tider-tigerさんの登録情報 | |
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平均点:6.71点 | 書評数:369件 |
No.369 | 8点 | 凶手 アンドリュー・ヴァクス |
(2024/03/18 23:06登録) 『シェラが生理になったとき、ひどい腹痛を起こしたことがあった。こらえきれずに泣き叫ぶほどだった。おれはどうしたらいいかわからなかった。冷たいタオルを持ってきて、額にのせようとした。シェラはそのタオルをおれに投げつけた』本文より ~俺はゴーストと呼ばれていた。得物は持たず素手で仕事をする殺し屋。踊り子のシェラと出会い、俺たちは美人局をはじめた。だが、殺人事件に巻き込まれてしまい、俺は服役することになった。その間にシェラはどこかへ消え失せていた。~ 1993年アメリカ。ノンシリーズ作品。原題は『Shella』 タイトルに女性の名を冠する点ではバークシリーズと同じで、その世界もまた然り。ただ、そこに拠り所も人生観も正義もない男、ゴーストが放り込まれている。簡潔な文章で綴られた清澄な作品。 非常によい作品だと思うが、第一部の『ゴースト』と第二部の『ジョン』があまりにも肌合いが異なり、少し気持ちが悪い。前者はハードボイルドの文体、筋立てだが、後者の筋立てにはバークシリーズ的なものも感じる。 ゴーストのキャラはしっかりと確立されている。ゴーストのシェラへの執着はいったいなんなのか。感情や知性にいまひとつ欠け、ただただ漂うようにシェラを求めていく姿には「なぜ?」という疑問も浮かぶのだが、一人称で語られるその筆致は純粋で美しい。ある意味では正義感の欠如がそう感じさせているのかもしれない。 ゴーストのキャラに呼応させるかのように簡潔に描かれていることでヴァクスの別のセンスを知ることができる作品だが、バークシリーズと表裏一体となっている作品でもあると思う。 邦題の『凶手』はゴーストが素手による殺しを生業としているところに由来するのだろうが、自分は先に好手、悪手、巧手といった言葉の類語のように感じてしまった。すなわち災いを招く一手。 |
No.368 | 8点 | プードルの身代金 パトリシア・ハイスミス |
(2024/02/23 00:16登録) 『エド(レイノルズ)は、自分の想像以上にクラレンス・ドゥアメルは明確な考えを持たず、未熟だと思っていた』本文より ~レイノルズ夫妻の飼犬リザが行方不明となり、夫妻はのちに身代金を要求される。夫妻は犯人の要求に従ったのだが、それでもリザは還らなかった。警察に知らせるも、捜査はおざなりで夫妻は途方に暮れる。そこへ親身になってくれる若い警官が現れる……。~ ※本文内でリザの犬種は『フレンチ・プードル』とありますが、自分はそんな犬種は聞いたことがありません。どんな犬なのでしょうか。ちなみに自分が所有しているのは1997年発行の扶桑社版です。 1972年アメリカ。リプリーシリーズの二作目『贋作』と三作目『アメリカの友人』の間に発表された作品です。ハイスミス中期の作ということになるのでしょうか。本作あたりから彼女の筆が遅くなりはじめているようです。 上記あらすじからは想像もつかない結末を迎えますが、そこに至る過程が多面的かつ緻密に構成され、高い完成度を誇っています。エンタメとして起伏はあまりないものの、独特なサスペンスに溢れております。 なぜ本作がそれほど有名ではないのかが不思議です。ハイスミスの最高傑作の一つではないでしょうか。 序盤に若い警官がやらかしたミスはちょっとあり得ないのではないかと。さらにそのあとの夫妻の決定にかなり強引さが見られます。これは本作の瑕疵ではないかと思います。 動物を誘拐して身代金を要求するというアイデアはあまり活かされず、先を読めない展開はいつものハイスミス。これはエンタメ小説としてはあまりいい意味ではなくて、読者の期待をことごとく裏切って変な方向に舵を切っていくいつものハイスミスということです。 被害者夫婦は静かに悲しみに耐えようとしているのに、そんな彼らの生活を引っ掻き回す善人がいます。 ごくごく普通の人間が抱く、ごくごく当たり前の感情がいくつも合わさって大きなうねりとなっていくさまは見事です。 読み手によってとある主要人物の見方が割れるような気がしています。 理想主義者ではあるのでしょうが、ごく普通の善良な人物なのか、そうではないのか。自分は後者のように感じておりますが、前者だとする人の方が多そうな気はします。 ハイスミス作品は『殺人を断罪しない』ことが特徴の一つだとよく言われております。もっと突っ込むと、ハイスミス作品では殺人が人物評価になんの影響も与えないのです。『人を殺すような悪い奴』『人を殺したけど本当はいい奴』こうした概念が存在しないかのようであり、そのことに気づかずに読んでしまっていること、作者自身もそのことに無自覚でありそうなことがなんとも薄気味悪いのです。 あとがきにトンプスンとハイスミスの類似に関する言及ありますが、自分も同感です。特に本作にはジム・トンプスンに通ずるものを強く感じます。さらにドストエフスキーが生み出したとある人物が頭に浮かびます。 本作を表現するのにピッタリな歌詞を思い出しましたので、一部を抜粋して終わりたいと思います。 ♪ぼくは砂の果実 氷点下の青空~♪ 歌 中谷美紀 ※R6/3/18追記 フレンチ・プードルというのは独立した犬種ではなく、プードルの別称のようです。プードルはフランス原産という説があり、またフランスで人気の高い犬種でもあることから『フレンチ・プードル』の呼称が使用されることもあるようです。自分は初耳でした。 |
No.367 | 6点 | メグレとマジェスティック・ホテルの地階 ジョルジュ・シムノン |
