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ミステリの祭典

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雪さんの登録情報
平均点:6.24点 書評数:586件

プロフィール| 書評

No.86 8点 エステルハージ博士の事件簿
アヴラム・デイヴィッドスン
(2018/10/09 02:34登録)
 面長のおじさんの顔が表紙の怪しげな短編集。内容も表紙に恥じないうさんくささ。河出書房新社のこれも怪しげなジャンルオーバーのセレクション、ストレンジ・フィクションの一冊です。
 スキタイ=パンノニア=トランスバルカニア三重帝国という架空国家を舞台に起こる怪事件の数々を描く連作で、エンゲルベルト・エステルハージ博士なる人物が主役を務めます。
 8篇の短編が収録されていますが、いずれも地の文には博士の住むタークリング街三三番地を始めとした三重帝国の帝都ベラの各名所や地方が紹介され、故事来歴・逸話などが麗々しく述べられるなど、ストーリー以上に架空世界の構築が優先される勢い。単行本表紙の裏面にはそれぞれ帝都の街路図と三重帝国の細密な地図が描かれています。
 エステルハージ博士周辺の人物や生活様式もシャーロック・ホームズばりの設定ですが(ガス灯や馬車、蒸気機関車の存在など時代設定もその頃)、彼は快刀乱麻の名探偵という訳ではありません。五つ以上の学位を取得し、皇帝イグナッツ・ルイやロバッツ警視総監の絶大な信頼を得ていますが、実態はよろずなんでも屋と言うところ。途方に暮れるような事件が起きれば、すかさず彼の元に話が持ち込まれます。
 皇室の至宝が盗まれた、熊男が現れた、人魚伝説が実現した、等、等、等・・・。魔術師や邪教団、錬金術なども登場し、百花繚乱のありさまでしかも綺麗に片付くとは限りません。むしろ傍観者で終わる事の方が多いです。
 こういう作品集はハマる人はハマるでしょうね。自分もその類。ミステリ味は薄いですが。
 強いて選ぶなら1話と2話、『眠れる童女、ポリー・チャームズ』および 『エルサレムの宝冠または、告げ口頭』ですかね。後者で水戸黄門ばりにエステルハージが詔勅(プロヴォ)をかざすシーンには笑いました。あとは人魚が出てくるちょっといい話『真珠の擬母』。他の収録作も胃もたれする程描写が濃ゆくて退屈しません。その癖どこかすっとぼけた感じのお話ばかりです。

 追記:史実のエステルハージ家はハンガリーの大貴族で、17世紀から代々ハプスブルグ家に仕えました。主君を凌ぐ程の帝国一の大地主で実業家でしたが、決して思い上がらず、たびたび帝国の危機を救い忠節を尽くしたそうです。こういう元ネタが山ほどある小説です。


No.85 5点 サン・フィアクル殺人事件
ジョルジュ・シムノン
(2018/10/06 10:02登録)
 「死人祭の最初のミサのあいだに、サン・フィアクルの教会で犯罪が起こる旨をお知らせいたします」
 オルフェーブル河岸の事務室に届けられた犯罪予告を受けて、生まれ故郷の村に向かうメグレ警部。凍りつくほどに寒い冬の朝、幼なじみのマリイ・タタンの宿から教会に赴き、自由席の最後列からじっと参列者たちを観察する。
 まもなくミサが終わる・・・・・・あと三人・・・・・・ふたり・・・・・・
 最後の参列者であるサン・フィアクル伯爵夫人の番になった。だが彼女は身動き一つしない。警部が進み出ると彼女のからだはゆらめき、床にころげ落ちて、そのまま動かなかった!
 1932年発表のメグレ警視シリーズ第13作。初期の長編で、前作「メグレと死者の影」の重苦しいムードを引き摺っています。なかなか強烈な作品でしたね。
 伯爵夫人の死後、登場人物たちがおのおの怪しげな動きを見せるのですが、たいして話は進みません。ですが物語の半ば過ぎ、近隣の町であるムーランに舞台が移ると途端に展開が早くなります。あとは伯爵邸での晩餐会におけるカタストロフまで一直線。
 ですが殺害手段は法の下では裁けない性質のものなので、ある登場人物による罠と私的制裁という形で事件は決着します。メグレはせいぜい立会人という役どころ。短い間に二、三の事実を探り出しはするのですが、最後の急展開にはついていけてません。
 メグレの記憶と対比することで伯爵家の落魄ぶりを強調するつもりかもしれないけど、ノンシリーズ物にした方が良かったんじゃないかなあ。故郷が舞台なのがあんまり生きてないし。そこそこ雰囲気は出てるけど、メグレをおたおたさせてまで無理に登場させる必然性が感じられないので、ぶっちゃけ失敗作だと思います。


No.84 6点 奪回
ディック・フランシス
(2018/10/04 15:11登録)
 誘拐対策企業リバティ・マーケット社のスタッフ、アンドルー・ダグラスは怒りに身を震わせた。ヨーロッパ有数の女性騎手、アーレッシア・チェンチの身代金受け渡しのまさにその瞬間に、功に逸ったイタリア警察が暴走したのだ。紙幣のナンバーも撮影し終え、打てる手は全て打って、後は穏便に取引を済ませるだけだったのだが。
 身代金を持参した弁護士の息子は撃たれ、車で逃走した犯人たちは近くのアパートに立て籠もった。住民の中には赤ん坊もいる。そしてアーレッシアの命は風前の灯だった。
 アンドルーは取り乱す父親のパオロを宥め、ただひたすらに犯人側からのリアクションを待つ。どのみち何らかの形で身代金を得なければ、犯罪を犯した彼らとしても引き合わないのだ。
 そして、パオロの元に二度目の電話が掛かってきた。倍近くに跳ね上がる金額、だが彼女の命は無事だ。奴はまだゲームを続ける気でいる。
 スペイン人の運転手に扮しパオロと共に指示された地点へと向かうアンドルー。だがそこで初めて彼は、誘拐の主犯である宿敵ジュゼッペと邂逅するのだった・・・。
 競馬シリーズ第22弾。今回の主人公は誘拐対策会社のスタッフ。元ロイド保険会社の社員で、犯人との金銭面での交渉や被害者及び家族のストレス軽減、解放後のアフターケアの専門家です。物語ではイタリア・イギリス・アメリカで起きる誘拐事件の顛末が描かれ、徐々にアンドルーとジュゼッペはお互いの存在を意識していきます。
 最後にはライバル、対極に立つ相似形として対峙する二人。ラスト付近で追い込まれる主人公の描写には緊張感があり、犯人との因縁も併せシリーズ初期を思わせる展開。
 リサーチもしっかりしていて、第二部での被害者救出シーンとかはかなり面白かったです。ただ、犯人ジュゼッペや恋人未満のアーレッシアとの繋がりがイマイチでしたね。ここらへんの関係性がもっと濃密であれば、フランシスのベスト級にもなれたでしょう。三部構成にした事で逆にストーリーが薄まった感じでちょっと残念。


