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ミステリの祭典

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平均点:6.33点 書評数:2106件

プロフィール| 書評

No.1866 8点 暁の死線
ウィリアム・アイリッシュ
(2023/09/01 17:56登録)
(ネタバレなし~少なくとも事件の真実や犯人などに関しては)
 1939年のニューヨーク。都会に来て5年目。日々の生活で青春をすり減らす22歳の赤毛のダンサー「ブリッキー(煉瓦色の髪の毛からの綽名)」ことルース・コールマンは、ある夜、偶然かつ劇的に、同じアイオワ州はグレンフィールズの町出身の青年クィン・ウィリアムズに出会った。懐旧の念を交換する二人は故郷への思いが募るが、クィンにはある秘密があった。クィンの良心を信じ、相手の事情を知ったブリッキーは、すぐその夜のうちに彼のために尽力しようとするが、二人を待っていたのは思わぬ事態だった。

 1944年のアメリカ作品。
 こんなものもまだ読んでいませんでした、マイ・シリーズの第ウン弾目。

 もともと、はるか大昔の少年時代に、小学校の図書館かなんかでリライトジュブナイル版を手に取ったものの、主人公コンビが死体を見つける場面で、何らかの事情で中断。そのまま最後までは読まなかったような、そんな、うっすらとした記憶がある。


(以下、もうちょっと展開に関してネタバレ~未読の人でも、ほとんどみんな知っていることだとは思うが。)


 それでも結局、完訳版を読まずに心のどこかで敬遠していた理由は、ウワサに聞く(そして現物を今回読んで実際にそうだと再確認した)
「主人公たちがあえて自らの意志で、朝のバス発車時間までに事件を解決する」
 という<縛り>を設けたことに共感できるか否か、それへの不安が大きくあったからで。
 今でも冷静に? 考えるなら、最大級の逆境のなかで、わざわざ自分のたちの行動に敷居の高い制約を設ける思考そのものにリアリティがあるのか、と単純に問われたら、若干だけ迷いながらも、結論はノーだと思う。

 実際、評者は本作を原作にした山口百恵主演のテレビスペシャル『赤い死線』放映後に新聞かなんかに載った視聴者のテレビ評で「その夜のうちにアマチュア探偵の主人公たちが事件を解決するなど、話に無理がありすぎる!」という主旨のレビューを読んだ記憶もあり(実は『赤い死線』そのものはいまだ観ていないのだが)、話を聞く限り、その感想はまったくごもっともだと考えてもいた。

 そんなこんなもあって、実際にこのアイリッシュの『暁の死線』の現物(創元文庫の稲葉訳・29版)を前に、この数年あらためてアレコレ考えていたのは

「どうせ、アイリッシュの<あの>力強い筆力で、読んでいる間は、主人公たちの行動を説得されちゃうんだろうな。しかしもしかしたら、結局は最後に残るのは、スナオに作品を楽しめばいいものの、やはり最後にはその趣向に共感できなかった、頭の固い自分なのではないだろうか……」という怖さであった(汗)。

 というわけで、昨夜の真夜中、本当に刹那、心に生じた「とにもかくにもそろそろ読んでみるか……」という、実にか細いリビドーを必死に掴んで離さずページをめくり始め、そのまま朝の6時代に読み終えた(おお! 笑)本作『暁の死線』なのだが、結論から言うと主人公コンビの決意(覚悟)にも実働にも、そんなに違和感も摩擦感も生じなかった。
 
 これはもちろんひとえに、主人公たち、特にヒロインのブリッキーの内面をしっかり描き込み<来訪者に希望と挫折、その双方を与える大都会>への、彼女たちなりの強い愛憎の念、そしてそこから卒業したいという希求の念が真摯に語られていたからだ。

 <なにがなんでも朝6時のバスに乗る>という行為に、良くも悪くも人生の儀式的なものを感じ、本当に若干のうさん臭さを抱かないでもないのだが(なにしろ、夜中に人を叩き起こして回るかもしれない無理ゲーよりは、せめて数日~相応の時間をかけて、アマチュア探偵なりの調査をした方がいいんじゃないの? という、頭の冷えた観測がどうしても出て来る)、その辺は、あのキングの『デッド・ゾーン』における山場のジョン・スミスの葛藤「いつか?~明日だ!」までを想起し、そこで心を落着させることが叶った。

 いろいろめんどくさいが、以上は評者が本作に十年単位で抱いてきた感慨の軌跡であり、決着である。これくらい書かせていただこう。

 むしろ本作の問題の方は、主人公コンビの行動の覚悟のほどを了解し、共感がかなったとして、いくら大都会とはいえ、市民のほぼ大半が熟睡している深夜の時間帯に、関係者に次々と接触できるお話作りの、ある種の都合の良さであろう。
 たぶん先に紹介した『赤い死線』の視聴者も同様の感慨を覚えたのだろうと観測する。
 ……が、そんな一方で、主人公コンビと読者の前に続々とイベントを起こし、事件の関係者らしきキャラクターを投げ出し続けるアイリッシュの話術は、あまりにも見事であった。
 そういう事態の流れもあるのかなあ、作中のリアリティというか蓋然性として、この世界ではありえたんだろうなあ……と読み手のこちらを納得させてしまう。
(この作品で、こんなにホイホイ、深夜に関係者に接触できるのはオカシイ、と文句をつけるのは、いきなり見知らぬ招待者からインディアン島に来るよう連絡を受けた十人の十人が全員集まるのはおかしい! と糞リアリズムでケチをつけるような、フィクションを楽しむ立場のものにあるまじき愚考だと、確かに思う。)

 さらに、真相を追う上で結果、ダミーの空回りになるエピソードなども面白く、点を稼ぐ。そこらは短編的な挿話の積み重ねで長編を築くアイリッシュ(ウールリッチ)の作法が、実を結んでいる。
 同時にそんな<空振りの連鎖>という作中の現実は、好き好んで無理ゲーをやっている主人公コンビへのペナルティというニュアンスでもあり、物語全体に平衡感を授与。作品全体が改めて、そういう意味でも引き締まっていく。
 ようやく評者などもこの辺りで、本作が確かに名作だと理解、共感、納得できたのだった。

 最後、ブリッキーとクィン、どちらの追う相手の方が本命かのサスペンスも申し分ないが、結果、空振りに終わった方のキャラクターの役回りも実に味のあるもので、作者アイリッシュ、いつも残酷でひねくれもので意地悪なあなただけど、やっぱり人間が好きだったんですね、と万感の思いにひたる。
 
 長い間、読まずに放っておいた作品が、最終的にこちらの不安を払拭する秀作だったことを認めるのにもはややぶさかではないが、ブリッキーの言う「都会は千の目を持つ」という名セリフに対照されるように、本作品の陰のメインキャラクターとしてパラマウント塔の大時計の文字盤があることも忘れてはならない。
(千の「目」に対し、ひとつの「文字盤」、同じ円形のイメージのビジュアルだが、後者のみが唯一の都会でのブリッキーの友人だったという文芸も泣かせる。)

