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人並由真さん
平均点: 6.33点 書評数: 2106件

プロフィール高評価と近い人書評おすすめ

No.2066 5点 観測者の殺人- 松城明 2024/06/19 14:44
(ネタバレなし)
 人気Vチューバーの女子大生が惨殺された。謎の犯人らしき人物は、SNSで100人以上のフォロワーを持つネット利用者を今後も殺害するとの主旨の、メッセージを放つ。友人を殺された女子大生でCGデザイナーの今津唯は、事件の陰で暗躍する謎の人物「キカイ(鬼界)」の存在を探知したが。

 人間をひとつの個体システムに見立て、情報をインプットすることで目的をアウトプット(殺人などの犯罪を無自覚に誘導)させる、そんな形で他人を操る工学系の怪人的犯罪者「鬼界」シリーズの第二弾。この大ネタは版元や関係者(公認の紹介役の書評家とか)などの方も、公然と公布してある。

 とはいえ評者は実はその辺はあまり意識せず、シリーズ前作『可制御の殺人』も読んでなかったので、作者の劇中人物の描写との距離感で多少面食らった。メインキャラの何人かは、前作を読んでる読者にはすでになじみのある人物だったのね。読み終わったあとにその辺の情報を知ったが、そう考えるといろいろ得心がいく。

 なお作品自体は単品でも一応は読めた、理解できたつもりだったが、かたやそういう特異な「操り」テーマのミステリシリーズなので、やはり前作から先に読んでおいた方が確実によかったんじゃないかと今にして思う。その辺は失敗した。

 黒幕の存在や、やがて「観測者」の呼称を与えられる殺人実行者の名前は当初からわかっているので、もちろん素直なフーダニットパズラーではない。ただし被害者のミッシングリンクの謎、動機の謎、そして……とか種々の、やや広義のパズラーっぽい要素、ミステリとしての謎の提示や真相のサプライズなどは、ふんだんに取り揃えられている。

 とはいえ今回のこっちは前述のように大枠として、本作がシリーズものだという事実も知らなかったので、作品の構造とどっかで歯車がかみ合わず、いまひとつ楽しめなかったというのがホンネ。正直、夜中に読んでいたせいもあって、後半はずっとうっすら眠かった。メモを取りながら、何とか情報を追い続ける。したがって評点もこの程度。ある意味じゃ、受け手側のワガママなのは自覚しているが。

 『可制御~』はそのうち、気が向いたら読むであろう(汗)。

No.2065 7点 夜の人々- エドワード・アンダースン 2024/06/18 16:53
(ネタバレなし)
 その年の九月十五日、オクラホマ州の州立刑務所を三人の長期受刑者が脱獄した。彼ら、44歳のTダブ・メイスフェルド、27歳のボウイ・バウアーズ、35歳の「三本足指」チカモウ(エルモ・モブリー)は知己の縁者などを頼りながら捜索の目を逃れ、得意とする銀行強盗の計画を練るが……。

 1937年のアメリカ作品。
 
 チャンドラーが私信のなか(たぶん「レイモンド・チャンドラー語る」の中に収録されているものだと思う。確認してないが)で賞賛したというクライム・ノワールで、主要人物の犯罪者トリオのなかで一番若い青年ボウイを主人公にした青春犯罪小説の趣も強い。

 原題は「おれたちとおなじ泥棒(市民から搾取する、体制や上流階級の人間を揶揄する意味)」だが48年に邦題『夜の人々』の題名で映画化(今回のこの発掘邦訳の書名もその映画のタイトルから採られた)。さらに74年にはかのロバート・アルトマン監督によって『ボウイ&キーチ』の題名で再映画化されている。
 なおまったくの余談(というかぢつにどうでもいい話)ながら、評者の少年時代の友人に「キイチ」というあだ名の級友がおり、塙保己一やこの映画(74年版)をネタにからかった記憶を、読んでいて思い出した。

 こなれた訳文の良さもあり、ハイテンポで物語は進むが、ところどころの主人公トリオサイドの悪行を直接描写しない省略法の叙述的演出が効果をあげている。
 読み進めるうちにおのずと感情移入してしまう主人公たちが、読者のよく見えないところで、やってはいけないことをしてしまう(基本的には殺傷はしたくないが、逮捕などを逃れるためにはやむをえない)。あらためてさらに深みにはまっていく図を逆説的に強く印象づける描写の累積が、切ない。
 中途に挟まれる、事態の大きな展開を「客観的」に語る新聞記事の挿入という手法も活きている。

 良くも悪くもクラシック・ノワールの枠内に留まる作品ではあるが、最後まで読んで得られるある種の感慨も鮮烈。なるほどメインヒロインのキーチって<そういうポジション>の女子キャラだったのね。
 あとから考えると、脱獄犯が生じたなら、警察はもっと積極的に家族や親族に捜査の目を向けるだろうとも思ったりもしたが。
 
 読む前は大設定から普通に? J・M・ケイン辺りの作風を予見していたが、文体そのものはサバサバしている一方で、カメラアイが追いかける事象の湿度はずっとそのケインなんかより高い。通読してのいちばん近い食感は、ハドリイ・チェイスの、かの作品であった(こう書いてもなんのネタバレにもならないと思うが)。
 
 読んで、というか嗜んでおいて良かった、と思える一冊。
 新潮文庫の発掘本作路線、またひとつ有難い収穫であった。

No.2064 8点 殺人プロット- フレドリック・ブラウン 2024/06/15 06:51
(ネタバレなし)
 その年の8月のニューヨーク。シーズン違いのサンタクロース姿の人物が、ラジオ放送会社「KRBY」の社屋を訪問。そのサンタは、重役(プログラム・ディレクター)のアーサー・D・ダイニーンの命を奪った。その事実を知って、KRBYの大人気メロドラマ『メリーの百万ドル』のメイン脚本家である青年ビル(ウィリアム)・トレイシーは驚愕する。なぜなら謎の殺人者が季節外れのサンタの衣装で正体を隠して殺傷を行なうというアイデアは、彼が準備中のミステリドラマ『殺人の楽しみ』の検討稿に書いておいた内容だからだ。誰かがトレイシーの未発表の脚本を盗み見て殺人を行なった? トレイシーは捜査を進める警察の脇で、独自にマイペースに事件に首を突っ込むが、やがて事態は次の展開を迎えた。

 1948年のアメリカ作品。
 初めて翻訳が出た当時、少年時代にミステリマガジンでレビューを読み、面白そうだと思いながら、ついに今まで読まなかった。
 御贔屓ブラウンの未読のミステリも残り少なくなっているなか、虎の子の一冊ではあるが、仕事が忙しいなか、なんか妙に読みたくなって通読。二日かけて楽しんだ。

