麝香福郎さんの登録情報 | |
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平均点:6.68点 | 書評数:82件 |
No.62 | 8点 | 煉獄の時 笠井潔 |
(2024/07/25 20:56登録) ポーのデュパンものの有名な短編を彷彿させる手紙消失の謎を含む時空を超えた三つの謎にカケルが挑む本書は、全十六章のうち、中盤に置かれた六章分の過去編をカケルたちの活躍する現在編が挟むという重層的な構成を備えている。 消失という現象の本質を「対象に転移した自己消失の可能性」と直観し、手紙と首にまつわる三つの消失事件の謎を解き明かしていくカケルの推理は圧巻の一言。とりわけカケルが謎解きの佳境で提起する「二十世紀の消失現象に生じている固有の偏差」としての「奪われる消失」と「消える消失」という対概念はシリーズの読者ならば注目せざるを得ないだろう。 |
No.61 | 6点 | 朱色の化身 塩田武士 |
(2024/07/04 21:27登録) 温泉街で育った珠緒は、男女雇用機会均等法施工直後の銀行に総合職で入り勤めたものの、京都の老舗和菓子店に嫁ぐため退行。後にはゲームクリエイターとしてヒットを放っていた。男女差別が残る業界で頑張っていた彼女の寿退職や、銀行とゲームという業種の硬軟からすると、進歩的なのか保守的なのか価値感がよくわからない。得た事実が増えても、なかなか像を結ばない。だが、大路は生活史を掘り起こし、彼女の隠された真実に迫っていく。 作者の丹念な取材に裏打ちされたディテールが、作中世界に迫真性を与えている。大学時代に冷戦と資本主義に関する優れたレポートを書いたという珠緒は、大局的な視野を持つ一方、身近な人間関係にがんじがらめになっていた。前半で人物像がはっきりしなかったのも、社会の矛盾、家族の歪みを彼女が引き受けながら生きたためだろう。本作では取材における個の尊重が一つのテーマになっているが、個がどのように存在するのか、よく表現した物語だ。 |
No.60 | 7点 | サーキット・スイッチャー 安野貴博 |
(2024/06/14 21:31登録) 便利でより安全な車社会の到来は同時に、タクシーやトラック運転手などの雇用を激減させ、職を奪われた者たちが連日「自動運転反対」のデモを繰り広げていた。この完全自動運転アルゴリズムの開発者であり、スタートアップ企業の代表でもある坂本は、仕事場として使っている自動運転車で走行中、何者かの襲撃を受ける。車中では拘束された坂本が意識を取り戻すと、そこにはムカッラフと名乗る男の姿が。 車をジャックしたムカッラフは首都高へ向かい、車中からの動画配信を開始。高速道路の封鎖を要求し、さらに半径二メートル以内への接近、時速九十キロを下回る走行、動画配信の停止、いずれかでプラスチック爆弾が自動的に爆発する仕掛けを施したという。そして宣言する。坂本が殺人犯であることを証明するのだと。 テクノロジーの飛躍的な発達がもたらす功罪を描いたテクノスリラーであり、刑事と敏腕技術者の異色のバディものとしても愉しめ、さらに車の自動運転化に秘められた、あまりに合理的であるがゆえに、赦し難い企みの真相は意外で衝撃的。 本作は義務と責任が重要なキーワードになっている。技術革新を繰り返し、その恩恵をすべての人が受けられるわけではない。その技術によって変わってしまった世界に、絶望と地獄を見る人もいることも決して忘れてはならない。とても考えさせられる作品。 |
No.59 | 5点 | 教え子殺し 倉西美波最後の事件 谷原秋桜子・愛川晶 |
(2024/05/22 20:26登録) 現在を描いたメインのパート、未来であるメールのパート、LINEによるやり取りの三つのパートから構成されている。 メールは犯人による告白である。女性の首をナイフで切り裂き殺したというのだ。しかもその行為に一切の後悔はない。なぜなら彼女は自分を罠にかけ、セクハラ教師の汚名を着せて退職させた女子生徒であったからだ。彼女の名前は美夏という。ところが犯行現場には、メールの書き手が「君」と呼ぶ第三者がいたらしい。 犯人がメールを書いているのは、七月八日の夜。どうやら犯行はその日の午後に起きたらしい。メインストーリーは六月の下旬から始まり、やがて七月に入り美夏は学校に姿を見せなくなる。 作者は犯人のメールをあちこちに挿入することで、何が起きたかを徐々に提示し、その一方で時を遡り、カタストロフまでを現在進行形で描く。一方で、犯人は誰に宛ててメールを書いたのかなど、残された様々な謎が読者を迷路に誘う。そしてすべての謎が解明された時、眼前にまったく違う景色が出現するという企みに満ちた作品である。 |
