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[ ハードボイルド ]
笑う犬
私立探偵レオ・G・ブラッドワース&セーラ(セレンディピティ・レン・ダールクィスト)
ディック・ロクティ 出版月: 1991年06月 平均: 7.00点 書評数: 1件

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扶桑社
1991年06月

扶桑社
1991年06月

No.1 7点 人並由真 2025/05/03 17:16
(ネタバレなし)
―おばあちゃまは少し黙りこみ、なにか考えるような表情になった。「あなたのおじいさんはリチャード三世だとでもいうの?」
「ジョセフィン・テイの本には、幼い王子たちを殺したのはリチャード三世ではないかもしれないと書いてあったわ」
 彼女はわたしを見つめた。「だれの本ですって?」
「ジョセフィン・テイよ。素晴らしいミステリ作家なのよ」
「ああ」おばあちゃまは興味を失った顔になった。「小説ね」(上巻)

ーわたしは(ロンドン塔の)ガイドに、リチャード三世が実際には幼い王子たちを絞殺していないと主張しているジョセフィン・テイの『時の娘』について質問した。おばあちゃまと同じように、ガイドはミス・テイの作品を読んでいなかった。そして、この先も読む気はなさそうだった。(下巻)
(ともに石田義彦・訳)

                    ※              ※

 未知の奇病エイズの出現や少し前のチェルノブイリ原発事故に世界が揺れる1980年代後半。ロサンゼルスの中年私立探偵レオ・G・ブラッドワースの依頼人にして、ともに事件を解決した、(大人気のベテラン女優イーディス・ヴァン・ダインを祖母に持つ)15歳の美少女セレンディピティ(セーラ)・レン・グールクィスト。そんなセーラは先の事件の記録をレオと共著の形でドキュメントノベルとして上梓し、ベストセラーを達成。「十代のP・D・ジェイムズ」という、セーラいわくジェイムズ当人が聴いたらあまり良い顔をしないのでないかという評価まで授かっていた。セーラは現在もレオの事務所に出入りし、押しかけ秘書兼助手を務めている。だがそんなレオとセーラのもとに複数の事件の依頼がほぼ同時にあり、なりゆきから各自が別々の依頼人に相対することになった二人は目前の案件に踏み込んでいくが。

 1988年のアメリカ作品。日本でも翻訳刊行当時、かなりの反響を呼んだレオ&セーラものの第一弾『眠れる犬』に続くシリーズ第二弾。

 『眠れる犬』は87年の邦訳直後、(ほぼ?)リアルタイムで読んで評判通りにかなり楽しんだ記憶があるが、さすがに今ではいくつかの印象的なシーンを別にして、細部のストーリーはほとんど忘れてしまっている。
 で、そういえば『眠れる犬』も作者ロクティも本サイトには登録されてないなあと思い、登録だけさせてもらったのが2021年の11月。のちにその『眠れる犬』のレビューは2023年9月に空さんの御講評を読ませていただき、感謝であった(さすが空さん!)。

 そして、その2021年前後に、この続編『笑う犬』もとっくの昔に邦訳されてるんだっけと思って、ネットで手頃な価格の古書2冊セットを購入した。
 で、読もう読もうと思いながら、実際に一念発起するのは、数年後の今から数日前であった。まあ当家のツンドクミステリの滞空期間としては、まだまだ短い方だが。購入後、十年単位で放ってある本なんか、三途の川の小石のようにある。
 
 で、読み始めるが、作品の中身は「おれ」レオと「わたし」セーラ双方の一人称がざっくり交互に交代しながら(各方のパートは数章分まとめたブロックごとにチェンジ)、事実上2~3の事件を追っていく。セーラの方が、失踪した十代の少女を捜索する別の私立探偵の応援で、レオの方が女優の宝石の盗難事件だ。
 
 作者の話術が達者な上、セーラがミステリマニアで、我々にもおなじみのミステリ作家や作品の名前を出しまくるので退屈はしない。
 ロンドン塔に行けばセーラは『帽子収集狂事件』を想起するし、セーラ以外でも、レオと友人のクガート警部の
「スピレーンよりすごいのか?」
「スピレーンだって? 畜生、ハウンド(レオの綽名)、今は80年代だぜ」
 というやりとりにも爆笑する。いやこの時、巨匠スピレーン(スピレイン)、まだ一応は現役なんだがな(笑)。

 だが一方で、と・に・か・く登場人物が多い(汗)。最終的にネームドキャラだけでのべ数150人弱。たぶんこの10年間に読んだ新旧のミステリのなかでもトップクラスの多さで、さすがに情報の整理にやや疲れた。昔のように人名メモを取らない読書だったら、絶対に音を上げていただろう。

 それで、肝心の複数の事件の相関性(何らかの形で交わるか、最後まで別の流れか)についてはもちろんここでは言わないが、上下巻あわせて800ページ弱の大作のなか、まだかなりのページを残して、え、ここで決着? と、いちどは思える山場が用意されている。
 そこで「ん!?」となるが、さらにそこから、かなり斜め上の、しかし伏線はあれこれ張ってあった方向にクライマックスが盛り上がっていく。仕事の関係で一日、間に入れて、実質二日で完読。結局、下巻はイッキ読みであった。

 前述のとおりに登場人物が多すぎて、途中、枝葉のエピソードが過剰な感触は確かにあるのだが、実はこの辺にもしっかり意味がある。クライマックスで驚かすために、作者は途中がいささか冗長になるのを確信的にやむなしとした気配もある。結構リスキーな作劇というか、作法だ。
 
 その辺を踏まえて終盤のクライマックスを重視すれば十分に8点なのだが、途中のちょっぴりの歩き疲れならぬ読み疲れ的な気分も見過ごせないなあ、ということでこの評点。ただしその数字の上の方なのは言うまでもない。
 『眠れる犬』の方がいろんな面で日本では受容される作品だろうけど、こっちも悪くはない、というかある面ではかなりトリッキィで面白い。非常に感覚的に言うけれど、瀬戸川猛資がもし読んでいたら(実際はどうだったか知らないが)結構、気に入ったんじゃないかという感じがする。

 翻訳はこのシリーズ2作目が大作過ぎてリアルタイムの読者に「引かれた」ためか(そういう評者も実際、いままで読まなかったしな・汗)ここで止まっちゃったけど、ネットで調べると本国でのシリーズは、1999年の第3長編「Rappin' Dog」以下、まだ続いたみたいね。その後のレオとセーラがどうなったか、続きを今さらながらに読みたいなあ。
 どっかでしれっと翻訳してくれんかしら。


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ディック・ロクティ
1991年06月
笑う犬
平均:7.00 / 書評数:1
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眠れる犬
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