紙の孔雀 別題『紙の孔雀殺人事件』 |
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作家 | 斎藤栄 |
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出版日 | 1982年11月 |
平均点 | 5.50点 |
書評数 | 2人 |
No.2 | 5点 | 人並由真 | |
(2022/05/27 05:43登録) (ネタバレなし……やや危険かも・汗) 学生運動が盛んな時代。その年の9月23日。派閥セクトのひとつ「全共闘革マル派」が、対立する派閥「社青同解放派」の本拠といえる横浜港南大学の学生寮を夜襲した。だが夜襲は中途半端な形に終わり、革マル派の女性闘士は攻撃を受けて失神中に処女を奪われた。一方、横浜の野球場では男の他殺死体が発見され、神奈川県警の捜査が進む。そんななか、捜査本部に参加する古参刑事、里見志郎は、とある疑念を抱くが。 瀬戸川猛資氏が1971年当時の「ミステリマガジン」誌上のリアルタイムのレビューで、怒りまくっていた作品。 その怒髪冠を衝く激怒ぶりの主旨は、こんな作品を認めたらミステリは成り立たない、というもので、真面目なミステリ読者である若き日の同氏の熱さがうかがえて微笑ましいものである。 が一方で、本サイトのkanamoriさんのレビューを拝見すると「アンフェアと言われかねない」とちゃんとこだわられながらも「意外な結末については楽しめました」とホメておられる。 この温度差に関しては、たぶんきっと(中略)トリックが浸透、送り手にも受け手にも共有された「新本格の台頭」という分水嶺があるからなんだろうなと、なんとなく本作の中身を予見しながら、読み始めてみる。 読んだのは、講談社の1971年の元版(「乱歩賞作家書き下ろしシリーズ」)。現状でAmazonにデータ無し。 でまあ、学生運動がらみのストーリーとミステリ味、警察の捜査活動の描写の方は、誌代色を味わう部分も含めてそれなりに面白かったのだけど、肝心のサプライズに至る大仕掛けの部分。 ……コレはダメでしょ。 途中で、最後にサプライズが来るならこの手しかないな、と予見しながら読み進めたけれど、一方でラストに「その驚き」を獲得するには不整合になってしまう描写がありすぎる。それなのに、この作品は平然とその辺の矛盾のアレコレに目をつぶってミステリをまとめてしまっている。つまりはそれこそ「アンフェア」。 佐野洋は「推理日記」一冊目にあたる部分の中のある回で、山村正夫の短編に読者から日本推理作家協会に「あの描写はアンフェアじゃないですか」と苦情がきた実話を例に引き(その短編は協会選定の年間アンソロジーに収録されたらしい)、叙述の客観性と主観性を検証。その結果、山村作品の瑕疵を公認しているのだが、斎藤栄もこの作品『紙の孔雀』をあと数年遅く書いていたら、もしかしたら、その「推理日記」の記事を参考に、もうちょっとオカシクないものを書いていたかも? と想像する(当時のプロ作家連中にも、かなり「推理日記」は読まれていたはずなので)。 驚かせればいいだろうという作者の勢いは買うけれど、ミステリって最低限、<それだけ>じゃダメだよね。個人的には瀬戸川レビューに、ほぼ大枠で賛成。 クリスティーのあの作品がなんで何十年経った現在でも読み継がれているのか、言うまでもないでしょう。トリックだけでもギミックだけでもないよね。 新本格前夜、その前のひと昔前前後の国産ミステリ史上に、その土壌としてこういう過渡期的な作品のひとつがあった、という意味では、読んでおいた方がいい一編だとは思います。 |
No.1 | 6点 | kanamori | |
(2010/05/12 22:29登録) 作者はストーリーそのものにトリックを仕掛ける「ストリック」を提唱したとされますが、さしずめ本書とか「紅の幻影」なんかがその実践作かもしれません。 学生運動闘争中に暴行を受けた女子大生が真相を追究する話と、その父親である刑事がある殺人事件を捜査する話が並行して描かれていますが、どうも焦点が定まらない感じを受けます。 終盤近くになって、殺人事件の容疑者が台風で交通が遮断された三宅島から如何にして脱出したのかというアリバイの謎が提示され、やっと本格ミステリの様相になったと思ったとたん、予想外の展開が待っていました。 父親の捜査状況の描写など微妙でアンフェアと言われかねないのと、時代性を感じる大学紛争の話が冗長に感じましたが、意外な結末については楽しめました。 |