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クリスティ再読さん
平均点: 6.41点 書評数: 1326件

プロフィール高評価と近い人書評おすすめ

No.286 5点 金髪女は若死にする- ウィリアム・P・マッギヴァーン 2018/01/02 18:17
本作の著者はビル・ピータースの名義なのだが..本作がマッギヴァーンの変名で書かれたことは周知で、これ1冊きりの名義、たとえばカート・キャノンみたいに妙に人気のある作品というわけでもないので、マッギヴァーンの中に入れる。本サイトだと別名義の管理ができないから、その方が合理的だと思う。
まあ本作、タイトルからして下世話である。その通りで、スピレインの二匹目のどじょうを狙った企画で書いたもののようで、「通俗ハードボイルド」としか言いようのない内容で展開である。主人公はフィラデルフィアの私立探偵ビル・カナリ。フィラデルフィアで出会った恋人ジェーンの住居であるシカゴに、カナリが休暇をとって突然訪問すると、ジェーンは不在、しかも何やら怪しげな空気が漂う。電話で連絡があり、ジェーンの居場所に向かうと、そこで出会ったのは、ジェーンの拷問された死体だった...
これだよ。要するにスピレインだと友人を殺害された私的な報復として「裁くのは俺だ」しちゃうわけだが、そういう「私」性を本作は取入れている。でまあ、カナリはよく女性にモて、ジェーン以外にも、協力者の女性新聞記者、ジェーンの同僚でヤク中のディーラーとのエッチなシーンがあって、当然ギャングも登場、ガンアクションも数回。殴られ監禁されるのもあり...とサービス満点。
でしかも、結構大技のひっくりかえしをするのだが、これが細かい伏線を引いてたりするし、最後にギャングをハメるため、大掛かりな監視の下で麻薬取引を追いかけるのだが、「ファイル7」あたりで発揮されるマッギヴァーンの状況俯瞰的な良さが光る..と「通俗ハードボイルドの模範解答」を見せられたような気分である。「通俗ハードボイルドってそんなものか?」という疑問が評者はフツフツと湧いてきてしまう。駄菓子のつもりで食べたら、和三盆だったような気分。

あなたはスマートで心臓が強くてガッチリしているわ。それに反して私は、ヘソ曲りの世間知らずよ。あなたはそのちがいをわざと誇張してよろこんでいるのだわ

なんて書かれるとちょっとイヤ味というものだ。やれやれ。

No.285 7点 復讐(ヴェンデッタ)- マリー・コレリ 2018/01/02 18:13
乱歩の「白髪鬼」の元ネタ(涙香)の元ネタである。19世紀末のイギリスの大流行作家だったマリー・コレリの本作というと、創元社の「世界大ロマン全集」に収録されている。このシリーズは創元推理文庫のミステリの一部(こっちは「世界推理小説全集」の担当が多いが、カーの「髑髏城」とか「月長石」は大ロマン)とそれ以外の大部分のベースになったものなのだが、本作は残念ながらここで訳されたのが最後である。訳者は平井呈一で、主人公は伯爵なのに言葉遣いが妙にべらんめえである。そういやこの人「Yの悲劇」の訳もあるなぁ。どうせ読むなら平井訳を探そうか...べらんめえなドルリー・レーンもまた一興。
で乱歩の白髪鬼だと、自身が殺意をもって崖から突き落とされるが、本作は偶然日射病で仮死状態になったのが、コレラの流行の真っ最中だったのでそれと誤認されて埋葬される。だから、純粋に妻の姦通と友人の友情の裏切りに対して復讐するのである。また復讐手段も、わざと挑発して決闘で殺す・身元を隠してプロポーズして結婚式の夜に真相を明かす、と完全に合法的で道義的問題はともかく、いわゆる「犯罪」は少しもからまない。だから乱歩独特の陰惨さみたいなものは、本当に乱歩のオリジナル要素で、「ヴェンデッタ」は姦婦姦夫にスケールダウンした「モンテ・クリスト伯」みたいなものである。犯罪者の陰はなくて、貴族的な誇りをもった漢らしいヒーロー性がある。
本作(というか涙香版)を乱歩は作家として立つ前によほど愛好したとみえて、「早すぎた埋葬」と「墓から蘇る男」「極限体験で総白髪になる」という乱歩ガジェットのソースを、かなりの部分本作が担っている(まあポーもあるけど)。乱歩の姦夫殺しのガジェットで印象的な部分も、姦婦側で出てくるから、ホント本作は乱歩の「デザインソース」としか言いようがないなぁ。
逆に乱歩が採用しなかった要素、3歳の娘が夫婦の間にいて、主人公の「死後」ネグレクトされて病気で死ぬのが結構泣ける演出があるし、主人公をサポートする従僕がなかなかイイ奴だとか、20世紀にジャンル細分化される前の、19世紀の大衆小説の大らかな「大ロマン」を体現しているかのような小説である。ノンキに読むにはなかなか、いいものだ。

No.284 9点 嫌疑- フリードリヒ・デュレンマット 2018/01/02 18:07
ハヤカワの「世界ミステリ全集」って、従来型の「古典全部集めました」の対極となる、過激にモダンな編集方針が災いして、保守的なマニアの評判が悪かった「ミステリ全集」なんだけど、英米仏以外の国のミステリを紹介した1巻があって、そこに収録されていた「嫌疑」を読んだのが初読。これホント衝撃の作品だった...なので今回読み直すのを非常に楽しみにしていたんだが、やはり「嫌疑」は非常な傑作。ポケミスで併載の「裁判官と死刑執行人」は「嫌疑」の練習みたいな雰囲気(プロットは結構違うが)なので、とりあえずここでは「嫌疑」について述べておけばいいと思う(「裁判官~」は重病のベールラッハが健啖ぶりを発揮するシーンが素晴らしい)。
ミステリを「悪」を扱う小説と捉えたときに、その「悪」が「既定の道徳から外れていること」ではなくて、「絶対的な悪」として描こうとするのならば、言い換えると「宇宙的な悪」というスケールで捉えるのならば、それは一種の形而上小説・観念小説になる。「嫌疑」に一番近いのは、評者の見るところ、埴谷雄高の「死霊」だろうね。そういう「しんとした襟を正すような、道徳の彼岸」を、探偵役のベールラッハは覗きこむことになる。話は単純。ナチの絶滅収容所で生体解剖をしていたサディストの医師が、追及を逃れて金持ち専用のサナトリウムの経営者に収まっているのでは?という疑惑をつかんだ、余命1年の警部ベールラッハは、主治医の協力のもとそのサナトリウムに入院して、手がかりを探る...