 翻訳がブラウン作品ではたぶん珍しいはずの、あの(競馬スリラーだの、スペンサーものだの、の)菊池光。訳文に関しては世のミステリファンの毀誉褒貶あるのは知ってるが、評者は抵抗ない、というか、相性がいいつもりなので、その辺は安心して読む。
 はたして期待通りにサクサクした歯応えの読み応えで、会話の多い都会派の軽パズラーとしてなかなか面白い。

 約290ページの紙幅は長くも短くもないほど良いボリュームだが、最後の20ページまでフーダニットとして謎解きを引っ張るギリギリ感もサービス精神満点。その上で、犯人は(少なくとも評者には)かなり意外な人物であった。この目くらましの仕方は、かの欧米作家の某作品をちょっと思わせたりする。

 伏線や手掛かりをちゃんと張っておいたぞと作者がドヤ顔するように、探偵役の主人公トレイシーがここで気が付いた、あそこで……と、クライマックスの謎解きの際にポイントを並べていくのも非常に楽しい。
 しかしその一方で、どこか一本ネジがゆるんでいるような気もしないでもないが(だって……)、といいつつソの辺も実に良い意味で、一流のB級パズラーという感じで微笑ましい。

 とても心地よい気分で「ああ、50年代の(本作は実質40年代後半だが)海外ミステリは楽しいな」とページを閉じられる好編の一冊。
 評点は0.4点ほどオマケ。

 やっぱいいよね。フレドリック・ブラウンのミステリのアタリ作品(笑)。

No.2063 8点 絹いろの悪夢- カーター・ブラウン 2024/06/13 06:25
(ネタバレなし)
 その年の秋。「おれ」こと私立探偵ダニー・ボイドの秘書兼セックスフレンド(今でいう)の赤毛美人フラン・ジョーダンが、無断で五日も仕事を休んだ。すると謎の女(のちに美女と判明)「ミッドナイト」から連絡があり、フランを人質にしてるので彼女を無事に取り戻したかったら、ある要求を聞いてほしいという。ミッドナイトのもとに赴き、人死にも生じるすったもんだの末にフランを奪回したボイド。だがミッドナイトの頼みの内容に関心を抱いた彼は、フランの身の安全を確保したのち、改めてミッドナイトのもとにのりこみ、今度は正当なビジネスとしてその依頼を受けることにする。かくしてミッドナイトの指示のままに別名を使い、目的の地アイオワに向かったボイドだが、そこでは意外な事態が彼を待ち受けていた。

 1963年のクレジット作品。ミステリ書誌サイト「aga-search」によればダニー・ボイドものの14番目の長編。

 レギュラーヒロインである秘書フランの誘拐騒ぎから開幕する序盤は、事件屋稼業ものの私立探偵小説としてはありがちな感じ。(と言いつつ、類例の作品などは、すぐにパッと書名を上げられないが。)

 しかし序盤からキャラの濃い連中が続々と登場し、とりあえずフランを救うまでが最初のウン十ページ。
 以降、攻勢に転じたボイドが動き出してからは、フツーの私立探偵小説の枠を超えたジャンル越境的な方向に話が流れ込み、そこからまたさらにストーリーが弾んで、いっぽうでいくつもの謎を残したまま読み手の興味を刺激し、どんどん面白くなる。
 間違いなくボイドもの、いや、これまで何十冊も読んできたカーター・ブラウンの諸作全般のなかでも、かなりデキがいい。

 とにかく「立った」キャラがひしめき合っているのに、残り少なくなったページ数でどう話をまとめるんだ? と思っていたら、いつものブラウンなりの「名探偵、一同の前で、さて、と言い」パターンで、事件の意外な奥行きが明かされる。今回はその最後の真相のストンと落ちる&決まる感じがとてもよろしい。
 話の中途で某キャラに抱くボイドの妙にしんみりしたメンタリティも、どっかチャンドラーのかの作品を思わせる。

 とても面白かったけど、この事件は後日譚をもう一回以上作れて、ボイドシリーズの中でのシリーズ・イン・シリーズに持っていけそうな感じ。
 もしかしたら実際にそういう趣向の作品があるのかもしれないが、あったとしてももちろん未訳である(なにしろ本作は、邦訳があるボイドもののなかで、後ろから二番目という、あとの方の作品なので)。
 誰か原書まで追っかけている奇特な人、その辺の事情を存じないだろうか。
 
 翻訳はあんまり知らない「泉真也」という人だが、フツーにスムーズに楽しめた。奥付の訳者紹介を見るとほかに訳書の記載もないので、これが最初の翻訳だったのか? 肩書の「探偵小説翻訳家」というのが、ゆかしい(笑)。 

No.2062 7点 蠟燭は燃えているか- 桃野雑派 2024/06/11 21:58
(ネタバレなし)
 20XX年(2020~30年代らしい)の後半。地球軌道上の宇宙ホテル「星くず」での殺人事件に遭遇し、生き残った関係者とともに地球に帰還した女子高校生・真田周(あまね)。周は大気圏突入時に、ある意図と思いのもと、ネット経由でピアノ演奏を行なうが、その行為を当人の思惑と違う形で受け取った人々の反響は「炎上」状態となった。そんななか、周に向けられる書き込みの中に、京都市内で放火を行なう旨の犯行予告があるが。

 物語のステージを大きく変えながら、前作のキャラクター設定は継承。そして先行作と通底する、ある種のメッセージ性を続投。
 ある部分を大きく切り捨て、一方でまた別のコアの部分は継承する、そんなシリーズもののありようが、実に楽しい。
 個人的には、これはこれで、シリーズものミステリの、ひとつの理想的なメリハリのつけ具合である。

 ネットの舌禍を主題にした人間の愚行の描写は不愉快な印象はあるが、作者なりの21世紀の現実の文明への取り組みだということは理解できる。
 当初はトラブルに巻き込まれた主人公を応援しようとしていた学校側が、主人公の暴走(青春ドラマ主人公としての)に振り回されて、対応がルーズになっていくあたりの妙に説得力のあるリアリティ描写にも感心する。
 
 物語の転がし方がいささか生硬で、昭和の一級半社会派ミステリを2020年代作品の鋳型のなかに押し込んだような印象もあったが、最後に明かされる犯人の真の動機はそれこそ「いろいろと考えさせられる」。

 どうあがていても人間の心の中に善と悪が並存するという現実は永遠に変わらないなか、じゃあどうするかというところで、ひとこと、たぶんそれだけは確実に間違いないことを言った主人公の叫びは、評者の笑みを誘った。
 うん、お話として、エンターテインメントとして、メッセージドラマとして正しい作りだと思う。
 いろいろ綻びはあるような気もしますが、私はそれなり以上にこの作品がスキです。

