偵・蜘蛛手啓司にかわって5年前に設計建築デザインの仕事を請け負い、そして密室殺人に遭遇した館「コルバ館」のすぐそばであった。

 名探偵・蜘蛛手シリーズの、長編第6弾。
 評者は2020年の長編『エンデンジャード・トリック』は未読なので、本シリーズで読むのは『死の命題』『首なし男と踊る生首』とこれで3冊目。

 被害者の死体を残虐に加工して異常なオブジェ風に仕立てる謎の殺人鬼「ドリルキラー」の事件、5年前に宮村が体験し、2010年の現在まで後を引く密室殺人、さらには龍神湖で発見された密閉カプセルの中での他殺死体(状況的に殺害後にタマゴカプセルに封印されたのではなく、閉じ込められたのちに殺されたらしい?)という世界最小の密室殺人事件、これら3つの要素がどう絡むかがキモとなる、いかにもこの作者らしい外連味に満ちた新本格パズラー。

 伏線の張り方の一部は見え見え、怪事件の相関の真相もやや強引だが、例によってトリッキィな仕掛けは十全に用意され、特に卵カプセル殺人事件の真相は一度読んだら、頭に浮かんだビジュアルイメージがなかなか薄れない。
 『首なし男』のバラバラ殺人(死体)の真相の方も唖然としたが、こっちの方も同じ意味でイイ線いっている。

 ただし真犯人が発覚すると、そのキャラクターがいきなり「濃く」なってしまった感じもあり、その辺がいかにも帯で謳う通りの「B級本格ミステリー」っぽい。
 トータルとしては、破天荒なところのこの作者っぽさも含めて、期待した感じの面白さ&楽しさ。一方で、容疑者のアリバイの情報を一覧表でしつこく説明するあたりなどは、思いがけない丁寧さであった。
 一晩で半分徹夜しながら読み終えてしまう。 

 最後に(どうでもいいけど)主要登場人物のひとりが「神谷明」ってのは、いいのか? 


No.1385 6点 ダーク・デイズ
ヒュー・コンウェイ
(2022/01/07 05:23登録)
(ネタバレなし)
 19世紀中盤のイギリス。「私」こと30歳代前半の医者バジル・ノースは、患者である老女の娘として出会った美貌の女性フィリッパに心を惹かれる。フィリッパと異性の友人として交際していたノースはやがてついに思いを打ち明けるが、彼女からは意外な返事があった。傷心のノースは折しも遠縁の親類から多額の遺産を得たこともあり、地方に若隠居する。だがそこにある夜いきなりフィリッパが来訪し、驚愕の事態を告げた。

 1884年の英国作品。
 近年、斯界の有志関係者によって行われている「明治・大正期の翻案小説の、21世紀の読者向けの完訳・新訳プロジェクト(素晴らしい!)」の一冊として新訳(完訳)刊行された広義のクラシックミステリ。本作の翻案小説版は、1889年(明治22年)に黒岩涙香によって『法廷の美人』の題名で発刊された(もちろん不勉強な評者はソッチはまだ読んでません)。

 作者ヒュー・コンウェイ(1847~1885年)は、『二輪馬車の秘密』ほかのファーガス・ヒュームなどと同時代の活躍で、いわゆる「ホームズ前夜」の英国古典ミステリの時代&流派に属する作家のひとり。30歳代で逝去したこともあって日本ではあまり知られていないようだが、活躍期間に比してそれなりの著作は遺している。

 ちなみに本作の原書は初版こそ少部数だったものの、徐々に人気を募り、最終的には(ミステリ史上に初期のベストセラー作品として名を残す『二輪馬車~』の総計50万部以上には及ばないにせよ)累計35万部という、当時としてはかなりの反響を呼んだそうである。
(詳しくは、本書の巻末の、小森健太郎先生の子細な解説を読んでね。)

 作品の中身は、殺人事件を題材に、薄幸のヒロインと彼女を支える主人公の男性の恋愛劇を主軸にしたメロドラマ・スリラー。
 もちろん21世紀の眼で見れば19世紀の旧作読み物として他愛ない面もあるが、一方でなんら照れることもなく王道を突き進むストーリーテリングの熱量は、なかなか侮れない。
 本文は210ページと論創海外ミステリの長編の中では薄目なこともあり、サクサク読めてしまう。
 悪い意味や揶揄ではなく、大筋や主要登場人物の配置をいじくらず、昭和30~40年代にジュブナイル読み物として誰かがリライトしていたら、かなりの人気作品になったような感じ。
 クラシック作品の嗜みとして、タマにはこーゆーのもいいものである。

 なお本作はあくまでノンシリーズもの=単発のラブサスペンスだが、前述の小森先生の解説によると、原書の刊行直後の1884年に「Much Darker Days」なるインチキの続編も登場したとのこと。原典の人気が確認されはじめたタイミングで慌てて書かれたニセ続編なんだろうけれど、安い題名と合わせて、なんか笑ってしまう。できればコッチも翻訳してもらって、ちょっと読んでみたい(笑)。


No.1384 7点 黒き瞳の肖像画(ポートレート)
ドリス・マイルズ・ディズニー
(2022/01/06 21:47登録)
(ネタバレなし)
 第二次世界大戦直後、アメリカのイリノイ州で、生涯、独身を貫いた資産家の老女が莫大な財産を遺して死亡した。親族である26歳の娘スーザン・ローデンは、名付け親の弁護士で遺産管理人であるデイヴィッド・オリヴァーに頼まれて故人の遺品を整理するうちに、死亡した大叔母ハリエット・ローデンが青春時代から綴ってきた日記を14冊発見。なぜか最後まで親族たちに距離をとり続けた大叔母の、その心の奥底に迫るが。

 1946年のアメリカ作品。
 Twitterの噂で、評判がいいので読んでみた。

 物語の本筋のひとつといえる日記の内容は、1877年、15歳の少女時代のハリエットが同名の親族で資産家のハリエット伯母さんのもとに来るところから開幕。その直後、ハンサムな青年軍人ロジャー・デヴィットと相思相愛の恋に落ちたのち、彼女なりに劇的な、そして相応に流転の人生を送っていくさまが綴られている。
 19~20世紀をまたいで、変遷する世相を適度に織り込んだ大衆小説(通俗小説)メロドラマ、人間ドラマとしてグイグイ読ませるが、はて、これがミステリの叢書(論創海外ミステリ)として刊行されたのは? と軽い不審を抱きながら、終盤のページまで行くと……。
 
 ああ、そういうことね、と了解。ここであんまり語らない方がいい作品で、良い意味で、主軸のオハナシ(日記の中のメインヒロインの流転劇)を素の状態で読むことをオススメする。ハマる人にはハマるであろう。
 まあ(中略)。

 ラストのまとめ方(最後の2行)が、昭和~平成の某国内ミステリ作家がよくやるクロージングの演出みたいで、ちょっと笑った。


No.1383 6点 ビーフ巡査部長のための事件
レオ・ブルース
(2022/01/06 06:48登録)
(ネタバレなし)
 そのウワサの<アイデアの先例>の実例の方は知らない。まだ読んでない。
 いずれ当該の作家の諸作を読み倒していけば、いつの日か「アア、コレカ……」と突き当たることもあるであろう。

 いずれにしろ、こういうミステリ作家としての茶目っ気はキライではないが、このアイデアは悪い意味であまりにも汎用性が高すぎて、特にこの事件、このストーリーと密接に融合したもんじゃないよね。極論すれば、登場人物に(中略)を出しておけば、ほとんどどんなフーダニットパズラーでも出来そうな。
 まあ、パズラーミステリのトリヴィア、その話のネタとして読んでおくことには、意味があるとは思います。


