皆さんから寄せられた5万件以上の書評をランキング形式で表示しています。ネタバレは禁止
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[ ハードボイルド ] 青いジャングル 別邦題『憂愁の街』 |
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ロス・マクドナルド | 出版月: 1961年01月 | 平均: 4.67点 | 書評数: 3件 |
東京創元社 1961年01月 |
東京創元新社 1964年12月 |
東京創元社 1980年01月 |
No.3 | 3点 | クリスティ再読 | 2018/08/08 23:48 |
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申し訳ないが、本作ほめたらダメな作品の気がするんだよね....
たしかに頑張って通俗ハードボイルドを書いてるわけである。ギャングの殺伐な殺し合いはあるし、GI上がりで腕っぷしにも自信ありげな主人公は、やたらと強がってしょっちゅう警句を飛ばしたがるし...と極めて「努力が見える」通俗ハードボイルドという仕上がりなのだ。けどね、通俗ハードボイルドってそもそも頑張って書くものか? ここまであからさまに無理して書いてる感の強いものだと、読んでいてはっきり疲れる。ひどくは不自然ではない「動く標的」まで、本作からずいぶん進歩したんだなあ、と後でそう思われるような作品である。 子供の頃別れた父親が市政腐敗の張本人で、その息子がそれと知って少々ショックを受けたりする、というあたり、後年のモチーフが出ているから、それでもロスマクなんだよね、という気はする。何かキマジメなんだよね... 評者マーロウの警句って実際には「自分が痛みを感じてるから」自然に出るようなものだと思うんだが、本作の警句は「気の利いたこと言わなきゃ」って強迫観念に駆られて言ってるような気がするよ。気の利いたようなことを言い過ぎるのって、実は格好が悪い、というのにどうも気が付かないようだ。 |
No.2 | 6点 | 人並由真 | 2016/09/25 05:41 |
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(ネタバレなし)
時は終戦直後の1946年。10年前の12歳の時、父親の女癖の悪さが原因で両親が離婚した少年ジョン・ウェザーは母親に引き取られていたが、その母とも五年前に死別。現在22歳になったジョンは兵役を終えたのち、生まれ故郷の地方都市に戻る。そこで彼は初めて、市の行政の陰の大物だった実父J・D・ウェザーが2年前に射殺されて、しかもまだ真犯人が検挙されていない事実を知った。ジョンは、色事以外は比較的まともだと思っていた父の清濁こもごもの意外な素顔を知ると同時に、その父が死の数か月前に若い美人フロレインを後妻に迎えていた事実も認める。ジョンはフロレインや父の旧友サンフォード、さらに事件の担当刑事ハンスンを訪ね、自ら父殺しの事件の調査を始めるが…。 ロス・マクがケネス・ミラー名義で書いた長編の第三冊目。地方都市の腐敗と浄化を主題にフーダニットの興味も盛り込んだノンシリーズの青春ハードボイルドで、まるで2時間もののドラマか映画を観ているように物語が転がっていき、かなりの数の人も死んでいく。もちろん成熟期のリュウ・アーチャーものとは比較にならない通俗スリラーだが、それでもさすがにこの作者らしい陰影ある人物造形にエッジが効いていて読み応えがある。(主人公の殺害された父にしても、地方都市に公営ギャンブルという悪徳を持ち込んで地元の腐敗を促進させた張本人である一方、偽善や打算ではないらしい篤志家として貧者のために積極的な慈善活動を行い、市民から敬愛されていた。) 絶頂期の田中小実昌の翻訳の心地よさもあって3~4時間で読了可能のリーダビリティの高さだが、じっくりと一晩の時間をかけて読み通す価値もある。 終盤の決着はのちのペシミズムと優しさが一体となったアーチャーものの視線とはまったく異なる、青く若い前向きなものだが、むしろ初期のロスマクがちゃんとこういう<アメリカの正義>を描いていたことに本心からほっとする。この辺の作家の成熟してゆく軌跡がなんとなく覗けるようなあたりは、ハメットやチャンドラーともまた一味違うこの作家ならではの個性だ(まあもう、この3人をあえて並べなくてもいいという気も半ばしてるんだけど)。 ちなみに犯人当てのミステリとしては、それなりの意外性も呈示。真相発覚後のそこはかとない文芸性は、のちのロスマク作品に続く萌芽といえないこともない。 |
No.1 | 5点 | 空 | 2016/04/06 22:58 |
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ロス・マクの初期長編2作はスパイ小説系でしたが、この第3作は、ギャングに牛耳られる悪徳の町を舞台としたいかにもハードボイルドらしい話であり、その意味では自らのジャンルを確立した記念すべき作品と言えるでしょうか。ただし後のリュウ・アーチャー・シリーズとは違い、第1作の『暗いトンネル』と較べてもどこか安っぽい感じのするタッチです。田中小実昌の訳が最初のページから「あまくやさしくおもえる」「おもったよりもはやく」のように、普通漢字で書くところをひらがな表記にしているのも、その一因ではあるでしょうが。
1947年発表と言えば、スピレインが『裁くのは俺だ』で華々しくデビューした年ですが、正統派よりもそういった通俗ハードボイルドに近い感覚があるように思われます。ただし、思想的には登場人物を通してマルクス主義にむしろ親近感を示しているあたり、スピレインとは正反対です。 |