火刑法廷 |
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作家 | ジョン・ディクスン・カー |
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出版日 | 1955年02月 |
平均点 | 7.21点 |
書評数 | 38人 |
No.38 | 7点 | みりん | |
(2024/05/12 14:52登録) あれ、何かがおかしい。中学生の頃に、「頬杖ついてるオバサンは読みやすいけど、このドヤ顔のオッサンはすこぶる読みづれぇから要注意だぜ!」と心得ていた。けど、なんか知らんが今読むと翻訳物にしては普通に読みやすかった。379ページ5h10min読了。 二つの人間消失トリックが論理的に明かされるエピローグ前までは佳作(6点)。ちなみに遺体消滅の方法で、そんな芸当ができたのか?なんかズルくね?と思った私のような方はレイ・ブラッドベリへさんの書評を読むと良いでしょう。作者の騙しのテクニックが分かりやすくまとまっていて、感謝です(*^^*) エピローグをミステリを超越したボーナスステージと捉えるのか、台無しにした蛇足要素と捉えるかは読み手次第ですね。この小説を支える最も魅力的な"謎"が解明されたということで私は+1点。 ちょっと前なら「は?そんなひっくり返し方ダメだろ」と怒ってたかもしれないけど、最近は「ないよりはあった方がいいんじゃね」の欲張り精神が脳内を支配するようになってきた。 |
No.37 | 9点 | 麝香福郎 | |
(2024/04/10 21:19登録) 編集者のエドワード・スティーヴンズは、作家のゴーダン・クロスの原稿を見て驚く。そこに添付されていた毒殺魔ブランヴィリエ侯爵夫人の肖像は、彼の妻マリーにそっくりだったのだ。その後、急死した隣人の死因に不審な点があることを聞かされ、エドワード達は納骨堂を暴いて死体をあらためようとする。だが棺は空だった。 現実的な謎と怪奇的な謎を絡めながらストーリーは展開していき、結末の一歩手前で、全ての謎に見事な合理的な解決が与えられる。だが本作を特徴づけているのは、いかにも本格ミステリらしい種明かしではなく、事件が片付いた後に付されたエピローグの部分なのである。 ここで解決したはずの謎をもう一度ひっくり返し、物語全体を一種のリドル・ストーリーに仕上げていく。結果、この作品は本格推理小説の醍醐味と怪奇小説の味わいの二つを同時に備えることとなった。 |
No.36 | 9点 | ひとこと | |
(2023/06/05 19:33登録) カーの代表作。100年程度経ったところで色褪せません。 |
No.35 | 9点 | ROM大臣 | |
(2021/10/25 14:39登録) 二つの消失事件だけでも不可能興味満点なのに、十七世紀の毒殺魔が転生を繰り返しているのではないかという怪異現象まで絡めて、出口のない恐怖の迷宮へと追い込んでゆく構想は、純粋にホラーとして読んでも怖い。無論そこはカーのこと練りに練った謎解きは、不可能犯罪の巨匠の名に恥じない水準を示している。 意外な犯人が暴かれ、途轍もないショッキングな結末によって幕が下りた後、エピローグにおいて物語は再びホラーへと鮮やかに反転する。二つの結末のいずれもが互いに矛盾することなく成立するよう、細心の注意を払って伏線が張り巡らされている。本格ミステリとしてもオカルト小説としても超一流の傑作。 |
No.34 | 8点 | YMY | |
(2021/05/16 23:55登録) 中世フランスの毒殺魔で、火刑に処せられた侯爵夫人、その生まれ変わりと思われる不死の女性、死体の消失、壁を抜ける女性、謎を秘めた老探偵ゴーダン・クロスなど、怪奇趣味、不可能興味とトリックが融合しており、合理的に解決しておいて、それをまたホラーの世界へとひっくり返すところが憎い。 |
No.33 | 8点 | ◇・・ | |