No.58 | 6点 | 開化鐡道探偵 第一〇二列車の謎 山本巧次 |
(2024/05/01 21:54登録) 高崎から生糸を運ぶ日本鉄道の貨車が、開業間もない大宮駅で何者かの手によって脱線、積み荷からなんと千両箱が発見された。井上鉄道局長は、元八丁堀同心の草壁を呼び出し、事件の調査を依頼する。 群馬の生糸が輸出できるようになり、産業として確立できたのは鉄道網あってのこと。だが同時に時代の変化は様々な場所に軋みを生み、流れに乗る者と抗う者、取り残される者を産んだ。その混沌を近代化の象徴たる鉄道と旧幕の遺産たる徳川埋蔵金、あるいは鉄道と八丁堀同心というアンバランスなモチーフを組み合わせて表現している。 聞きなれない「日本鉄道」とは何なのか、この路線にはどんな新たな試みがあるのか、どうして何もない大宮に新たな駅が作られたのか。こういった要素の一つ一つが歴史を表しているのみならず、謎解きに大きく関わってくる。特にラストシーンで、次はあの碓氷峠を鉄道で越えるんだという決意が述べられるくだりに感動した。挑戦者たちの情熱がこの国の鉄道を作ってきたのだと胸が熱くなる。 |
No.57 | 9点 | 火刑法廷 ジョン・ディクスン・カー |
(2024/04/10 21:19登録) 編集者のエドワード・スティーヴンズは、作家のゴーダン・クロスの原稿を見て驚く。そこに添付されていた毒殺魔ブランヴィリエ侯爵夫人の肖像は、彼の妻マリーにそっくりだったのだ。その後、急死した隣人の死因に不審な点があることを聞かされ、エドワード達は納骨堂を暴いて死体をあらためようとする。だが棺は空だった。 現実的な謎と怪奇的な謎を絡めながらストーリーは展開していき、結末の一歩手前で、全ての謎に見事な合理的な解決が与えられる。だが本作を特徴づけているのは、いかにも本格ミステリらしい種明かしではなく、事件が片付いた後に付されたエピローグの部分なのである。 ここで解決したはずの謎をもう一度ひっくり返し、物語全体を一種のリドル・ストーリーに仕上げていく。結果、この作品は本格推理小説の醍醐味と怪奇小説の味わいの二つを同時に備えることとなった。 |
No.56 | 6点 | 書架の探偵 ジーン・ウルフ |
(2024/03/20 21:23登録) 作家の脳をスキャンし、その記憶を写した複生体たちが図書館の書架で生活し、貸し出しを待つ日々を送っていた。SFミステリ作家の複生体であるE・A・スミスもその一人だ。ある日、彼はコレット・コールドブルックに長期で借り出される。彼女は最近になって父と兄を亡くしていた。その兄が死の直前に手渡してきたスミスの著書「火星の殺人」に何らかの秘密が隠されていると考え、作者自身であるスミスに接近してきたのだという。しかしスミスには、自分がその「火星の殺人」なる本を上梓したという記憶がなかった。 私立探偵小説のプロットを応用すると同時に、本に関する小説というビブリオ・ミステリの性格を備えた意欲作である。ミステリに関する造詣が深いがために自著にまつわる謎解きに主人公が駆り出されるという話の構造に自己言及の要素が含まれており、現実とその複製である虚構との関係について、各処で思いを馳せることになる。 |
No.55 | 5点 | 死神の棋譜 奥泉光 |
(2024/02/27 21:35登録) 二十二年前に発生した棋士の失踪事件が、現在に蘇ってきた。またしても棋士が失踪したのだ。共通項は、不詰めの詰将棋だった。プロ棋士を断念してライターに転じた北沢は、この謎に興味を持ち東京から北海道、茨城など様々な土地へと足を運んで関係者から話を聞く。 本書では将棋の駒は時に九×九の将棋盤を逸脱し、北沢の調査行は時に現実を逸脱し、しかしながら人々は十分に生臭く、物語は流れていく。著者は過去と現在、現実とその外側や裏側を自在に操りつつ、知的刺激と不安に満ちたエピソードを連ねて結末へと導いてくれる。推理の鮮やかさと不条理の不気味さが共存する結末。 |
No.54 | 7点 | フーガはユーガ 伊坂幸太郎 |