No.2061 7点 乱歩殺人事件――「悪霊」ふたたび- 芦辺拓 2024/06/08 15:01
(ネタバレなし)
 昭和の初めのある日。文筆業の「私」は目的地に向かう途中で、麻布の一角にある古書店に入った。そこには数年前の「新青年」のバックナンバーがあり、「私」は、鳴り物入りで登場しながら中絶した江戸川乱歩の連載作品『悪霊』に思いを馳せた。やがて古書店を出て目的地についた「私」はそこで、その『悪霊』に関する奇妙な体験をする。

 乱歩のある意味で最大級? の問題作のひとつ、中絶作『悪霊』に何らかの思い入れや心の執着を抱くファンはそれなりに多いようだが、評者は正直、そんなでもない。ただまあ、それこそ人並みに、昭和ミステリファン、乱歩読者の末席としての関心めいたものはある。

 乱歩の文体パスティーシュとしての出来はなかなかのものだと素人ながらに思うし、原典の細部をほじくって良い意味で妄想めいた作品の奥を開陳してゆく手際も、相応の骨っぽさを感じた。
 ただしいくつかの面で結局はケムに巻かれたような部分があるし(×××の件など)、密室や傷の謎の解法の方も、チョンボみたいなものかも(ただ、それはそれで楽しかったとも思ったりもするw)。

 でまあ、6年前の大作『帝都探偵大戦』のクロージングがアレだったので、芦辺先生、今回もまた、アレやらアレでは……と恐る恐るではあったが、その辺は良い意味で予想を裏切って硬派? な造りで安心。
 あとがきを読むと良い編集さんに恵まれた旨の述懐が書かれており、なるほどと納得。逝去された当該の編集さんの御冥福を一読者として願います。

 力作なのは間違いない。評点は0.35点くらいオマケ。

No.2060 6点 スリープ村の殺人者- ミルワード・ケネディ 2024/06/07 15:59
(ネタバレなし)
 英国の小さな村スリープ村で、とある人物の絞殺死体が見つかる。村の周辺には大き目の川が流れており、そこへボートを使ってやってきた一人の男性がいた。彼=グラント・ニコルソンはもしかしたら殺人者ではないかという不審の目を向けられる一方で、確証のないまま土地の人々とも親しくなり、じきに空き家である「ブリッジハウス」の借主となった。所轄であるホウムワース警察のマーシュ警部は事件を追うが、やがて事態はさらなる展開を見せてゆく。

 1932年の英国作品。
 三冊しか翻訳のないケネディ作品の既訳分は、これで全部読んでしまった。
 メタ的というか、送り手の作者の恣意的にちょっとひねった事をした他の二冊に比べて、本書はずいぶんと真っ当なカントリーもののフーダニット・パズラー。

 舞台劇か映画にしたら栄えそうなタイプの雑多な登場人物が入り乱れ、少しずつ話を転がしていくあたりはクリスティーの一部の諸作を思わせるが、向こう程、話の細部にくっきり感がないのでやや退屈。夜明け近くの深夜に読んでいて、途中ではうっすら眠くなった。
 ただし終盤に近い後半でいきなりイベントは起きるわ、最後には大きなトリックと意外な真犯人が用意されているわ、でいっきにハデになる。とはいえ犯人の設定が(中略)なのは、チョンボだという人もいるかも……。
(その点について、自分の感慨はグレイゾーン。)

 トータルとしてはまあまあ面白く、得点的に良いところだけ拾うなら、けっこう悪くなかったとは思う。
 シリーズ探偵がほとんどいないらしいのが商売的にはネックなんだろうけど、ケネディはもうちょっと、何冊か発掘紹介してほしい作家ではある。

 最後に、00年代に珍しいミステリをいっぱい発掘紹介してくれて大感謝! の新樹社だけど(なにせ、あの1949~51年の戦後翻訳ミステリ叢書黎明期のひとつ「ぶらっく選書」と同じ版元で、その直系じゃ)、本書は登場人物表がかなりザル(フレディ・タイナンほか、主要キャラがあと数人は絶対にほしい)。さらに解説も訳者あとがきも何もない、巻頭の遊び紙のあとに原書の発行年も記載してないというルーズな編集&仕様。
 この時期になると在庫を抱えて版元も疲れてきたのだろうか……と余計なことを考えたりする。翻訳そのものは読みやすかったけど、オクスフォードを妙な誤植表記してあったのはちょっとアレ。
 ミステリファンの登場人物による、名探偵談義(というか名前の羅列・P22~)は楽しかった。

No.2059 3点 時間割- ミシェル・ビュトール 2024/06/02 20:05
(ネタバレなし)
「ぼく」ことフランス人の青年ジャック・ルヴェルは、イギリスの地方都市ブレストンにやって来た。ルヴェルは一年間の契約で土地の商社「マシューズ親子商会」に勤務。フランスとの折衝のための通訳や翻訳の業務に従事するはずだった。ルヴェルはやがて会社の同年代の同僚や土地の者たち、アン&ローズのベイリー姉妹や気のいい黒人の工員ホーレス・バックと親しくなるが、そんな彼は周囲の人物のなかのある秘匿された真実に気づいてしまう。

 1956年のフランス作品。
 推理小説としても読めるアンチ・ロマン文学として、1964年の初訳当時にミステリマガジンの連載月評「極楽の鬼」(同年6月号分)で石川喬司が大絶賛。

 ちょっと以下にその評を引用してみる。

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(前略)しかし、ぼくにとって一番面白かったのは、前回でちょっと触れた、フランスのアンチ・ロマンの作家ミシェル・ビュートルの書いた『時間割』(L’Emploi du temps, Ed.Minuit 56).だった。これは推理小説仕立ての秀作で、ぼくは一週間をこの長編に没頭して過ごした。
 ジャック・ルヴェルというフランスの青年が、イギリスの地方都市ブレストン(マンチェスターがモデルらしい)の商社に一年契約で赴任してくる。滞在がなかばを過ぎてから、彼はそのスモッグに閉ざされた灰色の都市での体験を綿密に再構成しようと試みる。その試みをビュトールは凝りに凝った手法で、主人公の日記の形をかりて描いているのである。たとえば五月の日記に十月の記録といったぐあいで、日記の欄外には、それを記述している現在時と、そこに描かれている内容の時点とが「五月(十月)」というふうに記入されており、こうした時間の二重構造がしだいに素晴らしい効果を生み出してゆく。
 この物語の本当の主人公は「時間」であり、作者は、記憶によって変貌してしまった時間の迷宮の奥深くヘともぐりこんでゆくのだ。その面白さは、複雑な人間関係にさぐりを入れて犯罪の真相をあばきだす探偵の努力に似ており、事実、『時間割』の中では『ブレストンの暗殺』という推理小説が大きな役割を果たしている。(以下略)