強制収容所で生体解剖を受けた或るユダヤ人から、人間の間には拷問するものと拷問に苦しめられるものとしかないと聞いたんだが、わしは悪へ誘惑されたものと、その誘惑に合わずにすんだものとの区別があると思うね。するとわれわれスイス人は、誘惑に会わずにすんだものにはいるわけだが、これは恩寵であって、多くの人が言うように、過失ではないんだ。何故なら試みにあわせたもうなかれとわれわれも神に祈るべきだからな

人間の獣性と聖性は危うい偶然にのみ左右されるのかもしれない。「裁判官」を併せて読むと、ベールラッハと医師はただの偶然で悪をなす側と悪を追及する側に分かれたにすぎないことになる....これが自らの行為に思惟をする人間の限界なのかもしれない。だからこそ、囚われのベールラッハを救い出しうるのは、自ら人間の列外へ逃れ出た「死人」くらいのものなのだ。ガリヴァーと小人の造形にあたかも白土三平の忍者ヒーローのような印象がある。素晴らしい。

No.283 5点 アメリカ銃の秘密- エラリイ・クイーン 2018/01/02 18:03
国名シリーズも本作の後は「シャム」とか「チャイナ」とか、「読者への挑戦」の意味が薄い作品になってしまうので、「国名」らしい捜査プロセス小説の最後の作品、ということになると思う。皆さんあまり評が芳しくないが、評者の希望は「この推理だったらお願いだから写真を付けて!」ということになる。ベルトの推理なんて言葉の描写でどこまで伝わるんだろうか。分からないのが当然な気がする。絵がちゃんとある射入角度の問題は、これ捜査当局が当然引き出していい結論なので、わざわざ名探偵の推理、とされると困っちゃうな...というわけで、謎の構築、というあたりでそろそろ手詰まり感が出てきているように見受けられる。「映画万歳」なわりにどうも知識は中途半端のように感じる。あまり納得のいく犯人ではない。
良い点は舞台装置が派手で「衆人環視の殺人」のハッタリが効いていること。「ローマ帽子」が舞台を生かしきれなかったっことの反省もあるのかな。西部劇が「劇」なことって日本じゃあまり知られていないから、なかなか貴重な小説かもね。

No.282 10点 アガサ・クリスティー完全攻略- 評論・エッセイ 2017/12/26 21:46
さて評者もクリスティ評を打ち止めにするので、この評論集を取り上げよう。評者はこの本に凄く感謝しているのだ。この本を読まなければ、たぶんこのサイトに書き込んでないと思うよ...というわけで評点の10点は感謝の意を込めて。
ミステリの批評というのは、どうしても乱歩以来の啓蒙的なプロセスを経て確立された定石みたいなものがある。「ミステリファンになるというのは、そういう言説に調教されること」のような雰囲気もあるわけだ。けど、今さら啓蒙ではないわけで、もっと自由に読んでいい、というのが本書の一番の主張なのである。まあクリスティのように、その作家的成長がそのまま日本のミステリ受容と足を揃えている作家の場合、戦前の「アクロイド」「ABC」のようなメルクマールが、そのまま「ミステリの大古典」に定着してしまっているわけだけど、とくにクリスティなら戦後も「アクロイド」や「ABC」に負けないいい作品を連発しているわけである。そういう認知バイアスを評者なんかは正したいと思うわけである。もはや歴史はどうでもいい。フラットに再評価をすべきなのだ。本書はそういう評者の背を押してくれたのだ。
まあ、本書ではたとえば「もの言えぬ証人」を絶賛するとか、ちょいとお茶目なところもあるのだが、実はこれは「創造的誤読」というもののように評者は感じるのだ。あえて「石を投げてみる」、批評的ヒエラルキーの攪乱者であること、そういうアティテュードの問題として、評者は肯定的に捉えたいのだ。「創造的誤読」でいいじゃないか。テキストの「絶対的な正しい読み」というものはもはや、ない。いかにそこから「自分の読み」を築いていくのか、が創造的な批評なのだ。評者はそれを実践したい。
...というわけで、クリスティの3大傑作が「終わりなき夜に生れつく」「謎のクィン氏」「春にして君を離れ」であるような評価だって、今は可能なのである。そういう風に評者はミステリという楽しい読み物をさらに楽しく読んでいきたいと思う。感謝。

No.281 5点 ベツレヘムの星- アガサ・クリスティー 2017/12/26 00:12
本作はクリスティのクリスマス・ストーリーである。まだから、小説としてはミステリとは言い難いが、Mystery には「宗教的な秘儀」という意味もあるわけで、そういう意味じゃミステリ、かもよ。
6つの掌編小説の間に4つの詩が挟まる構成で、あっという間に読めるが、クリスマスストーリーなのでキリスト教に関する常識は必須。やはり「水上バス」は「春にして君を離れ」のヒロインさえも救う話。本作のヒロインは自身で、他人の心がわからない「人間嫌い」と自認するような女性だから(少し身につまされるな)「春にして」の最終段階にいるようなものだ。だからこそ、ちょっとしたきっかけで、救われることもあるのかもしれないね。なかなか、いい。
「夕べの涼しいころ」は知恵遅れの少年が神と友達になる話だが、ミュータントみたいなSF風のテイストが不気味で、なかなか深い。あとは聖者たちがはっちゃける話の「いと高き昇進」が笑える。
というわけでクリスマス・ストーリーとは言っても堅苦しくはない。小話くらいにでサクっと楽しめる。
(クリスマスにこれを読もうととっておいたのだよ。「アクナーテン」「さああなたの暮らしぶりを話して」「殺人をもう一度」はまあ、いいや。とりあえずクリスティは本作で打ち止めにします。)