(2020/03/14 12:36登録) 怪奇趣味とトリックの、非常に怪奇な現象。科学的な解明がなされようとするのだが、それを妨げる異様な雰囲気が全編を漂う。 あんな場所で死体が・・・みたいな不思議な現象が、こういう事だったんだよと合理的に説明されて、だから死体があの時・・・という、かえって不気味さが立ち上がってくる。 トリックが一番不気味な姿を見せる点は最高レベル。 |
No.32 | 6点 | レイ・ブラッドベリへ | |
(2019/08/21 15:44登録) 〔 カー の 作品を 初めて読み通しました 〕 ビブリア古書堂の五浦君は 「 本を読めない体質 」 だそうだが、そういう自分は「 カーを 読めない体質 」 だった(笑) そのことに気付いたのは ずっと昔の学生時代 ―― 通学電車の中で だった。 「 帽子収集狂 」 か 何かを読もうとしていたのだが、出だしの数ページから先に進めず、毎日 同じところを繰り返し 眺めていた。 そしてある時、「 ああ、おれは カーが 読めないんだな 」と悟ると、網棚の上に そっと本を置いて、高崎線の電車から降りたのだった。 何しろ カー と言えば その当時、 「 本格もの御三家 」 の一人に 数えられていた。 「 ミステリ の 通 」 ( つう ) といえば 「 カー 」 と言うくらいのものだった ( ウソ です。 笑 ) それを読めないと知ったとき、 「 オレはもう、立派なミステリ 者 ( もの ) には 成れないんだな 」 という、諦めのような寂しさを感じたのである(笑) そして、音楽評論家の中山康樹さんの表現を借りると、 「 それまで密かに身に付けていた 『 ミステリ者 養成ギプス 』 を ガチャリと外し 」、以後、カ ー の作品から遠のくことになったのだ。 ところで五浦君の方は、栞子さんの適切な指導もあってか、 「 事件手帖 第 4 巻 」 では 「 乱歩の短編を 3 つ、一気に読むことができた 」 というように体質改善をしている。 ならば 自分も カー を読めるようになったかもしれないと思い立ち、試しに、この作品を読んでみることにした。 すると、―― 筆者も いたずらに馬齢を重ねたわけではなかったようだ ―― カ ーの 「 読みにくい文章 」( 失礼 ! ) にも耐えきって、どうやら 完読することができたのだ。 ともあれ これで自分も、晴れて ( 一冊だけだが ) 「 ジョン・ディクスン・カーを読んだ男 」 に成ったわけである(笑) 〔 探偵小説での『 謎 』とは ? 〕 ところで、先ほどの本の中で、五浦君が こういう質問をしている ―― 「 本格推理って、具体的に どういう小説のことを言うんですか ? 」 栞子さんも 一応の説明をしてくれているが、ここは やはり、探偵小説の大御所、乱歩氏に お伺いを立てることにしよう。 乱歩氏は 『 幻影城 』 の 「 探偵小説の定義と類別 」 で、次のように述べている。 「 探偵小説とは、主として犯罪に関する難解な秘密が、論理的に徐々に解かれていく経路の面白さを 主眼とする文学である 」 ―― 乱歩氏によると、探偵小説には まず 「 謎 」 があること。 そして それが 「 論理的に解決されていく経路 」 を楽しむものだという。 それでは、この定義に従って 『 火刑法廷 』 を見てみよう。 この作品では、次の大きな謎が提示される。 ① 毒殺者と思われる女性の、密室からの消失 ② 毒殺されたと思われる死体の、密室 ( 地下霊廟 ) からの消失 それに加えて、ストーリー全般の底流をなす ③ 主人公の妻の正体 ( ? ) である。 ―― これらについて、読後の感想を書きます。 以下、筆者の思い込みに過ぎないのかもしれませんが、激しくネタバラシをしているので、未読の方は ご注意ください。 【 ネタバラシ しています 】 まず、 ① の 謎解きは 「 密室 」 と思われた部屋と、そこにある家具、および登場人物の 立ち位置を示す図があれば 分かりやすい。 