No.1382 7点 彼と彼女の衝撃の瞬間
アリス・フィーニー
(2022/01/05 04:52登録)
(ネタバレなし)
 ロンドンから車で2時間ほどの地方の町、ブラックダウン。その森の中で、まだ若い美人の殺害された死体が発見される。BBC放送のニュースキャスター、アナ・アンドルーズは、前任者キャット・ジョーンズの欠場を機に2年間もの間、人気の報道番組「ワンオクロック・ニュース」を受け持っていたが、その輝かしい実績はキャットの突然の復帰で無に帰してしまう。そんなアナは、ブラックダウンでの殺人事件の取材仕事を、上司の「ミスター・パーシバル」から命じられた。かたや現地では40代のベテラン刑事ジャック・ハーパーが、若手の女性刑事プリヤ・パテルとともに、美女殺人事件の捜査を開始する。

 2020年の英国作品。
 昨年の翻訳ミステリの中で、どうもなかなか評判がいいようなので、読んでみた。
 創元文庫の表紙の折り返しに登場人物の一覧がなく、ソコを読み手から隠すということで、これはある種の技巧的な作品かと予見させる。
 それで読み終えてみると(以下、ネタバレにならないように注意しながら書くが)、実際のところはソコまで(登場人物一覧を割愛するまで)しなくても良かったんじゃないかとも思えたね。
 まあ一部のキャラクターについては過剰なことを書き過ぎたら確かにマズイが、その辺は良い意味で曖昧にしながらフツーに人物表を作っても、やはり良い意味での詐術(嘘は書かない)で何とでもなりそうな。
 あと、二人の主人公の証言の食い違いがどうとかって、実際には特に筋立てに関係ないような……。

 本文は約450ページとやや厚めだが、ほぼ全編のストーリーをアナとジャック、それに謎の? 殺人者、その3人の視点を交錯させながら叙述。ハイテンポな筋立てのリーダビリティは最強で、数時間でいっきに読み終えてしまった。

 なお評者は、終盤、お、これは久々に真相を当てられたか? と強気になったが、最終的には……。ただまあ、結構なサプライズだとはたしかに思うものの、コレは色んな意味で(中略)。個人的には、昭和30~40年代にリリースされた某国産ミステリ作品を思い出した。正直、バカミスに一歩足を踏み込んでいる。でもキライじゃない(笑)。

 読後にAmazonのレビューで見かけた「読んでる間は面白かった」という一言が、一番ピッタリである。マーガレット・ミラーほどの文芸性も深みもないけれど、オモシロさだけなら割と張り合えるかも。
 この作家、少し注目してみよう。


No.1381 5点 蟻人境
手塚治虫
(2022/01/04 07:18登録)
(ネタバレなし)
 20歳代半ばの美青年で私立探偵の鳳俊介は、元宝石商の実業家・殿町から調査の依頼を受けた。その内容は、殿町が社長をつとめる会社が所有する軽井沢の石切り場、その周辺に怪異な幽霊が出没するので、その謎を解き明かして欲しいというものだ。同じころ、有名な登山家で探検家でもある春島久太郎の一人息子・章もまた、自宅の邸宅の一角にある防空壕の奥に怪しい穴を見つける。それは春島家が数年前に購入した屋敷の庭に秘められていた、未知の地下世界に続く長大なトンネルであった。鳳探偵の調査と春島家の秘密、その二つはやがて一本の線に結び付いていくが、それは太古から地底に雌伏していた謎の亜人種「蟻人(ぎじん)」の、人間社会への挑戦の発端でもあった。

 今回、初めて読んだ。評者は、大昔の若い頃にソコソコ高価な古書価で購入した、1970年の元版「毎日新聞SFシリーズ」の一冊で読了。
 同叢書の一冊として初めて世の中に上梓された本作『蟻人境』は、ちょっとした手塚ファンなら誰でも知っているタイトルで、「漫画の神様」手塚の手による数少ない(珍しい)、ごく純粋なSFジュブナイル<小説>である。

 世代人には周知の通り、くだんの「毎日新聞SFシリーズ」は、香山滋の『怪物ジオラ』(これは意外に秀作!)や佐野洋の『赤外音楽』、平井和正の『美女の青い影』などの(それなりに今でも有名な?)諸作をラインナップした、1970年前後の時世のヤングアダルト向けのSFジュブナイル叢書だった。
 で、この時期の手塚先生は、当時の劇画ブーム、さらに漫画月刊誌が衰退してゆく時世のさ中にあって、少年漫画の仕事がやや軽くなっていた(それでも青年誌そのほかでかなりの仕事を消化していたが)。
 手塚はその機会を活かして、かねてより関心があった小説分野での本格的な著述に挑んだものと思える。

 ちなみにこの「毎日新聞SFシリーズ」という叢書は、シリーズ全体として統一されたアート調の白地のジャケットカバーを用意(つまり題名と作者名だけ異なり、あとはどれも同じアート的なデザインのジャケットカバー)。
 そんなジャケットカバーの下にそれぞれの作品固有の表紙画が装丁され、さらに本文には数葉の挿し絵も添えられている。
 が、本作『蟻人境』では、手塚は日本最高峰の漫画家ながら、それらの表紙画、挿し絵の画稿には全部、他人のイラストを使用している。小説本文を書くために締め切りギリギリまで時間を費やしたのか、あるいはあくまで小説本文の著述に専念したかったか、その辺の事情はしらない。

 ところで幼少期より手塚作品ファンだった評者が、手塚先生には本格的な小説分野での著作がアリ、それが『蟻人境』なる長編作品なのだと初めて知ったのは、石上三登志の名著『地球のための紳士録』の手塚治虫の項目でのことだった。これで少年時代に、え? そんなのがあるの? と興味を惹かれたのが、全てのことの始まり。
 それから数年の内に、それなりにコドモなりに苦労して稀覯本の「毎日~」版を入手したが、例によって読み惜しんでいるうちに作者ご自身が逝去。
 その数年後に、当初の分の未収録作品をどんどん補遺してゆく講談社の手塚全集の別巻で、本作は復刊されてしまったのだった(……)。
 で、さらに2020年代の現在では、くだんの手塚全集・別巻版をふくめてすでに数種類の書籍で本作は読めるようになっているが、評者個人に関していえば、まあそろそろ読んでみようか、ぐらいの気分で、このたび、くだんの(元)稀覯本の「毎日~」版のページを開いたわけだった。
 まあお正月で、おめでたい気分だしね。秘蔵の酒の栓を抜くようなものだ。酒精がとんでなければいいけれど。

 で、作品そのものの感想だが、むむむむ……。予想していたより荒っぽい作りであった。

 太古の昔からホモサピエンスとは別の進化を遂げて地底世界で棲息し、蟻の属性を持った亜人種「蟻人」が独自の文明を築いていた。そんな彼らは20世紀になって、さる事情から現代の人間社会に挑戦。その目的は東京の地下空間を奪取し、強引に彼らのテリトリー社会を作ろうとするもの。
 つまり設定そのものは良くも悪くも王道の異種生物による侵略ものなのだが、しかし手塚先生、その肝心の蟻人社会の総数がどのくらいなのか、そしてその数に比例してどれくらい東京の地下の空間を必要とするのか、そのあたりのデティルの説明をまったく作中で触れていないのが実に困る……(小説の後半で、冬眠状態から目覚めた蟻人が、一日ごとに膨大に増えていくことだけは語られている)。

 共存困難な知的生物同士の対峙・対決をフィクション(特に小説ジャンル)の主題にするとき、作中のリアルで何が真っ先に問題になるはずかと言えば、<別種の生物が何万何十万、あるいはそれ以上の数で押し寄せてくる現実、そんな「圧」の恐怖と緊張感>だと思うのだ。何はともあれ、そこをしっかりと送り手が押さえてくれなければ……という感じだ。
 たとえば本作以前の手塚作品(漫画)で、東京に異種生物の大群が押し寄せる図といえば『アトム』の傑作、巨大カタツムリ事件の「ゲルニカ」などであろう。あれもカタツムリ怪獣たちの具体的な総数は劇中で語られていなかったと思うが(記憶違いでしたらすみません)、その分、漫画のコマワリ、構図の迫力で十二分以上に恐怖感と緊張感を達成していた。だから面白い。
 しかし直接のビジュアルのない小説は漫画とは勝手が違い、具体的な、もっともらしいデータ数などを提示するなどのデティル演出がなくては、クライシスの叙述が定まらない。
 そういう意味では、数か月前に読んだ海野十三の『火星兵団』の方がさらにずっと古い戦前のジュブナイル侵略SFながら、世界各地の狂乱、火星側の軍備の物量感など、小説の細部はちゃんとツメてある。
 大作家の手塚先生、畑違いの創作ジャンルの小説分野で、意外なスキを見せてしまったという感じ?