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 ミステリマガジンのバックナンバーと『極楽の鬼』の書籍版を古書で入手し、この評に釣られて、シンドそうだけど面白そうだ? と最初に思ったのが半世紀前の少年時代。
 その後、ずっと放っておいたけど、このたびふと思いついて、最寄りの図書館にサルトルの『嘔吐』とカップリングになった世界全集版(たぶんこれが初訳の元版)があるのを確認。じゃあ……と思って借りてきた。
 が……ダメだ、まるで歯が立たない。面白さがわからない、良さも感じない(汗)。

 各章の構造は基本的に、いつの内容のものをいつ書いたのか、実はそれも定型のフォーマットとして表記されてるわけではない(石川喬司とは違う版の訳文を読んだのか?)。というわけで黙って読み進むが、もともとこの手の、作者のメタ的手法による時間錯綜ものは『赤い右手』とか、最高級に苦手である。
 ただし本書の場合、とにかく情報を拾って話を繋げていくことが可能で、その意味ではギリギリなんとかなる? のだが(ただしそれでくだんの時間の錯綜構造の意味を正確に拾っている自信はまったくない)、一方でとにかく日常描写がしつこい。
 こーゆーのがそのアンチロマン派文学か? と言いたくなるくらい(よく知らないが)読み手にはどーでもいい、もちろんストーリーの流れとも関係ない主人公の一人称視点での見たもの、接したものの情報が延々と羅列される。これだけで相当に疲れる。

 中盤でお話が動き、とあるメインキャラというかキーパーソンに目が向けられるあたりでちょっとこっちにもようやっとフックがかかるが、当然のごとくそこに向かってストーリーのベクトルが切り替わるわけでもなく、相も変わらずの日常描写が続く。
 さらに主人公とほかのある登場人物たちの関係性の推移がポイントということもやがてわかってくるが、決してそこは話の芯にはならない!? 

 最大級の退屈を感じながら、最後まで名前が出て来る登場人物全員のメモを取りつつ読了したが、うん、まあ……ミステリかな……よくわからん、というのが正直なところ(大汗)。

 で、読後にヒトの感想が気になってTwitter(現Ⅹ)を覗くと、かなりのホメ言葉があちこちで目につく。
 で、先にちょっと触れた主人公と別のメインキャラの関係性の話題など、うん、まあ、そういうことなんでしょうね……と言われて理解はするものの、一方で、ダカラナンダヨ、と言いたくなるようなホンネも芽生えて来る。

 そんなTwitterの感想のなかにひとつ「この作品をまだ推理小説として読んでるのか?(=それって違うだろ)」という主旨の声もあって、結局は、門外漢の自分にはお門違いの作品だったのかとも思ったり。
 いずれにしろ、ミステリとしても、自分の範疇で捉えられる限りの文学としても、あまり接点はなかった。
 ただまあ、読むヒトが読んだら、なんか得られるのかなあ……というなんとなくの感触はなくもない。
 ある種のインナースペース作品と思えば……それがいちばん呑み込みやすいところかな。

 そんなこんなで、ひたすら疲れました。とにかく現在の自分にはほとんど何も得るものがなかった、ということでこの評点。まあ気になっていた作品をひとつとにもかくにも(読み方が浅かろうか何だろうが)通読したという達成感だけはある(苦笑)。

 本サイトでのほかの人の声は……チョットだけ、聞いてみたい。まあ、なくてもいいけど(汗)。

No.2058 6点 幽霊を信じますか? ロバート・アーサー自選傑作集- ロバート・アーサー 2024/06/01 05:20
(ネタバレなし)
 1963年に本国で刊行された、作者の自薦作品集らしい短編集。
 広義のミステリながら非スーパーナチュラルの作品ばかり集めた昨年の翻訳短編集『ガラスの橋』とは違い、今回は全編がホラーかファンタジーに分類されるようなそういう系列の短編ばかり、全10本を集めてある。

 一本一本の感想は割愛するが、大づかみに言うなら星新一が長めの短編をよく書いていた頃の味わいのクセのある話が集められている。
 個人的なベストは、オーソドックスな幽霊屋敷ネタのショッカーである表題作、あるいは藤子・F・先生の読み切り短編漫画みたいなオチを迎える「頑固なオーティス伯父さん」あたりか。冒頭の「見えない足跡」のラジオドラマ向きの怖さとテンションもなかなか。「デクスター氏のドラゴン」の話の転がり具合もよい。

 トータルでは、物語の読書の楽しみを嗜み始めた世代の若い読者が面白がればそれでいい、という感じの一冊。

『ガラスの橋』まんまの広義のミステリを集めた上でのアベレージの高さみたいなのをもう一冊期待すると、いろんな意味で困るけど、これはこれで楽しい短編集だったのは間違いない。

No.2057 7点 白銀荘の殺人鬼- 愛川晶 2024/05/30 15:02
(ネタバレなし)
 元版のカッパ・ノベルスの綺麗な古書を帯付きで、ブックオフの100円棚でしばらく前に入手。
 あんまり趣向をわめきまくるので、当然これは(中略)だろうと思って読み進めていたら、色々とその奥があった。あの件は結局どうなるんだろう? とずっと思っていたあたりも、セオリーというかパターンというか、だが、うまく捌いてある(分かる人には分かるだろうが)。
 でもって、見せ場のシーンの演出でも自明なように、狙いというか構想の出発点のひとつは、新本格作品のあの名作へのリスペクト兼チャレンジだろうし(こう書いても本作にも当該策にもネタバレにはなってないと思う)、もしそれが当たってるなら、なかなかうまく着地してるんじゃないかと。

 とはいえミステリ初心者さんがご講評の<ネタバレ>部分で語っておられることの問題点、特にその2つめは実にごもっともで、これに関しては良くも悪くも謎解きフィクション的な田舎芝居を見せられた感じ。ただまあ、そこにまたなんか妙な愛嬌を感じたりして、嫌いにはならない。
 虫暮部さんのおっしゃる、(ある程度)よくできた作品としての妙な摩擦感めいたもの、という感覚もたぶんよくわかる。新本格というジャンル自体が既存の謎解きパズラーの成分を踏まえて80年代半ばから日本に生じたメタ的なものだというなら、これは正にそのメタのメタの部分もあるだろうし。

