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クリスティ再読さん
平均点: 6.39点 書評数: 1444件

プロフィール高評価と近い人書評おすすめ

No.1404 6点 20億の針- ハル・クレメント 2025/05/25 13:29
その昔、ミステリ読者に推薦するSF作品というと、よく名前が上がった作品である。人間のカラダの中に潜伏可能な異星人同士が、マンハントする話である。

タヒチ沖に墜落した宇宙船から二体の異星人がかろうじて抜け出した。一方は逃亡者(The fugitive「ホシ」)、一方はハンター(The Hunter「捕り手」)。ハンターはタヒチ在住の白人少年ボブ・キナードの体の中に宿った。アメリカの寄宿学校に戻って5ヶ月後、ハンターはキナード少年と意思疎通ができるようになり、キナード少年は「追跡」のためにタヒチの出身の島に戻る。墜落の状況から、逃亡者はキナード少年の周囲にいるのではと疑われる。ハンターと少年は連携しつつ逃亡者が誰に潜んでいるのかを探っていく...

井上勇訳...固有名詞への違和感がかなり強いのはもう時代柄でもあるし、どうも飲み込むのに手間取るような訳文が多い。新訳があるならそっちで読んだらよかったな。
この異星人はゼリー状で地球生物の細胞よりもずっと小さい細胞でできていて、流動体になって人の体に傷をつけずに侵入できる。ビールスから進化した、なんて言っている。そして宿主の神経や血管に直接作用できるけど、必要以上のコントロールが宿主を病気と勘違いさせるのもまずいし、「人道的」見地からも好まないようだ。それだけでなく、怪我の影響のリカバリーや病原体の侵入から宿主を守ってくれるポジティヴな能力もある(苦笑)
だから「医学SF」といったカラーがあって、そこらへん興味深い。作中ではマラリアの話が出たりもするから、この異星人って感染症?みたいな印象もあるから、パンデミック物かもよ。確かに伝染病への疫学的防御というのもマンハントの側面があるからね。

個人的にはなんとかして意思疎通を図ろうとするハンターと少年の関係性が面白かった。まあある意味本作ジュブナイルのわけで、ジュブナイルでの紹介もある。岩崎書店から「宇宙人デカ」ってタイトルで出ていたのが笑える。でこれ、あの横尾忠則がイラストを描いていて、なかなかトラウマティック。一見の価値がある。

No.1403 7点 蝶たちは今…- 日下圭介 2025/05/23 20:08
リアルタイムで乱歩賞を意識しだした頃の作品って、やはり印象が強いものだ。
評者の場合、本作とか「暗黒告知」がそういう「リアルタイム乱歩賞」の作品になってくる。とはいえ本作はパズラーマニアには評判がよくないだろうなあ。乱歩賞は比較的パズラー偏重の色彩があったわけだが、この時期には多様化を狙ったのか、伴野朗みたいなスパイスリラーの受賞もあるわけだ。本作のような、犯人当てを捨てたヴィジュアルのいいサスペンスだと、「本格」を期待するマニアの肩透かしになってしまったのかもしれない。

蝶を小道具に使った枠組みプロットとか、イメージに広がりがあって実にいいんだよ。小道具で印象的なものもいくつかあるし、そして探偵役を絞らない青春群像劇的な作劇。ちゃんとオリジナリティのあるトリックもあったりするわけで、受賞はそう不思議という印象はない。

そして短文を畳みかけていき、現在形を多用する独特の映画的文体。確かに印象的な作品だと思うよ。評者の好印象はやはり今回の再読でも根拠あるものだと感じた。
まあ連城三紀彦には及ばなかった作家かもしれないけども、「こういうミステリもありじゃない?」と70年代に提案してみせた作品というあたりで、斬新で意義もあると思っている。

No.1402 7点 鮎川哲也自選傑作短編集- 鮎川哲也 2025/05/22 13:00
鮎哲さんの短編といえばその長いキャリアに比例して、大体250篇ほどあるようだ。
その中でも評者はちょっと忘れられない作品があって、いい機会なので読むことにした。それがこの短編集収録の「ああ世は夢か」である。

意外な選択かな。鬼貫も星影もバーテンも登場しない、非パズラー作品である。

明治に起きた野口男三郎事件という猟奇事件(幼児を誘拐殺人して臀肉を削いで、それを煮詰めてハンセン氏病に効く薬を作り義兄に飲ませた...)を題材に、この男三郎が獄中で作詞した演歌「ああ世は夢か」を、二人組の演歌師が歌うことになった話をちょっとした悲恋と絡めてある。

哀切な雰囲気の青春もの。評者確か広論社「緋文谷事件」で読んだんじゃなかったかなあ...強く印象に残っていたので、もう一度読みたかったんだ。

で、この短編集、清張をはじめ森村・都筑・佐野・結城などなど当時のトップ作家たちに「自選」で選んだ短編に写真アルバムと本人書き下ろしエッセイで読売新聞社が編んだ本。鮎川が選んだ自選の内容も興味深い。

非パズラー:絵のない絵本、マガーロフ氏の日記、ああ世は夢か、人買い伊平治
倒叙:小さな孔、水のなかの目、皮肉な運命
謎解き(非名探偵):かみきり虫
鬼貫もの:まだらの犬、首

と非パズラーの比重が多い短編集になっている。で、この短編集の中でもシンガポールの娼館を舞台にした復讐譚「人買い伊平治」も出来がいいし、「絵のない絵本」はアンデルセンの同名作にちなんで「ファンタジー・ミステリ」という毛色の変わったもの。「マガーロフ氏」は鮎哲らしいロシア知識を生かした奇譚。