No.83 6点 きつね火
新田次郎
(2018/10/02 22:05登録)
 直平の住む山村の部落には、きつね火がときたま現れることがあった。それは夏の終わりか、秋のはじめころに決まっていた。
 「きつね火が出ると、村によくないことが起きる」だが直平は大きくなるにつれ、一度きつね火を見たいと思っていた。
 そして秋のはじめの夕暮れどきに母屋の雨戸を閉めていた彼は、ひょうたん池の端に三つばかりの火の行列がかすかに揺れながら動いていくのを見る。そして二度目にきつね火が現れた翌日、村人の五助さんが池に落ちて死んでいるのが見つかった。
 だが直平たちが通う分教場の岩島先生は、噂に惑わされず、あくまで科学的にきつね火の正体を突き止めようとするのだった。
 「子ども科学図書館」の一冊。新田次郎さんの処女作で、原稿が紛失したものをお孫さんのために二十年ぶりに絵本に仕立て直したのだそうです。登場人物の一人、岩島先生のアプローチの仕方は非常に実際的で、きつね火が現れるとまず現場に子供たちを向かわせます。
 その上でひょうたん池周辺の地図を描き、次にきつね火の見えていた地点を確認して印を付け、今度は自分自身がちょうちんを持って池に向かい、人工のきつね火を作り出してみせます。このあたりは気象庁の職員だった作者の面目躍除というところ。
 やがてきつね火は村のある人物の仕業であることが明らかになるのですが、先生は必要以上の追及を避け、結局その動機は語られないまま物語は終わります。真相はそこはかとなく感じられはしますが。
 子供の頃に読んで非常に印象深いものでした。短い作品ですが描写にもなかなか味があります。


No.82 6点 メグレの拳銃
ジョルジュ・シムノン
(2018/10/01 02:26登録)
 メグレ警視のオフィスに、夫人から若い男の来客があるという電話が掛かってきます。面会人を片付けて家に戻ると男は既に立ち去った後で、自室からはアメリカ滞在中に送られたS&W45口径のピストルが紛失していました。その後の調査で、男が武器販売店から実包を入手している事が判明します。
 その日の晩、メグレは友人パルドン医師宅の夕食会で「気になる患者がいる」との相談を受けます。フランソワ・ラグランジュという名で、メグレに会いたがっているというのです。メグレは彼のアパートを訪れますが、話とは裏腹に病身のラグランジュに会話を拒否されます。そして彼の息子のアランこそ、メグレの拳銃を盗んだ男でした。
 さらに門番の女の話から、ラグランジュが北駅に怪しげなトランクを預けた事が分かります。そしてその中からは、遣り手の代議士アンドレ・デルテイユの射殺死体が発見されるのでした・・・。
 1952年発表のシリーズ第68作。メグレの友人パルドン医師の初登場作品。シリーズ後半は殆ど出ずっぱりな印象ですが、意外に交友の始まりは遅いですね。パルドンの登場は前半部分で、後半はアランを追ってイギリスに飛んだメグレを、「メグレ式捜査法」で知り合ったスコットランド・ヤードのパイク刑事が出迎えます。
 と言っても、デルテイユ殺害はほぼそっちのけ。勿論二つの事件は関連している訳ですが、物語の大半はアランと拳銃の行方の捜査に費やされます。
 作中メグレが「人情警視」という呼び名に顔を顰めるシーンがありますが、基本的に彼は司法警察に誇りを持ってますので、情に流されて犯人を見逃しはしません。フリーとか管轄外で告発しない方が良い場合には稀にお目こぼししますが。マメに面倒を見るのは無実の者の運命が狂ってしまう場合に限ります。本件はそういう例。
 フランスが舞台だと、ごく一部の地方を除いてたいがい空気が辛気臭いので、たまにメグレが遠出した時の風景描写は良いですね。イギリス編はゆったりとした筆致で、本編の内容もなかなか味わい深いです。メグレがアランに罪を犯させまいと、怯えた猫の話を聞かせる件りがありますが、ラストに再登場する猫の描写はかなり暗示的です。


No.81 7点 明治波濤歌
山田風太郎
(2018/09/30 09:26登録)
 「波濤〈なみ〉は運び来たり 波濤〈なみ〉は運び去る 明治の歌・・・。」
 激動の明治期、「港」を基点に日本を訪れたり、逆に旅立っていった人たちの物語。中短編取り混ぜて全6篇収録。知名度は低いですが、山田風太郎の明治ものの中では質量共に圧倒的な『警視庁草紙』に次ぐ位置にある作品だと思います(世評の高い『明治断頭台』は、実在の人物や歴史事実とのクロスオーバーが少ないのであまり好みではない)。
 集中でミステリ味の強いのは明治ものレギュラー格の川路利良登場の「巴里に雪の降るごとく」と、日本にやって来た森鴎外の恋人エリスが三度に渡って探偵役を務める「築地西洋軒」。中でも「巴里・・・」は川路の他にもヴェルレーヌやポール・ゴーギャン、マイナーですが成島柳北らに加え、〆としてヴィクトル・ユゴーを決闘の見届け人に指名するという贅沢さ。
 挿話としてマリー・セレスト号事件や、有名な川路のうんこエピソードも(パリ行きの列車内で催し、トイレがある事を知らずそのまま新聞に包んで車外に投げ捨てたが、日本語の新聞だった為後でバレた。アッチの保線夫の方に命中したそうです)。風太郎自選ベスト短編の一つ。
 これに次ぐのは自由民権運動を背景に、北村透谷や南方熊楠を絡ませた哀切なる群像劇「風の中の蝶」。これには女性剣士が登場。タイトルは透谷の詩の一節と、最後に自由党員たちを逃がすため散ってゆく彼女の姿とを重ねています。アメリカに逃亡したまま生涯を終える、透谷の義弟石坂公歴の望郷の歌で終わるラストの切なさは編中随一。
 あとは樋口一葉が意外な銭ゲバぶりを見せる「からゆき草紙」がちょっとミステリ入ってるかな。でもこの作品の一葉といい「横浜オッペケペ」の野口英世といい、明治期はこのくらいのバイタリティが無ければ後世に名を残せなかったのかもしれませんね。


