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[ 冒険/スリラー/スパイ小説 ]
影の巡礼者
ジョージ・スマイリーシリーズ
ジョン・ル・カレ 出版月: 1991年12月 平均: 6.50点 書評数: 2件

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早川書房
1991年12月

早川書房
1997年08月

No.2 7点 Tetchy 2025/12/19 00:51
ジョージ・スマイリー再び!
スマイリー三部作以来の登場である。
あのソ連の情報部のボス、カーラとの戦いに終止符を打ったことで、彼の諜報世界から引退していたと思われたが、本書の冒頭でトビー・エスタヘイスの口を通じて伝わる彼の現状はモスクワ・センターとサーカスの代表で構成されている作業委員会、漁業権委員会を主宰している。それは双方に関心のある情報目標を確認して、それを分かち合うシステムを作り出す仕事をしているのだ。

またもう1人の主人公がネッド。
前作『ロシア・ハウス』で英国情報部のロシア担当部門ロシア・ハウスのチーフだった男で、イギリスの出版社の社主バーリー・ブレアに持ち込まれたソ連の軍事機密のノートを巡るCIAとの駆け引きで敗れた上に、ブレア本人にも失踪される失態を犯し、本書では英国情報部新人研修所、通称サラットのチーフとなっている。

私が読んだのはハードカバー版だが、不思議なことに本の内容を紹介する粗筋がなく、代わりに発表当時の賛辞が書かれているだけ。疑問に思って読んでみるとその意味が判った。

これはスマイリーの講演を通じながらネッドがこれまでのキャリアで遭遇した様々なスパイの話を重ねる、連作短編集のような物語だからだ。だからこそ粗筋はないのだと理解した。

とにかく様々なスパイや諜報の世界に携わった者の姿がここにはある。

将来を有望視されながら最初の任務で失敗し、そのまま失踪してしまった者。
殺された父親の仇を討ちたいという片田舎の娘の思いを汲み取って拾った娘がソ連のスパイだった男。
15年間も英国情報部のジョーとして雇われた男は米国を欺き続けたショーマンであった。
スパイを狩る側にいた男はほとほと毎日に嫌気が差して自分から英国のスパイになることを望む。彼はそこに新たな生きがいを求めるかのように。
かつて英国で重宝されたスパイは自身が任務のために行っていた非人道的行為を悔い、遠き東南アジアの地で手に入れた娘に罵倒されながらも監禁の日々を送る。それこそが自身の贖罪と云わんばかりに。
息子をソ連で惨殺された男は孤独な日々を唯一の趣味オペラで癒していたが、彼の趣味を共有できる友人を得たことでその男がソ連側の人間と知りつつも情報を漏らす。

これらの物語を読むとスマイリーが研修生たちに語った言葉が痛切に響く。
即ち情報部員として旬なのは一番最初の任務なのだと。それはまだ世界に顔が知られていないからだ。
そして経験を積んだ時はどこにやるにしても職業表示札をぶら下げているようなものだと説く。つまり今回彼が語り、ネッドが思いを馳せたスパイたちはいわば引き際を間違えた出涸らし達だったのだ。

しかしジョージ・スマイリーの存在感の大きさを今回実感した。
彼が登場することでなんと物語が深みを増すことか。
それは彼があまりに諜報の世界に長く身を置き過ぎたからかもしれない。その分の重みが文章に現れている。

スマイリーとネッドというベテラン情報部員の回想録という形で世界の情勢を見せてくれたル・カレの結末はソ連の改革は一過性の物で再び牙を剥いてくるという警告と、戦争が武器商人の金稼ぎの場になってきている人間性が失われた戦いへと変わりつつあることを警告して結ばれる。

ソ連が西側に歩み寄った時代、1990年に書かれた本書におけるル・カレの世の中を見る目は上に書いたように冷徹だが、それを証明するかのように30年以上経った今、当の旧ソ連、ロシアが戦争を起こしている事実を考えるとル・カレの先見の明を褒めたたえるべきなのか、それともロシアの変わらぬ愚かさを嘆くべきなのか。

