ベンスン殺人事件 |
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作家 | S・S・ヴァン・ダイン |
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出版日 | 1957年01月 |
平均点 | 5.78点 |
書評数 | 18人 |
No.18 | 5点 | 蟷螂の斧 | |
(2021/05/09 15:46登録) 「エラリー・クイーンの黄金の20(長編10)」とのことで拝読。心理的推理を強調し過ぎです(笑)。5分で犯人が判ったと言わしめたものは、心理的推理とは言い難いですね。結局、現場の状況の分析からの推理に他ならないわけですから。特に身長などの分析や犯人像などは・・・。まあ、美術の例(誰が作者か?)での心理的推理は分かりやすかったのですが、それが事件にすべて当てはまるわけでもないし・・・。5人以上の容疑者を一人一人潰していく読書は疲れました。 |
No.17 | 7点 | レッドキング | |
(2020/10/08 20:46登録) 新訳・・といっても何年も前の出版だが・・文庫本にて再読。 そっか!ファイロ・ヴァンスって、1926年にして「現象学的解釈」「本質的直観」推理をやってたんだ! 笠井潔の矢吹駆より、ずっと根源的にシンプルに。ただ「グリーン」「僧正」のみならず、このデビュー作以降は、そうした「オーラ」は失せてしまってたような・・よくてロジック、多くはただの「心理主義的」独断に堕してたような記憶が・・でも、念のため読み返してみよう。 |
No.16 | 7点 | tider-tiger | |
(2020/01/30 22:15登録) 1926年アメリカ。意外と読みどころの多い作品ではないでしょうか。ただし、ヴァン・ダインの衒学には興味ありません。小説技術もいまいちだと思っております。あくまでミステリとして興味深いのであって、シンプルな事件が一つ、これを丁寧に掘り下げて容疑者一人一人を検証していく過程は非常に読ませます。 ミステリに新たなルールを持ち込み、そのルールを説明しながら話を進めていくような体裁になっております。複数の容疑者がいずれも犯人足り得ることを明らかにしていく趣向は(いささか恣意的でリアリティには欠けますが)こうしたゲーム性こそがミステリの面白さではないかとも思うし、多重解決ものの要素まで含んでおります。 ただ、肝腎要の心理的推理による犯人の特定。この試みは中途半端に終わった印象です。本作においてうまく使われた心理的推理があります。一方で、なんだかんだ最終的には物的証拠が決め手となってしまっているのではないかとも思うわけです。 関係者の心理を考察することが犯罪の解明には極めて重要である、くらいに留めておけばよかったのに、物的証拠、状況証拠は役に立たない、心理ですべてが解決できるというのはさすがに吹かしすぎました。 『重罪裁判所のメグレ(シムノン)』において、メグレ警視はとある容疑者に「事実は知らないが、おまえは犯人ではないと確信している」といったことを告げて、その理由を話します。 個人的にとても気に入っている心理的推理(洞察的推理か?)の一例ですが、心理的推理の限界も見えます。メグレ警視本人が「事実は知らない」と言っているとおりです。 心理的推理そのものは好きだし、可能性があるというか、重要であると思っております。心理的推理だけでグイグイ押していくものがあればもちろん歓迎します。 本作はヴァンスの秘書であるヴァンなる人物の一人称で進められますが、ヴァンは作中人物からはほぼ黙殺され、読者もその存在を忘れてしまうほどです。とても特異な叙述です。 ヴァンスの心理を直接描写したくなかった(できなかった)のだろうなあと思っております。 本作には「わかってたなら最初から言え!」とマーカム検事がヴァンスに怒る場面がありますが、もしヴァンスの一人称小説だったら、「わかってたなら最初から書け!」と、読者が怒り出すでしょう。 三人称で書いたとしても、どうにも座りが悪くなりそうです。 それに、いわゆる天才、奇才の類を描く場合、作家は言動と行動は描いても、思考は描かないと、このような形式を取りたがります。超頭脳の思考過程を描こうとするとたいていは白けるのです。 