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クリスティ再読さん
平均点: 6.40点 書評数: 1325件

プロフィール高評価と近い人書評おすすめ

No.1285 6点 黒い塔- P・D・ジェイムズ 2024/09/10 12:51
評者としては狙ったわけではないのだが「学寮祭の夜」の次に「黒い塔」...

イギリス教養派超大作の連続(苦笑)「黒い塔」だって一時的だがポケミス最厚を誇ったわけで、重い暗い長いの三つ揃い作品としてそれなりに有名だったな。出来はもちろん、シルバーダガー受賞。詩人警視ダルグリッシュ「らしい」ポエジーのある作品でもある。

「黒い塔」というタイトルからして禍々しい。クトゥルフか、って思うくらいだが、舞台は身体障碍者の収容施設で次々と起きる不審な死を巡る事件。白血病の誤診から解放されたダルグリッシュが、旧知の神父からの相談の手紙を受けたことから、静養のために施設を訪れる。神父はすでに病死していた。神父の本を遺贈されたダルグリッシュは神父の死に不審の念を抱く...この施設では不審な死が相次いでいた。収容患者が減ったことで所有者はこの施設を閉鎖しようかと苦慮している状態だが、収容患者にもスタッフにもワケアリな過去が顔を覗かせる。さらに施設所有者の祖父がその中で餓死したと伝えられる不吉な「黒い塔」が海岸に聳えたつ....

と雰囲気は「眠りと死は兄弟」とちょっと共通するような、身体障碍者の陰鬱な思いや辺鄙な施設に閉じ込められるスタッフの憂鬱さなどが、強く描かれる小説である。

でもね「学寮祭の夜」より読みやすいよ。セイヤーズだと洒落た感じの省筆が特徴的なので、ぱっと見で意味が分かりづらい時があるけど、ジェイムズだから描写がくどいくらいに丁寧だからね。くどさを嫌がらなければ、断然読みやすい。同じく「文学的」とされるけども、ブンガクの向き具合が逆方向な気もする。

「長いミステリ」。ミステリというものの成り立ちを考えたときに、ある意味「キャラの掘り下げ」がしづらいジャンルでもある。犯人を掘り下げたらバレやすいからね(苦笑)ミステリにはキャラ描写が表面的にならざるを得ない宿命がつきまとう。「学寮祭の夜」ならピーター卿とハリエットの恋愛心理を軸に長さを持たすことができるわけだけど、本作だとこのグルーミーな雰囲気に飲まれるようなダルグリッシュの抒情的資質が「長さ」を持たせるファクターになっているようにも感じる。

まあ「雰囲気ミステリ」といえばそう。最後にルルドへの巡礼に旅立つ一行が、全員事故死したとしても不思議じゃないくらい(そんなことないのだが)。

No.1284 9点 学寮祭の夜- ドロシー・L・セイヤーズ 2024/09/02 17:57
さて、問題の作品である。
ハリエットが卒業したオクスフォードの女子カレッジに出没する悪意の手紙や悪質な悪戯をめぐって、ハリエットが内々に学寮長から調査を依頼される。しかし、その悪戯が度を越すようになり、ハリエットはピーター卿に救援を求める...

そんな話である。そして、この話の結末に、今までピーター卿の求愛を断り続けてきたハリエットは....というわけで、筋立て自体を取り上げたら「女子ミステリ」の典型的な作品、ということにもある。
しかし、セイヤーズだから、そんな甘い小説ではないわけだ。
前作「ナイン・テーラーズ」がセイヤーズの信仰の問題を隠し題に持っていたように、本作ではフェミニズムの文脈でも語られるような、セイヤーズの「女性としての生き方」が問われるかなりシンドイ作品でもある。確かにこれは「ミステリ」ではあるのだが「エンタメ」とは言い難いところにその本質があると思う。

完全に本サイトとは別の私事に関することなのだが、本作のテーマでもある「女学者たち」について、評者はいろいろと苦々しい思いをさせられてきた経緯もある。だから本作の「犯人」による告発の痛烈さに、思いを晴らす気持ちにもなっていた。学園に閑居する連中が、このところのポリコレ騒ぎに関して潮目が変わりつつあり、その無責任さを暴かれて右往左往するのを欣快と感じているところもあるのだ。
「女性とマイノリティのため」を名乗りながら、実はただの内輪のパワーゲームに興じて、結果として当事者を踏み付けにするさまは、評者の中で確かに本作の背景と重ね合わされている。

たしかにセイヤーズをフェミニズムの視点から読むのも有用である。しかし、それ以上に、本作は「フェミニズムへの告発」の「毒」をしっかりと備えている。

まあとはいえ、ハリエットの心理など「ハリネズミのジレンマ」を思わせて、興味深いのだが、事件の真相がこの二人の恋愛に影響(ショックに近いものだろうが)を与えたことだけは間違いない。愛だ恋だではない、結婚というものの宿命めいた重さが、やはり本作の結末に響いている。

No.1283 6点 東海道四谷怪談- 鶴屋南北 2024/08/23 19:52
夏休み納涼番組。日本3大古典ホラーって考えたら、四谷怪談と牡丹燈籠or累ヶ淵は決まりとして、あとなんだろう?雨月から何か取るか、謡曲の鉄輪かなぁ。
(あ〜そういや耳なし芳一があるか。これで決まりか)