(2024/02/04 21:52登録) 仙台のファミリーレストランで高杉という男に向かい、常盤優我はこれまでの半生を語り始める。優我は双子の兄で風我という弟がいる。勉強が得意で運動が苦手の優我。兄とは逆の風我。彼らは小学校二年生の誕生日に、二人が持っている特殊な能力をはっきり自覚する。年に一度の誕生日にだけ、二時間おきに二人の身体が瞬間移動してそれぞれに入れ替わるのだ。 無害でおとなしい弱者に対し、いわれなき暴力や強権的な態度をとる人間が伊坂作品には多く登場する。そして彼らは悩まされる側の反撃を描くのが伊坂作品のテーマの一つだ。 それにしてもなぜ優我は、自分のことを克明に語られねばならないのか。シロクマのぬいぐるみ、東北新幹線の不通、忘れ物、ワタボコリとの関わり、誘拐事件、そして二人の特殊能力。断片的なエピソードや、散りばめられた片言隻語と優我の真意が結び付いた時、予測もつかない結末へなだれ込む。 |
No.53 | 5点 | 毒をもって毒を制す 薬剤師・毒島花織の名推理 塔山郁 |
(2024/01/14 20:20登録) 薬局の来訪者が訴える奇妙な症状、何かが原因でこんがらがってしまった彼らの人生に対し、主人公が薬学の観点から回答を与えるという連作集。それを基本形に、感染症という災いによって人々の生活が脅かされている状況を背景で描くという趣向が加えられている。 薬学の知識を絡めた謎解きが読みどころの作品だが、アルコール依存症などの社会問題が題材として毎回描き込まれている点も見逃せない。毒島花織は、そうした人々の発する救難信号に対し、救いの網を投げ与える存在なのだ。白眉は「見えない毒を制する」で、ウイルスの感染経路がミステリ的な推理によって突き止められる。 |
No.52 | 5点 | スパイコードW 福田和代 |
(2024/01/14 20:13登録) 近い将来を舞台にした、中国の台湾侵攻計画をめぐる暗闘を描いている。五つの章を通じて浮かび上がるのは、中国側の台湾に対する企みと、それに対抗する秘密組織の知略だ。武力紛争の危機をトリックで解決する。これが各章を貫くテーマ。 日本軍の秘匿資産をもとに設立された特務機関が、歴史の影で動いていたという虚構に基づく設定と、近い将来に現実に起こりうる危機。架空の存在を土台に据えることで、現実を照らし出す。気軽に楽しめるエンタメ作品であると同時に、現実の危機を浮き彫りにしてみせた一冊。 |
No.51 | 6点 | 神器 軍艦「橿原」殺人事件 奥泉光 |
(2023/12/20 21:28登録) 物語はすでに日本の敗色が決定的となった昭和二十年初頭。この絶望的な戦況を打開すべく、軽巡洋艦「橿原」が極秘の任務を帯びて出航することから動き出す。だが、士官を含めた乗務員のほとんどは、艦の行き先どころか、任務内容も目的も知らされていなかった。 この大きな謎に加えて「橿原」の艦内にはいくつもの謎、不可解な出来事が頻発していた。正体の知れぬ客人乗員、開かずの金庫に積み込まれた神器、自分とそっくりな人間を見たという証言、大量発生するねずみ、そして乗務員の失踪と変死事件。これらは「橿原」の任務と何か関係があるのかどうか。一切が明かされぬまま、物語は時空を超え、人智を越えた展開となっていくk。 しかしながら、やがて「橿原」の真の目的が見えてくるにつれ、全ての様相が一変していくのである。神器を艦内の奥深くに抱いた「橿原」と乗務員は、神国日本に再び神風を呼ぶ装置としての役目を担っていたのであった。そこから繰り広げられる戦争論や日本人論は白眉。歴史の虚構性と虚構としての小説とを見事に融合している。 |
No.50 | 5点 | 午前0時の身代金 京橋史織 |
(2023/12/20 21:13登録) 弁護士の小柳大樹は、本條菜子から法律相談を受ける。振り込め詐欺グループに関わってしまったという。自首することで話が進んでいたが、菜子はその夜に姿を消してしまう。そして翌朝、菜子の身代金を要求する脅迫状が、IT企業サイバーアンドインフィニティ社に届いた。身代金の額は10億円。それを同社が運営するクラ、ウドファンディングのサイトで、国民から募れというのだった。 被災地復興支援などに有効な、不特定多数の人々の善意を悪用するというアイデアは、現代的な趣向といえるだろう。大樹の上司で事務所の共同経営者である美里千春が、サイバーアンドインフィニティ社の顧問弁護士であることが、さらに事件を複雑化させる。 美里に対する疑問や、大樹自身の過去も絡み、強い正義感を持つ彼の感情が揺さぶられていくところも後半の眼目である。多少納得できかねる点はあるが、これまで見てきた景色を一変させる趣向には驚かされた。 |
