パメルさんの登録情報 | |
---|---|
平均点:6.13点 | 書評数:622件 |
No.502 | 5点 | 欺瞞の殺意 深木章子 |
(2023/06/14 07:11登録) 昭和四十一年の夏、県内で名を馳せる資産家だった楡伊一郎の法要で事件が起きる。家族と関係者がダイニングルームでお茶の時間を過ごしていた最中、故人の長女である澤子と孫の芳雄が毒物によって亡くなったのだ。澤子の飲んだコーヒーカップと芳雄が食べたチョコレートからは砒素が入っていたことが分かる。チョコレートを包んだ紙の破片が、ある人物の喪服のポケットに入っていたことが判明し、自首するに至り事件は収束を迎えたかに見えた。 無期懲役となり四十年を経て、仮釈放の身となった人物から事件関係者の一人に手紙が届くことで、本書は謎解きミステリの方向性を露にする。物語は受刑者と手紙を受け取った人物の間で交わされる書簡によって仮説の構築と否定が繰り返されるかたちで進んでいく。 この作品の中核を占めるのが、往復書簡である。この書簡から、伊一郎という独裁者によって歪められた楡家の人々の関係や、隠されていた愛憎を知ることになる。さらに推理合戦が繰り広げられ、真相に近づいていく過程に寄り添うことになる。 展開は目まぐるしく、終始息つく暇もない。限定された容疑者によるフーダニット、被害者のコーヒーだけに毒を混入させる手管とポケットの包み紙の謎を巡るハウダニット、旧家の複雑な人間関係に端を発するホワイダニット、それらのすべてが、手紙の文中に潜んだ大胆かつ巧妙な伏線とともに複数の推理となって、次々と現れる。シンプルに見えた状況が見え方を変え、多様な推理が導かれ、そして消えていく様は異様の一言に尽きる。仮説を否定する伏線までもが美しい。書簡という形態を逆手に取った仕掛けが炸裂する、最後まで油断できない作品。 |
No.501 | 6点 | 完全犯罪に猫は何匹必要か? 東川篤哉 |
(2023/06/10 06:54登録) 烏賊川市を代表する回転寿司チェーンの社長、豪徳寺から成功報酬120万円という破格の仕事を請け負った鵜飼探偵事務所。その仕事は、家からいなくなった三毛猫を探し出すというもの。三毛猫探しに奔走する鵜飼たちであったが、当の依頼主が何者かによって殺害される。犯行現場には巨大な招き猫が鎮座し、不気味な様相に華を添える。 刑事と探偵の二つの視点で物語は進行し、絶妙に関わり合い、邪魔をし合っていく。本書は、猫に始まり猫で終わる、正確に言うと招き猫尽くしである。そして、気の抜けるギャグは本書でも健在である。猫を探して「ニャーゴ」と猫の真似をする探偵の姿は、ただでさえ冴えない中年探偵なのに、それに追い打ちをかけて笑いを誘う。それ以外にも漫才の掛け合いのような笑えるポイントはいくつかあり、ユーモアミステリ作家の本領が発揮されている。 また、作者お得意の大技的なバカトリックも炸裂している。木の葉を隠すならば、森の中へと言わんばかりに痕跡を隠蔽するという奇想に脱帽。猫尽くしなのは、こういう理由なのかと感嘆させられる。招き猫と三毛猫を鮮やかに結びつける解決はお見事。とにかく猫好きにはたまらない作品となっている。 |
No.500 | 6点 | うるはしみにくし あなたのともだち 澤村伊智 |
(2023/06/05 07:07登録) 四ツ角高校の三年二組で、クラスでナンバー1の美少女だった羽村更紗が自殺し、続いてナンバー2の野島夕菜が授業中に顔から血膿を噴き出すという凄まじい異変の連続から始まる。どうやら、人の顔を美しくも醜くも出来る「ユアフレンド」なる呪いを何者かがかけているらしく、更紗もそのせいで顔が老婆のようになり、悲観して自殺したようだった。担任の小谷舞香は、「ユアフレンド」にまつわる噂を聞き、事態を止めるべく奔走するが。 学校という狭い世界での、美醜価値観に基づく人間模様、教師たちの悪趣味のメタ推理。少女たちの美醜が、惨劇を引き起こすホラーの伝統を踏まえながら、そこに現代的な批評性を加えている。それは、女性が男性から顔の美醜で格付けされたり、女性自身がそれに基づいてスクールカーストを形成したりするようなルッキズムの呪縛に対しての批判である。ルッキズムの問題は、「人は見た目ではない」というところに単純に落としがちだが、そうならないところが、この作品の良いところ。 呪いの法則を解き明かすミステリ的興味の果てに浮かび上がる真犯人の像は、あまりにも悲哀に満ちていて切実だ。「美醜とは何か」という問題を突き付ける苦い後味が印象に残るホラーミステリ。 |