No.280 5点 殺人交叉点- フレッド・カサック 2017/12/24 23:19
「殺人交叉点」は3回翻訳されていて、最初の2回の「殺人交差点」(訳題が微妙に違うのに注意。岡田真吉/荒川浩充訳)は57年の版を、最新の「殺人交叉点」(平岡敦訳)は72年の版を底本にしているのだが、評者は荒川訳の「殺人交差点」と平岡訳の「殺人交叉点」の両方が手に入ったので、読み比べることにしよう。
少なくとも、1点の問題を除いて、日本語で読む限りあまり違いはない。犯行年月日を5年ずらして風俗的な描写をアップトゥデイトしたに過ぎない感じだ。ただ、旧訳は第Ⅱ部の初めで、本作のどんでん返しのネタバレをしてしまっている...訳者が「訳しづらい」と考えて意図的にしたのだろうか?それにしてはツマラないことをしたものだ。そうでなくても日本語の翻訳は、いわゆる「役割語」が重要なので、第Ⅰ部を読んでいても敏感なら違和感を感じるのではなかろうか..まあ、旧訳を読むのは、当たり前だがオススメできない。新訳だけを読むべきだ。だから新版の改良点というのは風俗面のアップトゥデイトと、ほぼフランス語としての完成度を高めただけのことだろう。
ただ、評者は1点非常に気になる点がある。それは「ルユール夫人はどうやって真犯人の名前を知ったのか?」という問題である。恐喝者は真犯人の名前をルユール夫人に教える義理はまったくないし、どっちか言えば、教えることが恐喝者の利害と矛盾するわけだ。心理的にも機会的にもまったく納得がいかない。本作は、犯人が犯行を晦ますためにトリックを弄しているのではなくて、作者が読者をひっかけるためにトリックを弄している小説である。だから、本作の眼目は「読者をひっかけるトリックが、結果的に登場人物をひっかけることになる」というあたりなんだろうけども、ここで「犯人の名をどうやって知ったか?」を曖昧にするのは、作者の都合によるズルのような印象を受ける。まあそもそも、最大のひっかけ材料は、構成的な枠組み的な部分であって、ストーリー的な内容部分ではない付加的な部分なのだから、そもそも「仕掛けていることが世知辛い」印象を受けるようなものだしね。
...まあだから、ストーリー的な部分はわりと面白いのだけども、何かこましゃくれたような賢しらを感じて評者はイヤな気分になったな。というわけで、ちょいと減点します。「連鎖反応」はそういう傷はないけども、極めてフランス的な幾何学精神が、どうも作り物めいていて不思議。わからなくもないが、ファンタジーみたいな感覚。
(あと面白いことに、旧訳は小道具の8ミリを、9ミリと訳している。要するにカメラはもともとパテ・ベビーだったわけだ。新版で作者が時代遅れだと思って変更したのだろうか?それとも訳者の親切心か?)

No.279 6点 失脚/巫女の死- フリードリヒ・デュレンマット 2017/12/15 06:54
「嫌疑」とか「約束」とかイケてた作家だから、結構期待したのだが...
短編集ということで、さすがの切れ味はある。狙いのうまい作家という印象だが、テーマが短編ではナマで出てしまって「アタマのイイ作家だなあ」という印象になってしまうのが、やや難。筒井康隆に対する評者の不満に似た印象を受ける。「嫌疑」や「約束」で感じるような、「わけのわからない」迫力みたなものもう少し感じたいな。
人によって、この4作で「どれが」がかなりバラける短編集じゃないかな。評者は「故障」が一番イイと思う。「熱海殺人事件」の元ネタと言われても納得するかも。4人の元法曹人たちの「グロテスクで奇妙な引退した正義」という捉え方が妙にツボである。ミステリの真相というものを「引退した正義」として捉え返すこと、というのは結構イイ視点だと思うよ。たとえばクイーンでも「第八の日」とかこういう見方に通じるものがあると思う...
あと「巫女の死」は、これはオイディプス神話全体の一種の多重解決モノとして読むべきでしょう。「オイディプス王」の内容だけだとちょっと背景理解が不足するのでは。理に落ち過ぎても何なんだが、「理性を信じる予言者」の理性がアテにならず、「イイカゲンな巫女」の気まぐれに振り回される皮肉、あたりにポイントがあるのではとも思うが...
というわけで、デュレンマットを読むのは、「理性不信の探偵小説」という難題を抱えこむ覚悟がちょいと必要のようだ。