 未読の名作を読むのは楽しいな。当たりでもハズレでもそれは結果論だし、TPOの産物でもあるが、前者の方ならもちろん良い。
 
※創元文庫版の129ページに『Yの悲劇』の書名がいきなり出て来るのに驚いた。そーいや、大昔にクイーンファンダムに関わりあっていたころ、そんな話、どっかで聞いたような気もする。
 ちなみにこの箇所、ポケミスの砧訳では『Xの悲劇』になってるそうで?
(伸一兄さんがQちゃんと正ちゃんの前に、発売されたぞ、と持ってきたのは「少年サンデー」か「COM」か?)
 原書ではどうなってるんだろう。どなたか調べてください(笑)。

【2023年9月2日追記】
 本日の掲示板での弾十六さんからの御教示で、原書(電子書籍 Wildside Press 2020 版)では「X」だった旨の情報を戴きました。弾さん、ありがとうございました。


No.1865 7点 秘密パーティ
佐野洋
(2023/08/30 22:05登録)
(ネタバレなし)
 昭和30年代の東京。バー「ソルボンヌ」の女給・夕子とその仲間3人の女性は、ママの小町芙美子に頼まれて、料亭「弥生」で夜半に開催される秘密の宴に参加する。そこには名前も素性も明かさない中年男5人と、別の女性たちが集っており、いかがわしい雰囲気が蔓延だ。だがその中のひとりがいきなり吐血して倒れ、中年男のなかのひとり、瀬川医師は、毒を呑むか呑まされるかで死んだ、と一同に告げた。その場に緊張が走り、一同、特に社会的な地位のあるらしい中年男たちは、瀬川に強引に、その死を自然死と診断するように願うが……。

 ヤフオクでまとめ買いした国産ミステリの文庫本の中古セット(ある一冊が欲しかった~相対的に相当、安く買えた)の中に入っていた、集英社文庫版で読了。

 初期の作者の代表作のひとつ、くらいの認識はあったので、どんなかな、と思いながら読んでみる。

 ……なるほど、nukkamさんのおっしゃる種類の不満は、まったくもって同感で苦笑。

 でもその一方で最後まで読んで「ああああ……こういう種類の作品だったのか!」という方向のサプライズは満喫できた。
 もちろんあんまり書けないけれど、これが原体験のひとつになったらしい斎藤警部さんのミステリライフは、ちょっとうらやましいほどで(笑)。
 佐野洋が旧クライムクラブを好きだったとかいう話は、なるほどよくわかる。

 中盤、ちょ~っとだけ、かったるかたったし、後半の切り返しが良くも悪くも唐突すぎる(キーパーソンをもっと早く前面に……とも考えたが、まあそれだと、いろいろ読み手に勘付かれてしまってよくないんだろうな・汗)などの弱点もないではないが、この真相のインパクトは確かに絶大であった。
 まあ現実世界だったら、nukkamさんのご指摘のように「そんなの最後までうまくいかないでしょ」でしょうけどね(笑)。

 佳作の上~秀作。


No.1864 8点 ガラスの橋 ロバート・アーサー自選傑作集
ロバート・アーサー
(2023/08/30 05:08登録)
(ネタバレなし)
 いまどき、こんな一冊が出るなんて! 扶桑社の発掘路線、ステキー! 小林さん、エライ!! というところで、各編の寸評。

①マニング氏の金の木
……良い意味で、フツーの「ヒッチコック劇場」の一編という感じ。

②極悪と老嬢
……これも「ヒッチコック劇場」っぽいが、こっちは「ちょっと変わった話だった、面白いけど」と視聴後に、視聴者から言われそうな内容。

③真夜中の訪問者
……実質、ショートショートというか……。オチに気を使い過ぎて、最後は、ああ、そう、という感慨を抱いて終わる。

④天からの一撃
……お子様向けの推理クイズだな。こんなのムリでしょ!? そう思って読むなら、それはそれで楽しいか。

⑤ガラスの橋
……久々に再読したが、やはり名作。犯行時のとんでもないビジュアルイメージが、(中略)ながら、どこか美しい。

⑥住所変更
……著名な、海外短編ミステリアンソロジーの、あの話を思い出した。これも「ヒッチコック劇場」系。

⑦消えた乗客
……主人公3人のキャラは良いが、不可能犯罪の短編ミステリとしては、いささかこなれの悪い出来。

⑧非情な男
……これも長めのショートショートというか、アメリカのミステリ落語かも。

⑨一つの足跡の冒険
……多重的かつ多様な仕掛けで、なかなか面白かった。真犯人の犯行時のイメージは、想像するとかなり凄まじいものがある。

⑩三匹の盲(めしい)ネズミの謎
……唯一のジュブナイル編だそうだが、サービス精神は最後まで旺盛で結構、楽しめる。レア切手マニアの富豪とのやりとりが楽しい。

 実質7点。ただし翻訳紹介企画の素晴らしさに感動して1点オマケ。次はC・B・ギルフォード辺りの短編集とか出ないかな。


No.1863 6点 空軍輸送部隊の殺人
N・R・ドーズ
(2023/08/28 15:57登録)
(ネタバレなし)
 ナチスの侵攻が、欧州各地に広がりつつある1940年。そんななか、英国ケント州の農村スコットニーの空軍基地に、民間人の女性パイロットだけの後方支援部隊「補助航空部隊」が創設された。ロンドンで犯罪心理学者として博士号を得たエリザベス(リジー)・ヘイズも三等航空士としてその仲間となるが、基地に赴任した彼女を待っていたのは訓練教習所からの仲間のひとりが、正式な顔あわせの前に何者かに惨殺されたという知らせだった。ドイツ軍の空襲時の混乱の隙をつき、切り裂きジャックのような凶行を行なう謎の殺人鬼。リジーは自分の犯罪学の見識を犯人逮捕に役立てようと、スコットランドヤードからケント州警察に出向している中年刑事ジョナサン・ケンバー警部補に協力を申し出るが。

 2021年の英国作品。
 1959年生まれの作者の処女長編で、当人は30年間の公務員生活を終えたのち、2019年から新人賞に応募して入賞、本格的な作家活動に入ったそうである。

 第二次大戦序盤の英国の田舎の世相、女性の立場が弱かった時代色、軍隊周辺の群像劇……などなどの要素をしっかり組み合わせて小説を築きながら、お話は文庫本で560ページほどの大冊。
 いやとにもかくにも一晩で読めたのだからそれなり以上には面白いし、リーダビリティも高いが、かたや何はともあれ長い。
 
 犯人の隠し方は良かったと思う所がソコソコ、これはよくないだろ、だって……と感じる箇所がそれなりに。
 冷静に見て、探偵役たちの捜査や疑念への踏み込みが、悪い意味で、作者の都合で緩和されているのでは? と思ったりした。あんまり詳しく書くと、犯人の正体を暗示しちゃいそうなので、その辺への文句はホドホドにしておくが。
(ただまあ、真犯人が判明すると、それまでいわくありげだった(それなりの存在感のあった)登場人物の数々が、いっきょに色褪せちゃう、あのパターンの作品ではある。)