No.499 | 7点 | 黙過 下村敦史 |
(2023/05/31 06:35登録) タイトルの「黙過」とは、知らないふりをして見逃すの意。移植手術、安楽死、動物愛護など生命の現場を舞台にした5編からなる短編集だが、通して読むと一つの主題が姿を現すような構成となっている。最終章以外は、どこから読んでも構わないが最終章の「究極の選択」は最後に読むようにしてください。 「優先順位」轢き逃げ事故によって病院に運ばれた、肝不全で意識不明の患者が病室から消えてしまう。臓器移植を巡る医局の抗争物語。 「詐病」パーキンソン病で自宅介護を受けていた父親の病気が実は詐病ではないかと疑惑を持つ。安楽死を乞う父親を前に懊悩する家族。 「命の天秤」養豚場である朝、出産を控えた母豚十頭の胎内から、全ての子豚が盗まれる。過激な動物愛護団体が突き付けた狂気な正義。 「不正疑惑」細胞研究所の有名な研究者で学術調査官だった友人の自殺が、ある不正疑惑が原因かもしれないと知った精神神経医療研究センターの副センター長である小野田が、情報をもたらした医療ジャーナリストと共に真相に迫る。 「究極の選択」ここまでの4編は難しい命題が出てきて、それぞれ独立したかたちで結末まで描かれている。しかしこれら4つの作品を繋ぎ合わせるように一つに収束していく。それぞれ全く関係のない話だと思っていたから驚き。ここまでの4編が、読み終わった後もなぜかモヤモヤした感が残り、釈然としなかったが最後の1編で理由がわかってくる。最後に明かされる真実は、温かく包み込まれた感じになる。命の重さについて考えさせられる作品である。 |
No.498 | 6点 | ブラック・ショーマンと名もなき町の殺人 東野圭吾 |
(2023/05/24 06:51登録) コロナ禍の日本の地方都市で起きる殺人件が題材となっており、当時の世相を反映している作品。 神尾真世はコロナ禍で自粛が広がる最中、故郷で開かれる同窓会に出るか出ないか迷っていた。恩師が父・英一だったから、何ともばつが悪い。だが翌日、その父は自宅で他殺死体で発見される。真世は、翌日現場検証に立ち会うべく生家に行くと、警察相手に横柄な物言いをする男が現れる。父方の叔父・武史であった。 イリュージョニストである彼は、真世に警察より先に自分の手で真相を突き止めたいと言い、あの手この手で手掛かりを集め始めるが、警察の強面たちをも煙に巻く探偵術には恐れ入るばかり。観客相手に鍛えた洞察力といい、アメリカ仕込みの対話術といい、まさに現代版シャーロック・ホームズというべきか。本書の読みどころも、「謎を解くためなら、手段を選ばない」その名探偵ぶりにある。 表題の「名もなき町」は伊豆周辺の温泉町を想定しているのだろうが、もちろん架空のもの。真世の同級生をはじめ地元民は寂れてゆく町の復興に懸命だが、コロナ禍のために風前の灯。その意味では、本書はコロナ禍を正面から取り込んだミステリ初の町興しものではあるまいか。 また被害者の神尾英一はなぜ殺されなければならなかったのか。真世の同級生たちもその中に容疑者がいるかもしれないと平静ではいられない。同窓会ものとしても今風な趣向が凝らされている辺りはさすが。 ラストで突然明かされる真世のあることに関する鬱屈には驚かされた。武史と真世のコンビはよかったが、武史のキャラクターはもう少し掘り下げて欲しかった。シリーズ化はするのだろうか。今後の二人の活躍を見たいものだ。 |
No.497 | 6点 | 政治的に正しい警察小説 葉真中顕 |
(2023/05/19 06:44登録) 多彩なテーマをブラックユーモアたっぷりで描く6編からなる短編集。 「秘密の海」親から虐待されて育った人は、自分の子供にも同じことをするのか。絶妙なミスリードに唸らされた。 「神を殺した男」天才棋士の紅藤は、ライバルの黒縞に殺される。あまりにも身勝手な動機には驚かされた。AI将棋が進化した故の悲劇。 「推定冤罪」警察による自白の強要。昔はまかり通っていたらしいが。人が脳内で真実を捻じ曲げた記憶を作ることの怖さが印象的。 「リビング・ウィル」松山千鶴は、母から祖父が意識不明の重体だと連絡を受けて病院に向かう。終末治療における尊厳死に関して考えさせられる作品。感動するお話かと思えば、皮肉な結末に唖然。 「カレーの女王様」主人公が幼い頃に食べた母親のカレーの隠し味の真相。トラウマになるぐらい衝撃的な結末。まさかのホラー。味覚が信じられない。 「政治的に正しい警察小説」小説から差別的な用語を排除していくとどうなるのか。主人公がそのような描写を排除することに取り憑かれていく様が狂気的。表現を突き詰めることの怖さが伝わってくる。 |