No.278 7点 けものの街- ウィリアム・P・マッギヴァーン 2017/12/10 14:17
海外作品は「社会派」がないので困るんだけど、本作は「社会派」としか言いようのない作品。マッギヴァーンって言うと、頑固なまでにシリーズキャラクターを作らない作家なのだが、それは主人公の「モラル」への関心が強いがためなのだ。毎回マッギヴァーンの主人公たちは、ユニークで厄介な「道徳的なトラブル」に遭遇する。個々に抱えたモラルの問題がそれぞれユニークで、そのため「不変の正義」を主張しうる「ヒーロー」であることを阻む..そういう事情である。
本作の主人公は、郊外の分譲住宅地に住まいを定めた中流ホワイトカラーである。日本でも、分譲住宅の住人と市営団地の住民、あるいは地元の村落の人々との「階級的」な軋轢のようなものに遭遇した経験がある方もおられることと思う。本作だと、スラムのような古い住宅地に前から住んでいる住人と、ホワイトカラー向けの分譲住宅を買った新しい住人たちとの間で、アメリカだからそれこそギャング顔負けの抗争が起きてしまう話である。
発端は主人公たちの側のローティーンの子供たちが、スラムのハイティーンの少年たちに恐喝されて、親の金をくすねることから始まる。子供を守る気持ちの強いミドルクラスの親として、警察に届けはするのだが、警察もあまり有効な手は打ちづらい...で、主人公たちは対策を相談するのだが、地元の運送業者が助太刀しようと申し出る。この運送業者が一本独鈷の自営業者らしく、いかにもアメリカ保守の独立自尊ベースの自警団的な体質の男だった。その影響を受けてホワイトカラーの主人公たちも、子供の交通事故などもあって、ついつい暴力的な対応に出てしまう。
実は子供たちの恐喝トラブルも、分譲地の親が過剰な心配をして、それまでスラムの子供たちが遊んでいた少し危険な池を埋め立てたことの「補償」のようなことから始まっていたようで、全面的にスラムの子供たちが悪いわけではない。しかし「非行少年」のレッテル貼りもあって、ミドルクラスの主人公たちはついつい色眼鏡と誤解から、過剰な暴力的手段に出ることになる....その中で、主人公サイドの方こそがイイ齢のダンナ方であるにもかかわらず、ついつい獣性を発揮することになってしまうのである。
主人公たちは「正義と家族の安全を守る」大義名分のもとに、とんでもないトラブルに自ら飛び込んでいってしまったのだ。まあだから本作は本当は非行少年モノではなくて、そういうアメリカの「ミドルクラスの罪」を描いた作品で、ミステリかどうかはかなり微妙。それでも「主人公のモラル」を巡るマッギヴァーンの作家的一貫性がちゃんと窺われて、評者は本作が好きだ。

追記:そういえば本作ってアメリカの真面目版「三丁目が戦争です」だ。

No.277 6点 ベルリンの葬送- レン・デイトン 2017/12/06 23:54
今年アンブラーをほぼコンプすることになるから、来年はル・カレに腰を据えてとりかかろうか...なんて考えているんだけども、その前に、本作やっておこうじゃないの。一時はル・カレと双璧の扱いを受けていたレン・デイトンの力作である。
「国際政治をエンタメにしたもの」というのが広い意味でスパイ小説の定義になるんだろうけど、アンブラーだったら国家に縛られることないアナーキーの視点を常に保つがために、「スパイ小説」から逸脱しようとする力学の中で作品の面白さが輝くことになる。ル・カレにせよデイトンにせよ、もはや「国家=スパイ」は所与だ。なので両者ともざっくり言うと「不平屋」の立場に立つことになる。もちろんル・カレなら正攻法でスパイ組織の官僚化を取り上げるわけだが...デイトンはずっと斜に構えている。
デイトンはもともとデザイナーだそうで、場面を印象的な比喩で描く描写力は傑出している。斜に構え方と比喩力の高さから「スパイ小説のチャンドラー」なんて呼ばれてたわけだがね。少なくとも日本ではチャンドラーのカッコよさの陰にあるナニワブシなところがウケてた印象を評者は持つんだけど、スパイ小説は本質的に「人間不信な」小説である。なので、デイトンを読んでいると、「ひたすらカッコイイ」という印象が続いて、何か疲れてくるのだ。アンブラーはずっとオトナなのか、そういうカッコよさみたいなものを「恥ずかしい」と感じるセンスがあるのが評者は大好きなんだが....で、本作は、ソ連の農学者の亡命を仕組むチームの内部の話なんだけど、本当に呉越同舟というか、それぞれがそれぞれを裏切りつつプロジェクトが動いていく話である。登場人物はハードボイルド的に見事なほどに内面を持たない。相互に裏切り合ったところで、罪も悔恨もありえないような世界である。本作はル・カレよりも007に近いのでは?なんて思ったりもするのである...
まあそういうわけで、本作は一読の価値はあるんだけど、忘れられた作品になるのは仕方ないかな、というのが正直な感想。本作でみんな聞いてるシェーンベルクの「管弦楽のための変奏曲」って、見事なまでに感情移入を排した究極に「非情な」音楽だから、本作にはハマりすぎ。

No.276 8点 炎蛹 新宿鮫V- 大沢在昌 2017/11/25 23:42
評者は90年代後半~00年代くらいミステリをほとんど読んでなかった。それでもなぜか鮫のダンナだけは継続的に読んでたなぁ。考えてみると、このシリーズ、ゲイ小説として読めるんだよね。そりゃシリーズが始まるのがハッテンサウナの場面だよ。「毒猿」とか「無間人形」を腐った視点で読むのもあながち間違ってないように感じるくらいだ。で、評者一番のお気に入りは本作。「あれ変わってるか?」と思わなくもなかったが、いろいろ書評を見てみると、少数だが本作が一番いい、とする意見は割と目につく。よかった。
何がいいか、というと本作は偶然の悪戯で、複数の事件が知恵の輪か箱根細工か、というくらいに複雑に絡み合あい噛み合ったさまを愛でる、という楽しみがあることだ。どうする鮫島、どうほぐす?というのが一番の興味。なので謎解きよりもそっちがまず優先。「複数の事件」というわけで、本作「孤高の刑事鮫島」であるにも関わらず、一種のモジュラー方式である。シリーズ設定と矛盾してる気がしなくもないが、放火事件なので消防庁と、検疫なので農水省と、外部機関からの協力要請ということで、複数事件が並立するモジュラーの説得力を出している。モジュラーで放火事件というと、どうしても「ギデオンと放火魔」を連想するわけだが、作者もきっと頭をかすめただろう。力業でしたいことを実現しちゃったわけだ。
一番凝った事件になるのが放火事件で、これがちょいとした謎解きもあって、最大のキー項目になる。これがなかなか冴えている。バランスのとり方が小説術としてうまいなぁ、と感じさせるところ。まあ本作、傷っていえば単にシリーズ全体の大きな鮫島ストーリーとほとんど関係のない単発のエピソードだという程度。なので代表作にはしづらいかもしれないが、トータルの完成度ではベストだと思う。