 ちなみに評者は「こういう小説の作り方なら、サプライズを呼ぶ王道の流れゆえ、このヒトが犯人だな」と勘ぐって、今回はまんまと外れた。悔しい(笑)が、一方で作者の方が、先の不満も踏まえて、悪い意味で定石を外した部分も見やり、ちょっとフーダニットのミステリとしては不満でもある。

 さすがに売りの要素の大設定「戦時下の女性パイロット部隊の周辺での殺人&謎解きミステリ」という趣向そのものは、なかなか面白いとは思うし、実際に本国でも好評だったようだが、あっという間にシリーズ化されてすでに続編がさらに2冊も刊行されているというのには軽く驚いた。

 数十年後の現実で本格的な捜査科学の一分野となるプロファイリング思考をすでに先取りしていたという設定のアマチュア女性探偵レジーと、妻を寝取られた、双子の子供(もう18歳)もいる中年刑事ケンバーとの関係は、お約束の年の差ロマンスに発展。
 戦時下、大戦の戦禍がさらに拡大していくこの数年のなか、主人公コンビを次はどのような事件が待つのか、チョット気にならなくもない。
 続編の翻訳はすぐに出そうだし、また読むかもしれない。


No.1862 6点 まるで名探偵のような 雑居ビルの事件ノート
久青玩具堂
(2023/08/27 08:12登録)
(ネタバレなし)
「俺」こと男子高校生の小南通(こみなみ とおる)はある日、雨宿りのため、雑居ビルの喫茶店「るそう園」に足を踏み入れた。そこで通は、ひとりの男性客が語る奇妙な謎に心を惹かれ、不躾とは思いながら一つの解釈を提示。当の客たちの心を動かす。だがその場には、もう一人の「名探偵」がいた。

 一部で話題のラノベ・ミステリ「探偵くんと鋭い山田さん 俺を挟んで両隣の双子姉妹が勝手に推理してくる」シリーズの作者・玩具堂が、もう一つの在来のペンネーム「久青玩具堂」で著した新作の連作短編ミステリシリーズ。
 全5本が収録されるが、最初の一本のみが「紙魚の手帖」に掲載。続く4編はみな、書き下ろしである。

 中味は、青春ミステリの大枠で、実質は日常の謎もの、しかし不可能犯罪の密室殺人にも針が振れるという、なかなかバラエティ感に富んだ内容。
 その辺はたぶん、作者が読者を飽きさせないようにサービスしているのと同時に、本人があれこれやりたいことをやっている感じで読んでいて心地よかった。
(実際、全5編、中味の多様さを楽しみながら、あっという間に読み終わっていた。)
 個人的には、その魅力的な「連続密室殺人の謎」を提供した第三話がベスト。(真相はいささか(中略)だが、まあそれはそれで、この作品の場合はアリ……か?・笑)
 それと2話のロジックというか着想は、うん、そーだよね、と、かなり共感できるという意味合いで、おもしろかった。
 ちなみに事件はみな、雑居ビルの周辺の人物から持ち込まれる形式になっている。

 あと、連作短編ミステリとしては、各話の幕引きにちょっとした仕上げの工夫がしてあり、そこら辺は人によってはなんということもないものかもしれないけれど、自分などは悪くはない作りだと思う。 

 シリーズというか、この主人公たちの物語は、まだ本当に始まったばかり、という感じで(何しろ、二人の主人公の片方の文芸設定ばかりに筆致が費やされ、もう一方に関してはほとんど掘り下げられずに終わった。まさかこれで終わりってことはないよね?)、その意味でもなかなかヒキの強い一冊。
 適度に早く続きを書いてください、ということで。


No.1861 7点 空襲の樹
三咲光郎
(2023/08/26 07:31登録)
(ネタバレなし)
 昭和二十年八月十五日。「ワニガメ」の異名を持つ淀橋署のベテラン刑事・渡良瀬政義は、玉音放送で日本の敗北と戦争の終焉を知る。それから二週間、GHQによる警察組織改組の噂で緊張が続くなか、淀橋署の管轄の一角で、一人の身元不明の外国人が射殺された。マッカーサー元帥の正式来日が近づくなか、GHQのMPは淀橋署に圧力をかけ、さまざまな制約を課す一方で事件の早期解決を迫る。署長・上尾の指示を受けた政義は、横浜の回天特攻部隊から復員したばかりの若手刑事・須藤秀夫を相棒に、不透明な事件を追うが、彼らの前にはいくつもの壁が立ちはだかっていた。

 「第一回論創ミステリ大賞」受賞作。

 先に評者がレビューした小早川真彦『真相崩壊』と最終候補を競って勝った長編で、特異な時代ロケーションを大設定とした警察小説。

 評者はこの作者の著作は初めて読むが、すでに旧世紀から小説を著しているベテランのようで(1959年生まれ)、第二次大戦前夜や終戦直後の時代設定の長編も何冊か書いているようである。

 そんな作者の長編(くだんの大戦前後もの)に関して、Amazonのレビューのひとつで「当時の時代の情報はしっかり書かれている一方、登場人物の性格や思考がまったく21世紀の現代のもの」という主旨のものが、たまたま、目についた。
 で、正直、評者が本作『空襲の樹』を読んで抱いた感慨が、実にソレに近い。
 そしてそのこと自体は決して悪いことばかりではない(たしかに劇中人物の思惟や言動は、そういう感触の分、とても呑み込みやすくはある)のだが、たしかに何か、妙な味わいはあった。
(あまりに感度の高いフィルムで、薄暗い焼け跡の街並みを撮影しすぎて生じた、現実感を欠く違和感……とかに、近いのかも。)

 ミステリとしてはかなり入り組んだ事件の構造で、この作品も登場人物のメモを作りながら読んだ方がいい。読みやすい文章・文体で、登場人物の総数も名前があるだけで30人ちょっとと決して多くはないのだが、もしかしたら、情報の多さで後半は読み手がオーバーフローしかねない(汗)。
 とはいえ、真相の大きなものの一つは、伏線が丁寧すぎて早々に大分かりしてしまうし、さらにそんな一方で、キャラクターの配置がいささか図式的に過ぎるのでは? という面もなきにしもあらず。

 ただし、不満はあれこれ覚えるものの、結構、泣かせ込みの小説としては読ませる面白さもあった。登場人物が一部パターンと苦言を吐いた一方、実は意外に面白い運用をされているサブキャラクターもいたりする。
 
 まとめるなら、得点と減点が相応に相殺しあって、いくぶんだけ好印象の方が勝ち残るそんな昭和時代ものの警察小説の変種。少なくとも十分に佳作ではある。
 出版社の方で大騒ぎするほどのこともないとも思うけれど、クロージングの情感も良い。
 評点は0.5点くらいオマケ。

