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[ 冒険/スリラー/スパイ小説 ]
リトル・ドラマー・ガール
ジョン・ル・カレ 出版月: 1983年11月 平均: 8.00点 書評数: 2件

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早川書房
1983年11月

早川書房
1991年12月

早川書房
2015年08月

No.2 8点 Tetchy 2025/06/22 01:10
イスラエル人とパレスチナ人との闘いはハンムラビ法典の復讐法の有名な言葉“目には目を、歯には歯を”そのままの歴史だ。いわゆるシオニストと呼ばれるユダヤ人がパレスチナへの移住をはじめ、1948年にイスラエルの独立を宣言してから、盗った盗られたの恨みつらみの戦いを繰り返している。
パレスチナにしてみればイスラエルはシオニスト運動を掲げて自分たちの祖先の地としてパレスチナに押し入り、勝手に国を作って領土を分捕った盗賊である。そのために彼らの民族は国外に追放され、難民になることを強いられた被害者である。
一方イスラエルもまたユダヤ人の国で彼らも迫害の歴史を積み重ねた民族である。彼らはどの国、文化でも順応でき、更に商才に優れていることから移民先でも成功する傾向にあるが、第二次大戦ではドイツのナチスの標的となって大量虐殺され、その犠牲者数は600万にも上ると云われている。
この世界で虐げられた歴史を持つ2つの民族の闘争、即ちイスラエル・パレスチナ問題はエスピオナージ作家ル・カレとしては決して避けられない題材であったのだろう。

さてそんなイスラエルとパレスチナの闘争にル・カレはとても魅力ある設定を持ち込んだ。それはイギリス人女優をスパイとして仕立て上げ、パレスチナに潜入させ、テロリストのボスの居所を突き止め、殲滅させるというものだ。
スパイとはその国の文化や風習を頭と身体に叩き込み、生活に溶け込み、そして発覚しないように重要な情報を自国に漏洩させる職業である。つまり本当の自分を偽って、24時間、自分ではない他人を演じなければならない過酷な職業である。ではそれを演技を職業とする俳優にさせればいいではないかと、至極当たり前な発想から来ているのだが、この誰も思い付きそうで思い付かなかった設定を持ち込んで一流のスパイ小説を紡いでいるのがル・カレの着想の凄いところだ。

アラブ人テロリスト、ハリールの居所を突き止め、制裁を加えると云うのが物語の本筋である。その居所を突き止めるためにイスラエル側が放つのがイギリス人女優チャーリィである。
設定としては実に面白いが、正直乱暴な話である。彼らが白羽の矢を立てるのはユダヤ人でもない、イギリスの売れていない女優である。
そしてイスラエル情報機関の審美眼が正しかったこと証明するかのように選ばれたチャーリィは素晴らしい演技力と記憶力を備えた女優であることが次第に判ってくる。

私が感心したのはル・カレはしかし決して一方の立場に立って物語を描いていないことだ。彼はイスラエル側もパレスチナ側双方の立場の物語を描く。実にフェアだ。
例えば今回主人公のチャーリィ側のイスラエルも決して彼らの正義が正しいことではないと読み進むうちに気付かされる。
一方敵側のパレスチナ・コマンドのキャンプに行ったチャーリィの日常を描くことで彼らの窮状も判明する。
年端の行かない子供たちも武器を持ち、戦闘の場に立つ。彼らもまた次に会えるか解らないと、そんな年齢で自分たちの人生が先行き短いことを悟っているかのように。

作戦の成功に大いに貢献したチャーリィは莫大な報酬を得たが、それによって喪う物も大きかった。
彼女はもはや演じることが出来なくなったのだ。ジョゼフがハリールを撃った時、彼女もまたその時に死んだのだから。女優である彼女はそこで亡くなったのだ。なぜなら彼女は命を賭けた一世一代の演技をしたためにもう演じることが出来なくなっていたのだ。
長い心神喪失と情緒不安定を経て、悲劇の役どころばかりをオファーされたが、演技の途中で感情が崩れてしまうのだ。それはイスラエルとパレスチナの過酷な状況下に長く置かれたために西側の平穏な社会に適応するのが難しくなってしまったのだ。

目には目を、歯には歯を。冒頭にも書いたがイスラエルとパレスチナの戦いはまさにこれに尽きる。やったらやり返す。しかも徹底的に、容赦なく。
そのいずれもが血を血で洗う復讐を行うがために連鎖が止まらない。テロを受けたイスラエルが行った復讐もまた同じテロ行為である。
「世界で最も手に負えない紛争」と呼ばれるこの2者の戦いは世界の歴史に学ばない者たちの争いの歴史だ。話し合いで解決しようとしない2者を愚かに思うだろう。しかしそれが彼らの性(さが)なのだ。

No.1 8点 2024/05/25 23:45
ル・カレがスマイリー3部作の後、1983年に発表した本作で扱われているのは、最近も問題になっている、中東、イスラエル-パレスチナの紛争です。タイトルが、主役の女優チャーリイ(本名チャーミアン)のことであるのはわかりますが、Little Drummer が何を意味しているのかは、ちょっと調べてみた限りでは不明です。
文庫本で800ページもある本作、ドイツでのユダヤ人を狙った爆弾テロ事件から始まり、チャーリイが登場するのは80ページぐらいしてからです。その後、イスラエルの情報機関により、彼女はアラブのテロリストをおびきだす囮のスパイとしての架空の人格を付与されていくことになりますが、これがやたら緻密にじっくり描かれていきます。やっとチャーリイにアラブのテロリストたちが接触してくるのは、全体の6割を超えてからで、後はスリリングな展開。重厚長大エスピオナージュの傑作です。


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