No.275 6点 フランス白粉の秘密- エラリイ・クイーン 2017/11/25 00:23
本作のイイところというのは、デパートを舞台として、「二十世紀の大都市の交響楽」といった感じの、都市小説としての香りがあるところだろう。まあこれが「ブルジョア家庭の秘密」といったより古めかしい要素で薄まるのが残念と言えば残念(そういう意味では評者は「Xの悲劇」を買うなぁ)。
本作は、火曜に事件が発覚して、木曜には解決しているんだよ。超短期戦というべきである。こういうスピード感が本作の「モダンさ」を象徴しているようだ。なので、小説的には本作は、意外に長さを感じない良さがある。まあ、ハッタリといえばハッタリなんだけど、最後の謎解き場面なぞやはり演出的になかなか盛り上がる。
ただ、パズルとしては...弱点多いなぁ。パズル、と銘打つ限りは「ちゃんと解ける」というのが必要なんだけども、本作の推理だと必ずしも犯人を絞り切れないように感じるな。犯人を最終的に名指す決め手は...これを決め手にするのはちょっと予断というか決めつけが過ぎるように感じる。まあハッタリの効いた演出の流れがいいから、何となくごまかされちゃうのだけども、「読者への挑戦」の時点ですでに分かってることをほぼ繰り返している(ショールームに死体を動かした理由とかはなかなかいい推理だと思う)ことが多く、新しい材料で犯人を特定しようとする肝心の部分が弱いように感じる。「謎の小説的構成」が必ずしもうまく行っていないのでは。
それとこれはバランスの難しい話だが、マジメに尋問を優先して退屈になってしまった「ローマ帽子」を反省したのか、現場尋問を適当に切り上げてエラリイ仕切りでのアパートメント捜査に描写を費やしたことで、捜査描写が恣意的でややいい加減になってしまった印象があること。「オランダ靴」くらいのバランスが一番しっくり来るように感じる。

No.274 6点 薔薇はもう贈るな- エリック・アンブラー 2017/11/24 23:52
本作はアンブラーの最後から2冊目、最後の「The Care of Time」は訳されてないから、訳された中では最後の作品になる。アンブラーの集大成みたいなニュアンスがありつつも実に独自でオリジナリティ抜群の作品なのだが...
例えば「ディミトリオスの棺」が、作家が国際的犯罪者の痕跡を追って、その秘密に肉薄する話だったように、本作は犯罪学者のチームが、陰に隠れた「犯罪者」のしっぽを掴み、その弱みを使って、直接のインタビューを行う経緯を描いている。本作は実のところ、その「犯罪者」サイドから描かれた小説である。しかもその「犯罪」というのが、国際的な規模の組織的なものではあるが、経済的な部分での犯罪、地下銀行の経営やタックス・ヘイブンを使った合法的な脱税指南という部類の「犯罪」である(「武器の道」の武器取引だって必ずしも犯罪とは言い切れないしね)。第二次大戦後のドサクサの中で私腹を肥やした経理将校たちのために、地下銀行組織(最終的にはイタダいてしまうのだが)を築いた、主人公の師匠であるカルロは、主人公にこう諭す。

きみはまず、わしが犯罪者であるとか、犯罪者としての天分を持っているとかという馬鹿な考えから根本的に脱却しなければならない。わたしは法律を重んずる弁護士だ。不法行為は、未熟者か阿呆のすることだ。賢いやつはそんなことをする必要がない。

本作の「犯罪」というのはこういう態のものだ。各国の法制のスキマを縫うようにして、秘密の資金を動かして課税を逃れ、あるいは利殖したものを「洗濯(いわゆるマネー・ロンダリング)」して還流させる、といったもので、グレーゾーンで当局も手が出しにくい手口もいろいろあるようだ。だから、犯罪学者たちの追及も結構ムリ筋に近いのだが、背後にはやはり各国情報部の影が見え隠れする...主人公ファーマンはそのインタビューの舞台に選んだ南仏のリゾートの別荘を、監視する一団に気づいた。彼らはどうやら、ファーマンの組織によって資金をかすめ取られた被害者(?)らが報復に雇ったプロたちらしい。前面に犯罪学者、後背にギャングたちと腹背に脅威を感じつつ、インタビューは進む。しかし、ファーマンの現在のビジネス・パートナーである、タックス・ヘイブンの影の支配者(この男の経歴がシンプソンを思い出させるが、ずっと悪辣で有能)が、ファーマンを見限るそぶりを見せだした。幾重のピンチに取り囲まれたファーマンは逃れることができるだろうか?

と「歴史の影に蠢く国際的大犯罪者」のイメージも、ディミトリオスから比べると、なんとまあ、大きく変貌したものであろう! ファーマンはディミトリオスとはまったく似ていない。しかし国際的規模の陰謀はさらに精緻に巧妙になり、報復も殺人よりは税務当局への密告の方が好まれるような「悪」になってしまったわけだ。
同様にアンブラーのプロットもさらに精緻になっている。犯罪学者たちに手口の一端を少しは公開しなければいけないこともあって、ファーマンの「仕事歴」の公開(これがなかなか興味深い)と、犯罪学者たちのあしらい、それに襲撃への警戒の3つが同時に進行する構成でサスペンスを盛り上げる。また、この本自体が最終的にファーマンのある狙いを実現するための仕掛けになっている、という「インターコムの陰謀」でも見せたようなややメタな狙いがあったりもする...(まあ詳細は読んでのお楽しみ)
というわけで、本作はアンブラーの集大成、といってもいいような精緻な内容を持っているのだけど、正直言って精緻な分迫力みたいなものは薄れている。またこれは訳の問題もあるのだが、登場人物たちはみな一筋縄でいかない策士たちであって、それぞれがそれぞれを「化かしあう」ために会話する。だから話す内容の陰にいろいろと狙いが込められ「すぎて」いて、会話内容がなかなかわかりづらい。本作を本当に楽しむにはちょいと修業が要りそうだ。