No.496 | 6点 | 殺人鬼フジコの衝動 真梨幸子 |
(2023/05/15 07:24登録) 全編に渡り、イヤミス要素満載。不快な気持ちになるにはもってこいの作品。 両親と姉を惨殺され、たった一人生き残った11歳のフジコは、その後の人生をどう歩んだのか。幸福を何より望んでいたはずの彼女は、運命の残酷な導きにより、あれよあれよという間に残忍極まりない連続殺人犯へと化してゆく。この作品は、そんな「殺人鬼フジコ」の生涯を追った未発表原稿が、亡くなった執筆者の関係者の手によって世に出たという、いささか凝った構成になっている。 とにかくフジコの幼少期の境遇の酷さといったら、筆舌には尽くし難い。何も持っていない彼女から、さらに人生は容赦なくすべてを奪い去ろうとする。そこには同情や憐憫さえ寄せ付けないほどの、強烈な悲惨さがある。彼女を取り巻く登場人物たちも、かけらほども共感できない。非道で悪辣な者だらけ。だが同時に、ここまで極めると妙な痛快さが漂ってくるのも確か。あまりにネガティブな展開の連続とフジコの犯行のあっけなさ加減には、ついつい笑ってしまう。終盤、腑に落ちないことが残ったまま、突然あとがきのページになるので、面食らったがそこからがこの作品の真骨頂。 この作品には巧妙なトリックが仕掛けられている。最後のページまで読めば、この小説の魅力が単に「人の不幸は蜜の味」だけではないことがわかるでしょう。 |
No.495 | 8点 | 花束は毒 織守きょうや |
(2023/05/10 07:36登録) 木瀬は、かつて中学生の頃に家庭教師をしてもらっていた真壁が脅迫状を送られていることを知り、犯人を突き止めようと中学時代の先輩・北見理花が所属している探偵事務所を訪ねる。偶然再会した真壁が、彼と婚約者との関係を揺るがす脅迫者に悩まされていることを知り、真壁を助けたい一心で理花の元を訪れたのである。 主に理花の視点による物語は私立探偵小説の形式で淡々と進んでいく。かつて医大生だった真壁は、目下インテリアショップの雇われ店長をしている。脅迫の原因となっていると思われる過去の事件は真壁にとっても、そして木瀬にとっても掘り起こすことが現在の状況を好転させるとは思えないものだ。 事件の背後にあるものを探偵が追っていく過程が丁寧に描かれている。探偵と依頼者が直面する不都合な真実が、やがて脅迫者にたどり着くのだが、本書の真骨頂はその人物の真意が明かされたその先にある。 予期せぬ謎が突如解明され、総毛立つ感覚に見舞われる。恐るべき執念・狂気を明かし、推理へ回帰する構成が素晴らしい。作者の人間に対する透徹した眼差しが生んだトリッキーなサスペンスに背筋が凍る。 正義があれば真実を暴いていいのか。ラストに残る深い問い掛けに考えさせられる。一連の真相を知った主人公の決断は、どちらに傾いたのかを読者の想像に委ねたところに評価が分かれるかもしれない。個人的にはこれでよかったと思ったが。 |
No.494 | 6点 | 救国ゲーム 結城真一郎 |
(2023/05/04 06:44登録) 過疎問題や地域再生を扱った作品。少子高齢化の加速で国家の経営が危機に瀕していた。その対策として全国民を大都市圏への集住をネット動画で訴えていた謎の仮面人物・パトリシアが、自分の計画通りにしなければ地方をドローンで無差別テロを決行すると告げる。 ドローンや自動運転車両を用いて限界集落を活性化しようと地方創生のスターとして活躍してきた神楽零士が殺される。遺体は首が切り離され、胴体だけが自動運転車両に乗せられ、山中へ送られていた。事件のあった集落の住人・晴山陽菜子は真相解明のため、旧知の中で死神の異名を持つ官僚・雨宮に協力を要請する。 出だしは謀略パニックものだが、話の興味は謎解きに一転する。