(2023/11/20 23:01登録) 『これからも<メグレ警視>シリーズを含めたシムノンの小説をたくさん紹介していきたい』 by 早川書房編集部 ~超高級ホテルの地階で女性の死体が発見された。状況的には遺体の発見者ドンジュが犯人のように思えるのだが、メグレは犯人は別にいるとにらんでいた。いつものごとく根拠はあまりないのだが。 1942年フランス。メグレシリーズ第二期最初の作品にして新訳。ミステリとしてしっかりとしたプロットがあり、ホテル内部の背景描写なども存外に丁寧になされている。読み方によって面白くもつまらなくもなりうるメグレシリーズにあって、ミステリ的に普通に読める作品として初メグレにも適した作品ではあるが……。 まず前提として本作はエンタメとしてもミステリとしてもなかなか出来がよい。だが、今回は長所をあげることよりも違和感を中心に書いていきたい。 冒頭の男女の描写は実にいい。お洒落なフランス映画のようだ。 だが、話が進むにつれて少しずつ違和感が。描写に妙な拡がりを感じる。それ自体は悪いことではないが、どうもメグレを読んでいるような気分にならない。カメラの位置がいつもと違うのではなかろうか。なんだかんだメグレを中心というか、カメラはメグレのすぐ近くにある印象だったのに、本作はメグレ置き去りにカメラがあちこち移動しているような印象がある。いい悪いではなく、違うと感じた。 メグレの気分も妙に安定しており、神経症的な描写に乏しい。さらにメグレ夫人がお喋りすぎる。 ミステリとしても悪くないし、プロットもしっかりしている。みなさんが指摘されているようないい場面、ドラマもある。が、なにか普通のいい話であり、メグレじゃなくてもいいのではないかと感じてしまった。 空さんが翻訳に疑問を呈されていたが、自分も(翻訳由来なのかはわからないが)強い違和感があった。例えば、ホテル内部の描写なんかがシムノンにしてはくどいと感じた。また、シムノンがこんな気の利かない文章を書くのかと感じた箇所がいくつか。二つ例をあげておくと。 20頁『だが、(メグレは)すぐに肩をすくめて、パイプをくわえなおすと、ゆっくりとふかした。朝いちばんの煙草だ。最高の味がする』後の二文、シムノンが書いたとは思えない。 22頁『支配人の顔は暗かった。殺人事件が起きるなんて、ホテルにとっては大迷惑だ』二つ目の文章、小学生が読んでいるんじゃないんだからこんなわかりきったことの説明はいらない。 瀬名さんがれいの連載でこんなことを仰っていた。 『作家の人生観や信条に興味はないが、ただ暇つぶしのために面白い小説を読みたいという(おそらくは大勢の)読者にとって、第二期メグレはうってつけの小説だろう』 本作を読む限りでは、まったく同意である。そして、これって褒めているのだろうか? 今回は主観重視の6点とさせていただきます。 読書メーターなどで反応をみるに早川書房のメグレ新訳シリーズはおおむね好評を博しているようで、いちファンとしては非常に喜ばしく思っている。メグレシリーズは爆発的に売れるようなものではないだろうが、瀬名さんの尽力もあり、ジワジワとファン層が広がっていくのではないかと期待している。特に第二期作品を自分はほとんど読んでいないので(いままでメグレのすべてを知っている風な口を聞いておりましたが、ここで白状しておきます)、冒頭の早川編集部の言には大いに期待している。 そんな動きに水を差すような書評になってしまいました。ごめんなさい。 |
No.366 | 8点 | フォン・ライアン特急 デビット・ウェストハイマー |
(2023/10/16 02:14登録) 『隊のなかでも、彼以上に空に憑かれ、地上では彼以上友だちの少ない人間はいなかった』本文より ~第二次大戦も終盤、米国空軍大佐ライアンはイタリアで撃墜されて捕虜収容施設に入れられた。そこは不潔と怠惰が満ちゝていた。収容されている米兵、英兵は野良犬の群れに等しかった。 捕虜の管理者に就任したライアン大佐は「こんな体たらくでは脱走もままならないではないか」と、こんな風に思ったのかどうかは定かではない。 1964年アメリカ。本サイトに人並さんがいらっしゃらなければ存在自体知らなかった作品でした。閉鎖環境で困難に直面、内部統制を図りつつ、機をみて脱出するという話です。すなわち前半はライアン大佐が捕虜たちを軍人へと立ち返らせる努力が描かれ、後半に入ると手に汗握る脱走劇となります。大ヒット作とのことですが、時の流れとともに埋もれてしまった感のある作品です。そんな現状が不思議なくらいの面白い作品でした。 作者は第二次大戦中に米国空軍に所属しており、イタリアで撃墜されて捕虜になった経験があるようです。ですが、あまり説明的な描写はせず、作中人物の行動を中心に捕虜の生活が描かれています。また、心理描写もあまりなくて、主人公のライアン大佐がどういう人間なのかはよくわかるのですが、なにを考えているのかはいまいちわかりません。口数少なく、妥協せず、他人と馴れ合うこともなく、規律と信念を冷徹非情に貫き通す。犯罪行為はしないけど、人殺しはする悪党パーカーといったところでしょうか。 物語の型としては『一五少年漂流記』面白い作品の一つのパターンともいえます。八方塞がりの状況下に置かれた集団の中に有能だが厳格で面白みのないリーダーがいて状況を打開していく。それがうまくはまりまくった上等なエンタメ作品であります。即物的で硬質な作品であります。 序盤はあの人物を起点にして鋼鉄の男ライアンにも緩みというか人間味が生まれるのかと想像しましたが……感情の揺れ動きが少ないライアン大佐だけに、彼が感情的になりかけた場面が非常に印象的です。いやはやそうきましたか。 ライアン大佐三十六歳とありますが、四十五歳くらいに感じてしまいます。ブライト・ノア中尉一九歳の衝撃には負けますが。 |
No.365 | 8点 | 悪党パーカー/殺戮の月 リチャード・スターク |