鮎川哲也という小説家の幅の広さを感じさせる。やっぱり表現者って、ハタから見ているほどには「ジャンルへの忠誠心」ってないんだよ。「いろいろ、やってみたい」ものなのだし、そういう意欲の部分でこういう「脇道な佳作」があるというのも作家の実力というべきだ。

そういう見方をすると、ミステリ「本道」な自選作も傾向が見えてくる。ちょっとしたオタッキーなトリビアを駆使したオチが決まっている作品を選んでいるんだよね。珍種のカミキリムシを小道具にした「かみきり虫」、交響曲第五番を取り違える「皮肉な運命」、そして毒入りボンボンを作る「型」にオーディオの真空管を使う「まだらの犬」...小道具の洒落た使い方になっている作品を鮎川氏本人は気に入っているように感じる。

そういうしゃれっ気も、しっかりと鮎川哲也の魅力の一つである。
(ちなみにその真空管、テレフンケン12AU7は今でもセカンドソースの生産があるロングセラー真空管だそうだ。そういうあたり、うれしい)

No.1401 5点 邪馬台国の秘密- 高木彬光 2025/05/21 10:38
さてこれも懐かしいなあ。子供の頃読んだときに、最終章での、石棺から「真赤な一線が、まるで定規でもあててひいたような真直ぐな感じが、すーっと走っていたのが」まさに目の奥に焼きついたように印象に残っていたよ。

まあだけど、大人になると冷静な見方もできるようになる。結局のところ、魏志倭人伝を素直に受け取ると、内容が矛盾しているわけで、「矛盾した前提からは、どんな結論でも導き出せる」と懐疑的になるのも当然かな。いやだから、畿内説の場合には、魏志倭人伝の記述に拘泥せずに考古学的な見地を主体に論証しようという傾向が強いわけだ。魏志倭人伝の記述にこだわって論証するのが九州説の特徴だと言ってもいいだろう。だから高木説はまさに「九州説」であるともいえる。

とくにこの本の場合には、魏志倭人伝の記述にこと細かに依拠して推理していく。ここまでこだわると、逆に「オカルト?」という悪い印象も出てきてしまう。いやオカルトって「表面的な記述ではなく、その奥に秘められた『真の意味』を見出すこと」にこだわる「ものの見方」だと思うのだ。高木彬光といえば、まあオカルトへの親近感が強い作家(作中でも「神がかり」と自虐)であることは否定できない。これって「歴史推理」が抱える大きな問題点じゃないかな。ミステリの場合には伏線によって「見過ごされてきたデテールが、実は重大な真相を暗示していた」ことから快感めいたものを引き出すのが正当なのだが、歴史のデテールに過剰な意味を与えて空中楼閣を築いてしまうのも「エンタメ」の一つとして許容するべきなのだろうか。

考えてみれば、今の「邪馬台国ブーム」というものは、1967年の宮崎康平「まぼろしの邪馬台国」によって「大衆化」したわけである。この本もその流れに乗って書かれたものだが、この時期というのは「造反有理」な学園紛争の時代でもある。本書でも随所で「学問の権威打破」が叫ばれるわけだが、このような時代のコンテキストの中で「歴史のエンタメ化」を捉えることの方が、面白いかもしれないなあ。そう考えたら本書とたとえば「神曲地獄篇」「ノストラダムス大予言の秘密」といった高木彬光70年代の作品ともうまく結びつけることができるかもしれないや。

うんまあだけど、この本がやってみた議論などは、神津恭介の「俺スゲー」に「まぼろしの邪馬台国」で一世を風靡した古田武彦から「既出の論だよ」と散々に嫌味を言われるとか、「議論のひとつ」として一般化しているものもあるし、初出で書いてツッコまれて「新装版」で撤回したものとか、いろいろでもある。この本は神津と松下研三の二人だけのダイアローグ小説だけど、「巫女と審神者」みたいに見えることもあるよ...

「成吉思汗」や「追跡」と比べたら、実在人物への誹謗中傷となるような部分はないので、これは「エンタメとしてアリ」だとも思う。ただし退屈な部分やどうか?と思う推理も多いし、文章も雑だから、このくらいの評価としたい。

No.1400 5点 影の凶器- 梶山季之 2025/05/18 15:00
「黒の試走車」は「産業スパイ事始」といった感覚で、自動車メーカーで「産業スパイ課」が立ち上がっていく話、というものだった。本作は同じく産業スパイをテーマにしているが、「黒の試走車」とは逆アプローチ。一匹狼が「産業スパイ」の旗を掲げて、家電メーカーの裏側で非合法でエゲツない手段を駆使して暗躍するピカレスク。
でもアメリカ仕込みの理論派でもあり、クライアントには内緒だが実は初陣。ハッタリもいろいろ効かせながら家電メーカー社長(松下幸之助がモデル?)に取り入って、自分の「産業スパイ」というビジネスを確立する話でもある。

最大の武器は「女」。女を騙して利用して裏切らせて情報を得たり操ったりがこの男の十八番。だからサラリーマン向けエロも完備(苦笑)他愛もない、と言ってしまえばそれまでだが、この愛欲に溺れる愚かさ自体が普遍でもあるから、どうしようもないといえばどうしようもない。「影の凶器」とはまさしく「女」。でも最後で本人が「俺こそ、影の凶器じゃあないか!」とウヌボれるから、転落劇も描いてみたらいいのかもよ。