でまあ、四谷怪談のオリジナル。義士銘々伝の背景があり、世話物で浪人の貧乏話が続く。有名な伊右衛門とお岩の話を軸に、髪梳きやら隠亡堀の戸板返し、蛇山庵室など超有名シーンが連続する芝居。とはいえ、オリジナルの芝居は仏の喜兵衛とその子の小仏小平の話やら、お岩の妹お袖と与茂七vs直助の救いようがない三角関係話など、感情移入しづらい脇エピソードも多いな。
まあだから、有名な仕掛けがある怪現象の場面は、ビジュアルのショックで押し切るケレン芝居ということにもあるわけだ。そうしてみればこの芝居の真のクライマックスは、お岩が毒を飲まされて、面相が変わった状態で伊右衛門とやり取りする、自分を捨てるDV男との愛憎が暗く燃える場面、ということにもなるんだろうな。そして、その後、髪を梳いて恨み言を述べながら死んでいくあたりは事実上一人芝居になってきて、台本の話というわけではなくなる。

そうしてみると、台本で読むと怖くない(泣)歌舞伎はたとえば孝夫玉三郎で昔やった映像を少し見たけど、玉三郎が髪梳きを一人芝居で延々とやっていて、これが見せ場になってくる。

まあ気を取り直して、名作の誉れ高き中川信夫の映画「東海道四谷怪談」(1959)も納涼ついで。いやこれは江戸の夜の闇の深さを表現した映像美が強く出た作品である。かなり原作は端折っていて、赤穂浪士関連は完全にオミット。原作以上に直助(江見俊太郎)が悪党で、伊右衛門(天知茂)は優柔不断でお岩に対する情もいろいろ覗く。リアルな心理劇としてうまく再構成しているのが素晴らしいよ。

No.1282 6点 ねじれた奴- ミッキー・スピレイン 2024/08/21 17:21
さて復活後マイク・ハマーの異色作として有名なもの。
先行する書評の皆さま方、けっこうバレてる(苦笑)

まあ、バレたくなる気持ちも分かります。

だけども、描き方とかこういうネタのパズラー系作品とニュアンスが違う辺りが面白いなあ。でもクリスティの同系統作(タイトル?)は意外に近いのかも。
ハマーは誰もが文句なしの「ヤンキー気質タフガイ探偵」のわけだから、子供には優しくて懐かれる。本作の焦点の人物は天才少年ラストン14歳。身体的には未熟だから、誘拐されてハマーが体を張って救出。ハマーともワケありな元ストリッパーの女ロキシーを世話係に、ハマーが悪徳刑事から救った運転手を護衛代わりに、と「ハマー・チーム」が何となく出来上がるのが妙に面白い。このラストン君、ハマーと対比したらバットマンに対するロビン。サイドキックっぽくてナイス。

で、この天才少年誘拐事件から始まり、科学者であるその父が女性助手の家におびき出されて殺され、女性助手も失踪...という事件を通じ、その科学者の遺産を狙う甥っ子姪っ子などなどの企みと、この「天才を作る」研究の裏側などクロスオーバーが描かれるわけだ。冒頭で運転手をリンチした悪徳警官にも因果応報を期待してよし。

まあだから、いろいろ内容盛りだくさんで目まぐるしく事件が起きて、ツルツル読める作品でもある。達者に書かれているけども、全体像は取っ散らかっていて、行き当たりばったりなところは否めないな。例によってハマーはいろいろ講釈を垂れるわけだけども、特に本作の訳(佐和誠)だとガラ悪くベランメエなあたりで、講釈の嫌味な部分が出なくて「ハマーってヤンキーだなぁ(苦笑)」といった感じで「ショーモないけども...」と憎めないや。

で、マイク・ハマーと言えば、最後の犯人との直接対決!

なかなかの変化球。こういうの好き。出来の悪い子ほどかわいい、といった感情に揺さぶられる。

No.1281 7点 追いつめる- 生島治郎 2024/08/16 09:45
生島治郎の直木賞受賞作。単身で暴力団に挑む元刑事を描いて、ハードボイルドの導入に強い影響を与えた作品である。この直木賞での松本清張の選評が興味深い。

この作のテーマになった事件の裏側は私も知らないではないので、多少の不満(たとえば組織が描かれてない)もあるが、上質なハードボイルドで、読んで文句なしに面白い。

評者も本作の舞台の神戸に10年以上住んでいたので、山口組と神戸のつながりについてはリアルな「土地勘」みたいなものも感じるんだ。阪神大震災で消滅してしまったが、オシャレな観光都市でない焼け跡闇市の猥雑さを残した神戸の街並みに、山口組の原風景がある。そんな雰囲気をこの小説は活写している。今読むとこの小説の「社会派」のあたりが、ハードボイルド以上に印象深かったりする。

というか、今の人が本作を読んだら「新宿鮫のネタ元」と言われるだろうね。組織に属しているようで属していない一匹狼を主人公にしたハードボイルド警察小説、ということなんだから。結城昌治の真木シリーズがロスマクを日本的な湿度の中に再構築したのとは別口で、チャンドラーのナニワブシ解釈の源流としてやはり本作の歴史的価値は高いことは否定できないよ。
とはいえ、評者の好みから言えば、チャンドラー以上に「語り過ぎる」気はする。斎藤警部さんの引用文にタダ乗りして恐縮だけど、最後の引用文だと「私は扉を閉めた。棺桶の蓋を閉めるときと同じ響きがした。」で終わらせるのが「ハードボイルド」だと思うんだ。まあこれでも十分ロスマクっぽいが。
(余談:主人公側の秘密基地が老舗「トアロード・デリカッセン」なのにニヤニヤしっぱなし)

