皆さんから寄せられた5万件以上の書評をランキング形式で表示しています。ネタバレは禁止
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クリスティ再読さん |
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平均点: 6.39点 | 書評数: 1419件 |
No.319 | 7点 | 悪徳警官- ウィリアム・P・マッギヴァーン | 2018/03/31 23:07 |
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マッギヴァーンお得意の警官モノ。主人公がギャングに買収された悪徳警官だったのが、弟のトラブルをきっかけにギャングたちに反逆する話である。ただし道徳的に悔い改めるとか、弟の復讐で...とか、そういうウェットな話にしないのが一番いい点。
主人公はギャングに買われる悪徳警官を自任しながらも、それでも有能な刑事であり、ヘミングウェイ風な頑固一徹なコードヒーローである。世の中の仕組みが分かってるからこそシニカルになり、利口に立ち回って職務を売るのも、それが独立独歩で他人を信じないタイプの男だからこそだ。そもそも正義と不正・道徳といった観念で動く柄じゃない..だから本作はマッギヴァーンの中でも一番ハードボイルドのテイストが強い作品になっている。 事件の目撃者となったことでギャングに不利な証言をする弟に対し、死なせないためにその証言を翻させようと主人公は躍起になる。マトモな警官である弟はまったく取り合わないので、主人公と組んでいたギャングに殺される。それでも主人公は自分がギャングたちに騙されメンツを潰されたあたりに怒り狂う(弱みなんぞ見せたくもないしプライド高いんだよ)みたいに描かれて、ウエットさなぞ薬にしたくてもないような煮え切った主人公である。 要するに主人公は自分の周囲の、弟を含む善良な警官たちを、多少小馬鹿にしていたのである。しかし周囲の善良な警官たちが「警官殺し」に対して一致団結してギャング壊滅に向けて頑張る姿に、主人公は逆に考えさせられることになる。こういう道徳主義的ではないダイナミズムの設定がなかなか、いい。あくまでもバッドボーイの物語なのだ。 日本だとどうもハードボイルドの名のもとに情緒的な浪花節が横行するのだけども、本当はこういうシニカルでドライなのが、ハードボイルドの真面目なんだよね。作者が自分の作り出したキャラをうまく客観視できている印象がある。こういうあたりが極めてマッギヴァーンという作家の個性を感じるところ、かな。 |
No.318 | 5点 | 危険の契約- エリオット・リード | 2018/03/31 22:34 |
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エリオット・リードはアンブラーの別名義みたいなものだが、ロッダという作家との合作ということもあって、多少テイストが異なる。本作だと主人公は海軍を辞めたあとに、自分でモーター・ランチを所有して船長として雇われ仕事を始めたばかりである。原題の Charter to Danger もチャーター船の話、ということだ。大実業家の秘書を名乗る男にチャーターされてカンヌに持船を回航してきたのだが、打ち合わせのために上陸したのを主人公はすっぽかされて、船に戻ったら、機関士と甥を乗せたまま船が消えていた....雇ったはずの秘書は全く別人で、大実業家もホテルから失踪していたのだった。まもなく主人公の相棒である機関士の死体が漂流するボートの中で見つかった! 大実業家はどうやら誘拐されて主人公の甥と一緒に囚われているらしい。
とまあ、アンブラーというよりも、アンドリュー・ガーヴみたいなノリの話である。良い点は主人公設定で、誘拐事件の道具に使われた船の船長、というわけでどっちか言えば「小説の脇役」みたいなポジションになりがちなキャラをあえて主人公にして、甥の安否と責任感から、積極的に事件に介入することにしている。誘拐も企業合併のウラで進行している株の仕手戦と絡んでいるなど、冒険小説にしては異色なくらいのリアル設定があることだろう。 つるつる読めて、いい点もあるが、標準的なスリラー、といったところ。アンブラー独特のアイロニーみたいなものは窺われない。 |
No.317 | 10点 | 眠りなき狙撃者- ジャン=パトリック・マンシェット | 2018/03/27 22:28 |
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人によって高得点の付け方はいろいろなのだろうが、評者の10点は大傑作・大名作というよりも、「愛の対象」であるかどうか、である。だから今までは再読作品以外は10点を付けれなかったのだが...本作は初読でもその自己ルールを破ります。評者は本作に恋している。