要するに人殺しをしない伊達邦彦。意外なくらいに騙した女に恨まれないのが人徳(苦笑)

No.1399 7点 霧と影- 水上勉 2025/05/18 05:53
「海の牙」よりもミステリとしてはよくできていると思う。「海の牙」だと悪い意味で「ミステリの常套パターン」を採用していて、それが小説としての面白さを害しているようにしか思えないんだ。本作だと作者が「書きたいように」書いている。結果として作者が見据える市井の人々のリアルな生活感が、追跡のリアルさに反映して「ミステリとしての面白さ」に繋がっていると思うんだ。

新聞記者たちの集団的な追跡が狂言回しになるわけだが、その中で浮かび上がってくる若狭の山中にある四戸しかない僻村に生れた男女の生の軌跡。「男子志を立てて猿谷郷を憎み出ず」と神社に額を奉納して、東京で鳶職の親方として成功した男。彼を取り巻くイトコに当たる暗い美女たち。これらの人々の生き方が、教員の崖からの転落死、演劇的とも言える巧妙な取込詐欺といった犯罪事件を軸に、じわじわとあぶり出されてくるのがミステリとしての魅力になる。

だからかなり地味ではあるし、完全に外部からの目だけで描かれるために、最後まで読んでも判然としないことも多い。まあこれも「リアル」といえばそうだ。とくに背景に武装革命路線にあった日本共産党が起こした事件があるが、これらの一族との関連がよく分からない恨みがある。徳田球一書記長の密行潜伏と、国外亡命のためのいわゆる「人民艦隊」、そして詐欺事件と非合法な資金集めの実行部隊である「トラック部隊」の関りなど、よく分からないことが多い。それでもそれが言うほど気にならないのが、本作の拠って立つ「リアル」ということになる。

(本作で描かれるデテールは本当に懐かしいものが多いな。スピッツなんて今飼っている家があるんだろうか?評者なんてまさに「懐旧闘争」)

No.1398 5点 赤い箱- レックス・スタウト 2025/05/16 17:06
ウルフ物4作目になる。
キャラは「毒蛇」から完璧に仕上がっていたわけだが、異例な「腰抜け連盟」とは違い(すまぬ「ラバーバンド」未読)、本作あたりで安定した世界になってきたのかもしれないな。次作は外出話の「料理長が多すぎる」だし。

本作のギミックは、A:口先だけの依頼人の口車に乗せられてウルフが出張尋問を行うのと、B:ウルフの事務所でゲストが毒殺されること。Aはまあ軽いジャブみたいなものかしら。実はウルフって意外なくらい外出しているよ(苦笑)
だけどもBはウルフにしたらメンツをつぶされた激怒案件。この件もあって、ウルフもエンジンがかかる。ちなみにC:途中で依頼人が変更されるというのもギミックかしら。実はこれ真相と絡んで想定外の落着をする。ウルフはしっかりと「経営者」であり、依頼料を取りっぱぐれたら食い上げであるからね。

まあ本作、ミステリとしては大体想定内くらいの話。ミステリとしてはそう「いい」ということでもないのだが、今回読んでいて評者はネロ・ウルフに敬意をもっていることを改めて実感した。マナーをわきまえ、たとえ犯人であっても「ミスター」などの敬称をかかさず、人情の機微に対する洞察力に富み、言葉を濁すことはあっても誰にも明白な嘘はつかず...いや立派なジェントルマンだと思うんだ。

小説家は作者本人より頭のいいキャラを説得力を持って描くことができないと言う。
探偵役の人間としての説得力がこれほどしっかり描けているミステリ・シリーズは少ないんじゃないかな。

No.1397 1点 追跡- 高木彬光 2025/05/13 18:27
やっぱり本作も筆誅、という結論になってしまったな。

実際には事件から40年たった1990年台後半くらいから、問題の人々の間で口を開く人が出てきて、やはり白鳥事件は共産党の非公然軍事部門によるテロだった、ということが明らかになりつつある。実行犯は中国に亡命してすでに全員亡くなっているという話だ。主犯として裁かれた軍事委員会トップの村上国治が共同謀議に問われたこと自体、冤罪でもなんでもない。

日本共産党としても、当時は所感派・国際派と分裂しており、51年テーゼに基づく暴力的な極左冒険主義が国民からの支持を失った時代でもある。「分裂の一方が行なったことでもあり、今となってはよくわからない」と共産党自身でさえ煮え切らないあたりで弁解するしかない状況でもある。
まあ評者としては51年テーゼを主導した軍事委員長の志田重男を「真犯人」と言いたいあたりだけど、行方知れずと言われていた志田のその後も今は解明されているし、ソ連崩壊で野坂参三のスパイがバレたりとか、時の経過がこの混乱した時期の「黒い霧」を晴らしていったことに、感慨めいたものを感じていたりする。

とはいえ、この高木彬光の作品自体は、そのような経緯とは切り離して考えたい。「その後に判明した真相」によって、「不十分な情報の中で誤った前提に基づいて書かれたフィクション」を裁くのはどうか?とも思うからだ。
本書はいわゆる「原田情報」に依拠して書かれている。これは除名された元党員がこの件で流した「怪情報」とされるものであり、作中にも桑田という名前で登場する。要するにヒロポン中毒の信用組合理事長が、資金横流しを察知した白鳥警部にヤクザを差し向けて殺させた、という「真相」である。