No.80 9点 脱出航路
ジャック・ヒギンズ
(2018/09/28 00:22登録)
 まず最初に。ジャック・ヒギンズはいわゆる上手い作家ではないと思います。特にプロットが突出している訳でもなく、筋運びも強引で時に粗さも見られます(女性キャラが襲われるシーンを必要もなく挿入するとことか色々)。代表作とされる「鷲は舞い降りた」も、後に出た完全版を見れば発表段階で編集者にかなり削除を食らっています。コンスタントに質の高い作品を出し続けた訳でもなく、捻りやサプライズで勝負する作家でもありません。
 それでも「冒険小説の時代」と言われた80年代、ヒギンズはライアルやフォーサイス、マクリーンやフランシス、バグリイやイネスなどの並み居る作家たちに伍して、常にトップランナーであり続けました。魅力的なキャラクター達と情感溢れる文体とが噛み合わさった時、生み出されるストーリーに殆ど比肩する物が無かったからです。
 中でも「鷲・・・」と並び、マスターピースとして挙がるのが本書。第二次大戦末期の1944年8月、ブラジルのべレンから敗色濃い母国ドイツへ向け、連合国側の制圧下にある太西洋、8000kmの横断を試みる三本マストの帆船〈ドイッチェラント〉(江戸時代末期に勝海舟が乗った咸臨丸とほぼ同型)。その航海を軸に、ブラジル駐在ドイツ領事夫妻、船の乗組員たち、修道女団、合衆国軍退役少将とその姪、合衆国海軍艇長、ドイツUボート艦長、ドイツ軍ユンカースの機長、英国ファーダ島の女領主と艇長、そして島民たちなど、様々な人々の運命が縒り合わされていく・・・。
 その過程には強引さもありますが、圧倒的なのはラスト付近の盛り上がり。些細なミスを帳消しにするというか、まさしく怒涛のがぶり寄り。端役に至るまでキャラが立ちまくってます。花形役者の存在は「鷲・・・」に譲るとして、物語としての熱量はこちらが上なのではないでしょうか。
 「わしは行く。その気のある者はついてこい。その他の者は――地獄へ堕ちるがいいわい」
 冒険小説冬の時代と言われますが、ミステリ要素の強い「鷲は舞い降りた」や「深夜プラス1」はともかく、これほどの作品が絶版とか、ここまでコメント無しとかちょっと悲しいですね。フランシスなら「興奮」「利腕」のどっちかが読めないようなもんだけど。今のハヤカワだと仕方無いのかなあ。


No.79 6点 死者の夢
エド・マクベイン
(2018/09/23 20:36登録)
 刺すような寒風の吹く十一月のアイソラの夜、ハノン広場の銅像のそばで、盲導犬を連れた黒人、ジミー・ハリスが喉を掻き切られて殺された。ジミーと彼の妻は盲人同士の夫婦だった。スティーヴ・キャレラ刑事は彼らのアパートを訪れ、泣き伏す妻イザベルに死体の確認を依頼する。だが翌朝十時に再び彼が訪問した時、イザベルもまた惨殺されており、アパートは無惨に荒らされていた。
 物証皆無の事件に行き詰る捜査。キャレラはジミーの母親から、息子が除隊して以来、何度も魘されていたという情報を得る。悪夢から事件の手掛かりを掴むため、陸軍病院の記録を調べ始めるキャレラだったが、その頃アイソラでは三人目の盲人の犠牲者が・・・。
 シリーズ第32作。前にこの次の第33作目「カリプソ」が異色作であるとか言ってましたが、こっちの方が本質的にはアレじゃねえのかなと。少なくとも警察小説でやるような話じゃないですね。あまりにデリケート過ぎるというか。
 とにかく証拠らしい証拠がなく、直接的な手掛かりは被害者が見たというわけわかんない夢の内容だけ。最後にはいくつか物証が出揃いますが、それもあくまで補強材料でしかありません。これで最後まで引っ張るのがいっそ潔い。87分署物にしては400頁近くあって長いんですが、迷走につぐ迷走で300P過ぎてもまったく捜査は進みません。
 ところがある点に気付くと、一気に解決に向かうんですねこれが。それも明示ではなくあくまで暗示なんですが、そこを力技で読者に納得させてしまいます。やっぱり上手いなあ。
 ストレートではないんでこのシリーズの読者には必ずしも好かれないかもしれませんが、なかなかではないのかなと思います。最後の尋問の際、別件でジェネロがいじっていたビキニのパンティが、そのまま刑事部屋にほっぽらかしたままなのには笑いました。緊張感溢れる大詰めなのに。