No.1280 4点 メグレと匿名の密告者- ジョルジュ・シムノン 2024/08/15 15:24
さてお二方が低評価で一致しているメグレ物ラス2作。怖いもの見たさ、みたいな気持ちで今回セレクト。

ヤクザ上がりのレストラン経営者の死体が発見された。シャトーの美術品をごっそり頂く空巣事件と被害者の年若い妻が気になるあたりで、「喪服刑事」ルイが持ち込んだ匿名の密告。この密告はヤンチャなヤクザ兄弟を指していた...

確かに既視感はいろいろあるなあ。メグレ物には暗黒街(ミリュー)が背景にある事件も数多いし、財産狙いの若い妻とか、密告で話が動くあたりとか、今までのメグレ物のモチーフがいろいろ展開されて、飛行機で南仏出張も色を添える。
最終的にはメグレの取り調べがクライマックスに来るわけで、型通りのメグレではあるし、描写もはっとするような生彩があるところもないわけではない。

でもさ、「何やりたかったの?」と言いたくなる話。確かにメグレ物でも「キャラを動かしていると何となく話になってくる」と「手癖」で書いていると思しい作品もあるわけだけど、本作はキャラを動かしても何の化学変化も訪れなくて、そのまんまの話でしかない。充実していた頃はそれでも話になったのだけど、さすがにシムノンの老化をうかがわせることになってしまっているようだ。

それでもリーダビリティがしっかりある、というのは凄いことなのだろうか?

No.1279 5点 黒いアリバイ- ウィリアム・アイリッシュ 2024/08/14 17:03
シリーズ3作目というのは、シリーズを継続するために方向性を定める、一番大事な局面だと思うんだ。「黒衣の花嫁」「黒いカーテン」に続くのがこれ....いや、何かハズしているにも程がある。トンデモ作と呼ばれても仕方ないかも。
確かに「黒シリーズ」で有名なんだけども、ウールリッチがどこまで「シリーズ」を意識していたかって微妙だと思うし、またアイリッシュ・ホープリー名義との差別化ってあってなきがごときにものとも思う。「死者との結婚」とか「暗闇へのワルツ」がウールリッチ名義でいけない理由って、評者はよくわからないや。

で本作、ミステリというよりも、事実上はホラーだと思う。南米の都市に解き放たれた黒豹が次々と巻き起こす惨劇...で、すべて若い女性の被害者視点で語られる「狩り出される者の恐怖」が、小説のメイン。ウールリッチだからそれぞれの女性たち(スラムに住む少女・貴族階級の箱入り娘・人気者の娼婦・アメリカからの観光客)の書き分けもしっかり、不気味な追跡者に怯えつつ逃げ惑う姿をしっかり描いていて、そういう側面だと成功していないわけでもないんだよね。腐っても全盛期のウールリッチの文章なんだもん。でもこの恐怖の感情が小説にテーマになっているわけだから....まあ、ミステリと呼ぶのはちょっとどうよ、というのが評者の評価。

まだからミステリ的な「真相」ってのは、話を収めるための「オチ」みたいなものだから、整合性とかアンフェアとかどうでもいいじゃん?というのが正直なところ。まあウールリッチ、明白にミステリ枠からはみ出す作品を「夜は千の目を持つ」「野生の花嫁」「死はわが踊り手」とか容易に数え上げることもできるわけで、そもそもジャンル感とかシリーズ要素とかあまり意識もしていないのではないのか、なんて思う。

まあ本作からウールリッチを読み出す方もいないと思うけど、そういう人がもしいたら絶対誤解するだろうなあ。いや、「アリバイ崩し」だと思って手に取る本格マニアが?

No.1278 6点 血は冷たく流れる- ロバート・ブロック 2024/08/13 16:51
さてブロックの異色作家短編集。ラヴクラフト直弟子でもあるから、他の巻よりホラー色が強めかな。うん、でも「異色作家」だから、ホラーとはいえ正攻法ではなくて、全然ホラーに見えなくてもオチだけホラーネタ、というのが多い印象。アイデアストーリー色が強い方だろう。技巧派で積極的に仕掛けてくるから、短めの作品にいい印象があるな。
それが駄洒落だったりすると軽く見られるかもしれないが、それでも薄気味悪いダブルミーニングで示されたら、いいじゃないか。それまでのプロセスがしっかりしているから、駄洒落オチも評者はあまり気にならないなあ。「治療」なんて精神科医を表す俗語の Head Shrinker を地でやってみるアホな力技は結構快感があったりしたね。
であとブロックの特徴というと、いわゆる「ハリウッド物」があること。井上雅彦の解説でもクトゥルフ神話と同格にブロックが「ハリウッド神話」をネタにしている、と指摘している。だからこれ、アンガーの「ハリウッド・バビロン」の小説版、といえばいいのか。井上氏は「映画界にただ一人存在する謎の女(ミス・ミステリ)」と称された女優の死とハイプでセンセーショナルな映画宣伝が絡んだ事件を扱った「べッツィーは生きている」をこのハリウッド物の典型作としている(実は最後の一行モノの秀作でもある)けども、ほぼほぼ「サイコ」と同じ世界観で同時期に書かれた「最後の演技」も、モーテルが舞台。このモーテルの主人、自室の壁じゅうに20〜30年代のボードビル界のスターたちの写真を貼りめぐらせて過去に浸る男。泊まった男がメイドとして働くその養女を誘惑するが、その結果は....結構グロ。うんでもさ、この写真の中に