まあ評者マンシェットとは相性がいいのは何となく感じていたのだがね。この遺作は今まで読んだマンシェットのどの作品よりもタイトで凶悪でクールであり、ハードボイルドの鑑、と言っていい作品である。ほぼ散文詩の域に近づいているので、一語一句ゆるがせにできない読書体験を味わったよ。三人称・カメラアイな客観描写という方法論が徹底されているので、大向こうを唸らせる警句も、文学的比喩もここには存在しえない。本作と比較したら、チャンドラーだって気取った自意識の産物であり、ロスマクなんぞ比喩のかたちで主観を密輸し放題である...本作を味わずして、ハードボイルドを語るのはおこがましい、と感じるほどだ。 本作の良さを語るのならば、それは本作自身に語らせよう。 冬で夜だった。凍った風が、北極からじかにアイルランドの海へ流れ込み、リヴァプールを薙ぎ払って、チェシャ―平原を突っ走り(猫は風が暖炉のなかで唸りを上げるのを聞いて寒そうに耳を寝かせ)、風は下げたウィンドウを通して、ベドフォードの小型バンに坐った男の眼を叩きつけにやってきた。男は瞬きもしない。 一種のズームアップの映像感覚が心地よい。それにしても、何とイメージが広がる描写だろう!! これが冒頭で、最後に至るまでこの調子で文章に一切の妥協がない。でしかも、ほぼこの文章のパラフレーズで小説は終わる。そしてその微妙に違う部分に、万斛の感慨が滲み出る。 ハードボイルドの極北、とは本作のことであろう。本作に出会えて、本当によかった。 後記(2018/9/20):Amazon の☆が何か凄いことになっている...☆5が4人、☆1が4人、他はなし! 強烈に評価が割れてるね。面白い! |
No.316 | 8点 | 銀河ヒッチハイク・ガイド- ダグラス・アダムス | 2018/03/22 23:09 |
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「スラプスティックSF」とか「おバカSF」とか言われがちな作品なんだけど、ハッカー・カルチャーに多大な影響を与えた記念碑的名作でもある。Google で「生命、宇宙、そして万物についての究極の疑問の答え」で検索したときに「42」と答える元ネタであるし、初期のチェスマシーンが「ディープソート」だったり、nethack の一部のバリアントに「ヒッチハイクレベル」があったりと、強烈なサブカル的影響を残した作品なんだが...モンティ・パイソン風の英国ギャグの渋シュールな感覚にハマる人はハマるけど、?となるだけの人も、というところである。本サイトで言うならば、イギリスの渋いアイロニーのあるミステリが好きな人だったら、意外にいいかもと思う。評者はどっちか言うとSFが苦手な方だが、本作は例外で大好き。
まあお話よりも、独特の脱線的で饒舌な語り口が楽しみどころで、主人公らに向けて発射された2基のミサイルが「無限可能性ドライブ」によってマッコウクジラとペチュニアの鉢植えに置換されて(なぜクジラかとか尋かないこと)しまい、クジラと鉢植えが落下する際に、クジラの主観で出会う世界「しっぽ・風・大地」をその新鮮な出会いとして描写するのに対し、鉢植えは まいったな、またか。ペチュニアの鉢植えがそんなふうに思った理由を正確に理解できたら、宇宙の本質がもっとよくわかるだろう。 と描かれる。こういう韜晦の利いた語り口が「ヒッチハイク」という小説に本質。笑えるというよりも、苦笑とかニヤニヤ笑いを誘う、奇書の部類である。 ...まあこんな小説だから、評者とか「映画..きっとダメなエンタメだろ」と思いながらも、それでも原作好きだから封切で見たんだが、製作途中で亡くなったが原作者が書いた脚本に基づいており、原作の苦笑いなテイストを生かした上出来な映画でびっくりしたものだ。なんせSFのクセにイルカ・ショーから始まって、地球が破壊されることを知ったイルカが人類に警告するのに、それが全部イルカの芸だと誤解されて「さようなら、今まで魚をありがとう」と宇宙に向けて飛び立つさまを主題歌仕立てでタイトルバックにする、というトンデもなさである。原作にないエピソードを若干膨らませてあるのだが、いかにも原作にありそうな内容で違和感がないあたりが流石。原作を若干グレードアップした感もある。価値転換銃、評者も欲しいな(苦笑) というわけで、こういう奇抜な作品にしては珍しいことに、原作も映画もどっちも素晴らしい。イングリッシュ・テイストがお好きなら一度お試しあれ。 |
No.315 | 7点 | 007/ゴールドフィンガー- イアン・フレミング | 2018/03/18 00:32 |
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問答無用に007である。映画の印象だと大冒険アクションなのだが、小説だとフォート・ノックス襲撃は後半1/3ほどで、ボリューム的にはずいぶん小さい。そのかわり、ゴールドフィンガーのカードのイカサマを暴くのと、ゴルフの勝負のウェイトが大きい。なので地味か...というとそういう印象を与えないのが、フレミングの腕の冴えのように感じる。