現代の社会問題をYouTubeやドローンといったメディアやツールを駆使しているところが新しく、個人の訴えが広く伝わるソーシャルメディアの感覚などが、巧みに物語に取り込まれているのが上手く魅了される。ドローンの特有の動きが盲点となり、アリバイを成立させているところや、ある証言が最後のどんでん返しの有効な手掛かりへと翻る展開などが工夫されている。 フーダニットに関しては、早い段階で明かされてしまうが本作は、緻密なアリバイ崩しの過程と犯行計画に至った経緯が読みどころなので問題はないだろう。 真相が明らかになり事件が収束する終盤には、そうまでしなければならなかった切実さが胸に突き刺さる。社会問題を突き付けられ考えさせられる作品。 |
No.493 | 7点 | 俺ではない炎上 浅倉秋成 |
(2023/04/29 07:53登録) 大学生の住吉初羽馬は友達が引用したTwitterを見て、リツイートする。それに付された写真は本物の殺人現場を撮影したようで、瞬く間に拡散される。程なくその写真は精査され、投稿したアカウントの持ち主も特定される。その男、大帝ハウス大善支社営業部長の山縣泰介は、支店長からの緊急電話で帰社するとTwitterがとんでもないことになっていると言われる。読めば読むほど、本人としか思えない巧妙な手口に、誰もが山縣の無実を信じようとはしない。犯人は一体何者なのか。 彼がオフィスに届いていた郵便物を調べてみると、唯一助かる可能性があるとすれば、選ぶべき道は逃げ続けるだけ、と諭す見知らぬ人物からの封書があった。文末には謎の数字の羅列が。自分が悪いわけではないのに、なぜこんな目に遭うのか。ネット上で「女子大生殺害犯」の濡れ衣を着せられ、職場や自宅から必死の逃走を続ける中、幾度となくそんな思いに駆られる。物語は山縣の逃走譚を軸に展開、彼視点だけでも十分謎めいていてスリリングなのだが、視点人物は初羽馬を始め、複数存在する。泰介も初羽馬も彼らなりの信条に従って、人生上手くやってきた。だが事件の真相に近づくにつれ、彼らがほとんど意識せず、踏みにじってきたものの正体が明らかになる。 やり手の会社員で誠実な家庭人であるかのような山縣の人物像には、主観と客観でずれがあって、それが次第に露になるにつれて、彼の悲劇も、より深刻さを増していくという次第。しかもそうしたずれは、更なるずれとも呼応している。本書はただ彼が追い詰められていくだけではない。人間ドラマの面白さがある。ページをめくる手が止まらないのは、真犯人が誰なのか気になるからだけではない。彼らの生き方が、今の社会の映し鏡でもあるからだ。終盤、二人がそれぞれ一方的な被害者意識を脱して自己を見つめ直す描写に、わずかな希望が託される。ネットにあふれる言葉への言及に大きく膝を打ち、真相に胸を強く締め付けられる。 |
No.492 | 6点 | 刑事のまなざし 薬丸岳 |
(2023/04/25 07:35登録) 身近で起きた殺人事件を一般市民を中心にして、事件前後の物語が綴られる七編からなる連作短編集。 「オムライス」看護師の前田恵子は、息子の裕馬と内縁の夫である英明と暮らしていた。次第に暴力を振るうようになった英明は、ある日室内で死亡していた。母子の愛の強さと脆さを描いている。真相は衝撃的。 「黒い履歴」小出伸一は、育ての親を殺し少年院に入っていた過去があった。ある日、彼の住むアパートの大家が殺害された。真相はやるせない。 「ハートレス」松下雅之は、他のホームレス仲間と生活していた。ある日、暴走族上がりのホームレスであるショウが殺される。犯罪の被害者家族は、加害者家族を許せるのかという難しいテーマ。夏目の過去が徐々に明らかになっていく。 「傷跡」田中久美子は、不登校でリストカットしてしまう仲村有香のカウンセリングをしていた。ある日、マンションで沢村という男が殺害される。人間の弱さを描いている。ある人物の行動には胸を打たれた。 「プライド」警視庁捜査一課の刑事である長峰亘は、首を絞められ殺害された桜井綾乃の事件に迫る。真相は分かりやすく驚きは少ない。 「休日」吉沢篤郎は、息子の隆太が連続窃盗事件に関わっているのではと、夏目に捜査を頼む。ありきたりの展開と結末。 「刑事のまなざし」塚本聖治は、家庭環境の悪さから万引きなど犯罪を繰り返し少年院に入る。夏目から面接を受けていたが、逆に夏目の娘である絵美をハンマーで殴ってしまう。登場人物たちの様々な感情が入り乱れ、読み応えがある。 