基本的にはコナン・ドイルのホームズ、ワトソン方式と同じです。大きく違うのは、ワトソンはキャラクターとして小説内で活かされていますが、ヴァンはカメラに過ぎません。作者が意図的にカメラにしたのか、ワトソンのごとき魅力的なキャラを作る才能に欠いていたのか、なんだかよくわかりませんが、完全に作者都合で生まれたキャラであり、小説として不自然極まりないことに変わりはありません。 ※なるほど。クリスティ再読さんによる――「売れ筋」狙ったね。ナイス企画というべきか、「意図的なドキュメンタリ・タッチ」――という視点に立つといろいろと違った見え方もありそうですね。 |
No.15 | 7点 | 虫暮部 | |
(2019/12/12 10:48登録) 思うに、最低限の作品なら或る程度スタイルを整えれば成立するミステリと言うジャンルは、気を抜くと堕し易い? あと、読者のマニア度が人それぞれなので、B級品の需要も常に存在する? つまりは、論理的なものと通俗的なものを巡る構造は当時も現在も変わっていないと言うことか、本作の批評性の強い書きっぷりが、90年以上過ぎた今読んでもそれなりに面白い。 饒舌なファイロ・ヴァンスは知的と言うより道化だが、それはそれで楽しめた。なんで最初からあんなに自信満々なの。 |
No.14 | 6点 | 弾十六 | |
(2018/10/27 22:36登録) 1926年出版 今回読んだのは2013年の新訳 実はヴァンダインを読むのは初めてです。日付と曜日と序文とエルウェル事件(1920年)から判断すると1918年6月の事件ですが、内容的に戦後(1918年11月以降)を思わせます。そしてブラックマンデー前のイケイケなUSAの雰囲気です。ファイロのネチネチした皮肉っぽい物言い(美術関係の発言さえも薄っぺらい)にイライラしますが、探偵小説としては王道の内容で楽しめる作品でした。(警察が間抜け過ぎなのがご愛嬌) 次作以降のシリーズがとても楽しみ。この人の探偵小説論を読みましたが、結構真面目な人ではないか、と感じています。 銃は表紙にカッコ良く描かれているコルトM1911(原文U. S. Government Colt—and not the ordinary Colt automatic)が登場。(通常のコルト自動拳銃じゃないよ、というのはM1911が当時市販されてなかったため) グリップが真珠細工(原文pearl handle)のS&W38口径リボルバーも出てました。 でもp354のM1911分解描写はめちゃくちゃ、原文からわけがわかりません。(翻訳が悪いわけではない) He opened the plates of the stock, and drawing back the sear, took out the firing-pin. He removed the slide, unscrewed the link, and extracted the recoil spring. どこがストック?何でシアが出てくる?ファイアリングピンを外す必要ある?著者が知らない用語(シア・ファイアリングピン)を振り回したのでしょう。正しい分解手順(M1911 field stripでWeb検索すると映像が沢山あります)に基づき用語を訂正すると(ストック云々はグリップからマガジンを抜くこと?)「スライドオープンにして、撃鉄を後退させてから(この状態でファイアリングピンは安全な位置にある)、スライドストップを引き抜いた。スライドを外し、バレルブッシングを回して外し、リコイルスプリングを取り出した。」これで銃身がスライドから抜き出せますので、じっくりとライフリングを観察できます。 ところで弾丸の線状痕から発射した銃が特定出来る、というは1925年4月にゴダードらが比較顕微鏡を開発してからのようです。 |
No.13 | 6点 | クリスティ再読 | |