まあ、外野のジャーナリストなどがいろいろと推理するのは、それ自体として咎めるべきではないだろう。しかし、本作では冒頭に百谷弁護士の同級生が百谷に相談した直後に不審な死を遂げて、その真相を探る中で背景に白鳥事件があることを百谷は察知する。そして同級生の秘密の思い人を探し出し...という「フィクション」に仕立て上げているわけだ。最後には派手な修羅場もあり。

としてみれば、本作の犯人陣営は基本的に実在の人物たちである、と言われても仕方のないことになる。モデルを勝手に「フィクション化」して、作者が操っていることにもなるわけだ。フィクションだから...で許される範囲を大きく逸脱しているとしか思えない。名誉棄損とか言われても仕方なかろう。
さらにいえば、その「嫌疑」が的外れでもあるのだから、小説家の罪は重いとしかいいようがない。

またさらに、百谷もちゃんと推理するというよりも、登場人物たちが教えてくれる「真相」を鵜呑みにするばかりで、批判精神のカケラも感じない。「成吉思汗」でも評者は神津恭介がデマに近い情報を鵜呑みにしまくるのにシラケまくっていたのだが、本作の百谷弁護士も同様。困ったものだ。

もちろん高木彬光の最大の弱点である「キャラ描写が壊滅的に下手」も、こういう展開だと全面に出てしまう。小説として味気ないとしか言いようがない。

少しだけ高木彬光を弁護すると、この人、ヘンにテンションの高い奇人変人に「波長が合う」という困った性質がある。今回はそれが怪情報を流した元党員の原田政雄ということだ。それが「ロマン」なのかもしれないが、無批判にオカルトを受け入れてしまうのが、この作家の特性でもある。

そういうあたり、嫌いではないといえばそうなのだが、なんというか、持て余す。

No.1396 6点 幸運の脚- E・S・ガードナー 2025/05/12 19:58
美脚コンテストを使った詐欺によって都会に誘き寄せられた女性たち。彼女たちが巻き込まれる詐欺師殺し...メイスンも死体を見つけてバックれるとか結構危ない橋を渡ったりして、ハードボイルド感が強い作品だと思う。「なぜこれを知ることが?」がキーになるあたりに「本格」テイストを感じる方が多いのだろうけども。

メイスン物ってシンプルな人間関係の中で、メイスンがいろいろと挑発して回ることで、複雑な右往左往が起きてややこしくなる、というものなのかなあ。だからなかなか全体像が見えてこない。今回の依頼人ブラッドベリー、前二作は女性依頼人だが今回は男、しかもかなり嫌な奴。まあメイスンの依頼人が一筋縄ではいかないのはお約束とはいえ、変に挑戦的で不快感が強い。
考えてみれば弁護士ってエリートには違いないが、現実にはオカシい人たちの面倒を見なければならない気の毒な仕事でもあるよ。今回は変な策動もあって、ドレイクくんだって100%信頼できないという状況に置かれるわけで、本当にメイスン、お疲れ様である。

今回創元文庫、林房雄訳。人並由真さまが「白夫人の妖術」なんて取り上げられていて便乗...というわけではないのだが、「新青年」にも平林初之輔が関わっていたりとか、戦前には意外とプロレタリア文学とも関わりがあったりもする。そういうあたりからのご縁があるのでは?プロレタリア文学だって、最新のモダニズム文学だった時期はあるわけでね。

(あと、このシリーズ、The case of A B というかたちでタイトルがつくのが定石になっているんだけど、とくに後年は A と B に頭韻を踏ませる傾向がある。本作はLucky Legs でその最初じゃないかしら)

No.1395 5点 クイーン検察局- エラリイ・クイーン 2025/05/11 20:50
ミステリ短編というものは、ホームズという偉大なモデルがまずあるわけだ。
とはいえホームズ譚ならキャラ小説の比重も高いわけで、パズラー短編か、といえば必ずしもそうでもないだろう。最初の短編集「クイーンの冒険」ならホームズ的枠組みの中でクイーンらしいパズラー性を組み込もうという試みになるわけだが、「新冒険」ともなると風俗的要素を取り込んだ都会小説としての良さも伺われるようになる。
としてみると、クイーンが「パズラー短編」を純化した形で提示したい、というオリジナルな試みが、こういうショートショート形式なのかもしれないな。まあだからたとえば「黒後家蜘蛛」がこのスタイルの継承者となったと考えれば、パズラー短編の理念をクイーンはここで提示したと見ることができるのかもね。

うん、まあだけど短い分「いい」と言っても上限があるし、ダメな方はどうしようもない。短編集として読むとやはり飽きてくるところもある。パズラー短編というものの「難しさ」が前面に出ているというのが感想かもしれない。

No.1394 6点 第二の顔- マルセル・エイメ 2025/05/10 20:45
異色作家短編集「壁抜け男」があまりに良かったので、長編「第二の顔」も。

突然顔だけ美男になってしまった男ラウルの話。元がブオトコだから、急にモテモテになり戸惑うあたりがカワイいが、会社経営者で元々秘書と浮気をしていたりもする。でも他人のフリをして妻を「寝取ろう」とするとなるとオダやかじゃない...変人発明家の叔父とか頭の固い親友とか、それぞれラウルが対応にあたふたするあたりが面白い。シムノンも蒸発話は好きだけど、変身譚をリアルな問題として扱うとなるとややこしい。そのややこしいあたりをユーモラスに描く。