 弱点は、こういう作りだから、フツーに読めばフツーに盛り上がる筋立てのところ、何かその向こうにある、と常に考えて、読み手(少なくとも評者)の感興の念を相殺すること。
(中略)と(中略)の星取りゲーム勝負なんて、それ自体が面白いお話のネタのはずなのに、妙に頭が冷えて高揚しない。まあ、仕方がないか。
 あちこちの面で難点はあるが、得点的には、色々と良質な作品だとも思う。

No.2056 6点 危ない恋人- 藤木靖子 2024/05/28 14:54
(ネタバレなし)
 1960年代初め、四国の北部にある松笠市。そこでは市役所勤務ながら、土地の転売で相応の資産を得た31歳の不器量な女性・中北小枝(さえ)が、26歳の美貌の従姉妹で実は恋人である栗田ひろみとともに邸宅に暮らしていた。一方、ベテラン教育者として土地のそれなりの名士である53歳の未亡人・香川フミノを最年長とする香川家に、ある日、家内の不倫を指摘する怪文書が届く。やがて二つの物語は、密接に絡みあっていく。

 作者・藤木靖子(1933~1990)は、香川県高松市出身の女流作家。
 現状でWikipediaに単独項目もない扱いだが、ネットで得られる情報などをまとめると、1960年に「宝石」の新人賞「宝石賞」の第13回にて短編『女と子供』で第一席を獲得(日本推理作家協会賞のサイトでは、藤木は第一回「宝石賞」を受賞とあるが、とんでもない間違い)。その翌年、処女長編『隣りの人たち』と本作『危ない恋人』などの単著を刊行した。後年はジュニア小説での活躍が主体となりコバルト文庫などで青春小説分野の人気作家となった。

 ……でまあ、本サイトにもこれまで作家登録もない、21世紀ではほとんど忘れられたミステリ作家だが、昭和ミステリ全般を評者のように(かなりいい加減にスーダラながら)探求している者には、時たま目についてくる女流作家の名前である。
 とはいえそんなマイナー作家の初期のミステリの古書価は当然ながら高いので、興味が湧いても指をくわえていたが(国会図書館の電子書籍などで読めるかもしれないが、当方には現状、その辺は守備範囲外)、先日、本作の裸本の古書がかなり安くネットで買えるので、いそいそと購入した。
(どうせ地元の図書館経由で他館所蔵の本をリクエストしても、いつものようにまた裸本が来る可能性も大きいし。)

 で、本作の実作を読むと、冒頭から一癖ありそうな叙述でスタート。メインキャラの一角である若い富豪の小枝が、旅に出る同性の恋人のひろみへの劣情を燃やすが、心の整理をするために得意な速記で内心の情愛を文字にする。そこから手紙形式の記述が数回続くので、まさか全編この調子? それはそれは……と思ったりしたら、その辺はみんなあくまでプロローグで、本筋は普通の三人称形式でそのあと始まった。しかしカメラアイはもうひとつのメインキャラクターである香川家の方にそこから切り替わり、思わせぶり、いわくありげな各章の見出しとあいまって、かなり強烈な物語のうねりを序盤から感じさせる。

 要はなかなか手慣れた小説技法を実感させる、掴みのよい開幕で、これは面白そう、マイナーながら古書価も高めになるのも伊達ではない? と実感させる(いや、実際のところ、一般論として、旧作ミステリの古書価の高さと出来の良さは、決して比例なんかしてないと思うケドね・笑)。

 ちょっとバリンジャーとかを思わせる輪唱形式で話が進むなか、劇中の殺人? 変死も絶妙なタイミングで登場。なんか昭和中期のフランスミステリ風の一冊として、隠れた秀作になるか? という感じで期待させたりする。
 少なくとも、その程度には読んでる途中まではなかなか面白い。

 ただし中盤で、え!? とかなりのインパクトを与えたのち、お話の後半どうするんだろ……と恐る恐る読んでいくと、ああ……となかなかのサプライスに着地。
 で、こう書いていくと結構な秀作という感じではあるが、使用した大技に関する箇所をもう一度読み返してみると、ちょっといろいろ思ったりしてしまう。
 いや、作者が意図的に気を使って書いてあるのはわかるのだが、登場人物の描写として違和感を抱くような流れなので。まあこの辺は、あまり詳しく語らない方がいいか。

 まとめるなら、かなり高い目線で理想を追いながら、微妙なこなれの問題で、いいところまでは行かなかった作品。失敗作とまでの烙印を押すのは不適当だが、一方で残念ながら秀作とも優秀作とも言い難い。
 ただまあ、このあとも未読の作品のなかになんかオモシロそうなものは転がっている期待は十分に抱かせてくれたので、まずは作品との出会いを求めてみようかとも思う。
 まあ昭和のマイナー女流作家をつまみ食いするのは、あくまで評者の関心のありようのひとつだけどね(笑)。

No.2055 6点 変身の恐怖- パトリシア・ハイスミス 2024/05/27 21:14
(ネタバレなし)
 1960年前後。その年の6月、34歳のアメリカ人小説家ハワード・インガムは、ひとりチェニジア(本文中では「テュニジア」)の地にいた。インガムは次作の小説を書き進めながら、アメリカに残してきた恋人アイナ・バラントからの便りと、そしてエージェントのジョン・カッスルウッドの来訪を待っていた。そんななか、インガムは、コネティカット州出身という初老のアメリカ人実業家で農場主のフランシス・J・アダムスと友人になるが。

 1969年のアメリカ作品。ハイスミスの13番目の長編。
 ちくま文庫版で読了。
(Amazonには現状でデータがないが、邦訳の元版は、66年に同じ筑摩書房の叢書「世界ロマン文庫」の一冊として、一度、刊行されている。)

 大ネタは書かない方がいい……な。
 自分がこれまで読んだハイスミスの作品のなかではもっとも普通小説に近い感触の一冊で、広義のミステリとしてもこの上ないくらい、ある種のボーダーラインの文芸を狙っている(詳しくは読んでください。文庫版の新刊刊行時の帯にも書いてあったし、中盤まで読み進めれば、まあ誰でも分かると思う)。