No.49 | 6点 | 鶴屋南北の殺人 芦辺拓 |
(2023/11/29 23:20登録) 四代目鶴屋南北の歌舞伎台帳が、ロンドンの骨董兼古書店で発見された。「銘高忠臣現妖鏡」と題されたそれは、「東海道四谷怪談」の初演から間を置かずに書かれた、本人の真筆によるものと判定される。 この作品の鑑定に携わった研究員・秋水理矢の依頼を受けた森江春策は、上演に関わる諸問題の調停のため、稽古中の歌名十郎の元を訪れる。ところが「屋台崩し」のテスト中、舞台演出を手伝っていた学生が、一気に崩れ落ちた大道具の下敷きになり死亡する。そしてそれをきっかけに、新たな事件が続いていく。 開放的な田沼意次の時代と、抑圧的な松平定信の時代を生き抜き、老境に差し掛かってようやく名を上げたのが鶴屋南北である。一年に渡った南北の沈黙機関、奇天烈な作品に込められた趣向の真意、そして現代で起きた連続殺人の意図は。これら二つの時代の重層的な謎が、幻の作品を通して合わせ鏡のように向かい合い解かれていく。 更に新型コロナウイルス騒ぎで露呈された、この国の文化に対する冷酷極まりない扱いまでもが浮かび上がる。鶴屋南北とそん色ない奇想に満ちた本書は、この時代に時宜を得た作品となった。 |
No.48 | 7点 | TOKYO REDUX 下山迷宮 デイヴィッド・ピース |
(2023/11/29 23:05登録) 一九四九年七月五日、国鉄総裁の下山定則が出勤途中に失踪。翌日未明、常盤線の線路上で轢死体となって発見される。自殺か他殺か、対立する意見。大きな力が働いたとしか思えない突然の捜査の打ち切り。迷宮入りした真相について、実に様々な議論が巻き起こった。 上層部の命を受けたGHQの捜査官スウィーニーが、揺れ動く下山事件を担当する中で、見え隠れする謀略機関の影と共に深い闇に呑み込まれていく第一部「骨の山」。東京オリンピックを目前に控えた一九六四年六月、元刑事である私立探偵の室田が、行方不明となっている探偵小説家の捜索を依頼され、あの下山事件へと引き寄せられていく第二部「涙の端」。昭和の終わりも近い一九八八年秋から冬にかけて、かつてCIA工作員として日本に派遣された第三部「肉の門」。物語は、東京を舞台にした三つの時代のエピソードで構成されている。 作者が虚実取り混ぜたノワールの本作は、日本人によるこれまでの実録小説にはなかった妖しく深遠な異形の「下山事件」を映していて斬新だ。日本人の視点では目が届かなかった領域が文学によって現出する様に終始圧倒され、心奪われるような興奮を覚えた。 |
No.47 | 6点 | 鏡影劇場 逢坂剛 |
(2023/11/11 21:44登録) ギタリストの倉石は、スペインで古い文書を購入した。裏に書かれた楽譜目当てだったが、彼の妻は文書とホフマンの関係に気付き友人でありドイツ語准教授でもある古閑沙帆に解読を依頼する。沙帆は倉石夫妻に相談の上、より適任であるドイツ文学者の本間鋭太に翻訳を委ねることとした。 構造がなかなか入り組んでいる。まず、本書全体としては本間鋭太から送られてきた原稿を、作者が少しだけ手直しして新潮社から出版したという設定になっている。その原稿の中身は二つに大別され、一方は本間が訳した例の古文書だ。こちらは文豪の日々を克明に綴ったものとして愉しめると同時に、書き手は誰かという謎にも心奪われる。もう一方は、沙帆の視点で原稿の翻訳依頼に伴う倉石家との交流が描かれている。こちらでは、沙帆が覚えた違和感や図らずとも抱え込んだ秘密などのじんわりとしたサスペンスが読み手の心を捉える。 そして最後の袋綴じに到達することになる。そしてこの中にさらにもう一段深く濃密なミステリが潜んでいることを知ることになる。 |
No.46 | 7点 | 偽装同盟 佐々木譲 |