おどろくほどハンサムな二人の男女の写真には「ジョージとグレイシー」と、サインしてある

そうだ。わかるかな、これヴァン・ダインで有名な、グレイシー・アレンとジョージ・バーンズだよね。あと「あの豪勢な墓を掘れ!」がジャズミュージシャンに恋人を取られる男の話を一種の吸血鬼譚として描いているのが面白い。怪異というのはノスタルジックなものなんだよ。

いやだから、ブロックって異色作家としては意外なくらいに長編作と共通する肌合いを感じたりする。本短編集で一番完成度の高いのは「名画」なんだろうけども、逆に言えばこういうのはブロックの個性は抑えめになる。「くじ」とか「おとなしい凶器」とか「レミング」と同じような古典短編だろう。

No.1277 6点 落ちた仮面- アンドリュウ・ガーヴ 2024/08/08 09:05
「ヒルダ」に続く第2作。若書きというのもあって、後年の芸風とは少し違う。

舞台はどうやらカリブ海に浮かぶ英領植民地(現在独立準備中)のようだ。人並さんはイネスを連想したようだが、評者は舞台のつながりで、A.H.Z.カーの「妖術師の島」とか、ストリブリングの「カリブ諸島の手がかり」に近い肌触りを感じた。ましっかりとローカル色を描写してリアルなのは、これもガーヴらしさであるのは確かだ。幕開きがハンセン氏病患者を隔離する島の話で「陰惨な話だと嫌だな~」とは思うが、そんなにこれは突っ込まれないから安心しよう。

で本作で強烈な個性を発揮するのは、この植民地の衛生局局長である。ブルドーザーのような実行力と、聖者のように無私の道徳的規律を誇る男。この植民地の医療に絶大な力をふるうわけだが、シュヴァイツァー博士のように原住民(黒人)のために献身する...でもさ、シュヴァイツァーだって結構人種差別したって話があるようだよ。白人って厄介だなあ。今パリ五輪真っ最中でこんな白人の尊大な差別意識の話題が良く出てるから、困ったものだね。

この植民地都市が「フェスタ」で盛り上がる夜に、いかがわしいクラブで黒人の行政官が刺殺された。この殺人を巡る話で、ガーヴにしては珍しく多くの登場人物の視点を飛び回る構成。ガーヴって一人称だったり、三人称でも視点限定してたりして、読者の感情移入を誘うのが上手なんだが、本作は自由に人物の内面に侵入して語る。

というわけで、これは人並さんもバラしているからバラすけど、一種の倒叙。殺人者の内面をしっかり描いて、だんだんバレていくプロセスを楽しむ話。ガーヴってちょっと「異常」な殺人者を外側から描いてスリルを盛り上げる作家だけど、本作はまだ試行錯誤かな。

で...なんだが、ガーヴと言えばあれ。うん、しっかり最終盤で大爆発。ほとんど「爽快!」とっていいくらいに、素敵。本格的な〇〇で、少しも臆せず犯人と渡り合う。このキャラのファンになりそう(苦笑)

異例の扱いはあるけども、それでも「ガーヴらしさ」はしっかり発揮されている。「ヒルダ」よりずっと素直に資質が花開いていると思う。話に例の要素以外あまりヒネりがないのに、不満な人もいるだろうけど、評者は結構気に入っている。

No.1276 7点 興奮- ディック・フランシス 2024/08/05 16:42
オーストラリアで成功した牧場主、ロークはイギリス競馬界の不正の調査のため、有力者のオクトーバー伯爵に乞われて身を厩務労働者に窶してイギリスの競馬界に潜入する。イギリスでのキャリアの手がかりはオクトーバー家の厩舎からだが、「金になれば何でもやる悪い奴」に偽装して悪人の誘いを待つ身、伯爵の妹娘が誘惑するのをロークは撥ねつけ、妹娘はロークの方が誘惑したと伯爵に吹き込む...

いやね、評者久々に本作読み直して、これって「寒い国から帰ってきたスパイ」と構造が似ているんだよね、と気が付いたんだ。自らが掲げる正義のために、あえて自らの名誉を汚して堕落して....という主人公の「ありかた」が似通っていることになる。「寒い国」は1963年で本作はその2年後1965年の作品。この「堕落」のプロセスにマゾヒスティックな愉しみがあったりするのが、両者に共通する味わいのようにも思うんだよ。
まあ「寒い国」はそういうスパイの姿を描いて、大義と道徳が相対化されるあたりのややブンガク的な狙いがあるんだが、本作では任務を放擲してオーストラリアに戻れば今まで通り、という安全弁があったりもする。こっちがエンタメとしては読者は安心であるには違いない。もちろん危険が迫りハラハラドキドキはあるんだが、大人の冒険として楽しめばいい。
フランシスのこのシリーズって「競馬スリラー」と通称されるわけだけど、「スリラー」というよりも実は「冒険小説」なんだろう。実際、主人公ロークはしっかりと教養もあって、不潔でみすぼらしい身なりを引け目にさせないくらいの人間的な力もあったりするわけで、007以上に貴種流離譚というニュアンスも強く感じる。
イギリス流の「スリラー」ってプロットのアヤに人々が翻弄されるアイロニカルな話、というイメージが評者にはあるんだけども、そういうあたりで主人公が屈せずブレない「冒険小説」との差異化ってあるのではないのだろうか。

