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ミステリの祭典

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空さんの登録情報
平均点:6.12点 書評数:1505件

プロフィール| 書評

No.585 6点 大穴
ディック・フランシス
(2013/01/04 13:20登録)
今まで読んだディック・フランシスの中で、原題の意味が最もとりにくいのがこの作品です。against all odds だったら大きな困難にもかかわらずという意味になりますし、odds にはハンディキャップの意味もあるので、シッドの片手が使えないのを表しているようにも思えます。大穴(一般的にはもちろんdark horse)的な意味も含めて、様々なニュアンスを込めているのでしょうか。
フーダニット的な要素というと、クライマックスでちょっと意外な共犯者が現れるぐらいのことですが、トラック事故の起こし方や最後に悪役たちがどんな「事故」を画策しているのかといったあたり、ミステリ的な要素も冒険スリラー系としてはかなりあると思います。ただ、シッドを過少評価させる策略が活かされていないという点はminiさんに全く同感です。正体がばれそうになるはらはら感をもっと味わせてくれるのかと期待していたのですが。


No.584 6点 メグレと殺人予告状
ジョルジュ・シムノン
(2012/12/26 22:27登録)
原題直訳は「メグレためらう」で、殺人予告状と言っても、その文面には『ABC殺人事件』等のような警察や名探偵に対する挑戦めいたところはありません。むしろ、運命の修繕人と呼ばれることもあるメグレに対して訴えかけるような手紙です。
殺人を行おうとしているのはその予告状を書いた人物自身なのか、誰が誰を殺そうとしているのか、というのが本作の中心的な謎だと言えます。便箋から簡単に、ある弁護士一家の誰かが書いたことは突き止められるのですが、問題をはらんだその家庭の状況を、事件は起こらないままにメグレは調べていきます。
ついに殺人事件が起こるのは、全体の2/3ぐらいになってからですが、被害者が決定されてみると犯人が誰であるかは容易に想像がつきますし、犯行の証拠も死体発見から数時間後には発見されるというわけで、殺人以降は長いエピローグとさえ思えるような構成です。


No.583 5点 烙印
天野節子
(2012/12/23 19:47登録)
1609年にスペイン船サン・フランシスコ号がフィリピンからメキシコへ向かう途中難破して、現在の千葉県御宿町に漂着したという実際に起こった事件を取り入れた作品です。その過去の出来事はところどころに少しずつ分けて挿入されているのですが、これは最初にまとめてしまってもよかったのではないかと思えました。現在の殺人事件との結びつきは、早い段階で見当がついてしまうのです。作中の刑事たちはもちろん400年も前に起こった難破事件のことなど知らずに捜査を進めていくわけですが。
容疑者もごく早い段階で浮かんできて、そのアリバイが問題になります。と言っても、意外なアリバイ・トリックというほどのものはありません。動機も、またその動機があることの証拠も、簡単にわかってしまいます。小説としてつまらないというわけではないのですが、これほどの長さが必要だったかなと思えました。


No.582 6点 技師は数字を愛しすぎた
ボアロー&ナルスジャック
(2012/12/19 22:28登録)
登場人物の不安な心理を執拗に描いて強烈なサスペンスを生み出すフランスのコンビ作家による異色作です。300ページ足らずの文庫本で不可能犯罪がなんと4回、それもすべて30秒以内という短時間に犯人が密室から消え失せるというよく似た現象が起こります。真相は最初の殺人を除くとがっかりだという人もいるでしょうが、偶然もうまくからめていて、個人的には好みにはまっています。
メインになるその最初の殺人については、カーの某作品との類似も指摘できますが、そういうことだったのかと納得させられました。まあその前段階の原理だけだったら、誰でもすぐ思いつくパターンですが。
ただ、今回は事件を担当したマルイユ警部の心理が描かれているのですが、不可能犯罪と核物質盗難に頭を悩ましているだけなので、他作品のような得体の知れぬ怖さが全くないところ、平板との批判ももっともだと思えます。