それぞれの話で中心となる人物は、社会的な問題に直面している。その部分が事件とも大きく結びついているので、重苦しい展開になっていく。この連作短編の主人公を務める夏目は、通り魔に襲われた娘が植物状態になったことが切っ掛けで、法務技官から警察官に鞍替えしたという風変わりな経歴を持つ刑事だ。刑事らしくない柔らかな物腰と元法務技官ならではの視点、そしてほかの刑事とは違う鋭い推理で事件の真相を追っていく。夏目は犯罪を弾劾する警官という立場だけではなく、犯罪の背景を理解し更生への道を示すことの出来る人間として描かれるのだ。家庭内暴力、児童虐待、ホームレス、思春期の自傷行為。これら社会の澱みに相対する時の夏目のまなざしは、常に真摯で温かい。 |
No.491 | 4点 | 慈雨 柚月裕子 |
(2023/04/19 07:27登録) 定年退職後まもなく、妻と四国八十八カ所の寺をめぐる遍路に出た元警察官。かつて捜査に関わった、幼女殺害事件の被害者の供養のためという。DNA鑑定を決め手に逮捕された犯人には懲役二十年の判決が下った。しかしなぜか以来、男の心は休まるどころか悔恨の念が増すばかり。 遍路一日目。男は投宿先で別の幼女殺害事件のニュースを目にし、たまらず元部下に電話する。遺体が発見されたのは群馬県の山中。その現場や展開は四十二年の警察官人生を否定しかねない。終わったはずの事件と酷似していた。 二つの事件を重ねつつ、部下と捜査に関わる電話をしながらの夫婦二人旅は続くが、遍路の描写はやや淡白だ。夏場にかけての遍路は歩き通すには相当な体力と集中力が必要なはず。あっけなく過ぎる難所の記述に拍子抜けの感がある。 とはいえ、妻にいぶかしがられつつ独白を繰り返す道中、男は内省を深めてゆく。台詞に強度が増し、舞台としての四国遍路が小説と絡み合ってくる。被害者と家族、保身に走る組織、凶刃に倒れた同僚など、人間模様の回想を尽くした終盤、胸のすくような展開が待っている。 想像した通りの展開、結末とミステリ小説としての驚きはなく読みどころは少ない。家族や同僚との絆の小説としてはまずまず。 |
No.490 | 6点 | すみれ屋敷の罪人 降田天 |
(2023/04/14 07:37登録) 戦前は名家の一族が住んでいたが、今では廃屋と化している旧紫峰邸の敷地から、二体の白骨死体が発見された。その翌月、かつて紫峰家の使用人だった八十一歳の栗田信子のもとを、県警の刑事という青年・西ノ森が訪れる。彼に問われるまま、信子は六十五年前の思い出を語り始める。昭和十一年、彼女は親戚の紹介で紫峰家の女中となった。西洋風の屋敷には、当主の紫峰太一郎、葵・桜・茜という三人の美しい娘たち、そして執事や女中頭や書生などの使用人がいた。貧しい農家で育った信子にとっては別世界のような豪邸での優雅な暮らしだが、葵の婚約披露パーティーの日に、唐沢七十という新しい女中がやってきた頃から、紫峰家を不吉な暗雲が覆う。 西ノ森は当時を知る元使用人たちを訪ねて廻るが、彼らの証言は遥かな時の流れの中で美化されたり、あるいは故意に事実を伏せた部分もある。早い時点で勤めを辞めた信子の知らないことは、別の人物に訊かなければわからないし、その人物も事態のすべてを知っているわけではないので、西ノ森は彼らから訊いた情報を多角的に検討しなければ事実に行き着けない。 最初は浮世離れした桃源郷めいて紹介される紫峰家だが、使用人や関係者が戦死するなど、彼らを取り巻く環境は悪化し、三姉妹のあいだにも亀裂が生じてゆく。そして戦後、ある人物が紫峰家の関係者のうち三人が行方不明になっていると証言したというが、それと二体の白骨死体の関係は。 複雑に入り組んだ謎が解けてみると、そこに立ち現れるのは戦時中だからこそ成立するトリックであり、現代ではあり得ない関係者の心境である。ゴシック・ロマンス的な道具立てに精妙な謎解きを融合させた作品である。 |
No.489 | 8点 | 後悔と真実の色 貫井徳郎 |