 たぶんもう渡良瀬政義に出会うことはないだろうけど、可能ならあと一冊二冊くらい、この時代設定に続く事件簿を読ませてもらいたい、と思ったりもする。

 最後に、誤植が多いのだけは問答無用に減点。
 その辺は、いかにも悪い時の論創の刊行ミステリである。


No.1860 9点 大氷原の嵐
ハモンド・イネス
(2023/08/25 20:26登録)
(ネタバレなし)
「私」ことダンカン・クレイグは、第二次大戦中に英国海軍の軽巡洋艦の艦長だったが、戦後は失職。仕事の伝手を求めて、知人のいるケープタウンを訪れた。だが当てにしていた仕事は空振りで意気消沈していたところ、現地までの飛行機で面識があった南極捕鯨船団会社の代表ブランド大佐に声を掛けられる。ブランドの用向きは、クジラを解体する大型工船と5隻の捕鯨船(キャッチャーボート)で船団を組み、南極で四カ月の捕鯨を行なうが、計画の間際になって捕鯨船の船長のひとりが負傷。代行を頼みたいというものだった。一方、南極では先行した捕鯨船団の一員で、工船支配人のバーント・ノーダルが変死。ブランド大佐は、その詳しい事情を確認するためにも出航を急いでいた。さらに航海には、ノーダルの娘で、ブランドの息子エリックの妻ジェシカも参加するらしい。クレイグは申し出に応じ、捕鯨の専門知識もないまま捕鯨船団の船長たちの末席につく。だが南極でそのクレイグと仲間たちを待っていたのは、タイタニック以来の史上最大級の海難となる未曽有の惨事であった。

 1949年の英国作品。イネスの第13番目の長編。
 1972年の元版のハヤカワ・ノヴェルズ版(現状でAmazonにデータ登録なし)で読了。
 
 冒頭プロローグの客観的かつ冷徹な、三人称視点のニュース描写が南極の極海で起きた前代未聞の海難事故の概要を描写。

 続く本筋の第一章から叙述は主人公ダンカン・クレイグの一人称視点に切り替わり、彼が巻き込まれた(ある意味で)極海での窮地とそこからの脱出行を語る。

 キーパーソンとなる人物が、ブランド大佐の息子で、本作のヒロイン・ジェシカの今は心の離れた夫であるエリックの存在。大自然の脅威に主人公クレイグとその仲間たちが晒されるなか、彼が、さらなる負のファクターとしての役回りを務める。
(ブランド父子の距離感は、ちょっと、のちのフランシスの諸作とかに出て来る、多様な親子関係の文芸性を想起させたりもする。)

 ジェシカの実父で先行した船団の中心的な人物であったノーダル、その死の真相の謎。それがそれなりのミステリ成分を提供するが、もちろん物語の主軸はそちらにはない。
 絶対危機の海難(遭難)劇のなか、あるものは斃れ、あるものは生き抜く、その群像劇と極海の脅威を活写した自然派の堂々たる重厚な冒険小説である。

 これまでこの手の酷寒もの冒険小説の最高傑作は、マクリーンの『北極戦線』とオットー・マイスナーの『アラスカ戦線』が不動のツートップだと確信していたが、これは僅差でそれらを上回る内容。
 
 移動する氷山、氷原の突然の亀裂などの臨場感、サバイバルのための知恵や工夫、移動の際にいかに体力を温存するかのリアリティ……中盤以降の絶対クライシスの状況のなかで想定される多くのことが、容赦のない、執拗なまでのデティルの積み重ねで語られる。(細かい事は言わないし言えないが、読んでいて、とことんまでに体力を奪われる……。)
 書き手はどこまで底なしに胆力がある作家だったんだという感じで、改めてハモンド・イネスという巨匠のスゴさを実感した。
 まあイネスは自作の執筆の前に、次作の舞台となる場のロケーションをみっちり仔細に、自分の足で赴いて取材し、リアリティを築くのだから、本作の場合も最初に取材や調査で得たものが大きく多く、それが作品の出来に反映されたことになる。

 間違いなく、現状まで読んだマイ・イネスのオールタイムベスト3に入る出来。『メリー・ディア』のクライマックスや『キャンベル渓谷』のしみじみしたクロージングにも惹かれるが、本作の余韻もなんともいえない。

 ネットで知ったが、アラン・ラッド主演で映画化されてるのだな、これ。そのうち、機会を見つけて観てみたいと思う。


No.1859 7点 ミレイの囚人
土屋隆夫
(2023/08/24 08:12登録)
(ネタバレなし)
 1998年のある夜。32歳の気鋭のミステリ作家・江葉章二(本名・葉月~)は、かつて大学生時代に家庭教師として縁があった元教え子で、今は二十代半ばに成長した娘、白河ミレイに再会した。ミレイに誘われるままに久々に、神泉町の白河家を訪れた江葉を待っていたものは……。江葉が不測の事態を迎えたのち、港区でひとりの人物が死亡。その当人は、末期に奇妙な物言いを遺した。

 光文社文庫版で読了。
 一年くらい前に、ブックオフの100円棚で見つけて「土屋隆夫の晩年の作品か……。この時期のはあまり読んでないなあ。ひとつ読んでみるか……」くらいの興味で購入した一冊だが、なかなか面白かった。

 犯人は話の構造から先読みできなくもないが、仕掛けの手数は多く、う~むと後半~終盤まで唸らされた。

 メイントリックはバカミスか? とも思ったものの、作者の真面目な筆致で軽佻浮薄にハヤしにくい雰囲気になった。ある意味で書き手の力量に読み手のこっちがマウントを取られた気分である。

 モブの登場人物にムダに名前を与えない、サスペンス度の高いお話や謎解きミステリ部分にとって無意味な、キャラクターの外見描写なども控える、という大人の小説の作り方はとても好ましい。
 しかも本作は、作者が自覚的にそういう小説の作りにしている方向性まで、軽いメタ的な手際も交えて芸にしてあり、さらに……(以下略)。

 改めてこの作者は、老境になっても十分に楽しめる力作を書いていた大家であった。日本の、晩年のクリスティーのようだ。
 評点は8点に近い、この点数で。


No.1858 5点 技師は数字を愛しすぎた
ボアロー&ナルスジャック
(2023/08/22 18:18登録)
(ネタバレなし)
 パリにある原子力関連施設。そこで技師長ジョルジュ・ソルビエの射殺死体が見つかり、同時に重量20㎏ほどの特殊な新装置で制御された核物質のチューブが持ち出されていた。核物質の扱いを誤れば、パリの大半が壊滅する大惨事となる。しかも殺人現場は密室と言える状況であり、ソルビエの同僚の科学技師ロジェ・ベリアールの戦友のパリ司法警察の警部マルイユが事件を担当するが、やがて証拠らしき物件から容疑者とおぼしき、とある人物の名が浮かび上がる。

 1958年のフランス作品。
 謎の設定だけ聞くと、不可能謎解きパズラーの興味を軸に、核パニックの恐怖を踏まえたスリラー要素で味付け……という感じ。まあ実際に読むとムニャムニャ。

 事件の真相(広義の密室の解法)に関しては、評者でも想像の範疇。
 作中のプロの捜査陣のただの一人も<そういう可能性>について発想しなかった、ということになるが、すごくリアリティがない。
(いや、流れから言えば、その手のポイントについての言及が出てきて、それが何らかの経緯や事由で打ち消されるまでがセットだと思っていたのに、出てこないから悪い予感をおぼえていたら、まんまと当たった。)