ボンドというと、例の「ウォッカ・マティーニを。ステアせずにシェィクで」が有名なように、イギリス紳士らしい奇矯で偏頗なコダワリがあって、それをいつでもどこでも押し通すのだが、実はこれはダンディズムというものなのだ。というのも、内容が奇矯でしかも実にトリビアルなコダワリであればあるほど、コダワることはたかが恣意、ということになる。しかしそれが恣意であればあるだけ、それを押し通すことは「奪われざる自由意志」といったものの象徴となる...ウオッカ・マティーニへのコダワリも拷問への抵抗力も、ボンドにとってはまったく等価なものなのだ。ここらの事情をカードやゴルフで「命がけで遊んでいる」ボンドの姿を介して、魅力的に描けているように思う。それこそボー・ブランメル以来のイギリスのダンディズムの最後の後継者というべきだろう。こういうボンドの美意識を一番まったりと楽しめるのが、たぶん本作。 映画はそういう意味じゃ別物。評者はオッドジョブ(ハロルド坂田)への愛が深すぎて、見ていて苦しくなるほど萌えに萌え狂っていた...ハロルド坂田やゲルト・フレーベだけじゃなくて、この頃のボンド映画ってキャスティングのセンスが神がかっているなぁ。 |
No.314 | 4点 | 別れの顔- ロス・マクドナルド | 2018/03/12 19:25 |
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さすがに本作マズイだろう...というのは、本作はその前作である「一瞬の敵」の書き直しみたいなもので、「一瞬の敵」をずっと地味にしたようなものである。本当に「一瞬の敵」が「ああだったこうだった」が読んでてカブる...アイデアが枯渇したのか?と疑うくらいの再利用ぶりである。
真相も「一瞬の敵」ほど派手なものではないが、サイコな真相になるので、ミステリとしてのフェア感はない。バタバタと終盤に真相が関係者の告白で解かれていくようなもので、謎解きの妙味は薄い。 それでもいいところはいくつかあって、最終盤に昔のホームムーヴィーを見るシーンがあるけど、これが結構ウルっとくる。あと、精神科医の妻とアーチャーの関係がなんとなく、いい。それからラストは「さむけ」みたいな結末を決めている。努力の跡もあるわけで、無下に否定するのも何か...とは思わなくもないが、やはりどうも釈然としない。まあ評者、アメリカ人の大好きなフロイトがらみのサイコ系は、興味本位なセンセーショナリズムとしか思えなくて、そもそも嫌いなんだよね。 だから本作はロスマクの退歩、といったのがトータルな印象。いい点はつけられない。 |
No.313 | 8点 | Xの悲劇- エラリイ・クイーン | 2018/03/11 21:59 |
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今更言うのは本当に気が引けるくらいのものなのだが、本作は面白い。今回ほぼ半日でツルツルと読んでしまった。本作の面白さというのは、モダン都市の面白さであって、市電、渡し船、汽車と交通機関を殺人の舞台としたスピード感を感じさせる舞台設定の妙、都市の交響楽としての都市小説の良さである。
国名だって「オランダ靴」や「エジプト十字架」が、ブルジョア家庭の相克みたいな要素がまったくなくて、クリアな面白さがあったのと、本作は似ている。日本のファンは妙にブルジョア家庭の悲劇ベースの家モノが好きなんだけど、実はそういう要素は、クイーンの中でも退嬰的な部分であって、本当のいい部分はこういう都市小説の良さなのだと思うなぁ。(そういう意味だと後期で都市小説にちゃんと取り組んだのが「九尾の猫」くらいしかない...これは残念なことかも) 評者前から言ってることだが、ドルリー・レーンというキャラは嫌いだ。特に本作とは、合ってない。エラリイでもよかったのでは? まあ評者のレーン嫌いは、どうもキャラとして大げさで、アメリカ人の文化コンプレックスが凝ってできたようなキャラだから..というあたりから。ハムレット荘って「ドルリーランド」だな。 うんこれでクイーン真作長編はコンプ。「新冒険」は絶対やるけど、「恐怖の研究」とか「間違いの悲劇」は気が向いたら、くらいにしたい。あそれでも「国際事件簿」はしたいなあ。 |
No.312 | 5点 | 恐怖の背景- エリック・アンブラー | 2018/03/11 18:12 |
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さてアンブラーもほぼコンプに近づいて、残るは本作と「夜来る者」になった。アンブラーの長編2作目だが、処女作の「暗い国境」はあまり「らしくない」作品なので、批評的にも敬遠されがちなんだが、本作はアンブラーらしい巻き込まれ型スパイ小説を確立した作品で、そういう意味では重要なんだけどね....