(2023/09/16 01:10登録) 『あんたらしくもないぜ、パーカー』by ハンディ・マッケイ ~二年前にアラン・グロフィールドと組んだヤマ。獲物の7万ドルはまだれいの遊園地(悪党パーカー/殺人遊園地参照)に隠したままだ。グロフィールドに声をかけて回収に行ったところ、金は消えていた。もちろん最寄りの警察署に届けられてはいない。街を牛耳るアル・ロジーニがネコババしたのに違いなかった。 1974年アメリカ。悪党パーカーシリーズの16作目。次作『エンジェル』(未読)の出版まで約20年待たされることとなるため、本作はシリーズの最初のピリオドともいえる。頁数といい内容といいシリーズの集大成に相応しく、エンタメとしてもシリーズ最高峰の作品。 7万ドルもの金を二年も遊園地に隠したままにしておくなんて……もっと早く取りに行けよと。それはさておき、本作は初期作『犯罪組織』の拡大再生産の趣あって、構成、敵方の造型、美味しさの秘訣などは通じるものがある。ただ『犯罪組織』はあくまで犯罪小説であったが、本作は冒険小説の色が濃い。 実は本作には少し違和感がある。悪党パーカーシリーズの傑作の一つであることは認めるものの、パーカーに緩みを感じなくもない。 厳格な規律を冷徹に守り抜く信念に揺らぎを感じるのだ。 冒頭に挙げたハンディ・マッケイのセリフのとおり。パーカーはマッケイのこのセリフに対して色々と言い返す。だが、冷徹なパーカーに狼狽の色が読み取れてしまうのは気のせいだろうか。そして、作者にも。 パーカーの緩みは何度か感じたことがある。それらは常にクレアかアラン・グロフィールドが絡んでいるときである。 ※『襲撃』の書評で雪さんがグロフィールドに苦言?を呈されていたが、自分もまったく同感。 クレアとアラン・グロフィールドはシリーズに彩りを添えた。だが、同時に緩みももたらしてしまった。世界を豊かにしつつ世界を破壊してしまうどうにも悩ましい存在だと思う。 ※クレアはまあどうでもいいが、アラン・グロフィールドは自分も好きなキャラではある。 『悪党パーカー/掠奪作戦』を読了。シリーズのパートⅠ全16作読破(パートⅡは『悪党パーカー/ダーゲット』のみ読了)したので総評を。 駄作なしの非常に優れたシリーズだった。 1~4はいわばパーカーの復讐劇。5~8は犯罪プランナーとしてのパーカーが確立されていく。9~12はいわゆるヤマを中心に据えたゲーム性の高い4作。13~16はいまいち一貫性がないが、変わらず質は高い作品群といった感じだろうか。 1悪党パーカー/人狩り 2悪党パーカー/逃亡の顔 3悪党パーカー/犯罪組織 4悪党パーカー/弔いの像 5悪党パーカー/襲撃 6悪党パーカー/死者の遺産 7汚れた7人 8カジノ島壊滅作戦 9悪党パーカー/裏切りのコイン 10悪党パーカー/標的はイーグル 11悪党パーカー/漆黒のダイヤ 12悪党パーカー/怒りの追跡 13悪党パーカー/死神が見ている 14悪党パーカー/殺人遊園地 15悪党パーカー/掠奪作戦 16悪党パーカー/殺戮の月 水準には達しているが、少し落ちるかなと感じたのは二作目『逃亡の顔』と、この前読んだばかりのラス前『掠奪作戦』の二作か。 好きな作品を個別に挙げるのは難しいが、時期としては5~8の作品群の雰囲気がもっとも好み。 ちなみに客観評価では今回書評した『殺戮の月』はベスト3には確実に入る。 |
No.364 | 5点 | 獲物は狩人を誘う ジョナサン・ヴェイリン |
(2023/09/04 23:57登録) 『サーヴィス・カウンターの向こうの老婦人たちは、郊外の図書館が、白い壁と木の棚と<静かに>という注意書きだけだった時代と少しも変わっていなかった』本文より ~その図書館では病的なやり口で本を切り裂かれる案件に悩まされていた。美術関連の本ばかりがすでにニ十冊以上。依頼を受けたハリイは図書館所属の調査員ケイト・デイヴィスと協力して調査を開始する。やがてハリイは未解決の殺人事件に突き当たる。異様な姿で発見された女学生……異様な本の切り裂きとなにか関係があるのか。 1980年アメリカ。私立探偵ハリイ・ストウナーシリーズの第二作。典型的なハードボイルドの筋運びに読みやすい文章、そこに本作発表当時に流行しつつあったサイコなネタを入れ込んでいる。良くも悪くも随所に80年代の雰囲気を感じさせる。そこそこ面白かったし大きな破綻もないが、各部品がうまく噛み合っていない印象が残った。 過剰な比喩と減らず口を抑制し、視点人物であるハリイにもさほど特徴がないが、文章の組み立て方はチャンドラーの影響を強く感じさせる。 悪い意味で素直といおうか、一本調子かつ予想どおりに物語は進行していく。いちおう仕掛けはあるが、多くの人はすぐに気づくのではないかと。 心理学ネタはいまとなってはもうかなり古びてしまっているが、そこにはさほど突っ込んでいないからまあいいかな。ある意味では不幸中の幸い。 探偵役のハリイは思考はするも感情の揺れがほとんど感じられず、色恋はあっても、その描き方がなんかあっさりしていていまひとつ魅力に欠けている。ヒーローヒロインよりもどことなくいけ好かない依頼主や図書館の司書たち、事件関係者の方が面白みがあった。 このシリーズは初読み。読むのはまったく苦痛ではないし、他の作品も読んでみるかもしれない。ただ、積極的に読みたいという気持ちでもない。 発売当時に読んでいればもっと愉しめたろうと思う。いまでは類似のネタを扱ったものを読み過ぎてしまっている。終盤はスリリングでなかなかよくできているし、全体的にリーダビリティは高い。 シリーズが進むにつれて面白くなっていくという噂もあるので、今後の付き合い方は次に読む作品で決まりそう。 ちなみに原題は『Final Notice』 |
No.363 | 5点 | 五時から七時までの死 アンドレ・ポール・デュシャトー |
(2023/08/31 22:23登録) 『子供がそのまま大人になったような。いってみれば、パイプをふかす、その合い間合い間にチューインガムも噛んでいたい。そんな人なのだ』本文より ~ヒルダは睡眠剤で自殺を図った。朦朧としているさなかに電話が鳴り、迷いながらもどうにか電話を取った。昨夜間違い電話をかけてきた男だった。睡眠薬を大量に飲んだことを男に伝えた。男の機転でヒルダは一命をとりとめる。それ以来、男はときおりヒルダに電話をかけてくるようになるのだが。 1973年ベルギー。フランスミステリ大賞受賞作。心理描写と技巧に力点を置いたいかにもフランスミステリ的な作品。コンパクトにまとまり、作者の狙いどおりに決めるところはきちんと決まっているのに、どこかインパクトに欠ける。 悪くはないのになぜか記憶に残らなかった作品。知る限りでは類似作が2作あるが、それらと比較すると面白い場面と魅力的なキャラに欠ける。ヒルダの叔母はなかなか味わいがあったものの、総じて登場人物全体が薄っぺらい。そのせいか機械的に物語が進行しているような印象を受けてしまう。心理ばかりを追っていて、なかなかキャラが立ち上がってこない。 読み返してみると伏線の張り方などなかなかいいし、ミステリとしてはそんなに悪くないのにもったいない。 |