(2018/06/29 08:19登録) ガーネットさんも指摘していることだが、本作は1920年(だから刊行の6年前に)現実に起きた「エルウェル事件」をベースにして書かれた作品である。「エルウェル事件」自体は執筆時点で迷宮入りしているから、作者の狙い自体は新「マリー・ロジェ」だった、という風に見てよかろう。だからね、本作が登場したときのインパクトというのはこんなものだな。 謎のインテリ作家、あの「エルウェル事件」を大胆推理! デュパンを思わすスノッブ探偵曰く「アリバイも物証も全部無意味!心理的には犯人なんて決まってる!」 ..「売れ筋」狙ったね。ナイス企画というべきか。この事件の情報はクイーンの「国際事件簿」にあるけども、どうやら「エルウェル事件」での関係者のアリバイはそもそも強固で、「ベンスン」同様だったようだ。こういう「インパクト」をベースにこの作品をイメージすると...それこそ「テーブルをひっくり返す」ようなショックを目指し、しかもそれにベストセラーの形で世論が応えた、というさまである。このリアルとショックを想像すべきなんだよね。ヴァン・ダインがシリーズ全体に引続ぐ、架空の経歴の注釈、現場図面(推理の役にはまず立たないがね)、章に日時を付ける習慣などの、意図的なドキュメンタリ・タッチも現実の事件をベースにしたところからの発想だ、と見ていいだろう。 まあ評者、こんなこと書きたくなったのは、ハメットのコンチネンタル・オプ物がことさらに実話風のオチを強調するようなあたりからでもある。ヴァン・ダイン=W.H.ライトはいわゆる「メンケン一派」で、セオドア・ドライサーを筆頭とするアメリカ流のリアリズムを称揚した批評の流れにあるわけで、ライトが編集長をした「スマート・セット」の赤字を埋めるために「ブラック・マスク」が創刊されたという、意外なつながりもあるようだ(なぜかハメットとヴァン・ダインはいろいろなところで因縁があって面白い...)。 どうも日本の作品受容史からくる「本格史観」みたいな作品観というのは、「その後の展開」から遡及的に作品を解釈する傾向が強くて、実態と離れて情報が少ないところで想像されたイデオロギーみたいに感じることもある。どうせ訳も新訳に切り替わってきたあたりでもあり、作品理解も更新すべき時期なんじゃないかとも思うよ。「別名S・S・ヴァン・ダイン」なんてイイ本もあるしね。 |
No.12 | 5点 | ボナンザ | |
(2018/06/10 21:46登録) ミステリ黄金時代の幕開けとなった記念すべき一作。 ヴァンスの推理法には賛否あるでしょうが、結論としては第一感を鍛えるってところでしょうか。 |
No.11 | 5点 | nukkam | |
(2016/09/13 12:04登録) (ネタバレなしです) 米国の本格派推理小説黄金時代に大きな足跡を残したS・S・ヴァン・ダイン(1888-1939)は心理分析による推理という、当時としては斬新な手法の採用と広範囲に渡る知識教養を作品に散りばめたことが特徴です。現在ではその作品は古臭いと否定的に評価されることが多いようですが、ミステリーを単なる娯楽作品から知識人の読み物へと地位向上させた貢献はもっと高く評価してもよいのではと思います。本書は1926年に発表されて大評判となったデビュー作です。展開が地味な上に難解な用語がうんざりするほど多用されていてとても読みづらかったですが、22章でのファイロ・ヴァンスによる各容疑者の分析場面やその後に続く証拠固めの場面は無駄がなくてとてもわかりやすかったです。犯人の心理分析は(心理学を全く知らない私には)なるほどと思わせる部分もありますが、唯一絶対の解釈とまで皆が納得できるかどうかは微妙なところでしょうけど。 |
No.10 | 7点 | 青い車 | |
(2016/01/28 19:16登録) デビュー作というだけあって、ファイロ・ヴァンスの鼻持ちならないキャラクター、衒学趣味といったヴァン・ダイン作品の基礎となる要素がふんだんに詰め込まれています。心理的探偵法の有用性は怪しいところもありますが、表面的なアリバイがいかに証拠として薄弱であるかを証明してみせるクライマックス近くの実験は実に鮮やかです。その他、マーカムの地道で着実な捜査をこき下ろしつつも、なんだかんだで親友関係を続けているヴァンスも微笑ましいです。ヴァンスのことをよく思っていなかったヒース部長刑事が彼に尊敬の念を抱くきっかけの事件でもあります。ミステリーとして評価しない人も多いですが、アメリカを舞台とした名探偵の冒険として読めば、こんなに面白いものはありません。 |
No.9 | 6点 | ロマン | |