それで密室の謎が 一目で理解できる。 しかし ② の謎解きは、見取り図では説明できない。 なぜならば、その謎 自体が 「 言葉 」 で作られているからである。 具体的に言うと、これは 「 密室から死体が消失した謎 」 の 物語ではない。 書き方の工夫により 「 密室から 死体を消失させる過程 」 を読ませる物語なのだ。 そのポイントは 「 記述の省略 」 と 「 記述の分割 」 にある。 〔 記述の省略 〕 地下霊廟からマイルズの遺体が消失した事象を、作者は次のように書いている。 1. マークたち 4人が 、地下室入口の封印を はがして 霊廟に入る。 2. マイルズの遺体を納めた棺が 空であることを発見する。 3. 近くにある 他の棺にも、遺体が入っていないことを確認する。 4. 脚立を持ってきて、霊廟の高い段にある棺を調べ、そこにも入っていないことを確認する 5. 大理石の壺をひっくり返して、中が 空であることを確認する。 さて、作者が上記 1 と 2 の記述に費やしたのは、紙面の枚数で言うと 87ページから 101ページまでの 15 枚。 ( 筆者は 早川書房刊の 【 新訳版 】 を使っています ) 一方、上記 3 から 5 までの説明は 102 ページ の 1 枚のみ 。 実際には こう記されている ―― 「 一時間後、彼らが よろめきながら階段をのぼって 清々しい外気に触れたときには、ふたつのことが わかっていた 」 以下、作者は 上記 3、 4、 5 の事実の要点のみをまとめて、文字通り 「 箇条書き 」で 記している。 この記述量の アンバランスさには、作者の ある意図が秘められている。 ――現象の結果だけを述べ、それを見つけ出した過程の記述を省略することで、読者に、ある重要な事実を伏せているのだ。 具体的に言うと…… 前述した 1 から 5 までの作業は、連続して行なわれたのでない。 「 4.脚立を持ってきて 」と書かれている 『 脚立 』 は、マーク・デスバードの屋敷に置いてあり、霊廟に入った 4人のうちの 2人が、これを取りに屋敷に戻っている。 また、他の 1人は ウィスキーを飲むため、2人に同行している。 ――結果として 「 マークが 霊廟の中に 1人でいる 」 時間が 生じていたのだ。 そして作者は、この時点では、その事実を記していない。 〔 記述の分割 〕 この物語が 半ばほど進んでから語られるのだが、マイルズが亡くなったとき、その死因に不審を持つ者により 「 あれは毒殺だった 」 との告発状が 警察に届いていた。 これを受け、警察はマークたちを密かに見張っていたのだ。 そして、4人が霊廟に入り、遺体の探索を終えて 一時間後に出てくるまでの全ての行動が、外にいた観察者によって記録されていたのである。 この事実が、本文の 208 ページ に こう書かれている―― 「 12時 28分、ドクター・パーティトンと、ミスター・スティーブンスと、ヘンダーソンが霊廟から文字通り飛び出してきて、尾行者は 何か おかしなことが起きたかと思い、付いていった 」 「 3人 は 屋敷に引き返して、脚立を ふたつ持ち、 12時 32分に霊廟に戻った 」 ―― 霊廟の中で、遺体の消失が確認されるまでの経緯の一部が ( マークを除く 3 人が、一時的に霊廟から出ていたことが )、 ここで 初めて、さりげなく記述される。 もっとも この部分を、遺体消失発見と並行して書いてしまうと、ほとんどの読者が、 「 霊廟の中で 一人きりになったマークが、何か 仕掛けたな 」 と疑うと思うのだ。 ―― この 「 記述の分割 」 ( 事実の後出し ) については、作者も多少、後ろめたく思っていたようだ。 一応の解決がなされる第Ⅳ章の最後で、作者による 「 原注 」 が施されている。 「 原注1 : 疑わしいと思う読者は、102ページと208ページを確認していただきたい。 