心理のアヤをいろいろと追求してニヤリとさせる小説。ヘンな設定を大真面目にやって心理の面白さを狙うという、「壁抜け男」とも共通するスタイルが見て取れる。

でラウルは自分の紹介状を持って自分の会社にセールスマンとして雇ってもらうわけだが、結構営業成績が上がったりしていたりする。美女はトク、というのはいうまでもないが、美男だってトク。そんなことを言うと今時「ルッキズム」とか叱られるのだが、実際人間には「見かけのいい人」を信用する根深い本性があるようで、社会心理学で実験してこれを確認したという話もある。そういうあたりも鋭い。

まあ最後は元に戻るわけだけど、締めは変人の叔父がキメてくれる。

神さまがご臨席なさる日に、わしはいつも神さまに機械を逆にまわしてくださるように苦情を言いに出かけるんじゃ。

まさにエイメの奇想とは「機械を逆に回す」ことなのかもしれないね。

(翻訳者が生田耕作でちょっとびっくり。いやこの本もともと世界大ロマン全集だから、バタイユの翻訳で名を馳せた生田耕作とイメージが合わなかったからね。ひょっとして翻訳者デビュー作かしら)

No.1393 8点 壁抜け男(早川書房版)- マルセル・エイメ 2025/05/07 16:55
おっと、これほどイイとは思ってなかった!

エイメといえば「第二の顔」くらいしか知らなかった...早川書房異色作家短編集ではランジュランと並んでフランス語作家。読んだ内容からも予想がつくが、童話作家としても活躍しているようだ。

突如自身の「壁を抜ける能力」に気が付いた小役人が、ルパンみたいな怪盗を「愉しんで」しまうのが表題作。でもすぐに怪盗にも飽きてしまうというのが皮肉。
老人の「生存」を月中の幾日かに制限してしまう(月中で「生きる」日数が配給される)「カード」なら、「配給制度」の愚劣さを皮肉ったもののようでもある。
「同時存在」という超能力をもった女ザビーヌは、最終的に6万人を超える「ザビーヌ」に分身する。しかしその結果が自らの性欲と後悔とに翻弄されるだけ、なら「超・浮気」とでもいうべき愚かな(人間的な)行為でしかない...

日本で言えば筒井康隆を人情派にしたような作風かしら。奇抜な発想がホラ話みたいに膨らんでいって、でも人間のヒミツな面に裏打ちされているような話が多い。モンマルトルの地元っ子で庶民派なところは、たとえば「七里の靴」の貧しい家の子供の幻想的な靴への憧れに、奇人の骨董屋や小市民の同級生の親を絡めて、辛辣な社会批評を幻想の甘美さにうまく包み込んで消化していたりする。なるほど童話が得意、というのもわかる。

ベストはそうだね「いい絵」かな。突如自分が描く絵が鑑賞者の食欲を満たしてしまうことを気が付いた作家と、それが食糧問題を期せずして解決してしまうことを巡るホラ話。「絵(音楽)で飯が食えるっていうのか?」とアーチスト志望の若者が周囲から小言を言われる経験って、洋の東西を問わないや。なら「本当に絵で飯が食える」のを実現してやろう!という何とも痛快な話。この絵を巡る美術批評がナンセンスの極みで、諷刺家の面目躍如。

あと「パリ横断」は「いい絵」の裏面みたいなもの。ナチ占領下のパリで闇屋が一頭の豚をサバいたものを、闇で肉屋に配達させるアルバイトに応じた二人の男の話。助手として雇われただけなのに、横柄な男の真意は?
この横柄さが実は「いい絵」のモチーフとも微妙につながっている。

異色作家短編集の中でも明白にお気に入り。

No.1392 7点 メグレ推理を楽しむ- ジョルジュ・シムノン 2025/05/05 09:24
いやこれ「メグレの回想録」に近いファンサービス回だよ。メグレ物を読んでいれば読んでいるほど楽しい作品。くすくすと笑ったり、妙にしんみりしたり、メグレ物の「楽しさ」を存分に味わえた...

ヴァカンス中のメグレの代理としてジャンヴィエが奮闘。それを陰からそっと見守るメグレ。さらに終局場面では別な人物と、事件の終幕を司法警察近くのビストロから見守るけども、この人物に対しても「父性」といった好ましさがビンビンと伝わってくる。

もしメグレ夫妻に子供がいたら、メグレはメグレではなかっただろうなあ。

ヴァカンスのくせに予約不調でどこにも出かけられないメグレ夫妻。思い切ってパリに潜伏することにするのだが、医師二人の間でどっちが妻(愛人)殺し犯人か?という悩ましい事件が起きた。リュカとトランスもメグレ同様にヴァカンスで、残ったジャンヴィエが代理として「宿敵」コメリオ判事の圧力にメゲながら奮闘中...例によって夫婦関係の機微が事件の鍵にはなるんだが、よりにもよってメグレは新聞記事だけで真相を掴もうとする。ここで一般人目線になるというのが、作品の最大のギミック。だからこそ一般人になって推理を「楽しむ」。
それこそメグレ夫人さえも強引にそれに付き合わされる。連れまわされて歩かされて迷惑している(苦笑)その中でパリで過ごしてきた日々がメグレの中に浮かび上がる。

パリ市内で、難航したり、しなかったり、評判になったり、ならなかったりした捜査のことを思い出させない場所は、ほとんどなかった。メグレ夫人もそういう場所を、耳できいては知っていた。