 ほかにもヌカミソサービス的なサブキャラの配置(東宝映画『美女と液体人間』あたりの、SFと通俗ノワールものの融合をちょっと匂わせるもの)や、クライマックスの人類側と蟻人との激闘なども、それぞれ何をやりたいかはわかるが、本当ならもうちょっと練れただろうし、もっと盛り上げられんだろうなあ、という感触であった。
 まあ、人間側の反撃作戦そのものは、前述の「アトム・ゲルニカ」ラストの逆転劇のバリエーションという感じのアイデアが用意されていて、悪くはないんだけれどね。
(中でも一人だけ、人間側の某キャラクターのラストの扱いが、なかなか印象的だ。)
 
 じゃあ本作がトータルとしては凡作、失敗作かというと、必ずしもそんなことはない。
 実質的な主人公の少年・章(鳳探偵の方は、造形も叙述も不完全燃焼感が強い)と、成り行きから奇妙な距離感での関係を紡いでいく蟻人側の某キャラクターのドラマ、ここだけは、当時の時点ですでに無数のロマン物語を語ってきた手塚作品の本流という感じで、読み手の心に沁みるもの。
 作家・手塚治虫の軸は、ブレてはいなかったとは思う。

 まとめると、一本のジュブナイルSF作品としては正直、あまりオススメはしにくいのだけれど、手塚作品ファンなら<先生の別ジャンルへの挑戦の成果>として、そういう関心から読んでみるのもアリではあろう。
(実は短編やショートショートを含めれば、先生は晩年までにそれなりの数の小説を遺してはいるんだけどね。まあ、そっちの感想は、いずれまた実作をしっかりと呼んでからということで。)


No.1380 8点 アルセーヌ・ルパン対明智小五郎 黄金仮面の真実
松岡圭祐
(2022/01/02 08:19登録)
(ネタバレなし。ただし乱歩の『黄金仮面』については、この文を目にする前に読まれることをオススメします~といっても、この作品の書名自体がすでにナンだね~汗~。)


 1929年のフランス。50代半ばのアルセーヌ・ルパンは、若き日に死別した妻クラリス・デティーグとの間に生まれた息子ジャンの成長した姿と思しき、ある堅気の若者を陰から見守っていた。そんななか、ルパンは長年の部下グロニャールが聞きこんできた噂から、白人ではなく日本人ながら、どこか息子ジャンの面影を宿す、また別の青年の存在を知る。その青年の名は―。かたやかつてのルパンの年上の恋人にして、彼の犯罪学の師でもあった悪女「カリオストロ伯爵夫人」ことジョゼフィーヌ・バルサモの手下の残党である、マチアス・ラヴォクの一味がパリの暗黒街で非道を働いていた。やがてその魔手は、とある縁から日本にも伸びていく。宿敵ラヴォク一味を追うように日本に向かったルパンは、先に自分の息子ではないかとの可能性を取りざたされた若き私立探偵・明智小五郎に邂逅。そしてルパンは、さらに<もう一人の若き日本人>と運命的な出会いを果たす―。

 いやー、一晩で文庫オリジナルの470ページほどを一気読み。
 ルブランの原典も乱歩の諸作も実によく読み込んで(特に前者)、ジグソーパズルを組み立てるごとく見事な手際で築き上げた『黄金仮面』裏面史。

 あのネタもこのネタもあっちのネタも使いこなしながら、原典のこなれの悪い部分や不順な個所をファン視点で咀嚼&解釈してゆく手際は、正に快感の一語。
 多くのルパンファンが長年のあいだ、モニョり続けた『虎の牙』や『奇岩城』そのほかの<あの描写><アノ描写>にも、作者なりに踏み込みながら、それでも原典の世界をギリギリのところで毀損しないオトナの仕事を完遂。
 極めてウェルメイドなパスティーシュである。
 こーゆーのを読むと、数年前の辻センセイの『焼跡の二十面相』あたりが、いかにダメダメな作品だったか、改めて身に染みてくる(笑)。

 後半、昭和4年の日本内外の当時の現実の事情に筆先が広がってゆくのは、単にファン向けのパスティーシュでは軽く見られるでしょ、と案じた作者の警戒ぶりも感じたけど、クライマックスそしてエピローグまで、時代色とストーリーの流れとは、最後まできちんと整合させてある。
 
 明智とルパン、二大主人公もいいけれど、第三の主人公といえるあの人のイヤー・ワン的な描写もいいなあ。これまで多くの作品で、ルパンとあのヒトとの関係性を設けた二次創作はいくつも読んだけれど、たぶんこれが一番泣ける。そっちの方面からニヤリとさせるネタの仕込みもたっぷり盛り込まれてるし。

 まあルパンの周辺の文芸に関しては、ちょっとだけ勢いが過ぎちゃった箇所がないでもないけれど、トータルとしてはぎりぎり許容範囲……だと思いたい。
 あと、クライマックス、主人公コンビがいささかお行儀よすぎる感じもあるかな(活劇描写としてはかなり大暴れしているのだが、全体的に優等生的な印象で)。
 
 それでも十分に面白かった。有名キャラクターの二次創作パスティーシュとしてはオールタイムの中でも、原典世界への踏み込み度において、確実に上位にいく一冊だとは思うぞ。


No.1379 6点 運命の宝石
コーネル・ウールリッチ
(2022/01/01 05:19登録)
(ネタバレなし)
 1757年のインド。同地に駐留するフランス軍の若い兵士エスカルゴは、猛暑下の過酷な兵役に嫌気がさして脱走を試みた。そんなエスカルゴは町外れの古ぼけた寺院の神像、その両眼にはめ込まれた大粒のダイヤモンドに魅せられる。そして……。

 1960年のアメリカ作品。

 18世紀のインドの寺院から、不心得を生じた青年軍人によって盗まれた、大粒のダイヤ。だがそのダイヤは盗難を認めた寺院の僧侶たちによって、何度、持ち主が変わろうとも、その代々の所有者に必ず不幸が訪れる、未来永劫の呪いがかけられる。
 この呪われたダイヤ(特定の呼称は作中に登場しない)の所有者あるいは譲渡された者、購入者、略奪者などの人物(順不同)にからむ4つの物語が、最初のインドでの盗難劇を皮切りに、革命直後のフランス、南北戦争直後のアメリカ南部、そして1940年代の香港~東京と、数世紀の時を跨いで語られる。
 
 読後にwebでほかの人の感想を探ると、もともとはウールリッチが戦前に書いた原型の作品を50年代の末にリメイクしてペイパーバックオリジナルで刊行したものらしい。
 たぶんネヴィンズの伝記『コーネル・ウールリッチの生涯』あたりに詳細な書誌情報が書かれているのだろうが、評者の場合は確認しようにも、購入したくだんの伝記が上下2冊ともすぐ出てこない(汗・涙)。だからこの作品が原書の段階で完全に向こうでの書き下ろしか、あるいはどこかの雑誌に部分的にも掲載または連載されたものかも、現時点で不明だ。