No.1275 6点 仮面の男- ボアロー&ナルスジャック 2024/08/02 16:21
そろそろ中期になるあたりのボア&ナル。

食い詰めたヴァイオリニストの主人公は、遺産相続を求めるための替え玉話を依頼されてそれを受ける。南仏の別荘で美貌の妻、その兄、怪しげな話を持ち掛けた使用人と暮らすことになるのだが...

という話だけど、人物紹介が「○○を名乗る男(女)」と書かれているくらいに、この替え玉話はいかにも怪しげ。まあだからヴァイオリニストの手記で綴られる、この替え玉話のプロセスに「何の裏が?」で話を引っ張っていく導入あたりでは、結構ワクワクしながら読み進める。

で、皆さまがご指摘の要約バレの要素があるわけだけど、いやさあ、バレないようにすると、この導入の話からズレていく話だから、何とも評しにくいことにもなる作品なんだ。で、記述がその妻の日記になるあたりから、裏の狙いがバレてきて、転機となる事件があって、それからはこのヴァイオリニストの身を案じつつも秘密に苦悩する妻の話になる。話が当初の見かけからヘンな方向に転がっていく話だったりするんだ。

おいな~打ち明けろよ!って評者思っちゃった。だからあまり話にノレなかったなあ。
あといいのは、マトモな音楽小説だったりするあたり。ヴァイオリニストは不遇だけど、埋もれた天才っぽいあたりが、具体的なレパートリーで描写されてリアルに感じられた。「女魔術師」同様の芸道小説の味わいが小説全体の隠し味になっているようにも思う。

No.1274 7点 ヨットクラブ- デイヴィッド・イーリイ 2024/08/01 18:58
異色作家短編集に第四期があれば、絶対に収録されていた作家といえば、イーリイにとどめを止すのは大方異論のないところだろう。そのくらいに「王道の異色作家」なのだけども、いやそもそも「異色作家」が定義不能なんだから、「王道」とはなんぞや?ということにもなる(苦笑)

実際、作風はかなり多彩。でもそれが既成ジャンルに回収しづらいのが「異色」の「異色」たるあたりかもしれないが、しいていえばSFなのかなあ、と思ったりもするのだよ。確かに「カウントダウン」はロケット打ち上げのまさにカウントダウンを描いてSFチックなんだけども、実のところ身勝手な「完璧な男」をめぐる心理劇のわけだし、「オルガン弾き」なら全自動演奏の新しいオルガンに振り回されるオルガニストの話だから、よくある「魔法使いの弟子」話かと思うと、そういう寓話が狙う教訓とは別なあたりに着地する。「寄宿舎」が「最後の一行」系のよくあるディストピア物なのがどっちか言えば不思議なくらい。

この短編集での白眉は、といえば「ヨットクラブ」と「タイムアウト」だろうな。まあとくに「ヨットクラブ」は、「異色作家」がやってのける「批判を許さない完璧な作品」というべきもの。ダールなら「おとなしい凶器」、エリンなら「特別料理」、マシスンなら「レミング」、ジャクスンなら「くじ」あたりと同等の作品。でも評者はどっちかいえば「タイムアウト」がお気に入り。

「タイムアウト」は偶発核事故でイギリスが消滅し、その責任を感じた米露がもともとのあるがままのイギリスを再建する話。その作業に携わる歴史学者の話だが、「歴史における真実」って何か、を巡ってSF的考察がなされる。これがパラドキシカルだけど、なかなか腑に落ちる深い話。いやさたとえば「徳川家康が実在したことを客観的な証拠を挙げて証明せよ!」と課題が出たとして、これを「どうやるか?」とかテツガク的に考えたら夜眠れなくなるよ(苦笑)。こんなことを連想するような考え落ち系の話なんだが、イーリイの一番得意なのはこの手の「考え落ち」っぽいあたりではないかな。「カウントダウン」「夜の客」「日曜の礼拝が済んでから」あたり、結末をわざと示さないやり方を多用されているしね。