No.362 | 7点 | 炎の終り 結城昌治 |
(2023/08/25 00:04登録) 『風が吹いて、電線を鳴らした。風の声は、れい子の声に似ているようだった』本文より ~真木はホテルのバーで印象的な女に出会った。ほんの一言二言を交わしたに過ぎなかったが、後日、女は真木に電話をかけてよこして、真木は会う約束をした。 『暗い落日』『公園には誰もいない』二作続けて若い女が失踪しているので、さすがに今度は違うネタで来るだろうと真木は考えていたのだが…… 私立探偵真木三部作の最終作。最終作らしさはないが、瑕疵が少なくよくまとまっており、ミステリとしても読みごたえある。こてこてハードボイルドと見せかけてミステリのエッセンスをさりげなく振りかけてある良作。 真木三部作は『少女失踪シリーズ』とでも呼びたくなるくらいどれもこれも若い女が失踪する。さまざまな形の幸せがあるように、失踪にもさまざまな形があるようだ。ミステリ成分の含ませ方にはけっこう違いがあるように感じる。 ミステリとしては真木シリーズ二作目『公園には誰もいない』(これはこれで好きな作品だが)のような変なこね方はしていない。『暗い落日』ほどのインパクトはないが、完成度は同じくらいに高い。 ミステリとして優れた部分をあまり強調せずに淡々と書かれていることは美点でもあり、欠点でもあるかもしれない。インパクトには欠けているが、無駄なく隙なく繊細に仕掛けが施されている。真木三部作の中でもっとも丁寧に読むべき作品はこれかもしれない。無駄だと思っていたいくつかのパーツについて「ああ、そういうことだったのか」と思い至り、最後にタイトルの意味に気づく。 真木三部作の中では他の二作よりほんの少し文章の質が落ちている(ような気がする)。都合の良すぎるキャラの存在。終盤に説明的に過ぎる部分があってすっきりとまとめきれていないことなどが気になる。 それから、ゴリラのような憎たらしい刑事による礼儀を欠いた尋問シーンが出てくるが、これはチャンドラー『長いお別れ』からのいただきだろう。真木はこのシーンでマーロウとほぼ同じセリフを吐く。これはちょっと評価できない芸のないパクリ。 ついでにもう一つ。 このシーンで、ゴリラ刑事が机を叩いた時に一輪挿が床に落ちて割れてしまう。 以下引用 ~叩いた拍子に、何も挿さっていない一輪挿が倒れ、床に落ちて真っ二つに割れた。赤いガラス製の、愛らしい一輪挿だった。~ →『何も挿さっていない赤いガラス製の愛らしい一輪挿が倒れ、』として一文にまとめてしまわなかったのはなぜ? 形容語をつないで頭でっかちになるのがイヤだった? 文章のリズム? 二文に分けてゴリラ刑事が壊してしまったものを強調したかった? 赤い一輪挿はなにかの暗喩で、それが壊れてしまったことを暗示していた? これといって深い意味はない? こういうどうでもいいことを考えるのが面白い。 真木三部作はあまり優劣を付けたくないので全部7点でいいや。 |
No.361 | 7点 | ガラスの独房 パトリシア・ハイスミス |
(2023/06/29 23:14登録) ~建築技師フィリップ・カーターは横領の罪を着せられて投獄された。弁護士や妻の尽力で再審のわずかな希望が残るものの、刑務所で経験する不条理の数々はカーターの人間観、人生観に少しずつ暗い影を落としていくのであった。 1964年アメリカ。前半はカーターの獄中記、後半は釈放されてからのゴニョゴニョといったところ。エンタメとしてはいまいち盛り上がりに欠けるきらいもあるが、非常に堅実な作りでリーダビリティは高く、完成度も高い。 名作とまでは言わないが、力作。後の世で粗製乱造されていくある種の類型的な人格について、そのような人格が形成されていく過程を納得がいくようにきちんと描き切っている。 交換殺人だのストーカーだの新しいテーマやアイデアを盛り込みつつ、エンタメとしてはあまり読者の期待通りには書かない作家だが、本作もさほど派手な展開はない。 ただ、劇的なところもあるにはある。本作のカーター氏はリプリーのような人間的な愛嬌はないけれど、リプリーなどよりはるかにまともであった。そんなカーター氏の変容が出来事だけではなく、彼の思考までをも丁寧に追って描かれていく。気が付くと世界は劇的に変化している。 カーターは悪いのか、悪くはないのか、よくわからない。すごく嫌な奴に見えるその他の登場人物たちも冷静に考えるとごくごく普通の人のようにも思えてしまう。読者を不安定な世界に転がしていくハイスミスの手腕はどんどん冴えてきている。 ラストはまあ相変わらず賛否両論ありそうだが、自分はけっこう好き。 サスペンスなのかクライムノベルなのか迷うところだが、クライムとした。タイトル『ガラスの独房』は最終的に主人公が置かれる状況を指しているのだろうか。 |
No.360 | 7点 | 罪深き村の犯罪 ロジェ・ラブリュス |
(2023/06/22 12:05登録) ~故郷の静かな村で有力者が絞殺されたと聞き知った。とっくの昔に村を出て保険調査官をしていた私は探偵役を買って出た。相も変らぬ人間模様にゲンナリもさせられるが、警官としては凡庸だが人間的には嫌いになれない警視との二人三脚の捜査が開始される。 彼ら、彼らと私、そして、私……。 1984年フランス。パリ警視庁賞受賞作。閉鎖的な村社会のありようを描くことに力を入れた作品なのかなと思わせておいて、それだけには納まらない。なかなか巧妙な作品に仕上がっている。 個人的なお気に入り作品。邦訳は本作のみのようで、実に惜しい。 本作は閉鎖的な村社会での事件を扱ったよくある作品を一歩越えていると考える。小さな共同体内部の事件であることは必然でありながらも、そのこと自体が×××になっている。さまざまな要素が詰め込まれて消化しきれなかった部分あるが、読みどころは多い。 言葉へのこだわり、洞察が「もちろんです」を連発する有能なのか凡庸なのかよくわからない警視という面白いキャラを生み出したように感じる。 深い考えもなくなんとなく警察に入ってしまったが、自分にはその資質がないと吐露する警視に『私』は言う。 「どんな職業にも<技術>が必要だということに気づいた?」 「そのとおりです」 「しかし、その<技術>には反発した。心のどこかで、警察官になるための技術を軽蔑しているからです」 ミステリ的に分類すればアレになるのだろうが、熟達のミステリマニアでも虚を突かれるのではなかろうか。テーマ的にも犯人像にしてもとある作家のとある作品が思い浮かぶが、その作品よりも出来がいい。 邦題の『罪深き村の犯罪』というのは曖昧な日本語であまりよろしくないと思っていた。「罪深い村で起きた犯罪」なのか、「村で起きた罪深い犯罪」なのかが判然としない。はてさて……と思ったのだが、なるほど。 |