メグレのヴァカンスの名所めぐりは、まさに「メグレの事件簿」。雪さんもご指摘だが過去作でのお馴染みの場所が回想される。被害者の出身地コンカルノーの事件なら「黄色い犬」だ。まさにファンサービスで、評者もメグレのヴァカンスに付き合わされて懐かしい場面を思い出し、その雰囲気を追体験していく。

たいていの場合そうだが、ただひとつの解決しか可能でない、ということはない。少なくともふたつの解決がある。とはいえ、ただひとつの解決がよいのであり、ただひとつの解決が人間の真実なのである。だから、事実を論理的に再構成して、厳密な推理によって解決するのではなく、それを感じることが必要なのだ。

まさにこれがメグレが「推理を楽しむ」こと。ファンサービスのついでに、シムノンのミステリ創作技法の根幹部分も教えてくれている。

No.1391 9点 ハリー・ポッターと炎のゴブレット- J・K・ローリング 2025/05/03 16:50
さすがに予約まではしなかったが、出版すぐに平積みを購入して読んだ。ハリポタ第4作というわけで今までと違い上下二巻、2冊セット販売。それでも飛ぶように売れていた。当時も一気読み、今回も事実上一気読み。

話が長くなったけども、構成に緩みがないのが凄いあたり。いろいろと前振りをしながら、たとえば三大魔法学校対抗試合の正式発表の、わざと腰を折る格好で新任のマッドアイ・ムーディの不気味な姿を紹介するとか、カーかいなという技巧を使っていたりもする。さらにはウィーズリー一家で唯一あまり好意的に描かれないパーシーをうまく使って、クラウチの挙動を印象付けるとか、小説技巧として感心する読みどころが多い。

で、本作といえばシリーズ中一番うまいミスディレクションを絡めた大トリック。某チートグッズの性質を突いたきわめて印象的なもの。ミステリファンならこれを読んでびっくりすること請け合い。過去作での魔法薬材料盗難事件をひっかけたミスディレクションもあるし、シリーズ作品での細かい過去でさえミスディレクションに使ってやろうという仕掛けの妙味が楽しめる。

それだけではなく、本作がシリーズの中での屈曲点に当たることもしっかり意識させる。それまでの3作では「子どもたちの冒険」のカラーが強く出ていたが、本作からはこのシリーズのテーマが「戦後処理」であることが強調されてくる。市民を2つに引き裂く「市民戦争」の後で対立が燻りつつも抑え込まれている世界。そこで「過去の亡霊」が復活して対立が再燃したときに、社会統合は再度可能なのか?という大テーマが扱われることが示唆されてくる。

いや子供向けじゃないな(苦笑)たとえばサラザール・スリザリンの名が、ポルトガルの独裁者サラザールから取られている話もあるわけだ。次の巻からは事実上「内戦」と呼んでいいレベルで話が進行していくわけで、本作はそのプロローグに当たる。

(あと、本作でハーマイオニーが「屋敷しもべ妖精解放戦線」と嘲られるほどの wokeっぷりを披露するあたり、後年のエマ・ワトソンとの対立を予告していたりするなあ...「みんなは、魔法使いとまったく同じように、不幸になる権利があるの!」まさに迷惑でしかない)

No.1390 6点 もっとも危険なゲーム- ギャビン・ライアル 2025/05/02 13:23
大昔に読んだ時って「深夜プラス1」は大好きだったが、本作ってピンとこなかったなあ...で改めて再読。うん、ストーリーラインに余計な雑味が多くて、そこらへんがゴチャゴチャと煩雑になっている。しかしね、改めて読むと本作って「日本人好みだね~」というのも感じる。

天才アマチュア vs 二流のプロの対決!

この時にどっちを応援するのか?というのはかなり国民性が出ると思うんだ。
エンタメの王道はたぶん天才アマチュアだろう。けど日本人ではかなり二流プロを応援するんじゃないかとも思う。
華麗な「閃き」より頑固な「職人技」。
だからこそ本作って「日本人好み」と感じる。

まあ、この互いに好意を持ちあうケアリとホーマーの対決というのも、「善悪」「正邪」の争いではなく「もっとも危険なゲーム」でしかない。こういうライバル関係に日本人って昔から萌えてきた。小次郎vs武蔵、平手造酒vs座頭市、三船vs仲代、旭vs錠...今のマンガにまで繰り返し繰り返し描かれる「ラスボス対決」。
まあだからライアルってナニワブシだね。

(う~んでも、ケアリのワイズクラックは少々うるさい。それよりホーマーの妹アリスの西部女風の自立性が好き)

No.1389 6点 テロリストのパラソル- 藤原伊織 2025/04/30 21:01
達者な小説。よく書けている。

昔買って読んだんだ。しかしどうにも気に入らなくて、すぐに古本屋に叩き売った記憶がある。そんな作品の再読。

どうやら今年は世界的にリベラル崩壊の年になりそうだ。そんな年に現在ではリベラル長老世代に当たる、全共闘の後始末のような本作を読むというのも何かの因縁かな。評者だとその後の「新人類」世代になるから、基本的に全共闘は鬱陶しくて嫌いである。これはもう世代対立みたいなものだなあ。
だから、誤爆事件を起こして逃亡中(でも現在は時効)の主人公が、新宿西口の中央公園での大規模な爆発事件の目撃者となり、それが過去の事件の因縁が絡んでおり...という展開の「ロマン」に反発もしてしまう。でもそれはいいか。