 核物質の脅威から半狂乱になるパリ警察のヤンエグ本部長(無理もないが……)に尻を叩かれながら捜査に務めるマルイユ警部の奮闘ぶりは、けっこういい味を出していた。レギュラー探偵を作らない作者コンビだけど、例外的にこの探偵役は、今後の続投があっても良かったと思う。

 そこそこ楽しめたが、長年のツンドク本への溜まった期待にはとても応えてくれなかった一冊ということで、この評点。


No.1857 6点 黄金海峡
邦光史郎
(2023/08/21 22:24登録)
(ネタバレなし)
 昭和40年代の前半。大阪にある零細の海事会社「堀川サルベージ」の28歳の海事係長・笠原竜治は、謎の美女・三村しのぶから、自社(堀川~)が管理しているはずの、大戦中の沈没船「金星丸」の引き揚げ権が現在、正確にどこにあるのかの確認を請われる。笠原が調査すると、同船の引き揚げ権は、以前の会社の社員だった一柳謙作が私人として会社から購入。現在の管理権は、一柳のもとに譲渡されていると判明する。だが笠原がこの件を調べた直後、その一柳が事故死した旨の新聞記事が掲載された。自分の調査の結果と、一柳の急死に何か関係があるのでは? と考えた笠原は、一柳の娘・真澄に会いに行くが。

 邦光作品は、少年時代に『幻の広島原人』(昭和の伝説怪獣ヒバゴンを主題にしたB級作品)を読んで以来、数十年ぶりに手に取った(実は、本自体は、古書でそれなりに購入してはある……はずだ)

 本書は文章が実に平明。
 赤川次郎の諸作を不器用にまじめ書いたような文体で、よくも悪くも昭和のB級海洋スリラーといった趣で、流れるようにストーリーが進む。
 
 事件の主題は戦時中の隠し財宝を秘めた沈没船の争奪戦に、主人公の若き男女とその仲間たちが関わっていく、昭和30~40年代の国産B級活劇映画を観るような感触の内容だが、中盤からの舞台となる沖縄の旅情ロケーションにもかなりの紙幅が費やされる。
 というわけでジャンルはトラベル・ミステリに選んだ。冒険/スリラーカテゴリーでもいいが。

 元版は67年の桃源社(ポピュラー・ブックス)なので、当時、数年単位で秒読みであった小笠原諸島や沖縄の返還を視野に入れた企画かもしれない。
 最後は残りページ数が少なくなるなか、広がった風呂敷をどう畳むのかと気にしていたら、意外にうまいことまとめた。
 
 時代の昭和風俗もふくめて、それなりに楽しめた。
 たまにはこんなのもいい。佳作。


No.1856 8点 琥珀色の死
ジョン・D・マクドナルド
(2023/08/21 03:13登録)
(ネタバレなし)
 その年の6月の暑い夜。「わたし」こと事件屋稼業のトラヴィス・マッギーは親友マイヤーと埠頭で夜釣りを楽しんでいた。すると頭上の橋に車が停車し、足にコンクリートの塊を括りつけたまだ若い女を海に投げ込んでいった。マッギーは彼女を救い、自宅でもあるハウスボート〈バステッド・フラッシュ〉号に連れ帰って介抱した。ここからマッギーはまたも新たな事件に関わり合うことになる。

 1966年のアメリカ作品。マッギーシリーズの第7長編。
 順不同にバラバラにつまみ食いしながら、これで早期にポケミスで刊行された7作品は、ここ数年のうちに全部読んだことになるのかな? なんだかんだ言って、面白いもんね、このシリーズ。

 冒頭のメインゲストヒロインとの出会いはいささかショッキングな画面(えづら)だが、大筋としてはスピレインのマイク・ハマー初期作『俺の拳銃は素早い』の系譜だし、つまりはマーロウの『長いお別れ』でもある。これ以上はあれこれ語るのはヤボだ。

 ストーリーは結構、シンプルだが、ワル相手にマッギーがこういう戦法をとるのかとちょっと驚かされた。
 50~80年代の時代を超えたハードボイルド私立探偵小説の主題がかなりコンデンスに詰め込まれ、そういう意味でのフック度はシリーズのなかでもかなり高い。

 いろいろと言いたいことはあるが、ネタバレになりそうなので、ここでは黙っておこう。いつか本作をちゃんと読んだ人だけを相手にたっぷりモノを語りたい。
 なんかそのときは、いいよね~ マッギー、いいよね~! の、賛辞合戦になってしまいそうだが(笑・汗)。

 とにかく今回は、アウトローに片足突っ込んだ正義のヒーローという主人公の立場がかなり物語のなかで活きている。終盤の展開は二重の意味で、こうじゃなきゃウソだ、と思わされた。そこが本作の価値。

 あと、作者も自信を込めたほどが読んでいてうかがえるが、サブヒロインたち(ダンサーのメリメイ・レーンとか、黒人の未亡人学士ノリーン・ウォーカーとか)の造形がすんごくいい。後者に向けるマッギーの冷めてしかし温かい視線もよろしい。
 秀作。


No.1855 8点 瀬戸内殺人海流
西村寿行
(2023/08/19 16:54登録)
(ネタバレなし)
 1973年頃の東京。「山陸新聞」東京支社の営業課長で35歳の狩野草介は、愛妻・千弘の突然の失踪を認めた。妻の妹で、実家で花嫁修業中の沙絵からも手掛かりを得られない狩野は、独自に調査を続ける。一方、新宿の連れ込みホテルでは、一人の身元不明の男が死亡。当初は事故死に思えた事案だが、本庁捜査一課の定年間際のベテラン刑事・遠野英二はいくつかの不審な点を指摘。他殺の可能性を視野に、事件を追った。そしてやがて二つの事象は、思いも寄らぬ形で結びついてゆく。

 元版は、1973年2月にサンケイ・ノベルズの書き下ろしの一冊として刊行された長編(現状で当該の書誌データは、Amazonには登録なし)。

 これ以前にもすでに、動物ものなどを題材にした短編小説を雑誌に発表していた作者の処女長編であり、大作家・西村寿行のそのあとに続く長大な軌跡は、ここから本格的にスタートすることとなった。

 妻の行方を追う狩野(のちに義妹の沙絵も合流)、変死事件を捜査する遠野の二人の主人公の行動を軸に、さらに建設業界の汚職事件を探る警視庁二課の柳刑事などの視点も交えて物語は進行。
 基盤となるミステリ面での作品の骨格は、清張風の社会派ミステリっぽいが、やがて両主人公の流れが束ねられ、そして少しずつかなり強烈な個性のキーパーソンが物語のなかに浮かび上がってくる。

 実は73年当時のミステリマガジンの新刊月評で、かの瀬戸川猛資が本作に注目かつ激賞(同レビューは2021年に限定刊行された「二人がかりで死体をどうぞ 瀬戸川・松坂ミステリ時評集」に収録。評者は本作『瀬戸内殺人海流』の読了後に、同書籍で当該のレビューを読み返した)。
 瀬戸川はそこで『男の首』や『赤毛のレドメイン家』に匹敵する強烈な犯人像や、さらに主人公たちとその巨敵との対立の構図を暗喩した熊鷹と成犬との戦いなどの主題について語っているが、実際にその辺が作品の個性なのは間違いない。