No.581 6点 ダイエット中の死体
サイモン・ブレット
(2012/12/15 11:30登録)
近くの図書館にあったということで、シリーズ第4作を最初に読んでしまったわけですが、本作を読んだ限りでは、文章で読ませるキャラクター小説とでも言うか。パージェター夫人の設定とキャラが楽しい作品でした。夫人を取り巻く、亡き夫の協力者たちもなかなか魅力的です。
夫人が最初に聞く言葉は、誰が誰に対して言ったのか結局明確になりませんし、死亡した娘だとしたらそんなことが言える状態だったと思えないし、と疑問が残ります。犯人の正体はいかにもという感じで、意外性があるんだかないんだか、いずれにせよ伏線はあっても確定的な手がかりは読者に提示されません。
そんなわけで、論理性や結末の意外性はあまり評価できないのですが、ミスディレクションはかなり効いています。しかし話としては、謎解き性よりも、ダイエットに対するパージェター夫人(=作者)の辛辣な視線がやはり読みどころでしょうか。


No.580 5点 存在しなかった男
大村友貴美
(2012/12/11 21:44登録)
初期作品は横溝正史と比較されることも多かった作者ですが、本作は全く違っていて、某古典的フランス映画をどうしても連想してしまいます。その映画を知らなくても、またミステリを読み慣れていなくても、この真相には早い段階で気づいてしまうでしょう。飛行機の中の人間消失という冒頭の謎に対しては、論理的に考えればただ一つの答しかありません。
まあ、そのような謎解き的観点からのみ論じられるべき小説を書く作家でないのは、『死墓島の殺人』からもわかっていたことですが、今回ヒロインが津軽方面を訪ねるシーンには、水上勉に近い雰囲気さえ感じてしまいました。2011年発表作品で、東日本大震災にも言及されていたりして、現代の状況が描かれてはいるのですが。
真相のほとんどが明らかにされた後も70ページぐらい残っていて、逮捕後の犯人取調べ部分が一番の読みどころと言えるでしょう。


No.579 6点 死の盗聴
エド・レイシイ
(2012/12/09 08:31登録)
本書の巻末解説は小鷹信光氏による私立探偵小説論になっています。私立探偵であってもホームズ等を除外するところから始まり、private eye novel という呼称を最初に用いたのがロス・マクであること、エド・レイシイの先駆性等について書かれていて、興味深い内容です。
レイシイはシリーズ探偵を持たず、本作に登場する私立探偵ビル・ウォレスもこの1作だけの探偵だそうですが、確かにこれは続編が考えられません。ウォレスはマイク・ハマーみたいなタフな探偵だったのが、心臓病を患って家で主夫をしている(結婚して娘が1人)という設定で、挫折を味わった男の再生の物語です。小鷹氏の言葉によれば「私小説風主人公」を描いた小説であって、事件そのものはたいしたことはありません。犯人は疑心暗鬼から余計なことをして自滅するという、あっけなさですが、主人公の再生という点から見れば、うまくまとまっています。


No.578 6点 Les complices
ジョルジュ・シムノン
(2012/12/04 21:43登録)
『共犯者たち』というタイトルから想像していたほどミステリ系ではありませんでした。犯罪心理サスペンスではありますが、主人公が犯すのは故意の犯罪ではありません。地方の工場経営者であるランベールは、車で移動中助手席の秘書といちゃついていて、40人ほどの子どもたちが乗ったバスの事故を引き起こすことになってしまうのです。バスは炎上し、女の子1人以外全員死亡という惨事になる現場から、彼は逃げ出してしまいます。現場には、酔っぱらい運転のような蛇行したタイヤの跡が残っていました。
半ばぐらいで、共同経営の弟に正面切って「あれは兄貴だったのか? と尋ねられ、事故原因の車の運転者は自分ではないと嘘をつくランベール。一方保険会社が依頼した腕利きの探偵が調査を始めて…
いつ警察が逮捕に来てもおかしくないと覚悟はしていながらも、沈黙を続けるランベールの心理を描いて、なかなか味わいがありました。