一番「気に入らない」面というのは、本作が「長いお別れ」のプロットを大きくオマージュ的に採用しているあたり。いや、作品としてオマージュするのにはそれほど反発するわけではない。オマージュの部分が大きい作品が、コンペの受賞作になるというのに、評者はどうも抵抗感を抱く。

乱歩賞&直木賞W受賞作として有名なんだけども、選者がどう思って選んだのか、ずっと首をかしげている。
(こういう犯人の経歴って、全共闘崩れ作家のヘンなロマンを反映してか、登場しがちなんだよね...笠井潔にもあるじゃん?評者がシラけてる部分というのも、まさに世代の反映だとも感じる)

No.1388 7点 キュラソー島から来た女- ヤンウィレム・ヴァン・デ・ウェテリンク 2025/04/29 16:02
いいよ、これ。
今となっては埋もれてしまったオランダ産警察小説。警察小説の「事件を介して描かれる人間模様」というあたりに忠実で、しっかり描かれた小説という印象。主人公の漫才コンビのフライプストラ警部補とデ・ヒール巡査部長とがど~でもいいことを、87分署どころではないくらいにずっとずっと喋り続けている。それが、いい。さらに言えばその上司で脚の痛みに悩まされる退職目前の「名無し」の警視がいい味出している。

殺された被害者は、自前の豪華ハウスボートで客を取る高級娼婦。この女はベネズエラの沖合にあるオランダ領植民地キュラソーの出身で、島の呪術師の弟子として魔術を使うという評判の女。警視がこの女の身元をキュラソーまで出張して調査。これが中盤でもなかなかの読みどころ。A.H.Z.カーの「妖術師の島」とかストリブリングの「カリブ諸島の手がかり」を思わせる。

リアリズムが売り物の警察小説にオカルト。コリン・ウィルソンの「スクールガール殺人事件」もそういう設定のわけだが、ミスマッチを狙った面白味が本作でも発揮されている。リアル・現実的に解釈された「呪術」というものの微妙な性質が、リアルに描かれた本作でも発揮されている。たとえばクイーンの大好きな「操り」だって、本質は「呪術」なんだよ。パズラーだったら呪術の曖昧さは許容されないけども、警察小説ではこの曖昧さが作品の幅になりうる。そこらへんも興味深い。

そしてオランダ最北端の島スヒールモニコッホでの、バードウオッチングから展開する銃撃戦の流れなど、意外な展開で楽しませてくれる。アムステルダムの運河に浮かぶ豪華ハウスボート・南米キュラソー島・湿原の島スヒールモニコッホとロケーションの妙もあって飽きさせない。

まあとはいえ「地味」。でもこの地味さがたまらない味わい。拾い物の秀作。

No.1387 7点 異星の客- ロバート・A・ハインライン 2025/04/27 08:43
今でこそ長いエンタメは全然珍しくもないが、70年代くらいまでは「長いと読むのが面倒だし定価が高くなって売れない」こともあって、珍しかったわけだ。そんな中で創元の「自立本」として有名だったのが、「月長石」と本作になる。SF三大作家の一人ハインラインの超大作、「ヒッピーの聖書」とまで呼ばれたサブカル面でも重要な作品。最近X社(旧twitter)のAIが「Grok」と名付けられたわけだけど、この元ネタが本作の火星語「理解する」の意味。

とかいうとビビるよな、うん。

ハインラインというと変に「思想的」だったりするが、その思想というのもアメリカ〜ンなリバタリアニズム風のものだったりするが、しかし本作で描かれる火星人の思想というのは、自他境界の曖昧な「汝は神なり」が象徴的スローガンになるような、汎神論的ななものだったりする。そこはかとなく東洋趣味があり、そういうあたりがヒッピーにウケたわけである。
実践的には全てを共有する共産趣味なコミューン形成とフリーセックスであり、例のマンソン・ファミリーを地で行ったようなもの。実際にマンソンが本作を愛読していたというデマが流れていたくらい(マンソンは文盲に近い)。

まあだけど話自体はハインライン自身の代弁者でもあるスーパーマン的な小説家ジュバルが狂言回し。かつての火星旅行者の生き残りマイク・スミスが火星人に育てられたのが、改めて発見されて地球に帰還。その身は法律上火星の全権利を一手に握るような立場であると捉えられ、地球連邦との間で陰謀が渦巻く。ジュバルとその美女秘書たち、収容された病院の看護婦ジルなどはマイクの立場に立って頑迷固陋で貪欲な地球連邦の鼻をあかす。
しかし、このジュバルの周囲の人々はマイクが持つ「火星人の思想」に徐々に影響を受けていく...流行の宗教フォスタライト(新啓示派)教に誘われたマイクはその最高司教に会いに行くが?

大騒ぎのごちゃ混ぜ感が強い小説。まさに「ヘルタースケルター」かもよ(苦笑)そんな中で読者と作者を代弁するジュバルがパラドキシカルで皮肉な論評を長々と繰り広げるなど、「ガリヴァー旅行記」の現代版といったカラーもある。でも作者自身が前に出過ぎているし、やや散漫な部分も多いなあ。

で「ジーザス・クライスト・スーパースター」がオチになる。変な小説。

(どうもミステリって60年代末〜70年代初頭のアメリカの混乱をちゃんと描けている作品が少ないと思うんだ。SFの方がそこらへんに対処できているとも思う。あと亡くなった方の遺体を食べる、という葬礼習慣が広まらなかったのは、感染症などのリスクが高すぎるのが理由だと思うよ。人間ってのは人間にとって最大の「敵」ということでもあるか)