 評者自身は大昔の少年時代に読んだくだんの瀬戸川レビューを具体的には半ば失念していたため、のちに死ぬほど強烈な諸作を輩出する寿行とはいえ、処女作はまだ作風が固まってないだろうと何となく勝手に予見していたが、とんでもない! 
 社会派ミステリらしい器こそ、のちに忘れ去られる初期寿行の方向性だが、作品の中味(特に中盤以降)は、正に栴檀は双葉より芳し、というか、寿行はこの長編第一弾からすでに150%寿行であった!!
(ちなみに作者らしいヘンタイ趣味も、すでに本作から横溢(汗)。直載な描写はあまりないものの、作中の男女の心を侵食する闇として、かなり濃厚な文芸設定が導入されている。)

 なお瀬戸川はまた、実は本作の真価は、推理小説の皮をかぶったハモンド・イネス流の自然派冒険小説(の国産作品)という指摘もしており、大枠では実に慧眼だと思う。実際、死体の漂着の経緯などを探るなかで語られる海流の壮大な描写など圧巻で、この辺は『屍海峡』『安楽死』などの本作の直後の初期長編でさらに煮詰められていく作者の持ち味である。
(とはいえイネスファンの評者などからすると、ずばりイネス風……と言われると若干の違和感を覚えないでもない。欧州のロケーションを日本の周辺に置換し、アダプトしたから、その分、おのずと味わいが変わってしまった、という意味合いでは、確かに通じる気もするのだが。)
 
 ラストの狩野と沙絵、そして遠野の描写など、寿行のくすぐったい部分が出ていて心地よい。なんというか、やっぱこの人は(中略)だったんだよなあ、と思い知る。

 いま現在、読んでも十分に歯応えのある作品(ミステリ的には、終盤で明らかになる真犯人の設定と、殺しに至る動機の経緯が鮮烈に印象に残る)だが、当時の瀬戸川レビューにつられてこの本書・実作をリアルタイムで読み、なんかすごい作家が同時代に出てきた! とわめいておいても良かったかもしれん。
 まあレンデルのウェクスフォード警部の名文句じゃないが、人生はすべてを手に入れられる訳じゃないってことで(そっと苦笑)。

※余談ながら、角川文庫版の260頁に、ラヴクラフトのダゴンの話題が出て来る。いいなあ、西村寿行とクトゥルフ神話、最高のマッチングだ(笑)。


No.1854 7点 アンデッドガール・マーダーファルス4
青崎有吾
(2023/08/18 07:47登録)
(ネタバレなし)
 テレビアニメ放映に合わせて刊行された、主要キャラクターたちのイヤー・ワン(あるいはエピソード・ゼロ)ものの中編集。
 
1:第1巻直前の、怪異がらみの事件
  (この話で探偵開業)
2:鴉夜の<誕生>編
3:津軽の<誕生>編
4:静句の素性編(そして……)
5:少女記者アニーと主人公トリオの出会い編

の5つの挿話が語られる。

 アニメで初めて本シリーズに出会う人も多いだろうし、そういう人にも、すでになじみのファンにも、このタイミングで本を手に取らせるには、うまい趣向の新刊というべきであろう。
(ちなみに全5本のうち、3と4のみが書き下ろし。あとはすでに雑誌に掲載。)

 純粋なパズラーは5のみだが、広がる世界観の興味、虚実の有名キャラクターの客演(いよいよ<中略>も劇中に登場)などの趣向で全編が面白かった。

 特に良かったのは、ぶっとんだ真実が明かされる2だろう。
(ちなみにAmazonのレビューは、現状で思い切りネタバレの嵐なので、絶対に見ないように。)

 5巻の予告も巻末に掲載。そう間を開けず、続きが読めると期待。

 しかしネタバレでもなんでもなく、ただの評者の妄想と思い付きでいうけれど、鴉夜って21世紀のこの現在の時代にも、ひそかにどっかにいるんだろね? 
 そのうち、作者のほかのシリーズ探偵の作品世界などに、しれっと客演してきそうである。


No.1853 7点 アリアドネの声
井上真偽
(2023/08/18 04:49登録)
(ネタバレなし)
 少年時代に兄を事故で失った「俺」こと高木春生(ハルオ)は、癒えない心の傷に向かい合うように、災害救助用ドローンの開発の技術者となっていた。そんなとき、障害者の支援を重視して設計整備されたモデル都市「WANOKUNI」周辺で大規模な地震が発生。地下層5階の地底空間が閉ざされるが、そこにただひとり残されたのは、視覚・聴覚・発声の三重障害者で、令和のヘレン・ケラーと称される女性、中川博美だった。ハルオと同僚たち、そして消防士たちは人間が侵入不可の地下階層に救助用ドローンを送り込み、音も光も知覚不能な博美の救助を試みるが。

 よくできたヒューマンドラマ・サスペンス。
 真面目で泣ける話でそれ自体はとてもお好みだし、波状攻撃風のクライシスの続出も文句はない。
 ただし先のお二方のレビューの通り、大枠のストーリーがほぼ一本道なので、高い点をつけにくい(終盤に至るまで、中小のどんでん返しやサプライズは用意されているのだが)。

 良い意味で二時間ちょっとで通読できる秀作。
 心情的には、8点をあげたいと思いながら、それではなんかどこか自分にウソをついてしまうと思って、この評点。
 一定以上の面白さは保証します。


No.1852 6点 吸血鬼の仮面
ポール・アルテ
(2023/08/17 06:04登録)
(ネタバレなし)
 20世紀初頭の英国。ブラム・ストーカーの新著『吸血鬼ドラキュラ』が数年前にベストセラーになった時代。片田舎にあるクレヴァレイの村では魔性の者と思しき怪しい人物が跋扈し、そして一年半前に死んだ若妻の死体が、なぜか死後ひと月ふた月という鮮度を保っている怪異が生じていた。一方その頃、ロンドンでは、アマチュア名探偵オーウェン・バーンズが、またしても奇妙な殺人事件に関与していた。

 2014年のフランス作品。バーンズシリーズの長編第6弾。

 サービス精神の高さでは『混沌の王』を上回り、終盤のどんでん返しにも伏線の回収にもちょっと唸らされた。
 しかし一方で筋立ての強引さ(この流れで、二つの事件が結び付くのに違和感)や、反則スレスレのニッチな技の大盤ぶるまいに、引くわー引くわー。
 まあその分、良くも悪くも、作りものの謎解きミステリらしい楽しさも感じさせる。
 日本の作品でいうなら、筆が乗った時の旧世紀の頃の、辻真先の長編みたいだ。
 
 ヒロインの扱いは、え!? と軽く、いやかなり驚いた。
(これくらいまではギリギリ言っていいだろう。)