No.273 7点 クイーン警視自身の事件- エラリイ・クイーン 2017/11/24 22:48
本作、ミステリというよりも、変形のゴシック・ロマンスだと思って読んだ方がいいように感じる。
というのも、本作で一番説得力がある部分は、定年退職したクイーン警視と、ヒロインのナース、ジェシイとの恋愛描写だったりするからね。というか、ハンフリー氏って、ガチのゴシックロマンスの敵役キャラだと思うよ...としてみると、本作は第二期の上滑りした駄作群(ハートの4とか悪魔の報復とかね)に対する、成熟したクイーンの回答、というような気がするのだよ。ロマンスと冒険を、リアルで地に足の着いたかたちで実現できた...まあそれが男女の年齢を足して100歳を超える、熟年の恋だったとしてもね。
まあだから、本作の謎解きはおまけ。ヒロインが犯人に襲われて危機一髪ヒーローに救出される。それで十分。

だがどうしても警察には言いたくない。言ったが最後、この事件はわたしの手から離れてしまう。ジェシイ、これはあんたとわたしと二人の事件だ。

くぅう、こりゃ殺し文句だ。いいじゃないか、ハーレクインだって。
(本作エラリイが登場しないせいか、バリバリの真作なのに本サイトでも書評が異様にすくないなぁ。中期じゃ面白い方だと思うけどね。)

No.272 7点 おれは暗黒小説だ- A.D.G 2017/11/22 00:14
フレンチノワール第二世代、左大臣マンシェットと並ぶ、右大将A.D.G の出世作。ここらってぇと、岡村孝一の「岡村節」な饒舌体が、A.D.Gのモトがそうなのか岡村節なのか、区別がつかないくらいにノリノリ満開である。「ゆるふん」だとか「おろく」「おぜぜ」「おこもさん」といった、評者でもここウン十年聞いたことのないようなナツい言い回しが連発している...若い人だったら聞いたこともないような懐かしの俗語である(オロクに至っては..あれ、幕末くらいからあるような忌みコトバでは?)。そもそもフレンチノワールっていうと、カタギなフランス人は耳にしたこともないようなギャングの隠語がテンコ盛りで、シモナンの隠語辞典とか片手に読むようなものだそうだから、若い人が意味を引き引き読んだ方がそういうニュアンスが出ていいのかも...なんて思うくらいだな。
まあ本作、ほぼ文体と狂ったキャラがすべて。プロットは典型的な巻き込まれ型スリラーで、ノワール作家の主人公が、罠にかけられて反撃する話。作家が主人公、というあたりからも、読んでて筒井康隆みたいな饒舌のテイストを感じるなぁ。評者的にはクールなマンシェットの方がツボだが、お下品なA.D.Gだって「俗文学の極み」って感じで悪かあない。
まあ本作の最高!なところは、何と言ってもタイトル。「僕はうなぎだ」という日本語の文法に関する議論があって、こういう文を「うなぎ文」と俗称するのだけど、本作のタイトルだって随分の破格。どうせタイトルつけるなら、こういうタイトルつけたいものだ。

No.271 7点 裏切られた夜- ジョイス・ポーター 2017/11/15 00:17
リンダ・ハワードなんてやっちゃった余勢を駆ってジョイス・ポーター作の本作はどんなものか。
かつて駆け落ちした男はソ連のスパイだった! 大使の娘アンは、結婚するつもりだった男に殺されかけるが、九死に一生を得て救出される。その8年後、当のその男ロゼルが、アメリカへの亡命を希望して、産業スパイの身元を明かす手土産とともに、ソフト会社経営者のニックに接触した。大物スパイのロゼルの亡命希望に、CIAも色めき立ち、社内の裏切り者を知りたいニックと共同して、ロゼル亡命作戦を立案する。しかし大物スパイ・ロゼルの顔を知っている者は誰もいない...アンを別にして。ロゼルの亡命は罠か、それとも本当か。ブリュッセルの国際会議を舞台に準備は次第に整っていく。亡命の現場でニックとアンはロゼルと接触するが、その場が謎の人物によって襲撃された! 意識を失ったロゼルを収容し、ニックとアンは追っ手を逃れてフランスへと...
はい、梗概をまとめて改めて感じるけど、ちゃんとしたスリラーになってるよ。8年前の出来事の時間軸と、ブリュッセルから最終的にチューリッヒに至る空間軸をうまく交差して広がりを持たせているし、何と言ってもキモは、自分を殺そうとした男の身元を確認できるのは自分だけ、というサスペンスの引っ張り方である。向こうも果たして自分に気が付いてるのか? また今の恋人であるニックとのさや当て如何、とかそういう射程の短い興味と、亡命の裏にある狙いを巡る全体的な謎と、うまくバランスが取れていて面白い。なかなかの秀作だと思う。
で、何だけど、本作は「ジョイス・ポーターの作品」ということになるのだが、ハーレクインなんだよね。ジョイス・ポーター自身「なまけスパイ」のシリーズがあったりするし、本人も若い頃イギリス空軍でスパイの養成に当たった経歴がある人だから、こういうスパイ小説を書いても全然不思議じゃないのだが...でいろいろ調査してみたのだが、本作の作者があのジョイス・ポーターなのか、結論を先に言うと「よくわからない」。ややこしいので、ここからは「ドーヴァー警部モノを書いたジョイス・ポーター」を「ドーヴァーさん」と呼ぶことにしよう。
日本のWikipedia の記述では、本作をドーヴァーさんが書いたことになっているが、英語版ではまったく無視されている。根拠は不明だが「ミスダス」では同名異人にしているし、「aga-search」では「その他の翻訳作品」として真作扱い。本書では娘のロマンス作家デボラと共著の「Deborah Joyce」名義がある、と作者紹介がされ、この名義は5作ほど確認できるが、やはりミステリorスパイ小説風の作風が多い。しかも amazon の洋書では書影に「Joyce Porter」と書かれているにも関わらず作者が「Tracy Porter」となっているありさまだが、これはamazon のミスだろう。ロマンス小説側は、どうも作者情報がしっかりしてないようだ。それでもドーヴァーさんが書いた、という消極的な証拠みたいなものはあって、ドーヴァーさんの没年以降には、Joyce Porter も Deborah Joyce も Deborah Bryan も活動がパタッと止まっていることである。Deborah Joyce の作風と合わせても、けっして矛盾が起きているわけではないのだ....
ごめん、降参だ。わからない。どうもハーレクインは「翻訳小説の魔界」と言っても過言じゃなそうだ。作品以上に謎だね、「ジョイス・ポーターの謎」は。