でまあ、本作はまだアンブラーがソ連について幻想を抱いていた時期でもあって、主人公のジャーナリストとソ連のプロスパイが組んで、直接にはイギリスの石油会社がルーマニアの利権のために、ルーマニアのナチシンパと組んで工作するのを請け負った、本人によれば「プロパガンディスト」、要するにディミトリオスの原型のような国際関係のはざまで暗躍する非合法活動屋のロビンソン大佐(サリッツァとか...名前はどうせ適当だ)の一味と対決する。 ソ連のスパイであるザレショフ兄妹は、サリッツァに買収されてソ連の軍事計画の写真を盗んだ裏切り者を、ついつい手下が殺してしまって、その容疑が主人公にかかることから、成り行きで主人公を救うことになって行を共にする。だから、まるっきりの善玉、というわけでもない。しかし、主人公が妙にスパイ活動というか、サリッツァへの仕返しに積極的なあたりが、なんとももにょる。困った。アンブラーらしさってのは、スパイ活動なんてロクでもない非合法活動だ、という妙に醒めたあたりだと思ってたのだが、本作のアマチュアの主人公は妙にノリノリだ。 「恐怖への旅」とか「裏切りへの道」とかだと主人公がカタギの技術者、というのもあって、スパイ活動に対する嫌悪感がイイのだが、本作の主人公はやくざなジャーナリストである。アンブラーも一夜にしては成らず、か。 |
No.311 | 8点 | テレーズ・デスケールー- フランソワ・モーリアック | 2018/03/11 17:49 |
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シムノンの「ペペ・ドンジュの真相」なんてやったからは、関連作品のこれ。
評者高校生の時に本作は読んで、強烈にテレーズにあこがれちゃったんだよね。20世紀フランス文学最凶の萌えキャラである。あの遠藤周作だってオトしたファム・ファタルである。 話はほんと「ペペ・ドンジュ」とあまり変わらない。まだから本サイトで取り上げてもよかろうよ。フランスのボルドーの田舎の上流階級の娘テレーズは、家の都合もあったが、平凡な男ベルナールと結婚する(デスケールーは結婚後の姓)。結婚後は家の因習に縛られて、自分の心が死んでいくような痛みを感じていたテレーズは、火事のニュースに気を取られた夫が毒性の高い薬を多く飲んだのを知っていて見過ごす...体調を崩す夫、テレーズはどうしようもない感情に駆られて、再度夫に毒を飲ませていった...しかし、医者の告発でテレーズは裁判にかかる。家名を重んずる婚家も実家も、夫に偽証をさせることで事態を収拾するが、釈放されたテレーズを待っていたのは、世間体の維持のための軟禁だった。 「森も、夜の闇も怖くありません。森も闇もわたしを知っています。わたしはこの寂寥とした土地に似て作られた女」であり、メディアやイゾルデといった地母神的な不思議な力を備えた一種の「魔女」である。夫も周囲も、そういうテレーズを恐れてはばかるようになる。「この女はすべての調子を狂わせる天分がある」と。しかしテレーズは周囲の敵意に対して「わたしは生きるわ。でも、わたしを憎んでいる人たちの手の中で、生きる屍のように生きるわ」と「当たる前に砕けた」ような心で対抗するのである.... 評者なんぞ、若かったから、本当にこのキャラにヤられたよ。そんな青春の記念碑、かな。ミステリとして読むならば、一種のホワイダニットである。最後に夫がテレーズに尋ねるので、一応の真相は、ある。本作では夫は事件後テレーズを忌み嫌うから、「ペペ・ドンジュ」とはテイストが正反対になるわけで、どっちか言えば「ペペ・ドンジュ」よりも悲劇的で、ミステリっぽいかもしれない。 |
No.310 | 5点 | チェルシー連続殺人事件- ライオネル・デヴィッドスン | 2018/03/11 17:27 |
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ライオネル・デヴィッドソンというと、CWAゴールドダガーを3回も受賞した大家といっていい作家なのだけど、日本での人気は全然出なかった人である。日本とイギリスのセンスの違いみたいなものを、いつも実感するエピソードである。