そしてこの「考え落ち」で既成のジャンル感をしっかりと食い破るのが、イーリイの持ち味なんだと思う。

No.1273 7点 血みどろ砂絵- 都筑道夫 2024/07/27 12:25
なめくじ長屋第一作。
半七ならば本当に江戸人の精神性を感じさせる「ミステリ」として空前絶後の捕物帖なのだけども、現代人に対して「捕物帖」の存在意義をどう示すのか、というのはなかなか困難な課題なのだ。これを作者が強く意識しているのが一番面白いところだと思う。
だからこそ、というか、砂絵描きのセンセ―を筆頭とするなめくじ長屋の面々は、江戸の身分制度の「列外の人々」になる。これには江戸人らしさを度外視してモダンなキャラとして造型してもいい、という作者の開き直りみたいなものを感じる。そうしてみれば意外なくらいにこのシリーズの味わいはモダンなものなのだ。しかしこの「狙ったレトロ」は、現代の科学捜査から見ればいろいろ無理もある、ケレンに満ちた不可能興味を実現するための仕掛でもある。この作者の狙いをまず楽しんでみよう。
センセ―が展開するパズラー的な論理も見どころだが、さらに言えばなめくじ長屋の面々が出動するのは自分たちの利益のためでもあり、この面々の各々の「芸」を生かした活躍っぷりにグルーバーを連想するような軽ハードボイルドの面白味も感じられる。
評者は意外なくらいに多面的な作品集だとも思うのだ。作者の江戸弁や江戸の地誌に対する強いこだわりも感じられて、異形ながら「捕物帖」入門編にいいシリーズなのかもしれないね。
個人的にはハードボイルドな味わいが出ている「いのしし屋敷」が好き。センセ―なかなかカッコイイ。
(今回は角川文庫版。挿絵が山藤章二で戯作っぽい面白味が出てる。)

No.1272 6点 ニコラス街の鍵- スタンリイ・エリン 2024/07/17 15:02
たとえばクリスティの「無実はさいなむ」とか「ねじれた家」と共通する、ミステリの形式で家族の崩壊を描く作品である。評者ここらへんが大好きだから、かなり面白く読んだ。この家族(+メイド)のそれぞれの視点から、隣人が殺された事件が叙述されていくという「狙った」叙述形式だったりする。そこらへんがエリンの「技巧派」の本領発揮と言えるだろう。「死の接吻」とかと同じ時代なんだよね。レヴィンと同様の編集的なセンスの良さが発揮されている。

ニューヨークから少し離れた平穏な地方都市。夫婦とすでに成人した娘(新米教師)、息子(学生?クラオタ)の家族と、ハリウッドに憧れるメイド。隣家にはニューヨークから奔放な女流画家が住み着き両家は平和な交際を続けていた。そこに画家を追いかけてNYから移住した無遠慮な青年が登場し、この青年は隣家の娘と恋をする...この青年がなかなかのクセ者で、だけど女性から見たらワイルドさがカッコいいタイプ。だから母親は猛反対...こんな状況でこの隣人の女流画家が事故死する。しかし、その死に警察署長は疑惑を抱く。どうやらこの状況に至った経緯から、両家の「鍵」が微妙な役割を?

パズラー風の話だが、それ以上に「家族の物語」の色合いが強い。パズラー的な真相は大したものではないが、人間の出入りに関して綿密に書かれていたりして、落ち着いた、リアルなミステリという面では納得はいく。それでも小粒な話で、技巧派エリンが自分の腕を示すために、あえて地味な話を選んだのかの印象。もちろんキャラの描写のリアルさや心理のツッコミ具合など、十分堪能できる内容だ。

No.1271 5点 13のショック- リチャード・マシスン 2024/07/15 18:33
マシスンというと、評者は吸血鬼モノの短編「血の末裔」が大好きだったりする。芸風の広い作家ではあるのだが、この短編集を読んだ印象だと、短編だと「達者さ」が目立つタイプだなあ。器用でよくできている、とは思う。しかし、それ以上のこだわりみたいなものは伝わってこなかった。異色短編って器用なだけでは意外にダメなジャンルなのかもしれない。アタマを使って書く以上の、何かプロットから滲み出る作家の体臭みたいなもの、逆説かもしれないがそんなものに惹かれているかなあ、などとも感じながら読んでいた。

いや出来は否定できないものがあるな。「レミング」とか古典的な出来栄えだと思う。一発ネタだけど、過不足なく語り切っている。強いて言えばマシスンらしさって、不条理な悪意みたいなものかもしれないが、児童虐待を描いて陰惨な「顔」とか、隣人間での不和の種を撒く男を描いた「種まく男」とかに、ダーク不条理劇みたいな味わいがあるか。

とはいえ、ケーハクなタッチでロサンジェルスがアメリカを「侵略」する「忍びよる恐怖」とか、馬鹿馬鹿しいといえばそうだけども、意外に今ポリコレとかでこんなネタ書いたらウケるのかしら?

いやいや、ある意味「表面的」であるところに、マシスンの持ち味があるのかもしれない。なんか意外である。

No.1270 6点 重罪裁判所のメグレ- ジョルジュ・シムノン 2024/07/13 17:26
まあ確かに意外性とかないんだけどもねえ。
しかし、この小説は「ミステリ」として見たときには、かなりの破格があるようにも感じるんだ。

メグレは自分が捜査した二重殺人の被告の証言のために、重罪裁判所に赴いた。重要な物証はある。動機もある。でも...メグレは疑問を隠すことができずに、被告の額縁職人ムーランに有利な証言をする。はたして裁判は証拠不十分で無罪。メグレは関係者の動向に注目し続ける...