前者には 事の経過、後者には それらが起きた実際の時刻が 記されている 」 ―― これは 「 私は すべての手がかりを、ちゃんと提示していますよ 」 という、作者のフェアプレイ宣言なのである(笑) 【 この物語における「 犯罪 」とは ? 】 ここで一点、注意を喚起しておきたい。 果たして、この物語における 「 犯罪 」 とは、一体 何だったのだろうか ? 「 罪体 」 という言葉がある。 辞書には 「 犯罪の対象である物体 」 と載っている。 殺人罪に問うには 「 殺害された死体 」 が、また、放火罪には「 焼失した家屋 」 の存在が必要だということだ。 しかしこの物語では、罪体が明示されていない。 「 毒物を飲んだ死体 」 が見つかっていないのである。 毒殺されたとする死体が消失していて ( 恐らく焼かれてしまった )、その実行犯と思われる人物も逃亡し、最後まで発見されていない。 また、毒を飲ませたとされる人間も、頑なに犯行を否認し続けている。 これでは 犯罪 ( 毒殺事件 ) が 行われたということを立証できないのだ。 唯一 確認できるのは、物語の最終部で 探偵役を務めた人物の 「 服毒死事件 」 である。 しかしこれも、その場の状況から犯人とされた人物の、決定的な証拠が見つかっていない。 最終的に この物語は、 「 地下霊廟からの遺体消失の謎 」 から、 「 その謎を解明した ( と思われる ) 探偵役の服毒死 」 という事件で収束する。 〔 エピローグの評価 〕 この作品の特徴は、印象的な 「 エピローグ 」 にある。 そして それが、この作品の評価を二分しているらしい。 話が変わるが、 「 リドル・ストーリー 」 という形式の小説がある。 作中で提出された謎が明らかにされないまま、物語が終了するものである。 その代表的なものに、 F・R・ストックトンの書いた 『 女 か、 虎 か 』 がある。 ―― 公開された処刑場で、王女が指さした箱から現れたのは、果たして 女 か ? 虎 か ? という話である。 作者は ただ、ポンとこの問題を投げかけただけで 物語を終わらせている。 その答えを、読者に委ねているのだ。 筆者は、 この物語は 読んだ人の 「 ジェンダー観 」 を あぶり出すものだと思っている。 すなわち、 「 虎が 出てきたのに決まっているよ。 そして男は食い殺されたのさ。 女って、そんなもんだろ ? 」 あるいは 「 美女が出てきたんです。 そしてその男は、幸せな人生を送ったのです。 女の人って、そう考えますよね ? 」 では 『 火刑法廷 』 は リドル・ストーリーなのだろうか。 冒頭にも書いたが、この物語で提出されたのは、次の 3つの謎である。 ① 毒殺者と思われる女性の、密室からの消失 ② 毒殺されたと思われる死体の、密室 ( 地下霊廟 ) からの消失 それに加えて、ストーリー全般の底流をなす ③ 主人公の妻の正体 ( ? ) ―― 最終部のエピローグで ③ の解答が ( 暗示的に だが ) 記されている。 それを読んで、筆者が理解した範囲では、どうやら 「 奥様は 魔女だった 」 らしい。 もし、そうだとすると、探偵役が 法廷で ( 本格ミステリ 風に ) 解き明かして見せた ① と ② の謎も、どうやら怪異現象によるものだということになる。 それにしても、作者は、なぜこのような構成を持つ小説を書いたのだろう ? これは、全くの筆者の妄想なのだが…… ―― もしかして作者には、 「 一見、 本格ミステリ のように思えて、実は 怪奇サスペンスだったという小説を書いてやろう 」 との思惑があったのかもしれない。 そうだとしたら、それを実現してみせた作者の、小説家としての力量は認めることにしよう。 しかし、狭量な了見しか持ち合わせていない筆者には、何ら、そのことへの 「 意義 」 を 見い出せないのである。 |
No.31 | 9点 | クリスティ再読 | |