で、本作も受賞作で3回のうち最後の受賞。それまでがスパイ・冒険小説のくくりになる作品だったのだが、これはミッシング・リンクもの風な連続殺人を、捜査を指揮する警視の視点で追う作品。被害者がイギリスの詩人と同じイニシャルを持っていて、犯行を示唆する詩を引用した手紙が届く、というのがポイント。某連続殺人事件モノにちょっと近いトリックもある。 とはいえ、ポイントは当時最新のファッションと芸術の街だったチェルシーが舞台だ、ということ。主要人物として、アングラ映画を撮影するグループ(うち一人はアフロヘアの黒人)が登場するし、楽器の修復業者はドイツ人で、ジーンズショップの経営者は華僑、その黒人はもちろんインテリで、アルバイト先のレストランでは見た目が黒人でも丁寧かつ完璧なフランス語で、名物給仕だ...というあたり、丁寧なキャラ描写が命。アングラ映画はどうもケネス・アンガーっぽいものみたいだな。 というわけで、ミステリ色よりも風俗小説としての面白みが勝る。まあ、前の受賞作もデテールの書き込み力が印象的だから、まあこういう作風、ということか。ハッタリ感は薄いから、日本じゃ受けづらいのも仕方がないかなあ。 |
No.309 | 6点 | 山師トマ- ジャン・コクトー | 2018/03/08 23:15 |
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フランスの「前ハードボイルド小説」といった態の作品って、実は結構いろいろあるように思う(そのうち「超男性」したい...)のだが、これもその一つ。舞台は第一次大戦中のフランス、本作の主人公ギヨムは天性の冒険家であり、まだ子供でありながら年齢と身の上を偽って、軍隊に紛れ込んだ...赤十字活動を主宰する公爵夫人のみならず、その娘まで手玉にとって、ギヨムは熾烈な戦場を全速力で駆け抜ける、といった内容である。
ギヨムにとって「嘘」は自身の「自然」以外の何物でもない。だからその内面は、どこまでいっても仮面に過ぎない。そういう意味でこの作品の登場人物たちには、一切の内面がないのである。ハードボイルド、というのはそういう意味だ。 ただ、本作、全編これ警句、といった体裁 あらゆる人間は、その左肩には猿を、右の肩には鸚鵡を持っている。 やや作者自身が語りすぎているので、本作のハードボイルド性はかなり分かりづらいものに留まっている。それでも自らの死ですら「死の真似」と意図的に混同するようなギヨムの像こそが、内面をまったき外面として捉えるハードボイルドの先駆的な例となっているように評者は感じるのだ。 「弾丸だ」と彼は思った。「死んだ真似をしなければ殺されてしまうぞ」だが彼に在っては、架空と現実と二にして一であった。ギヨム・トマは死んだ。 |
No.308 | 7点 | ベベ・ドンジュの真相- ジョルジュ・シムノン | 2018/02/25 23:28 |
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本作読んでの感想は、やはり空さんと同じく「テレーズ・デスケールー」のシムノン版、というところ。フランス文学には「女の一生」とか「ボヴァリー夫人」とか「人妻話の伝統」みたいなものがあるわけで、そういうもののシムノン流、ということになるのだが、人妻話としてもシムノン一般小説としても、かなりミステリ寄りの作品だ。しかし、シムノンらしい夫婦の心理の綾(他人同士が一緒に暮らすことになる不思議と恐ろしさ...)が主眼なので、分かりやすさみたいなものはない。シムノンで言えば「ベルの死」のような説明不能な「こころ」の話だが、テレーズや「ベルの死」とは違って、妻ペペによって毒殺されかけた被害者の夫が、あくまでもその行為に及んだ妻の、孤独なこころと漠然とした殺意を理解し赦そうとする話である。なので、テレーズや「ベルの死」のような鬱屈感はなくて、突き抜けたような清澄な雰囲気がある。罪を犯すことによる逆説的な救いみたいなものを感じるのがいいのだろう。
シムノンという作家が「人を殺す」という究極の行為について、いろいろと解釈を試みるヴァリエーションの広さは、本当に敬服に値する。逆にカトリック文学らしく「罪と罰」の視点がシムノンよりも強い、モーリアックの「テレーズ・デスケールー」も久々に読んでみたくなったなぁ。 |
No.307 | 4点 | スカイティップ- エリオット・リード | 2018/02/25 00:01 |
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アンブラーがチャールズ・ロッダという作家と合作で発表したエリオット・リード名義は5作あるが、これがその第一作。「航空冒険小説の決定版!」なカッコいいタイトルである...嘘です。「スカイティップ」というのは採掘跡にできる排石の山「ズリ山」のことである。主人公の建築家は仕事のしすぎでノイローゼ気味になったことから、医師のすすめでコーンウォールの田舎で静養することになった。そこで知り合った政治評論家は何かに怯えているようだ....果たして政治評論家はロンドンに用事がある、と言って出たまま失踪した!