こんな話。いや無罪をメグレが証明する話ではなくて、裁判後の額縁職人のムーランにスポットを当てて描くという、「ミステリの書法」を意図的に無視したような書き方の小説になるんだ。まあもちろん、捜査としてどうよ、というような批判はあるのかもしれないけど、そういう辺りを含めて「メグレ」なんだよね、とも感じる。

いやかなり「ヘンなミステリ」をそう感じさせずに読ませるシムノンの筆の達者さというものが、批判を許さないレベルに達しているということなのかもしれないや。

No.1269 5点 おとり- ドロシー・ユーナック 2024/07/02 12:15
評者間違って「クリスティ・オハラ(O'Hara)」と憶えてた...ニューヨークの婦人警官って言うんなら、アイルランド系だろ、って決めつけてたんだな。ホントは「オパラ(Opara)」で、本人はギリシャとスウェーデンのハーフ、殉職した警官の夫の姓でこれはチェコ系、義母ノラと同居でこのノラがアイリッシュ。エスニック面でかなりややこしい。

さらに言うと婦警さんとはいえ、87みたいな所轄署ではなく、地方検事局特別捜査班という地方検事直属の手駒みたいな立場だ。だからボスのDA、ケイシー・リアダンとの人的関係が密接....今回の事件では大学でのLSD取引を摘発のための潜入捜査を、地下鉄で見かけた変質者逮捕で棒に振ったオパラがこのリアダン検事にドヤされる、のが幕開け。間奏曲的な事件を挟むわけだが、それに駆り出されるオパラとしては、タダの組織の歯車的な仕事が続いてモヤモヤしたりもする....でもね、オパラの家に毎夜かかってくる不審な男からの電話をきっかけに、オパラは重大な事件の関連に気づく。
オパラはリアダン検事に報告して、自ら「おとり」の役目を買って出る...

こんな話。手堅い警察小説で、重厚というか、心理描写が細かくて比較的「ブンガク」系の読み心地の小説。まだから謎解き的な興味はない。筆致もマクベインみたいな洒落たところはなくて生真面目、訳文もやや生硬。「地味系警察小説」と言えばまさにそうで、この頂点がこの人「法と秩序」なんだなあ。

(ややバレ)
犯人逮捕からポケミスで30ページほどあって、これが「おとり」を演じたオパラのPTSDのエピソード。それをきっかけにぐっと近づくボスとの関係..オパラ三部作って言われるけど、リアダン検事との成り行きが気になる、といえば気になる。

No.1268 5点 茜雲の渦- 黒岩重吾 2024/06/29 12:55
昭和の怪物作家の一角であることは言うまでもない。この本だと1976年刊行で、この頃は月刊黒岩重吾か!ってなるくらいの出版点数が出ているよ。膨大な原稿を超特急で書き飛ばしたわけで、悪筆四天王の一人として編集者を泣かせたことでも有名だね。

でなんで評者今回この本やる気になったのか、というと、子供の頃にこのカッパブックスを見て、すごく「怖い・不吉...」という強い印象があったんだ。神経質な子供でごめん、と今更ながら親に謝りたくなる(苦笑) タイトルの通り、茜色の落日模様に、カクテルグラスに車のキー、椅子がシルエットで抜かれているカバーだ。これがなんか怖くてね....まあそんな記憶があることから、実際どんな内容なんだろう?という興味で取り上げた。

香鶴はスズ商事の社長秘書を務めながら、社長の鈴川に囲われていた。ある日社を訪れた暗い精悍さを備えた男、東野の執拗な視線に気づく。自分を知るらしいこの男の来訪目的を鈴川社長に尋ねるが、香鶴ははぐらかされる....鈴川は何か弱みを握られているらしい。香鶴が持つ独特のセックスアピールから、数多い男が香鶴を通り過ぎ、中には不穏な事件もいくつも。そんな日々に疲れた香鶴は鈴川社長に囲われる身に甘んじていた。鈴川の過去と社内での内部抗争が絡み、苛立つ鈴川は香鶴に暴力を振るうようになる。香鶴は鈴川にも遺恨がある東野に恋し、鈴川に反撃する....

まあこんな設定。で、中盤以降には殺人事件もあり、幕切では真犯人の自白・逮捕もあるから、かたちの上ではミステリ。だけどねえ、読んだ印象はそういうものではないなあ。風俗小説、というかハーレクイン(苦笑)。いやヒロインの男遍歴が詳細で、ヒーローの東野にそういう魅力がしっかりとあって、描けているから、ダークだけどもハーレクインの役目は果たせるよ。濡れ場描写もけしてアザトくはないから、女性読者を意識しているのかな。

で、このタイトル「茜雲の渦」はそんなヒロインの性的欲求のドロドロを自身で喩えたもの。このヒロイン、男に脇腹をナイフで刺されるとか、硫酸をかけられるとか、無理心中で車で海に飛び込まれるとか、事件前の経歴でも凄まじい。付き合う男が皆不幸な目にあう、というのを自覚して、「安定した二号生活」を選んだつもりだった....ってさあ、男に置き換えたら「かつては裏社会で悪名を馳せた主人公は、今は過去を隠して平穏な日々を送っていた」とかの女性版のわけだよ。昭和ってさあ、男も女もアツく生きてたなぁ...