No.359 | 6点 | グリュン家の犯罪 ジャックマール&セネカル |
(2023/06/22 12:04登録) ~小ベニスと呼ばれるプチット・フランス地区で川に女性の遺体が浮かんだ。騒ぎになるも、発見者たちが目を離したすきに遺体はどこかへ消え失せていた。どうも遺体はこの地の有力者グリュンの家の者だったらしい。デュラック警視はグリュン家をたずねる。すると、川に浮いていたはずの遺体が家の中で発見されてしまった。 1976年フランス。パリ警視庁賞受賞作。導入では派手な展開を予想させなくもないが、内容は地味な捜査を主体とした作品。人間関係を読み解いていく、だけでもない本格ミステリのなかなかの良作。 50年近く前の作品ではあるが、それにしても(序盤は)書き方というか言い回しが古めかしい。文章だけにとどまらず、さまざまな点からも古典ミステリが作者の血肉となっていることを強く感じさせる。さほどケレン味はなく、中盤ややダレ気味になるところもあるが、会話主体の読みやすい文章、どこか謎めいたところのあるグリュン家の人々、丹念に伏線を張って、最後に二転三転したうえで真相が明らかになっていくカタルシスなどなど美点も多く、フランスミステリが苦手な方にもお薦めしやすい作品。 同時に書評した『罪深き村の犯罪』ほどの思い入れはない作品だが、高評価する方がいることにはなんの異論もない。バスケが好きかサッカーが好きかの違いのようなもの。 |
No.358 | 6点 | オランダの犯罪 ジョルジュ・シムノン |
(2023/06/22 12:04登録) ~フランス人教授が講演のため訪れていたオランダ北部の町で殺人事件が発生した。教授は被疑者としてオランダに留め置かれることとなり、メグレ警視が彼の地へと派遣されることになった。 1931年フランス。メグレシリーズ初期作品。『メグレと深夜の十字路』の次に発表された。ミステリ色が強いというか、きちんとミステリの手法を取り入れて書かれている。最初に容疑者候補がずらずらと紹介され、最後にみんなが集まって解決に至る。 メグレの捜査は事件関係者宅での牛の出産の手伝いからはじまる。 「こんな職業におつきになったのは初めてでしょ?」 事件関係者18歳のベーチェがからかうように訊いてくる。 「最初ですよ」と、メグレは答える。 ※これは初めてやったの意ではなく、「子供時代の最初の仕事は牛の世話でした」すなわち子供時代のサン・フィアクル村での経験を話したのだろうか。 メグレはベーチェの部屋に通される。 「ねえ、パリにいるみたいでしょう?」と、ベーチェ。 うーん。『シムノンは行き当たりばったりに書いていた』という説が疑わしくなってくる。少なくともベーチェの人物像はこの時点で完璧に固まっている。プロットも固めていたのではないだろうか。 本作はかなり計算されて書かれているように思える。作りがきっちりとしていて、メグレ物にありがちな茫洋としたところがあまりない。本格ミステリとして充分に愉しめる。 山のない国が舞台であるという先入観のせいかもしれないが、景色が妙に開けて感じる。メグレ物には珍しい感覚がある。ヨハネス・フェルメールの『デルフト眺望』が思い浮かぶ。 エピローグとなっているノートの章で、怖ろしいというか、すごく痛そうな事実が明らかになる。その事実をサラリとメグレに告げた人物を怖ろしく感じた。そして、ラストの一文が素晴らしい。この一文で千代の富士のお尻のように作品がグッと引き締まった。 メグレ警視シリーズの中には古書価が高騰している作品がいくつかある。『死んだギャレ氏』クリスティ再読さんも触れていらした『メグレ警部と国境の町(未読)』そして、本作もそうした一冊。 瀬名さんが『シムノンを読む』でかなり高評価されている作品だが、自分はそこまでの思い入れはない。ただ、完成度が高い作品だとは思う。シムノンについて瀬名さんの仰ることには大部分賛同できるのだが、実作の評価となるとけっこう違っていたりもする。面白いものだ。 『霧の港のメグレ』についても瀬名さんの評価は高かったが、自分はクリスティ再読さんの評価に近い。 『オランダの犯罪』に対する評価はメグレ物を順番に読み進めている瀬名さんと、中期後期ばかりを最初に読み漁っていた自分の違いもあるような気がしている。 瀬名さんは『メグレと若い女の死』をかなり評価されているが、そこは自分もまったく同じ。 ちなみに映画版はぜんぜん『メグレと若い女の死』ではなかった。まったく別の話といってもいいくらいだ。映画の原題は『Maigret』そう。シムノンが正面から書こうとはしなかったメグレ警視の姿が描かれていた。ちょっと泣きそうになった。 |
No.357 | 7点 | 勇者たちの島 ジェームズ・グレアム |
(2023/05/15 00:01登録) ~イギリス軍属オーエン・モーガン中佐はサン・ピエール島に潜入し、ドイツ軍の魚雷艇による作戦を探るよう命じられた。かつて知ったるサン・ピエール島。現在はドイツ軍に占領されてしまっているが、この島はモーガン中佐の生まれ故郷であった。かつての恋人がいる。そして、ヒトラーの顔色ばかりを窺っているラードル大佐と高潔なシュタイナ特務曹長がモーガン中佐を迎えるのであった。 1970年イギリス。ヒギンズの重要作品。いよいよ昇り調子になってきた時期にジェイムズ・グレアム名義で出版された。本作でヒロイズムとニヒリズムが交錯したヒギンズっぽい世界観が確立されたように思う。あまり話題にならない作品だが、ヒギンズの最初の名作はこれではなかろうか。 ※人並さんがどこかで本作をヒギンズの傑作の一つだと仰っていた。同意です。 第二次大戦でのドイツ敗戦が目前となった時期に敵味方が入り混じった小島で繰り広げられる冒険活劇、英雄譚。話はわりと直線的に進み、すっきりとわかりやすい。お約束な展開をきっちりと描き切った感があって素直に愉しめる。ドイツの敗戦が目前に迫っているとしたのは正解だった。本作の主人公モーガン中佐がどうにも軍人らしくないように感じる。別にそれが悪いというわけではないのだが。 本作に登場するシュタイナ少佐は疑う余地なく『鷲は舞い降りた』の主人公シュタイナ大佐の原型だろう。軍人としての能力や人格の高潔さだけではない。「クソ無駄なことに命を賭ける」ここが重要ポイントのように思う。 ジェイムズ・グレアム名義の作品は狙い目ではないかと。いずれの作品も1970年~1974年のヒギンズが昇り調子だった頃に書かれており、『暴虐の大湿原』は未読だが、他の三作はどれも出来がよかった。 |