No.78 5点 夢なきものの掟
生島治郎
(2018/09/20 12:50登録)
 国民党と共産党との対立が激化する魔都上海。浙江路のはずれにあるバー『レディ・キラー』に無精髭をはやし、よれよれの中国服を着た男がふらりと現れた。彼の名は紅真吾。揚子江を遡る苦難の冒険が失敗に終わったのち、5年余りの間相棒・葉村宗明と共に中国人街に身をひそめていたのだ。
 だがその葉村は半年ほど前にぷいと姿を消していた。しかも彼には阿片中毒の気配があった。つてを辿って探索を続けていた真吾だったが、万策尽きて旧知のポール・グリーンの元を訪れたのだった。
 真吾はグリーン配下の阿片吸煙所のマネージャー、黄老人に引き合わされ、そこで葉村の手掛かりを得る。だが彼にそれを齎した女は、既に拷問を受け殺されていた。そしてその喉笛には、葉村のものとおぼしき象牙の柄のナイフが突き刺さっていた・・・。
 名作「黄土の奔流」の続編でシリーズ2作目。昭和51年発表。再読です。初読の際に「すっげえ駄作」と感じたんですが、改めて読み返すとそこまで酷くもないかなと。雰囲気はけっこう出ていて、リーダビリティもまずまず。ただキャラ頼りなのは否めませんね。そして抗日関係の描写が前作より遥かに説教臭い。この主人公でなかったら4点付けてほかしてます。
 殺人事件の犯人も分かり易いサディストが出てきて、こいつだろと思ってたらその通りだし、後半がやっつけ加減なのも弁護出来ません。最終的には中国全土に根を張る大組織、青幇〈チンバン〉と対決するんですが、中盤に物々しく登場した三大幹部は一山百円の扱いで最後にアッサリ始末されます。蒼天の拳の紅華会幹部なみ。紅と葉村がタッグを組むと強すぎるんですよね。もうちょっと殺陣とか趣向を何とか。
  この後紅真吾シリーズは蒋介石が絡む「総統奪取(平成2年)」、最終作の「上海カサブランカ(平成13年)」と続きます。ほぼ10年に1作のペース。主人公の無敵っぷりが加速するそうです。ヒギンズの「鷲は飛び立った」とかと同じで、続けない方が良かったですね。一作目で綺麗に〆てあるのに色々勿体無いです。
 点数は5点。5点ですが、4点に限りなく近いと思ってください。


No.77 6点 侵入
ディック・フランシス
(2018/09/18 17:17登録)
 障害競馬のチャンピオン騎手キット・フィールディングは、双子の妹の切実な訴えを受けた。仇敵アラデック家の息子ボビイと結婚した妹ホリイだったが、家族と絶縁状態で支援も受けられない二人に、新たな災いが降りかかったのだ。ボビイの厩舎が中傷記事専門のゴシップ誌《デイリイ・フラッグ》の標的にされ、飼料商や馬主たちが取引を中止し、銀行までが融資を打ち切ると通告してきたのだという。
 キットは妹夫婦の窮地を救うため、レースの傍ら独自に行動を始めるが・・・。
 競馬シリーズ24作目。シッド・ハレーに続く複数作主人公の登場。正直「ロミオとジュリエット」的な背景が気乗りしなくて後回しにしてたんですが、読むと結構面白いです。ただ物語の軸は〈匿名の手紙〉ネタ一本ですから少々薄いですね。足りない部分をレース描写や主人公のキャラ付けで補ってる感じ。それが予想以上に上手くいったから、続けて使ってみる気になったのかな。
 本来生きるの死ぬのといったストーリーではないんですがそこはフランシス。「先祖代々からの敵愾心」という要素を入れ込んでピンチを演出します。本来のヤマ場はここかな。それを乗り越えた上で、期せずして集まった関係者たちと鮮やかにケリを付けます。
 ただイマイチ深みに欠けるのはどうしようもない。好きな人も多い作品ですが、全体としては佳作未満の出来だと思います。軽く読んで楽しむ分には良いかな。


No.76 5点 無頼船長の密謀船
ブライアン・キャリスン
(2018/09/17 15:03登録)
 第二次大戦から約30年後、相も変わらず七つの海の裏街道を渡り歩く無頼船長こと元英国海軍中佐エドワード・トラップ。彼は船客の密入国者たちに紛れ込んでいた謎のアラブ人集団に拉致され、ザラフィックと名乗る男に保険金詐欺の片棒担ぎを依頼される。独立国ガーマン沿岸の会合地点で積荷の荷降ろしをした後、書類上荷物を満載した事になっている空船を沈没させて欲しいというのだ。
 ザラフィックの態度に不信感を抱きながらも、目的地を自分の得意先に上書きし、そのままトンズラを決め込もうと画策するトラップ。急遽駆集められた乗組員の中には、エジプトで警官二人を射殺する羽目になった元副長ミラーがいた。トラップとの腐れ縁に悪態を吐くミラー。だが彼は密かに英国海軍の密命を帯びていたのだった。
 さらに彼らは纏めてミスター・チャン率いる中国マフィアに誘拐され、計画の妨害を約束させられる。またもや上書きされる目的地。提供された貨物船カマラン号は、ザラフィックとチャン配下の武装集団が睨み合う修羅場と化す。
 いったい船にはどんな秘密があるのか?
 1979年発表のトラップ船長もの2作目。乗組員も相変わらずポンコツで、14年間エジプトの機関車の釜焚きしてた奴とかが乗ってます。だけどどうもギャグのキレとか悪いですね。筋の複雑さに呑まれた感じ。
 なんでこうなのか考えてみたんですが、まずプロット。やられ役の中国マフィアは置いといて、謀略サイド担当のザラフィックと英国側が、凄そうに見せて実は行き当たりばったりなこと。実質トラップが三人いる状態。ある意味リアルですが、こういうのは読んでて面白くないです。
 石油価格に翻弄されて、命令も朝令暮改。実社会並みにグダグダな娯楽作品なんか見たくねえなと。筋が複雑なのはともかく、物語の軸がブレるとね。悪役はちゃんとキレてないと。作者も反省したのか、次作ではスタンダードな陰謀路線に回帰してます。
 そういう訳で、娯楽作品としては他の2作よりは下かな。泥臭い描写は健在ですが、今回はちょっと色々悪ノリし過ぎ。