 なおポケミス版の解説では編集者「S」の署名(常盤新平あたりか?)で、アメリカミステリ界でもサスペンス派の巨匠と知られるウールリッチの新作なのに、本作がハードカバーでなくペイパーバックオリジナルで発売されたことを嘆いている。なるほどその辺の状況は、評者などにも下世話にちょっと興味深いが、やはり詳しいことはネヴィンズの伝記を改めて読めば何かわかるのだろうな? 
 しかし、とにもかくにも、晩年の新作をペイパーバックオリジナルで上梓したウールリッチという作家は、つくづく、最終的にはアメリカミステリ界の文壇の主流とは縁が薄かった感がある。ウールリッチ当人の葬式に来た友人の作家がマイケル・アヴァロンだけ、他に親しかった作家のひとりがフランク・グルーバーというあたり、とてもしみじみさせられる。評者は個人的にはそれぞれ大好きな作家たちだが、決してメジャーリーグとは言い難い書き手たちだろう。

 閑話休題。本作の内容についてはもともと高望みをせずに、枯れた時期のウールリッチの著作だろうと予見して読んだ分、4本のエピソードはそれぞれ普通に楽しめた。
 こちらも『喪服のランデヴー』『暗闇へのワルツ』『聖アンセルム923号室』のようなレベルの大傑作なんかはさすがにもともと期待していないが、得点的にいつものウールリッチ作品っぽさを求める限り、それぞれの話は序盤の掴みから、各キャラクターの迎える人間模様まで十分、フツーに面白い。
 各篇の世界観(または世界線)は。同一の呪われたダイヤが存在する空間という一貫した大設定で共通し、その上で作者ウールリッチも差別化したストーリーを用意しようとしているわけだから、読み手の方もわかりやすい距離感でそれぞれの挿話を楽しめる。
(第2話のパリ編と第3話のアメリカ編が、ともに苦境に陥った恋人同士の叙述から始まり、ちょっとワンパターンぽいかな? と第3話の最初のうちは懸念したが、大丈夫、最終的には完全に差別化された。)

 ただし4つのエピソード、一本一本はそれぞれ面白かったのだけど、主題となる宝石の扱いについては最終的にもうちょっと連作短編もの(広義の長編ともいえる)らしい全体の結構が欲しかったとは思う。まあこの辺は読み手の想像で補ってもいいかもね。
(なお、ポケミスの裏表紙のあらすじ紹介は、第一話のインド編の決着を完全にネタバレしてるので、これから読む人はご注意を。)

 ところで、この手の連作短編もの(キーアイテムが人から人の手に渡り、ステージもキャラクターも変遷しながらそれぞれのエピソードが積み重ねられる)の最初の作品は、フィクション史上なんであったのだろう。
 評者が最初に出会ったのは1968年に「週刊少年キング」の複数の漫画家による企画ものの連作『コルト・サラマンダー』であった。同一の、無生物の拳銃が人から人の手に渡っていくうちに、それぞれのドラマが語られる形式のオムニバス企画で、漫画家は石森(石ノ森)章太郎や影丸譲也、石川球太などが参加。原作というか文芸の仕掛人は都筑道夫であったことを後で知って、驚いた。書籍化されていないはずで(石森パートだけは、個人作家全集に収録)、21世紀の現在でもいつか発掘・書籍化を願いたいが、漫画家がバラバラな分、版権調整が難しいかもしれない。
 また余談が長くなったが、先の話題、この手のアイテムの行方を軸にした連作短編もの、何が始祖となるのかご存じの方がいましたら、御教示願えますと幸い。
(たぶんこのウールリッチの『運命の宝石』が一番早い、ということはないと思うのだが。)
 で、2022年の最初の一冊目がこれか。実は年越しで最後の一本(東京編)だけ年明けに読んだんだけどね(笑)。

【2022年1月1日23時追記】
■本日、早速、本サイトの掲示板で「おっさん」様から御教示を戴き、
 本作は
・1939年にパルプマガジン「アーゴシィ」に四回分載された
 『運命の瞳』(The Eye of Doom)の改稿である
・該当の掲載号は、作者のウールリッチ自身も全部所有していなかったので
 フレデリック・ダネイ(エラリイ・クイーン)の協力を得て、改訂新作
 『運命の宝石』を著した
……そうである。情報の出典は、ネヴィンズの『ウールリッチの生涯』から。
 おっさん様、いつもありがとうございます(平伏)。

■さらに、この手のアイテムの移動につれて登場人物やステージが
 変遷してゆく構成の作劇の早い前例は、J・S・フレッチャーの
 1904年の長編『ダイヤモンド』などがあるとのこと。
 こちらの情報もありがとうございました。


No.1378 7点 激突!
リチャード・マシスン
(2021/12/31 04:57登録)
(ネタバレなし)
『激突!』
……いま読むと、まんまスティーヴン・キングだな。というよりキングの方がこの中編から少なからず影響を受けている感じがする。そーいや、出てくる大型トラックの通れる幅広道路の脇の「愛玩動物霊園(ペット・セマタリー)」。

『狂った部屋』
……強烈な表題作に続けて読んでも、ちゃんと差別化された味わいのサイコホラー(またはオカルトホラー)なのに感心(短編集を編纂し、作品の配列を考えた小鷹信光の手腕にも刮目)。ある意味、『激突!』よりも面白かった。
 
『屠殺者(スローター)の家』
……解説には『地獄の家』の原型的な作品、とあるが、幽霊屋敷という大枠以外、あまり関係なにような(それぞれの主人公たち、その立ち位置も違うし。幽霊屋敷の文芸設定も異なる)。どことなく危険な感じを匂わせる若い主人公兄弟の造形もいい。そして後半に出てくる(中略)も印象的。

『蒸発』
……作家志望の中年になりかかった妻帯者が残したノート。そこには……。現実か? 妄想か? 読み手を幻惑のなかに誘う一本。本書を読んであらためて思ったが、マシスンの中短編はなんとなくいつも考えていた以上に、とてもテンポが良い。本作は本書の中でもその点で筆頭かもしれない。
 ところでこの話、旧作の白黒版『ミステリー・ゾーン(トワイライト・ゾーン)』で映像化されてなかっただろうか?

『不吉な結婚式』
……なんかシャーリー・ジャクソンの『野蛮人との生活』に通じるような、日常の生活の場でのオフビートなコメディ(話のネタそのものは、結婚と結婚式という、人生の区切りの大きなイベントだが)。先の4本のあと、こういうハナシを持ってきた小鷹信光のセンスが光る。

 あっという間に楽しみながら読み終えてしまった。やっぱ改めて、絶頂期の短編作家としてのマシスンは手堅い。


No.1377 4点 伊豆・石廊崎殺人岬
山口香
(2021/12/29 06:28登録)
(ネタバレなし)
 新宿の歌舞伎町に事務所を構える30歳の甲斐正樹は、転職を繰り返した末に私立探偵になった男。酒と女が好きな怠け者で女房にも逃げられて独身だが、今は大学院生のお嬢様でしかも美人の朝日奈真理子(マリー)が助手兼恋人として脇にいる。そんな甲斐のもとに24歳のデパートガール・北村聡美が、旅行に出たまま帰宅しない同年齢の幼馴染で同僚の野村芳江の行方を捜してほしいと依頼に来た。そしてその頃、石廊崎の海岸では、身元不明の30代半ばの美女が何者かに殺された死体として発見されていた。