No.356 | 6点 | 妻という名の魔女たち フリッツ・ライバー |
(2023/05/07 01:13登録) ~ノーマン教授は大学内の権力争いの渦中にいた。ノーマンの妻はそんな夫を守るべく、呪術を用いていた。 「そんなことはやめようよ」と諭すノーマン。 「うんわかった」と渋々従う妻。 その日以来、夫妻には次々と災難が降りかかりはじめる。 1969年アメリカ。フリッツ・ライバーの出世作。『奥さまは魔女』のホラーバージョンとでもいうのか。大学教授の妻たちが夫の出世のために呪術合戦を繰り広げる。コメディにした方がはるかに書きやすいネタだが、コメディ要素はまったくない。 フリッツ・ライバーにはテーブルトークRPG『ダンジョンズ&ドラゴンズ』のネタ元の一つとされる『二剣士シリーズ』もあり、実は自分はそちらから入ったクチだったりする。 夫の出世を願う妻たちの思いが、念へと変わり、怨と化していく。結局のところ呪術は存在するのか。呪術を学問的に捉えているところは独自性がある。そうは言っても、ちょっと古びてしまった感はある。文庫(サンリオ版)あとがきによれば初出の雑誌掲載は1943年とのことで、さもありなん。 ややくどいところもあるが、ここぞというところで不気味な光景が立ち上がってくる独特の筆致がいい。恐怖を盛り上げる演出としての多角的な描写、小道具の使い方が巧みだと思う。物語のはじめのほうに出てくる猫の使い方など抜群によかった。 学内でのゴタゴタもなかなか愉しく読める。終盤の展開はしばしば見かける類のものだが、もしかすると本作から影響を受けた作品が意外と多いことの証左かもしれない。 驚きや怖さを過度に求めずに隠喩の散りばめられた普遍的な物語として、夫の知らない女たちの物語、妻のいうことを聞かなかったばかりに酷い目に遭う夫の物語のような感じで愉しむのも一つの読み方かもしれない。 ジャンルはホラーにしてもよかったのだが、ダークファンタジーとしてSF/ファンタジーに分類した。 経年劣化はあるも、6点はつけておきたい記憶に残る作品。 |
No.355 | 5点 | ホワイトストーンズ荘の怪事件 リレー長編 |
(2023/05/06 03:36登録) ~ファーランド夫人が、わたしは誰かの手で毒殺されてしまうと騒ぎ立てるので、邸内の者はみな困りきっていた。~ ↑はセイヤーズが担当した第一章の書き出しです。 1939年イギリス。6人の作家によるリレー小説ですが、とりまとめ役のチャンスラー氏(チャンドラーではありません)がプロローグを付けています。本作の面白い点は各々が担当した章を書き終えたあとに自身の構想、今後の展望、細かな注意書きなどなどを記載した作者ノートを掲載していることです。ネタバレ要素がかなりありますので作者ノートは最後にまとめて読むというのも一つの手ですが、自分は作者ノートも一緒に読んでいくことをお薦めします。 執筆者は以下の6名です。 第一章セイヤーズ 第二章クロフツ 第三章ヴァレンタイン・ウィリアムズ 第四章F・テニスン・ジェス 第五章アントニー・アームストロング 第六章デイヴィッド・ヒューム 自分が知っていたのはセイヤーズとクロフツだけでした。 トップのセイヤーズはパズラー+トップバッターに徹して、手堅く出塁しました。自身の考えはありながらもあちこちに種を蒔いていました。そして、次のクロフツと三人目のウィリアムズ氏あたりまではまあまあ良かったのですが、リレー小説の宿命でしょうか。どんどんドツボに嵌っていきます。 リレー小説とはいえ、前半部と後半部では書き方を変えていかなくてはいけません。ところが、後半の三人までもが展開させていくことばかりを考えて、まとめようという意志が希薄でした。 各々が推しの犯人を考えるのはいいのです。整合性が取れなくなってくるのもある程度は仕方がないと思うのです。ただ、そのために誰もが犯人でありうるような状況になってしまい、なんでもありになってきて、ついには誰が犯人でもどうでもいいや的な空気が醸成されてしまった点が非常によろしくなかったと思います。そこを最後の彼につけこまれたのでしょう。 戦犯を発表したいと思います。6人目のデイヴィッドです。能力の問題以前に、この男は試合を投げました。 以下『』はファンタジスタ、デイヴィッド・ヒューム氏作者ノートからの引用です。 『わたしの執筆部分は、どのように書き改められても異存はない』 『二度とこの種類の作品依頼が舞い込まぬようにと、神に祈る気持ちでいる』 ちゃぶ台返しの解決編、おまけにやる気までなし。最後の数行はわりと好きではありますが、ここでドヤ顔されてもなあ。 とりまとめ役のチャンスラー氏は『物語の体裁を調えるため』にプロローグをつけたとしておりましたが、自分には『ヒューム氏が無茶苦茶やらかした尻ぬぐい』としか思えませんでした。 チャンスラー氏に怨みはありませんが、プロローグはいりません。むしろ、第六章の異次元ぶりを際立たせた方が別の意味で面白かったのではないでしょうか。 純粋にミステリとして楽しむにはかなり厳しい作品(3~4点)ですが、メタ的な読み方をすれば興味深い点はあります。採点は5点といたします。 |
No.354 | 8点 | 贋作 パトリシア・ハイスミス |