そんな話だけど、一応ハッピーエンド。これもハーレクインの必須項目。剛腕だけど意外なくらいソツはなく、乗って読めるエンタメであることは間違いない。

No.1267 6点 お・それ・みを 怪奇探偵小説名作選(3)水谷準集- 水谷準 2024/06/28 10:17
昔から水谷準の作品というと、アンソロで楽しませてもらっていたのだが、まとまった個人集としてあらためて読んでみた。このちくま文庫版なら、アンソロ定番作品ももれなく収録していて、懐かしい...となることもしばしば。どうやら著者は戦後の一時期が過ぎたら推理作家引退を決め込んで、作品集を出すことを拒んでいたと解説にある。まあそれでも、アンソロには収録され続けていたから、評者にも親しみがあったわけだ。驚くことに亡くなったのは、21世紀に入ってから(2001年)、晩年はゴルフに関する著作ばっかりだが、1990年代までゴルフの著述があるようだ。

でまあ、やはりアンソロによく収録される作品には、収録されるだけの理由があることもよくわかる。城昌幸と似たタイプの幻想・ユーモア・ロマンの短編作家だが、城ほどには高踏的な散文詩っぽさはなくて、モーリス・ルヴェル風の奇譚作家という立ち位置。初期なんてかなりルヴェルの影響が強いと思うよ。さらに城と同様に強いポオの影響が見えるが、怪奇色よりもロマン味が優るという持ち味。この路線での大成功作はいうまでもなく気球による成層圏の奥津城を描いた「お・それ・みお」。有名カンツォーネを取り合わせたことで味わいが深まっている。
そして「恋人を喰べる話」も死体処理ネタ(無花実で苦笑)でインパクトが強いし、ルヴェルの「或る精神異常者」を本歌取りした「空で唄う男の話」など、戦前の代表作というとこのロマンの味わいでインパクトのあるショートショート規模の作品が多い。アイデアストーリーが主戦場だ。
とはいえ、やや長い作品「胡桃園の青白き番人」はロマン路線の集大成。幼少期の記憶を重ね合わせたもので、意外なオチも備えているから、「ミステリ」と銘打ったらこの作品になるのかな。「司馬家崩壊」は形の上では王道ミステリになるけど、パロディ色が強くて、しかも雄大な暗号もの、という奇抜な話。かなり変なインパクトがある。

戦後となると一転して、微妙な心理主義の話になってくる。「ミステリ」に対するこだわりみたいなものは薄くて、心理主義ホラーといった方がいい作品も多い。愚連隊の決闘事件の意外な罠を描いてクラブ賞を得た「ある決闘」は、かなりミステリ色が強い方。事件としては弱いが、車椅子の観察者という魅力的な名探偵を作り出した「カナカナ姫」がミステリとしては一番いいのかなあ。「東方のビーナス」とか「魔女マレーザ」とかホラー幻想譚だしね。
一番長い「悪魔の誕生」も異常心理のリアリティは薄いけど、ストーリー・テラーとしての腕は楽しめる。そういえば詩人の「関昌平」って風貌からして城昌幸でしょう。

というわけで、長らくの宿題をし終わったような心持ち。断片的にしか触れてなかった作家について、全貌みたいに把握できて満足。

No.1266 8点 恐怖の冥路- コーネル・ウールリッチ 2024/06/25 11:02
ウールリッチの場合、パルピィなスピード感と詠嘆の間でのバランスがホントに大事なことなんだと感じてる。黒シリーズ最後(ちょっと時間を置いて書かれてもいる)の「喪服のランデブー」だと詠嘆が勝り過ぎて、それが鬱陶しいという逆効果に思えたのだけど、その前の黒シリーズを連打していた時期の最終作にあたる本作、このバランス感が一番いい作品だとも思う。

スピード感だけだと安っぽいし、詠嘆だけだと話が止まってしまって鬱屈の中で立ち往生してしまう....だからこのさじ加減が本当に大事なのだけど、なかなかウールリッチ自身でもこのバランスをうまく実現できた例は少ないようにも感じるんだ。人妻との逃避行とその愛する女を殺された容疑が自分にかかった男。ハバナの貧民街での逃走劇。男は冤罪を晴らすべく証拠を探す...そして甘美なる復讐。

いやいや、ウールリッチのフルコースじゃないのかな。そして主人公をサポートするこの貧民街の「葉巻娘」メディア・ノーチェ。警察を恨む豪快な女傑っぷりがナイス。でも事実上警察に殺された男のために「墓場の花」という譬えを使って、主人公の喪失感にも寄り添うし、また別れっぷりも見事。ちょっとシビれるような情感があるなあ。

そして、やはり主人公が愛する女が殺されるシーンが素晴らしい。ぐっと作中世界に引き込まれる素晴らしいツカミ。

スコッティ、あたしに代わって、あたしの飲物を飲んでちょうだい。まだ、その上に残っているはずだから。そして、グラスを床に投げつけて割ってちょうだい。あたしの門出を祝って。

確かにこれはリアルとは対極の描写には違いない。しかしこの作為にウールリッチのロマンが燃焼する。

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クリスティ再読さん
ひとこと
大人になってからは、母に「あんたの買ってくる本は難しくて..」となかなか一緒に楽しめる本がなかったのですが、クリスティだけは例外でした。その母も先年亡くなりました。

母の記憶のために...

...
好きな作家
クリスティ、チャンドラー、J=P.マンシェット、ライオネル・デヴィッドスン、小栗虫...
採点傾向
平均点: 6.40点   採点数: 1325件
採点の多い作家(TOP10)
ジョルジュ・シムノン(98)
アガサ・クリスティー(97)
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