No.1386 5点 マンハッタンの哀愁- ジョルジュ・シムノン 2025/04/24 18:17
シムノンのメグレ物以外の小説って、本当にバラエティ豊かだからバルザックとかになぞらえられるくらいでもある。河出の「シムノン本格小説集」もその「一端」くらいが覗けるくらいのものと捉えるべきなんだろうけども、結構ミステリ的手法とか趣向があったりもするのだが....本作はどうみてもミステリじゃない。自伝的な恋愛小説(苦笑)ごめん。

シムノンは戦争中に対独協力者の疑惑を持たれて、それもあって戦後すぐにアメリカに渡っている。アメリカで書いた最初の小説の一つが本作だ。だから舞台はタイトルどおりニューヨークのマンハッタン。主人公はシムノン自身を投影した一流半の俳優フランソワ。女優志望の妻を業界に紹介したら妻の方がスーパースターに出世。妻の不倫から結婚を解消し、フランソワは失意の中ハリウッドで一旗あげようとするが、どうもうまくいかずにニューヨークで役探しの日々。こんな中でバーで出会った女、ケイ。

午前三時の女なのだ、ベッドに入る決心がつかず、どんな犠牲を払っても刺激を求める必要があるので、酒を飲み、たばこを吸い、しゃべりまくり、しまいには極度に興奮して、男の腕の中に身を投げるのだ

と形容される30過ぎ、離婚歴のある女性。そのままフランソワはケイと同棲を始める....しかし、ケイが前夫との間に儲けた娘の重病の知らせを受け、ケイはメキシコへ旅立つ。ケイは戻ってくるのか?

全体的には虚無的、といえばそうだけど、ほのかな明るさがある。シムノンがアメリカで出会った女性デニーズと恋愛関係になり、妻とも離婚してという自伝的な内容が反映しているといえばそうだろう。夜の街をケイと共にさまようのが何ともムードがある。原題は「マンハッタンの三つの部屋」という意味だそうだが「マンハッタンの哀愁」でマルセル・カルネが監督して映画になっている。1965年の作品で、主演がルイ・マルの代名詞みたいなモーリス・ロネ。晩年のカルネがヌーヴェルヴァーグに対抗意識を燃やして作ったそうだ。この映画の評がまさに小説の評としてもふさわしいかもしれない。

ほとんどがバーや安宿にいる2人が登場するシーンばかりかな。
酒と煙草燻らすばかりで、かなり退屈なのが正直な感想。

こんな小説。

No.1385 7点 観光旅行- デイヴィッド・イーリイ 2025/04/23 15:57
「奇妙な味」短編名手イーリイだけど、長編もいくつかあって、翻訳のある初期二作はすでに取り上げている。そのほかに翻訳された長編がこれで、これもまあ何というか「奇妙な味」の長編作品ということになるだろう(苦笑)

形式的にはアンブラーの「武器の道」っぽい巻き込まれスパイということになるんだけど、シニカルなテイストからグリーンの「おとなしいアメリカ人」とか「ハバナの男」といった雰囲気もある...さらにはイーリイ自身の代名詞短編である「ヨットクラブ」みたいな話でもあれば、奇抜な状況に反撃して自滅した「蒸発」みたいな雰囲気も。さらには中南米の「バナナ共和国」と自嘲される某国への「観光旅行」ツアーを舞台に、夜間のイグアナの襲撃事件やらカーニバルの乱痴気騒ぎやらが幻想的な筆致で描かれて、マジック・リアリズム風の「一枚フィルターの入った」幻覚的なイメージの連なりで描かれていく。

一応主人公として、観光旅行団の参加者フロレインタンが中心的に描かれるが、その周囲の人々が悪趣味かつ突き放した筆致で描かれて、あたかもブニュエルの映画を見るかのようなシュールだけど現実的な、とでもいったような印象。奇書っぽいカラーも出ているかな。ここらへん奇書っぽくはならないダールと大きく違うあたりだろうか。

でまあ、中盤でバレるから書いちゃうが、この汚職買収が横行する破綻国家バナナ共和国で、軍部とアメリカ政府が結託して、対ゲリラ戦ロボット兵器の実地検証を行おうという計画があり、フロレインタンがこれに巻き込まれることになる...でもさあ、国際謀略小説という雰囲気は少しも出ない。幻想的で不穏な雰囲気のまま話が進み、とんでもない結末が訪れる。

この「観光旅行」自体、意図的に起こしたアクシデントによって、参加者に「冒険」させることで、普通でない「観光」をおこなわせるという、金に飽かせたアメリカの大金持ちの背徳的な「娯楽」として行われているものであり、「ヨットクラブ」とも共通する。そんなアメリカ人の悪気のない悪徳っぷりが、風刺というよりも悪夢的なものとして描かれている。

まあ期待どおりのヘンな小説。

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クリスティ再読さん
ひとこと
大人になってからは、母に「あんたの買ってくる本は難しくて..」となかなか一緒に楽しめる本がなかったのですが、クリスティだけは例外でした。その母も先年亡くなりました。

母の記憶のために...

...
好きな作家
クリスティ、チャンドラー、J=P.マンシェット、ライオネル・デヴィッドスン、小栗虫...
採点傾向
平均点: 6.39点   採点数: 1444件
採点の多い作家(TOP10)
ジョルジュ・シムノン(107)
アガサ・クリスティー(97)
エラリイ・クイーン(49)
ジョン・ディクスン・カー(32)
ロス・マクドナルド(26)
ボアロー&ナルスジャック(26)
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