No.75 6点 ミステリマガジン1973年9月号
雑誌、年間ベスト、定期刊行物
(2018/09/16 11:28登録)
 シムノンの単行本未収録短編「メグレと消えたミニアチュア」がお目当てで入手した号。引退記念と銘打つだけあって、写真や画像など30P余りの実質シムノン特集。
ピカイチは北村良三(長島良三)氏の寄稿「シムノンのこと」。
 「ミニアチュア」は〈日常の謎〉に近い小品。原題は LE NOTAIRE DE CHATEAUNEUF(シャトーヌフの公証人)。田舎でくつろぐメグレは、突然訪れたモット氏と名乗る人物に盗まれた象牙細工の捜査を承知させられ、別荘から連れ出される。気乗り薄のメグレだったが、モット邸で彼の三人の娘に紹介されるに及び、幸福に満ちたこの家庭にとって、盗難はオルフェーブル河岸で扱うどんな犯罪よりも大問題なのだと理解する。
 三姉妹の次女アルマンドは婚約中だったが、彼女の婚約者ジェラールはルグロ氏と名乗るメグレを見て驚愕した。ジェラールの父親コモドールは、「オランダの盗賊」と呼ばれる名高い窃盗犯だったのだ。彼はアルマンドと婚約する際、モット氏に全てを告白し了承を得ていたが、その矢先に起こった盗難事件に父親であるモットの苦悩は深まるのだった・・・。
 1938年発表の36番目のメグレ物。傑作とかではないけども、次第に愛着の湧くタイプの作品でした。他の未収録はヒュー・ペンティコーストの「ジェリコと死の手がかり」と、クラーク・アシュトン・スミスの「魔神ツアソググアの神殿」。中ではペンティコーストの短編が拾い物だったなあ。
 深夜の山道で目的地に向け車を走らせる主人公が、犬の死体を抱えた少女に出会って・・・という話。邦題とはあんま内容が合ってないけど、後味の良い佳作です。
 単行本収録作は「メグレ夫人の恋人」収録の「メグレとおびえるお針娘」。および「エドガー賞全集 下」収録の2作品。その中の「月下の庭師」は1971年に「アーゴシー」に発表された、恐怖小説寄りの結末が冴える傑作。
 後は「夫と妻に捧げる犯罪」からスレッサーのショートショートが3本。寄稿は小鷹信光さんの「新パパイラスの舟」と、ジョン・ディクスン・カーの「ニューゲート紳士録」がGOOD。通常号としては非常に充実した内容で、たいへん美味しゅうございました。


No.74 8点 チェッリーニ自伝
ベンヴェヌート・チェッリーニ
(2018/09/15 06:16登録)
 16世紀イタリア・ルネサンスが生んだ名彫金師ベンヴェヌート・チェッリーニ(1500-1571)。その名をいっそう高めたのがこの『自伝』である。ライバルとの確執、老獪な法王やメーディチ家との駆引き、旅、戦争、女、殺人、投獄……。自己の才能への強烈な自負と野心をむきだしに、時代を豪放に生きたルネサンス人の波乱の生涯。
 「なんでこんなもんが〈ミステリの祭典〉にあるんだろうか」と不審に思われる方が大半ではないでしょうか。さりげなく「殺人」とありますね。江戸川乱歩が「続幻影城」だかで「ルネサンス期の一殺人者の記録」と、喝破してるのが本書です。
 ここで描かれる時代はとにかく血腥く、短刀や鎖帷子は日常の必須アイテム。侮辱や讒言など、ちょっと気に入らない事を聞けばすぐに徒党を組んで殺し合います。またそうでなくてはとても一廉の人物として世に出て行けない。法王や君主たちはそいつらの親玉で、隙あらば作品を値切りにかかる。美辞麗句を用いてそれに対処もしなければならず、全身全霊で彫刻だけに打ち込んでいればそれで良い、という訳ではないのです。
 そして著者がハッキリ意図して殺したと告白しているのは3名。1527年のローマ劫掠時の殺害はまあ戦時ですから置いといて、あと2回は弟の敵に切り付けたのと、例のチャンバラ沙汰で相手の用心棒を殺害したのとです。「たまたま相手が顔を背けたので」とか言ってますが、都合の悪い所はそんな記述ばっかりですから全然信憑性がありません。未遂に終わったのもちょこちょこあるし、地の文で「あのとき殺しておけば良かった」とか頻繁に言ってます。
 女もバンバン抱くし「ホモっ気もあるんじゃ」と疑える部分も多々あります。とにかく刹那的に欲望を満たしまくってるんですが、読んでると意外に爽やか。ワンピースのルフィ君というか、本人は「ミケランジェロを越える大彫刻家になるんだ!」が最大欲求ですので、陰湿さとは無縁で、必要以上に私欲を貪ることもありません。おまけに大砲と銃の名手で、法王にサンタンジェロ城に幽閉された後脱獄したり、デュマの「モンテ=クリスト伯」「三銃士」に至る娯楽小説の源流の一つはどうもコレじゃねえのかなと。
 チェッリーニの死が1571年で、ヤバげな内容からかそれから150年余り完全にほっぽらかされてた本ですから。彼の死とほぼ平行してシェークスピアが誕生し(1564年)、セルバンテスのドンキホーテが完成したのはさらにその50年後です。まあ成立はムチャクチャ古いですね。
 そんな彼も母国フィレンツェのコジモ1世に散々な目に遭わされると、やっとおとなしくなります。なりますが、前半生で些細な事でも遠慮会釈無しに食って掛かってたヤツが、事あるごとに「まことに英明なる閣下」とか言うとウソ臭くしか聞こえません。下巻締め括りの一文は「ザマァ」という感情が透けて見えて非常に白々しいです。
 かような自伝作品ですが、ミステリとしては上記の様にデュマからルブランに連なる娯楽小説のハシリ、一種のピカレスクロマンとして読むべきだと思いますね。もっと持ち上げられても良いと思うけど、何しろ胡散臭いからなあ。黒魔術師とかも出てくるし。

 追記:19世紀ロマン主義時代に、この人の生涯にいたく感動したベルリオーズという作曲家が『ベンヴェヌート・チェッリーニ』という二幕作品を製作しました。1838年にパリで上演されたこのオペラは散々な不評だったようです。「殺人を犯した主人公が、ペルセウス像の完成により全ての罪を許される」という内容なのでまあ当然ですが。
 このデタラメな自伝には、何かしら芸術家のココロを揺さぶるものがあるようです。