(2019/04/25 20:13登録) 本作早川ミステリ文庫発刊時の目玉の一つだったね。懐かしい、というか今回読んだのもその時に中坊の評者が小遣いで買ったものだよ。あくまで旧訳(苦笑)。そりゃあねえ、伝説の作品だもの、古本屋でポケミスがウン万円してたとか、盛り上がろうものだよ。 逆に言えばね、今回読み返して、そういう「有名さ」が本作はちょっと仇になってるかな?という気がしなくもない。「密室パズラーが解かれたあとに、驚きの仕掛けが?」という風な予断が、ある意味本作の面白さを損ねているようにも感じるのだよ。本作では不可能興味が2つあるけども、本当は両者とも正確な意味での「密室」ではないし、パズラーとして見た時には小説としての構成がいかにもいびつなんだよね。驚くべきことは、エピローグを別にして本作の日時経過は、金曜日の夕方に始まって、日曜日の午後にカタがつく超短期戦である。その間を視点人物のスティーブンスは連続して起きる怪異に追われ続ける。なので tider-tiger さんがおっしゃっているように、本作は実質上ホラー・サスペンスの形式だと読んだほうがいいのだろう。 「ミステリが最後に反転して」とか「ミステリともホラーともとれるリドル・ストーリー」とか本作はよく呼ばれるのだけども、これは作品内容というよりも「作品解釈・作品受容」が入った呼び方だろう。だから読み方の軸を少し動かして、ホラー・サスペンスの中で、一見合理的な解釈がある作品、と反転して読むのはどうなんだろうか? そう読んでみた時に「解明がショボい」と評される低評価の皆さんの評価も反転するのではないのだろうか。ゴーダン・クロスの推理はあくまでも間に合わせの煙幕・目眩ましのヘリクツで、ヘリクツがそれなりに辻褄が合って強引にでも納得されてしまうこと自体が、「ミステリの真相」というもののパロディであり批判である....なんてね、アンチ・ミステリな「読み」が成立するようにも評者は思うのだよ。 ミステリが真相の解明で終わるのは、ミステリという小説ジャンルの「真相の解明で終わる」お約束に過ぎない。そのタガを外してしまえば、理性によって発見されるべき「真相」の正当性は、ただそれが「ミステリという小説だから」保証されているだけのことなのかもしれないや。これちょっと「虚無への供物」が入った評価もしれないけどね。 (超短期戦は「三つの棺」とも共通する要素でね...カーの狙いは一瞬だけ成立するような大仕掛けなイリュージョンにあるのだから、フィージビリティとか言っても仕方がないんだと思うよ) |
No.30 | 5点 | いいちこ | |
(2018/06/19 16:09登録) 提示された謎の不可解性は強烈だが、その真相は数々のご都合主義的な偶然と小粒なトリックによるもので、拍子抜けと言わざるを得ない。 にもかかわらず、非常に長尺の作品であり、それでいて読者への伏線も不十分であることから、本格ミステリとして評価することは難しい。 そうした性格から、本作は最終盤のどんでん返しによって完結するサスペンスと解したいが、その視点からは意外性が不十分な印象 |
No.29 | 7点 | レッドキング | |
(2018/05/30 17:53登録) カーの代表作と言われるが トリックにおいては「三つの棺」より数段落ちると思われ |
No.28 | 8点 | HORNET | |
(2017/11/19 22:44登録) 新訳版で読んだ。非常に読み易かった。 密室での毒殺、壁の通り抜け、死体消失、鉄壁のアリバイ、処刑された過去の毒殺魔とのつながり・・・と、中盤以降まで不可解な状況、謎が「これでもか」というぐらいどんどん積み重ねられていって、「これがいったいどのように集約され、解決を見るのか?」と、かなりドキドキ(ハラハラ?)しながらページを繰ることができた。 多少強引さもあるが、結末ではそれらが見事に回収され、思わずうなるものだった。まずは緻密に構成された力作であり、代表作という評判に適うものだったと思う。 ただ満点とならなかったのは、まず一つに毒殺、壁の通り抜けのトリックがカーの有名他作品の流用に感じたこと(うすうすその手ではないかと感づいていた)と、これはなぜなのか自分でもよくわからないが、霊や魔術などを題材としているののに、あまり怪奇的な雰囲気に浸れなかったこと。逐一、冷静な理詰めの推理を差し挟みながら進めていたからかなぁ。 ラストは完全にやられました。すごく上手い裏切り方。 |