 出来がいいとは言えないんだけど、アルテやっぱり面白い。


No.1851 6点 消えた看護婦
E・S・ガードナー
(2023/08/15 19:57登録)
(ネタバレなし)
 メイスンの今回の依頼人は、世界的に有名な外科医サマーフィールド・モールデン医学博士、その若くて美しい三人目の妻ステファニイだった。実は彼女の主人で52歳のサマーフィールドは、この一両日の間に飛行機事故で死亡と報道され、27歳の奥方は未亡人になったばかりである。ステファニイの依頼内容は、優秀な医者ながら金勘定にはズボラな夫に多大な収入の申告漏れがあり、徴税の役人が動いているので、対策を願いたいというものだ。経理の実体を知るのは、ステファニイと同じ年の美人で、サマーフィールドの片腕と言える看護婦兼事務職のグラディス・フォスだが、彼女は行方不明だ? ステファニイは、グラディスが実は夫の愛人だと確信しているらしく、秘密の密会用の? アパートに多額の現金が隠されているという。早速、当該のアパートに向かったメイスンだが、壁の中の隠し金庫は空っぽだった。ステファニイは、メイスンが独自の判断で彼女の税金対策のために10万ドルの現金を一時的に隠してくれたのだと解釈~主張し、落ち着いたらその金を返してほしいとうそぶく。メイスンは悪女にハメられたのだと気づくが、やがて事態は思いもよらぬ殺人事件へと発展していく。

 1954年のアメリカ作品。メイスンシリーズの長編作品・第43弾。
 
 メイスンに横領の咎を着せ、金をせしめようとするガメつい、そして妙な胆力のあるメインゲストヒロインのステファニイが印象的。
 今回の殺人事件はなかなか表面に出てこないものの、それでも、思わずハメられた窮地のなかで、あの手この手で冷静に対処するメイスンの駆け引きぶりが、十分にエンターテインメントとして面白い。

 中盤~後半から、事件というか物語の方向が別の向きに転調する感じで、たしかにややこしいといえばややこしい。
 ちゃんと人物メモを作りながら読み進めたから何とかついていけた(?)が、話の焦点が変わってしまう一方、ポケミス巻頭の人物一覧表にも載っていないキャラクターがソクゾクと登場。ああ、やっぱり、これはちょっとシンドいね(笑)。

 ただし犯罪というか事件の概要はなかなか面白く(ここではあまり書けないが)、終盤までテンションを下げずに楽しめるのは確か。
 ラストがちょっと放り投げた感じでまとめられ、クロージングにはもう少し気を使ってほしかった気もする。
 
 あと、個人的な感慨だけど、本当に久々にハミルトン・バーガーに再会したかも?
 この数年、手にとったメイスンものの中では、たしかあんまり出てこなかったような気もするので。

 最後に余談ながら、本書の邦訳は昭和32年(1957年)で、ポケミス21頁ほかに、写真の複写という意味で「コッピイ」という表記が出て来る。
 個人的には大昔に『パーマン』(1967年)のコピーロボットで「コピー」という言葉を覚えた世代なので、それより十年も早く日本語になっていたのも軽く驚いた。この辺は、外来語のカタカナ表記に詳しい人に聞けば、なんか面白い話を教えてもらえるかもしれん?


No.1850 6点 探偵を捜せ!
パット・マガー
(2023/08/11 17:10登録)
(ネタバレなし)
 もと女優だったが芽が出ず、年上の資産家フィリップ(フィル)・ウェザビーと結婚した金髪美人のマーゴット。だがフィルは病身で養生のため、娯楽も少ないコロラド州、ロッキー山脈周辺の、自分がオーナーである小ホテルに隠遁生活を送る。女優時代に自分の面倒を見てくれたやはり元女優の老女トムリンソン(トミー)を女中として随伴し、やむなく夫についてきたマーゴットは、こんな地味な生活に耐えきれず、夫の殺害をはかった。だが殺される直前、フィルはマーゴットに、自分はかねてから妻の害意に気づいており、親友の私立探偵「ロッキー・ロードス」をすでに召喚しているのたと語った。勢いのままに夫を殺したマーゴットは、その死を偽装。だがシーズンオフのホテルに、順繰りに男女4人の客が現れた。そしてこの中の誰かが、夫の死を探る探偵ロードスの変名のはずだった!?

 1948年のアメリカ作品。
 マガーの変化球フーダニットシリーズ第三弾。

 とはいえ今回は変化球のパズラーというよりは、ほとんどフツーの倒叙サスペンスで、しかも設定上、メインの登場人物をそんなに多く出せない、各キャラクターの個人エピソードまで話を広げにくい(客の個々でそれをやると、誰が探偵なのか判明してしまうので)ため、マーゴットの三人称一視点の描写を丁寧に書き連ねるしかなく、もちろんサスペンスはあるものの、一方でお話が一本調子で冗長。深夜に読んでいて、うっすら眠くなった(汗)。
 地味なキーパーソン(準キーパーソン……くらいか)がトムリンソンおばあちゃんで、マーゴットの現役女優時代から、彼女の成長を見守っていた先輩女優であり、今も母と娘のような絆で結ばれている。お話の流れでも、彼女の存在がひとつのポイントであった。詳しくは言わないが。
 
 クライマックス、マーゴットと「探偵」との対峙、そして終盤の二人のダイアローグなどはいい。しみじみと心に染み入ってくるクロージングであった。
 全体的にこの設定なら、もっと面白くできるはずという伸びしろが悪い意味で感じられた作品。広義のクラシックとしてこの本を読んで、俺ならもっと面白く書いてやると考えて、同傾向の発展的な作品を書いた新本格系の作家とかは、あちこちにいそう。まあ、具体例はちょっとすぐ思いつかないが(汗)。


No.1849 8点 銃撃!
ダグラス・フェアベアン
(2023/08/10 16:26登録)
(ネタバレなし)
 1970年代のアメリカ。シカゴの南西部にあるスモールタウンの、メイボック。「おれ」こと、現地の地方デパートの社主である40歳代のレックス・ジネットは、その日、4人の旧友かつ復員兵仲間と、狩猟を楽しんでいた。河の向こうに6~7人の面識もないハンターの集団がいるが、そのなかの一人がいきなりこちらに発砲。レックスの仲間のセールスマン、ピート・リナルディが被弾する。レックスとピートの仲間で大規模な理髪店の主人、裏ではノミ屋の胴元であるジーク・スプリンガーが怒り、反射的に銃撃。先方の仲間の一人は頭部を撃たれて死んだようだ。一方、こちらの仲間で撃たれたピートはかすり傷で済んだようで、その治療を済ませた一同はジークの正当防衛が成立するか、過剰防衛を問われるか、そもそも先に向こうが発砲した証明ができるか、ジークは逮捕されるのではないか、と緊張する。だが事態は警察沙汰どころか大きな騒ぎにもならず、レックスは数日後、一人のハンターが流れ弾の事故で死んだという新聞記事のみを認めた。仲間たちのリーダー格のレックスは、向こうのグループがあえて警察への通報を控え、そしてこちらへの報復攻撃を考えているのだと確信した。レックスは仲間たち、さらに新たな人員を募り、応戦の準備を始める。

 1973年に米国のダブルディ社から刊行された作品。
 本書は小鷹信光と石田義彦の共訳だが、その小鷹が邦訳が出る前から、ミステリマガジン誌上で本書について言及。本書の内容についてあれこれ語っていた記憶がある。