 で、評価する人は、そのある種の<揺らぎ>の中に陥った主人公の内面的境遇とそこから生じるサスペンスがいい! と言ってるのであろうことはよく理解できるのだが、個人的には、万が一リアルで<そういう状況>に陥った場合、引くか進むかどっちかになるしかないと、たぶん自分は思っちゃう方なので(もちろん現時点ではアタマの中だけのことだから、本当に現実にそうなったらまた違うかもしれんが)、ある意味で迷宮に陥った主人公の足踏みぶりに、もうひとつシンクロできなかった。
(なんかね、実は私ゃ、アニメにもなってる人気の異世界(的な世界観の)ラノベ『オーバーロード』の主人公アインズ・ウール・ゴウンの信条のひとつ「本気で(中略)だと考えている者は狂人だ」という割り切りの方が、今の21世紀らしいものの見方じゃないか、と思うので。いやまったく。良かれ悪しかれ。)

 文学というか小説的には、あれやこれやの暗喩も潜むのもなんとなく伺えるものの、その辺が今回はあまりこちらに突き刺さってこず、大半が他人ごとに思えるのはどーゆーわけか。
 この十年間弱、改めてハイスミスの諸作のスゴさに肝を冷やしてきた評者だが、巷では評判のかなりいいこの作品で、ここまでアウェー感を抱くとは予想にしなかった。ただまあ、その辺の万人が万人、いいとは決して言いそうもない作品という側面も、正に本作の個性だという気もする。その上で、今回はたまたま、自分は合わない方にいただけだ。

 もちろん、本作も含めて、ハイスミスがスゴイ作家であること自体は、いまだなお、まったく疑念の余地もないのだが。

No.2054 7点 救いの死- ミルワード・ケネディ 2024/05/25 06:01
(ネタバレなし)
 第一次世界大戦後の英国。地方のグレイハースト村に住む「わたし」こと独身の中年の地主グレゴリー・エイマーは、3年前に少し離れた隣の屋敷に越してきたモートン夫妻に関心を抱く。村人と距離を置くモートンだが、エイマーは実は彼が20年ほど前に活躍した曲芸を売りにする映画男優ボウ(色男)・ビーヴァーの変貌ではないかと疑念を抱いた。なじみの未亡人の姪の魅力的な娘オードリー・エムワースを秘書にしてモートンの調査を進めるエイマーだが、やがて彼の前に過去のとある殺人事件が浮かび上がってくる。

 1931年の英国作品。
 作者ケネディの6作目の長編で、盟友バークリーへのアンチテーゼというかあてこすりというかおちょくりというか……の意図も込めて書かれた一冊。バークリー好きは読んでみてもいいかもね。

 ケネディはそもそもマトモな翻訳が少ないが、10年前に訳された『霧に包まれた骸』はリアルタイムで読んでいた(実は、自分は大体その時期から、ミステリファンとして再覚醒した)ので、これが二冊目の読んだ作品になる。

 本サイトの先行のお二人のレビューを読むと何やらクセのある作品のようなので、楽しみに手に取った。
 本文は二部構成で、第一部がほとんど大半を占めるが、そこでの多重解決(というかデクスター風の推理の反復)はややこしいわりに、意外に読みやすい。話も比較的、スムーズに頭に入ってくる。たぶん小説も翻訳もうまいのだと思う。

 で、最後まで読んで……わはっはははは、こーゆーことか(笑)。
 
 いや、遊戯文学としてのミステリ、こーゆーのもタマには十分にアリでしょう。まあ、こういうのばっかでも困るけど(笑)。
 
 そーいえば『霧に包まれた骸』も、一種のメタミステリとしていまだに印象に残っている。面白いかつまらないか、ではなく、とにかくミステリというジャンル小説の中で、何か仕掛けてやろうという遊び心は買うんだよね。
『霧に』も今回の本作も。

 この手のものがまだまだあるのなら、未訳が山のようにあるケネディ作品、もっともっと翻訳してください(笑)。

 最後に、タイトル(邦題)の意味のみ、ちょっとピンとこない。分かる人、未読の方のネタバレにならないのなら、なんでこの邦訳タイトルなのか、教えてくだされ。

No.2053 6点 ガラスの仮面殺人事件- 辻真先 2024/05/23 06:35
(ネタバレなし)
 都内の経堂にある東西大学。そこの演劇サークル「バブル座」は小規模ながらアマチュア劇団として評価を集め、映画館「吉祥寺シネマ」の場を借りて活動を続けていた。若手ミステリ作家の「ポテト」こと牧薩次は白泉社から依頼された(今でいう)コラボ小説のミステリ「ガラスの仮面殺人事件」を執筆するため、取材の目的で恋人の「スーパー」こと可能キリコを誘って吉祥寺シネマに赴くが、そこで二人を待っていたのは不可解な密室殺人だった。

 91年に白泉社の知り合いの編集者から頼まれた作者が『ガラスの仮面』をモチーフにというか、あるいはコラボというか、で書いた企画ものミステリ。装丁が白泉社の「花とゆめ」コミックスの、セルフパロディチックなのがオシャレである。挿し絵は橘いさぎという方の新規書き下ろし。一部には原作『ガラスの仮面』の図版も流用で使用。

 探偵役はあらすじのとおりにおなじみスーパー&ポテトのコンビで独身時代の後期のものだけど、大詰めの『本格・結婚殺人事件』までは、間にあと二冊あるようである(そのうち読もう)。

 で、本作の読後にAmazonの評を覗くと、本家『ガラスの仮面』にまったく関係ないやんけ! という怒りの声があるが、実際にあんまりモチーフ作品との密着感はないね。20年前に原作本編を一度読んでその後読み返してない読者でも目をつぶってかけそうな程度の、原作『ガラスの仮面』の大設定が登場人物の話題になるくらい。なんかこの辺の薄さはいかにも辻センセイらしい。

<マヤは紫のバラの人をついに追いつめた! しかし次の瞬間、その相手は(以下略)>とか
<楽屋で続発する悪意のある妨害工作。そうよ私は伯爵令嬢……(以下略)>とか、
 そのまんまミステリのネタにしても面白そう? な名シーンが原作にはいくらでもあるんだけどね。
 さすがお忙しい辻先生、原作を読み返すお時間は当時もなかったようで、と軽くイヤミ。

 でまあ、その辺の<趣向が『ガラスの仮面』に沿ってない、別にほかの演劇ネタだっていいよね?>的な不満は最後まで残りましたが、変化球のフーダニットパズラーとしてはちょっとだけメタ的に面白い? ことやってはおります。まあその辺が無ければ、水準作~佳作だけど。

 あと、ミステリ的な興味とはあんまり関係ないけれど、ポテトがさっさと求婚してくれないことに焦れるキリコの描写はちょっと可愛い。リアルタイムで『中学』からずっと、この二人の軌跡を追っかけた読者もこの広い日本のどっかにはきっといたんだろうけど、そういう人は『結婚』の刊行がさぞ感無量だったろうな。そーゆー人生の体験をした人が、ちょっとうらやましく思える(笑・照)。 