 作者、山口香は、Wikipediaの当人の記事項目によると1946年生まれ(もちろんいま話題の女性柔道家とは、別人である)。
 wikiの同記事にリストアップされているだけで115冊もの著作があるが、ほんとんどがエロ小説。ただし一部、アリバイ崩しのトラベルミステリも執筆しており、しかもシリーズ探偵ものらしいというので、ちょっと興味が湧いて一冊読んでみた。

 ちなみに本作なんかもタイトルだけ見るとあくまでフツーの旅情ものミステリっぽいのに、Amazonではこの作者のそういったミステリっぽい諸作も、ほとんどがアダルト小説分類されている(本作は現状で例外だが)。
 これは作者の名前、即、そっちのジャンルに区分けされてしまうのか? とも思ったが、実際に実作(本書)を読んでみると、やはり味付け程度にはエロ描写も盛り込んであった(事件関係者の一部が、ある種のヘンタイである。ちなみに主人公コンビはすでに体の関係があるが意外にポルノ描写は控えめ。いちゃラブセックスの濡れ場は最後の方まで出てこないのが、仲々おくゆかしい)。

 他の作家の作品でいうなら、評者が少し前に読んで本サイトにレビューも書いた水野泰治の『武蔵野殺人√4の密室』みたいな感じ。ただし向こうは過剰なアダルト描写があっても、それ以上に謎解きミステリ&ある種の技巧派ミステリとしてしっかりしていたが、こっちの山口作品は、ミステリとしてはほとんど何もない(……)。

 石廊崎で起きた美女殺人事件を静岡警察が主体になって足で追いかけ、一方で甲斐&マリー側が失踪人探しの聞き込み周りをして回る。やがてその二つの流れが本当に順当に交わるだけ。読み手の前にまったく謎は提示されないし、当然、推理する余地のかけらもないよ。
(行方を絶った女性・野村芳江の件は、とりあえず終盤まで引っ張られるが、これは特に不可思議な謎の興味として語られるものでもなんでもない。)
 トラベルミステリとしても、旅行ガイドからそのまま引き写したようなウンチクを、近代文学専攻のヒロインのマリーがくっちゃべり、甲斐の方がふんふん聞くだけであり、これはある意味スゴイ。

 一作読んだだけでモノを言うのはなんだけど、多作で書き飛ばしているせいか、文章も雑で、序盤で登場人物が死体を見つけて「あっ!? 女が死んでいる!?」と素で叫ぶのからして、リアリティがない。もし俺やあなたが実際のそういう状況になったら、そんな物言いすると思うか?(笑)
 さらに依頼人の聡美が「鈴木由美」という同じデパートの女性を情報提供者として甲斐たちに紹介するが、その登場直後「由美子」と地の文で書かれたりする(う~ん)。ほかに句読点の脱字もあったし、担当の編集も手抜きか。
 
 ただまあ、「好色探偵」「美人助手」と、地の文でそれぞれの本名を差し置いて妙な? 肩書の方で主格を叙述される主人公コンビは、ちょっとだけヘンな愛嬌もある。
 大体、甲斐がまったく探偵の職務として役立たず、まだ真理子の方が調査役として有能というのは、狙った設定だろうけど、ほんのちょっぴりユカイに思えないでもない。
 
 作者の力量というか、ミステリ創作の姿勢はなんとなくわかったので、もうよほどのことがない限り、他の作品は読まないだろうと思う。
 けれど、どっかのゲテモノ食いミステリマニアのウワサとかで「いや、山口香のミステリ作品でも、アレはちょっといいよ」とかなんとか聞こえてきたら、また性懲りもなく手を伸ばしてみたくなったりしちゃうかもしれない(汗・笑)。今のところの気分は、そんな感じで。

 万が一、また次のこの人の作品を読むときは、今度は5点くらいはつけられればいいなあ、と。


No.1376 6点 レヴィンソン&リンク劇場 皮肉な終幕
リチャード・レビンソン&ウィリアム・リンク
(2021/12/28 04:20登録)
(ネタバレなし)
 『刑事コロンボ』『ジェシカおばさんの事件簿』などの原作(文芸&キャラクター設定の製作)で知られるリンク&レヴィンソン、コンビが1954~1962年に各雑誌(ミステリ専門誌&一般誌)に発表した初期短編(ショートショートに近いものもある)10本を日本オリジナルでまとめて編集した、個人短編集。
 
 評者は大昔、古本屋で日本語版「ヒッチコックマガジン」を買いあさっていると、時たまこのコンビの短編が載っている号に遭遇。その時点ですでに「コロンボ」日本語版の本放送をNHKの放映枠で楽しんでいたので「あれ?」と思い、かの番組のメインライターコンビは小説家としても活動していたのか、と軽く驚いた経験がある。

 そういった60年代の「日本語版AHMM」に掲載された諸作(つまり今回、この本に収録されたものといくつかカブる)の作風は記憶するかぎり、日本語版ヒッチコックマガジンの主力作家だったヘンリー・スレッサーの傾向に近いものだったと思う。
(つまり、のちの「コロンボ」に通じるような、倒叙形式の(広義の)パズラーの原型的なものとは大きく異なる。)

 実際、本書の冒頭の短編、悪妻に悩まされる初老の郵便配達員を主人公にした『口笛吹いて働こう』からして、モロ、そんなスレッサー調の一編。
 作者名を隠されて読み終えたのち「これ、スレッサー(またはO・H・レスリーほか)の作品だよ」と言われたら、絶対にダマされてしまうだろう。つまりはそんなティストだ。

 そして残る9本の中には、そんなスレッサー風の、いわゆる鋭い気の利いたオチ、風の短編がやはりいくつかあるが、同時にさすがに何本も書いているうちに違うこともしたくなってきたのか、あるいは雑誌の編集部の注文に合わせたのか、作品の幅も広がっていく。
 結構、ストレートな(中略)ストーリーがあるのにはちょっとビックリした。
 広義のミステリの大枠から外れるものではないが、やや人間ドラマっぽい作りのものもあったりする。
 「コロンボ」ファンに興味深いのは、解説で小山正が書いているとおり、8本目の『愛しい死体』で、これがネタ的に『殺人処方箋』の原型的な短編。どこがどうオリジンなのかは、ドラマを観ている人なら読めばすぐわかると思う(こう書いても、オチやラストのネタバレにはなってないと思うが)。

 病院の待合室で時間をつぶさなければならない状況だったので、自宅から持参して、行き帰りのバスや電車の車中もふくめて、数時間でサクサク読み終えた。
 期待通りに楽しい一冊であったが、一本、邦題でネタバレしかかっているようなものがあるのは、ちょっと……かもしれない(もちろん、該当の作品がどの短編かはここでは言わないが)。
 まだこの路線の短編集が日本オリジナルで作れるのなら、もう1~2冊出してほしい。


No.1375 7点 シンポ教授の生活とミステリー
評論・エッセイ
(2021/12/23 15:20登録)
(ネタバレなし)
 ひと月ほどかけて寝床の中でチビチビ読み進めた一冊。
 おなじみ「シンポ教授」こと、ミステリ評論家&研究家の新保博久氏が、これまでに各社の雑誌や、日本推理作家協会、マルタの鷹協会そのほかのミステリ界の会報などに書いた文章(主にエッセイ)をまとめたもの。

 引っ越しを決めた近況を語る2018年の短文をマクラに、かつてカルチャースクールで講義をした体験談とそのレクチャー内容を述懐したエッセイ(1990年代の「野性時代」に連載)から開幕。ここでさすがの知識量と、独特の私見を提示してまず読み手を圧倒させる。
 そのあとのパートで少年時代からのミステリファンとしての軌跡を回顧。ジュブナイルにリライトされた名作などとの邂逅を語るあたりも面白い。あかね書房版の『黒いカーテン』の少年少女向きのアレンジなんか、初めて意識した。 