No.270 7点 十字路- 江戸川乱歩 2017/11/11 14:54
戦後の乱歩というとどうにもこうにも、作家としては過去の模倣(影男)か、「マニアが無理して書いたパズラー(化人幻戯・ほぼ盗作の三角館)」としか言いようのないものしかなくて、もう気の抜けたビールのようなものだったのだが、本作は「乱歩らしさゼロ」でしかも面白い...まあこの理由は有名で、本作は乱歩取り巻きの渡辺剣次の書いたオリジナルシナリオを小説化した、今でいうノベライゼーションだからである。このことは乱歩自身が認めていることである。渡辺剣次というと、評者とかだと70年代後半の「13の~」で始まるアンソロの編者として印象深いが、ある意味本作が「(陰の)代表作」になることになるだろう...
ありがちなことだが、評者の世代だと本作はポプラ社「少年探偵 死の十字路」で、渡辺の実兄氷川瓏が子供向けにリライトした版が初読だ。ラストの遠隔情死にミョーに胸をときめかせたのが記憶に残ってるよ。マセてるというのか歪んでるっていうのかねぇ。
本作は「倒叙」ということになっていて、まあ、捜査側との攻防感があるから犯罪心理小説というよりも、パズラー派生の倒叙でいいように思う。ほぼ行きがかりで思わず妻を殺してしまった男が、妻の死体の隠ぺい工作のために、車を走らせていると、偶然別な死体が転がり込んでくる...という、上出来なプロットでフレンチミステリの香りがする(「死刑台のエレベーター」を連想する)。その後も悪徳探偵が絡んだりとか隙のないプロットの綾が続き、短めなのが残念なくらいに面白い。
で、なんだが、今回無粋ついでに「死の十字路」の側と文章を比較してみたのだが...これが結構ショックである。もちろん、ポプラ社子供向けなのだが、本作だとちょいとムリがあって「どこが少年探偵だ!」というくらいにアダルトな仕上がり(SEXは当然排除しているので、不倫も学生運動がらみのトラブルになっているとかね)。ショックなのは、文章が大人向けと子供向けでさほど違わない、ということである。子供向けは漢語・外来語を少なくし、複文をシンプルに切りなおしているので、こっちの方がリズムがいいくらいだ。まあ尺の都合もあって、文章を全体に詰めてはいるが、会話などほぼ「そのまま」の部分が多く、リライトというより、編集とか再構成という感覚で、作者自身によるリライトと言われても通るレベルである。
....ちょっと疑念を持ってしまうよね。本作、本当に乱歩、文章を書いたんだろうか?? 実際の筆者は氷川瓏で、兄弟合作だったのでは?そう見てみると、「死の十字路」の「江戸川乱歩・原作/氷川瓏・文」の作者表記は、氷川のプライドを込めた秘密の告白だったのかもしれない。

No.269 6点 夜風のベールに包まれて- リンダ・ハワード 2017/11/05 15:03
アトランタのウェディング・プランナー、ジャクリンが今まで遭遇したなかでも、最悪のブライジーラ(結婚式に夢を求めすぎて周囲にトラブルを巻き起こす勘違い花嫁をゴジラに見立ててこう呼ぶそうだ)がキャリーだった。打ち合わせの最中にキャリーから平手打ちにされ、契約を解除されたジャクリンは、貸会場を後にするが、その直後キャリーはケータリングのケバブの串によって殺害されているのが発見された。捜査が始まり、容疑はジャクリンにもかかったが...
と書くと、殺人があって捜査があって、ちゃんとミステリ、でしょ。実は本作はハーレクインに代表される女性向けロマンス小説だったりするのだ。まあ女性は一般にミステリ好きだからね、このジャンルもミステリ仕立てというのは非常に多いのだ。本作の作者は、その業界では「女王」と呼ばれるくらいの人気作家でしかもミステリ仕立ての得意な作家だ。キャラの性格付けをするエピソードを作るのが非常に上手で、どのキャラも印象によく残る。ヒロインのジャクリンも嫌味なく「仕事のできる女」だけど、対男性はややコジらせ気味。それに対してヒーローは捜査に当たる刑事エリック。男らしくワイルドなのが売りだが、ロマンス小説だからか結構洒脱な印象がある。コーヒーを買いに行くと連続して強盗に遭遇し連日の緊急逮捕とか、TVドラマ風のコミカルさも見せる。
あ、ミステリとしては犯人はそう意外でもトリックがあるわけでもなし。それでも真犯人がジャクリンに目撃されたのを口封じするために襲撃するアクションもあって、サスペンスはちゃんと書けている。何やかんや言って、読者の気を逸らさない腕前は確かで、人気のほどは頷ける達者さだ。エンタメとしては十分合格の部類だが、ミステリを期待するのは何だ...という気もするが、本作は本来のファンに言わせると「力が落ちた」と言われる部類のものだそうだ。それでもジャクリンが引き受けたのを後悔した「田舎のヤンキーな結婚式」が実は実はの大盛り上がりのイイ結婚式になるエピソードなんぞ、小説のうまさを感じさせる筆力があるのは確か。
(ちょっとマジメな書評が続いたので、気分転換にネタを提供。ハーレクインなどの女性向けロマンス小説業界は、初版のみ売り切りで、再版重版なしという過酷な「読み捨て」の世界のようだ。そんな中で「女王」と呼ばれるのは結構スゴいことのようにも感じるよ。そういえばドーヴァー警部で有名なジョイス・ポーターに「裏切られた夜」というハーレクインがある。この人の娘もロマンス作家だそうだ。)