(2023/11/11 21:29登録) 警視庁特務巡査・新堂裕作は、連続強盗事件の容疑者を捕らえたが、ロシアの日本統監府保安課に身柄を奪われてしまう。翌朝、神田明神近くの空き地で若い女性の変死体が見つかり、新堂はそちらの事件にも関わることに。一方、行方不明になっていたポーランド系アメリカ人記者の刺殺死体が汐留で発見される。 本作は前作から数ケ月後の、大正六年三月十一日の夜から始まっていることに留意したい。時を同じくしてロシアの首都ペトログラードで大規模なデモが起きており、警官隊がデモ隊に向けて発砲し、多くの死者を出すことになる。いわゆる二月革命が進行中だったのだ。 二月革命とシンクロするように物語は進む。警官の捜査権は日本側にあるが、統監府に対して有名無実なのが現実だ。容疑者の身柄を奪ったことに対する正当な抗議も、腰が引けた警視総監が待ったを掛け、ロシア側の関与が疑われたアメリカ人記者の殺害も、死因をロシア側に都合の良いように捻じ曲げられる。さらにロシアに憧れていた女性の事件からは、地方や性別、経済などの格差問題も浮かび上がる。 もう一つの日本をディテール豊かに描く捜査小説としての魅力もさることながら、その背後にある時代のうねりまで包括する作品だ。 |
No.45 | 7点 | 風を彩る怪物 逸木裕 |
(2023/10/20 22:08登録) 第一章は、オルガン製作者の芦原幹と朋子父娘に出会い、卓越した音感を見込まれた陽菜は、父娘が製作中だったパイプオルガンの音色を整える作業を手伝うことに。フルートの練習の息抜きのつもりで応じたその作業だったが、想像以上に陽菜は夢中になっていく。フルートよりオルガン演奏や製作に自身の活路があるのでは、と感じ始めた陽菜に対し、幹は「あなたは自分を見失っている」と、NOを突き付ける。傷心のまま東京に戻った陽菜だったが、あるコンサートがきっかけで、幹の真意に気付く。そんな陽菜に届いたのは、幹の急死の知らせだった。 第二章は、朋子視点で語られる。幹の死後、製作途中のパイプオルガンはもちろんだが、謎の多い幹の死も朋子を苦しめる。 感性豊かで、好きなものがありすぎるせいで、自分のフルートを見つけあぐねていた陽菜と、オルガン作りしかしなかった朋子。二人がそれぞれに答えを見つけ出していくさまと、そこに並走するようにフルートとオルガンの音色が立ち上がってくるのがいい。 幹の死と、製作途中の「Pour T」の意味という二つの謎。さらにはオルガンという怪物ともう一つの怪物。全ての謎が解き明かされた時、胸に降りてくるのは、祝福のようなパイプオルガンの音色である。 |
No.44 | 6点 | 黒石 新宿鮫Ⅻ 大沢在昌 |
(2023/10/20 21:52登録) 中国残留孤児の二世や三世たちによる巨大ネットワーク「金石」がメインの物語となっている。「八石」と呼ばれる八人が中心的な役割を務めているが、ネット上で情報交換が行われるため、顔や本名を知らないメンバーも存在する。 その中の一人が警察に保護を求めてきた。徐福と名乗るメンバーが金石を牛耳ろうとしているというのだ。 鮫島は若手刑事の矢崎とタッグを組んで、徐福と黒石の正体を突き止めようとするが、その間にも八石のメンバーが次々と血祭りに上げられていく。凶悪で強力な暗殺者という点では、毒猿を想起させるが、自分を正義のヒーローと思い込み、使命感で殺人を重ねていく黒石は今までにないタイプの敵役として強い印象を残す。 過去の作品と密接にリンクしているのもこのシリーズの特徴だが、本作は前々作と前作との結びつきがとりわけ強く、あらかじめこの二作を読んでおけば、より楽しめるだろう。 |
No.43 | 6点 | 天使の傷 マイケル・ロボサム |
(2023/09/27 22:01登録) 「天使と嘘」に続くシリーズ第二弾。いよいよ嘘を見破る能力を持つ少女イーヴィ本人の秘密に迫っていく。 半年前に引退したウィットモア警視の死体が工場の空き地で発見された。彼は児童連続殺人事件を追っていたが、その犯人はすでに逮捕され、獄中で死亡していた。共犯者の仕業なのか。臨床心理士サイラスは、ウィットモアが残したホワイトボードにイーヴィの異名「エンジェル・フェイス」の文字を見つけた。サイラスは一連の事件の真相を暴こうと動き回る。 前作同様、サイラスとイーヴィが交互に語り手となっている。捜査の展開のみならず、お互いに過去の傷を負った主人公たちの姿、心の動き、微妙な間をつなぐ会話など、繊細で裏切りに満ちた人間模様が描かれており冒頭から目が離せない。小出しにした謎が意外な展開へ向かうスリリングな話運びの妙を味わえる。 |