No.73 5点 落葉の柩
樹下太郎
(2018/09/12 16:53登録)
 最後のランデヴーの為に温泉に宿泊した会社員戸田省三は、ふと購入した朝刊の写真から、隣室の男が一千万円を持ち逃げした拐帯犯人であると知ってしまった。宿の者も含め、周囲の人間は誰もこれには気付かない。一千万あれば妻と別れ、恋人の花木陽子と何不自由無い生活を送れる・・・。
 決心を固め、巧みに行き止まりの山道に誘導して絞殺した男を、窪地の落ち葉溜めの中に葬った戸田だったが、知らぬ間に写真を撮られていた事には気付かなかった。
 一千万を手にし、宿に到着した陽子に、君と新たな生活を始めると告げる戸田。だがそんな彼の前に池月修と名乗る脅迫者が現れる。せめて事件に巻き込むまいと、彼は再び陽子と別れようとするが、彼女は殺人を薄々察していたと語り、逆に「一緒に戦いましょうよ」と戸田を励ますのだった。
 二人は幸福の妨げとなる池月を排除するため、密かに行動を開始する・・・。
 昭和35年刊。「最後の人」「夜の挨拶」に続く作者の第3長編。分量的には長めの中編といった感じでスルスル読めます。犯人視点の倒叙物ですが、絵に書いたような無関係の目撃者が山奥にそうそう転がっているワケも無く、脅迫側の池月にも弱味がある事が次第に明らかになっていきます。やがて死体も発見されてしまい、一千万円の取り合いを続けながら相手には殺人罪を押し付けようと、両者は天国と地獄のシーソーゲーム。果たして勝利はどちらの手に。
 というお話ですが、ミステリ的には結局無難に落ち着いた感じ。登場人物の人間的な部分を、その弱さも含めて存分に描いているのは好感持てますが、シーソーゲームの結末とオチは少々ありきたり過ぎるかな。捻りが足りないので評価は5点相当。初期作品なので期待してたんですけどね。


No.72 8点 ダイナマイト円舞曲(ワルツ)
小泉喜美子
(2018/09/11 07:20登録)
 地中海に面した人口二十五万人、神奈川県ほどの大きさの小国家ロンバルド公国。二十六歳の日本娘である「わたし」は、パリ留学時代の友人クレマンティーヌに招かれ、二週間ほどこの国に滞在することになった。彼女は君主である大公ドミニコ・ヴィットリオ九世に見初められ、新たに公妃となったのだ。"ブビイ"と呼ぶ夫をうっとりと見つめ、幸せに浸るクレマンティーヌだったが、絶対君主である現大公には不吉な噂が付き纏っていた。彼の妻たちがこれまでに七人、次々に変死を遂げていたのだ。
 賓客として「わたし」を迎える王室の人々や侍従長、ロンバルド全軍を率いるドラクロワ将軍など、煌びやかな人々の群れ。 だが彼女は到着早々、内線電話の混線から、"D(デ)"と呼ばれる謎の人物による陰謀の存在を知ってしまう。そしてクレマンティーヌの私室で行われた略式晩餐会の席上、皇太子ポールが苺により毒殺された。 友人の身を案じ、秘かに宮殿の探索を進める「わたし」だったが、彼女もまた国を揺るがすクーデター計画に巻き込まれていく・・・。
 誰が敵で誰が味方なのか、混沌とした状況のその果てに、高らかにダイナマイトの轟音が響く!
 いやいいですねえ。歌舞伎の十八番「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」を下敷きに、架空の王国に舞台を移し変えて、もののついでに軽く叙述トリックを仕掛けた本作。彫琢された描写になおかつ軽みを湛えた文章とかムチャクチャ凝ってます。ハンパじゃないのは一目瞭然。
 昭和48年作ですが、杉本一文絵の横溝正史が書店に山積みになっていて、赤い背表紙の松本清張とドロナワな戦いを繰り広げていた時代に、こういうお洒落な作品の存在は一種の奇蹟でしょう。新書版巻末の既刊ラインナップに目を通しても、本書の存在は異色そのもの。書き下ろしとはいえ、出版社もよくGOサインを出したものです。
 トリック的には処女作「弁護側の証人」に数歩を譲りますが、こっちは作者の嗜好ど真ん中なので、明らかにリキ入ってます。個人的にも凄く好み。作中でも「ゼンダ城の虜」への言及がありますが、ルリタニア・テーマの国産ミステリは数自体少ないです。まず架空国家って設定がめんどくさいですからね。アニメだと宮崎駿監督の大名作「ルパン三世・カリオストロの城」とかありますが。
 物語のもう一つのベースはペロー童話の「青ひげ」ですが、メインのお家騒動に比べると七人の妻たちの死の真相はたいしたもんじゃなかったなあ。一応原典も踏んでるし、ミスディレクションにはなってますけど。
 それは置いといて、小泉喜美子さんの本は古書でも結構お値段が張りますが、相応の価値はあると思います。本書もできれば文庫ではなく、挿絵の入ったカッパ・ノベルス版で手に取って欲しいですね。


No.71 6点 悪魔のひじの家
ジョン・ディクスン・カー
(2018/09/09 18:13登録)
 歴史家ガレット・アンダースンは二十年ぶりに再会した旧友ニックに、ハンプシャー在住の叔父、ぺニントン・バークリー邸への同行を頼まれた。イングランド南東部、ソレント海峡に突き出た〈悪魔のひじ〉に屹立する、緑樹館と呼ばれる館――
 そこで、彼の父と不和だった祖父クロヴィスの新たな遺言状が発見されたのだ。遺言は館を含め、ニックにバークリー家の全ての資産を与えるというものだったが、既に十分な資産家である彼は相続放棄の意思を固めていた。
 それとは別に遺言状発見以来、緑樹館では幽霊騒ぎが持ち上がっていた。館を建造した18世紀の悪徳判事、サー・ホレース・ワイルドフェアの黒ずくめの亡霊が現れるというのだ。不安を覚えたニックは併せての助力を求め、ガレットもそれを了承する。
 ハンプシャー州に向かう途次、列車内でガレットは別れた恋人フェイに再会するが、偶然にも彼女はぺニントンの秘書となっていた。フェイとは別途に緑樹館に赴くガレット達だったが、不穏な気配漂う館に到着するや否や、一発の銃声が彼らを出迎える・・・。
 1965年発表、最後から3番目のフェル博士物。おどろおどろなタイトルについ初期ばりの展開を期待してしまいますが、トリックは至ってシンプル。まわりくどい描写が続き、メインの事件が起きるのは作品半ば過ぎですが、緑樹館に着くなり黒ずくめの幽霊によるぺニントン銃撃→続いてその晩の内に再度の銃撃による密室内での殺害未遂事件→翌晩には犯人逮捕と急転直下の展開を見せます。
 個人的には幽霊騒動に偽証が混じる事よりも、犯行前後に都合の良い偶然が重なるのが問題。犯人が自信過剰過ぎて、ぺニントンを始末した後の見通しが実質ゼロなのはさらに問題(あまりにアレなのが凄い目眩ましですが)。トリックも銃の火傷の件があるので、無理に密室に仕立てない方が良かったんじゃと思います。
 ただ流石に巨匠なだけあって、犯人を読者の意識外に置く手際はいつもながら見事。犯行の段取りに必要な、ある品物を持ち出す手口には完全にやられました。
 最後期の本格力作という位置付けのこの作品。好意的な批評も多く、それなりに楽しみながら読めるけど、トリックの無理が色々とプロットに来てるんで佳作にまでは至らないかな。