No.577 7点 天使の眠り
岸田るり子
(2012/11/30 21:55登録)
13年ぶりに再会した女が別人としか思えない、という本作の不思議さは、小説の文章表現だからこそ可能な微妙なもので、不自然という人もいるようですが、個人的には気になりませんでした。それに過去に起こった2つの殺人のアリバイが絡んできます。
さらにその女の娘の視点を取り入れているのも巧みで、読み終わった後で振り返ってみると、娘の視点部分が必要であった理由がよくわかります。一方、この娘が銀閣寺を散策するシーンなど純文学風とも思えるタッチで、驚かせてくれました。
本作では『出口のない部屋』や『ランボー・クラブ』のような変な物理的トリックは使われておらず、すっきりとまとまった出来になっています。ただ、殺人動機を生むきっかけになったある要求はいくらなんでも無茶で、まともな機関と思えないのが難点でしょうか。
真相が明かされた後の短い最終章のさわやかな余韻も魅力的です。


No.576 5点 神が忘れた町
ロス・トーマス
(2012/11/26 21:32登録)
トーマス初読ですが、登場人物たちの気の利いた台詞がいいとの評判には一応納得できました。しかし「気が利いている」のは台詞だけではありません。新たな登場人物や舞台を紹介する時には、何かしら気の利いたことを言わなければならないという固定観念に取りつかれているのではないかと思えるほどです。特に主人公アデアが収賄罪で起訴されかけた経緯が語られ始める170ページ目ぐらいまでは、1件殺人が起こるとはいうものの、ほとんどその世界、登場人物紹介に筆が費やされているため、うんざりしてしまいました。
しかし後半になって事件が動き始めるとおもしろさも加速してきて、クライマックスはなかなかサスペンスもあります。主要登場人物たちがドゥランゴにそろうことになる経緯と犯人の計画との関係や、アデアたちの写真を撮った女の扱いなど、整合性についてはケチの付けどころもありますが。


No.575 6点 完全殺人事件
クリストファー・ブッシュ
(2012/11/22 20:07登録)
ブッシュのミステリで邦訳されたのは現在5冊のみですが、著作は60冊以上もあるそうで、本作はその第2作です。1929年発表と言えば、アメリカではクイーンがデビューした年。
殺人予告状を警察と大手新聞社に送りつけるという芝居がかった犯人で、「完全殺人」という言葉もこの予告状の中で使われています。で、なぜ予告状を送りつけたのか、『ABC殺人事件』みたいに意味があるのかというと、ただ犯人(作者)のはったりというだけのことでした。
作者のはったり好みは、プロローグの中に手がかりが隠されているぞと冒頭で宣言しているところにも表れています。それにしては、実際に殺人が起こってからは容疑者たちの地味なアリバイ調査が続きます。ただクロフツや鮎川のようなトリックの意外性を期待すると肩すかしでしょう。むしろプロローグがアリバイ崩しとどう絡んでくるかが謎解き的な意味での読みどころです。


No.574 6点 カオスコープ
山田正紀
(2012/11/20 20:57登録)
山田正紀は何冊か読んだことがあるのですが、それらは『神狩り』を始めすべて純粋なSFでした。で、本作はというと、書き出し部分からしてやはりSF的(精神医学中心)な感じがつきまとうミステリです。二つの視点から交互に描いていって、どう関連付けるかというタイプ。
一方の主役は記憶障害だということで、ほとんど支離滅裂な記憶の断片、それも実際の記憶かどうかも分からないことが語られていきます。この部分がカオス(混沌)的雰囲気を出しています。一方の刑事からの視点部分はもちろん一応まともですが、それでも彼のキャラクターはちょっと変。
最終的な結論には多少整合性に欠ける部分があるようですが、まあいいでしょう。それより真相説明部分と脱出の安易さが気になりました。最初にゴミ捨て場で出てくる老人の正体は、はっきりとは書かれていませんが、う~む、やっぱり山田正紀だ。