 ただしネタバレに関して「ミステリは犯人やトリックがわかっても面白いものが良い作品だという人がいる。それはもっともだが、しかしそれは他人に押し付けることを前提にネタバレを首肯する材料にはならない(主旨)」と実にもっともな事をおっしゃりながら、前述の講義の項目でリチャード・マシスンのショートショート&サプライズストーリー『箱の中にあったのは?』のオチを自分からバラしているのは、いかがなものか? ここは今回、本にする際にぼかすか、または真相の紹介を注意書き付きで別ページにするなどの改訂を、行ってほしかった。

 以降も全般的に楽しい内容で、評者の場合、ミステリそのものの知見が特に大きく変わることはなかったが、ガードナーやスタウトなどの諸作を「軽パズラー」という呼称でまとめようとする意欲など微笑ましい(それでもまだ字義的に、その呼称でどうなんだろう? と思う面も、個人的にはあるが)。
 さらにミステリ界での関係者諸氏(亡くなられた方々への思い出話だけでワンコーナー設けられている)の話題や、自分が手掛けてきたアンソロジーや、研究&評論仕事のメイキング開陳など、それぞれ興味深い。
(ただ、この方の場合、語られた情報はこれでも氷山の一角であろう。)

 一方でやや不満としては、Amazonでも同様のレビューが寄せられているが、あくまで基本はこれまでに書きまくったエッセイをまとめた内容のため、別の場で再使用した話題、具体的には自分のミステリファンとしての経緯についての述懐などが重複していること。
 もともとは編集側の依頼で、以前のものと似たような内容の文章を自覚的に書いたのかもしれないし、著者にしても雑文をまとめるそうない機会なので、迷った末に今回の本にあえて入れた可能性もあるので、単純に責めるのはよろしくないという考えもある。
 ただまあ、持ちネタはきっと膨大な方なのだろうから、似たような話題を読ませるなら、もっとほかのハナシを……という読者のストレートな欲求もよくわかるネ。

 巻末に、文中に登場する作家や関係者、ミステリなどの書名の子細な一覧がついているのはさすが、である。
 
 最後に、先ほどこの本の中で、名作ミステリのジュブナイルリライトについての体験的な話題も豊富という意味合いのことを書いたが、実際に本書を離れてもシンポ教授はスゴイ人で、先日、SRの会関連のweb上の場で、フレドリック・ブラウンのエド・ハンターものの最後の邦訳作品『アンブローズ蒐集家』は、実は梶龍雄が雑誌付録の児童向きミステリの形ですでに1960年代に翻訳(もちろん完訳ではなくダイジェスト訳だろうが)していた、と指摘されて仰天した。実はこの情報関連のデータベースそのものは以前からネットにあったようだが、その付録本の実物を見ている&読んでいるか、この書誌的な事実を知らなければ、こんなことサラッと言えないだろう。さすが「重箱の隅の老人」である。改めて舌を巻いた。

 ちなみに(まだ続くんかい)、亡くなった小鷹信光は、他人のマチガイを見つけるのも自分のミスを指摘され、是正されるのが大好きだったそうで、その「重箱の隅の老人」を自任するシンポ教授は、とてもシンパシーを感じていた(いる)。
 評者も基本的に同じ考えなので、非常に得心がいく(今でいう「ネット警察」的なこウルさも生じるので、その辺は自戒したい面もあるが)。
 実際、小鷹信光の著作などは、あれだけ膨大な仕事をされたゆえのほんのわずかな綻びで、後になって見ると時たまアレ? という記述が目につくこともあるが、ご本人がそういう「自分の過ちを指摘してもらうのが好きな方だった」というのを今回読んで、ちょっとホッとした。それではこれからも遠慮なく、勘違いや書誌的なミスは指摘させていただこう(え!?)。

(まずその前に、自分が書く内容に勘違いや誤認が無いようにしろよと、陰の声~汗~)。 

「撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだ」

【2022年1月6日追記】
 書き洩らしていたが、あと本書の述懐エッセイで面白かった(興味深い)のは、「一見、ノンシリーズ作品に見えて、最後の最後で、実はレギュラー探偵もののシリーズの一本だと判明する作品」の扱いについて、ね。
 名探偵ものの短編完全収録アンソロジーなんかを編むときに、そういう趣向の作品を入れることは読者のある種のサプライズを奪う、と悩むそうで。
 ま、そりゃそうでしょうな。何十年考えても、扱いの正解なんか見出せないと嘆いているのも納得。
 評者だって、(別にアンソロジストの仕事なんかしたことないけど)別の似たような? 状況で迷うことはある。むろん最適解なんか、わからない。


No.1374 6点 だいじょうぶマイ・フレンド
村上龍
(2021/12/20 04:02登録)
(ネタバレなし)
 副都心のプールで、二人のボーイフレンド、ハチとモニカと戯れていた若い娘ミミミは、いきなり空から落ちてきた、ハンサムな初老の外国人と出会う。どう考えても普通の人間ではない外国人はゴンジー・トロイメライと名乗り、かつての自分は19世紀の初めに地球に飛来した宇宙の不定形生物だったと、とんでもない素性を語った。常人とは異なる生態や思考、そして超パワーの主ながら、心根は善良なゴンジーは望郷の念に駆られて、宇宙への帰還を願う。だがそんなゴンジーと彼と友人になった若者たちに、謎の機関「ドアーズ」が接近してくる。

 大昔にテレビCMやら歌謡番組やらで、いやというほど劇場版の主題歌はしつこく耳にしていた。だから今でもサビの部分は、すぐ耳朶に甦る。

 しかし気が付いてみたら、何十年も経った現在でも、映画も小説もまだまったく縁がなかった。ということで、小説の方のハードカバーの元版を古書で購入し、このたび読んでみる。

 80年代のアンニュイな日常の中で、たまたま<スーパーマン>と出会ってしまった若者たち、その構図を主題にしたヤングアダルト向けの御伽噺ブンガクという予見でいたら、それは部分的には当たっていた。ただしさすがに、こちらの想定の枠組みの内側にきっちり収まる訳もなく、終盤は別のジャンルの観念小説のような方向に向かう。
(そのことについて、ここでどのくらいまで書いていいんだろ……。本サイトでもレビューが寄せられている先駆の名作なんかの影響も感じられるし。特に後半の数章は。)

 グロテスクでグルーミー、陰惨な事象が続出する一方、それらをカラっとした筆致で語るあたりには、確かに小説としてのある種の風格は感じた。
(ただし偽悪的な、かなり下品で悪趣味な要素も多い。切ない詩情を感じさせる部分も、少なくないけれど。)
 
 ネタとしてはクトゥルフ神話も取り込まれ、さらにラリイ・ニーヴンの名作「スーパーマンの子孫存続に関する考察」にまで材を求めている。
 フマジメな評者はほかの村上龍作品にはまったく無縁だが、いろいろとスキなのね。やっぱり80年代初頭のSFブームの渦中にあった世代人だ。

 タイトルのフレーズは後半になってようやく登場するが、その意味がゴンジーと主人公の若者トリオの絆の修辞(良きにせよ悪しきにせよ)ではなく、まったく違う用法の、一種の反語的なものだったのにはビックリした。ネタバレになるので、ここではあまり詳しくは書かないが。
 
 映画の脚本も、そして監督も村上自身がやってるんだよなあ。元版の作者あとがきによると、同時並行で脚本と小説は進行したらしいから、小説は原作ではなく、あくまでメディアミックスの「小説版」だね。
 絶対にこの小説そのままは映像化されてないだろうし(特に後半)、その内、機会があって気が向いたら、映画も一回くらいは観てみよう。