(2023/03/26 01:10登録) ~「ダーワットの贋作を掴まされた。色気ちがい、じゃなかった、色違いじゃないか!」 天才画家ダーワットの個展開催に合わせるように蒐集家の一人が騒ぎはじめた。芸術家の作品は芸術家の人生とセットで愛される。天才画家ダーワットには贋作どころの騒ぎではない秘密があったので、関係者たちは戦々恐々である。この件に自身も一枚噛んでいたトム・リプリーは性懲りもなく……ろくでもないことを繰り返すのであった。 1970年アメリカ。「おまえはまたそんなことをやっているのか」と呆れつつも笑ってしまいます。『リプリー(太陽がいっぱい)』の続編で、エンタメとしては前作よりも面白くわかりやすい。前作を「どのように読めばよいのかよくわからない」と感じた方も、本作を読めばこのシリーズの楽しみ方がはっきりわかると思います。自分に合うかどうかも。リプリーシリーズの二作目以降はやや軽んじられているような気がするのですが、お楽しみはこれからです。 雑な部分が多々あるも、土壌豊かで深読み可能な作品です。 半年ほど前にジョン・D・マック『夜の終わり』を書評した際に「殺人に至るまでの描写が素晴らしい」としましたが、本作も同じく。 また、前作の被害者ディッキー・グリーンリーフが非常に効果的に使われております。 この人の作品はミステリ的にとても素晴らしいアイデアを披露しておきながら、それらを必ずしもミステリ的な方向に深めてはいかなかったりして肩透かしと感じる方もいらしゃいましょうが、アイデアの扱い方もまた独創的。とても『Talented』な作家だと思います。 前作では見たこともない模型や図面をさも見たことがあるかのように装って、さらには本当にそれら模型や図面を頭に思い描いてしまったトム・リプリー。今回もその才能を発揮したが故に窮地に陥ります。 場当たり的な行動でドツボに嵌るあたりはまるで成長しておりません。巧妙な犯罪、それを解き明かす手腕を楽しむ作品ではないのです。巧妙ではないからハラハラドキドキなわけなのです。善とか悪とは関係のない、人間的な愛嬌がトム・リプリーにはあります。 相手の言葉に心の中でいちいちツッコミを入れるリプリー(先日書評した『汽車を見送る男』の主人公ポピンガもそういう愛嬌がありました)。 「なんでおれがここまでやらなきゃいけないんだ」ぼやくリプリー。 独創的といおうか、特異なキャラクターではありますが、ある意味では普通の、あまりにも人間的な人間です。すなわち、どんな人でも善を為すこともあれば悪を為すこともあると。 普遍的でありながら独創的でもあるリプリーは文学史に残すべきキャラクターではないでしょうか。 ついでに、トム・リプリーの奥さんの造型もいい! ※パトリシア・ハイスミスはいちおうアメリカ人なので自分は初出アメリカとしておりますが、前作、本作ともに英国でも同時に出版されております。自分の認識に問題あるようでしたら御指摘いただけるとありがたいです。 |
No.353 | 8点 | 汽車を見送る男 ジョルジュ・シムノン |
(2023/03/21 01:10登録) ~キース・ポピンガは会社でそれなりの地位に就き、決まり切った毎日を送る生真面目な男。世界各地の花の絵がおまけについているからと特定の銘柄のチョコレートばかりを買うような男。だが、社長の悪さに巻き込まれてすべてを失うことになってしまい、だったらいっそ……汽車は軌道をはずれていくのであった。 1938年フランス。シムノンお得意の逸脱の話です。素直に読めば他者に運命を決定されることを拒否して、その縛りから逃れようとする話なのでしょうが、どうにも腑に落ちない描写があったりもして、どんな読み方をすればいいのかと考えてあぐねている部分もあります。いずれにしても面白い作品です。特に後半はスキーの上級者のようなクイックイッと小気味よく曲がりながらの直滑降で飽きさせません。ラストもいい感じです。犯罪心理を描いた小説が好きな方にはお薦めします。 とりあえず訳が古くて読みづらいのです。變とか歸とか實とか勘弁してください。まあそれはともかく。 自分は本作の緊張感と脱力感が交互に訪れるところ。スリリングでユーモラスな点がとても好きです。 ポピンガは『太陽がいっぱい』のように場当たり的で、『太陽が眩しくて』なみにすっとぼけていて、そのくせ気に入らないことを新聞に書かれるといちいちツッコミを入れたうえに手帳にそれを書き込んだりもする粘着質な面もあり、なんだかおかしみを感じさせます。 一緒にいた女に「あんた人を殺したでしょう?」と追及されても「それよりもご飯を食べたい」などと言い出す始末。 自分がシムノンを読んで、強く異邦人を意識させられた最初の作品はこれでした。 作中、ポピンガは「夜汽車というのは二度と戻ってこないような気がする」みたいなことを言っておりました。自分は「結局のところ汽車は軌道をはずれて走ることはできない」などと思うのです。ポピンガの趣味がチェスであることは象徴的なように感じました。 瀬名さんがれいのコラムでシムノンがハメットを読んでいたことに言及されていました。ああなるほどと思いました。 自分はジム・トンプスン、パトリシア・ハイスミス、そして、シムノンの三者はどこかつながっているように感じていました。ここにハメットを入れてもそれほど違和感はなさそうです。 ついでに違和感ありありですが、シムノンはチャンドラーも読んでいたのではないかと想像しております。 御存知の方も多いと思いますが、ハヤカワから立て続けにメグレものが出版されます。刊行が決まっている、もしくは発売済は以下の三作です。 『メグレと若い女の死【新訳】(発売済+映画化)』 『サン・フォリアン寺院の首吊人【新訳】(5月発売予定)』 『メグレと超高級ホテルの地階【初の書籍化】(発売日未定)』 自分が新訳を熱望していたのは『サンフォリアン寺院の首吊人』と本作『汽車を見送る男』です。 どちらも面白い作品なので新訳で出せば新たなシムノンファンが生まれることを期待できると思います。後者だけでも実現したのは非常に嬉しい。 発売済の『メグレと若い女の死』は読みました。近々新訳と旧訳の比較をしたいと思っています。映画を観てからかな。ちなみに『メグレと若い女の死』は中学生文庫版(雑誌の付録)で『かわいそうな娘』と改題されて出版されています。 そろそろ書評をと思っていた自分の中ではセットになっている二作『男の首』『サン・フォリアン寺院の首吊人』は後者の新訳を読んでから書評することにします。 |
No.352 | 7点 | 殺人は殺人 ドミニック・ファーブル |