なんとも遣る瀬無い読後感であった。

No.1 6点 クリスティ再読 2022/04/14 13:30
ベルリンの壁が崩れたら、スパイもスパイ小説も一気に日陰の身に落ちぶれた...まあ、実際そうだし、そうするとル・カレのような作家も「今後どうするか?」が難しい問題になるわけでもある。本作は壁崩壊後の状況をスマイリー引退後のスパイ養成所での特別講義(それに「ロシア・ハウス」に登場するネッドの引退も)にひっかけて、新人養成所での「今後のスパイの心得」講義の形式で小ネタを披露する短編集(大体11話収録)。ネタは小規模なものが多いから、雰囲気はル・カレ版「アシェンデン」。

なので、ヘヴィなネタの場合には、ツッコミが不十分かな...なんて思う話もある反面、小ネタの話は切れ味がよくて楽しめたりもする。ル・カレってオーソドックスな小説作法は上手だから、「息子の秘密活動の成果は?」と退役軍人の父がスマイリーに尋ねる話とか、なかなかイイ人情話に仕上がってたりもする。
まあ、短編での切れ味を云々するつもりなら、やはりル・カレお得意の「スパイ官僚」直球ネタよりも、アシュンデン的な「斜めから見たアイロニカルな話」の方が、出来がいいに決まってる。「実は馬鹿馬鹿しい話」というのが短編だと生きるのである。アラブの王族の妻の買い物を監視する話とか、教授とラッツィの漫才コンビの話とか、変人の暗号係への誘惑の話(これはやや長い)とそういうのが、いい。
逆に明らかに力が入っている、ネッドと兄弟のように訓練を受けたベンの職場放棄の話やら、クメール・ルージュの地獄を切り抜けたハンセンの話とか、もう少しツッコめるのでは...なんて思う。
たとえば、ベンの父は第二次大戦の暗号解読で業績を上げて、で、このベンの職場放棄にはネッドに対する同性愛感情が下地にある。フィルビー事件にも同性愛関係が使われていたわけだけども、暗号解読となるとやはりどうしてもアラン・チューリングの一件を連想する。チューリングが自殺に追い込まれたのは、ケンブリッジ・ファイヴの二重スパイ事件で風当たりが強くなって..とかいう事情があるようだ。アンブラー・グリーン・フィルビー・フレミングの世代の、左翼思想と同性愛を巡る問題というのは、世代論とからめてなかなかややこしい問題もありそうだ。でもル・カレの本作はまあ、そういうことは突っ込めない。あまり上の世代への理解がないんじゃないのかなあ(ティンカー・テイラーでも同性愛の件はツッコめてないし)。
ちなみに、スマイリーの初期設定もこの世代(1900年代生まれ)だったのだが、三部作あたりでこれが10年ほど繰り下げられたようでもある。まあそうじゃないと、本作の講義時点でのスマイリーの年齢が80歳を超えてしまう。「スクールボーイ閣下」がベトナム戦争終結を背景にしているから、この時70歳なら定年とか言わなくても、スパイ機関のトップだと激務過ぎるからねえ。
で、クメール・ルージュの地獄を生き延びたハンセンの話は、「地獄の黙示録」とか「ディア・ハンター」みたいなハリウッドのシリアス文芸系に通ずるものが大きいように感じる。アジアの論理に飲み込まれる西洋人、と秘境小説の一種みたいに捉えているようにも感じるのだ。これって悪い意味でのオリエンタリズムみたいに評者は思うのだが、いかがだろうか?(ちなみにベトナムをソ連が支持したことから、英米はクメール・ルージュを支持しているんだよ....いやいや、スマイリーの手だって、汚れてるさ)

スパイ小説と言っても、たとえばアンブラーだったら冷戦に依存する部分がほとんどないから、ソ連が崩壊しても作品にも困るようなこともなかったのだろうけども、ル・カレのスパイ小説はやはり冷戦に依存する部分が極めて大きいように思う。スマイリーも「老兵は死なず、ただ消えゆくのみ」でもあろう。(そのつもりだったんだろうけども、「スパイたちの遺産」で再登場してミソつけちゃったようだね)


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