No.70 6点 無頼船長と中東大戦争
ブライアン・キャリスン
(2018/09/07 19:46登録)
 七つの海を塒に、密輸・密入国・国際法違反・詐欺・武器取り引き、スパイから昔ながらの海賊稼業まで、ありとあらゆる違法行為を鼻歌混じりで行う史上最低の船乗り、無頼船長エドワード・トラップ。イスタンブールの怪しげなバザールで、アル・カポネからナンバーズ賭博の売り上げを持ち逃げした70越えのイスラム商人、コルクート・トコグル十五世から贋絨毯を買い叩く最中に事は起こった。
 突如乗り込んで来た男たちにトコグルはあっさりと始末され、トラップはサブマシンガンを突き付けられたのだ。指揮官と名乗る男、ウェストン大佐は彼に200万ドルの儲け話を持ってきたと語る。
 その八日後、船会社の売却に途方に暮れる英国海軍予備役少佐、ミラーの手元に、イタリア・ブリンディジ行の安切符を同封した、子供の落書きと見紛うばかりの手紙が届くのだった・・・。
 1988年発表のトラップ船長もの第3作。作中年代もほぼ同じ。トラップは第一次大戦のロイヤル・ネイビー志願兵の生き残りで、ミラーとの出会いは第二次大戦中、1942年まで遡ります。それから約30年後の1970年代初めに尚も絡みつく腐れ縁をなんとか振り切るも、手紙の誘いに乗ったが百年目、トラップと三度目の悪夢の航海を共にする事になります。
 物凄く胡散臭いタイトルですが、原題は"TRAPP AND WORLD WAR THREE(「トラップと第三次世界大戦」)"ですからもっと酷い。内容もそれに恥じません。最終的には原子力潜水艦2隻とフリゲート艦2隻と、巡視艇+αが沈みます。
 トラップはとにかく金の亡者で儲け話と聞けばダボハゼみたいに食い付く、後先の事は考えない、にもかかわらず持ち前の生命力と土壇場での機転と抜きん出た悪運で、彼を侮った連中は全員海の藻屑になっているという奴です(実はとてもキレる男だとか、そんな事は一切無い)。
 ですが海洋戦争物の一作目は例外として、これが巧みな導入部になっているのがこのシリーズ。欲に目が眩んで安請け合い→徐々にヤバさ加減に気付く→生き延びる為、必死に事の真相を探る というコンボで、結果的に立派な海洋ミステリーが出来上がるという次第。
 話の複雑さは2作目の「無頼船長の密謀船」に一歩譲りますが、リーダビリティやギャグテイストは大きく向上。船は浮かぶスクラップで、船員たちは三歩歩けば官憲にしょっぴかれるような奴ばかり。いざとなれば海の男に早変わりとか熱い血潮が滾るとか、そんな事は一切無い。どうしようもないポンコツ揃いで、垢抜けないというか泥臭い文体にも関わらず、無条件で笑えます。
 ミステリ的にも結構面白い。リビアに上陸しようとするウェストン大佐の真の目的はたいしたことないんですが、偶然と悪運とその場の思い付きとで、トラップが絶体絶命の危機をどう躱すのかがお立会い。「リリアンと悪党ども」のラストみたい。こっちは意図してやってるわけじゃないですけど。
 あとがきによれば、本作の時点でどう計算してもトラップの年齢は80半ばになるそうです。しかしこれはまだシリーズ3作目。この後に4作目「CLOCODILE TRAPP」5作目「TRAPP'S SECRET WAR」と続きます。出版不況の上に北欧オサレ路線に舵を切ったハヤカワが訳してくれるとは到底思えませんが、まあ気長に待ちましょう。7点付けたいのは山々だけど、勇気が無いので6.5点。


No.69 4点 スパイたちの遺産
ジョン・ル・カレ
(2018/09/06 05:52登録)
 南仏ブルターニュの農場で引退生活を送る老齢のスパイ、ピーター・ギラムは突如古巣の英国情報部に呼び出される。冷戦時の対東側諜報作戦〈ウインドフォール〉の犠牲者、アレック・リーマスの息子が、情報部を相手取り訴訟を起こす構えだというのだ。その過程でギラムと彼の師である伝説的スパイ、ジョージ・スマイリーは、主犯として追及されるという。
 「影の巡礼者」で読者に決別の挨拶を送ったスマイリー、21世紀を20年近く過ぎてまさかの再登場。ストーリーは「寒い国から帰ってきたスパイ」の語り直し。なんですがアレですね。蛇足というか、微妙というか。
 のこのこと情報部に出頭したギラム。到着するや否や早速スマイリーと共謀して当時のファイルを隠し、予算をちょろまかしてジジババばかりで怪しげなセーフハウスを運営していた事を追求されます。
 都合の悪い所はボケたふりして誤魔化そうとしますが、そんな手が通じるわけもなくエレガントに首を締め上げられ「ちゃっちゃと吐かんかい」という扱いを受けるギラム。そんな彼に原告であるリーマスの遺児、クリストフが直に接触してくるのですが・・・。
 うーん。イマイチ乗らない。結局、前に取り上げた「メグレの回想録」に近い"あの人は今"的な内輪ネタ作品なんですが、語り手はスマイリーではなくピーター・ギラム。結構ページ数あるのにワトスン役が自分語りを延々やってるだけなので締まらない事おびただしい。トリがお前かよというか何というか。そのつまんなさを支えるだけの、意外性を持って構築されたプロットがあれば別ですが、そんな事もない。内容的にもロンドン側から見た「寒い国から帰ってきたスパイ」及び「ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ」の補足のみ。
 過去の回想も前フリが3/4余りで、肝心の「転がる石(ローリングストーン)作戦についてはちょっとだけ。クソコテのクリストフ君も最後にヘタレて、結局訴訟沙汰はウヤムヤに終わるという。これをそれなりに余韻のある終わり方と取るか腰砕けと取るか。なんだかなあ。
 カーラが南米で拳銃自殺したとか、サースグッド校長が父親同様妻子を捨ててホモの恋人と夜逃げしたとか、後日談が色々ありますが、「寒い国から・・・」もスマイリー三部作も完璧に近い終わり方なんだから、ハンパなもんなら付け加えて欲しくないかなと。
 海外書評とかAmazonとか、賛辞が大半なのはちょっと疑問。あくまで私見ですが、別に読まなくていいと思います。