No.1373 7点 運命の証人
D・M・ディヴァイン
(2021/12/19 08:16登録)
(ネタバレなし)
 評者が読むディヴァイン作品の4冊目。個人的には当たりはずれの大きい印象の作家だが、これはとても面白かった。
 登場人物の描き分けや運用の狙いもそれぞれ明確で、謎解き&法廷ミステリとしての結構を誇る一方で、ややいびつなメロドラマの興味もあり、ソコが味の作品である。
 特にP181の2行目の描写には、喝采を上げつつ腹を抱えて笑った。怒る(中略)読者もいるかもしれんが、自分のような者には、実にスンバラシイ(笑・汗)。。

 内容は4部構成で<その全パートにサプライズがある>の謳い文句(裏表紙から)通りで、テンションが上がりぱなし。3~4時間でほぼ一気読みである。
 
 これって、懐かしの、昭和のミステリ連続テレビドラマ・アンソロジーシリーズ『火曜日の女』の原作(のひとつ)に選んだら、かなり面白そうなものが出来ただろうなあ。実際、原書は68年の作品だから、もしリアルタイムで翻訳されていたら、その『火曜日の女』のネタになった可能性もあったんだよね(笑)。

 まあ真相が割れてみれば、メイン登場人物の何人かが無駄にややこしいことをしていたおかげで、事態が悪化というかこんがらがった面もあるとも思うし、真犯人の思考も一部強引なところは感じたりする。

 それでも読んでいる間は十分に楽しめた。
 これはディヴァイン作品の中では、個人的にアタリ。


No.1372 6点 宇宙から来た女
カーター・ブラウン
(2021/12/18 15:16登録)
(ネタバレなし)
「おれ」ことハリウッドのトラブル・コンサルタント、リック・ホルマンは、面識があるタレント・エージェンシー(映画のキャスティングプロデュース業)会社の副社長ヒューイ・ランバートに呼び出される。ヒューイの上司である女丈夫の美人社長アンジェラ・バロウズが語るに、会社はドイツでタレント性のある美少女モニカ・バイヤーを女優としてスカウトし、あまりに強烈な容姿ゆえに、アメリカで「宇宙から来た女」として売り出そうと画策。すでに大作映画の主演契約も締結したという。だがそのモニカが行方不明になり、映画の企画進行も間近に迫っているそうだ。ホルマンはモニカ捜索の仕事を請け負って動き出すが、調査の場はモニカの出身地の西ドイツにまで及ぶ。

 1965年のコピーライト作品。
 リック・ホルマンものの第12弾で、日本ではシリーズのここまでが全部訳出されていた。以降はまったく未訳。

 ちなみにホルマンシリーズの邦訳は、順番がバラバラに出たのだが、本書のあとがきで訳者の山下愉一が現在「The Wind-Up Doll(邦題『ベビー・ドール』)の翻訳に取り掛かっている、とある。
 が、実際の『ベビー・ドール』の翻訳は別の人(信太修一郎なる御仁)であった。加島祥造=一ノ瀬直二=久良岐基一みたいなペンネームというコトはないよね? 何らかの事情で担当が交代したか?
 さらにもう一作、山下はホルマンシリーズの翻訳はこの『宇宙から』が最初だが、付き合ってみたら先輩アル・ウィラーやダニー・ボイドみたいに親しみを感じたと語り、当時の近作でシリーズ第17弾の「The Deadly Kitten」も面白そうだと語っていたが、これは未訳のまま終わった。 
 
 閑話休題。本作のタイトル「宇宙から来た女」から、今回はフレドリック・ブラウンの『死にいたる火星人の扉』みたいな火星人を自称する不思議系キャラクター(それもたぶん美女)が登場するのか? 『安達としまむら』のヤシロ(ヤチー)みたいだ、と予期していたが、実際にはただの人並外れた美人という意味合いであった。宇宙SF要素皆無だし、ただの修辞じゃないか。

 とはいえお話そのものはかなりぶっとんでいて、なかなかオモシロイ(というか評者とウマが合う)。ホルマンが依頼人のアンジェラ公認の経費持ちで、モニカの出身地である西ドイツにまで向かう海外出張編というのはさすがにびっくりしたし、後半、怪しいメインゲストキャラクターのクルース兄弟が設置した当時の最先端の電子機器仕掛けのお化け屋敷が舞台となるあたりも、妙なほどに趣向が凝っている。なおお化け屋敷のいやらしい風圧ギミックで、魅力的なメインゲストヒロイン、キャスィ・フリックのスカートがめくれてパンティが丸見えになり、ホルマンの目が釘付けになる描写は、中学時代に読んでいたら興奮したろうな。いや、今でも楽しいが。
 
 ミステリとしては、例によって事件の全貌がなかなか見えないなかで、ホルマンが窮地に陥るなどの見せ場が連続(西ドイツでの活劇場面がなかなか強烈だ)。
 そして終盤には、かなり意外な犯罪の構造が明らかになるが、カーター・ブラウン作品の多くのように、ホルマンのぶっとんだ想像がいきなり正鵠を射てしまう流れで、読者が推理できる余地はほとんど無い。まあそれでも意外性としてはかなり面白かった(ただし主犯が誰かは、ほぼ見え見え)。

 ギミックの豊富さでのちのちまで印象に残りそうな一本だが、トータルとしてはシリーズ内の中の上か上の下くらいかな。
 カーター・ブラウン、読めばやっぱり、オモシロイ。


No.1371 8点 殺しの前に口笛を
生島治郎
(2021/12/17 07:38登録)
(ネタバレなし)
 1970年代の初め。「私」こと32歳の世界ウェルター級チャンピオンボクサーの伊吹礼一は9回目の防衛戦に辛勝するが、同時に拳闘選手としての限界を感じて引退を表明した。だがその直後、伊吹は何者かの手で身に覚えのない殺人の犯人に仕立てられてしまう。伊吹を逆境に追いやった謎の男「ウィリアム・フォークナー」は、彼の窮地からの救済、さらには多額の報酬と引き換えに、あるミッションへの参加を願い出た。

「週刊大衆」に連載された長編で、評者は大昔に購入した1976年のスリーセブン社版の新書で読了。
(本文だけで、作者のあとがきも他者の巻末解説もない、簡素な版だ。)

 主人公の伊吹、そして彼の仲間となるアジア系のセミプロ工作員(本業のスパイではないが、その資質を認められた連中)3人とともに中国内に潜入し、とある目的を果たそうとするストーリー。
 忍者潜入ものというか、山田正紀の傑作『火神を盗め』みたいなプロットと同種のものだと思えば、まあよい。

 伊吹がいきなり思わぬ逆境の中に引きずり込まれていく序盤~前半の物語は、アンブラー風の巻き込まれ型サスペンス・スパイスリラーの趣。
 そのあとは、ヒギンズが丁寧に書いたときみたいな歯応えの、潜入工作ものの冒険小説に転調する。

 活劇スパイスリラー的なB級感がある一方で、場面場面の叙述はかなり細部まで丁寧で、独特の格調を感じさせる仕上がり。つまり当初の予想以上に骨太な感触で、同時にぐいぐい読者を引き込む勢いがある。
 かたや伊吹の一人称による内面描写、心情吐露も、進展するストーリーの局面ごとにマメに語られるので、この辺に生島作品らしい和製ハードボイルド的な詩情とそれっぽい美学(メロウさとドライさ)が満ち満ちている。
 
 伊吹をリーダー格とする4人の主人公チーム(みなアジア系)、そして彼らに関わり合うサブキャラたちの描写もしっかり書き込まれており、その辺の「苦い男の美学」は昭和的な、悪く言えば自分に酔ったような感触もまったくない訳ではない。
 が、一方で過酷な状況の中でご都合主義を許さず、細部をツメていく筋立ては、ほぼ全編通してかなりの緊張感があり、生島作品の中では出来がいい方だと思う。
 あえて言えばヒロインであるフィリピン歌手のマヌエラの作中でのポジションと、彼女と主人公・伊吹との関係性などは、ちょっと緩めの感じがしたが(当のマヌエラのキャラクター造形そのものは、しっかりした過去設定で、決して悪くはないんだけれどね)。