No.2052 8点 VR浮遊館の謎ー探偵AIのリアル・ディープラーニング- 早坂吝 2024/05/22 07:00
(ネタバレなし)
「四元館の殺人」事件を解決した、人工知能(AI)探偵・相以(あい)と「僕」こと助手の合尾輔(あいお たすく)。そんな両者のもとに、知人の編集者・大川が現れた。輔たちは大川の手引きで、以前に縁ができた別の高性能AIのもとに向かうが、そこでは異様な特殊空間での探偵推理ゲームが二人を待っていた。

 探偵AIシリーズ、3年ぶりの新作。
 込み入った大設定の上でのシリーズ4冊目なので、基本はこれまでの3冊を読んでおいた方がいい。
(それでも本作は一応、単品でも楽しめるとは思うが。)
 さらに言うなら前作が前述のとおりに3年前なので、評者など前巻までの細かい設定や作中での情報を忘れていたが、その辺はさすがに書き手がプロの作家。これまでのシリーズの軌跡をなんとなく思い出せるように、地の文の説明で補助線を引いてくれている。

 で、ミステリとしては堂々たる特殊設定ものだが、最後の最後でかなりの大技が炸裂。
 さらにまた、そこに行くひとつ前の<真相の仮想>の方も面白かった。このネタ、ここでダミーというか当て馬というかで使っちゃったのが、いささかもったいないくらいのものだったね。

 大技を用意しながら実は先駆例があり、その意味ちょっとイマイチだった前作に比べ、今回は最後まで二段三段のヒネリ、いやそれ以上? の仕込みでとても楽しかった。外連味のダイナミズムだけなら、今回はシリーズ全体でのベストワン。

 結構な数の人が楽しめるとは思うけど、くれぐれも(できるなら)順番にシリーズ既刊の3冊を消化してから、本書を手にしてください。

 さて……次回はいつ読めるか? まあ気長に待ちましょう。

No.2051 6点 一本足のガチョウの秘密- フランク・グルーバー 2024/05/21 14:12
(ネタバレなし)
 常宿である「四十五丁目ホテル」の宿泊代を滞納中のジョニー・フレッチャーと、サム・クラッグ。さらにそこに、以前にサムが月賦で購入した楽器の残金が未払いだと、強面の巨漢の借金取りJ・J・キルケニーが押しかけて来た。キルケニーに対応したジョニーは成り行きから、手数料をもらうという約束で、別のキルケニーにとっての債務者である美女アリス・カミングスの借金の取り立てを代行することになる。だがこれがまた、新たな殺人事件の幕開けにつながっていく。

 1954年のアメリカ作品。ジョニー&サムものの第13番目の長編。
 
 もはやおなじみのユーモアミステリの世界に付き合うために(だけ)読むという感じの一冊。
 良くも悪くもなじみの店の定食を食べている気分だが、それはそれで悪くはない。

 苦労して財を成した大富豪カーマイケル老が、まだ若造のジョニーに妙な親近感を覚えるらしい描写なんかほっこりする。

 タイトルの意味は生きた鳥のことではなく、アンデルセンの鉛の兵隊みたいに、製造上の事情から片足が欠損して完成したガチョウ型の青銅の貯金箱のこと。事件に関わるアイテムになる。
 今回はサムがシリーズでは珍しい? はずのピンチに陥り、その辺がちょっとした趣向か。

 フーダニットのミステリとしてはもはや読者に推理させる気なんかカケラもない決着で、その開き直りぶりにはさすがにちょっと唖然としたが、むしろ今回は(中略)が最終的にどういう意味をもっているのか? を終盤までに当てるのが、謎の眼目の作品ということだろう。たぶん。

 ついにシリーズの未訳の残りもあと一冊。発掘翻訳企画のレールを敷いてくれた今は亡き仁賀克雄と各作品の翻訳家、それに論創社に改めて感謝。
(まあ自分はまだ、全部のシリーズのうちの半分くらいしか読んでないと思うけど。)

No.2050 6点 ロニョン刑事とネズミ- ジョルジュ・シムノン 2024/05/19 14:53
(ネタバレなし)
 その年の6月下旬のパリ。68歳の浮浪者「ネズミ」ことユゴー・モーゼルバックは、たまたまある男の死体に遭遇。その男の携帯していた大金入りの財布を見つけた。ネズミは財布を単なる拾得物として警察に届け、一年後に落とし主不明のものとして、自分の財産にしようと考えるが……。

 1938年のフランス作品。
 メグレシリーズの番外編で、「無愛想な刑事」ジョゼフ・ロニョンが初デビューの作品がこれだそうである(シリーズの正編にロニョンが登場するのは、十年後の1947年の『メグレと無愛想な刑事』から)。
 なおロニョンに「無愛想な刑事」の綽名を授けたのも、この本作のネズミ老人であった。本作の時点から、貧乏くじをひく体質、奥さんがやや面倒な女性(単純に悪妻ではないが)……などのロニョンのキャラクターはほぼ固まっていた感じで、興味深い。

 本作ではおなじみリュカが警視になっているが、書誌データを検索すると1934~38年はちょうどメグレシリーズの刊行が休止期だったようだ。
 つまりはこの世界線ではメグレはすでに現場を(一度)去り、後継者的なポジションのリュカがかなりの地位まで昇進していた……という解釈でよいのだろうか?
(シリーズ全体を俯瞰すると、EQとか以上にパラレルワールド理論を導入しないと説明のつかない世界観である。)

 短いからあっという間に読み終わってしまう。後半の動きのある展開はシムノンの世界の枠組みギリギリ(?)という感じで面白かったが、捜査側の主人公? のはずのロニョンの扱いに、あれ!? となった。まあロニョンらしくはある。

 こういうメグレシリーズ番外編がいくつも書かれて、シリーズの世界観の裾野を広げたこと自体はとても良いと認めるのだが、なぜか今回に限っては、そのメグレの不在が相当に寂しく思えた。近くまた何か、シリーズの正編を読むことにしよう。

No.2049 7点 87分署インタビュー エド・マクベインに聞く- 伝記・評伝 2024/05/18 21:06
(ネタバレなし)
 本業は海外の各国勤務の商社マンだったが、大のミステリファンで87分署の研究書「87分署グラフィティ」で第42回日本推理作家協会賞の評論部門も獲得した著者・直井明による、エド・マクベインへのインタビュー本。取材は1990年10月にマクベインが来日した際に行われたが、この時点で直井氏はすでにマクベイン当人と親交があり、マクベインの方も新作を書くために、直井氏がシャーロッキアン的に研究したデータベースを参照することもたびたびあった。