まあそんな話で、その背景にはアーサー王気取りの、右翼泡沫政党の党首の過去のナチ協力歴を巡る恐喝事件があった。怪しげな政治ゴロたちが暗躍する中で、主人公はその証拠書類の争奪戦に巻き込まれていく。クライマックスはその「スカイティップ」、ズリ山のトロッコでのアクションで終わる...というわけで、リアルって言えばリアルなんだが、右往左往する連中のほとんどがイギリスのナチの(元)シンパたちで、早い話がヤクザまがいの卑小な政治ゴロどもである。おおよそチンケな連中ばっかりだ。陰謀のスケール感もまったくないし...でカッコ悪いこと甚だしい。 舞台となるコーンウォールの地方色とか出てるが、およそロマンには程遠いというか、そういうロマン性の下らなさを強調したような、反ロマンな小説である。読んでて盛り下がって、何か、困る。今一つ真相解明感もなくて、すっきりもしない。「アンブラーにハズれなし」と思ってきたけど、こういうのもあるか(「反乱」はもっと面白い)。 |
No.306 | 6点 | 架空線- ウィリアム・ハガード | 2018/02/18 10:39 |
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1963年のスパイ小説当たり年はル・カレの「寒い国」とアンブラーの「真昼の翳」が英米の賞を独占したわけだが、CWAの次点に当たるシルヴァーダガーを本作が得ている。なので「スパイ小説第三の男」という立場に作者があって、結構この時期に紹介されたが、現在は忘れられた作家だ(ちなみに63年は007だって映画が「007 ロシアより愛をこめて」である。凄い年)。
スパイ小説と言うと、ル・カレ風リアルスパイ vs 007、という対立構図で語られがちなのだが、これで見ちゃうと実はアンブラーとか全然うまく納まりがつかないわけだし、本作のチャールズ・ラッセル大佐シリーズだって完全に構図から外れてしまう。なので、いい評価軸がないかなぁ、とは思うところだ。もう少し立体的に考えてみよう。 「スパイ部」は「文科系サークル」か「体育会系サークル」か? 「プロット・背景・雰囲気」は「リアル」か「ファンタジー」か? 「ドラマ」は「人間臭い」か「ゲーム的」か? この3軸くらいで見るのが面白かろう。007なら「体育会・ファンタジー・ゲーム」だし、ル・カレなら「文化系・リアル・人間」である。なかにはホストヴスキーの奇作のような「文化系・ファンタジー・人間」もあれば、レン・デイトンみたいな「文化系・リアル?・ゲーム」もある。で、本作は「体育会系・リアル・人間+ゲーム」というありそうでないパターンである。そこらへん新機軸な独自性が一応あっての評価のように感じる。 一応主人公はイギリスの「特別保安部」の長チャールズ・ラッセル大佐である。要するに、偉い。なので本人が身を張ることはなくて、部下にすべて実働を任せる管理職である。スパイ版のギデオン警視みたいなものだ。ラッセル大佐が統括する特別保安部の活動、という群像劇であって、チームプレーの球技でも観戦するかのような印象。本作では軍事に関わる科学プロジェクトの統括者に対する、外国のエージェントによる恐喝から始まり、そのプロジェクトの成果を横取りしようとする外国秘密機関(国名は明示しないが、東独っぽい雰囲気だ)との闘争が描かれる。最後はタイトルの通りに、スキー場のケーブルカーでのアクションとなる。敵方のエージェントの貴族崩れのプレイボーイ、ド・フレイリーがなかなか好キャラだし、失態を犯しはしたが真面目で責任感の強い技術者が狂言回しで、この男への恐喝から襲撃と保安部諜報員とのロマンスで話が進むあたり、達者なもの。この男はマトモな人間なので、最後まで周囲がちゃんとかばうあたりがリアル。 まあだから、キャッチーとか縁のないすっごく地味ぃなエンタメなのだが、面白いは面白い。 |
No.305 | 6点 | 象牙色の嘲笑- ロス・マクドナルド | 2018/02/12 09:13 |
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「ぼくはブロンドの女を信用したことがないんだぜ」いや、アーチャー、カッコの付け方が若いなぁ(苦笑)。なので本作は後期の疲れた中年男のアーチャーじゃなくて、まだ若さがあるアーチャーだ。アクションシーンだってこなしちゃうし、皆殺しで大不毛な結末も「ハードボイルドらしさ」がある。また凝った比喩もバランスよく入っていて、文章も悪かない。
けどねえ、ちょっとだけ引っ掛かるのだが、ロスマクって老女を描かせるとすごく凝るけども、それと比較すると若い美人はおざなり、という印象がある。そのせいか知らないが、本作のファム・ファタ―ルの造形があまり効果的に評者は感じなかった。逆算すると黒人看護婦のルーシーはムダに美人だ。なにか途中で構成を変更したように感じるのはヨミスギかなぁ。 というのも、前半の展開からすると、黒人問題をテーマにするような布石があるのにもかかわらず、真相は白人たちの間での殺し合いであって、発端を形作り印象的なルーシーはただの端役に過ぎない。ひょっとして、黒人問題をテーマにしようとして、編集者に止められたか? |
No.304 | 5点 | 七つの欺瞞- ウィリアム・P・マッギヴァーン | 2018/02/10 23:57 |
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マッギヴァーンって「明日に賭ける」のあと、一般小説への転向を表明するわけだが、すぐ次の「けものの街」は地元住民と抗争することになってしまうアメリカ中産階級の罪を描いて「微妙にミステリ」くらいなものだったのだけども、本作というと...アンブラー風の謀略の絡んだ冒険小説、という感じのもので、別に純文学とかそういうものではない。