(2023/04/09 07:19登録) 若い女性を襲い、殺して指を切り取るという連続殺人事件が発生。犯人は「指蒐集家」と名乗り、警察の大向こうを張って犯行を重ねていく。この事件の捜査に当たった刑事の中に警視庁の名探偵の異名を持つ西條がいた。西條は独自の視点から「指蒐集家」の正体に迫っていく。 序盤は、事件の発生の報から実際に刑事たちが捜査に着手するまでの段取りが現実に即して丁寧に描かれており、警察小説に改めて真正面から挑もうとする作者の意気込みが感じられる。周囲との軋轢も気にせず、使える手をすべて使って捜査情報を得ようとする西條、西條に反感を覚え周辺で功を焦る同僚たちなど、所属や立場が異なる刑事たちも個性的に描かれている。 警察小説の面白さと本格ミステリとしての面白さが両立しており、作者らしいユニークなアプローチがされている。刑事同士の内紛や足の引っ張り合いのあたりは警察小説的な面白さがあるが、それ以上に面白いのが西條の人物造形。名探偵然としているのだが、その扱いが物語が進むにつれて面白いことになっていく。家庭内別居中で若い愛人がいるなど清廉潔白ではないまでも、中盤以降の西條の転落は想像を超える。ただ、その状況下でも己の矜持を保つ西條の姿は、堕ちたヒーローとして強烈な印象を残す。 劇場型犯罪と捜査小説の演出に隠されているが、真犯人の行動原理や動機には本格ミステリらしい意外性がある。警察小説の常識や自身の作風を含め、様々な予断を裏切る作品となっている。本格ミステリファンが読むべき、警察小説ものと言えるかもしれない。 |
No.488 | 5点 | 神の悪手 芦沢央 |
(2023/04/04 07:10登録) 将棋の名人がAIに敗れて久しい。しかし、天才棋士・藤井聡太が出現し、胸のすくような快進撃により将棋界が何度目かのブームを迎えている。そんな将棋をテーマにした五編からなる短編集。 「弱い者」東日本大震災の復興支援行事における指導対局を描く。覚束ない手つきながら急所を突く指し手に、北上八段は少年の才能を感じ取る。だが最終盤になり、少年は簡単な読み筋を逃し、混沌した局面になっていく。これはいくらなんでも無理がある。 「神の悪手」プロ棋士の養成機関である奨励会が舞台。先輩から教わった棋譜と全く同じように進む奇跡的な展開に直面したことから、ある選択を迫られる。将棋の心理に外れる行為との背反に悩まされる主人公の心情をえぐった犯罪小説である。これがベスト。 変則ルールの詰将棋と投稿した少年の数奇な生い立ちを結び付けた「ミイラ」。タイトル戦を舞台に、対局者の内面を穿つ「盤上の糸」。駒師の矜持と悩みと同時に、ベテラン棋士のそれも浮き彫りにする「恩返し」。 収録された五編の切り口は様々ながら、いずれの物語にも作者ならではの伏線が張り巡らされている。ミステリ要素が将棋の持つ計り知れなさと響き合い、独特の味わい深さがある。将棋という一つの世界を描きながら、叙述ミステリ、暗号解読などバラエティに富んでいる。 |
No.487 | 7点 | あと十五秒で死ぬ 榊林銘 |
(2023/03/29 07:34登録) 「死ぬ直前の十五秒」をテーマにした四編からなる短編集。 「十五秒」背後から銃撃された薬剤師が一時停止能力を獲得し、死ぬ前の十五秒で復讐を企む。殺された者と殺した者の知恵比べ。「私」は時間の一時停止能力を駆使して残りの十五秒を小刻みに時間を使いながら、犯人の正体を確認し自分の死後にできる反撃方法を案出しようと試みる。いかに自分のやりたいことを詰め込めるかという緊張感あふれる描写が面白い。 「このあと衝撃の結末は」テレビドラマが予想外の展開を迎える、たった十五秒を見逃した「俺」がドラマを見ていた姉のクイズに答える形で真相を追求する。姉から重要なシーンをピックアップした解説を聞いて「ドラマで何が起きたのか」を推測していく。ドラマと現実が渾然となる仕掛けには驚かされた。 「不眠症」十五秒後に大きな交通事故に巻き込まれる夢を何度も繰り返し見る茉莉が、その真相に迫っていく。同じ夢を何度も繰り返し見るというループする怖さを描き切っている。意外性と滋味が鮮やかに融合されている。 「首が取れても死なない僕らの首無殺人事件」首が取れても十五秒以内に首を繋げば問題ないという、特殊な島で起こる殺人事件。胴体を失った被害者が同級生と首をすげ替えながら犯人を推理するという、シュールな光景に笑いが止まらない。ふざけた設定ではあるが、この作品が一番、トリックや謎解きなどの部分はかなり本格的。 |
No.486 | 5点 | 花の下にて春死なむ 北森鴻 |