 そんな理由もあってなんとなく昔から少しこだわりはあった作品だが、狭義のミステリではないせいか(もちろん広義のミステリでは、十二分以上にあるが)、読むのを十年単位で先延ばしにしていたら、一種のカルト作品として? アマゾンで古書価が高騰。
 しかし評者は今から半年ほど前の古書市で、幸運にも220円で入手。
 それで昨夜、読んだ。

 人間の暴力・殺戮への欲求、社会的に成功した者もそうでないものもひっくるめての、私的な戦争(戦争ごっこ)への傾斜などが主題の作品なのは言うまでもない(その辺は、ハヤカワノヴェルズの小鷹の訳者あとがきでも、たっぷり語られている)が、印象的なのは田舎の名士であり有力者ながら、本質的にガキ大将でマイルールで友人たちをたばね、助け、叱責し、ときには下手に出て相手を操縦する主人公レックスのキャラクターの濃さ。

 なお小鷹の解説では一度もその名前が出てこないが、2020年代のいま、日本語で読むと、かなりジム・トンプソンあたりと共通した味わいを感じる。実はエモーショナルな内容を、ドライでさばさばした書き方で捌いていくところなんかも含めて(ただし絶頂期のトンプソンほど、文章に独特のブンガク味めいたものは感じなかった)。

 本文はノヴェルズ版で150ページちょっととかなり薄目。だが名前の出る登場人物はかなり多く、メモを取りながら読んだら80人前後になった(一瞬で消えるキャラもかなりいるが)。
 性格群像劇としてキャラクターはおおむね図式的に配置されているといえるが、一方で意外に変わった運用をされるキャラもいて、その辺の起伏感はなかなか楽しい。
 終盤の展開はもちろんここでは書かないが、評者はかなり唖然とさせられた。
「え」。

 さらにラスト1ページの、あの登場人物のあのセリフ。もう、なんかね。

 コアが定まっているけれど、たぶん<少しくらいは>いろんな読み方が可能な作品。
 読んで良かった、とは思う。


No.1848 7点 すべてはエマのために
月原渉
(2023/08/09 10:11登録)
(ネタバレなし)
 世界第一次大戦前後のルーマニア。18歳の看護学生リサ・カタリンは、2歳年下の妹エマが病魔に冒されており、そして妹のために特殊な型の血液が必要と知った。そんななか、リサは、マラムレシュ地方の金持ちロイーダ家から、名指しで看護婦として働くよう要請を受ける。妹エマを救うことに繋がるさる思惑を込めて同家に向かうリサだが、そんな彼女を待っていたのは、ひとりのロシア系の日本人美女、そして怪異な不可能犯罪との出会いであった。

 シズカシリーズの新章作品・第一弾。
 題名のタイトリングパターンが既存のシリーズ作品とまるで異なるので、当初はシズカものとわからない。
 月原先生の前作『九龍城の殺人』がなんかそれっぽい題名なのに、非シズカものだったのは、作者としては今回のこの作品もまた、非シズカと思わせようと考えていたのかもね。
 白紙の状態でさっさと読んで、え!? と驚けた人が、ちょっとうらやましいかも。

 最初からしばらくは、20世紀序盤の時代の現代史小説を読むような味わいだけど、中盤からミステリとしてのギアがかかって面白くなる。
 一流半のネタをいくつも詰め込んだ手数の多さ、そしてそのネタ群の練り合わせがちょっとどこかアンバランスなのは、ああ、正にシズカシリーズである。終盤はいろんな意味で良くも悪くもサービスしすぎな感じはするし、メインの動機もかなり大昔からあるものだけど、こういう使い方は確かにちょっと珍しいかも? 
 ミステリとしてトータルで佳作。シズカシリーズの新展開、という趣向そのものは歓迎して、この点数で。


No.1847 7点 鬼姫斬魔行
神野オキナ
(2023/08/04 16:09登録)
(ネタバレなし)
 21世紀の初め。何百年にもわたり、妖(あやかし)や邪神からひそかに人間社会を守り続けて戦ってきた斬神斬妖の一族があった。その一角の戦闘能力に恵まれない血筋で、一族のために資産管理をする役割ながら大きな損失を出した月観(つくみ)家。当主は責任をとって自殺し、遺された当年15歳の少年・月観捨那(つくみしゃな)は、優しい母まで病気で失った。戦士としての力を持たない日陰者の捨那だが、そんな彼に一族の総領である老婆は、伝説の鬼の得るための試練を託す。それが捨那と、美しい不老の鬼娘「鬼姫」との出会いだった。

 作者の初期作のひとつ。
 評者は同じ作者の1999年のライトノベル作品『闇色の戦天使』の昏く切ない雰囲気が今でも大好きなので、しばらく前に入手しておいた近い時期の作品として読んでみた。
 本作も<ピュアだが戦いの血臭のなかで成長してゆく少年と、心に慈愛を秘めた凶的な最強の年長ヒロイン>という主人公コンビの属性は、その先行作『闇色の戦天使』を踏襲している。要はこの時期の作者は、こういうものが本気で書きたかったのだ。

 全体としては『死霊狩り』(小説版『デス・ハンター』)を書いていた頃の平井和正みたいな雰囲気で、残虐なシーンと伝奇SF活劇の娯楽性を盛り込んだ、しかし随所で独特の情感を読み手に授ける作風。
 本来は心優しい少年主人公の捨那が鬼の力(実は、解放された、人間誰しもの心に潜む闇の闘争心)を得て凶化していく一方、メインヒロインの鬼姫がそれを支えて見守るのはある種の読者の充足願望に応えた作りだが、作者は正面からそれを書く気なので下品さはない。主人公コンビの周囲を固めるメインキャラも図式的といえば図式的だが、ひとりひとりが、作者らしいクセのある存在感を見せている。

 ガンマニアで祖父の遺したモーゼルを手にする女子高校生の社長令嬢・狭霧諒子もそんなメインヒロインの一人だが、なにしろ彼女の部屋に入って来た父親のいきなりのセリフが「まるで、リュー・アーチャーの事務所だな」である(笑・嬉)。しかし地の文に特に諒子の部屋の描写はなく、作者は読み手に勝手にどんな部屋かイメージしてくれと期待をかけるだけ。自分が神野作品が好きな理由のひとつは、こういうすっとぼけた面にもある(とはいえ、膨大な著作数の上にシリーズものも多く、まだまだ未読は山のように多いが・汗)。

 ちなみに作者あとがきによると作者は本作をシリーズ化させたかったみたいだけど、実際のところはこれ一本で終わったようで、その辺も『闇色の戦天使』に似ている。
(ちなみに、「またこのふたりの続きを書きたい」と言ってるけれど「ふたり」じゃなくて……だよね?)
 まあこっちも、読み始める時点ですでにあまり長期化しているシリーズの一作目なんか敷居が高くてなかなか手に取らないし、単品作品だから読んだ面もある。そのくせ、読んでその作品世界や主人公たちに惹かれると、続きがないのを惜しい、とも思う。つくづく読み手は勝手なものである。

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