 取材の話題は、おおまかに13の主題(項目)に分かれて、87分署周辺の作品内外に関することはもちろん多いが、それ以外に商業作家としてのマクベインの履歴やほかの作家との親交、脚本家として仕事した際の述懐……など多岐に及ぶ。

 それらのインタビュー(対談)の集積の中から与えられる情報量の多さには十分にお腹いっぱいだが、一ファンとしてはもうちょっとキャラミーハーな質問をしてほしかった気もしないでもない(なんでああもバート・クリングはいじめられるのか、とか、シンディ・フォレストの再登場を考えたことはないのか、とか)。

 しかしマクベインが亡くなったのは2005年。この本が出たときより15年もあとで、最後まで現役作家だったのだから、実はこのインタビュー本はきわめて貴重な一冊ではあると同時に、まだまだこのあと晩節のある作家の過渡期の一瞬を捉えたもの、という感もあった。そういう意味で本の内容には、実際に語られていない部分で、まだ見ぬ奥行きの広がりを幾らでも感じたりもする。

 通読してスゲーと改めて思ったのは、著者・直井氏の博覧強記ぶりとおしゃべり好きで、特に巻末に設けられた本文各所への註釈のそれぞれのボリューム感には唖然。ひとつ話題を振ったら、二十は語る、というようなマシンガントーク的な記述であり、いろいろ勉強になる。

 実際、作者のトリヴィア探求の情熱はすさまじく、たとえば87分署の本文中に実在人物らしいかなりマイナーな音楽業界の関係者の名前が出てきたら、20冊ほど原書の音楽関係書を実際にリファレンスして、ようやく見つけたと安心する。あの島崎博にも匹敵する熱量で、そりゃまあ、協会賞のひとつふたつホイホイと取れるだろう、と思う。

 直井氏の著作はほかにも買ってあるけど、実はマトモに一冊読んだのはこれが初めてであった(汗)。少しずつ勉強させていただきます。

No.2048 5点 母親探し- レックス・スタウト 2024/05/17 19:08
(ネタバレなし)
 その年の5月20日のニューヨーク。9か月前に42歳で逝去した人気小説家リチャード(ディック)・ヴァルドンの屋敷に男児の赤ん坊の捨て子があった。メモにはこの子は故人(リチャード)の遺児ですと書かれている。リチャードの未亡人で26歳の美女ルーシーは、ネロ・ウルフ探偵事務所を訪問。赤ん坊が本当に亡き夫の庶子なら引き取って養育も考えるので、まずはメモの真実とこの子の素性、誰が母親かを調べてほしいと相談を願う。「ぼく」ことウルフの助手アーチー・グッドウィンは、ルーシーと距離を狭めながら手掛かりを探るが、やがて予期せぬ殺人事件が。

 1963年のアメリカ作品。
 漠然とした人探し(情報調査)の依頼から始まって、いささか唐突に殺人事件に連鎖する。そのあたりの話の流れのテンポの良さは、秀作『黄金の蜘蛛』を思わせる(なお、その被害者が殺されていささか痛ましいキャラなのも、同作と同じ)。

 これは面白くなるかな? と期待したが、後半は、出て来るキャラクターたちの全般に精彩がなく、かなり退屈。個人的には『腰抜け連盟』と同様に、キャラばかりムダに出て来る感じだった。
 当然ながら、nukkamさんのおっしゃるように、真犯人が判明しても、ああ、そうですか(読み手的には、誰がホンボシでも、ほとんどどうでもいい)という感慨であった。

 ウルフシリーズのなかでは、オチる方じゃないかと。
 まあ、こういうのもあるでしょうね。長期シリーズなんだし。そういうのに出会うこともあるのも、ミステリファンの人生だと割り切ろう(笑)。

No.2047 6点 スリー・カード・マーダー- J・L・ブラックハースト 2024/05/16 07:31
(ネタバレなし)
 その年の2月5日。英国のブライトン。11階建ての高層共同住宅の上階から、喉に傷のある男=41歳のショーン・ミッチェルが落下した。だが捜査が進むにつれて、ミッチェルは何者かに殺害されたが防犯用の、防犯用の記録映像から、その犯行現場に容疑者が入った形跡がない? ということが明らかになる。サセックス警察の女性警部補テス・フォックスは、警部への昇進をかけてこの事件に取り組むが、それと前後してテスは、異母妹で、そして実父のフランク同様、熟練した詐欺師であるセアラ・ジェイコブズと15年ぶりに再会した。

 2023年の英国作品。
 刑事と詐欺師の姉妹コンビが主人公というキャラ設定の妙(ちょっと、懐かしの探偵ドラマ『華麗な探偵 ピート&マック』を思い出す)、それに不可能犯罪の連続という趣向を聞き及んで、それは面白そう、と読んでみた。

 読んでいる間は、設定とプロットの割にちょっと小説が長めかと感じたが、最後まで通読すると、さほどでもなかったかと思い直す。むしろもうちょっと書き込んでおいてほしい部分もあったが、その辺はシリーズ化も決まっているというので、二作目以降のお楽しみか。

 謎解きミステリとしては最初の事件の解法がまあまあで、あとの方はああ、おなじみのあれね、という感じだったが、真相がわかるまでは主人公コンビや捜査陣がそれなりに騒ぎまくるので、テンションは高く、そこそこ楽しかった。
 作者がミステリファン向けのアイコン風に、劇中に『三つの棺』などカーの諸作を引っ張り出すのも、田舎芝居のハリボテ的な外連味でたのしい。

 登場人物は多めだけど、主要キャラ&バイプレイヤーキャラは割と書き込まれていて、なかなか好ましい。なお解説ではテスの署内の味方は年下の美男刑事のジェロームのみだ、と話を盛ってるけど、実際にはそんなことないでしょ。同僚連中はいい奴らばかだし、上司のオズワルド主任警部もこの上なくあれこれ融通してくれてるじゃないの。

 最後の真相というか犯人の設定には、なんか日本の21世紀のラノベみたいだな、と思ったが、精神的には近いものがあるかもね。まあこれはこれで、でしょう。
 7点にはちょっと足りない、という意味で6点。でもそれなりには楽しめた。

 いずれ刊行される(本国で)という2冊目は、(翻訳されたら)事件の設定や趣向が面白そうだったら、あるいは、先に読んだ人の評判が良かったら、読むでしょう。

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人並由真さん
ひとこと
以前は別のミステリ書評サイト「ミステリタウン」さんに参加させていただいておりました。(旧ペンネームは古畑弘三です。)改めまして本サイトでは、どうぞよろしくお願いいたします。基本的にはリアルタイムで読んだ...
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