 終盤の(中略)なども作品全体のテーマを引き締めて、本作の連載中にどんどんヒートしていった当時の作者の入れ込みがうかがえるような気もする。
 ラストはちょっと思うところもあるが、これはこれで話の主題を完結させたものではあろう。いずれにしろ、作者の著作の中では力作の部類に入るものだとは思う。
 評点は0.5点くらいオマケして。


No.1370 7点 第八の探偵
アレックス・パヴェージ
(2021/12/15 14:34登録)
(ネタバレなし)
 今年の新刊で、評判が良いので読んでみた。7編の短編ミステリを入れ子構造に内包した、極めてトリッキィな作品。解説でミステリ評論・研究家の千街氏が語る通り、正に欧米版の「新本格」ミステリであった。
(しかし、くだんの解説で、東西のこの手の<作中作ミステリ>の題名を網羅しまくる千街氏のトリヴィアぶりは圧巻。作品の構造や狙いそのものへの的確な指摘も含めて、こういうのがプロの解説かと感銘した。)

 やり過ぎの気配さえある終盤の怒涛のどんでん返しの連打まで十分に楽しんだ。
 凝った作りらしいので、ページを開く前は、多少はヘビィな読書になるかとも思ったが、予想以上に読みやすかったことも特筆。
 翻訳の鈴木恵さんは訳者紹介を見ると評者もこれまで何冊か縁があったが、今回、初めて、うまい(読みやすい)と意識した。

 そろそろあちこちで2021年度の内外ミステリベストが出てきているが、評者はまだ、あんまり今年はその結果はチェックしていない。しかし本作も相応に高い評価を受けているはずと予見する。

 最後に、本作の趣向の先駆例のひとつとして、千街氏は当然『11枚のとらんぷ』をあげているが、7編の短編ミステリの謎解きの中には、同じ泡坂の別の作品を連想させるものもあってちょっとニヤリとした。偶然ではあろうが。
(双方の作品のネタバレにはなってないはず。) 
 
 評点は8点にかなり近い、この点数ということで。


No.1369 7点 ブレイディング・コレクション
パトリシア・ウェントワース
(2021/12/14 08:43登録)
(ネタバレなし)
 第二次世界大戦から数年を経たロンドン。前身は家庭教師という、50歳代半ばの異色の女性私立探偵ミス・モード・シルヴァー。彼女は元・教え子の州警察本部長ランダル・マーチとも懇意で、これまでにも多くの難事件を解決してきた。そんなある日、彼女と同年代の有名な宝石コレクター、ルイス・ブレイディングが、近辺に不穏な気配があると相談に訪れる。だがミス・シルヴァーは依頼人の周辺の不健全な人間関係を聞きとがめ、まず生活態度を改めて宝石コレクション活動も見直すように諭した。かたや、ルイスの年下の従兄弟であるチャールズ・フォレストの別れた妻ステイシー・マナリングは、現在は細密画家として自活し、かつかつの生活を送っていた。そんなステイシーは元・大物の舞台女優マイラ・コンスタンチンから肖像画の製作の依頼を受けるが、彼女は間もなくチャールズとそしてルイスとも再会することになる。そんな彼らの周辺で殺人事件が。

 1950年の英国作品。
 母国では20世紀にかなりの人気を博しながら、邦訳された長編はこれ一作しかない、老嬢探偵ミス・シルヴァーの、日本語で読める貴重な事件簿。
 ミス・マープルに比較されるのはよく聞き及んでいたが、アマチュア探偵のマープルと違い、こちらは完全なプロの私立探偵だよ。人柄の一面やキャラクターのビジュアルイメージこそミス・マープルに似通うところも確かにあるが、個人的にはむしろバーサ・クール(A・A・フェア)あたりが、あまり欲深さをあらわにせず社会正義の方を尊んだらこんなパーソナリティになるんじゃないか? という感触のハイミス女性探偵であった(あ、お金にこだわらないバーサというのも、かなり矛盾した存在か・笑)。
 それくらい、ミス・シルヴァーは物おじせず、ガシガシと積極的に行動する(まあミス・マープルも、それなり以上に動き回るけどね)。

 内容は、ミステリ部分と並行して、本心では別れたダンナと元鞘に収まりたくてたまらないのだが、女の意地で素直になれない本作のもうひとりのメインヒロイン、ステイシーのメロドラマ(ちょっとだけラブコメ風味)が進行。これがなかなか楽しくてグイグイ読ませるし、物語の舞台となるルイスの宝石コレクション(「ブレイディング・コレクション」)を納めてある施設「ウォーン・ハウス」の周辺に集まる登場人物たちもそれぞれキャラクターが明確に描き分けられている。評者の特にお気に入りは、後半のあるシーンでかなり<きっぷの良さ>を見せる某キャラだ。
 全体的に、話が進むに連れて、色んな意味で、それぞれの<もう一つの顔>を見せてくる登場人物が多く、そういう意味でも退屈しない。お話の転がし方は、なるほどクリスティーに似ているが、本作だけで言えば、部分的には引けは取らないだろう。
 
 ミステリの謎解きはやや早めで、明かされる真相は某・英国の大家の某作品を思わせた。あと、先のレビューでnukkamさんがおっしゃっている西村京太郎作品というのは……ああ、アレですね。自分も素で読んで連想しました(笑)。
 終盤のミス・シルヴァーと真犯人の対峙の場面、さらに続くエピローグの余韻と合わせて、個人的には結構楽しめた。
 自分はこういう傾向のカウントリー・ハウスものの良く出来た(ミステリとして、また群像劇のお話として)作品に惹かれる(他の作家で言うならエリザベス・デイリィとか)。

 このウェントワースのミス・シルヴァーものはどんどん訳してほしいけど、試みに読後、Twitterで本作のタイトルを検索すると、版元の論創さんのスタッフの「あまりにも売れなかった」という主旨の、嘆きの声が聞こえてきた(……)。
 一方で、そのTwitterの場では、数人ほど本作を読んだミステリファンが話題にしてるんだけど、評判は総じていいみたいなんだよね。
 という訳でどなたか、原書を読める目利きの人が面白い作品をセレクトして、流行りの同人出版で翻訳してくれないだろうか? 滅多に出るもんじゃないだろうし、そんなに高くなければ、一冊すぐに注文します。

 最後に、本作の名探偵ミス・シルヴァーといえば、あのマリオン・マナリングの名探偵(の偽キャラ)オールスターもののお祭りパロディミステリ『殺人混成曲』にも参加し、しかしその中で日本では一番マイナーなことで、一部のファンにも有名(?)。
 で、評者もまだ『殺人混成曲』は未読なのだが、本サイトでの同作『殺人混成曲』に寄せられたminiさんのレビューは本っ当に、素晴らしい!
 パロディ、パスティーシュに接するのなら、まずはその原典を楽しまなければダメだと、先に本作(日本で唯一邦訳のあるミス・シルヴァーものの長編)を読むまで『殺人~』を紐解かなかったという。
 こーゆー「ヲタクの心意気」こそ、ホンキでモノを愉しむ趣味人の本懐だよね。評者も遅ればせながら、見習わせていただきました。
(本サイトに来て「このサイトに参加してよかった!」と本気で初めて思ったのは、実はこのminiさんの『殺人混成曲』評を読んだ瞬間だったのだ。それくらい共感している。)
 というわけで、これでようやっと自分も、ミス・シルヴァー&ウェントワースデビュー。安心して心穏やかに『殺人混成曲』が手に取れるのであった(笑)。

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