No.573 7点 ハムレット復讐せよ
マイケル・イネス
(2012/11/16 20:18登録)
文学研究者J・I・M・スチュアート(イネスの本名)の、シェイクスピアを始めとするイギリス文学・演劇への薀蓄が満載の作品です。
『ハムレット』を近代的な劇場形式ではなく、古風な舞台形式により邸宅内の大広間で行うという企画で、上演中に起こった殺人事件ですが、最初のうちは芝居に関する説明描写が興味の中心。100ページ目ぐらいで殺人が起こるまでにも、文学引用による犯行予告(らしきもの)の謎はあるのですが。
初期のイネスは文章が難解だと言われていましたが、翻訳者滝口達也の手腕でしょう、日本語では凝った表現ではあるものの、それほど難解でもありませんでした。むしろ最初から紹介される登場人物の多さが読みづらさの原因でしょうか。
第2の殺人、さらに殺人未遂まで館内で起こってしまうのは、警察がちょっと間抜けな気もしますし、エピローグで犯人があわて出す原因は根拠が弱すぎますが、全体的には楽しめました。


No.572 6点 メグレとリラの女
ジョルジュ・シムノン
(2012/11/08 20:57登録)
健康を害して、湯治場ヴィシーに来たメグレ夫妻が、毎日ゆっくり散歩し、湯を飲んで静養する日々を送っているという状況がまず微笑ましい作品です。しかしもちろんそれだけではミステリにならないので、そこで目についたリラ色の服を着た周囲から孤立した感じの女が殺されるという事件。
地方警察の本部長がメグレの元部下だったという偶然を、メグレが捜査に関わるきっかけにしています。といっても休暇中で管轄外ですから、アドバイザー的立場を最後まで貫き、尋問には全然口を出しません。そういったことも本作の緩やかな雰囲気づくりに貢献しています。定石通りの捜査が進められ、当然のように容疑者が浮かんできます。容疑者は任意同行を求められ、ある程度覚悟もしていたのでしょう、すぐに自白して終りという、平凡と言えば確かにそうなのですが、そこがいい味を出している作品です。


No.571 5点 課長補佐殺人事件
斎藤栄
(2012/11/05 20:09登録)
新薬許可をめぐる薬品会社と厚生省官僚との間の収賄事件を扱うという、斎藤栄にしては意外なほど社会派的要素の強い作品です。汚職事件が背景にあるので、犯人の目星は最初からついています。
だからといってトリックの方がおろそかになっているわけでもありません。第2の殺人での密室の方はすぐに解明されてしまいますが、それでも現実性はともかく根本的なアイディアはそんなに悪くないと思います。しかし中心となるのは何と言っても第1の殺人におけるアリバイ崩しです。考えてみれば無駄に複雑なことをしているような気もしますが、手順はかなり凝っています。
ただし、プロローグには疑問を感じました。読了後読み返してみたのですが、叙述トリックと考えるにはあまり効果が出ていないし、無理な記述があるのです。また、被害者の妻による手がかり発見に大きな偶然を2回も使っているのは減点対象。


No.570 6点 シャーロック・ホームズの事件簿
アーサー・コナン・ドイル
(2012/11/01 20:13登録)
知名度抜群のミステリ古典と言えばやはりホームズ。何編かは子ども向け版で読んでいたのですが、本短編集12編を通して読むのは今回が初めてでした。
原題は、有名な『ソア橋』以外すべて、"The Adventure of ~" となっています。その『ソア橋』は "The Problem of Thor Bridge" ですから、後期作品中特にトリッキーな作品だけのことはあると納得の原題です。
確かに『三人ガリデブ』は二番煎じですし、平凡な話も多いし、といった不満はあります。むしろチャレンジャー教授向きと思えるのまで入っています。しかし、『白面の兵士』と『ライオンのたてがみ』をホームズ自身が執筆したという体裁にする(ホームズの言い訳が笑えます)など、語り方に変化を持たせてもいます。『マザリンの宝石』は三人称形式ですが、だからこそ可能なオチを用意しています。ワトソン手記では『サセックスの吸血鬼』、それに最後の『隠退した絵の具屋』も好きですね。