(2015/10/20 23:14登録) 事件の捜査に興味のあった彼は、友人のマーカム検事のツテで、自宅の椅子で射殺されたベンスンの捜査に同行させてもらったヴァンス(&ヴァン)弾道上のなどの考察で犯人の性別や身長を割り出したものの、中々解決には結びつかず、検事とヒース部長刑事協力の元、入念にアリバイと動機を探り、消去法で犯人の正体を追い詰めていく。容姿端麗で美的知識に強く、ユーモアラスで冷笑的、遺産でお金に苦労しない、古典的かつ推理小説のお手本のような黄金時代の心理的探偵の作品。 |
No.8 | 6点 | 斎藤警部 | |
(2015/05/27 11:14登録) (ネタバレ書きます) 定番名作群の後に、いい年になってから読みましたが、何を隠そう面白かったです。この小説は、題名がいきなり妖怪ネタバラシなんですね。。ダブルミーニングと言うか。。私もすぐピンと来ました。題名の仕掛けに気付いてからは「お前が犯人だろう」「お前だろう絶対」と某登場人物を追い詰めるサディスティックな気持ちで愉しく読み進め、数々のペダントリーも折角のお勉強にと律儀に読み拾い、結末は果たして睨んだ通り、あいつが真犯人(ホンボシ)でしたね。。美術評論家さんもお茶目なタイトルを付けたものです。 |
No.7 | 5点 | あびびび | |
(2015/04/26 18:28登録) 30年ぐらい前にグリーン家を読み、2.3年前に僧正を読んだ。その時は探偵役のファィロ・ヴァンスのことはあまり意識しなかったが、物語の事情がそうであれ、こんな嫌な男だったんだ…と思った。自分が検事なら、とても我慢はできないと思う。 それにしても、詩人、作家、哲学者などの引用文が多すぎる。ドロシー・セイヤーズでも辟易しているのに、これほど多いと自然に読み飛ばすことになる。その引用文のせいで、単純な事件がややこしくなり、ページ数も多くなったような気がする。 |
No.6 | 6点 | アイス・コーヒー | |
(2014/02/15 10:36登録) 記念すべきヴァン・ダインと名探偵ファイロ・ヴァンスのデビュー作。「物的証拠」の否定と心理による真相究明や、本編とは何の関係もない薀蓄が独創的。 事件自体が地味な割に、文章が長ったらしく二転三転するため、読むのには時間がかかった。しかし、ペダントリーもこの程度ならまだいい方で、(個人的には)それなりに楽しめる。 犯人の特定は登場人物の描写に妙な偏りがなく、それなりに良かった。多重解決に近いくらいに、容疑者の検証と否定を繰り返すストーリーだけにその真相はスッキリしないが、一応伏線は回収したか。 全体的には黄金期の本格らしい作風で、ミステリとしては小粒ながらそれなりに面白かった。ヴァンスのセリフ(どうやらあのしゃべり方は天然らしいが…)にも、なかなか考えさせられるところがあり手を抜かずにつくられている。ところで、本来ワトソン役のはずの「S・S・ヴァン・ダイン」本人の描写がほとんどなく、その場にいないように錯覚してしまう点は気になる。 |
No.5 | 4点 | mini | |
(2013/02/21 09:56登録) 本日21日に創元文庫から「ベンスン殺人事件」の新訳版が刊行される、創元では3年前の「僧正」に続いて日暮雅通氏による久し振りのヴァン・ダイン新訳切り替えである 好き嫌いは分かれようが旧訳の井上勇訳は嫌いじゃなかったんだけどね、まぁ古いからね仕方ないよね さて「ベンスン」の私の点数が低いのはミステリー的に出来が悪いからで、これは否定しようが無いから仕方ないのだが、でも実は私は「ベンスン」は擁護したい作なのだ そのポイントは心理的探偵法への擁護なのである 某超有名掲示板で某有名固定ハンドルの方が居られてだね、あっ、あの悪名高きお方じゃなくて大量に読後感想文書いておられるもう1人のほうね、でさその方の初期の感想にこんなのがった 作品名は忘れたが、”心理的探偵法は合わない、やはり物証じゃなければ”、みたいな事を書いていた その方だけじゃなくてもさ、探偵役が心理的に犯人を指摘すると、”それだと裁判で有罪には持ち込めない”、みたいな事を言う人がよく居る しかし私はこれらの意見には真っ向から反対の立場なのだ そもそも探偵役が裁判で有罪とするに足る証拠を提出しなければならない必要性が有るのだろうか? ”犯人を絞り込む”、という事と、”裁判で有罪にする”、とは全く別次元の問題だ、後者の担当は検事である 