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[ ハードボイルド ] ミッドナイト・ブルー リュウ・アーチャーシリーズ中短編集/別書名『ロス・マクドナルド傑作集』 |
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ロス・マクドナルド | 出版月: 1977年05月 | 平均: 5.33点 | 書評数: 3件 |
東京創元社 1977年05月 |
東京創元社 1977年05月 |
No.3 | 7点 | クリスティ再読 | 2018/06/19 10:16 |
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本質的に短編作家じゃないロスマクなので、日本で出ている短編集は2つ、短編の作品総数も12作しかない。両方の短編集が手に入ったので、連続して全短編を読むことにしよう(未収録が2作あるので計10作である)。
ポケミスの「わが名はアーチャー」は7作収録し、創元の本書は5作収録しているから、7 + 5 - (12 - 2) = 2 となって、「女を探せ」と「追いつめられたブロンド(罪になやむ女)」の2作が重複する。ポケミスは1958年までのマンハントとEQMMに掲載した作品を初出とするアンソロの翻訳である。創元の本書は重複作以外は、「わが名はアーチャー」が出た以降に書かれた3作ということになる。しかし本書の価値は、収録作品というよりも、ロスマク自身による評論の「主人公としての探偵と作家」、訳者の小鷹信光による「ロス・マクドナルドの世界」と題した評論+本人インタビュー記事&1983年の没年までのロスマクに対する評論・書評・研究まで含むロスマク全書誌データ、の「超豪華なオマケ」の方にある。評者7点つけちゃったが、ほぼこのオマケに対する評点であって、小説に対する点ではない。 というか、ロスマク自身による「主人公としての探偵と作家」、これいろいろな意味で必読でしょう。「教科書的」と評されることがあるくらいに、極めてよくまとまった「ミステリの主人公=探偵とは何か?」をめぐる考察である。ロスマクという人の批評能力の高さを窺わせる内容であるのだけども、他人(ポーとデュパン、ドイルとホームズ、ハメットとスペード、チャンドラーとマーロウ)を扱う際には極めて冴えた考察をする。 探偵小説の近代における発展はボードレールに端を発しているという仮設を、かつて私は主張したことがあるが、私が問題にしたのは彼の「ダンディズム」と都市をこの世の地獄とみなす洞察力だった。 ....ベンヤミンって当時そんなに紹介されてないよ、なあ。 主人公の感受性に焦点をしぼっているチャンドラーの小説は、感受性の小説と評してもよいほどだ。 ...同感。と極めて他人を評する能力が優れているのを目のあたりにするのだけども、自身に関するあたりがやや問題がある上に、どうもロスマクの自己認識が文脈から離れてクリシェとして使われ続けているあたりに、評者は結構疑問に思うことも多い。 彼は、行為する人間というより質問者であり、他者の人生の意味がしだいに浮かびあがってくる意識そのものである。 この「質問者」というタームが非常に便利な評語として使われてしまっているけども、ここでロスマクが重視しているのは「意識」という言葉のように感じるよ。小説の進行を通じて形成されてくる「アーチャーの意識」、続く文章で語られる「主人公である探偵をその小説の心とみなすこの概念」は一人称による語りの中で解明される謎、と顕になる悲劇という「流れ」の中で理解すべきタームだろう。しかしこの自己規定は、あまりに受動的なものでありすぎる。またこうすることで、ロスマクは自身の小説を「探偵小説をメインストリームの小説の意図と範囲に近づける」とある意味「いやらしい」言い方をしているわけである。 まあロスマクって人は、「別れの顔」の「文学的陰謀」によって、ジャンル小説であるミステリの作家というよりも、「一般小説の中でのアメリカ的巨匠」というジャーナリスティックな位置づけになった経緯もあるわけ(今の日本でいうと高村薫ポジションだろうな)だが、それでもじゅうぶんに「嫌な」言い方をしてくれている。 逆にいうとね、評者は「主人公の行動が社会正義のようなお題目でなく自身のエゴイズムに基づいている」ときに、「ハードボイルドらしさ」を感じるわけだが、この見方だとロスマクの後期からは「評者のハードボイルド」からは外れることになる。ロスマク=ハードボイルドから出発して独自の小説を書くようになった作家、で充分なように思うよ。 でもう一つのオマケ小鷹信光の「ロス・マクドナルドの世界」は非常に力の入った「賛江」にならないロスマク論である。小鷹氏は評者同様に晩年の作品を全然買ってない。テーマ、技法に対する「病的」固執を批判し、海外での同様な意見を紹介している。 ロス・マクドナルドは「アンチ・ヒーローになりかかっている」主人公、リュー・アーチャーと、もう一度衝撃的な対決をすべきなのだ。彼の創造した「分身」を「質問者」の地位から解き放ってやればいいのだ。それは、作家自身の精神の解放にもかかわっている。 と「メインストリーム小説に近づく」という固執からの、ロスマク自身の「解放」を小鷹氏は提言さえしている、という異例の文庫解説である。小鷹氏の真摯さが伝わる...この真摯さは、この小論に付された短編小説の初出と経緯、評論・序文などの書誌情報などをまとめた付録部分にも強く現れている。 本書、なので小説の方がオマケである。小鷹氏のロスマクに向かい合う真摯な態度に評者は感銘を受けた。こんな風に作家に向き合うべきだと襟を正す思いである。小説としては...そうだね、表題作になった「ミッドナイト・ブルー」が一番いい。長編「運命」の原型になった「運命の裁き」は、筋立てはほぼ同じだが犯人も真相もぜんぜん違うし、長編のディープな悲劇というほどの小説ではない。 |
No.2 | 6点 | 空 | 2016/08/25 18:13 |
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『ロス・マクドナルド傑作集』のタイトルで出ていた時に買って読んだのを、このたび再読しました。中短編5編の他に、評論『主人公(ヒーロー)としての探偵と作家』、さらに訳者の小鷹信光による20ページ以上もの解説が付いています。
ロスマクはハードボイルドの中でも本格派っぽいとされることが多いようで、実際真相は論理的に構築されていて意外性もあります。しかしハメットが、真相を示唆する手掛かりをあらかじめ用意しているのに対して、ロスマクは捜査を進めていくうちにもつれた謎が自然にほぐれてくるという構成になっています。このほぐし方が、長編の場合だと最後の方で鮮やかに決まるのですが、短い作品だと性急な感じになってしまうのです。 収録作品の中でも、特に『追いつめられたブロンド』はこの欠点が目立つ作品で、当然逆に中編の『運命の裁き』(長編『運命』の原型)が最もよくできていると思いました。 |
No.1 | 3点 | Tetchy | 2009/05/11 22:48 |
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この短編集を読んだ限りでは、ロスマクは短編を書けない作家であると云える。意外性を無理矢理でも持たせようとする強引さが目に余る。プロット重視の作家と云われている、又は自分でも云っている、にしては何ともお粗末である。
書かれた年代が現時点では不明だが、このラフさは恐らくアーチャー初期のものに類すると思われる。 |