No.268 9点 ゼンダ城の虜- アンソニー・ホープ 2017/11/02 00:03
ホームズの長編で分かるように、19世紀末の時点ではミステリと冒険の境というものはいまだ曖昧だった。ホームズを読んで育った世代、クリスティやカーの世代では、本作を読んているのははジョーシキで「こういう面白い小説を書きたい」と作家生活の初めに感じていたといっても過言ではない。クリスティなら「チムニーズ館」にも本作の余韻のようなものが強く漂っているし、カーも特に晩年の歴史冒険小説に本作が与えた影響は大きなものがある。どうやらアンブラーの処女作「暗い国境」でさえ本作のモチーフが強い影響を与えているだけでなく、日本では山手樹一郎が本作を翻案して「桃太郎侍」を書いたのは有名な話であり、どうやら隆慶でさえ「影武者徳川家康」に本作の木霊を聞くのも不可能ではないだろう。というくらいに本作の影響は実作レベルでは絶大なのだが、ミステリのジャンルが確立すると、そこからはズレている本作は言及さえれることが少なくなってきてしまった...
と本作の意義をまとめればこういうことになるが、御託なんでどうでもいいくらいに本作は面白い。本作の面白さは「王将が飛車」なことにある。イギリスの有閑青年ルドルフは、秘密の血縁関係にあるヨーロッパの小国ルリタニアの同名の王ルドルフ五世の戴冠式見物を目的にルリタニアを訪問した。偶然王と出会い、その容姿の類似に驚きあうが、戴冠式を控えた王は、王弟のたくらみによって毒酒を盛られて人事不省に陥ってしまった。ルドルフは王の側近たちによって、王の身代わりに戴冠式に臨むが、それは王弟との熾烈な暗闘の幕開きに過ぎなかった...
という話で、ポイントは単なる身代わり話ではなくて、ルドルフは王の救出のため身を張って王弟一派と戦闘し、王が幽閉されているゼンダ城に忍び込んで王を救出するなど、アクションもこなす立役者であることだ。同時に王の婚約者となっている(があまり好かれていない)従妹の女王と、自身の魅力によって相思相愛の、ただし王に対しては申し訳のない仲になる矛盾にさいなまれる。このような活躍と恋を通じて、次第に周囲の人々も「王以上に王者らしい」という評価を勝ち得て...と成功すればするほど、ルドルフの良心は痛む、というジレンマに追い込まれていくさまが、本作の一番の読みどころである。
また、ルドルフの宿敵となるヘンツォ伯爵ルパートの造形がいい。

向こう見ずで、抜け目がなく、優雅で、作法を守らず、好男子で、上品で、悪党で、人に負けない男だった

と黒馬のヒーローの資格充分の悪党である。昭和初期の丹下左膳を筆頭とするニヒルな怪剣士の原型でもあるな。老練な策士サプト大佐、ルドルフを助ける篤実なフリッツ、ヒロインのフラビア女王のロマンチックな恋愛の魅力など、それぞれキャラが立っている上に、創元文庫版だと正編に続いて、数年後を舞台として恋も王位もルパートも決着がちゃんと着く続編「ヘンツォ伯爵」(出来は少しだけ落ちるが)があって、大河ドラマ的な楽しみ方もできる用意周到さである。まあこりゃ、リアルタイムの読者が「こういう小説書きたいな」と思わせる要素がぎっしり詰まっているような作品だったろう...
本作は惜しくもミステリ史から漏れてしまった作品なのだけど、本作を読まないとミステリ黄金期作家論の上で「わからない」ことが結構出てしまうと感じている。そういう意味でも「必読」だが、これは「楽しい義務」の部類だ。ぜひ読まれるとよろしかろう。おすすめ。

No.267 6点 片道切符- ジョルジュ・シムノン 2017/10/31 00:47
「郵便配達は二度ベルを鳴らす」という作品が、とくにフランスで強い衝撃を持って受け取られ、カミュの「異邦人」なんかもその反響の一つだという話を「異邦人」の書評で書いたのだが、本作は「郵便配達」の、シムノンという名前の付いた、別なエコーである。シムノンびいきのアンドレ・ジッドなぞは同年に発表された「異邦人」をクサす一方で本作を称揚している。本作は「郵便配達」同様に、流れ者が孤独な女と深い仲になって、結果その女を殺すことになる顛末である。
本作の主人公ジャンは、ブルジョア家庭の育ちなのだが、ふとしたことから人を殺して刑務所に入り、出所したばかりの宿無しである。バスの中でふと知り合った「クーデルクのやもめ」と呼ばれる中年女性タチの下男として農家に雇われる。タチは義父にあたる老人を性的に慰めつつ、農家を経営するのだが、小姑にあたる姉妹との間で財産を巡って暗闘が繰り返されていた。ジャンはタチとも深い仲になる反面、姪にあたるフェリシーとも戯れる。タチがフェリシーの粗暴な父に殴られて寝つくことで、次第に状況は泥沼に陥っていく...
まあだから、ジャンは痴情の「もつれ」としか言いようのない、感情の綾の中に「うんざり」してしまって、タチを殺してしまう。ここにあまりはっきりした動機をシムノンは設定しない。そもそも刑余者らしいテンションの低さがジャンは特徴的で、刑法の文面がフラッシュバックで時折インサートされるわけで、「今度何かやったら死刑」というのは重々承知していながらも、ついつい小さく曖昧な動機から、殺したり殺されたりするものなのだ....殺人の後もジャンは現場で酔いつぶれて寝てしまい、不審に思った隣人の通報によって警官に蹴り起される

「なぐらないでくれ...疲れてしまった、すっかり疲れてしまった」

ここにはどんなドラマもない。リアルの極みと言えばその通りで、不透明な肉体がただただ、ごろりと転がっているだけのことだ。

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クリスティ再読さん
ひとこと
大人になってからは、母に「あんたの買ってくる本は難しくて..」となかなか一緒に楽しめる本がなかったのですが、クリスティだけは例外でした。その母も先年亡くなりました。

母の記憶のために...

...
好きな作家
クリスティ、チャンドラー、J=P.マンシェット、ライオネル・デヴィッドスン、小栗虫...
採点傾向
平均点: 6.41点   採点数: 1326件
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