No.27 | 8点 | tider-tiger | |
(2016/12/28 13:28登録) 最初に読んだカーの作品がこれだった。二十年くらい前だったような。 掴みは最高。だが、訳のせいなのか読みにくいし(小倉多加志訳 この人の訳は個人的には相性が悪い)、内容もそれほど凄いとは思えなかった。理由は他の方々の書評にある通り。ミステリとして少々肩透かしだと感じた。 これが最高傑作ならカーはもういいやと思った、のだが…… ※余談ですが、一作読んでもういいやとなってしまった作家がけっこういます。もういいや状態が継続している作家もいれば、読み直しや他の作品で持ち直した場合もあります。たぶんみなさんも同様の経験がおありではないかと。自分の場合、マルタの鷹(ハメット)、点と線(清張)、動く標的(ロスマク)などが「もういいや状態」を生み出したことがあります。ちなみに以上の三者はすべて名誉挽回済であります。 後年、本作を読み直した時に思ったのは、これは派手な二つの消失を扱ったわりに地味に着地した本格ミステリなどではなく、派手な消失事件の陰で主人公の妻への疑惑を描いでいる。巧みで丁寧な演出を施したサスペンスなのではなかろうかということ。 妻に対するちょっとした疑惑。最初は比較的安全なところにいたスティーヴンスだったが、徐々にその疑惑が膨らんでいく。まどろっこしいという印象を持つ方もいらっしゃるだろうが、スティーヴンスの退路が着実に絶たれていく過程が非常に読み応えありと感じた。特にブレナン警部がやって来て、会話を重ねていくうちに警部の真の狙いがはっきりし、妻への疑惑が頂点に達した瞬間がたまらない。その後もスティーヴンスの問題提起で他の可能性が検討されたりもして、非常に丁寧な作り方だと思った。キャラの動き方や言動は自然で無理なく話が進行する。 第三部までは非常に出来がいいと思う。ただ、第四部では少々御都合主義、ごり押しが目につく。前述のとおりトリックは小粒で拍子抜け。だが、第五部で鮮やかに……結論としては、 殺人事件(毒殺犯消失と遺体消失)を軸に読むと世評ほどではない本格ミステリ。ラストも本作をミステリだと考えた場合は蛇足の感が強い。 妻への疑惑を軸に読むと、実によくできた怪奇幻想風味のサスペンス小説。 妻への疑惑を消去法的にじわじわと盛り上げる演出は非常に巧みで、探偵役の登場、ホニャホニャ、そして、サスペンスだからこそ活きるあのラストへと。これらの流れも素晴らしい。 本格ミステリの大家が書いた名作ということをいったん忘れて、無名作家ジョンソン・カーディックさんの作品だとでも信じ込むことが本作を愉しむ秘訣ではないかと、そんな風に思う。 昨年はYの悲劇が書評納めでしたが、今年も名作ということで、仮性、もとい火刑法廷で締めとさせて頂きます。 みなさま、よいお年をお迎え下さいませ。 |
No.26 | 5点 | 臣 | |
(2016/10/24 16:06登録) 評価できるのは、どんでん返しだけ。 いやいやそんなことはない。あれがなくても十分にオモシロ要素はある。まあでも、あのラストがあればなおよいことは事実。 舞台設定よし、人物設定もよし、会話もよし、トリックもよし、オカルト要素もよし、伏線もよし、そしてあのエピローグもよしなのだが、とはいうものの個人的には、調子に乗り切れなかったことも事実。 カーの最高傑作ということで気負いすぎたか。 あえて言うなら、あの2つの謎の種明かしが物足りなかったのかなあ。 |