No.569 6点 ケープ・フィアー 恐怖の岬
ジョン・D・マクドナルド
(2012/10/30 21:07登録)
ロス・マク好きであるからには、ロス・マクの筆名変更のせいで混同されたこともあったというこの人のも当然読んでいなければ、と思いながらも、Amazonの古本を買うほどではないかなという状態のままだった作家です。スコセッシ監督の映画は見ていたのですが、当時は原作者がこの作家だということにも気づかず。
そんなわけで今回やっとジョン・D初読ですが、まず意外だったのが、デ・ニーロ演じる悪役と、彼に苦しめられる弁護士との関係が全然違っていたことです。清張の『霧の旗』をも連想させ、悪役の異常さが際立っていたスコセッシ版に比べると、原作の設定は弁護士を始める前の被告人と証人というありふれた関係です。最初の映画化版『恐怖の岬』の粗筋を読むと、これは原作と同じでした。また、クライマックスは「岬」とは全く関係ありません。
弁護士夫婦のなれ初めの追憶まで入れるという、かなりじっくり描きこまれたサスペンスでした。


No.568 6点 よろずのことに気をつけよ
川瀬七緒
(2012/10/27 19:59登録)
呪術をからめた殺人というので、横溝正史系統なのかと思っていたのですが、かなり違っていました。2011年度乱歩賞受賞作ですから、現代的なタッチがあるのは当然ですが、それはともかくとして。
まず、全体構造がパズラーになっていないのです。ノックスの十戒を引き合いに出すまでもなく、真犯人は巻半ばぐらいまでには登場してこなければならない、というパズラーどころか社会派やハードボイルドでもたいてい守られている法則を無視しています。呪術の扱いもホラー的というより、主人公が文化人類学者だけにアカデミックで厳密です。まあ京極夏彦によると呪術に対する認識に致命的と言えるほどの瑕疵があるそうですが。
主人公に相談に来る真由のキャラがなかなかユニークに描けていますし、後半地方を飛び回るようになってからは雰囲気とサスペンスがきいていて、なかなか楽しめました。


No.567 7点 直線
ディック・フランシス
(2012/10/22 20:52登録)
直線ねえ、というのが読み終わって感じたことでした。と言っても原題”Straight”を内容に則した「実直」と訳したのでは、確かに冴えませんが。作中の言葉を使えば、主人公や冒頭で事故死する主人公の兄の「まとも」さということです。競馬の直線コースとは何の関係ありません。
騎手であるその主人公は最初から落馬で左足を骨折していて、動くのにも不自由ですから、彼自身はハードなアクションはほとんどできません。宝石商だった兄が死の直前に取り扱っていたダイヤの行方、強盗事件、さらに書き出し1段落で予告してある主人公が殺されそうになる事件、それらの謎の真相はどれもたいしたことはないのですが、うまく絡めてサスペンスもあり、最後までおもしろく読ませてくれます。
兄が様々なハイテク機器に興味を持って集めていたので、後になってそれらが活用されるのではと思っていたのですが、当然の一つだけだったのが、少々残念。


No.566 6点 メグレの財布を掏った男
ジョルジュ・シムノン
(2012/10/18 20:10登録)
早春のパリの明るい雰囲気から始まる作品です。タイトルどおり、バスの中でメグレが身分証明のメダルも入れた財布を掏られるのが事件の発端ですが、これもユーモラスな筆致で描かれています。
ところが死体が発見され検死が終わった後は、何となく初期作品を思わせるような雰囲気になってきます。メグレと顔なじみの男が経営するレストランでの食事風景にもそんなところがありますが、特にラストの中庭での会話から殺人事件のあったアパートに踏み込むあたりの情景に、雰囲気小説とも言われていた時期に近い味があるのです。これを後ろ向きと批判する人もいるでしょうか。
真相自体はオーソドックスなパターンにはまっている上、メグレも途中でそのことを気にしているので、すぐに見当がつくでしょう。まあ、意外性より犯人の心理に対するメグレの最後のセリフが印象に残るような作品ではあります。

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