スペインのリゾートでダラダラ暮らすアメリカ人の主人公に、同じリゾートで暮らす元ナチと噂されるドイツ人実業家からビジネスの誘いが来た。それに何となく応じてしまったのが運の尽きで、元パイロットの主人公は殺人容疑がかかるのと同時に、銃で脅されて貨物機のハイジャックを強制されるハメに陥った! この貨物機に積載されたドイツ人の悪事の証拠を奪うのが目的なんだが、御用済の主人公と、イギリス人の暴力担当とその愛人の病的な嘘つき女、それに主人公の身を案じて一行にもぐりこんだヒロインらは、当然ドイツ人によって消される塩梅なのだが、辛くも生き残る。しかしサハラ砂漠の真ん中に放り出させて、どうやって戻るのか、戻っても殺人容疑をどうするのか?といったあたりの興味で引っ張るわけで、そりゃ冒険小説、だよ。 まあ筆力のあるマッギヴァーンだから、そつなく書けてはいる。最初主人公を誘惑する嘘つき女とか、ドイツ人に精神的に奴隷化されているヒロインとか、結構キャラに工夫がある...けど、小説としては、ちょっと萌えどころがよくわからないや。なんでこんならしくない小説書いたんだろう? |
No.303 | 6点 | 裏切りへの道- エリック・アンブラー | 2018/02/10 23:37 |
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アンブラー戦前の巻き込まれ型スパイスリラー。新規に就職した先からミラノに赴任した、制作用機械のエンジニアである主人公は、自分が扱うのが兵器を作るための工作機械であることを知る。ファシスト政権下のイタリア、である。機械の売込みも政治や謀略とは決して無縁ではなかった。主人公の部下は黒シャツの一員で主人公を監視しているようだし、ユーゴの将軍を名乗る怪しい男、ソビエトのエージェントらしき男らが、主人公に接触してきた。ユーゴの将軍は主人公にちょっとした情報の横流しをするかわりに、売り上げのためにイタリアの高官を買収する手づるを提供しようと持ち掛けてきた...
なのでちょっと産業スパイものと政治的な謀略が絡み合ったような面白さがある。アンブラーってビジネスをリアルに描ける作家だから、ここらと独伊枢軸でキナ臭い情勢とをうまく絡み合わせて背景を作っている。ファシスト大行進を利用して尾行を捲くとか、今になって読むと結構目新しい。「ああうるわしの若き日や/花咲く春のひとときぞ/ファシズムこそがわが希望/民衆の自由をもたらさん」なんて歌われてたようだよ。このユーゴの将軍ていうのが老人の軍人で、実はナチのエージェントのようなんだが、お化粧してるとかね、19世紀的なプロシア軍国主義を引きずったグロテスクなキャラでなかなか、イイ。ブラック将軍だなあ。 で、本作、ソビエトのエージェントが善玉で、主人公を助けてイタリアから脱出するのを手伝う。前半は主人公と組んで、将軍に偽情報を流すとかしたあと、後半は当局に指名手配された主人公のイタリア脱出行を共にする。なので前半は産業スパイ風の二重スパイもの、後半は冒険小説、といった印象。戦後のアンブラーは型にハマらない国際謀略ものに進化するんだが、戦前は割と穏当なアクションスリラーといった雰囲気だ。本作のあとに、独ソ不可侵条約が結ばれたのを見て、アンブラー、ソビエトに幻滅するわけで、戦前最後のスパイスリラーになる「恐怖への旅」だと、主人公を助けるのは情けない印象の空想的社会主義者になってしまう.. |
No.302 | 9点 | バイバイ、エンジェル- 笠井潔 | 2018/02/10 23:06 |
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本作高評価の理由は、本当に「探偵の方法論」と「事件の真相」のマッチ度が極めて高度なこと、これに尽きる。現象学的還元とはねぇ...ぶっちゃけいうと、現象学的還元(エポケー)というのはね、絶対に「空気を読まない」ことなんだよ。名探偵の最高の資質というのが、まさにソレなわけだ。物語の圧力に対して、あえてそれを無視すること、これを徹底的に方法論として掲げるのなら、それはKYの極みとしての「名探偵」ということになるのだよ。これは実に「名探偵論」として正鵠をえてると思う。
というわけで、本作の名探偵像と推理の内容と、これほど密接に関連しあってるさまが、実にすごい。トリックを考え付いたから、そこらから探偵像を逆に構築した、といっても評者信じちゃうよ。 改めて読むとねえ、全共闘崩れのイイ気な議論が気になって評者若干もにょるのは仕方がない(団塊たぁ相性ワルいんだよ)が、実のところ80年代の奥義たる「シラケつつノリ、ノリつつシラケる」が実はこの現象学的方法論だということにちょいと気が付いて、本作の意外な射程に驚かされるところである。 |
No.301 | 6点 | ガラス箱の蟻- ピーター・ディキンスン | 2018/02/04 22:13 |
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CWAを2年連続でしかも処女作・第二作と連続受賞、という、たとえて言えば藤井聡太四段級のデビューを飾ったディキンスンの、その処女作である。MWA と比較すると、CWA って日本ウケの悪い作品が多い印象が強いのだが、本作もイギリス人らしい捻った作品で、日本じゃあまりウケなかったように記憶する。けど今は古本にプレミアついてるよ...