検事が探偵役ならともかく、探偵役は犯人を指摘したら後は検事に引き渡せばいいのであって、裁判に勝てるかどうかは検事の仕事である そしてだ裁判で有罪の証拠で大きいのが”DNA鑑定”である、細かなロジックなんかよりDNA鑑定一発で決まりって事件もある そう言うとミステリー小説に於いてDNA鑑定や科学的分析を持ち込んだら味気無いと言う人が必ず出てくるんだ しかし如何につまらなかろうが、裁判で勝つには科学的分析を挙げる方が手っ取り早いのである さてそう考えるとだ、探偵役が犯人を指摘する段階においては、心理的だろうが物証的だろうがどっちでもいいわけだ、探偵役の推理を裁判で使うわけじゃないんだから だから私はヴァン・ダインの心理的推理法が駄目だとは思わないのである 今では本国でも忘れられた作家ヴァン・ダインだが、本格長編黄金時代の幕開けに貢献した作家の1人として、従来の探偵法とは一味違う手法で独自性を主張しようとした意気込み自体は買えると私は思うのだよな ヴァン・ダイン作品では探偵役・地方検事・警部とのトリオで捜査する割には、裁判にならない結末が多い 一方クイーンは探偵役クイーン君が裁判で推理を披露する作品が有ったりするのだが、そう言えば父親の警視は登場するけど重要な検事役って居ないよな、例外的なあの1作は除いてね(笑) なんかさぁ、クイーンよりヴァン・ダインの方が現代ミステリーにも通ずる新しさを内蔵してた気もするんだよなぁ |
No.4 | 6点 | HORNET | |
(2012/01/04 20:55登録) ヴァンスの高慢ちきな物言い、推理とは関係のないペダントリーはうっとうしい限りだが、「殺人犯の心理とはこういうものだ」「事件現場で大事なのはこういう点だ」などの持論の演説は(おそらくヴァン・ダイン自身の持論だろう)なかなか興味深く読めた。「犯罪の推理には物的証拠などより心理的根拠こそが最も重要」という考え、それによって真相に到達するフーダニットは、現代では通用しないだろうが、だからこそ今ではなかなかない作品とも言える。心理的要素から犯人をあばく過程もまたなかなか面白かった。 |
No.3 | 5点 | kanamori | |
(2010/08/15 14:10登録) 匿名の素人探偵ファイロ・ヴァンス初登場作品。 事件自体は、「グリーン家」や「僧正」と比べると小粒で地味な内容で、探偵の芸術関係のペダントリー連発もうっとうしい限りです。 再読したのは、ある評論で叙述の特異性に触れていたからです。当シリーズはワトソン役である「私」ヴァン・ダインの一人称視点で語られていますが、彼は現場に居るにも関わらず、いっさい口出しせず、存在感がまったくありません。 これは、一人称視点なのに神視点だと錯覚させる”視点誤認の叙述トリック”の先駆ではないでしょうか(笑)。 |
No.2 | 7点 | E-BANKER | |
(2010/02/05 23:29登録) ファイロ・ヴァンス探偵譚の記念すべき1作目。 点数はかなり甘めです。 まぁ、何といっても、本作ではヴァンスの名探偵ぶりを堪能できます。 皮肉たっぷりの話し方や主に芸術関係の様々な薀蓄・・・本筋と関係ない部分を省略すれば、長さは半分くらいになったかもしれません。 とにかく、ヴァンスの主張は首尾一貫。「状況証拠には価値はない。心理的推理のみが唯一の探偵法である。」 時代が時代ですから、驚くようなトリックがあるわけではないですが、それでも歴史に残る作品という評価には十分値すると思います。 |
No.1 | 4点 | 空 | |
(2008/12/10 21:03登録) この著者の第2作以降やクイーンを何冊か読んだ後で、この作品に初めて接したのですが、さすがに格調の高さは感じられるものの、後続の諸作に比べると、事件自体に特徴的な魅力がなく、歴史的意義以上のものは感じられないなというのが、正直な印象です。 事件に関わる前から個人的にその人物の性格を知っていたから、というのが、ファイロ・ヴァンスが真犯人を見破るきっかけだったというのでは、『カナリア殺人事件』と違ってアンフェア以外のなにものでもないでしょう。犯人がしかけたトリックの提出タイミングも、もうちょっとなんとかならなかったものかな、と思えます。 |