No.25 | 6点 | 青い車 | |
(2016/08/14 21:54登録) (ネタバレしています) 傑作と推す人も多いものの、僕は世評ほど楽しめませんでした。 語り手が妻と瓜二つの女が凶悪な毒殺魔と記載されているのを見るという掴みは最高で、さすがはカーといったところです。しかし、それ以降、中盤にかけてはあまり面白くない会話ばかりが続き、(翻訳の問題もあるかもしれませんが)リーダビリティが弱いと感じました。死体消失トリックの完成度はすばらしいだけに、もうひとつかふたつ派手な見せ場が欲しかったです。 ただ、擁護したい点も。ネット上で、不親切な記述のせいでトリックに難が生じていると指摘されているのを見ましたが、それはさして問題ではないでしょう。ふつうの大きさのアレには死体が収まらない、というのは読み手の認識の問題で、人によっては十分推理可能なはずです。 |
No.24 | 8点 | ロマン | |
(2015/10/29 18:52登録) 壁の中へ消えた女、棺から失せた死体、そして妻と瓜二つの毒殺魔…。怪奇めいた雰囲気たっぷりの中、鮮やかにトリックが解決されて真相が明らかに…と、ここまでだけでも、カーの本領発揮といった内容なのに、更に捻られたラストが用意されており、流石という感じ。エピローグは推理小説の観念を覆すものではあるが、全体的に漂う怪奇さが、そういうオチも有りだなと思わせる。でも一番驚いたのは解決篇に当たるⅣ章の最後。まさかあの人が!劇的すぎる!シリーズものの探偵は登場しないけれど、確かにカーの作品の中でも名作に位置すると実感した。 |
No.23 | 4点 | 斎藤警部 | |
(2015/10/23 12:28登録) 好みに合わない古典名作の一つ。 最後のどんでん返しは、物語を引っくり返すというより、物語のおしりにくっついたオマケにしか見えません。「なんちゃって!」的な。 お話自体、さほど惹かれるものは無い。 カーは好きだがこれはときめかん。 |
No.22 | 7点 | sophia | |
(2014/05/16 03:26登録) 消える女のトリックは何となく予想付きましたが、やっぱり部屋の見取り図が欲しかったですね。 死体を隠していた○が自分がイメージしていた物より遙かに大きい物のようで戸惑いました。 アリバイ崩しがやけにあっさりしてて拍子抜け。 中盤まですごく面白かっただけにラストにがっかり。 こういうどっちにも取れるような曖昧な終わり方好きじゃないんです。 逃げだと感じてしまうんで。 |
No.21 | 10点 | ボナンザ | |
(2014/04/08 16:16登録) 本格としても幻想としても文句なし。 カーの最高傑作の呼び名に恥じぬ名作。 |
No.20 | 7点 | アイス・コーヒー | |
(2014/02/07 17:53登録) カーの最高傑作として名高い「火刑法廷」。女毒殺魔のブランヴィリエ伯爵夫人をテーマに、不可能犯罪と怪奇的な結末を描いている。 着想は素晴らしい。全体像のつかめない恐怖に困惑する主人公の心境の変化や、極めて現実的、かつ冷酷な警察の捜査。それにしても、自分の結婚相手の過去の犯罪を疑っていくミステリは比較的多い。個人的にはクリスティの某作品が好きだが…。 肝心の二つの消失トリックは、目立ったものではなくその論理的な解決を楽しむべきだと思う。この点に関しては「不可能が可能になる」ことが醍醐味だからだ。しかし、肩すかしを感じないでもない。 そして結末。どんでん返しというよりは、純粋な演出だととらえた。それに本格としては詰めが甘い気もする。傑作であることに間違いは何のだが、読者である自分がこの本の謎に飲み込まれてしまうような奇妙な読後感だ。 結論は、本作からカーに入るべきではない、という事。作品自身の灰汁が強すぎる。そういう自分も「三つの棺」から入ったのは失敗だった気がしている。 |
No.19 | 9点 | おっさん | |