(2023/03/25 07:33登録) 三軒茶屋の路地裏にあるビアバー「香菜里屋」。マスターの工藤は、うまい料理を振る舞い、居心地の良い空間を提供する。しかし、このバーはそれだけではない。常連客は謎好きが多く、身近で起こった不思議な話を持ち込むのだ。工藤は常連たちの話を聞くだけで、その謎の背後にある状況を読み解いていく六編からなる連作短編集。 「花の下に春死なむ」フリーライターの飯島七緒は、自由律句の結社「紫雲律」のメンバーで、同じくメンバーで亡くなった片岡草魚の故郷を訪ねその過去を紐解いていく。 「家族写真」赤坂見附駅にある本棚の時代小説の本の中に、軒並み同じモノクロの家族写真が挟み込まれている。その不思議な状況に常連たちが議論する。 「終の棲家」妻木信彦は、最近注目を集めるようになった写真家であり、銀座で個展も開かれることになった。しかし、彼の個展を告知するポスターが、街中からなくなっているという問題が起きた。 「殺人者の赤い手」笹口ひずるは「香菜里屋」で出会った飯島七緒が「赤い手の魔人」の都市伝説を調べていることを知る。小学生の間に広まる都市伝説が二つの事件を真相に導く。 「七皿は多すぎる」回転寿司屋である男が、鮪ばかり七皿も食べたという。なぜ鮪ばかり食べているのか推理合戦が始まる。 「魚の交わり」七緒宛てに手紙が届いた。手紙の主は鎌倉の人だが、とある理由から草魚は鎌倉にはいなかったのではないか、と推察された。果たして草魚は鎌倉にいたのか。いたとすれば何故鎌倉にいたことを隠していたのか。草魚の秘められた過去が明らかになっていく。 本書はいわゆる安楽椅子探偵ものだが、工藤の押しつけがましさのない、救いのある解決は優しくてよい。どの話も割と、生きていくうえで避けようがなかっただろう、あれこれが滲み出ている。そうせざるを得なかったというような状況を背景に据えた謎は、人間の機微が詰まっている。 |
No.485 | 5点 | 富豪刑事 筒井康隆 |
(2023/03/20 07:49登録) キャデラックを乗り回し、1本8500円もする葉巻を愛用する大富豪の息子で刑事の神戸大助が、大金を惜しげもなく使って事件を解決していく四編からなる連作短編集。 「富豪刑事の囮」五億円強奪事件の時効まであと三か月。容疑者を四人まで絞れたものの、そこから先に捜査が進展せずに途方に暮れる捜査部。そこで神戸大助が刑事という身分を隠して容疑者たちに接触。大金を使わざるを得なくなる工作をして、強奪した五億円を使おうとしたところを逮捕しようとする。富豪刑事ならではの考えつかぬ様々なダイナミックな金の使い方で、張り合うよう心理戦にもっていくのがうまい。 「密室の富豪刑事」ある会社の社長室で社長が殺される密室殺人事件が発生。容疑者は被害者のライバル会社社長だが、殺害方法も証拠もつかめず捜査は難航。神戸大助は、新たに容疑者の会社ライバルになり得る会社と密室殺人が起きた社長室と似た作りの部屋を造って罠を張り、容疑者がまた同じ犯行を実行するように仕向けようとする。本格推理小説をコミカルにオマージュしているようなドタバタ劇。 「富豪刑事のスティング」子供の誘拐事件が発生。被害者の父親は犯人に言われて警察に知らせずに要求された五百万円を渡したが、子供は返されずに「もう五百万円用意しろ」と電話があり、被害者の父親はたまりかねて今度は警察に連絡する。神戸大助は自分が用意した金を被害者の父親に不自然な形にならぬように渡そうとする。「話を面白くするために、小説中における時間の連続性を、トランプのカードをシャッフルするように滅茶苦茶にしてしまえばどうであろうか」と出てきて、実際にそのようなプロットで書かれるという試みがなされている。 「ホテルの大富豪」二つの暴力団組員のほぼ全員が集まって談合するらしいという情報が入り、警戒に当たることに。神戸大助は父の持ち物である高級ホテルに暴力団全員が宿泊するように誘導し、監視しようとする。前三編では詳しい説明がなかった捜査班の面々の人となりの説明があるというのが妙な具合で面白い。結末も一味違って最後まで型にはまらない。 作中人物にメタ発言させたり、地の分で読者に語り掛けたり、パロディ要素がふんだんに盛り込まれていたり、全体的にユニークで型破り。ミステリとしてのプロットやトリックは驚くことはないが、次はいったいどんな金の使い方で捜査するのだろうと興味を抱かせる他では味わえないミステリとなっている。貨幣価値の変化や少々古びた風俗描写を割り引いても、時代を超える普遍的な面白さが現代でもなお通用するユーモア警察小説。 |