で本作、ニューギニアの原住民が第二次大戦を逃れて住むロンドンのアパートで、旧い儀式を守りながら暮らしている...その中で殺人が起きた!という話である。諸星大二郎の大傑作「マッドメン」の中で、近代的なホテルの一室でペイバックのための呪術を行うニューギニアの部族民...というのを評者はついつい連想してして、妙に感動してしまうのだ。まあこの人、こういう感じで非常に凝った奇抜な設定のミステリを連発して、ツウな読者向け作家だったわけで、本当に「設定自体がパズル」といった感じの、奇妙な味とパズラー風味を両立させる作風である。 主人公は「変わった事件を解決する一種の勘をもっている」ピプル警視。落ち着いて内省的なキャラがいい。「隣の事件は、とてもごちゃごちゃして複雑ですが、わたしはそれを整理したくありません。ただ眺めていたいのです」と言う。現象学的社会学とかエスノメソドロジーとかそういう雰囲気の捜査術である。だから事件も自然と解決していくようなものだ。 後半、新しく「僧」となる少年が主催する儀式を、ピプルが見学させてもらうのとか、結構興味深々で読ませてもらったが、人類学みたいな視点なんだろうね。評者とか面白く読んでも、捉えどころがなくて面食らう人も多かろう。 |
No.300 | 10点 | 死者の書- 折口信夫 | 2018/01/30 00:24 |
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評者書き込み300点記念は、日本語で書かれた中でもっとも美しいと断言できるホラー小説である。乱歩にせよ久作にせよ虫太郎にせよ、あるいは海外ならポーにせよラヴクラフトにせよ、恐怖と宗教的な法悦とは紙一重である、というのを体感するような小説家にしか「愴絶な美」を描くことはできないようなのだ。
本作の著者は言うまでもなく、詩人の魂を持った古代研究者であり、これがその残した数少ない散文小説である。舞台は奈良朝末。二上山の墳墓から復活した大津皇子の魂と、当麻曼荼羅伝説の中将姫として語り継がれた藤原南家の郎女との交感が描かれるが、神秘的なラブロマンスのようなものではまったくない。大津皇子が仏教以前の古事記的な日本人の冥界観から抜け出たような、昏い荒魂であるのに対して、郎女は二上山の日没にそれを 春秋の彼岸中日、入り方の光り輝く雲の上に、まざまざと見たお姿(略)金色の鬢、金色の髪の豊かに垂れかかる片肌は、白々と袒いで美しい肩。ふくよかなお顔は、鼻隆く、眉秀で夢見るやうにまみを伏せて.. のイメージに観て、一晩じゅうそれを追いかけ、二上山のふもとである当麻の寺に至る。それは 春秋の、日と夜と平分する其頂上に当る日は、一日、日の影を逐うて歩く風が行はれて居た。どこまでもどこまでも、野の果て、山の末、海の渚まで、日を送つて行く女衆が多かった とされる古俗なのだが、しかしその一方で、郎女はそのイメージを浄土教的な日想観と、浄土経典の来迎のイメージに置換してしまっている、神道的というよりも仏教的な奈良女性であったのだ。なので、これはロマンスというよりも、古代日本を舞台とする宗教的闘争の物語なのである。 それゆえ、旧き荒魂の訪いは 処女子の 一人/一人だに わが配偶に来よ まことに畏しいと言ふことを覚えぬ郎女にしては、初めてまざまざと、圧へられるやうな畏さを知つた。あああの歌が、胸に生き蘇つて来る。忘れたい歌の文句が、はつきりと意味を持つて、姫の唱へぬ口の詞から、胸にとほつて響く。乳房から迸り出ようとするときめき。 帷帳がふはと、風を含んだ様に皺だむ。 ついと、凍る様な冷気― とかなりホラーな死霊の訪問にしかならなかった... 本作については、長々と引用してしまったことでもお分かりだろうけども、本当に評者は古雅なこの文章が大好きだ。小説にも「日本語の富を豊かにすることに大きく貢献した小説」というのもあるわけで、本作なんてその筆頭の部類だろう。古事記万葉の呪術的な詞の美とチカラと、近代的な心理分析を介して、古代人の真正なココロの在り方を探ろうとする営為とが結晶した、日本幻想小説の逸品である。 した した した。耳に伝うやうに来るのは、水の垂れる音か。ただ凍りつくやうな暗闇の中で、おのづと睫と睫が離れてくる。 |