(2013/12/10 16:04登録) カーの『火刑法廷』と言えば、筆者の世代には―― ポケミス(西田政治訳)で絶版だったものが、松田道弘氏の蠱惑的な解説つきで、昭和五十一年(1976)に待望の改訳(小倉多加志訳)で甦った、あのハヤカワ・ミステリ文庫版の印象が強いのです。 でも今回は、同文庫の、2011年の〔新訳版〕を試してみました。 ミステリアスな女性のポートレイトを描いた、陰影のあるカバー・デザインは、ムードがあって悪くありません。トール・サイズの文庫で活字が大きいのも、老いてきた目には、まあ有難い。これまでの版では省略されていた、原注(参考文献を挙げたり、謎解きに照応する該当箇所を明記したり)が読めることにも感謝します。 でも肝心の翻訳(加賀山卓朗)は―― 全体としては、読みやすくなっていると思います。しかし、ところどころ首をかしげる表現が目について・・・ 結末近く、「○○○○は膏薬を使うまで、生身の人間だった」(p.376)というあたりでは、意味をとりかねて、活字を追う目が止まってしまいました。このくだりは、じつは照合した旧・小倉訳でも、論理的にヘンな文章になっていたので、おそらく原文解釈が難しいのだとは思います。 しかしだからこそ、「新訳」は、作者の意をきちんと細部までくみ取りそれを日本語に移し替えた、決定訳であって欲しかった。 『火刑法廷』は、不死、もとい不滅の作品なのでw かりに将来、この版が絶えることがあっても、復活することは間違いありません。十年先、二十年先かもしれませんが、そのさいはまた違った訳で、解説(現行の、あらすじと感想を短くまとめたものは、業界人のゲスト・エッセイでしかありません)も差し替えて出すことを考えてみてください、早川書房様(あ、重要な舞台となるデスパード邸の、二階平面図を作って載せるようなサービスもあれば、作品理解を助けるうえで、なお良しですw)。 さて。 さきほど「不滅の作品」と書きました。好きか嫌いかと聞かれれば、正直、筆者の大好きなカー作品ではないと答えますが(カーはもっと大らかでないと。これはガチになりすぎ)、探偵小説と怪奇小説の狭間にあるトワイライト・ゾーン、そこへ読者を取り込む危険な営みは、未来永劫色あせることなく、後続の作家たちをも刺激し続けるだろうと信じるからです。 単に最後の数ページで小手先のオチをつけたのではなく、作品が一幅の騙し絵になるよう、過程のストーリーに手練手管が施されていることは、再読するとよくわかります。 通常の本格ミステリらしく、説明をつける要素(だけを見ると、本格ものとしてさほど傑作とは思えないという意見は、一理も二理もありますが、それでも地下の霊廟から遺体を消して見せる手際は、筆者にはトリックの教科書のように思えます)と、あえて説明をつけないで残す部分の匙加減。 あくまで“本格”を根底に踏まえながら、作品全体のスタイルで勝負した(ちなみに筆者のジャンル投票は「その他」です)、カーの一世一代の冒険を、評価しないわけにはいかないでしょう。 ただ。 ここまで新機軸を狙って本気モードになるなら―― 導入部で「読者や私とさして変わらないエドワード・スティーヴンズは(・・・)」とか、「スティーヴンズは、読者や私と同様(・・・)」といった、作者がしゃしゃり出て登場人物を説明するような、古風なナレーションは(「これは作り話です」と宣言しているようなもので――その意味では、原注の大半も――シリアスな本書のトーンには合わない)やめたほうがよかったですね。 とくに p.10「いまスティーヴンズ本人も、事実を述べるのは楽だと認めている。表にしたり並べ替えたりできる事柄を扱うのは安心だと」というあたりは(ちなみに、旧・小倉訳では、ここは「そして現在、スティーヴンズ自身、事実のままを述べ、分類したり整理したりできるものだけを処理する方が助かると言っているのである」)、カーの筆がすべった感があり、そのせいで、暗示的な「エピローグ」とのあいだに、若干、齟齬が生じているようにも思えます。 |