No.484 | 6点 | ふたたび赤い悪夢 法月綸太郎 |
(2023/03/15 08:10登録) 「頼子のために」の続編。何度も「頼子のために」の事件が言及されていたりと関連性がかなり強いので、まずは「頼子のために」を読んでからがよいと思います。 西村頼子殺害事件の後遺症に悩む法月綸太郎の元に「月蝕荘」での事件で知り合った女性より電話が入る。彼女はアイドルタレント・畠中有里奈(本名 中山美和子)として活動していたが、ラジオ東京近くの公園で死体が見つかったことを知ると、「私が殺したかのかもしれない」と話すのだった。 本作は、名探偵・法月綸太郎の再生の物語ともいえる。自分の母親が起こしたと思われる過去の事件に傷つき、心を閉ざしていく中山美和子の再生の過程に西村頼子事件で、法月綸太郎は精神的ダメージを引きずっている。それ故か本書は、それほどトリッキーなものにはなっていない。ある程度情報が出そろった時点で、それらを材料に真実らしい推理を組み立てるが、その直後にその推理を打ち砕く新情報がもたらされ、事件は混迷の度合いを深めていくといういパターンを何度も繰り返す。 無理筋のトリックは、このシチュエーションだからこそ成立するかもというようなものだが、本書のポイントはパズラーの部分ではなく名探偵・法月綸太郎の再生の過程が主題なので、あまり気にしない方がよいかも知れない。 |
No.483 | 7点 | 爆発物処理班の遭遇したスピン 佐藤究 |
(2023/03/09 07:39登録) SFからホラー風味な作品など多様な小説が楽しめる8編からなる短編集。 「爆発物処理班の遭遇したスピン」小学校に仕掛けられた爆弾は処理に失敗し、手酷い事態が引き起こされる。すると犯人から、歓楽街のホテルに設置された酸素カプセルに新たな起爆装置を設置したという連絡が来る。アクション映画でお馴染みの爆弾処理シーンのスリルを量子力学的にアップデート、二択の項目のセッティングと、何より解決の仕方が新しく、SFともミステリとも毛色の違う世界観で読ませる。 「ジェリーウォーカー」架空のクリーチャーの造形を専門とするオーストリア人CGクリエイター、ピート・スタニックは、二〇代後半まで凡庸な背景専門画家だったが、わずか数年で成功者となったのは何故か。専門的な術語を駆使して、クリーチャー造形の世界を魅力たっぷりに描き出している。アクションシーンも含め、脳裏にくっきりとイメージを叩きこんでくる文章が素晴らしい。 「シヴィル・ライツ」歌舞伎町に事務所を構える弱小ヤクザの試練を描いている。「指を詰める」ことにスポットを当て、クライマックスの展開は納得感のある驚きで、伏線の張り方も周到。 「猿人マグラ」本人の「私」が幼少期に耳にした「猿人マグラ」の噂話を思いだすことから始まる都市伝説ホラー。夢野久作や乱歩賞の大恩人にオマージュを捧げた奇譚。作者の生まれ故郷、福岡の風景描写に郷愁を誘われる。作者のプライベートな部分が出ている感触。 「スマイルヘッズ」表向きは銀座の画廊を経営しつつ、裏ではシリアルキラー・ドルフィンの絵のコレクター。ある時、彼の特別なアート作品「ドルフィンヘッド」を譲りたいという申し出が舞い込む。一人称ということも作用して、どこか魔術的な吸引力がある。最終的に導かれていく地点が衝撃的。 「ボイルド・オクトパス」退職刑事を取材するライターの受難劇。LAPDの元刑事が若い頃に遭遇した未解決事件についての物語でもあり、ミステリ度は高い。 「九三式」小野平太は、古書店で見つけた「江戸川乱歩全集」がどうしても欲しいと思い、高額の怪しい日雇い仕事に手を出す。通常では融合しないはずのアイデアやモチーフが結び付いていく点に独創性を感じる。文学色濃厚な作品。 「くぎ」横浜少年鑑別所を出た安樹が、塗装工見習いとして働き始める。ある日、ペンキ塗りの仕事で訪れた家で一本のくぎを目撃したことから思わぬ事件に巻き込まれる。主人公の意欲の変容というダイナミズムが盛り込まれている。更生を図る少年の成長小説としても読める。 専門性の高い世界を題材にした濃厚な導入部が、予期せぬタイミングで暗転するプロットを持つ作品が多い。物語世界に立体感を与える背景描写、作品ごとに選択される巧みな文体、なによりも冷徹に描かれる人間心理。そのすべてが格調高く、心地よい疲労感が伴う。 |