(2023/03/19 17:13登録) ~身障者だった妻が死んだ。事故だった。だが、ポール・カストネールには後ろめたさがあった。日に日に気難しくなり、ポールを責め立て苦しめていたマリーの死をまったく望んでいなかったと言えば嘘になるからだ。 そして、ポールをさらに不安にさせるような出来事が。マリーの埋葬現場に見知らぬ老人がふらりと舞い込んできた。老人はポールの耳元でこう囁いたのだ。 「厄介払いでしたな!」 1972年フランス。デビュー作『美しい野獣』でフランス推理小説大賞を受けたドミニック・ファーブルの三作目のミステリ。おそらくこれが最後の小説(二作目は未訳)であろうと思われる。フンコロガシの研究で忙しかったのだろうか。筆力はあるし独自性もあるのに。惜しい。 本作『殺人は殺人(ころしはころし)』は『美しい野獣』と比較すればミステリに寄った作品に仕上がっている。本作でも作者の個性は健在であった。 『首を切られても走り回る鶏』なる表現が本作でも登場する。首を切られた鶏になにか強い思い入れでもあるのだろうか。 前半は秘かに死を願っていた妻が本当に死んでしまって、大きな解放感を味わい、ささやかな罪悪感を抱えていたポールの心理がじっくりと描かれる。 心理描写中心で話がなかなか動いていかないが、やがて妻の死が本当に事故だったのか疑念を抱き、それは大きな不安となってポールを押しつぶさんとする。情景描写やボタンなどの小道具もうまく絡めて効果を上げている。あとがきによれば作者はジョルジュ・シムノンが好きらしいが、なるほど筆力のある作家だと思う。 ここまではミステリというよりは心理小説に寄っている。 後半は展開が早まり、次々と状況が変化していく。細々と積み上げ追い込みつつ、よいアイデアもあったりして面白かった。よい意味でわけがわからなくなっていくのがいい。 警視、義姉、老人、愛人らのキャラも悪くない。フランスミステリらしさというか、いまひとつ腑に落ちない点もなくはないが、彼らの思惑がなかなか読み切れないところがいい。 最後にポールが~を決意するところなど意表を衝かれて笑いそうになってしまったくらいだ。なんで~なのにこんな状況にまで陥るのだ? 最後まで読者の緊張(というか、「結局これどうなるんだ?」という気持)を持続させ得るサスペンスの良作だと思う。採点はややおまけして7点。 |
No.351 | 8点 | パコを憶えているか シャルル・エクスブライヤ |
(2023/03/11 15:55登録) ~父を殺したマフィアのドン、ビラールに悪行の報いを受けさせる。ミゲル・リューヒ刑事の悲願だった。リューヒはとある事件で世話してやった不良少年のパコをビラールが経営するキャバレーにスパイとして送り込んだ。作戦はうまくいくかに見えたのだが、ある日を境にパコからの連絡が途絶えた。 1958年フランス、なのに作品の舞台はイタリア。マフィアもの。作者本人も結構な強面。著者近影のすぐ下に『アル・カポネ』と書いてあったら「ああカポネってこんな顔をしてたのね」と納得してしまいそうなくらいだ。 顔は強面でも文章は読みやすくて、なおかつ展開も澱みない。エンタメの王道とは言わないが、作劇の王道とでもいいたい素晴らしい作り。構成がいい。キャラの配置、使い方もいつもどおり申し分なく、平易な文章の中にときおり鋭い観察やシニカルなセリフが光る。スリリングな展開に頁を繰る手が止まらなくなる。 ただ、ラストにやや強引な部分がある。そこがうまく処理されていたら本格ミステリとしても傑作だった。自分の評価はあくまで本格としても充分楽しめるサスペンスの傑作。 小さな仕掛けを積み重ねつつ、けっこう大きな仕掛けもあったりして、気が付いたらやられている。 『パコを憶えているか』このフレーズが作中に何度も繰り返され深い印象を残す。この人の作品にはやはり基底に愛がある。それがどのような物語であれ、どこへ向かうのであれ。 そんな作品でありながら登場人物に対する作者自身の感情移入を欠いている。ただただ物語に奉仕させるべくキャラを適材適所に配置しているようだ。 エクスブライヤとシムノン。フランスでは二人とも大家とされているが、読めば読むほどに小説作法は真逆のように思えてくる。 日本の一流作家でエクスブライヤと近い人は結城昌治かな、などと思っていたのだが、今回この書評を書いていてそれも少し違うなと感じた。同じ一流でもいろいろな種類があるものだ。 しつこいけど、この人は面白い未訳作品がまだまだあるはず。 |
No.350 | 6点 | 吠える男 エドワード・マーストン |
(2023/03/03 00:08登録) ~16世紀末のロンドン。混乱を極めた劇団ウエストフィールド座の舞台。自信を喪失しているお抱えの脚本家。歯痛に苦しむ座長。ろくでもないことばかり。舞台進行係にして劇団の支柱でもあるニコラス・ブレースウェルはお疲れだった。そんな彼の元に脚本が持ち込まれる。 ちょっと迷惑だったが、相手は「読めばわかる」と自信満々だった。 読みはじめてすぐにわかった。脚本には犯人がすでに処刑されてしまっているとある殺人事件の真相がモザイクなしで描かれていた。 1995年イギリス。だけどアメリカ探偵作家クラブ賞候補作品。エンタメとしては面白い。痛快。まあまあキャラ立ちしている劇団員たちが力を合わせて真相究明に乗り出していく序盤~中盤にかけては胸躍らされる。世界観もしっかりしている。作者は演劇史の研究家でもあるそうで、説明なしの具体的な描写で読者を16世紀末の劇団の世界に連れていってくれる。 ただ、面白くできそうな部分をあまり膨らませることなく、複雑さもなく、かなりストレートに真相に迫っていく展開を物足りなく感じる方もいるだろう。 ジャンルは時代ミステリとしたが、冒険小説に寄った作品であり、推理の余地はほとんどない。終盤も充分面白かったけれど、ミステリとしてはもうひとひねり欲しかったところ。そんなわけでエンタメとしては7点だが、採点は6点とする。 個人的にはなかなかの掘り出し物だと思っている。 シリーズ作品の第七作目であるが、邦訳は本作のみ。シリーズから出来のいい作品を一作だけ引っ張り出したのかなんなのか。日本語の情報が非常に少ない作家で、詳しいことはよくわからない。 別名儀がいくつかあるらしい。その中でキース・マイルズ名儀で書かれたゴルフ関係の作品があって、本サイトで江守さんが書評されていた。 |