No.68 5点 ジャックが建てた家
エド・マクベイン
(2018/09/03 08:19登録)
 インディアナ州から出てきた農夫ラルフ・パリッシュは誕生パーティーの席上、弟と激しく言い争い自室に引き上げた。ジョナサンがホモであるとは承知していたが、目の前でゲイたちが繰り広げる光景には耐えられなかったのだ。そして翌朝階下の悲鳴に駆け付けた彼は、胸に包丁を突き立てられ、血潮にまみれてもがき苦しむジョナサンを発見した・・・。
 ホープ弁護士シリーズ第8作。弟殺しで逮捕された男の無罪を証明しようとするホープですが、今回は調査と平行して共同経営者であるフランク・サマーヴィルの妻レオナの行動が描かれます。「妻が浮気しているのではないか」という疑惑に憔悴するフランク(第4作目「ジャックと豆の木」では、恋人にフラれたマシューに説教するなど余裕綽々でしたが)。
 ホープは相棒の私立探偵ウォレンに刺殺事件の調査に加えレオナの尾行も頼みますが、その過程で「これは偽装で、レオナの浮気相手は実はホープではないのか?」と疑われたりします(すぐ疑いは晴れますが)。レオナの件が思わせぶりなので、途中までこっちがメインかと思ってたんですけどね。別口のホモカップルがずっと犯人っぽく描写されてたんで捻りも何もないかと。終わってみれば結構凝った話でした。
 各章冒頭にマザーグースの「ジャックが建てた家」の歌詞が掲げられ、それがそのまま物語の登場人物に当てはめられています。まあ歌に合わせて出しただけのキャラなんかもいますが。"つみあげうた"と言って、後から文章をどんどん継ぎ足していくやつです。なので途中まで「風が吹けば桶屋が儲かる」式の展開なのかなと考えてたんですが、重要なのは歌の題名の方でした。
 でもこれ難しいと思いますね。漠然とした仄めかしは作品名と被害者のクズさ加減くらい。具体的な手掛かりはほぼ一つだけでそれも見過ごし易いですから。
 しかしマクベインがホモを大々的に扱ったのはこれが初めてじゃないですかね。87分署シリーズにもあんま出て来ないし。どうもホモ嫌いらしく、この物語でもクズホモしか登場しませんが。


No.67 7点 ロンドン橋が落ちる
ジョン・ディクスン・カー
(2018/09/01 15:23登録)
 七年戦争のさなか、1757年。敵国フランスから恋人ペッグ・ラルストンを連れ戻してイギリスに帰還した補史ジェフリー・ウィン。だが彼をパリに派遣した大富豪モーティマー卿の屋敷は愛妾ラヴィニア・クレスウェルに牛耳られていた。彼女は別人のように弱気になった卿を操り、不行跡を言い立て邪魔者ペッグを排除しようとする。取り壊し寸前のロンドン橋のあばら家"魔法のペン"で、再び逃亡したペッグを捕まえたジェフリーだったが、そこで二人は老婆の変死体を発見してしまう。ニューゲート監獄に送られた恋人を救う為、ジェフリーはラヴィニア一味と戦うと同時に、老婆殺しの謎にも挑む。
 1962年発表。カーの歴史物としてはニューオリンズ三部作の直前、最後期に属する作品。読む前にはあまり芳しい評判は聞こえてこなかったのですが、どうしてどうして面白いではないですか。
 殺害方法は「ああ、アレか」という代物ですがこれはオマケ程度。本書の真価は物語の軸にあります。いわゆる善玉組である主人公ジェフリーと彼の上司である盲目の判事ジョン・フィールディング、そしてペッグの保護者モーティマー卿。この三者がそれぞれ秘密や思惑を抱え、またその秘密が相互に縺れ合ってストーリーを形成しているのです。
 ですから味方と分かっていても完全に安心できない。話がどう転ぶか分からない。むしろ悪玉組の方が狙いが直線的なだけ分かり易いくらい(殺人犯人は別として)。その辺りのスリルとアヤを楽しむ小説です。アリステア・マクリーンの「恐怖の関門」とかに近いかな。
 時代考証もハンパじゃないし舞台も面白いです。ロンドン橋の上が一種の貧民街みたいになってたんですね。チョイ役で登場する酔いどれで女好きで憎めないローレンス・スターン師は実在の人物。彼の作品「トリストラム・シャンティ」はナンセンス文学のハシリです。18世紀イギリス版筒井康隆みたいな人。
 読んだ手応えは最後期でも相当の力作という感じ。ディクスン名義を含めた著作中でも上の下か、悪くても中の上かな。

 追記:図書館で一緒に借りてきたヘレン・マクロイ作品に同様のネタが使われていて驚きました。探せばもっとあるでしょう。某時代劇シリーズでお馴染みのトリックです。
 本作はむしろプロット主体なので、この部分はメイントリックではなく刺身のツマ程度に判断しておく方が良いかと思います。実際ペッグがニューゲート行きになったのも、老婆の怪死ではなくモーティマー卿の告訴が主な理由ですしね。殺人部分は物語の中心ではないという事です。

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